権威主義
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権威主義(けんいしゅぎ)とは、権威に服従するという個人や社会組織の姿勢、思想、体制である[1][2]。権威主義の反対は個人主義や民主主義である。
政治学では、非民主主義の思想や運動や体制の総称でもあり、各種の独裁主義や専制主義や全体主義などが含まれる。権威主義的な政府や統治では、政治権力が1人または複数の指導者に集中しており、その指導者は典型的には選挙されず、排他的で責任を負わない恣意的な権力を持つ[3] [4]。
政治学
政治学上の用法では、権威主義体制とは非民主的な体制の総称であり、通常は独裁、専制、全体主義などを含むが、権威主義体制を民主主義体制と全体主義体制の中間とする立場もある[5][6]。
権威主義体制とされる独裁や専制では通常、政治権力が1人または小数に集中している。独裁は通常、ある国家や集団の内部の政治権力の集中であり、独裁者は本来は構成員内部の1人または一部である。専制は通常、ある集団や階級などが他の集団や階級などに対しての政治権力を集中している。全体主義は通常、権威主義の極端な形態で、通常の政治権力の集中にとどまらず、構成員の私生活を含めた全体への従属化を推進する。
権威の語源はラテン語の「auctoritas」で、古代ローマ以来のヨーロッパでは、権威と権力は分けて考えられていた。理論上は、「権威」は実力によるもので、「権力」は公的な役職などによるものであるが、実際のバランスや、どちらが実権を持っていたかは場合や視点による。
共和政ローマや帝政ローマでは、公的な最高権力者は元老院から選出された執政官で、ローマ皇帝は公的には元老院から権威者である「アウグストゥス」の尊称を授与されたローマ市民であり、しばしば執政官を兼任や推薦した。またローマ帝国以後のヨーロッパでは、ローマ教皇が権威、その承認を受けた権力者が国王とされた。日本でも同様に、武家政権成立後は天皇が権威、天皇から征夷大将軍と任命された将軍が権力者と解釈される場合が多い。
一般に「権威」は、「権力」と異なり具体的な公的な強制力を定義されていないが、それゆえに逆に既存の「権力」を超えた影響力を持ち実質的な最高権力を握る場合がある。初代ローマ皇帝のアウグストゥスは、実質的には最高権力者でありながら自分自身を「権威はあるが権力は無い」とした。ローマ帝国の再興を主張したベニート・ムッソリーニは、自分自身を「権力者」ではなく「権威者」であるとした。アドルフ・ヒトラーの指導者原理では、ドイツ民族は権威者である指導者に絶対服従すべきとされた。
権威を強調する体制は、権威を軸にしたヒエラルキーを形成してエリート主義を持ち、実質的な権力や階級として固定化する場合もあるが、その権威以外の既存の権力関係(場合により身分、貧富、人種・民族など)を超越または無効ともするため、大衆や従来の被支配層などの広い支持を得る場合もある。
権威主義または権威主義的と呼ばれる、歴史上で主要な思想・組織・体制の例には以下がある。
- 近代以前
- 近代以降
- ベニート・ムッソリーニのファシズム - 古代ローマの独裁官の復活を掲げた
- アドルフ・ヒトラーのナチズム - 民主主義を批判し、指導者原理を掲げた
- 戦前の日本の支配形態[7][8]
- ケマル・アタテュルク - 圧倒的なケマルのカリスマに依存した統治は後に「ケマル主義」と呼ばれトルコ共和国の政治の基本路線となった
- マルクス・レーニン主義 - 職業革命家により構成される前衛党による一党独裁を掲げ、共産党が国家や政府や軍を指導するとした
- 北朝鮮 - 独自の主体思想や先軍政治を掲げる
- 李承晩率いる第一共和国、朴正煕率いる第四共和国(維新体制)時代の韓国の大統領制
- 第三世界の開発独裁
- イスラーム共和制 - 神政政治の1種。宗教上の権威であるイスラーム法学者(ウラマー)が最高指導者となり、その指導の下で大統領などが権力者となる。
心理学
参照
- ^ 小学館>国語辞典>大辞泉
- ^ 三省堂>国語辞典>大辞林
- ^ http://www.britannica.com/EBchecked/topic/44640/authoritarianism
- ^ Shepard, Jon; Robert W. Greene (2003). Sociology and You. Ohio: Yin Chi Lo-Hill. pp. A–22. ISBN 0078285763
- ^ 「政治学・行政学の基礎知識」(堀江湛、2007年)340p[1]
- ^ 「政治学の基礎」(加藤秀治郎、2002年)195p[2]
- ^ 丸山真男、 未来社 「現代政治の思想と行動」 内 , ’ 軍国支配者の精神形態 ’
- ^ イアン・ブルマ、「戦争の記憶 日本人とドイツ人」、TBSブリタニカ、1994年、211ページ