ハル・グリア

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ハル・グリア
Hal Greer
名前
本名 ハロルド・エヴァレット・グリア
ラテン文字 Hal Greer
英語 Harold Everett Greer
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1936年6月26日
出身地 ウェストバージニア州ハンティントン
身長 188cm
体重 79kg
選手情報
ポジション シューティングガード
背番号 15(永久欠番

ハロルド・エヴァレット・グリア (Harold Everett Greer, 1936年6月26日 - ) 通称、ハル・グリア (Hal Greer) はアメリカ合衆国バスケットボール選手である。

プロバスケットリーグNBAフィラデルフィア・セブンティシクサーズが前身のシラキューズ・ナショナルズの頃よりセブンティシクサーズひと筋で活躍した。身体が小さいながらシューティングガードとしてアウトサイドからのジャンプシュートは高い成功率を誇り、ゴール下を支配したウィルト・チェンバレンとともにセブンティシクサーズの1967年の優勝の原動力となった。1982年バスケットボール殿堂入りした。

経歴[編集]

カレッジ時代[編集]

ハルはウェストバージニア州で生まれ、地元のダグラス高校に入学、バスケットを始める。大学も生まれ故郷のハンティントンのマーシャル大学に入学し、その得点力でチームを牽引し、1958年にはカンファレンスのMVPに選出される。在学中の3年間で計71ゲームに出場し、トータル得点1,377ポイント(ゲーム平均19.4ポイント)・トータルリバウンド765(ゲーム平均10.8リバウンド)・フィールドゴール成功率55%という成績を記録している。[1]

NBAプレーヤー時代[編集]

ハルはカレッジ卒業後の1958年NBAドラフト2巡目6位でシラキューズ・ナショナルズ(76ers)にピックアップされ入団する。彼が入団した当時ナショナルズは強豪チームでありプレーオフの常連でもあった。そのため彼は目立った活躍は出来ず、ルーキーシーズンは、ゲーム平均11.1ポイント・2.9リバウンド・1.5アシストを記録した[1]。チームはプレーオフに進出するが、1955年の優勝以来NBAファイナルにまではなかなか届かなかった。

その後、1963年にチームが本拠地をフィラデルフィアに移し、名称もセブンティシクサーズ (76ers) と改める。1965年にはトレードでウィルト・チェンバレンを獲得。大型センターの加入でハルの持ち味がさらに引き出され、1966年には55勝をあげて地区優勝を果たす。ハルはゲーム平均22.7ポイント・5.9リバウンド・4.8アシストを記録した。翌1967年にはさらに躍進し、68勝をあげる。彼はこの年ゲーム平均22.1ポイント・5.3リバウンド・3.8アシストを記録して地区優勝に貢献した。チームも念願のNBAファイナルを制覇しハルはリングを手に入れた。1968年にも62勝をあげて地区優勝し、ハルもキャリアハイとなるゲーム平均24.1ポイント・5.4リバウンド・4.5アシストを記録した。またこの年にはNBAオールスターゲームの最優秀選手 (MVP) にも選出された。[1]

その後も3年連続でプレーオフ進出は果たすが、ハルの衰えとともにチームも衰退し、ハルは1973年に76ersひと筋15年間の選手生活から引退した。引退後、1982年に殿堂入りし、また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。

成績および受賞歴[編集]

通算成績[編集]

得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。[1]

レギュラーシーズン (15シーズン) プレーオフ (13シーズン)
1,122試合総計 ゲーム平均 40分平均 92試合総計 ゲーム平均
ポイント数 21,586 19.2 21.7 1,876 20.4
リバウンド数 5,665 5.0 5.7 505 5.5
アシスト数 4,540 4.0 4.6 393 4.3

受賞歴[編集]

  1. オールスターゲーム出場:10回 (1961-1970)
  2. オールスターMVP:1回 (1968)
  3. オールNBA2ndチーム選出:7回 (1963-1969)
  4. NBAベスト50選手:1996年
  5. セブンティシクサーズ通算得点フランチャイズ記録:21,586ポイント
  6. セブンティシクサーズ出場試合数フランチャイズ記録:1,122ゲーム

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]