豆粒文土器

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豆粒文土器(とうりゅうもんどき[1] )は、佐世保市の泉福寺洞窟(国の史跡)から発見された、縄文時代草創期の縄文土器である。

発見史[編集]

1973年昭和48年)、泉福寺洞窟の第4次発掘調査の際、それまで世界最古の土器と考えられていた隆起線文土器しか出土しない泉福寺洞窟の第9層よりも、さらに古い第10層から発見された。泉福寺洞窟の発掘調査を指導していた、國學院大學講師(当時)の麻生優によって命名された[2]。その後、1975年(昭和50年)の第6次発掘調査では、第10層より下の第11層では豆粒文土器のほぼ完全な個体が出土し、隆起線文土器の一種ではないことが明らかになった[3]

特徴[編集]

  • 器形は、ラグビーボールの一端を切り落としたような外形をしており[1]、胴部がやや膨らみ、丸底に近い平底である。当初はU字形の外形に復元されていた[4]
  • 豆粒状の粘土粒が、口の部分から胴体部分にかけて貼り付けてある。口縁に約1.5cm間隔、胴部には3~4cm間隔で粘土粒が並ぶ[4]。表面下方と内面には粘土粒はない[1]
  • 破片には繊維を混入した土器もある。また、補修時の穴もみられる[4]
  • 土器の表面胴部に(すす)が付着していたことから、煮炊きに使用されていたと考えられる[3]
  • 泉福寺洞窟以外では明確な出土例がない。長崎県福井洞窟鹿児島県加治屋園遺跡などの隆起線文土器が出土した土器で豆粒文を有する土器片が出土しているほか、関東地方でも同様の破片が出土している[1]

年代[編集]

泉福寺洞窟では、隆起線文土器や細石刃が共伴して出土しており、旧石器である細石刃の共伴し、隆起線文土器より古いことから、世界最古級の土器と考えられた。第10層の真上の第9層で見つかった焼石炉の石材は、熱ルミネッサンス法による年代測定で、11840±740年前という測定結果が出ており[1]、これより古いのは確実である。放射性炭素年代測定法フィッショントラック法などの分析法や、上下の土層の年代などを交えた分析では、隆線文土器の年代は約12000年前、豆粒文土器は約13,000年前とされている[5]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d e 西健一郎「豆粒文土器」工楽善通鈴木公雄大川清 編『日本土器事典』雄山閣出版 1996年 P.10~11
  2. ^ 麻生優「〈速報〉泉福寺洞穴の第四次調査」 『考古学ジャーナル』第88号 1973年 ニュー・サイエンス社 P.11~14
  3. ^ a b 麻生優・白石浩之「〈速報〉泉福寺洞穴の第十次調査」 『考古学ジャーナル』第172号 1980年 ニュー・サイエンス社 P.8~16
  4. ^ a b c 麻生優・白石浩之「〈速報〉泉福寺洞穴の第六次調査」 『考古学ジャーナル』第116号 1975年 ニュー・サイエンス社 P.5~11
  5. ^ 市川米太「泉福寺洞穴の年代研究と今後の課題」 『考古学ジャーナル』第172号 1980年 ニュー・サイエンス社 P.20~21

関連項目[編集]