ジェリー・ルーカス

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ジェリー・ルーカス
Jerry Lucas
1961年のルーカス
基本情報
愛称 Luke
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1940-03-30) 1940年3月30日(84歳)
出身地 オハイオ州ミドルタウン
身長 203cm (6 ft 8 in)
体重 104kg (229 lb)
キャリア情報
高校 ミドルタウン高等学校英語版
大学 オハイオ州立大学
NBAドラフト 1962年 / 地域指名
プロ選手期間 1962年–1974年
ポジション PF
背番号歴 16, 47, 32
経歴
19631969シンシナティ・ロイヤルズ
19691971サンフランシスコ・ウォリアーズ
19711974ニューヨーク・ニックス
受賞歴
NBA通算成績
得点数 14,053 (17.0 ppg)
リバウンド数 12,942 (15.6 rpg)
アシスト数 2,732 (3.3 apg)
Stats Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細)
カレッジバスケットボール殿堂入り (2006年)
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 1960
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1960 ローマ バスケットボール

ジェリー・レイ・ルーカス (Jerry Ray Lucas, 1940年3月30日 - ) は、アメリカ合衆国オハイオ州ミドルタウン出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはパワーフォワードカレッジバスケオハイオ州立大学バックアイズのスター選手として活躍し、1960年ローマオリンピック金メダリストを獲得した後、全米プロバスケットボール協会 (NBA) の選手として12年間プレーした。

1960年代後半はプロバスケットリーグNBAシンシナティ・ロイヤルズのセンターとして活躍し、1970年代前半にはニューヨーク・ニックス1973年の優勝に貢献した。203cmの長身でゴール下を支配し、歴代4位となるゲーム平均15.6リバウンド(トータルリバウンド12,942)を記録した。1980年バスケットボール殿堂入りした。

経歴[編集]

カレッジ時代[編集]

オハイオ州で生まれたルーカスは早くからその才能を開花させた。地元のミドルタウンハイスクールのチームを州のチャンピオンに導き、彼は1957年1958年のオハイオ最優秀選手に選ばれている。

卒業後はオハイオ州立大学に入学、センターとしてチームを牽引し、1960年から1962年の3シーズンビッグ・テン・カンファレンスチャンピオンに導く。彼自身も3年連続でシカゴ・トリビューンが選ぶビッグ・テンのMVPに選出された。さらに、1960年にはNCAAチャンピオンにも輝き、ルーカスは1960年・1961年2年連続でMOP (Most Outstanding Player) に選出された。また、1961年・1962年の2年連続で全米バスケットボール記者協会 (USBWA) が選ぶカレッジ最優秀選手(現在は初代受賞者のオスカー・ロバートソンを称えて「オスカー・ロバートソン・トロフィー」と呼ばれる)を受賞した。[1]

在学中の3年間で計82ゲームに出場し、トータル1,990得点(ゲーム平均24.3得点)・1,411リバウンド(ゲーム平均17.2リバウンド)・フィールドゴール成功率62.4%という驚異的な成績を記録している。[2]

ナショナルチーム[編集]

在学中の1960年、20歳のルーカスはオスカー・ロバートソン、ウォルト・ベラミー等と共にアメリカ代表チーム選出されローマ五輪に出場する。予選ラウンドを3戦全勝1位で抜け出たアメリカチームは、当時アマチュアスポーツ強化を国策としてオリンピックでは無類の強さを見せていたソビエト連邦を決勝で破り、金メダルを獲得した。

NBAプレーヤー時代[編集]

ロイヤルズ時代[編集]

金メダル獲得後、ルーカスは1963年NBAドラフトでシンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)にピックアップされ入団する。ロイヤルズにはローマ五輪のチームメイトであったオスカー・ロバートソンがおり、二人の活躍でチームはプレーオフの常連となる。NBAファイナル進出には至らなかったが、1967年までは毎シーズンプレーオフに進出した。ルーキーシーズンに彼は1,400得点(ゲーム平均17.7得点)・1,375リバウンド(ゲーム平均17.4リバウンド)を記録し1964年ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出された。

ニックス時代[編集]

その後、1969-70シーズンにルーカスはサンフランシスコ・ウォリアーズ(現ゴールデンステート・ウォリアーズ)にトレードされ1972年までプレーする。同年ニューヨーク・ニックスにトレードされる。当時のニックスはウィリス・リードデイブ・ディバッシャーなどの名選手を擁してファイナル制覇に燃えていた。彼と同時期にアール・モンローも加入し、NBAファイナルに進出したニックスはロサンゼルス・レイカーズを破りチャンピオンリングを獲得する。

ルーカスは1974年に選手生活から引退した。引退後、1980年に殿堂入りし、また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。

個人成績[編集]

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
  優勝シーズン     リーグリーダー

レギュラーシーズン[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1963–64 CIN 79 41.4 .527* .779 17.4 2.6 17.7
1964–65 66 43.4 .498 .814 20.0 2.4 21.4
1965–66 79 44.5 .453 .787 21.1 2.7 21.5
1966–67 81 43.9 .459 .791 19.1 3.3 17.8
1967–68 82 44.1 .519 .778 19.0 3.3 21.5
1968–69 74 41.6 .551 .755 18.4 4.1 18.3
1969–70 4 29.5 .514 .714 11.3 2.3 10.3
SFW 63 36.5 .507 .786 14.4 2.6 15.4
1970–71 80 40.6 .498 .787 15.8 3.7 19.2
1971–72 NYK 77 38.0 .512 .791 13.1 4.1 16.7
1972–73 dagger 71 28.2 .513 .800 7.2 4.5 9.9
1973–74 73 22.3 .462 .698 5.1 3.2 0.4 0.3 6.2
通算 829 38.8 .499 .783 15.6 3.3 0.4 0.3 17.0
オールスター 7 6 26.1 .547 .905 9.1 1.7 12.7

プレーオフ[編集]

年度 チーム GP GS MPG FG% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1964 CIN 10 37.0 .390 .703 12.5 3.4 12.2
1965 4 48.8* .507 .773 21.0 2.3 23.3
1966 5 46.2 .471 .771 20.2 2.8 21.4
1967 4 45.8 .436 1.000 19.3 2.0 12.5
1971 SFW 5 34.2 .506 .688 10.0 3.2 17.8
1972 NYK 16 46.1 .500 .831 10.8 5.3 18.6
1973 dagger 17 21.6 .482 .870 5.0 2.3 7.5
1974 11 10.5 .238 2.0 0.8 0.4 0.0 0.9
通算 72 32.9 .467 .786 10.0 3.0 0.4 0.0 12.4

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]