旧石器時代の遺跡一覧
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旧石器時代の遺跡一覧(きゅうせっきじだいのいせきいちらん)は日本の旧石器時代の代表的な遺跡を一覧形式でまとめたものである。
目次 |
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北海道・東北地方 関東地方 |
凡例[編集]
- この一覧はすべての旧石器遺跡を網羅する物ではない。
北海道・東北地方[編集]
北海道[編集]
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- 網走支庁遠軽町(旧白滝村)白滝遺跡群
- 町内、赤石山(1172m)の山頂付近(800m)から無尽蔵(推定60億トンともいわれる)ともいえる黒曜石を採取し、山の上から、粗砕き(700m)を行い、分業で、簡易加工(500m)して各地に運ばれている。採石場の活用は6千年間に及ぶといわれている。白滝の黒曜石は、北海道内はもとよりサハリンやシベリア、縄文時代の青森県三内丸山遺跡にまで及んでいる。白滝遺跡群は90ヶ所以上ある。
- 渡島支庁今金町美利河(ピリカ)遺跡
- 昭和58年(1983年)ころ、ダム建設予定地を調査したところ、1585㎡から11万点にものぼる旧石器時代の石器類が出てきた。ピリカ遺跡の場からは石器類の材料は発見されておらずどこからか運ばれてきたと思われる。頁岩(けつがん)は近くで採石されているが、黒曜石は遠く旧白滝村や十勝三股、余市町赤井川村や置戸町から集められていることを考えれば、幅広いネットワークの存在が浮かび上がってくる。ピリカ遺跡は1万年に渡って石器の加工場であったといわれている。
- 十勝支庁上士幌町嶋木遺跡(旧石器時代の遺跡は、十勝でおよそ100ヵ所見つかっている)
- 恵庭岳が約1万8千年前に噴火したとき飛んできた火山灰よりも下の地層から見つかっている上士幌町嶋木遺跡は約1万9千年前と考えられている。石刃などの打製石器が発見されている。
- 十勝支庁帯広市、新帯広空港建設で発見された遺跡
- 黒曜石はこの地方では十勝石といわれ、 石刃、尖頭器、石錐、細石刃などの打製石器が発見されている。地層から約2万3千年前と考えられている。
- 十勝支庁帯広市、暁(あかつき)遺跡
- およそ1万6千年前、暁遺跡周辺では、旧石器時代人が細石刃をはじめとする、いろいろな石器を作っていた作業場だったようだ。
- 網走支庁(旧女満別町)大空町豊里遺跡
- 北見市常呂遺跡
- オホーツク海沿岸に沿って展開する遺跡、旧石器文化から縄文文化(早期・前期・中期・後期・晩期)、続縄文文化、オホーツク文化、擦文文化、アイヌ文化まで幅広い年代・多期にわたっていることも大きな特長である。
- 岐阜第二遺跡(約2万年前)
- サロマ湖東岸に近い標高約10~15mの台地上にある。小沢の両側には擦文時代を中心に縄文・続縄文時代の住居跡がある。常呂地域の旧石器時代の遺跡は今のところ岐阜第二遺跡だけだが、北海道内でも最古に位置づけられる遺跡として知られている。
- 千歳市祝梅三角山遺跡
- 2万年近く前と考えられている。この頃の人々は剥片石器を使用していた。石刃などの打製石器が発見されている。多くの文献に北海道最古と紹介されているが果してそうであろうか?祝梅三角山遺跡より遥かに古い遺跡が発掘されていると見られるからである。
- 函館市桔梗2遺跡他
- 約2万年前(洪積世)ウルム氷期に、アイヌの祖先は、今の北シベリアから来たと考えられる。もっとも古い遺跡(函館市桔梗2遺跡他)は、約2万数千年前のものである。
- 二海郡八雲町上八雲大関遺跡群
- 昭和34年(1959年)大関小中学校グラウンド整地の際、40数点の石器と石片が採取され、旧石器であることが確認された。その後、次々と遺跡が発見された。
- 上磯郡知内町湯の里遺跡
- 湯の里遺跡は旧石器時代から続縄文時代(弥生時代)にまでおよぶ遺跡であることが判明した。旧石器時代に所属する土擴から発見された墓様のものは、現在、日本最古の墓と考えられている。
- 寿都郡黒松内町中ノ川樽岸の遺物
- 北海道における旧石器時代の調査は最初の方である。1954年調査、出土の遺物は、全て石器類で、硬質頁岩の一種マールを材料としている。およそ1万年以前のものと推定されている。
青森県[編集]
岩手県[編集]
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東京都[編集]
神奈川県[編集]
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石川県[編集]
福井県[編集]
山梨県[編集]
長野県[編集]
- 野尻湖遺跡群(信濃町)野尻湖湖底及び湖西岸から南側にかけての丘陵地帯に点在する39ヶ所の遺跡の総称。その中のひとつである中期旧石器時代の立が鼻遺跡では、約4.8万年前から約3.3万年前までの地層からナウマンゾウやヤベオオツノシカなどの化石と解体に使用したとみられる骨器や石器などの道具類が一緒に出土しており、旧石器時代で大型獣を解体した跡を残している遺跡は、世界的にも僅かな例であり貴重な資料とされている。
- 茶臼山遺跡 - 諏訪市上諏訪、1952年(昭和27年)調査
- 矢出川遺跡 - 南佐久郡南牧村、1954年(昭和29年)
- 神子柴遺跡 - 上伊那郡南箕輪村、1958年(昭和33年)
静岡県登呂遺跡[編集]
近畿地方[編集]
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大阪府[編集]
兵庫県[編集]
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岡山県[編集]
広島県[編集]
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四国地方[編集]
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愛媛県[編集]
高知県[編集]
九州・沖縄地方[編集]
福岡県[編集]
佐賀県[編集]
長崎県[編集]
- 福井洞穴 後期旧石器時代の遺跡
熊本県[編集]
大分県[編集]
- 早水台遺跡(速見郡日出町)
- 岩戸遺跡(豊後大野市)
- 聖嶽洞穴(ひじりだきどうけつ、南海部郡本匠村)
- 丹生遺跡(にゅう)1959年頃から地元在住民が丹生だいちの地表面から多量の粗雑な礫器を採集し、後期旧石器より古いのではないかという考えが発端となって「前期旧石器存否論争」が半世紀も続いた。
宮崎県[編集]
鹿児島県[編集]
沖縄県[編集]
脚注[編集]
- ^ 千葉県教育委員会 (2017年10月23日). “三里塚No.55遺跡出土旧石器時代石器”. 千葉県. 2017年11月22日閲覧。
- ^ “日本と世界の発掘・出土品 写真特集”. 2017年1月22日閲覧。