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クリスチャン・レイトナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリスチャン・レイトナー
Christian Laettner
2014年のレイトナー
引退
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1969-08-17) 1969年8月17日(56歳)
出身地 ニューヨーク州アンゴラ
身長(現役時) 211cm (6 ft 11 in)
体重(現役時) 111kg (245 lb)
キャリア情報
高校 ニコルズスクール
大学 デューク大学
NBAドラフト 1992年 / 1巡目 / 全体3位[1]
プロ選手期間 1992年–2005年
ポジション PF / C
背番号歴 32, 44
選手経歴
1992-1996
1996-1998
1999-2000
2000-2001
2001-2004
2004-2005
ミネソタ・ティンバーウルブズ
アトランタ・ホークス
デトロイト・ピストンズ
ダラス・マーベリックス
ワシントン・ウィザーズ
マイアミ・ヒート
指導者経歴
2012 フォートウェイン・マッドアンツ (NBADL) (AC)
受賞歴
NBA通算成績
得点 11,121 (12.8 ppg)
リバウンド 5,806 (6.7 rpg)
アシスト 2,224 (2.6 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com
カレッジバスケットボール殿堂入り (2010年)
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
金メダル - 1位 1992 バルセロナ チーム
世界選手権
銅メダル - 3位 1990 アルゼンチン チーム
アメリカ選手権
銀メダル - 2位 1989 メキシコシティ
金メダル - 1位 1992 ポートランド[1]
パンアメリカン競技大会
銅メダル - 3位 1991 ハバナ
グッドウィルゲームズ
銀メダル - 2位 1990 シアトル

クリスチャン・ドナルド・レイトナーChristian Donald Laettner, 1969年8月17日- )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州アンゴラ出身の元プロバスケットボール選手。NBAで13年間プレーした。1991年、1992年、名将マイク・シャシェフスキーのもとデューク大学で2年連続NCAAチャンピオンになった[2]。また、NBA選手が初めて出場可能となったバルセロナオリンピックで唯一アマチュア選手として出場を果たした。

経歴

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大学時代

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レイトナーは1992年のNCAAトーナメントにおけるケンタッキー大学との試合で終了間際にバンクショットを決めて104-103で劇的に勝利したことで特に知られている[3]。このゲームで彼は、10本のフィールドゴールを決めて、フリースローも10本全て成功した[4]

1992年のケンタッキー大学との別の試合ではファウルを受けて倒れている相手選手を故意に踏みつけてテクニカルファウルを取られ出場停止処分も課された[5]

1992年に卒業したレイトナーの背番号32番はデューク大学の永久欠番となった。彼は1試合平均16.6得点、7.7リバウンドの成績を残し3ポイントシュート成功率48.5%は大学記録となった。

レイトナーは4年連続NCAAトーナメントのファイナル4に進んだことのある4人のうちの1人であり、史上唯一の4年間とも先発出場した選手である。レイトナーはトーナメント記録をいくつも作り、その後当分破られることはないと思われる。

NCAAトーナメント記録

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  • 最多得点 - 408
  • 最多フリースロー成功 - 142
  • 最多フリースロー試投 - 167
  • 最多試合出場 - 23

ドリームチーム

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プロ選手以外で唯一初代ドリームチームに選ばれて1992年バルセロナオリンピックに出場、金メダルを獲得した[6]

プロ生活

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1992年のNBAドラフトで、シャキール・オニールアロンゾ・モーニングに次いで全体3位でミネソタ・ティンバーウルブズに指名された。13年間のキャリアでウルブズ、アトランタ・ホークスデトロイト・ピストンズダラス・マーベリックスワシントン・ウィザーズマイアミ・ヒートでプレイした。NBAではセンターパワーフォワードとしてプレイした。1993年にはオールルーキーチームに選ばれて1997年にはNBAオールスターゲームのメンバーに選ばれた。しかしレイトナーは1992年に先に指名された2人(オニールとモーニング) ほどの期待されたスーパースターにはならなかった。1998-99シーズンの大部分をアキレス腱を断裂する怪我で欠場した後、出場時間は減少した。最後のシーズンとなった2004-05シーズンは、マイアミ・ヒートでオニールとモーニングと共にチームメイトとなった。

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

NBA

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レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1992–93 MIN 81 81 34.9 .474 .100 .835 8.7 2.8 1.3 1.0 18.2
1993–94 70 67 34.7 .448 .240 .783 8.6 4.4 1.2 1.2 16.8
1994–95 81 80 34.2 .489 .325 .818 7.6 2.9 1.2 1.1 16.3
1995–96 44 44 34.5 .486 .290 .816 6.9 2.9 .9 1.0 18.0
ATL 30 27 32.6 .489 .000 .823 7.9 2.3 1.0 .9 14.2
1996–97 82 82 38.3 .486 .352 .816 8.8 2.7 1.2 .8 18.1
1997–98 74 49 30.8 .485 .222 .864 6.6 2.6 1.0 1.0 13.8
1998–99 DET 16 0 21.1 .358 .333 .772 3.4 1.5 .9 .8 7.6
1999–00 82 82 29.8 .473 .292 .812 6.7 2.3 1.0 .5 12.2
2000–01 DAL 53 35 17.5 .511 .333 .817 4.0 1.3 .8 .5 7.5
WAS 25 13 29.3 .491 .300 .844 6.1 2.3 1.2 .8 13.2
2001–02 57 48 25.3 .464 .200 .868 5.3 2.6 1.1 .4 7.1
2002–03 76 66 29.1 .494 .125 .833 6.6 3.1 1.1 .5 8.3
2003–04 48 18 20.5 .465 .286 .800 4.8 1.9 .8 .6 5.9
2004–05 MIA 49 0 15.1 .582 .143 .763 2.7 .8 .7 .3 5.3
通算 868 692 29.7 .480 .261 .820 6.7 2.6 1.1 .8 12.8
オールスター 1 0 24.0 .600 --- 1.000 11.0 2.0 1.0 1.0 7.0

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1996 ATL 10 10 33.4 .484 .333 .704 6.9 1.5 1.2 1.0 15.7
1997 10 10 40.3 .418 .190 .857 7.2 2.6 1.0 .8 17.6
1998 4 0 21.8 .343 .000 .882 4.3 1.0 1.5 .3 9.8
1999 DET 5 0 24.6 .426 --- .786 2.8 2.2 .8 .2 10.2
2000 3 3 25.0 .412 --- .750 5.0 2.0 .0 .3 6.7
2005 MIA 13 0 10.5 .500 .000 .833 1.9 .5 .3 .0 2.2
通算 45 23 25.7 .432 .179 .794 4.7 1.5 .8 .5 10.5

カレッジ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1988–89 デューク 36 16 16.9 .723 1.000 .727 4.7 1.2 1.0 .8 8.9
1989–90 38 38 29.9 .511 .500 .836 9.6 2.2 1.6 1.1 16.3
1990–91 39 39 30.2 .575 .340 .802 8.7 1.9 1.9 1.1 19.8
1991–92 35 35 32.2 .575 .557 .815 7.9 2.0 2.1 .9 21.5
通算 148 128 27.4 .574 .485 .806 7.8 1.8 1.6 1.0 16.6

受賞歴

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  • バルセロナオリンピック金メダル
  • Naismith Award Winners Men 1992年
  • Wooden Award Winners Men 1992年
  • NCAA Tournament MOP Men 1991年

現役引退後

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現役引退後、レイトナーは大学時代のチームメート、ブライアン・デイビスノースカロライナ州ダーラムに会社を設立した。彼らの会社は一時メジャーリーグサッカーDCユナイテッドの経営権を獲得した[7]

2001年には母校の高校に対して金銭的に恵まれない子供のための奨学金や体育館の新設費用として100万ドルの寄付を行った[8]

またジェイソン・キッドらと共にアリゾナ州フェニックスマイナーリーグAAAに所属するチームのオーナーとなった[8]

脚注

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  1. ^ Men's Tournament of the Americas – 1992, USA Basketball. Retrieved December 6, 2018.
  2. ^ Duke star had perfect timing on the postseason stage”. CNN (2005年3月31日). 2011年4月29日閲覧。
  3. ^ Best ever: UK-Duke game of '92”. ENQUIRER.com (1998年3月22日). 2011年4月29日閲覧。
  4. ^ Kentucky vs. Duke - Saturday, March 28 1992 -”. bigbluehistory.net. 2011年4月29日閲覧。
  5. ^ To Ban Laettner, or Not”. ニューヨーク・タイムズ (1992年3月30日). 2011年4月29日閲覧。
  6. ^ The Original Dream Team”. nba.com. 2011年4月29日閲覧。
  7. ^ DCU Ownership, Olsen, USA Friendlies”. ワシントン・ポスト (2009年10月21日). 2011年4月29日閲覧。
  8. ^ a b Christian Laettner Bio”. nba.com. 2011年4月29日閲覧。

外部リンク

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