ネアンデルタール人
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| ?ネアンデルタール人 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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ネアンデルタール人の頭骨 |
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| 保全状態評価 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| EXTINCT (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) |
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| 地質時代 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 更新世 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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| 学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| Homo neanderthalensis King, 1864 |
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| 和名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ネアンデルタール人 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 英名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| Neandertal |
ネアンデルタール人(ネアンデルタールじん、ホモ・ネアンデルターレンシス、Homo neanderthalensis)は、約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種である。我々現生人類であるホモ・サピエンス (Homo sapiens) の最も近い近縁種とされる。
目次 |
[編集] 概要
ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。
なおネアンデルタール人を過去は「旧人」と呼称していたが、ネアンデルタール人が「ホモサピエンスの先祖ではない」ことが明らかとなって以降は、この語は使われることが少ない。また、上記の通りネアンデルタール人は広い地域に分布して多数の化石が発見されており、それらは発見地名を冠した名称で呼ばれる。例として、ラ・シャペル・オ・サン人(La Chapelle-aux-Saints、以後は「ラ・シャペローサン人」とする)、スピー人、アムッド人などが挙げられる。本稿では、以後それらの人類の総称として「ネアンデルタール人類」の用語を用いる。
[編集] 発見と研究の歴史
最初に発見されたネアンデルタール人類化石は、1830年にベルギーのエンギスから発見された子供の頭骨であり、1848年にはスペイン南端のジブラルタルからも女性頭骨が見つかっている。しかし当時は進化論がほとんど知られておらず、人類の進化という概念も無かったため、その正体はわからなかった。科学的研究の対象となり、従って事実上の第1発見となったのは、1856年ドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル谷 (Neanderthal) にあったフェルトホッファー洞窟からのものであった。これは石灰岩の採掘作業中に作業員によって取り出されたもので、顔面や四肢遠位部等は欠けていたが保存状態は良好で、低い脳頭骨や発達した眼窩上隆起などの原始的特徴が見て取れた。この化石は地元の教員C・フールロットによって研究され、また専門家の中にも、既に絶滅した古い人類とする者もおり、イギリスのW・キングはホモ・ネアンデルターレンシス (Homo neanderthalensis) の学名を与え、「ネアンデルタール人」の名が通用するようになったが、優れた病理学者であったR・ウィルヒョウはこれを、くる病や痛風にかかって変形した現代人の老人の骨格と主張し、多くの学者も現代かそれに近いものと見なした。
しかしその後も同じような特徴のある人骨化石がヨーロッパの各地で発見され、19世紀末から20世紀初頭には、ネアンデルタール人類は現生人類以前の古い人類として認められた。そこで問題となったのは、彼らと現生人類の関係である。20世紀前半には、ネアンデルタール人類の完全に近い骨格化石がフランスのラ・シャペローサン、ラ・フェラシー、ラ・キーナその他ヨーロッパ各地から幾つも発見されて彼らの形質が明らかになったため、先駆的な研究が発表されている。ラ・シャペローサン出土の完全骨格を調査したフランスのM・ブールは1911年から13年にかけての論文で、ネアンデルタール人類は現生人類と類人猿との中間の特徴を持ち、曲がった下肢と前かがみの姿勢で歩く原始的な人類とした。当然、ホモ・サピエンスとは関係の無い、側枝に分かれて絶滅した種と考えたのである。また、脳は大きいが上下につぶれたように低いので知能も低く、野蛮で獣的であるとの説も広まった。
こうした説は、第2次世界大戦前後から徐々に覆される。1929年から33年にはイスラエルのカルメル山でネアンデルタール人類とホモ・サピエンスの中間的な形質のある化石人骨が次々に発見され、両者のつながりが暗示された。戦後にはブールが研究したラ・シャペローサン人の化石が再検討され、類人猿的とされた特徴は老年性の病変もしくは先入観による誤認であることが明らかとなって、ネアンデルタール人類は類人猿の特徴など無い完全な人類であると認められた。1953年から57年にかけてイラクのシャニダールで発掘されたネアンデルタール人類の遺体の一つは花を添えられて埋葬されたと考えられ、ネアンデルタール人類は現代人と変わらない精神構造をしていたと思われた。事実ネアンデルタール人はホモサピエンスとおなじように死んだ仲間を墓を作って葬った形跡のある化石人骨が見つかった。これはホモサピエンスとネアンデルタール人でしか見られない特徴である。こうして、ネアンデルタール人類は進化してホモ・サピエンス(現生ヨーロッパ人)になったとする説が主張されたのであり、彼らと同じ時代に生存していたアジアやアフリカの古代人類もネアンデルタール人類の一種で、後にアジア・アフリカの現生人類に進化したとされた。つまり、世界各地で旧人段階の古代人類が新人(現生人類)になったというもので「多地域進化説」と呼ばれる説である。特にカルメル山出土の化石は、ネアンデルタール人類が現生人類に進化した有力な証拠と考えられたのである。
一方で、1970年代から80年代にかけ、分子生物学が長足の進歩を遂げ、分子系統学が台頭してきた。それで人類の系統を探索した結果、現生人類はアフリカに起源を持ってそこから世界に拡散したものであり、ネアンデルタール人類は55万年から69万年前にホモ・サピエンスの祖先から分岐した別種で、現生人類とのつながりは無いという結果がもたらされた。カルメル山で発見された骨格は、(一部はネアンデルタール人類のものを含むが)実は初期のホモ・サピエンスであるため原始的すなわちネアンデルタール的に見えたのであり、彼らはネアンデルタール人類とは無関係の、現生人類の直系の祖先であるとされた。以降、このような「単一起源説」が主流である。
[編集] 特徴
典型的なネアンデルタール人類の骨格は、上記のラ・シャペローサンからほとんど完全な老年男性のものが発見されたほか、西アジアや旧ソ連圏からも良好な化石が出土している。それらに基づくネアンデルタール人類の特徴は次のようなものである。
- ネアンデルタール人の脳容量は現生人類より大きく、男性の平均が1600cm3あった(現代人男性の平均は1450cm3)。しかし、頭蓋骨の形状は異なる。脳頭蓋は上下につぶれた形状をし、前後に長く、額は後方に向かって傾斜している。また、後頭部に特徴的な膨らみ(ネアンデルタール人のシニョン)がある。
- 顔が大きく、特に上顔部が前方に突出して突顎である。鼻は鼻根部・先端部共に高くかつ幅広い。これらの形質に呼応して上顔部は現生人類のコーカソイドと同じか、さらに立体的(顔の彫が深い)である。顔が立体的か平面的(彫が浅い)かを調べる方法の一つとして「鼻頬角(びきょうかく)」があり、これは左右眼窩の外側縁と鼻根部を結ぶ直線がなす角度で、コーカソイドで136度から141度で立体的であり、モンゴロイドでは140度から150度で平面的であるが、ネアンデルタール人類では136.6度であるから、非常に彫の深い顔立ちであった。他に、眉の部分が張り出し、眼窩上隆起を形成している。また、頤(おとがい)の無い、大きく頑丈な下顎を持つ。
- 現生人類と比べ、喉の奥(上気道)が短い。このため、分節言語を発声する能力が低かった可能性が議論されている。
- 四肢骨は遠位部、すなわち腕であれば前腕、下肢であれば脛の部分が短く、しかも四肢全体が躯体部に比べて相対的に短く、いわゆる「胴長短脚」の体型で、これは彼らの生きていた時代の厳しい寒冷気候への適応であったとされる。
- 男性の身長は165cmほどで、体重は80kg以上と推定されている。骨格は非常に頑丈で骨格筋も発達していた。
- 成長のスピードが非常に速く、誕生から2、3年が成長のピークだった。ただし寿命、性的成熟に至る年齢などは、はっきりとしない。
以上のような相違点はあるものの、遠目には現生人類とあまり変わらない外見をしていたと考えられている。また、思春期に達して第二次性徴が現われるまではネアンデルタール人としての特徴はそれほど発現せず、特に女性の場合には(ネアンデルタール人類に限らず、現生人類を含む全ての進化段階で)形質の特殊化が弱いと考えると、我々現生人類、特にコーカソイドに似ていた可能性もあり得る。
かつて、ネアンデルタール人は、我々ホモ・サピエンスの祖先とする説があったが、遺骨から得られたDNAの解析から、我々の祖先ではなく、別系統の人類であることが明らかになった。また、ネアンデルタール人をホモ・サピエンスの一亜種であるホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス (Homo sapiens neanderthalensis) と分類される場合もある。しかしながら前述の相違点は、他の動物種ならば十分別種として認識されるだけのレベルのものであるため、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは別種とする考え方が有力である。
[編集] 文化
彼らの文化はムステリアン文化と呼ばれ、旧石器時代に属している。また、この項目で記されている内容は、ネアンデルタール人の生息年代や生息地域が広大であることからも分かるように、全ての時代・地域で共通してみられる文化であることを必ずしも意味しない。
ネアンデルタール人は、ルヴァロワ式と呼ばれる剥片をとる技術を主に利用して石器を制作していた。フランソワ・ボルドは石器を60種類ぐらいに分類しているが、実際の用途は非常に限られていて、狩猟用と動物解体用に分類できる。左右対称になるよう加工されたハンドアックス(握斧)や、木の棒の先にアスファルトで接着させ穂先とし、狩りに使用したと考えられている石器などが発見されている[1]。
洞窟を住居としていたと考えられることが多いのは、発掘が主に洞窟を中心に行われており、復元図がそれに準じているからである。洞窟からはネアンデルタール人の人骨だけでなく、哺乳類の骨が多く見つかっている。遺跡で見つかる骨が四肢に偏っているのは、狩猟の現場で解体し、大腿部などを選択的に持ち帰ったと考えられる。海岸近くの遺跡では食用にならない程小さな貝が見つかることもあり、これはベッドに用いられた海草についていたのではという説がある。また遺跡からは炉跡が多く見つかっており、火を積極的に利用していたと考えられているが、特定の場所を選択的に炉として利用していなかった。
生活の場と埋葬の場を分けるということをしていなかったようだが、ネアンデルタール人は、遺体を屈葬の形で埋葬していた。1951年から1965年にかけて、R・ソレッキーらはイラク北部のシャニダール洞窟で調査をしたが、ネアンデルタール人の化石とともに数種類の花粉が発見された。発見された花粉が現代当地において薬草として扱われていることから、「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を添える習慣があった」とされていた。しかしネアンデルタール人と現代人の直接的関係が否定されると、この解釈にも否定的見解が強くなった。
芸術や美術については確かな証拠がない。なお、切歯が大きく磨り減っていることから、動物の皮をなめしていて防寒用のコートを作るなど、服飾文化を持っていたとの仮説もあるが実証されていない。またフランスの遺跡からはシカやオオカミの歯を利用した、ペンダント状のものが発掘されているが用途は不明である。またショーヴェ洞窟の洞窟壁画を、その年代からネアンデルタール人の作品であるとし、最後期のネアンデルタールは芸術活動が行われていたと仮説する研究者がいるが、この説が広く同意を得るには至っていない。
この他、調理痕のある化石が発見され、また糞からネアンデルタール人のヘモグロビンが検出されたことから、ネアンデルタール人には共食いの風習があったと考えられている。一方で、反対意見として、北京原人の食人行為に見られるように「飢餓緊急時における行動」だけではなく、「儀礼的な意味でも食人を行っていた」とするものもあるが、具体的な根拠はまだ見つかっていない。
[編集] 進化と絶滅
ネアンデルタール人の最も古い化石は中部更新世から発見されており、シュタインハイム人・サッコパストーレ人・エーリングスドルフ人その他幾つかが知られている。これらは時代的には典型的な後期ネアンデルタール人より早い時代に出現したという意味で「早期ネアンデルタール人」と呼ばれる。時代が古いため、一面では原始的であり、脳容量が小さく、眼窩上隆起が発達するなどの特徴があるが、一方で後に出現したネアンデルタール人よりホモ・サピエンスに共通する特徴が多い。すなわち、頭骨は丸みを帯びて後期のネアンデルタール人より頭高が高く、額のふくらみも発達し、更に上顎骨には犬歯窩が存在する(犬歯窩はホモ・サピエンスになって初めて現れる形質)。このように、早期ネアンデルタール人は後期ネアンデルタール人よりも進化していたとさえ言える特徴があり、大きな謎とされていた。現在では、ネアンデルタール人は下部洪積世にホモ・サピエンスと分岐したとされているので、早期ネアンデルタール人の進歩的特長は、ホモ・サピエンスの祖先と分かれて間もない頃の、双方に共通する特徴が残っているものだと考えられる。また、彼らの化石は大部分が女性のものと思われるので、性差により進歩的に見えているとも、犬歯窩と見えるのは土圧による変形に過ぎないとする説もある。
ネアンデルタール人は2万数千年前に絶滅してしまった。絶滅の原因はよくわかっていない。クロマニョン人との暴力的衝突により絶滅したとする説、獲物が競合したことにより段階的に絶滅へ追いやられたとする説、ホモ・サピエンスと混血し急速にホモ・サピエンスに吸収されてしまったとする説など諸説ある。
1999年にポルトガルで、そして2003年にルーマニアで発見された化石の骨格が、新旧人双方の特徴を備えていたことから、新旧人の混血化を主張するグループが現われ、議論を呼んでいる。一方、ネアンデルタール人の化石から抽出されたミトコンドリアDNAの解析からは、新旧人の混血化には否定的な結果が得られている。 これに対して、ワシントン大のアラン・テンプルトンらは、従来のミトコンドリア遺伝子などの単一の部分だけを調査して決定づける方式ではなく、10か所の遺伝子を調査したところ、混血しているとの結果を導き出している。2006年現在、ネアンデルタール人全遺伝子を調査し、現代人と比較することでこれらの研究の検証作業が行われている。
従来、ネアンデルタール人は約3万年前に滅亡したと考えられていたが、2005年にイベリア半島南端のジブラルタルの沿岸の洞窟から、ネアンデルタール人が使っていた特徴のある石器類や、洞窟内で火を利用していた痕跡が見つかった。この遺跡は、放射性炭素による年代分析で2万8000-2万4000年前のものと推定された[2]。このことから、ネアンデルタール人は、少なくとも地中海沿岸からイベリア半島においては、しばらくの間生き残っていたと考えられる。これにより、「ネアンデルタール人は約3万年前に絶滅した」という説はわずかに修正されることになった。
このことはホモ・サピエンスとネアンデルタール人が長い間共存していたことを示すものでもある(ただし、このことがなくても、長期間の共存はもともと示されていた。その期間が数%ほど伸びただけである)。
[編集] 脚注
- ^ Boëda et al. (1999) A Levallois Point Embedded in the Vertebra of a Wild Ass (Equus Africanus) Hafting, Projectiles, and Mousterian Hunting Weapons. Antiquity, 73(280) :394-402
- ^ Brill, D. (2006) Neanderthal's last stand, news@nature.com, 13 septembre 2006.
[編集] 参考文献
- 『最後のネアンデルタール』別冊日経サイエンス127 ISBN 4-532-51127-5

