ウェス・アンセルド

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ウェス・アンセルド
Wes Unseld
Wes Unseld 1975.jpeg
殿堂  No.41 (永久欠番)
ポジション センター
背番号 41 (永久欠番)
身長 200cm  (6 ft 7 in)
体重 111kg (245 lb)
基本情報
本名 ウェスリー・シセル・アンセルド
愛称 ウェス
ラテン文字 Wes Unseld
英語 Westly Sissel Unseld
誕生日 1946年3月14日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ケンタッキー州ルイビル
出身 ルイビル大学
選手経歴
1968-1980 ボルティモア/ワシントン・ブレッツ
指導者経歴
1987-1994 ワシントン・ブレッツ
受賞歴

ウェスリー・シセル・アンセルド(Westly Sissel Unseld, 1946年3月14日 - ) 通称ウェス・アンセルド (Wes Unseld) はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手である。NBAワシントン・ブレッツのセンターとして1960年代後半から70年代前半にかけて活躍した。リバウンドの獲得に長けており、ゴール下をほぼ支配した。また、引退後はヘッドコーチとしてブレッツを7シーズン率いた。

6フィート7インチの身長ながら(現役引退後、彼は6フィート6インチにも満たないことを明かした。)、自分より背の高いカリーム・アブドゥル=ジャバーなど7フィートの選手達とゴールしたで争い、NBAオールスターゲームに5回選出された[1]

1988年バスケットボール殿堂入りした。

経歴[編集]

カレッジ時代[編集]

アンセルドは生まれ育った地元ケンタッキー州のセネカ高校で頭角を現し、2度の州チャンピオンシップを制する活躍をする。1965年に卒業すると、ルイビル大学に入学しセンターとしてプレーをした。彼は在学中の3年間カンファレンスのリバウンドリーダーとなり、チームをNCAAトーナメントまで導く。カレッジ時代の成績はトータル得点1,669ポイント(ゲーム平均20.6ポイント)、トータルリバウンド1,551(ゲーム平均18.9リバウンド)を記録している[1]

NBAプレーヤー時代[編集]

カレッジで目覚しい活躍をしたアンセルドは卒業後1968年のNBAドラフトボルチモア・ブレッツに1巡目全体2位で指名を受け入団した[1]。それまで1度も勝ち越したことの無かったチームで彼の現役時代の12シーズンでチームは10回勝ち越し、12年連続でプレーオフに出場した[1]

入団した1年目のシーズン、アンセルドは前年に入団し、最優秀新人賞を獲得したアール・モンロー、得点力の高いガードのケビン・ローアリー、パワーのあるフォワードのガス・ジョンソンと共に活躍、前年ディビジョン6位だったチームは勝ち星を21増やして、57勝25敗で東ディビジョン優勝を果した。アンセルドは平均13.8ポイント、ウィルト・チェンバレンに次ぐNBA2位の18.2リバウンド、2.6アシストを上げ、最優秀新人賞最優秀選手賞(MVP)を獲得した。両賞を同時に獲得したのはチェンバレンに続いて史上2人目の快挙であった[1]ジーン・シューヘッドコーチがこの年、コーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。プレーオフでは準決勝でニューヨーク・ニックスに敗れたものの平均18.8得点、18.5リバウンドをあげた[1]

1969-70シーズンも平均16.2得点、エルビン・ヘイズに次ぐNBA2位の平均16.7リバウンドをあげた。チームはイースタン・ディビジョン3位となった[1]

NBAの各チームは、1970-71シーズンに2つのカンファレンスと4つのディビジョンに分けられ、ブレッツは、セントラル・ディビジョンに所属することとなった[1]。[NBAカンファレンスファイナル[カンファレンスファイナル]]でニックスを倒して念願のNBAファイナル進出を果した[1]。以降、ブレッツはプレーオフの常連チームとなるが、優勝までは手が届かなかった。

入団してから4シーズン連続でNBA2位のリバウンドをあげたアンセルドは、チームがワシントンD.C.に移り、キャピタル・ブレッツと改称、K・C・ジョーンズヘッドコーチが就任した1973-74シーズンは怪我のため26試合に欠場し、平均5.9得点、9.2リバウンドと成績を落とした[1]

チームがワシントン・ブレッツと改称した1974-75シーズンに平均14.8リバウンドをあげて、初のリバウンド王となった。このシーズン、ニューオーリンズ・ジャズ戦では30リバウンドを記録した。チームは60勝22敗でセントラル・ディビジョンチャンピオンとなった。ブレッツ(現ウィザーズ)が60勝をあげたのは、このシーズンのみである[1]バッファロー・ブレーブスを4勝3敗、ボストン・セルティックスを4勝2敗で破り、4年ぶりに自身2度目のNBAファイナル進出を果したが、リック・バリーを擁するゴールデンステート・ウォリアーズに4連敗で敗れた[1]

1975-76シーズンはNBA3位の平均13.3リバウンドとリバウンドは減ったものの、シュート成功率56.1%をマークした。チームは48勝34敗でシーズンを終えた。1976-77シーズンも48勝34敗でシーズンを終えたチームは、1977-78シーズンに念願のNBAファイナル制覇を果たした。得点でNBAベスト20に入った選手は1人もいなかったが、平均19.7得点のヘイズ、19.3得点のボブ・ダンドリッジを始めとする6人の選手が平均10得点以上をあげ、アンセルドは、平均7.6得点、NBA10位の11.9リバウンドをあげた[1]。レギュラーシーズンを44勝38敗でディビジョン2位で終えたチームは、アトランタ・ホークスサンアントニオ・スパーズフィラデルフィア・セブンティシクサーズを破り、NBAファイナルに進出した。ディック・モッタヘッドコーチに率いられたチームは、シアトル・スーパーソニックスを4勝3敗で倒し、チャンピオンリングを獲得した。アンセルドは、プレーオフで平均9.4得点、12.0リバウンドをあげて、ファイナルMVPにも選ばれた[1]。翌1978-79シーズンにも54勝28敗の成績をあげたブレッツはファイナル進出を果すが、レニー・ウィルケンズヘッドコーチのスーパーソニックスに1勝4敗で敗れて2度目の優勝はならなかった[1]

長年ひざの故障に苦しんだ彼は、1980-81シーズン終了後に現役を引退し、チームのフロントに入った[1]

70年代に4回NBAファイナルに進み優勝は1回だった。

1988年バスケットボール殿堂入りを果した。また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された[1]

コーチ時代[編集]

ブレッツのフロント入りし、副社長を務めた後、1987-1988シーズン、チームが8勝19敗となったところで、ケビン・ローアリーに代わってヘッドコーチに就任、シーズン残り試合で30勝25敗と勝率5割を超え、チームはアトランティック・ディビジョン2位となりプレーオフにチームを導いた[1]

しかし、その後はブレッツは低迷期に入っていき、1988-1989シーズンに40勝42敗でプレーオフを逃した後、勝率も年々下がっていき、1992-93シーズンは22勝60敗、1993-94シーズンも24勝58敗でシーズンを終え、1993-94シーズン]]終了後コーチから退任した[1]

コーチングキャリア戦績は7シーズンで202勝345敗(勝率36.9%)である[1]

成績および受賞歴[編集]

通算成績[編集]

得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。[2]

レギュラーシーズン (13シーズン) プレーオフ (12シーズン)
984試合総計 ゲーム平均 40分平均 119試合総計 ゲーム平均
ポイント数 10,624 10.8 11.9 1,260 10.6
リバウンド数 13,769 14.0 15.4 1,777 14.9
アシスト数 3,822 3.9 4.3 453 3.8

主な受賞トピックス[編集]

主な記録トピックス[編集]

  1. 通算リバウンド数NBA歴代10位(13,769)
  2. 通算ゲーム平均リバウンド数NBA歴代6位(14.0)
  3. 通算リバウンド数ブレッツフランチャイズ記録(13,769)
  4. 通算アシスト数ブレッツフランチャイズ記録(3,822)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Complete Bio Summary”. nba.com. 2015年2月21日閲覧。
  2. ^ Basketball-reference.com Wes Unseld Statisticsより引用。April 4, 2007。ブロック数、スティール数は公式記録となったのが、アンセルドデビュー後数年経過してからのため、集計から外した。

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]