アロンゾ・モーニング

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アロンゾ・モーニング
Alonzo Mourning
Alonzo Mourning.jpg
現役時代のモーニング
殿堂  No.33(永久欠番)
ポジション C
背番号 33(永久欠番)
身長 208cm  (6 ft 10 in)
体重 123kg (271 lb)
基本情報
本名 Alonzo Harding Mourning, Jr.
愛称 ZO(ゾー)
ラテン文字 Alonzo Mourning
誕生日 1970年2月8日(45歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 バージニア州チェサピーク
出身 ジョージタウン大学
選手経歴
1992-1995
1995-2003
2003-2004
2004-2008
シャーロット・ホーネッツ
マイアミ・ヒート
ニュージャージー・ネッツ
マイアミ・ヒート
受賞歴
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 2000

アロンゾ・ハーディング・モーニングJrAlonzo Harding Mourning, Jr., バージニア州チェサピーク出身, 1970年2月8日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。
身長208cm・体重123kg。センタープレイヤーとして上背はないが、剛力を発揮してインサイドを支配し、強烈な印象を残した。1999年2000年NBA最優秀守備選手賞を受賞した好ディフェンダーであり、2000年のシドニーオリンピック金メダリスト。愛称は「ZO(ゾー)」。

経歴[編集]

ジョージタウン大学のスター選手として名をとどろかせた。1年先輩にディケンベ・ムトンボがいた。パトリック・ユーイングも大学の先輩にあたる。モーニングは同大学卒業後1992年のNBAドラフトシャキール・オニールに次ぐ全体2番目でシャーロット・ホーネッツから指名されてNBA入りした。

ルーキー離れした活躍を見せ新人王候補にも残るが、オニールに敗れる。しかし、オールルーキーファーストチームに選出される。ホーネッツはラリー・ジョンソンケンドール・ギルなど有能な選手が揃い、「フューチャーブルズ」(未来のシカゴ・ブルズ)と呼ばれるほど強豪チームになるのではないかと期待される。1994年バスケットボール世界選手権ドリームチームIIとして出場し優勝した。3年間ホーネッツでプレーした後、95-96シーズン開幕前にヒートに移籍した。

ヒートでは、パット・ライリーの指揮のもと強豪チームとなる。チームメイトのティム・ハーダウェイと何度も優勝のチャンスを掴むが、優勝を味わうことはなかった。98-99シーズンと99-00シーズンにはNBA最優秀守備選手賞を受賞した。2000年に開催されたシドニー・オリンピックでアメリカ代表としてプレー。見事金メダルを獲得する。それからがモーニングの試練になるのであった。

オリンピックも終了し、帰国したモーニングに衝撃の事実が告げられる。モーニングは巣状糸球体硬化症(腎臓の疾患)を患っていた。選手生命にもかかわる事態となったが、モーニングは腎臓の移植手術を決断。シーズン終了前の13試合に出場するなど、鋼鉄の体を見せるが、プレーオフでは結果を残せず。続く01-02シーズン終了後モーニングは引退を発表した。

ところが、モーニングは引退から1年後にニュージャージー・ネッツと契約。だが、モーニングの状態はよくなく、12試合に出場したのみで再び引退。不死身といわれたモーニングも終わりだと思われた。

しかし、04-05シーズンにモーニングは再びNBAのコートに帰ってきた。シーズン開幕後はネッツでプレーしていたが、ビンス・カーターとのトレードでトロント・ラプターズに移籍、ラプターズではプレーせずに古巣のヒートに復帰した。

こうしてヒートに戻ってきたモーニングは、04-05シーズンに移籍したシャキール・オニールの控えセンターとして活躍し、オニールや新しいスター、ドウェイン・ウェイドらと共にNBAの頂点を目指し、2006年にはキャリアで初めての優勝を果たした。優勝が決まったNBAファイナル第6戦でモーニングは5ブロックと大暴れし、チームの優勝に大きく貢献した。

優勝した後のヒートは急速に衰え、翌06-07シーズンはプレイオフには進出したものの、1回戦でシカゴ・ブルズに全敗で敗退し、翌07-08シーズンもシーズン序盤から大きく負け越した。モーニングは開幕前からこのシーズンを最後に引退することを表明していたが、12月20日アトランタ・ホークス戦で右ひざ脚蓋腱を断裂してしまい、シーズン中の復帰は絶望視されてしまう。シャキール・オニールらチームメイトに抱えながらコートを去る時、モーニングの口からは「It's over」という言葉が漏れたという。

その後モーニングは引退を表明し、08-09シーズン、3月30日のマジック戦、引退セレモニーが43分間にわたって行われた。同時に、現役時代の背番号「33」ヒートの所属選手で初のヒートの永久欠番となった。なお、本人曰く「師匠」であるパトリック・ユーイング(現シャーロット・ホーネッツアシスタントコーチ)が同席できるよう、このマジック戦のハーフタイムが選ばれたのだという。モーニングは大粒の涙を流し、現役生活に幕を下ろした。

プレイスタイル[編集]

身長208cmとセンターとしては若干サイズ不足だが、まるでボディビルダーのような筋骨隆々とした肉体を備えており、フィジカルの強さに絶対的な自信を持っていた。威圧感のある顔つき、武骨な体格からは想像できない柔らかいシュートタッチの持ち主で、″「剛」と「柔」のセンター″と呼ぶにふさわしい存在であった。
モーニングは、センターとしてはシュートエリアが非常に広く、ペイントエリア外でのジャンパーを得意としていた。手首を少しばかりスナップさせるジャンパーから得点を量産するだけでなく、フリースローも器用にこなしていた。パワータイプのセンターは、ペイントエリア外のジャンパーやフリースローを苦手とすることが典型だが、モーニングはそれらを苦にしていないことで異色の存在であった。同期のシャキール・オニールとは、シュートエリアが広く、フリースローを苦手にしていない点で対照的だった。その巨体からは想像できない敏捷性も持ち合わせており、ゴール下での機敏な動作に長けていた。
インサイドを完全に支配できていた選手であり、ゴール下でのディフェンスは圧巻であった。120kg超の体躯が生み出すパワーと圧力で、サイズで勝る相手選手を圧倒していた。特にブロックショットでは、毎シーズン驚異的な数字を残し、過去2年連続で最優秀守備選手賞を受けた。リバウンドも得意としており、幅のある身体でポジションを確保し、確実にリバウンドを獲得していた。オニールとインサイドで黄金期を築いた。また、全盛期のオニールと対等に渡り合えていた数少ない選手の一人でもあった。
ミドルレンジのジャンパーも年々正確さを向上させ、全盛期には20得点10リバウンドを毎試合のように達成していた。晩年は、怪我や病気の影響で満足なプレーとは縁遠かったが、それでもブロックショットの威力は凄まじいものがあり、不屈の闘志と向上心でヒート優勝にも貢献した。

タイトル・受賞[編集]

  • NBA優勝:2006
  • オールNBA1stチーム:1999
  • オールNBA2ndチーム:2000
  • 最優秀守備選手賞:1999, 2000
  • オールディフェンシブ1stチーム:1999, 2000
  • オールスター出場:1994, 1995, 1996, 1997, 2000, 2001, 2002
  • ブロック王:1999(1試合平均3.91)
  • オールルーキー1stチーム:1993

外部リンク[編集]