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ボブ・ブーザー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボブ・ブーザー
Bob Boozer
故人
ポジション PF/SF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1937年4月26日
没年月日 (2012-05-19) 2012年5月19日(75歳没)
出身地 ネブラスカ州オマハ
身長(現役時) 203cm (6 ft 8 in)
体重(現役時) 97kg (214 lb)
キャリア情報
出身 カンザス州立大学
ドラフト 1959年 1位
選手経歴
1960-1963
1963-1965
1965-1966
1966-1969
1969-1970
1970-1971
シンシナティ・ロイヤルズ
ニューヨーク・ニックス
ロサンゼルス・レイカーズ
シカゴ・ブルズ
シアトル・スーパーソニックス
ミルウォーキー・バックス
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 1959, 1960
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1960 ローマ バスケットボール
パンアメリカン競技大会
1959 シカゴ バスケットボール

ボブ・ブーザー (Bob Boozer, 1937年4月26日 - 2012年5月19日) は、アメリカ合衆国の男子プロバスケットボールリーグNBAで活躍したバスケットボール選手、ローマ五輪金メダリスト。

経歴

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ネブラスカ州ノースオマハ(現オマハ市ノースオマハ地区)出身。大学はカンザス州立大学でプレイし、オールアメリカに2度選ばれた。1959年のNBAドラフトシンシナティ・ロイヤルズから全体1位指名という高評価を得るも、ローマ五輪に出場するためプロ入りを延期し、このシーズンはアマチュア・アスレチック・ユニオン(AAU)のピオリア・キャタピラーズでプレイし、AAUの全米トーナメント優勝に導き、自身はトーナメントMVPに選ばれた。ローマ五輪ではオスカー・ロバートソンジェリー・ルーカスらとプレイし、金メダルを獲得した。

ブーザーは1960年代表チームでチームメイトだったオスカー・ロバートソンと共に揃ってシンシナティ・ロイヤルズに入団した。1年目から華々しい活躍を見せるロバートソンの陰に隠れたものの、ブーザーも8.4得点6.2リバウンドを記録し、2年目の1961-62シーズンには先発に定着して13.7得点10.2リバウンドの平均ダブル・ダブルを達成した。ブーザーは順調な成長を見せていたが、1963年にやはり代表チームのチームメイトだったジェリー・ルーカスがロイヤルズに入団し、ポジションが重なるブーザーはシーズン中にニューヨーク・ニックスにトレードされた。

ここからブーザーは移籍を繰り返すようになり、ロイヤルズを離れて以降8シーズンの間に5チームを渡り歩いた。ニックスで2シーズンプレイした後はロサンゼルス・レイカーズで1シーズンプレイし、1966年エクスパンションにより誕生したシカゴ・ブルズに移籍することになった。ブルズでは3シーズン腰を落ち着けることが出来、ロイヤルズ放出以降やや伸び悩んでいたブーザーはここで全盛期を迎えた。ブルズで2年目の1967-68シーズンには21.5得点9.8リバウンドを記録し、初のオールスターに出場。翌シーズンも21.7得点の好成績を記録するが、このシーズンにブルズは初めてプレーオフを逃してしまい、シーズン終了後にブーザーは再びトレードに出された。

シアトル・スーパーソニックスで1シーズンだけプレイしたブーザーは、1970年ミルウォーキー・バックスに移籍。33歳を迎えたブーザーはバックスでは控えとしてプレイし、得点アベレージはルーキーイヤー以来となる二桁を下回ったが、このシーズンにバックスは優勝を果たし、ブーザーは11シーズン目にしてチャンピオンリングを手に入れた。ブーザーはこのシーズンをもって引退し、NBAキャリアを有終の美をもって締めくくった。

NBA通算成績は11シーズン874試合の出場で、12,964得点7,119リバウンド、平均14.8得点8.1リバウンドだった。

2012年5月19日、ネブラスカ州オマハの病院で死去した[1]。75歳没。

業績

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外部リンク

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脚注

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  1. ^ Ex-NBA star Bob Boozer dies at 75 The Washington Post 2012年5月21日閲覧