四季の歌

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四季の歌
荒木とよひさ楽曲
ジャンル ポップスフォーク歌謡曲
作詞者 荒木とよひさ
作曲者 荒木とよひさ

四季の歌」(しきのうた)は、作詞家・荒木とよひさ1963年頃から1964年にかけて作詞作曲した楽曲である。人から人へ、口伝えによって広まり、日本で国民的人気の楽曲となった荒木の作詞家デビュー作。2007年に発表された日本の歌百選の1曲。「四季の歌」は中国アジア各地でもヒットした[1]

概要[編集]

四季それぞれを、自然現象などで比喩し、人の性格や身近な人を表現した内容の曲である[* 1]。キャッチーでシンプルなメロディと老若男女問わず歌える歌詞で、1970年代半ばに日本で大ヒットした[3]

元々は、作者である荒木が、日本大学スキー部時代に骨折し入院した新潟県妙高市関温泉の情景をモチーフに、新潟・高田の病院を退院する時に、看護師たちに対してのお礼で作成した曲で口コミで広まった[4]。荒木は19歳時[5]のスキー事故で2年半の入院生活を送り、それが「死ぬほど退屈だった」ことから、世話になった看護師たちのために自作の歌を歌った[3]。1964年、荒木は21歳になっていた[3]。荒木本人の証言によると、看護師たちも荒木と一緒に歌った[5]。これが病院内に知れわたり評判になった[3]。この歌はボランティア活動の看護師仲間に広まった。看護師たちは地域ボランティアのイベント等で歌い始めた[3]。こうして高田の病院の看護師たちにより徐々に広まった「四季の歌」は、1972年レコード化されることになった[3]。2社のレコード会社ディレクターが偶然に同時期にこの歌を聴き、1社はいぬいゆみ、もう1社は片山知子を歌手に起用した[3]。これに続いてダークダックスによる「四季の歌」がリリースされた[3]

この曲が広まった当時は、作詞・作曲者は不詳とされていた。レコード化の際に、友人の勧めで荒木が名乗り出た[6]。1972年いぬいゆみ盤、片山知子盤ともに荒木の名前がクレジットされている。この曲は歌詞で「僕の友達」がスミレの花に、「僕の恋人」が詩人のハイネに例えられ、「」という男性の一人称で歌われる。これは、元の歌詞では「恋人」が「スミレ」、「友達」が「ハイネ」だったものが、曲が広まっていく過程で入れ替わってしまったのであるという[7]。しかし、みんなに歌い継がれてきたということを大切にしたかったので入れ替えのままレコーディングされることになった[7]。あえて入れ替えのままにした荒木は後に、「この歌は女性の間で広まったから、今のように変わって行ったのでしょう」と語っている[4]

音楽・音声外部リンク
四季の歌 (芹洋子)

「四季の歌」が大反響を呼ぶのは1976年のことである[3]。6月、ニッポン放送のラジオ番組『あおぞらワイド』に横浜の主婦[* 2]から「四季の歌」のリクエストが電話で寄せられた[3]。番組司会者の立川清登はこの歌を知らなかったので、どんな歌か尋ねると、主婦は「四季の歌」を電話の向こうから歌って聴かせた[3]。立川は感動した[3]。立川は番組内で絶賛した[3]。ラジオのリスナーからの反響も大きく、レコード会社6社が競作として相次いでレコード化した[3]。立川清登の他、菅原やすのりなどの叙情歌手ら10人余りがこの歌を自身の持ち歌とした[3]。菅原はデビュー前の1968年から1969年頃、ストリートミュージシャンとして日比谷でこの歌を歌っていた[4]。『あおぞらワイド』は菅原が歌い手であることを突き止め、菅原は番組に生出演して歌うことになった[9]。また、このうちの1人芹洋子は5年ほど前に「四季の歌」を知り、この歌を「私のテーマソングです」と紹介してずっと歌っていた[3]。歌唱指導型のコンサートのときに芹にこの歌を教えたのは看護師であった[10]。1976年の各社競作レコードによるセールスで顕著なのはキングレコードの芹洋子盤だった[11]。抒情歌のアルバムからシングルカットされた[10]芹盤はオリコンで最高位8位、累計売上はミリオンセラーを記録した[7]。日本で一面として恋愛の詩人と認識されているハインリヒ・ハイネが出てくるところもオシャレで支持が得られた[3]。レコーディングの時になって初めて芹はこれが知人でもあった荒木の歌であると分かった[10]

1981年、日中文化交流音楽大使を務める芹洋子は初の国賓女性歌手として北京公演で「四季の歌」を歌い、中国で大ヒット[3][12]。中国語の「四季の歌」が歌われるようになった[3]。後に中国国家主席習近平夫人となる歌手の彭麗媛は、1984年、日中青年交流に参加して「四季の歌」を芹洋子と歌った[13]

2010年6月18日、中国遼寧省大連市大連大学において、第二次世界大戦終結65年と1972年日中国交正常化38周年を記念し、菅原やすのりと荒木とよひさによる「四季の歌ふるさとコンサート」が開催された[14]。兄が遼寧省大連市で生まれ、自身は遼寧省瀋陽市生まれの菅原が、大連生まれの荒木をゲストに誘いこのコンサートは実現した[14]。菅原は「四季の歌」を中心とする約10曲を大連大学の学生およそ1000人の前で熱唱した[14]。荒木はこのコンサートで戦後初めて大連に来ることとなった[14]。菅原が「大連は我が家のふるさとです」と言うと、学生たちは「ふるさとへようこそ」と歓迎した[14]

2014年10月9日東京国際フォーラムにて、都はるみ伍代夏子八代亜紀坂本冬美の4人の大御所演歌歌手による初の競演コンサート「春夏秋冬コンサート」が開催され[* 3]、コンサートのオープニング曲として「四季の歌」を4人で歌った[16]

この曲には、5番の歌詞が存在するが、ほとんどの場合、5番に当たるところは、ラララで表現することが多い[* 1]。この曲は合唱曲としても使われる。

荒木とよひさとスキー宿「登美屋」[編集]

旅館 登美屋
情報
所在地 949-2235
新潟県妙高市関温泉6087-25
座標 北緯36度54分20.3秒 東経138度09分44.0秒 / 北緯36.905639度 東経138.162222度 / 36.905639; 138.162222
備考 公式サイト
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荒木とよひさの両親は中国・大連で荒木が生まれた後、第二次世界大戦後、熊本に引き揚げてから離婚し、荒木は父親を知らずに育った[4]。母親は息子の荒木を熊本の祖母のところに残して上京した[4]

熊本から東京に出てきた母親は、銀座クラブを経営した[17]。小学生になると荒木は東京の母親のもとで暮らした[4]。母親は仕事で忙しく、息子の荒木は冬が来ると新潟・関温泉にある知人のところに行かされて冬を越した[* 4]。その場所は新潟・関温泉のスキー宿「登美屋」である[4]。やがて荒木は宿の主人と女将を「とうちゃん、かあちゃん」と呼んだ[4]

荒木は高校生の頃、スキー部に所属し、合宿で関温泉のスキー場に毎シーズン訪れた[17]。宿泊先は「登美屋」であった[4][17][18]。母親が4軒のクラブやバーを経営していた荒木には酒が身近であり、飲酒に寛容な時代ということもあり、高校のスキー合宿の打ち上げでは「登美屋」で仲間5人と一晩中飲んでいた[17]

日大芸術学部受験の2日前まで「登美屋」にいた荒木は[17]、そこから受験に行った[* 4]。荒木にとって「登美屋」はふるさと同然であった[* 4]

荒木は日大芸術学部に入学して映画を学ぶ傍ら、スキー部で競技スキーに取り組み、スキー選手になることを夢見た[* 4]。荒木によると、「四季の歌」には山が好きな体育会系男子の山への恋しさもあったのであるという[5]。音楽活動もしながら、大酒飲みだったので母親から「どうせアンタはその道じゃ成功しないだろうから、ウチの店を継いだら」と言われてしまい、荒木は「ボクは酒を売る仕事じゃなく、酒を飲んで商売になる仕事をするよ」と返した[17]

大学2年の春、スキー合宿のオフの最中[* 4]、荒木はモーグルの開脚ジャンプで転倒して、右大腿骨複雑骨折した[19]。新潟・高田の病院に入院し、東京都下の病院への転院を合わせると約3年かかった[* 4]。荒木は手術で細菌が入ったことにより骨髄炎を発症し、その後何十年も2か月に1度の検査を続けている[19]。スキー選手の夢も映画監督の道も前途が暗くなり[* 4]、失意のどん底に落とされたスキー事故であった[4]。しかし、荒木はギターだけは諦めず、入院中も手放さなかった[* 4]。最初に出来たのが「四季の歌」の春の部分で、これは新潟で入院中に看護師にプレゼントした[20]。1963年頃から[4]、病院を転々とする中で1年かけて春夏秋冬を完成させた[21]

後に荒木は次のように語った。

「あの事故がなければ、作詞家になっていたかわからない。母が僕を関温泉に送りださなかったらどうなっていたか」[4]

「登美屋」には、「四季の歌」を4番の歌詞まで書いた色紙が飾ってある。荒木の直筆の色紙である。

歌唱・演奏した主なアーティスト[編集]

  • 新垣勉(アルバム『願い 〜愛と平和の歌』収録。ビクター VICC-60368。2003年11月21日発売)
  • 石原裕次郎(アルバム『めまい』収録。テイチク GM-48。1977年4月発売。編曲:小谷充
  • 伊藤咲子(アルバム『青春』収録。Toshiba Records TP-72231。1977年3月5日発売)
  • いぬいゆみ(シングル。RCA JRT-510。B面は「さよならを言う前に」。1972年2月25日発売。編曲:横内章次
  • 大石昌美ハーモニカ演奏。
  • 太田真季
  • 岡田徹
  • 片山知子(シングル。LIBERTY / 東芝音楽工業 LTP-2643。B面は「気楽に行こうよ」。1972年発売)※1972年8月5日発売のアルバム『四季の歌』にも収録。
  • 岸洋子
  • 小鳩くるみ
  • コヨーテ:韓国の男女混成グループ。「火花」という曲名で発表している。
  • 斉藤功
  • 菅原やすのり(シングル。キャニオン C-15。B面は「四季の歌」の演奏。1976年8月10日発売。編曲:青木望
  • 角聖子
  • 芹洋子(シングル。キング GK-41。B面は「赤い小さな乳母車」。1976年8月21日発売。編曲:青木望)※芹洋子は1975年にアルバム『四季の抒情』(キング SKD-312)で「四季の歌」を歌っている(編曲:青木望)。芹は5番を「ラララ」で歌う筆頭として知られている[22]
  • 宗次郎オカリナ演奏。
  • ダーク・ダックス(アルバム『ダーク・ダックスのア・カペラ volume 1 美しい星』収録。キング SKA-34。1972年9月25日発売。編曲:服部克久)※4番の歌詞は根雪ではなく雪。5番の歌詞はない。ダーク・ダックスは、『四季の歌≪文部省唱歌集≫』(DARK DUCKS sing FOUR SEASONS)を1961年9月10日に発売しているが(キング LKF-1177)、これは四季に関する歌の集成アルバムであり、荒木とよひさ「四季の歌」ではない。
  • ダ・カーポ(1990年のアルバム『フォーク・ソング・ファンタジー〜青春の贈りもの』、2007年のアルバム『日本の歌ベスト30』等に収録)
  • 立川清登(シングル。ビクター KV-545。B面は「四季の歌」のカラオケ。1976年8月5日発売)
  • チェリッシュ
  • ドリーミング(初出は1991年『アンパンマンがえらんだこどものうた〜おつかいありさん』)
  • 夏川りみ:2011年1月2日放送の『歌の楽園』(テレビ東京系列)に出演した際に披露。夏川は2009年12月23日に牛牛とのコラボを上海でレコーディングしたこともある[23]
  • 倍賞千恵子(アルバム『にっぽんの歌・第二抄 倍賞千恵子「四季の歌」』収録。キング SKA-167。1977年発売)
  • ハロウィン:アルバム『ベター・ザン・ロウ』(1998年)からのシングル「ヘイ・ロード!」(Hey Lord!)B面に「もしもし!〜四季の歌」(Moshi Moshi - Shiki No Uta)として「四季の歌」のメロディを引用したライヴテイクを収録[24]1996年9月25日名古屋におけるライヴ。4分のドラムソロの後、ギターソロが続き[* 5]、およそ2分のギターソロが披露された後、「四季の歌」の主旋律をギターが演奏して曲は終わりを迎える。ソングライティングはウリ・カッシュローランド・グラポウ、荒木とよひさの3人の名前がクレジットされている。John Hullによるライヴミックス。ビクター VICP-60365、1998年9月18日発売(日本国内シングル「ヘイ・ロード!」)。「もしもし!〜四季の歌」は後に2002年のアルバム『トレジャー・チェスト』限定版(Limited Edition)ボーナスディスクに収録された他、アルバム『ベター・ザン・ロウ』の2006年増補版(Expanded Edition)ボーナストラックに収録された。
  • ミュージカル・アカデミー(シングル。クラウン。B面は「四季の歌」のインストゥルメンタル。1976年発売)
  • 森昌子(アルバム『日本のうた〜森昌子15周年記念』収録。ポニーキャニオン D80A-0157。1986年1月21日発売。編曲:あかのたちお
  • 横森良造アコーディオン演奏。
  • 和田弘とマヒナスターズ(2002年のアルバム『和田弘とマヒナスターズ』等に収録)
  • ジェロ(シングル「嘘泣き」c/w。ビクター VICL-36577。2010年6月16日発売。編曲:鈴木豪)※歌詞は1972年のオリジナル版。
  • MUCC(アルバム『COVER PARADE』収録。2006年6月6日発売)
  • ロイヤル・ナイツ(シングル。日本コロムビア GK-501。B面は「草原」)

パロディ[編集]

君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜[編集]

君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜
オムニバス・アルバム
リリース
ジャンル ポップス
時間
レーベル ポニーキャニオン
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映像外部リンク
URs - 四季の歌2012〜君だけを見つめてる (From URs Piano Live) - ユー・ジソン(URs)のピアノライヴヴァージョン。(ピアノ演奏:Jimi)

君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜」(きみだけをみつめてる〜しきのうた2012〜)は、「四季の歌」50周年特別企画の新曲である。

「四季の歌」は1972年のリリースから50年の節目となる2012年に新曲「君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜」として次の50年に歌い継がれるべくリメイクされた。オリジナルの「四季の歌」をモチーフに、旧メロディに新メロディを追加。歌詞は新しく制作された[25]。この新曲「四季の歌2012」は荒木とよひさと松本俊明のコラボレーション作品であり、荒木による作詞・作曲に松本が補作曲として参加した。

「四季の歌2012」は、2012年6月20日オムニバスCDアルバムがリリースされた。このCDはオーディションで選ばれた5組のアーティストによるそれぞれの「四季の歌2012」が収録されている[* 6]

収録曲[編集]

  1. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 mammy Sinoヴァージョン [4:40]
  2. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 ユー・ジソン(URs)ヴァージョン [4:38]
  3. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 茅野由衣ヴァージョン [3:53]
  4. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 井深みゆきヴァージョン [4:16]
  5. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 M3ヴァージョン [4:08]
  6. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 mammy Sinoヴァージョン(オリジナルカラオケ) [4:41]
  7. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 ユー・ジソン(URs)ヴァージョン(オリジナルカラオケ) [4:38]
  8. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 茅野由衣ヴァージョン(オリジナルカラオケ) [3:53]
  9. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 井深みゆきヴァージョン(オリジナルカラオケ) [4:16]
  10. 君だけを見つめてる〜四季の歌2012〜 M3ヴァージョン(オリジナルカラオケ) [4:06]

※M3とは、家族3世代(國吉磨寿美、田中みづえ、田中めぐる)の3人組によるユニット。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b ミュージックエイトによる「四季の歌」解説より[2]
  2. ^ 主婦は宮崎良子と名乗った[8]
  3. ^ コンサートの名称は、はるみ、子、亜紀(あき)、美という四季のある4人の名前に因む。このコンサートのために4人は1日限りのユニット「春夏秋冬」を結成した[15]
  4. ^ a b c d e f g h 朝日新聞「うたの旅人」(2009年7月4日)より[18]
  5. ^ このギターソロは最初、ガンマ・レイ「One With The World」のイントロが引用される。
  6. ^ このCD以外ではバリトン歌手の平林龍が「四季の歌2012」を歌っている[26]。また平林龍は2011年11月16日にメジャーデビューアルバム『PARTIR パルティール〜旅立ち』をリリースし、ここに「四季の歌2012」とメロディ、歌詞を同じくする「四季の歌2011」を収録している。

出典注[編集]

参考文献[編集]

図書
オンライン

外部リンク[編集]