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鄆州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鄆州(うんしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から宋代にかけて、現在の山東省西部に設置された。

隋代

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590年開皇10年)、隋により済州兗州曹州の一部が分離されて鄆州が設置された。607年大業3年)、郡制施行に伴い鄆州は東平郡と改称され、下部に6県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
済州 曹州 兗州 東平郡
東平郡 濮陽郡 東平郡 鄆城県 鄄城県 宿城県
須昌県 雷沢県 鉅野県
清沢県 鄄城県 廩丘県 須昌県

唐代以降

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621年武徳4年)、徐円朗を平定すると、東平郡は鄆州と改められた。742年天宝元年)、鄆州は東平郡と改称された。758年乾元元年)、東平郡は鄆州と改称された。鄆州は河南道に属し、鄆城・須昌・鉅野・寿張平陰東阿陽穀中都の10県を管轄した[2]

1119年宣和元年)、北宋により鄆州は東平府に昇格した[3]

脚注

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  1. ^ 隋書』地理志中
  2. ^ 旧唐書』地理志一
  3. ^ 宋史』地理志一