「バレーボール日本男子代表」の版間の差分
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[[バレーボールアジア選手権|アジア選手権]]で最多優勝7回を誇る日本男子は、アジアを代表する古豪チームでもある。 |
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[[1927年]]に[[日本バレーボール協会|大日本排球協會]]が設立し、[[1951年]]に[[国際バレーボール連盟]]へ加盟<ref>{{Cite web|url=http://www.fivb.org/EN/FIVB/Org_continentalConfAsia.htm|title=Asian Volleyball Confederation (AVC)|publisher=FIVB|accessdate=2010-06-30}}</ref>。 |
[[1927年]]に[[日本バレーボール協会|大日本排球協會]]が設立し、[[1951年]]に[[国際バレーボール連盟]]へ加盟<ref>{{Cite web|url=http://www.fivb.org/EN/FIVB/Org_continentalConfAsia.htm|title=Asian Volleyball Confederation (AVC)|publisher=FIVB|accessdate=2010-06-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100528025036/http://www.fivb.org/EN/FIVB/Org_continentalConfAsia.htm|archivedate=2010年5月28日|deadurldate=2017年9月}}</ref>。 |
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[[1960年バレーボール世界選手権|1960年世界選手権]](第4回大会)に初出場を果たすと、1960年代から1970年代にかけて世界の強豪国として活躍し、[[東京オリンピックにおけるバレーボール競技|1964年東京オリンピック]]で[[銅メダル]]、[[メキシコシティオリンピックにおけるバレーボール競技|1968年メキシコオリンピック]]で[[銀メダル]]を獲得した。東欧の強豪・東ドイツを破り、[[金メダル]]を獲得した[[ミュンヘンオリンピックにおけるバレーボール競技|1972年ミュンヘンオリンピック]]では、準決勝のブルガリア戦でセットカウント0-2からの逆転劇を演じ、当時「'''ミュンヘンの奇跡'''」と呼ばれた<ref>[ |
[[1960年バレーボール世界選手権|1960年世界選手権]](第4回大会)に初出場を果たすと、1960年代から1970年代にかけて世界の強豪国として活躍し、[[東京オリンピックにおけるバレーボール競技|1964年東京オリンピック]]で[[銅メダル]]、[[メキシコシティオリンピックにおけるバレーボール競技|1968年メキシコオリンピック]]で[[銀メダル]]を獲得した。東欧の強豪・東ドイツを破り、[[金メダル]]を獲得した[[ミュンヘンオリンピックにおけるバレーボール競技|1972年ミュンヘンオリンピック]]では、準決勝のブルガリア戦でセットカウント0-2からの逆転劇を演じ、当時「'''ミュンヘンの奇跡'''」と呼ばれた<ref>[https://web.archive.org/web/20130623034255/http://doraku.asahi.com/special/gorin/1972/volleyball.html あのときの五輪〜1972年ミュンヘン大会] - どらくスペシャル</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.japantopleague.jp/column/sportstory/sportstory_0108.html|title=「ミュンヘンの奇跡」 バレーボール・南将之|publisher=日本トップリーグ連携機構|date= |accessdate=2010-06-30}}</ref> |
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<ref>{{Cite web|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/volley/gc/2009/text/200911200011-spnavi.html|title=スーパーエース中垣内、ミュンヘンの奇跡・南将之ら、男子バレー名アタッカー列伝|publisher=スポーツナビ|date= |accessdate=2010-06-30}}</ref>{{Refnest|group="注"|当時、全日本のスターティングメンバーの平均身長は約190cmで、大会最長身だった<ref>{{Cite web|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/ballsports/news/20120105-OHT1T00227.htm|title=バレー界の巨人・松平康隆さん死去…五輪男子「ミュンヘンの奇跡」で金に導く|publisher=スポーツ報知|date=2012-01-06 |accessdate=2012-01-09}}</ref>。<ref>[http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/bitstream/iyokan/727/2/AA11433242_2010_7-04.pdf.txt 愛媛大学教育学部保健体育紀要第7号:31-38,2010 バレーボールワールドカップ2007男子における出場チームの特徴と試合結果に関する一考察]</ref>の考察によると、全日本男子チームの平均身長は、1963年=181.6 cm、1968年=187 cm、1976年=189.5 cm、2007年=192 cm。}}。 |
<ref>{{Cite web|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/volley/gc/2009/text/200911200011-spnavi.html|title=スーパーエース中垣内、ミュンヘンの奇跡・南将之ら、男子バレー名アタッカー列伝|publisher=スポーツナビ|date= |accessdate=2010-06-30}}</ref>{{Refnest|group="注"|当時、全日本のスターティングメンバーの平均身長は約190cmで、大会最長身だった<ref>{{Cite web|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/ballsports/news/20120105-OHT1T00227.htm|title=バレー界の巨人・松平康隆さん死去…五輪男子「ミュンヘンの奇跡」で金に導く|publisher=スポーツ報知|date=2012-01-06 |accessdate=2012-01-09}}</ref>。<ref>[http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/bitstream/iyokan/727/2/AA11433242_2010_7-04.pdf.txt 愛媛大学教育学部保健体育紀要第7号:31-38,2010 バレーボールワールドカップ2007男子における出場チームの特徴と試合結果に関する一考察]</ref>の考察によると、全日本男子チームの平均身長は、1963年=181.6 cm、1968年=187 cm、1976年=189.5 cm、2007年=192 cm。}}。 |
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翌年の[[2009年ワールドグランドチャンピオンズカップ]](グラチャンバレー)では[[1977年ワールドカップバレーボール|1977年ワールドカップ]]の銀メダル獲得以来、主要国際大会において32年ぶりとなる銅メダルを獲得したが、金メダルの[[バレーボールブラジル男子代表|ブラジル]]や銀メダルの[[バレーボールキューバ男子代表|キューバ]]にストレート負けを喫するなど課題も残した。[[2010年バレーボール男子世界選手権]]では2次リーグで敗退して前回の8位を下回る13位タイに終わった。翌年の[[2011年バレーボール・ワールドリーグ]]では1勝11敗の15位に終わったが[[福島第一原子力発電所事故]]の影響ですべてアウェーの試合だったことを考慮され、プレーオフ免除で2012年の出場が認められた。[[2011年バレーボール男子アジア選手権]]は5位に終わり、4大会ぶりにメダルを逃した。[[2011年ワールドカップバレーボール]]は開幕5連敗に始まり、[[バレーボールエジプト男子代表|エジプト]]と[[バレーボール中華人民共和国男子代表|中国]]に2勝したのみで過去最低タイの10位に終わり勝つチャンスをミスでフイにしてしまう勝負弱さを露呈した。[[ロンドンオリンピック (2012年) バレーボール世界最終予選|ロンドン五輪最終予選]]では昨年のW杯の惨敗を受けてサーブやブロックの強化を図り、その成果は所々で現れてはいたが大事なところで勝ち点を取りこぼし最終戦直前に[[バレーボールオーストラリア男子代表|オーストラリア]]がアジア枠で出場権を獲得したため、日本の敗退が確定して消化試合となった[[バレーボールイラン男子代表|イラン]]戦もストレート負けに終わった。 |
翌年の[[2009年ワールドグランドチャンピオンズカップ]](グラチャンバレー)では[[1977年ワールドカップバレーボール|1977年ワールドカップ]]の銀メダル獲得以来、主要国際大会において32年ぶりとなる銅メダルを獲得したが、金メダルの[[バレーボールブラジル男子代表|ブラジル]]や銀メダルの[[バレーボールキューバ男子代表|キューバ]]にストレート負けを喫するなど課題も残した。[[2010年バレーボール男子世界選手権]]では2次リーグで敗退して前回の8位を下回る13位タイに終わった。翌年の[[2011年バレーボール・ワールドリーグ]]では1勝11敗の15位に終わったが[[福島第一原子力発電所事故]]の影響ですべてアウェーの試合だったことを考慮され、プレーオフ免除で2012年の出場が認められた。[[2011年バレーボール男子アジア選手権]]は5位に終わり、4大会ぶりにメダルを逃した。[[2011年ワールドカップバレーボール]]は開幕5連敗に始まり、[[バレーボールエジプト男子代表|エジプト]]と[[バレーボール中華人民共和国男子代表|中国]]に2勝したのみで過去最低タイの10位に終わり勝つチャンスをミスでフイにしてしまう勝負弱さを露呈した。[[ロンドンオリンピック (2012年) バレーボール世界最終予選|ロンドン五輪最終予選]]では昨年のW杯の惨敗を受けてサーブやブロックの強化を図り、その成果は所々で現れてはいたが大事なところで勝ち点を取りこぼし最終戦直前に[[バレーボールオーストラリア男子代表|オーストラリア]]がアジア枠で出場権を獲得したため、日本の敗退が確定して消化試合となった[[バレーボールイラン男子代表|イラン]]戦もストレート負けに終わった。 |
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[[2013年]]より初の外国人監督としてかつてアメリカ代表のコーチを務めた[[ゲーリー・サトウ]]({{USA}})が就任した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20130218-OYT1T00982.htm?from=main8 バレーボール全日本男子、新監督に初の外国人] 読売新聞 2013年2月18日閲覧</ref><ref>[http://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/p-sp-tp0-130219-0013.html バレー男子初外国人監督 ボーナスも破格(日刊スポーツ) - goo ニュース]</ref>。だが、成績不振のため辞任し[[2014年]]2月5日付で[[南部正司]]が新監督に就任したことが発表された<ref>[http://www.jva.or.jp/news/20140206-1.html 全日本男子チーム監督交代を決定 新監督には南部正司氏が就任 - 日本バレーボール協会 2014年02月06日]</ref>。南部監督は[[2015年]]4月、[[石川祐希]]、[[柳田将洋]]、[[高橋健太郎 (バレーボール)|高橋健太郎]]、[[山内晶大]]の若手4選手を次世代の日本代表のリーダー候補として「NEXT(ネクスト)4」と命名すると発表した<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/news/1464692.html 男子バレー石川ら「NEXT4」結成] 日刊スポーツ 2015年4月21日</ref>。彼らをキャラクター化したコメディタッチのミニアニメ『[[ガンバレー部NEXT!]]』も同年、フジテレビで放送された。「NEXT4」らが出場した9月の[[2015年ワールドカップバレーボール|ワールドカップ]]の男子大会は徐々に観客数が増え、顕著には視聴率には直結しなかったものの<ref>[ |
[[2013年]]より初の外国人監督としてかつてアメリカ代表のコーチを務めた[[ゲーリー・サトウ]]({{USA}})が就任した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20130218-OYT1T00982.htm?from=main8 バレーボール全日本男子、新監督に初の外国人] 読売新聞 2013年2月18日閲覧</ref><ref>[http://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/p-sp-tp0-130219-0013.html バレー男子初外国人監督 ボーナスも破格(日刊スポーツ) - goo ニュース]</ref>。だが、成績不振のため辞任し[[2014年]]2月5日付で[[南部正司]]が新監督に就任したことが発表された<ref>[http://www.jva.or.jp/news/20140206-1.html 全日本男子チーム監督交代を決定 新監督には南部正司氏が就任 - 日本バレーボール協会 2014年02月06日]</ref>。南部監督は[[2015年]]4月、[[石川祐希]]、[[柳田将洋]]、[[高橋健太郎 (バレーボール)|高橋健太郎]]、[[山内晶大]]の若手4選手を次世代の日本代表のリーダー候補として「NEXT(ネクスト)4」と命名すると発表した<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/news/1464692.html 男子バレー石川ら「NEXT4」結成] 日刊スポーツ 2015年4月21日</ref>。彼らをキャラクター化したコメディタッチのミニアニメ『[[ガンバレー部NEXT!]]』も同年、フジテレビで放送された。「NEXT4」らが出場した9月の[[2015年ワールドカップバレーボール|ワールドカップ]]の男子大会は徐々に観客数が増え、顕著には視聴率には直結しなかったものの<ref>[https://web.archive.org/web/20150927032111/http://www.videor.co.jp/data/ratedata/top10.htm VOL.37 2015年9月7日(月) ~ 9月13日(日)] 週間高世帯視聴率番組10(最新) | ビデオリサーチ</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20150928004845/http://www.videor.co.jp/data/ratedata/top10.htm VOL.38 2015年9月14日(月) ~ 9月20日(日)] 週間高世帯視聴率番組10(最新) | ビデオリサーチ</ref>中盤からは会場(Aサイト)が連日満員となった<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/824163 男子バレー代表、まさかの会場満員!?若いエースと爽快な試合が面白い。] - Number Web</ref><ref>[http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/2015/09/18/post_469/ 「空席」から「完売」へ。石川効果で盛り上がる男子バレー!] - スポルティーバ 公式サイト</ref>。しかし、翌年の2016年6月の[[リオデジャネイロオリンピックバレーボール競技 男子世界最終予選兼アジア予選|リオデジャネイロ五輪最終予選]]では、4敗した5日目の時点で日本の五輪出場の夢が絶たれた。試合中に両エース柳田・石川の負傷発生もあった<ref>[http://www.sankei.com/sports/news/160601/spo1606010031-n1.html 日本、五輪遠のく痛恨の黒星 柳田負傷で石川の負担重く] - 産経ニュース(奥村信哉)、2016年6月1日</ref><ref>[http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00326549.html リオ五輪バレー世界最終予選男子 日本 0 - 3 オーストラリア] - FNN、2014年6月3日</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/sports/news/1657309.html 石川「自分が決めないと」右足首痛め途中で退く] - 日刊スポーツ、2016年6月3日</ref>。 |
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=== 呼称について === |
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* [[北京オリンピックにおけるバレーボール競技|2008年]] - 11位 |
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* [[ロンドンオリンピック (2012年) におけるバレーボール競技|2012年]] - [[ロンドンオリンピック (2012年) バレーボール世界最終予選|最終予選]]敗退<ref>[https://web.archive.org/web/20120606002917/http://worldvolleyball.jp/results/japan/game_m.html 日本の試合結果|2012ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選]</ref> |
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* [[リオデジャネイロオリンピックにおけるバレーボール競技|2016年]] - [[リオデジャネイロオリンピックバレーボール競技 男子世界最終予選兼アジア予選|最終予選]]敗退 |
* [[リオデジャネイロオリンピックにおけるバレーボール競技|2016年]] - [[リオデジャネイロオリンピックバレーボール競技 男子世界最終予選兼アジア予選|最終予選]]敗退 |
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2017年9月16日 (土) 22:33時点における版
バレーボール日本男子代表 | |
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国または地域 | 日本 |
大陸連盟 | アジアバレーボール連盟 |
協会 | 日本バレーボール協会 |
監督 | 中垣内祐一 |
国名コード | JPN (Japan) |
FIVBランキング | 12位(2017年7月版)[1] |
オリンピック | |
出場回数 | 8回 |
初出場 | 1964 東京 |
最高成績 | 金メダル(1972) |
世界選手権 | |
出場回数 | 14回 |
初出場 | 1960 世界選手権 |
最高成績 | 銅メダル(1970、1974) |
ワールドカップ | |
出場回数 | 12回 |
初出場 | 1965 ワールドカップ |
最高成績 | 準優勝(1969、1977) |
アジア選手権 | |
出場回数 | 16回 |
最高成績 | 優勝(1975、1983、1987、1991、1995、2005、2009、2015) |
バレーボール全日本男子(バレーボールぜんにほんだんし)は、国際大会で編成される、日本の男子バレーボールのナショナルチームである。
日本バレーボール協会での正式名称は、全日本男子バレーボールチーム。日本国内では、全日本男子、全日本と単に略称する場合もある。
歴史
アジア選手権で最多優勝7回を誇る日本男子は、アジアを代表する古豪チームでもある。
1927年に大日本排球協會が設立し、1951年に国際バレーボール連盟へ加盟[2]。 1960年世界選手権(第4回大会)に初出場を果たすと、1960年代から1970年代にかけて世界の強豪国として活躍し、1964年東京オリンピックで銅メダル、1968年メキシコオリンピックで銀メダルを獲得した。東欧の強豪・東ドイツを破り、金メダルを獲得した1972年ミュンヘンオリンピックでは、準決勝のブルガリア戦でセットカウント0-2からの逆転劇を演じ、当時「ミュンヘンの奇跡」と呼ばれた[3][4] [5][注 1]。
その後、1980年代(川合俊一・熊田康則・井上謙らのブームはあったものの[8])から2000年代にかけて長い低迷の時期を迎えた。1992年バルセロナオリンピック以降、3大会連続でオリンピック出場権を失っていたが、北京オリンピック世界最終予選において、16年ぶりのオリンピック出場を決めた。だが、2008年北京オリンピックでは5戦全敗で1次リーグで敗退、11位タイという結果に終わった。オリンピックで1勝もできなかったのはこれが初めてであった。
翌年の2009年ワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャンバレー)では1977年ワールドカップの銀メダル獲得以来、主要国際大会において32年ぶりとなる銅メダルを獲得したが、金メダルのブラジルや銀メダルのキューバにストレート負けを喫するなど課題も残した。2010年バレーボール男子世界選手権では2次リーグで敗退して前回の8位を下回る13位タイに終わった。翌年の2011年バレーボール・ワールドリーグでは1勝11敗の15位に終わったが福島第一原子力発電所事故の影響ですべてアウェーの試合だったことを考慮され、プレーオフ免除で2012年の出場が認められた。2011年バレーボール男子アジア選手権は5位に終わり、4大会ぶりにメダルを逃した。2011年ワールドカップバレーボールは開幕5連敗に始まり、エジプトと中国に2勝したのみで過去最低タイの10位に終わり勝つチャンスをミスでフイにしてしまう勝負弱さを露呈した。ロンドン五輪最終予選では昨年のW杯の惨敗を受けてサーブやブロックの強化を図り、その成果は所々で現れてはいたが大事なところで勝ち点を取りこぼし最終戦直前にオーストラリアがアジア枠で出場権を獲得したため、日本の敗退が確定して消化試合となったイラン戦もストレート負けに終わった。
2013年より初の外国人監督としてかつてアメリカ代表のコーチを務めたゲーリー・サトウ( アメリカ合衆国)が就任した[9][10]。だが、成績不振のため辞任し2014年2月5日付で南部正司が新監督に就任したことが発表された[11]。南部監督は2015年4月、石川祐希、柳田将洋、高橋健太郎、山内晶大の若手4選手を次世代の日本代表のリーダー候補として「NEXT(ネクスト)4」と命名すると発表した[12]。彼らをキャラクター化したコメディタッチのミニアニメ『ガンバレー部NEXT!』も同年、フジテレビで放送された。「NEXT4」らが出場した9月のワールドカップの男子大会は徐々に観客数が増え、顕著には視聴率には直結しなかったものの[13][14]中盤からは会場(Aサイト)が連日満員となった[15][16]。しかし、翌年の2016年6月のリオデジャネイロ五輪最終予選では、4敗した5日目の時点で日本の五輪出場の夢が絶たれた。試合中に両エース柳田・石川の負傷発生もあった[17][18][19]。
呼称について
かつては競技スポーツ全般において、日本のナショナルチームを「全日本」と呼ぶことが通例であったが、現在では他の競技ではこの呼称は使われなくなってきており、バレーボールに関しても報道機関によっては「日本代表」と呼称している場合がある。しかしながら、日本バレーボール協会では一貫して「全日本」「全日本チーム」という呼称を使用している。
日本バレーボール協会は「監督名+ジャパン」のような(例: 「植田ジャパン」)メディアからの番組放送上の呼称発信ではなく、協会が自らキャッチフレーズを提唱することを決定している。2009年3月から4月にかけてチームの愛称を公募した。2009年6月、一般公募の中から協会での選考の結果、チームの愛称を「龍神NIPPON」とすることを表明した[20][21]。のちに龍をモチーフにした、キッズバージョンのキャラクター「龍神くん」も登場した[22][23](女子は「火の鳥ちゃん」[24])。
ユニフォーム
女子に遅れること6年、男子も2009年のグラチャンバレーから、ノースリーブ型を採用した[25]。
東日本大震災が発生した2011年、ワールドカップで着用したユニフォームのデザインテーマはTSUBASA(ツバサ)[26]。左胸(日の丸の上部)に、こころはひとつと、女子同様に縫いつけられた[注 2][注 3]。
2013年[27]、ユニフォームが半袖に変わった(戻った)。黒い長袖のアンダーシャツを着用する選手も数名出てきた[28]。
サプライヤーのアシックスは、2020年東京五輪に向けて「Star cluster(星団)」をコンセプトに定め、2017年は「Light emission(発光)」をテーマにフラッシュイエローの新色を採用した(他の2パターンは従来通り赤と白で、黒は休止)[29]。
過去の成績
オリンピックの成績
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世界選手権の成績
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ワールドカップの成績
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アジア選手権の成績
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ワールドリーグの成績
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現在の代表
バレーボールの ポジション |
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- 過去の代表は「日本男子バレーボール代表選手の一覧」を参照。
2017年度の代表登録メンバー [1] は下記の通り。背番号は2017年ワールドグランドチャンピオンズカップの番号。(*:出場選手14名)
監督 | 中垣内祐一 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
コーチ・監督代行 | フィリップ・ブラン | |||||
コーチ | 津曲勝利 |
No | 選手名 | シャツネーム | 身長 | 所属 | P | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 大竹壱青 | OTAKE | 201cm | 中央大学 | OP | * |
2 | 深津英臣 | H.FUKATSU | 180cm | パナソニック・パンサーズ | S | * |
3 | 藤井直伸 | FUJII | 183cm | 東レ・アローズ | S | * |
4 | 鶴田大樹 | TSURUDA | 177cm | サントリーサンバーズ | L | |
5 | 米山裕太 | YONEYAMA | 185cm | 東レ・アローズ | WS | |
6 | 山内晶大 | YAMAUCHI | 204cm | パナソニック・パンサーズ | MB | * |
7 | 出耒田敬 | DEKITA | 200cm | 堺ブレイザーズ | OP | * |
8 | 柳田将洋 | YANAGIDA | 186cm | TVインガーソル・ビュール | WS | * |
9 | 井手智 | IDE | 174cm | 東レ・アローズ | L | * |
10 | 山田脩造 | YAMADA | 193cm | 豊田合成トレフェルサ | WS | * |
11 | 高野直哉 | TAKANO | 190cm | 堺ブレイザーズ | WS | |
12 | 山本将平 | 187cm | JTサンダーズ | WS | * ※ | |
13 | 久原翼 | 189cm | パナソニック・パンサーズ | WS | ||
14 | 石川祐希 | ISHIKAWA | 192cm | 中央大学 | WS | * |
15 | 李博 | LEE | 194cm | 東レ・アローズ | MB | * |
16 | 高橋健太郎 | TAKAHASHI | 202cm | 東レ・アローズ | MB | * |
17 | 関田誠大 | SEKITA | 177cm | パナソニック・パンサーズ | S | |
18 | 小野寺太志 | ONODERA | 201cm | 東海大学 | WS | * |
19 | 浅野博亮 | ASANO | 178cm | ジェイテクトSTINGS | L | * |
20 | 古賀太一郎 | KOGA | 170cm | 豊田合成トレフェルサ | L | |
栗山雅史 | KURIYAMA | 190cm | サントリーサンバーズ | OP | ||
高松卓矢 | TAKAMATSU | 186cm | 豊田合成トレフェルサ | WS | ||
鈴木悠二 | SUZUKI | 190cm | 東レ・アローズ | WS | ||
深津旭弘 | 183cm | JTサンダーズ | S | |||
清水邦広 | 193cm | パナソニック・パンサーズ | OP | |||
小川猛 | 193cm | サントリーサンバーズ | OP | |||
鈴木祐貴 | 201cm | 東海大学 | WS | |||
新井雄大 | 188cm | 東海大学 | WS | |||
富松崇彰 | 192cm | 東レ・アローズ | MB | |||
傳田亮太 | 191cm | 豊田合成トレフェルサ | MB |
※印は追加登録選手
歴代の監督一覧
名前 | 国籍 | 就任時の所属 | 在任期間 |
---|---|---|---|
多田徳雄注1 | 1923年、1925年、1927年、1930年 | ||
前田豊注2 | 1954年 | ||
長崎重芳注3 | 1955年、1958年、1960年、1962年 | ||
和田助則注4 | 1955年 | ||
坂上光男注5 | 中京女子大学 | 1957年、1958年、1961 - 1964年 | |
松平康隆 | NKK | 1965 - 1972年 | |
小山勉 | 富士フイルム | 1973 - 1976年 | |
中村祐造 | 新日鐵 | 1977 - 1980年 | |
中野尚弘 | 長崎中野蒲鉾店 | 1980 - 1984年 | |
斎藤勝 | 東海大学 | 1984 - 1986年 | |
小山勉 (再) | 富士フイルム | 1986 - 1988年 | |
南将之 | 旭化成 | 1989 - 1990年 | |
大古誠司 | サントリー | 1991 - 1995年 | |
辻合真一郎 | 新日鐵 | 1996年 | |
寺廻太 | NEC | 1997 - 2000年 | |
田中幹保 | 堺ブレイザーズ | 2001 - 2004年 | |
植田辰哉注6 | 新日鐵 | 2005 - 2013年 | |
ゲーリー・サトウ | アメリカ合衆国 | 2013 - 2014年 | |
南部正司 | パナソニック | 2014 - 2016年 | |
中垣内祐一注7 | 堺ブレイザーズ | 2017年[32][33] |
- 注 戦前は単発的にあった極東選手権競技大会と、日満華競技大会などが開催された時のみ全日本チームが結成された。1923年以前の極東選手権に参加したバレーボールチームは、YMCAのメンバーに陸上競技などの選手を借りてきて編成した。
- 注1 1923年、1925年、1927年極東選手権競技大会(神戸高商単独チーム、23、25年は12人制、27年以降は9人制)、1930年極東選手権(神戸高商+広島二中OB)
- 注2 1954年香港遠征(9人制)
- 注3 1955年アジア選手権(9人制)、1958年東京アジア競技大会(6人制)、1960年世界選手権(6人制)、1962年アジア競技大会(6人制、9人制)
- 注4 1955年アジア選手権(6人制)
- 注5 1957年モスクワ世界青年友好大会(6人制)、1958年東京アジア競技大会(9人制)、1961年ヨーロッパ遠征(6人制)、1962年-1964年(6人制)
- 注6 2012年に協会に辞表提出するも受理されず、2013年3月末までの契約期間中は補佐的な立場で残ることとなった。2013年バレーボール・ワールドリーグ予選(2012年9月)では、コーチ職だった諸隈直樹(所属:キャリアスポーツ)が監督代行となった。
- 注7 2017年の初めは、コーチ職のフィリップ・ブランが監督代行。
歴代の主な主将
※は後に全日本男子監督に就任
- 1960-1970年代
丸谷統男、出町豊、小山勉※、池田尚弘※、南将之※、中村祐造※、猫田勝敏、嶋岡健治
- 1980年代
- 1990年代
米山一朋、植田辰哉※、松田明彦、中垣内祐一、荻野正二、竹内実
- 2000年代
泉川正幸、加藤陽一、小林敦、荻野正二 (再)、宇佐美大輔注1
- 2010年代
- 注1 2010年世界選手権では、両足首手術のため不参加だった宇佐美の代わりに、山村が主将を務めた。
- 注2 2013年グラチャンバレーの第4戦(イタリア戦)では、山村がベンチメンバー12人から外れたため、越川がキャプテンマークが付いた17番のユニフォームで試合に臨んだ[34]。
- 注3 2015年のワールドリーグ等で阿部がベンチメンバーから外れた際は、清水がキャプテンマークが付いた1番のユニフォームで試合に臨んだ。その後、2015年のワールドカップより、正式に阿部から清水にキャプテンを引き継いだ。
脚註
注
出典
- ^ “FIVB Senior World Ranking - Men”. FIVB. 2017年8月22日閲覧。
- ^ “Asian Volleyball Confederation (AVC)”. FIVB. 2010年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月30日閲覧。
- ^ あのときの五輪〜1972年ミュンヘン大会 - どらくスペシャル
- ^ “「ミュンヘンの奇跡」 バレーボール・南将之”. 日本トップリーグ連携機構. 2010年6月30日閲覧。
- ^ “スーパーエース中垣内、ミュンヘンの奇跡・南将之ら、男子バレー名アタッカー列伝”. スポーツナビ. 2010年6月30日閲覧。
- ^ “バレー界の巨人・松平康隆さん死去…五輪男子「ミュンヘンの奇跡」で金に導く”. スポーツ報知 (2012年1月6日). 2012年1月9日閲覧。
- ^ 愛媛大学教育学部保健体育紀要第7号:31-38,2010 バレーボールワールドカップ2007男子における出場チームの特徴と試合結果に関する一考察
- ^ “モテ男”川合、ガイチら、男子バレーのイケメンを紹介 - スポーツナビ
- ^ バレーボール全日本男子、新監督に初の外国人 読売新聞 2013年2月18日閲覧
- ^ バレー男子初外国人監督 ボーナスも破格(日刊スポーツ) - goo ニュース
- ^ 全日本男子チーム監督交代を決定 新監督には南部正司氏が就任 - 日本バレーボール協会 2014年02月06日
- ^ 男子バレー石川ら「NEXT4」結成 日刊スポーツ 2015年4月21日
- ^ VOL.37 2015年9月7日(月) ~ 9月13日(日) 週間高世帯視聴率番組10(最新) | ビデオリサーチ
- ^ VOL.38 2015年9月14日(月) ~ 9月20日(日) 週間高世帯視聴率番組10(最新) | ビデオリサーチ
- ^ 男子バレー代表、まさかの会場満員!?若いエースと爽快な試合が面白い。 - Number Web
- ^ 「空席」から「完売」へ。石川効果で盛り上がる男子バレー! - スポルティーバ 公式サイト
- ^ 日本、五輪遠のく痛恨の黒星 柳田負傷で石川の負担重く - 産経ニュース(奥村信哉)、2016年6月1日
- ^ リオ五輪バレー世界最終予選男子 日本 0 - 3 オーストラリア - FNN、2014年6月3日
- ^ 石川「自分が決めないと」右足首痛め途中で退く - 日刊スポーツ、2016年6月3日
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- ^ “龍神NIPPON”. 日本バレーボール協会. 2010年8月7日閲覧。
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- ^ 火の鳥NIPPON・龍神NIPPON 選手キャラクターシール バレーボールステーション
- ^ 新戦術「Hybrid6」でロシアに勝利し白星スタート! FIVBワールドグランプリ2014ファイナル東京大会 日本バレーボール協会
- ^ “全日本男子チーム・龍神NIPPON 新ユニフォーム発表”. 日本バレーボール協会 (2009年11月13日). 2010年11月18日閲覧。“全日本男子ユニフォーム”. 日本バレーボール協会 (2009年11月13日). 2010年11月18日閲覧。
- ^ プレスリリース-アシックス・企業情報トップ 平成23年10月20日
- ^ “FIVBワールドリーグ2013開幕! ゲーリー・サトウ新監督の初陣は黒星”. 日本バレーボール協会 (20013-06-01). 2014年2月7日閲覧。
- ^ 龍神NIPPON、ベネズエラに勝利し白星スタート! 2016リオデジャネイロオリンピック世界最終予選兼アジア大陸予選大会 - 日本バレーボール協会、2016年5月28日
- ^ 全日本男子バレーボールチームの試合用ユニホームについて - アシックス、平成29年5月15日
- ^ オリンピック出場の歴史 - NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会
- ^ 日本の試合結果|2012ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選
- ^ 全日本バレーボールチーム 男子・中垣内祐一監督、女子・中田久美監督の就任が内定 - JVA、2016年10月25日
- ^ 龍神NIPPON・中垣内祐一新監督、火の鳥NIPPON・中田久美新監督が所信表明 全日本男女チーム新監督就任内定記者会見を開催 - JVA、2016年10月26日
- ^ MSN産経ニュース. “【バレー】”. 2013年11月24日閲覧。
関連書籍
- 『復活 all for victory 全日本男子バレーボールチームの挑戦』 市川忍 角川グループパブリッシング (2008/4/2)
関連項目
- バレーボール全日本女子
- 日本男子バレーボール代表選手の一覧
- 日本のバレーボール
- アニメドキュメント ミュンヘンへの道 - ミュンヘンオリンピック時の代表を実写とアニメで描いた作品。