犠牲バント
犠牲バント(ぎせいバント)とは、野球で、打者がアウトになる代わりに、走者を進塁させることを目的としたバントのことである。公認野球規則10.08により定められている。英語ではサクリファイスバント(sacrifice bunt)という。
走者を次塁に「送る」ことから送りバントとも呼ばれる。また、三塁走者を本塁に生還させる犠牲バントは特にスクイズプレイと呼ばれる。
概要
犠牲バントが用いられる状況は走者一塁、あるいは走者二塁(一塁・二塁を含む)の場合である。前者の場合は一塁線を狙って打球を転がすのがセオリーであり、後者の場合は三塁線に転がすべきとされる[1]。適切にバントが行われた場合、塁上の走者は打者走者が一塁でアウトになる間に進塁する。犠牲バントが予想される局面では守備側は必要に応じてバントシフトを引いて対処する。
広義の犠打であり、記録上の用語としても犠打が用いられる。犠打は、バントをした結果塁上の走者が進塁し、打者が一塁に達する前にアウトになったときに記録され、その打席は打数に含まれない。しかし、打者がセーフティバントを狙って結果的に送りバントの形になった場合は打数がカウントされる。また、打者走者をアウトにできるにもかかわらず、守備側が先行する走者をアウトにしようと試みて失敗し、誰もアウトにならなかった場合には、犠打と野選が記録される。守備側が失策し誰もアウトにならなかった場合、失策がなくても走者が進塁できたと記録員が判断すれば、犠打と失策が記録される。
送りバントが成功すれば、走者を得点圏(二塁や三塁)に進めたうえ、内野ゴロ等の凡打によるダブルプレーのリスクを回避できる。その一方で、守備側にアウトを一つ与えるというデメリットもある。ここから主に僅差の試合や、投手など安打を期待できない打者の打順で用いられる。しかし、どうしても1点が必要な局面などでは、チームの主砲である4番打者も犠牲バントを敢行することがある。
日本野球界では広く用いられており、特に高校野球では多用される。ただし、2007年にセンバツを制した常葉菊川のようにあえてバントをしない学校も存在する[2]。また、プロ野球においても1998年に横浜ベイスターズを優勝に導いた権藤博監督はバントを用いることに消極的であった[3]。
一方、大リーグでは統計学的な分析によって犠牲バントの有効性が疑問視されており、「新思考派」と呼ばれるセイバーメトリクスに重きを置いた戦術を取るチームでは犠牲バントの数が大幅に減少している。2004年に悲願のワールドシリーズ優勝を果たしたボストン・レッドソックスはその典型で、2004年のシーズンはチーム全体の犠打数が12個と極めて少なかった。また、2005年の時点で日米を比較した場合、プロ野球とメジャーリーグではバントの頻度において倍近い差があることがわかっている[4]。
ちなみに日本プロ野球での1000試合以上出場選手のうち、田淵幸一、ブーマー・ウェルズ、タフィ・ローズ、アレックス・ラミレス、アレックス・カブレラは犠打を1度も記録していない。
犠牲バントに関する記録
日本プロ野球
通算記録
記録は2011年シーズン終了時点
順位 | 名前 | 犠打 | 順位 | 名前 | 犠打 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 川相昌弘 | 533 | 11 | 大島公一 | 265 |
2 | 平野謙 | 451 | 12 | 吉田義男 | 264 |
3 | 宮本慎也 | 386 | 13 | 東出輝裕 | 245 |
4 | 伊東勤 | 305 | 14 | 土井正三 | 242 |
5 | 新井宏昌 | 300 | 田中浩康 | ||
6 | 石井琢朗 | 289 | 16 | 弓岡敬二郎 | 240 |
7 | 正田耕三 | 282 | 17 | 近藤昭仁 | 239 |
8 | 水口栄二 | 279 | 18 | 大石大二郎 | 236 |
9 | 金子誠 | 271 | 19 | 久慈照嘉 | 233 |
10 | 小坂誠 | 267 | 20 | 谷繁元信 | 225 |
- 川相昌弘の犠打533は世界記録
シーズン記録
順位 | 名前 | 所属 | 犠打 | 記録年 |
---|---|---|---|---|
1 | 宮本慎也 | ヤクルトスワローズ | 67 | 2001年 |
2 | 川相昌弘 | 読売ジャイアンツ | 66 | 1991年 |
3 | 田中浩康 | 東京ヤクルトスワローズ | 62 | 2011年 |
4 | 平野恵一 | 阪神タイガース | 59 | 2010年 |
5 | 川相昌弘 | 読売ジャイアンツ | 58 | 1990年 |
田中賢介 | 北海道日本ハムファイターズ | 2007年 | ||
7 | 和田豊 | 阪神タイガース | 56 | 1988年 |
川相昌弘 | 読売ジャイアンツ | 1996年 | ||
9 | 森本稀哲 | 北海道日本ハムファイターズ | 55 | 2010年 |
10 | 本多雄一 | 福岡ソフトバンクホークス | 53 | 2011年 |
その他の記録
- 1試合最多犠打
- セントラル・リーグ 4犠打
- パシフィック・リーグ 4犠打
- 弓岡敬二郎(1985年6月9日、対南海ホークス)
- 平野謙(1991年6月19日、対オリックス・ブルーウェーブ)
- 佐藤幸彦(1993年7月9日、対西武ライオンズ)
- 関川浩一(2006年9月5日、対オリックス・バファローズ)
- 日本シリーズ最多犠打
- 6犠打 田中賢介(2006年、5試合)
アメリカメジャーリーグ
※注:一部記録については犠飛(犠牲フライ)を含む。
通算記録
記録は2009年シーズン終了時点
順位 | 名前 | 犠打 | 順位 | 名前 | 犠打 |
---|---|---|---|---|---|
1 | エディ・コリンズ | 511 | 12 | タイ・カッブ | 295 |
2 | ジェイク・ドーバート | 392 | 13 | マックス・キャリー | 290 |
3 | スタッフィー・マッキニス | 383 | 14 | ジミー・シェッカード | 286 |
4 | ウィリー・キーラー | 366 | 15 | ジョー・ティンカー | 285 |
5 | ドニー・ブッシュ | 337 | 16 | ジャック・バリー | 284 |
6 | レイ・チャップマン | 334 | 17 | フランク・シュルト | 279 |
7 | ビル・ワムスガンス | 323 | 18 | ジミー・オースティン | 278 |
8 | ロジャー・ペキンポー | 314 | 19 | ハリー・ハイルマン | 277 |
9 | ラリー・ガードナー | 311 | 20 | エベレット・スコット | 275 |
10 | トリス・スピーカー | 309 | ジョー・シーウェル | ||
11 | ラビット・マランビル | 300 | フレッド・テニー |
シーズン記録
順位 | 名前 | 所属 | 犠打 | 記録年 |
---|---|---|---|---|
1 | レイ・チャップマン | クリーブランド・インディアンス | 67 | 1917年 |
2 | ビル・ブラッドリー | ナップス | 60 | 1908年 |
3 | ジャック・バリー | ボストン・レッドソックス | 54 | 1917年 |
4 | ボブ・ガンリー | ワシントン・セネタース | 52 | 1908年 |
ドニー・ブッシュ | デトロイト・タイガース | 1909年 | ||
6 | レイ・チャップマン | クリーブランド・インディアンス | 50 | 1919年 |
7 | ドニー・ブッシュ | デトロイト・タイガース | 48 | 1920年 |
ジョー・ギデオン | セントルイス・カージナルス | 1920年 | ||
9 | オッシー・ビット | ボストン・レッドソックス | 47 | 1919年 |
10 | ビル・ブラッドリー | ナップス | 46 | 1907年 |
ジミー・シェッカード | シカゴ・カブス | 1909年 | ||
ラルフ・ヤング | デトロイト・タイガース | 1919年 | ||
バッキー・ハリス | ワシントン・セネタース | 1924年 |