広島県立広島観音高等学校

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広島県立広島観音高等学校
Kanon High School 20140323.JPG
過去の名称 廣島縣立廣島第二中學校
広島県芸陽高等学校
広島県広島観音高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 広島県の旗 広島県
校訓 平安の裡に奮闘あり
自由の境に秩序あり
和気靄然たる間に節制規律あり
設立年月日 1922年
開校記念日 5月9日
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 総合学科(全日制)
普通科(定時制)
学期 3学期制
高校コード 34101A
所在地 733-0034
広島県広島市西区南観音町4-10
外部リンク 公式サイト
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広島県立広島観音高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまかんおんこうとうがっこう)は、広島県広島市西区南観音町にある県立の高等学校。全日制課程・定時制課程を有している。

概要[編集]

歴史
1922年大正11年)に開校した「広島県立広島第二中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年昭和23年)の学制改革により、新制高等学校「広島県芸陽高等学校」となり、翌1949年(昭和24年)「広島県広島観音高等学校」に改称、1968年(昭和43年)に現校名「広島県立広島観音高等学校」となった。高等学校発足時より全日制課程と定時制課程を有している。全日制課程は当初普通科・家庭科・商業科の3科体制で始まり、1965年(昭和40年)に普通科1科のみとなる。1998年(平成10年)には学科改編により総合学科を設置し、現在に至る。2012年平成24年)に創立90周年を迎えた。
設置課程・学科
校訓
  • 平安の裡に奮闘あり
  • 自由の境に秩序あり
  • 和気靄然たる間に節制規律あり
校章
1949年(昭和24年)に制定。旧制中学校以来のシンボルツリーであるポプラ4枚を背景にして、中央に校名の広島(Hiroshima)の頭文字「H」と観音寺(Kanonji)の頭文字「K」を置いている。
校歌
1950年(昭和25年)に制定。作詞は小川二郎(広島大学教授)、作曲は升田徳一(卒業生)による。歌詞は4番まであり、校名は登場しない。
同窓会
「芸陽観音同窓会」と称している。旧制広島第二中学校・旧・芸陽高等学校・観音高等学校卒業生を会員とする。
制服
男女ともに冬服はブレザーネクタイ着用。

沿革[編集]

1930年ごろの広島市の地図。左側に第二中学が確認できる。
画像外部リンク
アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。
Hiroshima aerial A33851945年9月撮影。手前が天満川および観音橋、奥が福島川および西大橋。写真中央上が第二中学校(現在の観音高校)。
旧制中学校(男子校)時代
  • 1921年(大正10年)9月22日 - 広島県立広島第二中学校の設置が認可される。
  • 1922年(大正11年)
  • 1923年(大正12年)4月 - 観音町(現・広島市立観音小学校所在地)の新校舎に移転。
  • 1924年(大正13年)4月 - 寄宿舎が完成。
  • 1926年(昭和2年)3月2日 - 第1回卒業式を挙行。
  • 1933年(昭和8年)9月23日 - プール(50m)が完成。
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月6日 - 原子爆弾により、校舎が倒壊し全焼。職員7名と生徒343名が犠牲になる[2]
    • 9月 - 校舎の倒壊・全焼を受け、可部廿日市海田の3ヶ所に分教場を開設し、授業を再開。
  • 1946年(昭和21年)11月3日 - 復興校舎が完成し、3分教場から本校に復帰する。
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月 - 旧制中学校の募集を停止。
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校を併設(以下・併設中学校[3])。
      • 同年3月時点で旧制中学校の1・2年生だった生徒を新制中学校2・3年生として収容。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月 - 旧制中学校最後の卒業式および併設中学校第1回卒業式を挙行。
    • 3月31日 - 旧制・広島県立広島第二中学校が廃止される。併設中学校は新制高等学校に継承される。
新制高等学校(現在)
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、新制高等学校が発足。
    • 5月3日 -「広島県芸陽高等学校」(げいよう)が開校。全日制普通課程18学級・定時制(昼間部)普通課程4学級・併設中学校から成る。
      • 併設中学校卒業生を新制高校1年生、同年3月時点で旧制中学校の4年生だった生徒を2年生、旧制中学校卒業生(希望者)を3年生として収容。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月 - 併設中学校第二回卒業式を挙行。
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止。
    • 4月30日 - 広島県広島商業高等学校を商業科として統合[4]し「広島県広島観音高等学校」に改称。通常課程(普通科・家庭科・商業科)と定時制課程(普通科)を設置。
    • 5月9日 - 開校式を挙行。この日をもって開校記念日とする。
    • 5月29日 - 新校章(現校章)を制定。
  • 1950年(昭和25年)
    • 3月1日 - 新制高等学校第1回卒業式を挙行。
    • 3月19日 - 現在地に移転
    • 7月24日 - 西校舎(普通教室・和裁・洋裁・洗濯・調理・作法室)が完成。
    • 12月21日 - 校歌を制定。
  • 1953年(昭和28年)4月13日 - 中校舎が完成。
  • 1954年(昭和29年)9月1日 - この時の商業科(1年生のみ)を新設の広島県広島商業高等学校に移管[5]。商業科2・3年は存続。
  • 1955年(昭和30年)3月 - 商業科の募集を停止。
  • 1956年(昭和31年)
    • 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、商業科の課程を廃止。
    • 3月 - 広島市内5校(県立3校(観音・国泰寺皆実)+市立2校(基町舟入))での総合選抜制度を開始。
  • 1958年(昭和33年)
  • 1962年(昭和37年)10月5日 - 創立40周年を記念して芸陽観音同窓会館が完成。(1967年(昭和37年)10月に増築。)
  • 1963年(昭和38年)3月 - 家政科の募集を停止し、その代わりに普通科の中に甲型(家庭科コース)を設置し、募集を開始。
  • 1964年(昭和39年)5月28日 - 旧校地の広島市立観音小学校からクスノキ・ポプラ数本が移植される。
  • 1965年(昭和40年)3月31日 - 家政科を廃止。
  • 1967年(昭和42年)2月13日 - 本館が完成。
  • 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立広島観音高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」を加える)。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 普通科甲型(家庭科コース)の募集を停止。
  • 1973年(昭和48年)5月8日 - 北校舎が完成。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - 寄宿舎(清風寮)を廃止。
  • 1978年(昭和53年)4月 - 新設の井口高校を加え、広島市内6校での総合選抜制度を実施。
  • 1979年(昭和54年)8月31日 - 中校舎を新築。
  • 1981年(昭和56年)7月31日 - 体育館兼講堂を新築。旧体育館兼講堂を格技場に改修。
  • 1983年(昭和58年)3月25日 - 新プールが完成。
  • 1991年(平成3年)3月 - 広島県学区改編により、第四学区西部3校(観音・井口・舟入)での総合選抜を開始。
  • 1992年(平成4年)9月 - 格技場が完成。
  • 1993年(平成5年)3月31日 - 本館リフレッシュ工事が完了。
  • 1995年(平成7年)
  • 1997年(平成9年)3月 - この時の入試を最後に、総合選抜を廃止。
  • 1998年(平成10年)
    • 3月 - 全日制課程普通科の募集を停止。単独選抜を開始。
    • 4月1日 - 全日制課程普通科を総合学科に改編。
    • 11月13日 - イギリスの旗イギリスワーウィックシャーカレッジとの姉妹校を締結。
  • 1999年(平成11年)7月23日 - 英国語学研修を開始。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月20日 - 総合学科棟(西館)が完成。
    • 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、全日制課程普通科を廃止。
  • 2001年(平成13年)3月25日 - 北館リフレッシュ工事が完了。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 北館リフレッシュ工事が完了。
  • 2010年(平成22年)5月 - 新築本館が完成。
  • 2011年(平成23年)7月29日 - 中館耐震改修及び内外リフレッシュ工事完成。
  • 2013年(平成25年)3月31日 - 部室改築工事完成。

学校行事[編集]

3学期制

全日制課程
1学期
  • 4月 - 始業式・新任式、入学式、離退任式、課題考査、対面式、生徒総会
  • 5月 - 中間考査、遠足、PTA総会、広島県高等学校総合体育大会(以下、県総体)壮行会
  • 6月 - 観音祭(文化祭)、県総体
  • 7月 - 期末考査、避難訓練、クラスマッチ(球技大会)、終業式、オープンスクール
  • 8月 - 広島原爆の日(6日)二中慰霊祭
2学期
  • 8月末 - 始業式、課題考査
  • 9月 - 体育祭
  • 10月 - 中間考査、修学旅行
  • 11月 - 学校へ行こう週間、避難訓練
  • 12月 - 期末考査、生徒会長選挙、終業式
3学期
  • 1月 - 始業式、3年学年末考査
  • 2月 - 高校入試、同窓会入会式、3年同窓会入会式
  • 3月 - 卒業式、1・2年学年末考査、クラスマッチ(球技大会)、終業式

部活動[編集]

全日制課程
運動部
文化部
定時制課程
運動部
  • バレーボール部
  • バスケットボール部
  • 卓球部
  • サッカー部
  • 陸上競技部
  • バドミントン部
文化部
  • 読書部
  • アニメ・イラスト・ペン字部
  • 人権問題研究部
  • 陶芸部

広島二中排球部[編集]

畑喜美夫が就任して以降サッカー部の活躍が目覚しいが、観音高校は戦前、広島二中時代にバレーボールの先達として極めて大きな足跡を残している。日本のバレーボールの草分け・神戸高等商業学校(現神戸大学)から昭和3年(1928年)、同校で黄金期を築いた高橋哲雄と鎔[6]米二が卒業後、広島二中にコーチとして赴任。昭和23年(1948年)の学制改革までの約20年間に明治神宮体育大会国体の前身)、全日本中等学校選手権などの全国大会優勝だけで10回、準優勝3回と旧制中学最強チームを築いた。さらに同校のOB達が進学・赴任した早稲田大学[7]慶應義塾大学京都帝国大学、山口高商(現山口大学経済学部)などのバレーボール部を創部。また多くの名選手を生んだが、特に長崎重芳前田豊は戦後も長く日本バレーボール協会の中枢にいて全日本監督、強化委員長、協会要職などで男子バレー、女子バレーとも強化指導を行った。

1989年(平成元年)発刊された『廣島二中排球部史』において松平康隆は「広島二中ほど近代日本バレーに大きく影響を与えた旧制中学のバレーボール部は他にはなかったと思います。日本バレー史の大きな部分を広島二中OBの方々がになわれたことはまぎれもない事実であります。オリンピックで金メダル3回、銀メダル3回、銅メダル2回という赫々たる戦果を収めた日本バレー界でありますが、それらを指揮した歴代の全日本監督諸兄も私を含めて広島二中のOBの方々のご指導や影響を少なからず受けた人達であります。(抜粋)」との言葉を寄せている[8]

著名な出身者[編集]

交通アクセス[編集]

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 広島県立広島第一中学校は広島県立広島国泰寺高等学校の前身。
  2. ^ http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kiroku/2chu/index.html また、この時の様子をとりあげたドキュメンタリー「」(いしぶみ)が1969年広島テレビによって制作された(第24回文化庁芸術祭テレビドラマ部門優秀賞受賞)。
  3. ^ 旧制中学校に1945年(昭和20年)と1946年(昭和21年)に入学した生徒を対象に設けられた暫定的な新制中学校であったため、新たに生徒募集は行わず、1946年(昭和21年)入学生が1949年(昭和24年)3月に卒業すると同時に廃止されることとなっていた。
  4. ^ この時、広島商業高等学校は観音寺高校と皆実高校の2校にそれぞれ商業科として統合された。
  5. ^ 広島皆実高等学校の商業科(1年生のみ)も同じく移管された。
  6. ^ 読みは「いがた」。
  7. ^ 早稲田大学バレーボール部
  8. ^ 「廣島二中排球部史」同校OB会 1989年(平成元年)発行。

外部リンク[編集]