旗風 (駆逐艦)
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| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | 1920年度計画 |
| 起工 | 1923年7月3日 |
| 進水 | 1924年3月15日 |
| 就役 | 1924年8月30日(第九号駆逐艦) |
| その後 | 1945年1月15日戦没 |
| 除籍 | 1945年3月10日 |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 基準:1,270t 公試:1,400t |
| 全長 | 102.57メートル |
| 全幅 | 9.16メートル |
| 吃水 | 2.92メートル |
| 機関 | ロ号艦本式缶4基 パーソンズ式タービン2基2軸 38,500 SHP |
| 速力 | 37.25ノット |
| 航続距離 | 14ノット/3,600カイリ |
| 燃料 | 重油:420トン |
| 乗員 | 154名 |
| 兵装 | 45口径12cm単装砲4門 一〇年式53cm連装魚雷発射管3基 (魚雷8本) 三年式機砲2挺 |
旗風(はたかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。神風型(2代目)の5番艦である。
目次 |
艦歴 [編集]
舞鶴工作部で建造され1924年(大正13年)8月30日に竣工した。当初は「第九号駆逐艦」という艦名であり、一等駆逐艦に類別された。4年後の1928年(昭和3年)4月24日に「旗風」に改名された。
太平洋戦争では、オランダ領東インド攻略戦やフィリピン攻略戦などに参加する。またバタヴィア沖海戦では、第5水雷戦隊内の第5駆逐隊に、同型駆逐艦である「朝風」や「春風」と共に所属した。
その後1942年(昭和17年)9月には、護衛空母「雲鷹」の護衛船としてトラック島方面へと進出する。その任務を終えた後は終始船団護衛に就くが、1945年(昭和20年)1月15日に台湾の高雄にて米軍艦載機の攻撃を受け、沈没した。
歴代艦長 [編集]
艤装員長 [編集]
- 荒糺 少佐:1924年6月10日 - 1924年8月1日
艦長 [編集]
- (心得)荒糺 少佐:1924年8月1日 -
- 古賀七三郎 少佐:1925年11月10日 -
- 原顕三郎 中佐:1928年3月15日 - 5月7日[1]
- 白石万隆 少佐:1930年12月1日 - 1931年11月14日 同日より予備艦
- 阪匡身 少佐:1931年11月14日 - 1932年2月21日[1]
- 小田為清 少佐:1933年5月17日 -[1]
- 高橋亀四郎 少佐:1934年11月15日 -
- 赤沢次寿雄 少佐:1936年6月15日 - 1937年12月15日 ※1937年2月9日より予備艦
- 梶原正見 少佐:1938年8月23日 - 12月15日[1]
- 山下鎮雄 少佐:1939年10月10日 -
- 入戸野焉生 少佐:1940年10月15日 -
- 小泉四郎 少佐:1942年11月10日 -
- 荒木正臣 少佐:1943年5月26日 -
- 岡田静一 少佐:1943年6月25日 -
- 高柳親光 大尉:1944年3月1日 -
脚注 [編集]
参考文献 [編集]
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
- 日本海軍人事手帳(?)
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