オースティン・カー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
オースティン・カー
Austin Carr
名前
本名 Austin George Carr
愛称 Mr. Cavalier
ラテン文字 Austin Carr
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1948年3月10日(66歳)
出身地 ワシントンD.C.
身長 193cm
体重 91kg
選手情報
ポジション ガード
背番号 34
ドラフト 1971年 1位
経歴
1971-1980
1980
1980-1981
クリーブランド・キャバリアーズ
ダラス・マーベリックス
ワシントン・ブレッツ

オースティン・カーAustin Carr, 1948年3月10日 - )は1970年代のアメリカプロリーグNBAクリーブランド・キャバリアーズで活躍したアフリカ系アメリカ人の元バスケットボール選手。ワシントンD.C.出身、ノートルダム大学卒業。ポジションはガード、身長193cm、体重91kg。1971年のNBAドラフトで全体1位指名されて以来、長期にわたって最初期のキャバリアーズでプレイし、ファンから"Mr.キャバリアー"の称号を与えられた。背番号『34』はキャバリアーズの永久欠番となっている。

経歴[編集]

ノートルダム大学[編集]

ノートルダム大学では当時のNCAAを代表する選手として活躍し、様々な記録を残した。3年間のプレイでカレッジバスケ史上歴代5位となる通算2,560得点(平均34.5得点)を記録し、最後の2シーズンではシーズン通算1,000得点以上を達成した史上2番目の選手(一人目はピート・マラビッチ)となった。また1試合60得点、1試合フィールドゴール成功数25本、試投数41本というNCAAトーナメント記録も保持している。1970年のトーナメントでは3試合で158得点をあげ、このトーナメントでのカーの平均得点は52.7得点となり、これもトーナメント記録となった。1971年のトーナメントでも平均41.7得点を記録しており(NCAAトーナメント史上平均36得点以上をあげたのはカーのみである)、カーのトーナメント通算平均41.3得点は歴代1位となった。トーナメント史上6回達成されている1試合50得点以上のうち、3回はカーによるものであり(残る3回はビル・ブラッドリーオスカー・ロバートソンデビッド・ロビンソンによる)、またトーナメントの1試合得点歴代トップ12の中に5回もランクインしている。

キャバリアーズ[編集]

大学卒業後、1971年のNBAドラフトで全体1位指名を受けてクリーブランド・キャバリアーズに入団。しかし開幕前に足を骨折したことでシーズンを出遅れ、12月には復帰して公式戦デビューを果たしたが再び怪我をし、7週間の欠場を強いられた。結局ルーキーシーズンは39試合の欠場となったが、カーの得点力はプロの世界にも通用し、カーはこのシーズン平均21.2得点をあげてオールルーキー1stチームに選ばれた。シーズン終了後、カーは足の怪我を完治させるために手術を受けている。

キャバリアーズはカーが入団する前年の1970年に誕生したばかりの新興チームであり、そしてリーグの下層チームだったが、カーを指名した翌年にはレニー・ウィルケンズが入団し、カーにウィルケンズという強力なバックコートデュオが完成、さらに翌1973年にはビンゴ・スミスも入団し、ビル・フィッチが指揮するキャバリアーズは少しずつ戦力が整い始め、カーは3年目の1973-74シーズンにはキャリアハイとなる平均21.9得点をあげている。翌1974-75シーズンにはウィルケンズが退団するもディック・スナイダージム・キャメロンキャンピー・ラッセルらが彼の穴を埋め、チームは好調のシーズンを過ごして初のプレーオフも見えてきたが、2月になってカーは踵の怪我の影響で以後全休を強いられ、チームもカーの不在でシーズン終盤に連敗を喫し、初のプレーオフはならなかった。このシーズンを境にカーのパフォーマンスには低下が見られ、翌1975-76シーズンは平均10.1得点に終わったが、チームは念願のプレーオフ進出を果たし、またカーも復調を見せて毎シーズン平均15得点前後をあげるようになり、キャバリアーズの3シーズン連続プレーオフ出場に貢献した。

カーは1979-80シーズンを最後に9シーズン過ごしたキャバリアーズを退団し、ダラス・マーベリックスに移籍。引退はニューヨーク・ニックスで迎えた。NBA10シーズンの成績は682試合の出場で、通算10,473得点1,990リバウンド1,878アシスト、平均15.4得点2.9リバウンド2.8アシストだった。

引退後・業績など[編集]

引退後はキャバリアーズのコミュニティー・リレーションズ・ディレクターを務める傍ら、FOXスポーツオハイオ局のスポーツ解説者を務めた。2007年にはカリーム・アブドゥル=ジャバーディック・グロートディック・バーネットらと共に、カレッジバスケットボール殿堂の第2期殿堂入りを果たした。

主な業績
  • AP通信オールアメリカン (1970, 1971)
  • NCAA年間最優秀選手 (1971)
  • ネイスミス賞 (1971)
  • NBAオールルーキー1stチーム (1972)
  • カレッジバスケットボール殿堂
  • 背番号『34』はクリーブランド・キャバリアーズの永久欠番

外部リンク[編集]