アンソニー・メイソン

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アンソニー・メイソン
Anthony Mason
名前
本名 Anthony George Douglas Mason
ラテン文字 Anthony Mason
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1966年12月14日(48歳)
出身地 フロリダ州マイアミ
身長 201cm
体重 113kg
選手情報
ポジション SFPF
背番号 42,34,14,17
ドラフト 1988年 53位
選手経歴
1988-1989
1988-1989
1989-1990
1990
1990-1991
1991
1991-1996
1996-2000
2000-2001
2001-2003
マリノス・デ・オリエンテ
エフェス・ピルゼン S.K.
ニュージャージー・ネッツ
デンバー・ナゲッツ
テュルサ・ファストブレークス
ロングアイランド・サーフ
ニューヨーク・ニックス
シャーロット・ホーネッツ
マイアミ・ヒート
ミルウォーキー・バックス

アンソニー・メイソン(Anthony George Douglas Mason、1966年12月14日 - )はフロリダ州マイアミ出身の元バスケットボール選手。NBAニュージャージー・ネッツデンバー・ナゲッツニューヨーク・ニックスシャーロット・ホーネッツマイアミ・ヒートミルウォーキー・バックスに所属し、2003年に引退した。

身長は201cmと決して高くはなかったが、プロレスラーの様な屈強な体格を武器に、主にパワーフォワードとしてプレイし、リーグでも有数のタフなディフェンダーとして恐れられた。またその風貌からは想像し難い程の有能なパサーでもあり、ボールハンドリングも巧みなポイントフォーワードとしても活躍した。坊主頭にロゴや模様などの当時としては奇抜な剃り込みがトレードマークであった。

来歴[編集]

テネシー州立大学から1988年のNBAドラフトにエントリーし、ポートランド・トレイルブレイザーズに3巡目53位で指名を受けていたが、入団を前に解雇された。その後トルコベネズエラ、さらにCBAUSBLのクラブチームを転々しながらNBA入を目指していた。1989年、どうにかニュージャージー・ネッツと契約したものの出場時間は短く、翌年移籍したデンバー・ナゲッツではわずか3試合の出場しか与えられなかった。その後1991年オフにニューヨーク・ニックスと契約した。

新天地ニックスでメイソンは頭角を現わし始めた。当時の指揮官であったパット・ライリーに見出されたメイソンは、パトリック・ユーイングチャールズ・オークリーチャールズ・スミスといった面々と共に強固なフロントコートを形成する。プレーオフでは黄金期のシカゴ・ブルズと激闘を繰り広げ、彼らはバッドボーイズⅡと呼ばれるまでになった。そして1994年、ニックスにとっては1973年以来となるNBAファイナル進出を果たしたが、第7戦までもつれた末にアキーム・オラジュワン率いるヒューストン・ロケッツに敗れ優勝には届かなかった。多くの出場機会を得た彼は、1995年にNBAシックスマン賞を受賞している。

1996年ラリー・ジョンソンとのトレードでシャーロット・ホーネッツへと移籍。1年目の96-97シーズンは、平均16.2得点、11.4リバウンド、さらには5.7アシストと軒並みキャリアハイの成績で、また4度のトリプルダブルも記録している。98-99シーズンには上腕筋の断裂により調子を落としてしまっている。

2000年、9人が絡む大型トレードによりマイアミ・ヒートへと移籍し、再びパット・ライリーの指揮下に入ることとなった。当初はロールプレーヤーとして起用が見込まれていたが、大黒柱であるアロンゾ・モーニングが腎臓の疾患により離脱すると、メイソンはチームの中心メンバーとして活躍するようになり、16.1得点、9.6リバウンドの好成績で、故障者の多かったヒートが50勝を上げプレイオフに進出する原動力となった。またこの年、モーニングやオーランド・マジック所属のグラント・ヒルが故障欠場する中、2001年NBAオールスターゲームに初選出されている。

2001-2002シーズンにミルウォーキー・バックスとFA契約。しかしバックスでは思うような働きができずチームケミストリーの崩壊を誘発してしまう事となった。ESPNによれば開幕前のトレーニングキャンプに30ポンド(約17kg)オーバーの体重で現れたり、コート内外でチームメイトを批判するなどしたためメディアから批判を受け、ヘッドコーチのジョージ・カールを悩ませた。結局、勝率を落とす原因となったメイソンは2シーズンでチームを追われる形となり、そのまま現役を引退する運びとなった。

受賞歴[編集]

  • 1995年 シックスマン賞受賞
  • 1997年 オールNBA3rdチーム選出
  • 1997年 オールNBAディフェンシブ2ndチーム選出
  • 2001年 オールスターゲーム出場

その他[編集]

  • New York Undercover”(ニューヨーク・アンダーカバー・コップ)という刑事モノのTVドラマに2度出演。また1996年公開のコメディ映画”Eddie”、ウディ・アレン監督のセレブリティにも出演している。
  • ニューヨーク・ニックスのファンであったビースティ・ボーイズは、”B-Boys Makin' With The Freak Freak”という曲で"I Got My Hair Cut Correct Like Anthony Mason"と歌っている。
  • 左利きであるが、右手での豪快なダンク等も多く器用な選手であった反面、フリースローは苦手としていた。シュートフォームも試行錯誤していた様で、片手で放っていた時期もある。

外部リンク[編集]