EUROGROOVE
EUROGROOVE | |
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出身地 | 日本・ イギリス・ イタリア |
ジャンル | |
活動期間 | 1994年 - 1996年 |
レーベル | cutting edge |
事務所 | TK state |
共同作業者 | DJ KOO(DJ) |
メンバー |
小室哲哉 (ピアノ, キーボード, シンセサイザー) フィーチャリング(ボーカル) |
EUROGROOVE(ユーログルーヴ)とは、小室哲哉による、日本の音楽を海外に進出させることを目的として1994年から1996年にかけて行われたプロジェクトである。
海外のダンス・ミュージックをJ-POPに翻訳したTRFの日本国内での成功を受けて、日本の文化を反映させたダンス・ミュージックを海外に発信するために開始された。このプロジェクトでリリースされた曲は、1990年代初頭からヨーロッパ諸国を中心に流行し始めたユーロダンス系の曲が多いのが特徴である。EUROGROOVEは多国籍かつ流動的なメンバーでダンス・ミュージックを制作する体制を取っていたが、音楽のグローバル化が進んでいない当時としては珍しい体制であり、今日のEDMの音楽ユニットと似た活動形態でもあった。
概要
[編集]「日本製の音楽はなぜ輸出できないのか」という疑問を解き明かし、欧米進出を図るために結成された[1]。
「郷に入っては郷に従え」の精神で歌詞の言い回しもその時のヨーロッパの流行りに合わせられる様に現地の作詞家を起用し、ボーカルも楽曲毎に変え、小室のオリジナル楽曲をイギリスの制作チームにリミックスさせて、海外の色に染める等、売り込む対象となった国の歌手やアレンジャーを起用して自身の音楽を制作して売り込む手法を採用した。アルバムはEUROGROOVEの楽曲と本場の楽曲が同時収録されたコンピレーション・アルバムで発売され、楽曲を比較しても、クオリティ面では同等である事を示す様にし[2][3]、「# oo」と2桁以上続けて出す構想もあった[4]。
日本での展開・フィーチャリング形式で構成されたグループの将来を考え、お互いのA&Rを充実させる為に小室は2ヶ月に1回ミーティングの為だけにロンドンに行き、「日本のアーティストが海外進出する為の窓口」[2]「日本のアーティストが海外進出する場合は向こうのプロデューサーに作ってもらい、逆に海外のアーティストを日本で売る場合は小室がプロデュースする制作活動」[5]を目指した。
必然的にグローバル化への挑戦となったが、EUROGROOVEが活動した1990年代前半はインターネット商用化直前の時代であり、こうした制作活動に高いコストが掛かった上に、世界的に異文化への理解も進んでいなかった。
プロジェクトの推移
[編集]当初は小室とDJ KOOに、KINOS系のフリー・ヴォーカリストという編成でスタートし、TRFの「BILLIONAIRE」ツアー終了後の時間にクラブツアー「EUROGROOVE NIGHT」が全国15ヶ所で1994年9月14日~1994年10月24日まで開催された。コンセプトはそのまま「TRFのコンサートの二軍」という構想だった[4]。同ツアーの司会を務めていたのはマーク・パンサー。そしてヴォーカルオーディションに参加していたのがKEIKOであった。
現在[いつ?]GTSと共に大活躍のメロディー・セクストンなどの、フリー・ヴォーカリストがダンスフロアで活躍するきっかけとなった。
楽曲が最初にヨーロッパの中でレーベルの目にとまったのはイタリアである。ARIESレーベルで『SCAN ME』のプロモ盤が作られたのが、EUROGROOVEの海外進出第一弾となった。
その後ヨーロッパで正式に再デビュー[6]を果たし、『It's on you(Scan Me)』でイギリスのナショナルチャートでもランク入りを果たした(シカゴ・ハウスのFELIX DA HOUSECATのリミックス)。
しかし、FELIX DA HOUSECATのトラックが注目されてのヒットは、「イギリス経由でNYに流行を発信し、西海岸を経て東京へ戻す」と言う小室の考えていた世界一周のベクトルとは逆方向だった。その後、小室哲哉の海外戦略のベクトルはアメリカのみへとシフトし、日本国内における小室ブームの始まりと共に小室本人が多忙になり、このプロジェクトは終了した[7]。
EUROGROOVEの盤はヨーロッパ各国とアメリカ、カナダなどでサンプル盤が作られていて、小室作品の中でもレア物が多い[8]。
ちなみに日本では、フジテレビのF1グランプリ中継のエンディングテーマとして使われていた『Let's Go』(当初は小室個人の名義で発表された器楽曲だったが、シーズン途中からヴォーカルが入ったバージョンに切り替えられ、曲のクレジットもEUROGROOVEとなった)が有名である。
数年間の活動の集大成として1995年のクリスマスに「THE BEST OF EUROGROOVE NON-STOP MIX」を発売し、以後はユニット自体が自然消滅した。このベスト・アルバムのアレンジは海外向けアレンジとなっている。
イギリスでは1996年にAVEX UKからEUROGROOVEの曲のみを収録したアルバムである『In The Groove』と『United Nations Of Remixing』がリリースされている。これらは、日本国内で発売された作品とはアレンジが全く異なっており、力強い本場のダンス・サウンドに改められている。これらの海外盤は日本国内では未発売である。
小室は2015年に「TRFが売れたご褒美でやらせてもらった企画」「究極の趣味としてのプロジェクト」と振り返っている[9]。
ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]- MOVE YOUR BODY BABY(1994年8月3日)EUROGROOVE feat. FINAL TOUCH
- DIVE TO PARADISE(1994年11月2日)EUROGROOVE feat. SILVIA
- rescue me(1995年2月1日)EUROGROOVE guest vocal DANNI MINOGUE
- RESCUE ME〜奪回愛恋〜(1995年2月8日)EUROGROOVE featuring CUILING
- BOOGIE WOOGIE(1995年6月21日)EUROGROOVE guest vocal DANNI MINOGUE
- Let's Go(1995年10月18日)
アルバム
[編集]- EUROGROOVE #01 (1994年6月29日)
- EUROGROOVE #02 (1994年10月5日)
- EUROGROOVE #03 (1995年3月22日)
- EUROGROOVE #04 (1995年8月23日)
ベスト・アルバム
[編集]海外盤
[編集]以下はプロデューサーチーム「FKB」によってヨーロッパ向けにリメイクされた楽曲。
- MOVE YOUR BODY
- DIVE TO PARADISE
- RESCUE ME
- BOOGIE WOOGIE
- BE HAPPY
- DON'T KEEP ME HANGIN' ON
以下は上記楽曲が収録されたCD盤。
- 2 COMPACT DISC PACK-IN THE GROOVE / UNITED NATIONS OF REMIXING
- 他多数
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 1996年5月25日角川書店刊「告白は踊る(角川文庫版)」小室哲哉著281Pより。
- ^ a b 角川書店刊『月刊カドカワ』1994年12月号105P-120Pより。
- ^ 講談社刊『Views』1995年10月号70Pより。
- ^ a b ソニー・マガジンズ刊「PATi PATi」1995年1月号250Pより。
- ^ プレジデント社刊「プレジデント」1995年5月号98P-103Pより。
- ^ ヨーロッパでのEUROGROOVEはプロデューサーチーム「FKB(DiscogsFKB紹介ページ - Discogs)」及び、女性ボーカル1名と男性ダンサー、男性ラッパーの2名のパフォーマーで構成される。楽曲は小室哲哉作曲の物をFKBの手によってリメイクされた物が使用される。この場合小室は「WORLDWIDE EXECUTIVE PRODUCER」とクレジットされる。
- ^ 1996年12月11日スコラ刊「all about avex」より。
- ^ 一部より。
- ^ 2015年8月8日ぴあ刊「小室哲哉ぴあ globe編」より。