レイフ・ラフレンツ

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レイフ・ラフレンツ
Raef LaFrentz
Raef Lafrentz out of bounds.jpg
ボストン・セルティックスでのラフレンツ (2006年)
引退
ポジション
(現役時)
PF/C
背番号(現役時) 45, 9
身長(現役時) 211cm  (6 ft 11 in)
体重(現役時) 111kg (245 lb)
シュート
基本情報
本名 Raef Andrew LaFrentz
ラテン文字 Raef LaFrentz
誕生日 1976年5月29日(39歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アイオワ州ハンプトン
出身 カンザス大学
ドラフト 1998年 3位 
選手経歴
1998-2002
2002-2003
2003-2006
2006-2009
デンバー・ナゲッツ
ダラス・マーベリックス
ボストン・セルティックス
ポートランド・トレイルブレイザーズ
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 2002

レイフ・アンドリュー・ラフレンツRaef Andrew LaFrentz1976年5月29日 - )はアメリカ合衆国アイオワ州出身の元バスケットボール選手。NBAデンバー・ナゲッツ等に所属していた。身長211cm。体重111kg。ポジションはパワーフォワード/センター

経歴[編集]

学生時代[編集]

高校時代、水泳選手として地区大会での優勝経験もあったラフレンツであったが、高校でバスケットボールの監督をつとめていた父の指導の下で才能を開花させて平均11.8得点、6.8リバウンドの成績を残し、1994年にはAll-USAの1stチームに選出された。その後、バスケの名門カンザス大学に進学したラフレンツは1年目から先発出場を続け、AP通信のオール・アメリカンに2度選出された。これは90年代の選手としては他にシャキール・オニールティム・ダンカンのみが成し遂げた快挙であった。大学のチームメイトにはポール・ピアースがおり、彼らに率いられたカンザス大学の4年間の勝率は87.8%をマークした。

NBA[編集]

1998年のNBAドラフトデンバー・ナゲッツから全体3位で指名されてNBA入り。全体10位でボストン・セルティックスに指名されたポール・ピアースよりも高い評価を受けた。最初の年は左膝の怪我により僅か12試合の出場に留まったが、翌1999年シーズンには完治し、80試合に先発出場した。

2002年2月21日に、ニック・ヴァン・エクセルエイブリー・ジョンソンオリバー・セント・ジーンらとともに、ダラス・マーベリックスジュワン・ハワードドネル・ハーヴィーティム・ハーダウェイ、2002年のドラフト1巡目指名権とのトレードに出される。なお、この年のバスケットボール世界選手権ではアメリカ代表に選出された。

2003年10月20日に、クリス・ミルズジリ・ウェルチ、ドラフト1巡目指名権とともに、ボストン・セルティックストニー・デルクアントワン・ウォーカーとのトレードに出される。

2006年6月28日に、ダン・ディッカウとともに、ポートランド・トレイルブレイザーズテオ・ラトリフセバスチャン・テルフェア、2007年のドラフト7位指名権とのトレードに出された。2008-09シーズンは、膝の負傷が悪化しシーズン全休。2009年夏にフェニックス・サンズに放出後バイアウトで解雇され、引退した。

プレイスタイル[編集]

アウトサイドシュートが得意なビッグマンであり、キャリア通算でのスリーポイント成功率は.363、フリースロー成功率も70%を超えている。90年代はシャキール・オニールがNBAのゴール下を席捲しており、ドラフトでの高順位指名もインサイドで強力な支配力を発揮するオニールをアウトサイドに連れ出すことを期待されたためである。しかしダラス・マーベリックス時代は、2003年のカンファレンス決勝でのサンアントニオ・スパーズとの対戦で、ティム・ダンカンデビッド・ロビンソンらとのマッチアップで力を発揮することが出来ず、またインサイドでのリバウンド争いやディフェンスなどに積極的に取り組もうとせず、アウトサイドからシュートを撃ちたがるプレースタイルをドン・ネルソンに嫌われ、ボストン・セルティックスに放出されるなど、ドラフト3位の期待に答えたとは言い難かった。

外部リンク[編集]