全国学生相撲選手権大会
全国学生相撲選手権大会(ぜんこくがくせいすもうせんしゅけんたいかい)は、相撲の大学対抗の個人戦・団体戦の大会である。大学生に広く相撲実践の機会を与え、相撲技能の向上とアマチュアスポーツ精神の高揚をはかる事を目的に、日本学生相撲連盟、毎日新聞社、日本相撲連盟の共催により開催される。現在は堺市・大浜公園相撲場と両国国技館で隔年開催されている。
歴史
[編集]1909(明治42)年、大阪府立医学校校長・佐多愛彦の提唱により大阪毎日新聞が浜寺公園で学生相撲大会を開いたところ好評だったため、1919(大正8)年、堺市の大浜相撲場で第1回全国学生相撲大会が開催された。大会は、戦争で一時中断されたものの1946(昭和21)年に再開。当初は難波の大阪府立体育館を会場に行われたが、1971(昭和46)年に大浜体育館が開館したことで、1974(昭和49)年の第52回大会から再び大浜が会場となった。1981(昭和56)年に3,000人収容の現在の相撲場が完成。1986(昭和61)年から国技館との隔年開催となっている。2020(令和2)年は当初11月7・8日に国技館で開催される予定であったが、8日初日の大相撲令和2年11月場所が新型コロナの影響により福岡から国技館に会場変更となり日程が重複したため、埼玉県立武道館で開催された[1]。
大会の競技方法
[編集]団体戦と個人戦の2種別のトーナメントが行われる。1日目に個人戦が、2日目に団体戦が行われる。 団体戦はDクラスから総当たり戦を行い、各クラスの優勝チームが上位クラスに参加して総当たり戦を行っていく。最後にAクラス優秀8校による決勝トーナメント方式により優勝校を決定する。個人戦は予選3回戦を行い、2勝者以上の選手によって優秀32選手を選出して、決勝トーナメント方式により優勝者を決定する。
学生横綱
[編集]個人戦の優勝者には、内閣総理大臣杯と森口忠造杯、日本相撲連盟から学生横綱の称号が贈られる。個人戦で準々決勝(ベスト8)まで勝ち抜いた選手は、幕下60枚目格付出の資格を、ベスト16まで勝ち抜いた選手は、三段目90枚目格付出の資格を取得できる。ただし、この資格は該当する成績を修めた日から1年以内が期限とされる。
歴代団体戦優勝校
[編集]団体戦の優勝校には、優勝旗、高松宮記念杯、内閣総理大臣杯、日本相撲連盟楯、日本相撲連盟名誉会長杯、木下藤作楯、佐多愛彦賞、NHK楯などが、準優勝校にも準優勝旗が授与。なお1941年は戦況の悪化により関東大会、関西大会、九州大会に分かれて開催。
開催年 | 優勝校 | 準優勝校 | 会場 |
---|---|---|---|
1919年(大正8年) | 神戸商高 | ||
1920年(大正9年) | 早大 | ||
1921年(大正10年) | 早大 | ||
1922年(大正11年) | 大阪府立医大 | ||
1923年(大正12年) | 慶大 | ||
1924年(大正13年) | 関大 | ||
1925年(大正14年) | 明大 | ||
1926年(大正15年) | 早大 | ||
1927年(昭和2年) | 慶大 | ||
1928年(昭和3年) | 慶大 | ||
1929年(昭和4年) | 明大 | ||
1930年(昭和5年) | 早大 | ||
1931年(昭和6年) | 関大 | ||
1932年(昭和7年) | 明大 | ||
1933年(昭和8年) | 東京医専 | ||
1934年(昭和9年) | 拓大 | ||
1935年(昭和10年) | 拓大 | ||
1936年(昭和11年) | 拓大 | ||
1937年(昭和12年) | 拓大 | ||
1938年(昭和13年) | 拓大 | ||
1939年(昭和14年) | 慶大 | ||
1940年(昭和15年) | 拓大 | ||
1941年(昭和16年) | 日大・関学大・大分高商 | ||
1946年(昭和21年) | 関学大 | ||
1947年(昭和22年) | 大阪専門 | ||
1948年(昭和23年) | 近大 | ||
1949年(昭和24年) | 近大 | ||
1950年(昭和25年) | 関学大 | ||
1951年(昭和26年) | 関学大 | ||
1952年(昭和27年) | 中大 | ||
1953年(昭和28年) | 同大 | ||
1954年(昭和29年) | 中大 | ||
1955年(昭和30年) | 中大 | ||
1956年(昭和31年) | 東農大 | ||
1957年(昭和32年) | 関大 | ||
1958年(昭和33年) | 中大 | ||
1959年(昭和34年) | 明大 | ||
1960年(昭和35年) | 早大 | ||
1961年(昭和36年) | 日大 | ||
1962年(昭和37年) | 拓大 | ||
1963年(昭和38年) | 拓大 | ||
1964年(昭和39年) | 東農大 | ||
1965年(昭和40年) | 日大 | ||
1966年(昭和41年) | 日大 | ||
1967年(昭和42年) | 東農大 | ||
1968年(昭和43年) | 日大 | ||
1969年(昭和44年) | 近大 | ||
1970年(昭和45年) | 日体大 | ||
1971年(昭和46年) | 駒大 | ||
1972年(昭和47年) | 同大 | ||
1973年(昭和48年) | 日大 | ||
1974年(昭和49年) | 同大 | ||
1975年(昭和50年) | 明大 | ||
1976年(昭和51年) | 近大 | ||
1977年(昭和52年) | 近大 | ||
1978年(昭和53年) | 拓大 | ||
1979年(昭和54年) | 日大 | ||
1980年(昭和55年) | 日大 | ||
1981年(昭和56年) | 明大 | ||
1982年(昭和57年) | 日大 | ||
1983年(昭和58年) | 日大 | ||
1984年(昭和59年) | 日大 | ||
1985年(昭和60年) | 日大 | ||
1986年(昭和61年) | 日大 | ||
1987年(昭和62年) | 日大 | ||
1988年(昭和63年) | 日大 | ||
1989年(平成元年) | 日体大 | ||
1990年(平成2年) | 専修大 | ||
1991年(平成3年) | 日大 | ||
1992年(平成4年) | 中大 | ||
1993年(平成5年) | 日大 | ||
1994年(平成6年) | 日大 | ||
1995年(平成7年) | 日大 | ||
1996年(平成8年) | 日大 | ||
1997年(平成9年) | 日大 | ||
1998年(平成10年) | 中大 | ||
1999年(平成11年) | 東農大 | ||
2000年(平成12年) | 東洋大 | ||
2001年(平成13年) | 日大 | 大浜公園相撲場 | |
2002年(平成14年) | 東洋大 | 国技館 | |
2003年(平成15年) | 近大 | 大浜公園相撲場 | |
2004年(平成16年) | 日大 | 国技館 | |
2005年(平成17年) | 日大 | 大浜公園相撲場 | |
2006年(平成18年) | 日大 | 国技館 | |
2007年(平成19年) | 日体大 | 大浜公園相撲場 | |
2008年(平成20年) | 日体大 | 国技館 | |
2009年(平成21年) | 日大 | 大浜公園相撲場 | |
2010年(平成22年) | 近大 | 国技館 | |
2011年(平成23年) | 日体大 | 大浜公園相撲場 | |
2012年(平成24年) | 日大 | 国技館 | |
2013年(平成25年) | 東洋大 | 大浜公園相撲場 | |
2014年(平成26年) | 日体大 | 国技館 | |
2015年(平成27年) | 日大 | 大浜公園相撲場 | |
2016年(平成28年) | 東洋大 | 近大 | 国技館 |
2017年(平成29年) | 東洋大 | 日大 | 大浜公園相撲場 |
2018年(平成30年) | 東洋大 | 日体大 | 国技館 |
2019年(令和元年) | 日大 | 東洋大 | 大浜公園相撲場 |
2020年(令和2年) | 日大 | 日体大 | 埼玉県立武道館相撲場 |
2021年(令和3年) | 日体大 | 近大 | 大浜公園相撲場 |
2022年(令和4年) | 日大 | 日体大 | 国技館 |
2023年(令和5年) | 近大 | 日大 | 大浜公園相撲場 |
2024年(令和6年) | 日体大 | 拓大 | 国技館 |
テレビ中継
[編集]個人戦の決勝トーナメント2回戦以降がNHK教育テレビで中継されている。原則として生中継だが、2010年は全日本テニス選手権と日程が重複したため1週間後の録画放送となった。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 全国学生相撲は埼玉で 両国国技館から変更 サンケイスポーツ(2020年8月19日)