ハル・グリア

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ハル・グリア
Hal Greer
Hal Greer 1969.jpeg
殿堂  No.15永久欠番
ポジション シューティングガード
背番号 15永久欠番
身長 188cm  (6 ft 2 in)
体重 79kg (174 lb)
基本情報
本名 ハロルド・エヴァレット・グリア
ラテン文字 Hal Greer
英語 Harold Everett Greer
誕生日 1936年6月26日(79歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ウェストバージニア州ハンティントン
出身 マーシャル大学
選手経歴
1958-1973 シラキュース・ナショナルズ/フィラデルフィア・76ers
受賞歴

ハロルド・エヴァレット・グリア (Harold Everett Greer, 1936年6月26日 - ) 通称、ハル・グリア (Hal Greer) はアメリカ合衆国バスケットボール選手である。

プロバスケットリーグNBAフィラデルフィア・セブンティシクサーズが前身のシラキューズ・ナショナルズの頃よりセブンティシクサーズひと筋で活躍した。身体が小さいながらシューティングガードとしてアウトサイドからのジャンプシュートは高い成功率を誇り、ゴール下を支配したウィルト・チェンバレンとともにセブンティシクサーズの1967年の優勝の原動力となった。1982年バスケットボール殿堂入りした。

経歴[編集]

カレッジ時代[編集]

ハルはウェストバージニア州で生まれ、地元のダグラス高校に入学、バスケットを始める。大学も生まれ故郷のハンティントンのマーシャル大学に入学し、その得点力でチームを牽引し、1958年にはカンファレンスのMVPに選出される。在学中の3年間で計71ゲームに出場し、トータル得点1,377ポイント(ゲーム平均19.4ポイント)・トータルリバウンド765(ゲーム平均10.8リバウンド)・フィールドゴール成功率55%という成績を記録している。[1]

NBAプレーヤー時代[編集]

ハルはカレッジ卒業後の1958年NBAドラフト2巡目6位でシラキューズ・ナショナルズ(76ers)にピックアップされ入団する。彼が入団した当時ナショナルズは強豪チームでありプレーオフの常連でもあった。そのため彼は目立った活躍は出来ず、ルーキーシーズンは、ゲーム平均11.1ポイント・2.9リバウンド・1.5アシストを記録した[1]。チームはプレーオフに進出するが、1955年の優勝以来NBAファイナルにまではなかなか届かなかった。

その後、1963年にチームが本拠地をフィラデルフィアに移し、名称もセブンティシクサーズ (76ers) と改める。1965年にはトレードでウィルト・チェンバレンを獲得。大型センターの加入でハルの持ち味がさらに引き出され、1966年には55勝をあげて地区優勝を果たす。ハルはゲーム平均22.7ポイント・5.9リバウンド・4.8アシストを記録した。翌1967年にはさらに躍進し、68勝をあげる。彼はこの年ゲーム平均22.1ポイント・5.3リバウンド・3.8アシストを記録して地区優勝に貢献した。チームも念願のNBAファイナルを制覇しハルはリングを手に入れた。1968年にも62勝をあげて地区優勝し、ハルもキャリアハイとなるゲーム平均24.1ポイント・5.4リバウンド・4.5アシストを記録した。またこの年にはNBAオールスターゲームの最優秀選手 (MVP) にも選出された。[1]

その後も3年連続でプレーオフ進出は果たすが、ハルの衰えとともにチームも衰退し、ハルは1973年に76ersひと筋15年間の選手生活から引退した。引退後、1982年に殿堂入りし、また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。

成績[編集]

通算成績[編集]

得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。[1]

レギュラーシーズン (15シーズン) プレーオフ (13シーズン)
1,122試合総計 ゲーム平均 40分平均 92試合総計 ゲーム平均
ポイント数 21,586 19.2 21.7 1,876 20.4
リバウンド数 5,665 5.0 5.7 505 5.5
アシスト数 4,540 4.0 4.6 393 4.3


  1. セブンティシクサーズ通算得点フランチャイズ記録:21,586ポイント
  2. セブンティシクサーズ出場試合数フランチャイズ記録:1,122ゲーム

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]