ウォルト・フレイジャー
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引退 | |
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殿堂 | バスケットボール殿堂 |
永久欠番 | ニックス 10 |
ポジション(現役時) | PG |
背番号(現役時) | 10 (永久欠番), 11 |
身長(現役時) | 193cm (6 ft 4 in) |
体重(現役時) | 91kg (201 lb) |
基本情報 | |
本名 | Walter Frazier |
愛称 | Clyde |
ラテン文字 | Walt Frazier |
誕生日 | 1945年3月29日(75歳) |
国 |
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出身地 |
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出身 | 南イリノイ大学 |
NBAドラフト | 1967年 5位 |
選手経歴 | |
1967-1977 1977-1980 |
ニューヨーク・ニックス クリーブランド・キャバリアーズ |
受賞歴 | |
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Stats ![]() | |
ウォルト・フレイジャー(Walter "Clyde" Frazier Jr.、1945年3月29日 - )は、アメリカ合衆国・ジョージア州アトランタ出身のバスケットボール選手。NBAのニューヨーク・ニックスとクリーブランド・キャバリアーズに在籍し、リーグを代表するポイントガードの一人として現役時代を過ごした。1996年にはNBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」に選ばれた。愛称は「クライド」。
経歴[編集]
地元のデビッドハワード高校では、バスケットボール以外に野球、アメリカンフットボールをプレイしていたが、大学ではバスケットボール一本に絞り、1966年に南イリノイ大学カーボンデール校をNITトーナメントチャンピオンに導く。その活躍が認められ、1967年のNBAドラフト1巡目全体5位でニューヨーク・ニックスに指名されNBA入りした。 1年目は平凡な成績だったが、2年目になると頭角を現しウィリス・リードらと共にチームの中心として活躍した。ディフェンスに加え、得点力も年々向上し4年目にはチーム一の平均得点を残すまでに成長した。1970年、1972年、1973年にはNBAファイナルに進出し、2度の優勝を果たした。
リードの衰えなどでその後は優勝から遠ざかり、1977年にクリーブランド・キャバリアーズに移籍して3シーズンプレイした後、引退した。
引退後は解説者となり、独特の語り口は「Clyde-isms」(クライドイズム)と呼ばれファンを楽しませている。1987年にバスケットボール殿堂入りを果たした。
業績[編集]
オールディフェンシブチームには全て1stチームで1969年から7年連続で選出され、オールNBAには1970年から6年連続で選出された。また、オールスターにも1970年から7年連続で選出され、1975年のオールスターではMVPを受賞している。生涯通算得点は15,581点、アシスト数は5,040本だった。アシストはニックス歴代1位。
ニックス時代の背番号10は、1979年12月15日にニックスの永久欠番になった。
その他[編集]
- ファッションセンスにも優れ、「スポーツ・イラストレイテッド」や「GQ」などの表紙を飾り人気を集めた。
- 1970年からプーマの靴を愛用するようになり、1973年には「プーマ・バスケット」を原型にしたシグネチャーモデル「クライド」が作られた。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- NBA.com ウォルト・フレイジャー(英語) (英語)
- ウォルト・フレイジャー --- 略歴と生涯成績 --- NBA (英語),Basketball-Reference (英語)
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