ティム・ハーダウェイ
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引退 | ||||||||||||
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永久欠番 | ヒート 10 | |||||||||||
ポジション(現役時) | ポイントガード | |||||||||||
背番号(現役時) | 5、10(永久欠番)、14 | |||||||||||
身長(現役時) | 183cm (6 ft 0 in) | |||||||||||
体重(現役時) | 79kg (174 lb) | |||||||||||
足のサイズ | 30.5cm | |||||||||||
基本情報 | ||||||||||||
本名 | Timothy Duane Hardaway | |||||||||||
愛称 | "T-BUG","Tenacious Tim" | |||||||||||
ラテン文字 | Tim Hardaway | |||||||||||
誕生日 | 1966年9月1日(54歳) | |||||||||||
国 |
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出身地 | イリノイ州シカゴ | |||||||||||
出身 | テキサス大学エルパソ校 | |||||||||||
NBAドラフト | 1989年 14位 | |||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||
1989-1996 1996-2001 2001-2002 2002 2003 |
ゴールデンステート・ウォリアーズ マイアミ・ヒート ダラス・マーベリックス デンバー・ナゲッツ インディアナ・ペイサーズ | |||||||||||
指導者経歴 | ||||||||||||
2014-2018 | デトロイト・ピストンズ(AC) | |||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||
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代表歴 | ||||||||||||
キャップ |
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ティム・ハーダウェイ(Tim Hardaway 本名:Timothy Duane Hardaway) 1966年9月1日 - )はアメリカ合衆国出身の元バスケットボール選手。アメリカプロリーグNBAで活躍し、90年代を代表する選手の一人。183cmと小柄ながら妙技「キラークロスオーバー」を武器に、超攻撃型ポイントガードとして活躍した。2000年のシドニー五輪金メダリスト。オールスター戦には5度出場。イリノイ州シカゴ出身。息子のティム・ハーダウェイ・ジュニアもNBA選手で、ダラス・マーベリックスに所属している。
経歴[編集]
大学時代にはテキサス州大エルパソ校でプレイ。4年生の時には平均22得点、4リバウンド、5.4アシストの記録を残し、身長6フィート(183センチ)以下の優秀な選手に贈られるフランシス・ポメロイ・ネイスミス賞を受賞した。
大学を卒業すると、全体14位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名された。1年目は平均得点14.7、アシスト8.7と新人としては優秀な成績を収め、オールルーキーファーストチームに選出された。
2年目以降ハーダウェイの平均得点は20を越えた。当時のウォリアーズは、クリス・マリンやミッチ・リッチモンドを擁したリーグ屈指の得点力を持つチームだった。ハーダウェイとマリン、リッチモンドはチームの稼ぎ頭で、3人はそれぞれの頭文字から当時人気のあったミュージシャン「ラン・DMC」をもじって「ラン・TMC」の異名で呼ばれた。
3年目は平均得点23.4で平均アシスト数は10、4年目は平均得点21.5で平均アシスト10.6。2年連続で平均得点20、アシスト10を越えたのはリーグ史上ハーダウェイで5人目だった。また4年目の1992-93シーズン中には、NBA史上2番目の早さで通算得点5,000、通算アシスト2,500に達した。
このシーズンは膝の怪我で16試合を欠場し、のちにハーダウェイを悩ます膝の故障に見舞われた最初のシーズンとなった。1993-94シーズンは膝の怪我で全試合欠場した。
1996年のシーズン中にマイアミ・ヒートにトレードされ、パット・ライリー監督指揮のもとアロンゾ・モーニングやジャマール・マッシュバーンらとチームを組むことになった。ハーダウェイはリーグ屈指のポイントガードだった嘗てのプレーレベルを取り戻し、ヒートも東地区を代表する強豪となった。ヒート2年目の1997年にはオールNBAファーストチーム入りを果たした。
チームは毎年地区屈指の成績を残しながらもシカゴ・ブルズやニューヨーク・ニックスなどに阻まれ、優勝の機会を得られないまま数年を過ごし、30代の半ばに近づきつつあったハーダウェイの個人成績は徐々に低下していった。2000-01シーズンを最後に、ハーダウェイはダラス・マーベリックスと契約し、翌シーズン中にデンバー・ナゲッツに放出された。このシーズンは平均得点は10を下回り、平均アシストも5以下だった。
翌シーズン、ハーダウェイはどのチームでもプレイせず、ESPN局で放送されたNBAの試合で解説を務めた。次の2002-03シーズン末にインディアナ・ペイサーズとフリーエージェントとして契約、10試合に出場し、シーズン終了後に引退した。
ハーダウェイは1994年のバスケットボール世界選手権大会にドリームチームIIのメンバーに選出されたが、故障で出場は出来なかった(ケビン・ジョンソンが代役に選ばれた)。2000年シドニーオリンピックでも米国代表チームに選出され、こちらは金メダルを獲得した。
2005年、ABAのフロリダ・ピットブルズ(現在のマイアミ・マジェスティ)のヘッドコーチと副オーナーに就任した。チームは2007年よりCBAへ参入する。
2014年からスタン・ヴァン・ガンディのもとデトロイト・ピストンズのアシスタントコーチとなり、コーチングのキャリアをスタートさせた。
備考[編集]
- 妻との間に二人の子供(ティム・ジュニアとニア)がいる。
- 父親のドナルド・ハーダウェイはシカゴでは有名なストリートのバスケットボール選手だった。現役時代は1アシストするごとにアメリカ癌協会と癌治療センターに20ドルを寄付していた。
- ヒザの怪我をする前は度々ダンクをしていたが、怪我の後は一切ダンクをしなくなった。
- 「キラークロスオーバー」のイメージが先行しているが、実は名3Pシューターであり、クラッチシューターでもある。
- ハーダウェイのシュートは回転しない事で有名。
- 生まれ育ったシカゴは「ウインディーシティ」と呼ばれるほど常に風が強く、ストリートでその風にシュートの軌道を変えられぬ様、回転のかからないシュートが身についたと言われている。
外部リンク[編集]
- ティム・ハーダウェイ公式サイト(英語)
- NBA.com ティム・ハーダウェイ(英語)
- ティム・ハーダウェイの通算成績と情報 Basketball-Reference.com (英語)
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