視聴率

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視聴率(しちょうりつ)とはあるテレビ番組をその地区のテレビ所有世帯のうち何パーセントが視聴したかを表す推定値であり、一つの指標である。視聴率には個人視聴率と世帯視聴率があるが、一般的に視聴率といえば世帯視聴率のことを指す。

概説

視聴率の測定は基本的に、モニター世帯に設置されるテレビに接続した専用の機器から得られるデータを基にしている。地域や調査内容によっては、日記式のアンケートによる調査を行っているものもある。

「視聴率」はその時刻にテレビの電源が入っていた世帯からの割合で測るものではなく、調査対象世帯全体に対する割合である。たとえば、100世帯がテレビ視聴率計測の対象だったとして、その内1世帯がテレビをつけていたとする。しかし、残りの99世帯がテレビを消していた状態の場合、つけていた1世帯が視聴していた番組の視聴率は100パーセントではなく1パーセントとなる。電源が入っていた世帯からの割合で測る場合は、それぞれの局の割合を「番組視聴占拠率」と呼ぶ。

平均視聴率は毎分0秒のときの視聴率(瞬間視聴率)の平均で求められており、一番組中で最も高かった瞬間視聴率をマスコミ用語で瞬間最高視聴率として考慮することもある。

なお瞬間視聴率、瞬間最高視聴率という言葉はマスコミによる造語[1]で、「ビデオリサーチ」ではそれぞれ毎分視聴率、毎分視聴率の最高値という。

視聴率というものを調査する意義は、大きく分けて

  • 各種番組の視聴率から、国民の関心の高さを探る
  • 視聴率の移り変わりから社会の動きを知る
  • テレビの媒体力や広告効果のひとつの指標として提示することで、利用スポンサーに対して広告料をもらう根拠とできる

といったものがある。

日本

日本では2000年3月以降、「ビデオリサーチ」の調査結果がそのまま世帯視聴率となっている。「ビデオリサーチ」の場合、機械式の視聴率調査は関東関西名古屋札幌仙台福島新潟静岡岡山香川広島北部九州の11地区で毎日、青森岩手秋田山形富山金沢長野山陰鳥取島根)、山口愛媛高知熊本長崎大分鹿児島沖縄の16地区で毎月の月始め2週間、それぞれ調査期間を設けて調査を行っている。標本数は関東、関西、名古屋の3地区で600、それ以外の地区は200である。なお、放送エリア内に地元民放テレビ局が3局以上あることが機械式視聴率調査の条件のため、福井山梨徳島佐賀宮崎では機械式視聴率調査は行われていない。[2]

また、衛星放送・一部の地上独立テレビ局などは一括して「その他の局」という扱いとなり、個別の数字は公表されない[3]。また、録画による視聴(録画率)やパソコンによる視聴はカウントされていない(ただし録画率ランキングがある)。地上デジタル放送については、2003年12月の開始当初は対象外[4]としていたが、普及に合わせてデジタル対応の調査機器への更新が進められた[5]

一般に関東、関西、名古屋地区などで、ゴールデンタイムで15パーセントを超えるとヒット作と言われることが多く、逆に10パーセントを切ると「一桁」として視聴率が低迷していると言われることが多い。それは、テレビの総視聴率が最も高い時間帯である19時-22時で総視聴率は約70パーセント、それを単純に民放5局とNHK2局の合計局数で割ると10パーセントになることからである。

民間放送各社はこの数値が広告の営業活動に大きくかかわることから視聴率を重視している。2000年代以降では公共放送であるNHKも同様に重視している。

これまでの関東地区における最高視聴率は「ビデオリサーチ」が視聴率調査を開始した1962年12月3日以降では1963年12月31日第14回NHK紅白歌合戦で記録した81.4パーセントであり(1961年-2000年に行われていた「ニールセン」による調査でも第14回NHK紅白歌合戦の89.8パーセントが最高)、「ビデオリサーチ」以前も含めた最高視聴率は1955年5月30日日本テレビボクシング中継・パスカル・ペレス白井義男戦で記録した96.1パーセント(電通調べ)[6]である。

視聴率を扱う文献は必ずしも多くないが、松本清張の『』は、視聴率を取扱い、その権力批判的な側面が発揮された作品である[7]

関東キー局歴代最高視聴率(ビデオリサーチ・関東地区調べ)
放送局 番組名 放送日 放送時間   視聴率
01/NHK総合 第14回NHK紅白歌合戦 1963年12月31日
(昭和38年)
21:05~23:45 160分 81.4%
03/NHKEテレ 第61回全国高等学校野球選手権大会 箕島×星稜 1979年8月16日
(昭和54年)
18:00~20:00 120分 29.4%
04/日本テレビ 日本プロレス中継WWA世界選手権・ザ・デストロイヤー×力道山 1963年05月24日
(昭和38年)
20:00~21:15 075分 64.0%
10/テレビ朝日 2006 FIFAワールドカップ 日本×クロアチア 2006年6月18日
(平成18年)
21:35~翌0:30 175分 52.7%
06/TBSテレビ 2010 FIFAワールドカップ 日本×パラグアイ 2010年6月29日
(平成22年)
22:40~翌1:10 150分 57.3%
12/テレビ東京 1994 FIFAワールドカップアジア地区最終予選 日本×イラク 1993年10月28日
(平成5年)
22:00~翌0:15 135分 48.1%
08/フジテレビ 2002 FIFAワールドカップ 日本×ロシア 2002年6月9日
(平成14年)
20:00~22:54 174分 66.1%
  • 在京民放キー局の局別歴代最高視聴率は日本テレビを除き全局FIFAワールドカップ予選・本選の日本戦が、またNHK総合以外の全局スポーツ中継が獲得している。

歴史

日本

日本における視聴率は記録に残っているものでは、1954年に「NHK放送文化研究所」が年に2回、訪問面接法による調査を開始したのが最初[8]。「NHK放送文化研究所」による調査は、1971年に調査方式を配付回収法に変更した。2007年現在では数ヶ月に1回、1週間分の個人視聴率の調査・発表を行っている。

1955年には電通が年に4回、日記式のアンケートによる調査を開始した[9](電通による視聴率調査は1963年1月が最終。以後の調査は「ビデオリサーチ」へ引き継がれる[10])。

1958年には社団法人中央調査社が同じく日記式のアンケートによる調査を年に4回開始し、1959年には年12回(毎月)に拡大した[11]1961年4月、ニールセンが日本に進出し測定機械による世帯視聴率調査を開始し、1962年12月からはビデオリサーチ社も調査を開始した[12]。当時は測定器を該当する世帯のテレビに取り付け、情報を紙テープに記録するオフラインメータ方式[13]で、調査員が記録テープを回収[14]した後に集計を行っていたため、前週の視聴率が翌週に判明する状態であった[15]

1977年9月26日、関東地区にてビデオリサーチが開発した「ミノル・メーター」[16][17]を使用し、通信回路(電話回線)を経由して情報を自動回収するオンラインメータ方式[13]による調査を開始したことにより、翌日には視聴率が判明するようになった[14][15]

長らくこのニールセンとビデオリサーチの2社が日本国内における世帯視聴率を測定していたが、2000年3月にニールセンが日本国内における視聴率調査から撤退し[18]、それ以後は、世帯視聴率はビデオリサーチの測定した結果のみが用いられることとなった。撤退の理由は個人視聴率導入に関して民放キー局と意見が対立したからだとされる。

2011年7月4日にビデオリサーチは、フルセグ放送が視聴できるデスクトップパソコンとケーブルテレビデジアナ変換を「パソコンテレビ」として視聴率の調査対象に加えた。また、同年7月24日以降、アナログ放送が終了したエリアでは、調査対象がデジタル放送を視聴できる世帯のみとなっている。

日本国外

アメリカでは1950年代以降、視聴率調査はニールセン・メディア・リサーチ社が業務を独占している[19]。調査方法は、アメリカ全国調査は1987年よりピープルメーター方式(それ以前は日記式アンケート)、地域調査は1週間分の日記式のアンケートを郵送する方式に加えて、2003年後半〜2004年前半にピープルメーター方式を導入した[19]

問題点

データの信憑性についての批判

視聴率のデータの信憑性に対する主な批判としては次のようなものが挙げられる。

  • 「ビデオリサーチ」社は調査方法の詳細を公開していないため、信憑性を検証できない。
  • 「ビデオリサーチ」社は等間隔抽出法を使っているため、単純無作為抽出法や層化抽出法に比べて標本誤差が大きい。
  • 日本における視聴率調査を「ビデオリサーチ」社が独占しており、他の比較データがない。
    • そのため、前述したとおり福井山梨徳島佐賀宮崎では年に4回程度の日記式視聴率調査が非公式に行われている程度であり実態が不明瞭である。
  • サンプル(標本)の数が少なく、多くて数百件しかないため、少ない不正件数で大きく数値が変動してしまう。この脆弱性を悪用し、過去に日本テレビ視聴率買収事件が起こっており、今後も同様の問題が起こる可能性がある。
  • テレビがない家庭が含まれていない。
  • 視聴データを回収するために固定電話回線が使われているが、携帯電話の普及によって固定電話を持たない家庭が増えてきている[20]
  • あくまで協力世帯のみであり、職業や家族構成が聞かれたり、電気代の代わりに謝礼が払われるため、バイアスがかかる。

統計学的なデータの質についての問題

  • データの誤差が考慮されることが非常に少ない。「ビデオリサーチ」社の調査方法では、標本数600・信頼度95パーセントの場合、視聴率10パーセントの時の誤差は±2.4ポイント、視聴率20パーセントの時の誤差は±3.3ポイントである。つまり、「視聴率20.0パーセント」と発表された場合の視聴率は「16.7 - 23.3パーセントの間にある」確率が95パーセントということである。標本数200の地域ではさらに誤差が大きい。
  • 首都圏など標本数600の地域と地方の標本数200の地域があり、標本数に違いがあるため地域間の単純比較が難しい。
  • 調査は世帯単位で行っているので、テレビが一家に2台以上ある実態に対応できていない。また、録画率については対応していない。NHKを除き地上局(のスポンサー)にとっては、CMを飛ばされてしまう録画を視聴率に加える価値はないともいえる。しかし、テレビドラマ特撮テレビアニメなどは後にDVDブルーレイディスクなどのパッケージ商品としてソフト化をすることが恒例であり、キー局や各番組のスポンサーサイドにも録画率調査は絶対的なデメリットであるとは言い難い。[要出典]特撮やテレビアニメは放送中(もしくは放送後)にグッズ販売をすることがほとんどであり、録画視聴者がグッズ購入に走ることも考えられ一概に録画を否定することはできない。また、中には『婚カツ!』のように(前半は)視聴率が低いが録画率では好調という番組もあった[1]
  • 発表された視聴率が記事になる時は、基本的に関東地区のみの視聴率が記事になる事が大半である。しかし、関東地区で視聴率が低くても、他地区で視聴率が高い事がある。またその逆も起こる。

その他

  • 一般視聴者が確認できる視聴率はランキング上位のごく一部の番組に留まっており、各番組の視聴率などの詳細はテレビ業界関係の人しか判らない。
  • 番組内容が評価対象となる視聴質が無視されることにつながる。
  • 地域別・男女別・年齢層別のデータしかないため、データマイニングによる詳細な視聴者分析をすることができない。詳細なクラスタ解析ができてないため、番組製作や広告が曖昧なターゲット向けになってしまっている。

番組内容への影響

現在のところ、視聴率は番組の良し悪しについての客観的指標として最も使用されている。視聴率が高い番組は「広告効果が高い番組である」という評価となるので、キー局主体のテレビ局はさまざまな手段で視聴率向上のための努力をする。しかし、その努力が行き過ぎると、番組内容は二の次で高視聴率を取れる番組を制作しようとしてしまう。その結果、さまざまな悪影響を与えてしまうこととなる。

  • 興味本位の番組・大衆迎合的番組が増える。また、そのような番組制作にて報道の自由を大義名分にプライバシー権・放送倫理を侵害する問題が発生する温床となる。
  • 高視聴率を望む傾向が強くなるので、ドラマを中心にワイドショーやバラエティ番組に出演して宣伝する番組が最近多い。ただ、低視聴率番組は途中で打ち切られやすいが、打ち切りとなった番組が後に多大な評価を得ることも希にある。
  • 視聴者も刺激的、ドラマ的な展開を求めたがるためにやらせなどの捏造行為が発生しやすい。特に軽度のやらせは演出の一種として扱う傾向があり、番組全体の劇場化が指摘される。中には犯罪を依頼し、作られた事件現場を真っ先に報道していたとして調査された事件も存在する[21]
  • 視聴率調査地域とそれ以外の情報格差。北海道の場合、視聴率の調査対象は札幌市内の200世帯に限られている。このため道内民放局制作の情報番組や報道番組などが札幌市民が感心を持つような内容ばかりに傾き、地方に向けた情報が気薄となるケースが見受けられる。例えば天気予報では「どさんこワイド」のように札幌周辺だけ細かい予報を出す番組がある(北海道の人口約550万人のうち、札幌市の人口は半数に満たない190万人である)。調査世帯を道内主要都市に分散すればこのような格差も解消されるであろう。

視聴者への煽り

テレビ局では時折、視聴率稼ぎのため「ワイドショー」やスキャンダルなどにおける渦中の人物などを出演させ新聞のテレビ欄に「●●出演」などと煽るケースがある。ほとんどのケースで視聴率稼ぎのため人物を冒頭から出演することはなく「もうすぐ●●登場」などとテロップで煽り番組の最後で登場する、番組の最後で差し障りのない内容のみ放送する、同業の別人を出演させるなどのケースがあり、視聴者から抗議の電話が寄せられ、テレビ局が謝罪などの対応に追われることがある[22]

視聴者よりスポンサーを向いた番組作り

上記のように視聴率が番組の良し悪しを決める唯一無二の存在になると視聴者よりスポンサーの意向を反映した番組つくりになりやすい。例えば、バラエティ番組ではハイライトシーンの直前にCMが入る事が2000年頃から常識になっている。また、スポンサーが重視する購買欲の高い若い女性向け(F1層)の番組がバブル景気以降増えており、1980年代以前のゴールデンタイムは、老若男女だれでも受け入れられる番組が主体だったのに対して、それ以降は明らかに女性をターゲットにした番組がゴールデンタイムでも主流になっている。特に情報系番組は「女性に人気」「女性が支持する」と言った語句を並べてあたかも男性視聴者は存在しないような番組作りを行っている番組もある。日本テレビは局の人気番組であった「伊東家の食卓」を「女性の視聴率が低い」という理由で終了させた(週刊ダイヤモンド2011年1月15日号「新聞・テレビ勝者なき消耗戦」より) 。そしてスポンサーの発言はテレビ界を萎縮させる力を持っており、例えば2008年11月の厚生労働省への批判報道に対して経団連名誉会長兼トヨタ自動車相談役の奥田碩が「厚労省叩きは異常な話。正直言ってマスコミに報復してやろうかな。スポンサーを降りるとか」[23]と発言すると、日本民間放送連盟広瀬道貞会長(兼テレビ朝日相談役)は「テレビの影響力の大きさから言えば、ある種の節度が必要かなという気もした」とトヨタに屈服するような発言をも行った。特に踊る!さんま御殿!!では自身の起こした窃盗事件を番組内で公表したタレントの出演を巡りスポンサーのトヨタ自動車が「(タレント)を出すならスポンサーを降りる」と番組及び番組スタッフに通告。タレントが出演した回はトヨタ自動車がスポンサーを降り、最終的にタレントが出演自粛を表明した事情も存在した。

視聴率争い

視聴率がテレビ局の評価を決めると言っても過言ではないため、国や時代、時間帯を問わず視聴率争いは行われている。ここではその代表的なものをあげる。

土曜8時戦争

TBSの『8時だョ!全員集合』(1969年-1985年)が「お化け番組」と呼ばれる程の凄まじい人気を誇った事で発生した。ライバルのフジテレビは対抗する番組を企画するも悉く放送終了に追い込まれ、土曜8時枠は「鬼門」とまで言われた。1974年に荒井注ザ・ドリフターズから抜けて暫くは『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の成功もあって視聴率が逆転したが、志村けんの「東村山音頭」のヒットで再び逆転、以後、『オレたちひょうきん族』(以下ひょうきん族、1981年-1989年)が登場するまで対抗出来る番組は無かった。中には『ピーマン白書』のように大々的な番宣キャンペーンを行ったにも関わらず、放送回数6回で打ち切りになったものも存在した。

ひょうきん族放送開始直後、視聴率は伸び悩んだが、ドリフターズの不祥事もあり以降ひょうきん族は徐々に視聴率を獲得しついには全員集合を逆転、1985年に全員集合を終了へ追い込んだ。その後全員集合の後継番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(以下加トケン)が放送されると加トケンが徐々に視聴率を獲得しひょうきん族を逆転、1989年オレたちひょうきん族を放送終了へと追い込んだ。

1990年代に入ると加トケンへの対抗として、『マジカル頭脳パワー!!』(以下マジカル、日本テレビ)、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(以下ウンナン、フジテレビ)が放送開始。テレビ朝日も1978年から続く『暴れん坊将軍シリーズ』を放送、人気4番組による争いとなる。争いは1年ほど続いたが、まず『加トケン』が『KATO&KENテレビバスターズ』としてリニューアルするも視聴率で低迷し終了。『ウンナン』も収録時の事故により放送が打ち切られると、『めちゃ×2イケてるッ!』(以下めちゃイケ、1996年-)の放送まで再びフジテレビの土曜8時枠は「鬼門」となった。マジカルは『あるなしクイズ』が番組をまたいで大ブームとなった事もあり[24]視聴率を獲得したが、プロ野球中継により放送を返上することが度々あったためプロ野球中継による番組休止から回避するために番組枠を移動した。

TBSは1993年に『どうぶつ奇想天外!』をスタート。当初は『マジカル』に苦戦したが『マジカル』の移動により安定した視聴率を獲得し「親が子どもに見せたい番組」の上位にランクインされる人気番組になった。フジテレビも1997年に『めちゃイケ』をスタートさせると視聴率を獲得、1978年の放送以来、常に安定した人気を保っていた『暴れん坊将軍シリーズ』を移動させた。

その後しばらくは『めちゃイケ』の独走状態であったが、2004年に放送開始した日本テレビ『世界一受けたい授業』(以下世界授業)の台頭により、同番組に陰りが見え始めてくる。2006年度には『世界授業』が『めちゃイケ』を上回ることも珍しくなくなった。その後、追いうちをかけるように、2008年にTBSでドラマ『ROOKIES』が放送され、このことが顕著となった同作品が終わっても視聴率が回復しなかった。しかし、その後『めちゃイケ』は特別企画を中心に視聴率を稼いでいる。

札幌戦争

北海道地区の夕方ワイド番組における視聴率争いで、札幌テレビ放送(STV)が1991年に始めた『どさんこワイド120』を中心としたものである[25]

それまで、北海道内における平日夕方の時間帯はアニメやドラマの再放送が多かったが、STVは自社制作の夕方ワイド番組を放送することで他局の視聴率を抜き去り、局全体の視聴率向上にも寄与した。STVの成功を受け、北海道の各テレビ局が同様の番組で追随することとなり、NHKもローカルの夕方番組を編成した時期があった。この流れは日本全国に波及し、各地で夕方ワイド番組が作られるようになっていく。大阪・福岡などでは各局の夕方ワイド番組が競合し、同様の視聴率争いが発生している。

北海道の怪物番組と言われる[要出典]水曜どうでしょう』を製作する北海道テレビ放送(HTB)は当初、どさんこワイドに太刀打ちできないと判断し、自主製作を深夜帯に行う契機になったほどである。[要出典]しかしその後は、1999年に『情報ワイド 夕方Don!Don!』をスタートさせ、2003年には『イチオシ!』にリニューアルして現在にいたっている。

金曜8時戦争

1970年代から80年代にかけて金曜夜8時に放送された『太陽にほえろ』(日本テレビ、以下太陽)と『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日、以下ワープロ)、TBSのドラマ・バラエティ番組の視聴率争いを中心としたものである。太陽とワープロの両番組はほぼ同時期にスタートし同時期に終了、枠移動を行うなど共通点があった[26]。放送期間中、太陽が新人や無名俳優を主演の新米刑事として出演させ、成長させるパターンで安定した視聴率を稼ぐのに対し、ワープロがアントニオ猪木を中心とした異種格闘技路線で高視聴率を挙げるなど視聴率争いがおこなわれた。両番組のために低迷していたTBS1979年秋から『3年B組金八先生』(以下金八)を放送。金八は放送開始するや瞬く間に巷の話題となって視聴率が毎回上がり続け、視聴率争いは三つ巴となる。そして、半年後の終了前には30%を超える視聴率を毎回獲得して太陽とワープロを完全に逆転した。また、金八には倍賞美津子が出演しており、当時の夫であったアントニオ猪木と夫婦で同じ時間帯に出演するという“掟破り”をやってのけた。金八の放送終了後もTBSは金八と舞台設定を同じにした学園ドラマ、通称・桜中学シリーズをこの時間帯に敷いて圧倒的なリードを保つ。その間、太陽はお家芸の殉職降板&新刑事登場を連発して巻き返しを図る。ワープロもタイガーマスク(初代)や長州力の登場など新機軸で対抗。その反抗の影響と桜中学シリーズ自体もシリーズを重ねて飽きられ始めると、再び三つ巴の様相となっていった。80年代半ば、TBSは桜中学シリーズを終了させた後も同じ教育問題をテーマにした学園ドラマを作り続けるも金八以上のヒット作には恵まれず、太陽も殉職降板の連発の弊害で人気刑事がいなくなったり、どんな策を打ってもマンネリ化に歯止めが掛からず、ワープロもタイガーマスクの引退や長州力の移籍後は視聴率が低下し、この時間帯の視聴率の覇権争いは混沌としていた。しかし、1986年5月にTBSが当時絶大な人気を誇るビートたけしをメインに据えた視聴者参加型バラエティ番組『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』(以下たけし城)をスタートさせると、たけし城が抜きんでた視聴率を稼ぐようになって金曜8時の視聴率の覇権を収めた。太陽は主演の石原裕次郎の体調不良もあって番組の終了を決断。ワープロも月曜8時台へ移動(現在は放送枠が30分に短縮されつつも土曜深夜に放送されている)。長寿番組だった両番組を追いやったたけし城だが、皮肉にも1986年12月のフライデー襲撃事件により、看板だったビートたけしと番組に多く出演していた弟子のたけし軍団が芸能活動謹慎となって画面から消えて一時の勢いが衰えてしまい、金曜8時の視聴率争いは再び混沌としていく。

現在、日本テレビは『金曜スーパープライム』を、TBSが『ぴったんこカン・カン』を、テレビ朝日が『ミュージックステーション』を放送している。

マンデー・ナイト・ウォー

1990年代後半のアメリカ合衆国では、米国を二分するプロレス団体のWWF(現WWE)とWCW(現在は解散)が、月曜夜の同じ時間帯にプロレス中継(WWFの『MONDAY NIGHT RAW』、WCWの『MONDAY NITRO』)を放送しており、熾烈な視聴率争いが発生していた[27][28]

この視聴率争いは凄まじく、ライバル団体の放送を見て何の前触れもなしに対戦カードを変更する、視聴率で押されそうになると現地スタッフがレスラーに乱入を指令する、などの常軌を逸した演出も日常茶飯事であった。当初はWCWが人気レスラーを起用しnWoブームを生むなど優勢であったが、WWFが選手や社長一家の抗争を前面に出すアティテュード路線に変更することで巻き返し、ついにはWCWを解散に追い込んだ。

Dr.スランプ アラレちゃんを巡る争い

1980年代前半に、週刊少年ジャンプで爆発的な人気を誇っていた『Dr.スランプ』の放映権を取得するため、民放各局で争奪戦が展開された。最終的に、争奪戦はフジテレビが勝利したが、当時編成局長だった日枝久現フジテレビ会長が何度も集英社を訪れ、熱烈なオファーを続けたことは有名である。

フジテレビは、『Dr.スランプ』の放送時間を、当時視聴率で他局に押されて劣勢だった水曜日の19時台(前半)とした。その後、爆発的人気と高視聴率を得た『Dr.スランプ』は、この時間がニュース枠であったNHK以外の他の各局の裏番組を全て放送終了に追い込んだ。当初、他局は「XX(『アラレちゃん』をイメージする言葉)なんか見てると、時代に乗り遅れるぞ!」などのキャッチフレーズで対抗していたが、『Dr.スランプ』の人気に太刀打ちできず1か月で内容がリニューアルするなど迷走した結果、野球中継さえ勝てず視聴率で苦戦し、短命で終了した番組も多かった。そして、結果的には『Dr.スランプ』の成功が、水曜日の夜19時台に放送した後継の作品のヒットに繋がるきっかけとなった。

さらには、『Dr.スランプ』に対抗する目的で、同時間帯に日本テレビTBSテレビ朝日の3局がクイズ番組を放送する現象もあったが、最終的には上記の全てが終了に追い込まれた。その結果、『Dr.スランプ』以降、フジテレビでは水曜日に野球中継を行うことはほとんど無くなった(例外として7月に行われるフジテレビナイター祭りの時は放送を返上していた)。また、これを受けて水曜日の野球中継は、専ら他局の民放で行われるようになった。そして、『Dr.スランプ』の成功以降、フジテレビは週刊少年ジャンプの連載作品をアニメ化して放送することが多くなった。

視聴率測定における時間帯区分

ゴールデンタイム・プライムタイム

冒頭で述べた通り、(1960年代から2000年まで2社体制で視聴率調査をしていた)「ニールセン」と「ビデオリサーチ」とで、最もテレビの視聴が高い時間帯の基準が両社で異なっていたからによるものとされている。米国に本社を持つ「ニールセン」では、米国基準で最もテレビの視聴が高い時間帯を設定し、これを19時から23時までとして「プライムタイム」と呼んだ(ただし実際の米国における「プライムタイム」の時間帯は月~土曜の20時-23時・日曜の19時-23時であり、日本のそれとは異なる)。

これに対し、「ビデオリサーチ」は日本独自の基準として、最もテレビの視聴が高い時間帯を19時から22時までとして「ゴールデンタイム」と呼んだ。

なお、この2区分の調査は、ニールセンの「プライムタイム」は1961年4月の調査開始当初から、「ビデオリサーチ」の「ゴールデンタイム」も1962年12月の調査開始当初から始めた。しかし「ビデオリサーチ」も1971年から「プライムタイム」の調査を開始し、現在に至っている。

三冠王・四冠王

日本の放送局が視聴率を評価する際に使う表現で、下記3区分すべてで平均視聴率がトップの放送局を指して「三冠王」と呼ぶ。

上記に加えノンプライム(6時-19時、23時-24時)でも視聴率がトップであれば、「四冠王」と呼ばれる。

1980年代後半にフジテレビが「三冠王」を使い始めた。フジテレビは1982年から1993年までの12年間、連続して三冠王となったが、これは在京民放局5局の中での三冠王である(NHKを含めた中での三冠王となったのは1987年1990年から1993年の合わせて5年間で、それ以外の年はNHKがフジテレビの全日視聴率を上回っていた)。なお、1993年のフジテレビの全日視聴率は、日本テレビと同率であった[29]。一方で、年度視聴率においても、フジテレビは1982年から1992年までの11年間は連続して三冠王となったが、やはりこちらも在京民放局5局の中での三冠王であった(1990年になってやっとNHKの全日視聴率を含めて完全三冠王となったが、長くは続かず、NHKを含めた在京6局の中での三冠王は結局、1992年度までの3年だけであった)。

その後、日本テレビが「四冠王」の表現を使い始め、バラエティー番組やプロ野球巨人戦の中継が好調に推移したことで、同社が(NHKを含めた在京6局の中での)年間視聴率四冠王の座を1994年から2003年までの10年間、連続して獲得した(1994年の日本テレビは、全日は単独で首位だったが、ゴールデンタイム、ならびにプライムタイムのそれぞれの年間視聴率でフジテレビと同率であった[30])。一方で、年度視聴率においては、日本テレビは1994年から2002年までの9年間、連続して三冠王だったが、1993年度は全日のみ首位(ゴールデン、プライムはフジの二冠)、2003年度はプライム以外の三冠だった(プライム首位はフジ)。

2004年以降は、フジテレビが年間、および年度視聴率の三冠王を2010年まで7年連続で獲得(NHKを含めた在京6局中)。2011年は日本テレビが8年ぶりに年間視聴率三冠王を奪還した(こちらもNHKを含めた在京6局中。ただし、全日はフジテレビと同率であった)[31]

視聴率三冠王の第1号はTBSで、1978年に1度だけ達成したことがある。当時は『まんが日本昔ばなし』、『クイズダービー』、『8時だョ!全員集合』、『Gメン'75』と言った超人気番組を同局が有していたことが三冠王に有利な条件であった。但し1978年のTBSは全日視聴率がNHKと同率であった[29]。尚、TBSはその後1981年にゴールデンとプライムの二冠を獲得したのを最後に以降は現在に至るまで一冠も獲れていない。

余談ではあるが、一度視聴率三冠を獲得して暫く無冠(もしくは一冠、二冠)となり、再び三冠を奪還したケースは、在京キー局に限れば、フジテレビと日本テレビの二局だけである。

脚注

  1. ^ 日刊スポーツ2010年6月22日付
  2. ^ なお、この5県は年に4回程度、日記式の視聴率調査が非公式に行われている。
  3. ^ 株式会社「ビデオリサーチ」 ++ FAQ > 視聴率に関する質問
  4. ^ 調査機器自体がデジタル未対応という事情もあったが当時の放送エリアは親局受信エリアの一部に限られていたことや受信設備自体が上級指向のものに限られていたため。
  5. ^ http://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200612060169.html
  6. ^ 日本放送協会編『放送五十年史 資料編』、日本放送出版協会、1977年、590-591頁。
  7. ^ この作品の連載終了後に、ビデオリサーチ社長(当時)の森崎実はコメントを発表し、会社創立以降、ミノル・メーター導入までの、視聴率調査の実態について自ら概説している。「『渦』を脱出 視聴率調査 - 小説に書かれなかった調査会社のあれこれ」(『日本経済新聞』1977年1月13日付掲載、また『松本清張全集 第40巻』(1982年、文藝春秋)付属の月報に全文が再掲されている)参照。
  8. ^ 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』15頁。
  9. ^ 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』15-18頁。
  10. ^ 『放送五十年史 資料編』591頁。
  11. ^ 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』18頁。
  12. ^ 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』18-19頁。
  13. ^ a b テーマ別調べ方案内 / タイトル:テレビ視聴率(総論) 国立国会図書館
  14. ^ a b 視聴率調査について(視聴率ハンドブック) - テキスト版 / PDF版(2008年11月作成) (PDF) ビデオリサーチ
  15. ^ a b 前代未聞!視聴率測定世帯買収事件 視聴率のためなら悪魔に魂を… All About 2003年10月26日
  16. ^ 広告景気年表:1977年 電通 消費者情報トレンドボックス
  17. ^ 沿革 1962年 - 69年 ビデオリサーチ 会社情報
  18. ^ 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』19頁。
  19. ^ a b TV視聴率調査のニールセン社、問われる調査手法の信頼性 WIRED.jp 2004年4月19日
  20. ^ 若年層が新聞や書籍、雑誌、固定電話から遠ざかっている傾向がより顕著に
  21. ^ asahi.com(朝日新聞社):テレビ番組元司会者、視聴率のため殺人依頼? ブラジル - テレビ・ラジオ - 映画・音楽・芸能
  22. ^ “中島知子さんの「占い師スタジオ登場」とウソのテロップ 日テレが公式サイトで謝罪”. 産経新聞. (2012年5月29日). http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120529/ent12052922000019-n1.htm 2012年6月3日閲覧。 
  23. ^ メディアから広告引き上げ トヨタ奥田氏「報復宣言」の効果J-CASTニュース2008年11月13日
  24. ^ 当時、他局の笑っていいとも!でもあるなしクイズをコーナーとして放送していた。
  25. ^ 自社制作ワイドで火花を散らす“札幌戦争”」『1994年7月号、創出版
  26. ^ スタートは太陽が1972年7月21日、ワープロが1972年7月28日(1972年10月に『NET日本プロレスリング中継』に改題後、1973年4月6日に新日本プロレス中継番組としてワープロのタイトルが復活)、終了が太陽は1986年11月14日(第一期)、ワープロが1986年10月より放送枠移動
  27. ^ 『WWE マンデーナイトウォー』 ジェネオンエンタテインメント、2004年6月25日。ASIN B000244RVC
  28. ^ Rick Scaia,"THE MONDAY NIGHT WARS: RAW vs. Nitro,"ONLINE ONSLAUGHT,August 7, 2003.
  29. ^ a b 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』116頁
  30. ^ 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』199頁
  31. ^ 〈速報〉日テレが11年「視聴率3冠王」asahi.com 2012年1月2日

関連書籍

いずれも日本における視聴率に関するもの。

関連項目

外部リンク