「川勝平太」の版間の差分
m 人名に敬称をつけたり「逝去」と表記したりいきなり体言どめにしている箇所を修正。7月7日付で就任したので追記 |
|||
26行目: | 26行目: | ||
|選挙区 = |
|選挙区 = |
||
|当選回数 = 1回 |
|当選回数 = 1回 |
||
|就任日 = |
|就任日 = [[2009年]][[7月7日]] |
||
|退任日 = |
|退任日 = 現職 |
||
|退任理由 = |
|退任理由 = |
||
|所属委員会 = |
|所属委員会 = |
||
116行目: | 116行目: | ||
<!-- ↑省略可↑ --> |
<!-- ↑省略可↑ --> |
||
}} |
}} |
||
'''川勝 平太'''(かわかつ へいた、[[1948年]]([[昭和]]23年)[[8月16日]] - )は[[日本]]の[[経済学者]]([[比較経済史]])、[[政治家]]。[[学位]]は[[博士]]([[オックスフォード大学]]・[[1985年]])。[[国際日本文化研究センター]][[客員教授]]。 |
'''川勝 平太'''(かわかつ へいた、[[1948年]]([[昭和]]23年)[[8月16日]] - )は[[日本]]の[[経済学者]]([[比較経済史]])、[[政治家]]。[[学位]]は[[博士]]([[オックスフォード大学]]・[[1985年]])。[[静岡県知事]](第53代)、[[国際日本文化研究センター]][[客員教授]]。 |
||
[[早稲田大学]][[政治経済学部]][[教授]]、国際日本文化研究センター副所長、[[財団法人]][[総合研究開発機構]][[理事]]、[[静岡文化芸術大学]][[学長]]などを歴任 |
[[早稲田大学]][[政治経済学部]][[教授]]、国際日本文化研究センター副所長、[[財団法人]][[総合研究開発機構]][[理事]]、[[静岡文化芸術大学]][[学長]]などを歴任した。 |
||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
[[大阪府]]で生まれ<ref name=asahi20090706026>「民主の風生かし逆転――静岡知事に川勝氏」『[[朝日新聞]]』44256号、14版、[[朝日新聞東京本社]]、[[2009年]][[7月6日]]、26頁。</ref>、[[京都府]][[京都市]]にて育つ<ref name=asahi20090706026/>。[[長野県]][[北佐久郡]][[軽井沢町]]在住。{{要出典範囲|[[新自由主義]]の}}経済 |
[[大阪府]]で生まれ<ref name=asahi20090706026>「民主の風生かし逆転――静岡知事に川勝氏」『[[朝日新聞]]』44256号、14版、[[朝日新聞東京本社]]、[[2009年]][[7月6日]]、26頁。</ref>、[[京都府]][[京都市]]にて育つ<ref name=asahi20090706026/>。[[長野県]][[北佐久郡]][[軽井沢町]]在住。{{要出典範囲|[[新自由主義]]の}}[[経済学者]]である。[[専攻]]は[[比較経済史]]で、[[研究]]内容としては[[英国]][[議会]][[史料]]の分析などが挙げられる。[[早稲田大学]]にて[[助手]]、[[講師]]、[[助教授]]、[[教授]]、[[国際日本文化研究センター]]にて教授、副所長、[[財団法人]][[総合研究開発機構]]にて[[理事]]などを歴任した。 |
||
[[静岡県知事]]の[[石川嘉延]]に要請を受け、[[静岡文化芸術大学]]の[[学長]]に就任した<ref name=asahi20090706026/>。 |
[[静岡県知事]]の[[石川嘉延]]の盟友として知られ、石川に対して「富国有徳」との県のスローガンを提案するなど[[ブレーン]]として活動した。のちに、石川からの要請を受け、[[静岡文化芸術大学]]の[[学長]]に就任した<ref name=asahi20090706026/>。その後、石川の辞任を受け、いったんは立候補を否定したものの、[[2009年]][[6月5日]]に静岡県知事[[選挙]]への出馬を表明した。 |
||
[[公職]]としては、[[小渕恵三内閣第2次改造内閣|小渕内閣]]に設置された「21世紀日本の構想」懇談会<ref name="990517menba">「『21世紀日本の構想』懇談会メンバー略歴」『[http://www.kantei.go.jp/jp/21century/990517menba.html 「21世紀日本の構想」懇談会メンバー]』[[内閣官房|内閣官房内閣広報室]]、[[1999年]][[4月]]。</ref>、[[安倍内閣]]に設置された[[教育再生会議]]<ref>『[http://www.kyouiku-saisei.go.jp/kyouiku-saisei-kaigi/pdf/03_iin.pdf 教育再生会議有識者]』。</ref>と「[[美しい国|美しい国づくり]]」企画会議<ref>『[http://www.kantei.go.jp/jp/singi/utukusii/070530/meibo.pdf 「美しい国づくり」企画会議有識者名簿]』。</ref>にて[[委員]]を務め、[[国土交通省]]では[[国土審議会]]の委員を務めた。[[京都市]][[社会教育委員会]]委員にも就任した。また、[[新しい歴史教科書をつくる会]]の賛同者としても知られている<ref>「【静岡県知事選】川勝氏が当確――大型地方選で民主4連勝――自民党内に『麻生退陣論』広がる」『[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090705/stt0907052318007-n3.htm 【静岡県知事選】川勝氏が当確 大型地方選で民主4連勝 自民党内に「麻生退陣論」広がる (3/3ページ) - MSN産経ニュース]』[[産経デジタル]]、[[2009年]][[7月5日]]。</ref>。{{要出典範囲|産経正論路線の支持者}}。 |
[[公職]]としては、[[小渕恵三内閣第2次改造内閣|小渕内閣]]に設置された「21世紀日本の構想」懇談会<ref name="990517menba">「『21世紀日本の構想』懇談会メンバー略歴」『[http://www.kantei.go.jp/jp/21century/990517menba.html 「21世紀日本の構想」懇談会メンバー]』[[内閣官房|内閣官房内閣広報室]]、[[1999年]][[4月]]。</ref>、[[安倍内閣]]に設置された[[教育再生会議]]<ref>『[http://www.kyouiku-saisei.go.jp/kyouiku-saisei-kaigi/pdf/03_iin.pdf 教育再生会議有識者]』。</ref>と「[[美しい国|美しい国づくり]]」企画会議<ref>『[http://www.kantei.go.jp/jp/singi/utukusii/070530/meibo.pdf 「美しい国づくり」企画会議有識者名簿]』。</ref>にて[[委員]]を務め、[[国土交通省]]では[[国土審議会]]の委員を務めた。[[京都市]][[社会教育委員会]]委員にも就任した。また、[[新しい歴史教科書をつくる会]]の賛同者としても知られている<ref>「【静岡県知事選】川勝氏が当確――大型地方選で民主4連勝――自民党内に『麻生退陣論』広がる」『[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090705/stt0907052318007-n3.htm 【静岡県知事選】川勝氏が当確 大型地方選で民主4連勝 自民党内に「麻生退陣論」広がる (3/3ページ) - MSN産経ニュース]』[[産経デジタル]]、[[2009年]][[7月5日]]。</ref>。{{要出典範囲|産経正論路線の支持者}}。 |
||
== 来歴 == |
== 来歴 == |
||
2006年10月に |
[[2006年]][[10月]]に死去した[[木村尚三郎]]の後任として、[[2007年]][[4月]]に[[静岡文化芸術大学]]の[[学長]]に就任した。[[学校法人静岡文化芸術大学]][[理事長]]は[[静岡県知事]][[石川嘉延]]であり、石川の誘いを受けて学長に就いた。その後、理想の学校教育具現化委員会などで石川県政を支え、静岡県学術教育政策顧問の[[廣部雅昭]]とともに石川のブレーンとして活動した。 |
||
[[2009年]]5月、[[自由民主党 (日本)|自民]] |
[[2009年]]5月、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]と[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に所属する[[静岡県議会]][[議員]]、[[日本労働組合総連合会]]静岡県連合会、民主党代表代行[[小沢一郎]]らから、同年7月の静岡県知事選挙への出馬要請を受け<ref>{{Cite web|author=中日新聞|authorlink=中日新聞|date=2009-06-04|url=http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009060401000291.html|title=静岡知事選で民主、川勝氏擁立へ 与野党対決に|accessdate=2009-06-07}}</ref>、自由民主党・民主党の相乗り候補者として名前が挙がった<ref>『[[朝日新聞]]静岡版5月21日「[http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000290905210001 大学学長擁立目指し超党派の「会議」発足]」</ref>。静岡県知事選挙への立候補が取り沙汰されると、川勝は「私の身は[[理事長]]([[石川嘉延]][[知事]])に預けてある。理事長が『やれ』と言うならノーとは言わないが、99.99%ないと思う」<!--括弧も含め原文ママ--><ref>「『出馬の意図はない』大学学長・川勝氏」『[http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000290905220001 asahi.com:「出馬の意図はない」大学学長・川勝氏-マイタウン静岡]』[[朝日新聞社]]、[[2009年]][[5月22日]]。</ref>として立候補を否定していた。超党派の議員らから立候補を要請されても、川勝は「身を理事長(石川嘉延知事)に預けている」<!--括弧も含め原文ママ--><ref>「改めて川勝氏へ要請」『[http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000290905250001 asahi.com:改めて川勝氏へ要請-マイタウン静岡]』[[朝日新聞社]]、[[2009年]][[5月23日]]。</ref>との理由から、これを固辞していた。また、自由民主党の静岡県議会議員らは、当初は川勝の擁立を目指したものの、最終的には離脱した。 |
||
その後、出馬・不出馬に関する発言を二転三転しつつ<ref>『[[毎日新聞]]』静岡版2009年6月3日「[http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20090603ddlk22010219000c.html 転機:’09知事選 揺れる川勝氏発言 「出馬ない」→水面下で布石]」(2009年6月12日閲覧)</ref><ref>出馬記者会見では、出馬を否定していたことについて、大学理事長である知事から出馬を命じられることはないという趣旨の発言と述べたうえで、自身は一度もぶれていないとした。詳細は『[[静岡新聞]]』2009年6月6日「[http://www.shizushin.com/news/pol_eco/shizuoka/20090606000000000008.htm 川勝氏が出馬表明 自民・民主対決の構図]」を参照(2009年6月12日閲覧)。</ref> |
その後、出馬・不出馬に関する発言を二転三転しつつも<ref>『[[毎日新聞]]』静岡版2009年6月3日「[http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20090603ddlk22010219000c.html 転機:’09知事選 揺れる川勝氏発言 「出馬ない」→水面下で布石]」(2009年6月12日閲覧)</ref><ref>出馬記者会見では、出馬を否定していたことについて、大学理事長である知事から出馬を命じられることはないという趣旨の発言と述べたうえで、自身は一度もぶれていないとした。詳細は『[[静岡新聞]]』2009年6月6日「[http://www.shizushin.com/news/pol_eco/shizuoka/20090606000000000008.htm 川勝氏が出馬表明 自民・民主対決の構図]」を参照(2009年6月12日閲覧)。</ref>、最終的に民主党、[[社会民主党]]、[[国民新党]]の推薦で同選挙への立候補を表明した。なお、立候補表明直前に学校法人[[理事会]]に対し辞表を提出し、受理された<ref> 「お知らせ」 http://www.suac.ac.jp/news/topics/459.html</ref>。 |
||
選挙戦は自由民主党と公明党が推薦した[[坂本由紀子]]との激しい戦いとなった。民主党は、[[海野徹]]と川勝の候補一本化を目指したものの不調に終わり、 |
選挙戦は自由民主党と公明党が推薦した[[坂本由紀子]]との激しい戦いとなった。民主党は、[[海野徹]]と川勝の候補一本化を目指したものの不調に終わり、分裂選挙となった。[[鳩山由紀夫]]、[[岡田克也]]、[[菅直人]]など民主党幹部も連日応援に駆けつけた結果、当選を果たした。最終的な坂本との票差はわずか1万票余りという激しさだった。 |
||
[[2009年]][[7月7日]]、静岡県選挙管理員会の[[告示]]を経て、川勝が静岡県知事に就任した<ref>「『全身全霊尽くす』――川勝新知事に当選証書」『[http://www.shizushin.com/news/feature/tijisen_new/news/20090707000000000056 関連記事:「全身全霊尽くす」 川勝新知事に当選証書]』[[静岡新聞社]]、[[2009年]][[7月7日]]。</ref><ref name="chunichi20090707">「川勝氏が知事就任――県庁で当選証書受け取る」『[http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/shizu_area/shizu_governor/list/200907/CK2009070702000238.html 中日新聞:川勝氏が知事就任 県庁で当選証書受け取る:静岡県知事選:静岡(CHUNICHI Web)]』[[中日新聞社]]、[[2009年]][[7月7日]]。</ref>。なお、知事としての任期は、選挙の投開票が行われた[[7月5日]]から4年間となる<ref name="chunichi20090707"/>。 |
|||
== 研究 == |
== 研究 == |
||
179行目: | 181行目: | ||
*[[2004年]] - [[総合研究開発機構]]理事 |
*[[2004年]] - [[総合研究開発機構]]理事 |
||
*[[2006年]] - 政府の[[教育再生会議]]委員 |
*[[2006年]] - 政府の[[教育再生会議]]委員 |
||
*[[2007年]] - [[静岡文化芸術大学]]学長、国際日本文化研究センター客員教授、「 |
*[[2007年]] - [[静岡文化芸術大学]]学長、国際日本文化研究センター客員教授、「美しい国づくり」企画会議委員 |
||
*[[2009年]][[6月5日]] - 静岡文化芸術大学長を辞職 静岡県知事選挙へ立候補を表明 同年[[6月18日]]公示 |
*[[2009年]][[6月5日]] - 静岡文化芸術大学長を辞職 静岡県知事選挙へ立候補を表明 同年[[6月18日]]公示 |
||
*2009年7月5日 - 静岡県知事選挙で初当選 |
*2009年7月5日 - 静岡県知事選挙で初当選 |
||
250行目: | 252行目: | ||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
||
{{Reflist| |
{{Reflist|3}} |
||
==関連人物== |
== 関連人物 == |
||
*[[小渕恵三]] |
* [[小渕恵三]] |
||
*[[藤岡信勝]] |
* [[藤岡信勝]] |
||
*[[西尾幹二]] |
* [[西尾幹二]] |
||
*[[ |
* [[稲盛和夫]] |
||
⚫ | |||
*[[稲盛和夫]] 京都の政財界でのつながり |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
*[[ |
* [[石川嘉延]] |
||
⚫ | |||
*[[石川嘉延]] |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
271行目: | 271行目: | ||
*[http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/246.html 川勝 平太] |
*[http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/246.html 川勝 平太] |
||
*[http://www.kanazawa-round.jp/KR_hokoku/02kawa_pre.htm 川勝プレゼン] |
*[http://www.kanazawa-round.jp/KR_hokoku/02kawa_pre.htm 川勝プレゼン] |
||
* [http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0225.html 川勝平太『日本文明と近代西洋』]([[松岡正剛]]の千夜千冊、2001年2月7日) |
* [http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0225.html 川勝平太『日本文明と近代西洋』]([[松岡正剛]]の千夜千冊、2001年2月7日) |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
{{DEFAULTSORT:かわかつ へいた}} |
{{DEFAULTSORT:かわかつ へいた}} |
||
282行目: | 277行目: | ||
[[Category:静岡県知事]] |
[[Category:静岡県知事]] |
||
[[Category:京都府の政治家]] |
[[Category:京都府の政治家]] |
||
[[Category:新しい歴史教科書をつくる会]] |
|||
{{Lifetime|1948}} |
{{Lifetime|1948}} |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
[[de:Heita Kawakatsu]] |
[[de:Heita Kawakatsu]] |
2009年7月8日 (水) 16:43時点における版
川勝 平太 かわかつ へいた | |
---|---|
生年月日 | 1948年8月16日(75歳) |
出生地 | 大阪府 |
出身校 |
早稲田大学第一政治経済学部卒業 早稲田大学大学院 経済学研究科研究指導認定 オックスフォード大学大学院修了 |
前職 | 静岡文化芸術大学学長 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 博士(オックスフォード大学・1985年) |
親族 | 川勝光之助(曾祖父) |
公式サイト |
川勝平太と、静岡に日本の 理想を創ろう… 川勝平太 ホームページ・ 公式サイト |
![]() | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年7月7日 - 現職 |
川勝 平太(かわかつ へいた、1948年(昭和23年)8月16日 - )は日本の経済学者(比較経済史)、政治家。学位は博士(オックスフォード大学・1985年)。静岡県知事(第53代)、国際日本文化研究センター客員教授。
早稲田大学政治経済学部教授、国際日本文化研究センター副所長、財団法人総合研究開発機構理事、静岡文化芸術大学学長などを歴任した。
概要
大阪府で生まれ[1]、京都府京都市にて育つ[1]。長野県北佐久郡軽井沢町在住。新自由主義の[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。経済学者である。専攻は比較経済史で、研究内容としては英国議会史料の分析などが挙げられる。早稲田大学にて助手、講師、助教授、教授、国際日本文化研究センターにて教授、副所長、財団法人総合研究開発機構にて理事などを歴任した。
静岡県知事の石川嘉延の盟友として知られ、石川に対して「富国有徳」との県のスローガンを提案するなどブレーンとして活動した。のちに、石川からの要請を受け、静岡文化芸術大学の学長に就任した[1]。その後、石川の辞任を受け、いったんは立候補を否定したものの、2009年6月5日に静岡県知事選挙への出馬を表明した。
公職としては、小渕内閣に設置された「21世紀日本の構想」懇談会[2]、安倍内閣に設置された教育再生会議[3]と「美しい国づくり」企画会議[4]にて委員を務め、国土交通省では国土審議会の委員を務めた。京都市社会教育委員会委員にも就任した。また、新しい歴史教科書をつくる会の賛同者としても知られている[5]。産経正論路線の支持者[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。
来歴
2006年10月に死去した木村尚三郎の後任として、2007年4月に静岡文化芸術大学の学長に就任した。学校法人静岡文化芸術大学理事長は静岡県知事石川嘉延であり、石川の誘いを受けて学長に就いた。その後、理想の学校教育具現化委員会などで石川県政を支え、静岡県学術教育政策顧問の廣部雅昭とともに石川のブレーンとして活動した。
2009年5月、自由民主党と民主党に所属する静岡県議会議員、日本労働組合総連合会静岡県連合会、民主党代表代行小沢一郎らから、同年7月の静岡県知事選挙への出馬要請を受け[6]、自由民主党・民主党の相乗り候補者として名前が挙がった[7]。静岡県知事選挙への立候補が取り沙汰されると、川勝は「私の身は理事長(石川嘉延知事)に預けてある。理事長が『やれ』と言うならノーとは言わないが、99.99%ないと思う」[8]として立候補を否定していた。超党派の議員らから立候補を要請されても、川勝は「身を理事長(石川嘉延知事)に預けている」[9]との理由から、これを固辞していた。また、自由民主党の静岡県議会議員らは、当初は川勝の擁立を目指したものの、最終的には離脱した。
その後、出馬・不出馬に関する発言を二転三転しつつも[10][11]、最終的に民主党、社会民主党、国民新党の推薦で同選挙への立候補を表明した。なお、立候補表明直前に学校法人理事会に対し辞表を提出し、受理された[12]。
選挙戦は自由民主党と公明党が推薦した坂本由紀子との激しい戦いとなった。民主党は、海野徹と川勝の候補一本化を目指したものの不調に終わり、分裂選挙となった。鳩山由紀夫、岡田克也、菅直人など民主党幹部も連日応援に駆けつけた結果、当選を果たした。最終的な坂本との票差はわずか1万票余りという激しさだった。
2009年7月7日、静岡県選挙管理員会の告示を経て、川勝が静岡県知事に就任した[13][14]。なお、知事としての任期は、選挙の投開票が行われた7月5日から4年間となる[14]。
研究
経済学が専門であり、なかでも比較経済史を研究対象としている。
独自の「海洋史観」を展開することで有名。「英国議会資料」の研究を行う。早稲田大学図書館にこの資料の購入を申請するも受け入れられず、大阪の国立民族学博物館に購入されてしまったため、早大教授を辞職し京都にある国際日本文化研究センターに移籍した[15]。また、「西太平洋津々浦々連合」を提唱した[16]。
政策・思想
富国有徳
川勝は自著『富国有徳論』などの中で「富国有徳」という概念を提唱している。
第84代内閣総理大臣の小渕恵三は、この思想に賛同し、自らのモットーの一つとして「富国有徳」を挙げていた[17]。施政方針演説の中で「富国有徳」について触れており[18]、この理念の下で教育立国と科学技術創造立国を実現すると主張した[19]。首相就任後、小渕は「21世紀日本の構想」懇談会を設置し、その委員に川勝を選任した[2]。川勝は第四分科会にて座長を務め、懇談会の纏めた報告書に「富国有徳」の概念を盛り込んだ[20]。
第49〜52代静岡県知事の石川嘉延も「富国有徳」の思想に賛同した一人であり、静岡県の県政のキャッチコピーとして「富国有徳――しずおかの挑戦」を掲げた。また、石川は学校法人静岡文化芸術大学理事長を兼任していたが、学長だった木村尚三郎が死去すると、石川は後任の学長として川勝を招聘した。その後、川勝は静岡県が設置した「理想の学校教育具現化委員会」にて委員を務めるなど[21]、石川県政のブレーンの一人として活躍した。石川の後継者を決める静岡県知事選挙への立候補に際し、川勝は「石川知事が私の言葉を引用してくださったのも、ここ静岡県に“理想の日本”を創る、という私の使命感につながる」[22]と語っている。
静岡空港
2005年に行われた石川嘉延と川勝との対談の中で、静岡県内への空港設置について話が及んだ。この対談において、川勝は国外からの観光客誘致の重要性を指摘したうえで「当然、空港も必要でしょう」[23]と提言している。また、空港の立地条件について、川勝は「国際空港は東京のはずれや大阪湾ではなく、富士山が見える場所にあったほうが日本らしい」[23]と主張している。静岡県知事選挙への立候補に際しては、川勝は「トップセールスで日本の表玄関としての静岡空港の利用率を高める」[24]と主張している。
理想とする内閣
川勝は「日本最強内閣」としての閣僚には誰が最適かとするアンケートにて、内閣総理大臣に櫻井よしこ、外務大臣に曽野綾子、厚生労働大臣に中村桂子、内閣官房長官に中山恭子、の4人の女性の名を挙げている[25]。その他の閣僚としては、総務大臣に丹羽宇一郎、財務大臣に堺屋太一、文部科学大臣に寺田典城、農林水産大臣に竹中平蔵、防衛大臣に山折哲雄を列挙し[25]、無任所の行政改革担当大臣には渡辺喜美を挙げている[26]。
静岡県知事選挙での主張
- 1期4年でできなければ何もできない。[27]
- 各部局が予算を効率よく使うことで予算が余った場合評価する制度を導入。
- 学校教師の青年海外協力隊・シニアボランティアへの参加を奨励し、財政支援・人的支援を行う。
- JICAグローバル大学院(仮称)に向けて早急に設立を検討します。
- JICAシニアボランティアへの参加を支援します。
- 県職員給与の一律カットへの反対、知事の給料30%カットに反対、余分に仕事をする意識が大事と主張[28]
- 農業(林業・漁業)改革を行い、場の力を最大限に引き出し、地産池消と農産物のブランド化を目指す。
- 教育改革は「心豊かな教育」を目指し、美術館などの無料化を打ち出している。
- 弱者に手厚い保護を推進→中学生まで医療費無料化、母子・父子家庭への援助、障害をもった方への支援などを訴える。
略歴
- 1948年 - 大阪府に生まれる
- 洛星高等学校卒業
- 1972年 - 早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業
- 1975年 - 早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了
- 1982年 - 早稲田大学大学院経済学研究科博士課程研究指導認定
- 1985年 - オックスフォード大学 Ph. D.
- 1990年 - 早稲田大学政治経済学部教授
- 早稲田大学中央図書館副館長
- 1998年 - 国際日本文化研究センター教授(その後は副所長兼任)
- 2004年 - 総合研究開発機構理事
- 2006年 - 政府の教育再生会議委員
- 2007年 - 静岡文化芸術大学学長、国際日本文化研究センター客員教授、「美しい国づくり」企画会議委員
- 2009年6月5日 - 静岡文化芸術大学長を辞職 静岡県知事選挙へ立候補を表明 同年6月18日公示
- 2009年7月5日 - 静岡県知事選挙で初当選
賞歴
著作
単著
- 『日本文明と近代西洋――「鎖国」再考』(日本放送出版協会, 1991年)
- 『富国有徳論』(紀伊國屋書店 , 1995年)
- 『文明の海洋史観』(中央公論新社, 1997年)
- 『文明の海へ――グローバル日本外史』(ダイヤモンド社, 1999年)
- 『海洋連邦論――地球をガーデンアイランズに』(PHP研究所, 2001年)
- 『「美の文明」をつくる――「力の文明」を超えて』(筑摩書房[ちくま新書], 2002年)
- 『経済史入門』(日本経済新聞社, 2003年)
- 『ガーデニングでまちづくり――庭園国家日本への道』(中央公論新社, 2003年)
- 『「美の国」日本をつくる――水と緑の文明論』(日本経済新聞社[日経ビジネス人文庫], 2006年)
- 『文化力』(ウェッジ, 2006年)
共著
- (竹内実・村井章介・清水元・高谷好一)『日本史を海から洗う』(南風社, 1996年)
- (I・ウォーラーステイン・網野善彦・榊原英資・山内昌之)『『地中海』を読む』(藤原書店, 1999年)
- (安田喜憲)『敵を作る文明、和をなす文明』(PHP研究所, 2003年)
- (鶴見和子)『「内発的発展論」とは何か―新しい学問に向けて』(藤原書店, 2008年)
編著
- 『海から見た歴史――ブローデル『地中海』を読む』(藤原書店, 1996年)
- 『「鎖国」を開く』(同文舘出版, 2000年)
- 『グローバル・マインドが地球をかえる』(北国新聞社, 2000年)
- 『世界経済は危機を乗り越えるか――グローバル資本主義からの脱却』(ウェッジ, 2001年)
- 『グローバル・ヒストリーに向けて』(藤原書店, 2002年)
- 『アジア太平洋経済圏史――1500-2000』(藤原書店, 2003年)
共編著
- (浜下武志)『アジア交易圏と日本工業化――1500-1900』(リブロポート, 1991年)
- Japanese Industrialization and the Asian Economy, co-edited with A. J. H. Latham, (Routledge, 1994).
- (孔星鎮)『韓国の政治――南北統一をめざす新・先進国』(早稲田大学出版部, 1997年)
- (三好陽)『イギリスの政治――改革に揺れる伝統国家』(早稲田大学出版部, 1999年)
- Asia Pacific Dynamism 1550-2000, co-edited with A. J. H. Latham, (Routledge, 2000).
- (嶌信彦)『居心地のよい国ニッポン――ジャパニーズ・ドリーム』(中央公論新社, 2000年)
- (浜下武志)『海と資本主義』(東洋経済新報社, 2003年)
訳書
- ノエル・ペリン『鉄砲をすてた日本人――日本史に学ぶ軍縮』(紀伊国屋書店, 1984年/中央公論社[中公文庫], 1991年)
- A・J・H・レイサム『アジア・アフリカと国際経済 1865-1914年』(日本評論社, 1987年)
- ロナルド・トビ『近世日本の国家形成と外交』(創文社, 1990年)
論文
- "The Emergence of a Market for Cotton Goods in East Asia in the Early Modern Period," In Japanese Industrialization and the Asian Economy, edited by A. J. H. Latham and Heita Kawakatsu.(Routledge, 1994).
- "The Lancashire Cotton Industry and its Rivals," In From Family Firms to Corporate Capitalism, edited by Kristine Bruland and Patrick O'Brien.(Clarendon Press, 1998).
出演
テレビ
- 視点・論点(NHK教育、1998年5月13日、2001年2月28日、2007年7月16日)
- NHK人間講座「近代はアジアの海から」(NHK教育、1999年7月6日~1999年9月21日)
- 世界わが心の旅「オックスフォード 学もし成らずんば死すとも還らず」(NHK-BS2、2001年6月3日)[29]
- 爆笑問題のニッポンの教養スペシャル「ニッポン!チャチャチャ」(NHK総合、2009年3月24日)
系譜
- 川勝家
- 川勝家は京都府亀岡市旭町出身であり、先祖は大陸からの渡来人である秦氏の一族とされる。曾祖父・光之助は初代府会議員として、亀岡~園部間の鉄道を開通させた田中源太郎らと口丹波のために尽力した。祖父の誠之は旭町で造り酒屋を営み、「旭鶴」という銘柄の酒を醸造していた。[30]
光之助━━誠之━━弘━━平太
脚注
- ^ a b c 「民主の風生かし逆転――静岡知事に川勝氏」『朝日新聞』44256号、14版、朝日新聞東京本社、2009年7月6日、26頁。
- ^ a b 「『21世紀日本の構想』懇談会メンバー略歴」『「21世紀日本の構想」懇談会メンバー』内閣官房内閣広報室、1999年4月。
- ^ 『教育再生会議有識者』。
- ^ 『「美しい国づくり」企画会議有識者名簿』。
- ^ 「【静岡県知事選】川勝氏が当確――大型地方選で民主4連勝――自民党内に『麻生退陣論』広がる」『【静岡県知事選】川勝氏が当確 大型地方選で民主4連勝 自民党内に「麻生退陣論」広がる (3/3ページ) - MSN産経ニュース』産経デジタル、2009年7月5日。
- ^ 中日新聞 (2009年6月4日). “静岡知事選で民主、川勝氏擁立へ 与野党対決に”. 2009年6月7日閲覧。
- ^ 『朝日新聞静岡版5月21日「大学学長擁立目指し超党派の「会議」発足」
- ^ 「『出馬の意図はない』大学学長・川勝氏」『asahi.com:「出馬の意図はない」大学学長・川勝氏-マイタウン静岡』朝日新聞社、2009年5月22日。
- ^ 「改めて川勝氏へ要請」『asahi.com:改めて川勝氏へ要請-マイタウン静岡』朝日新聞社、2009年5月23日。
- ^ 『毎日新聞』静岡版2009年6月3日「転機:’09知事選 揺れる川勝氏発言 「出馬ない」→水面下で布石」(2009年6月12日閲覧)
- ^ 出馬記者会見では、出馬を否定していたことについて、大学理事長である知事から出馬を命じられることはないという趣旨の発言と述べたうえで、自身は一度もぶれていないとした。詳細は『静岡新聞』2009年6月6日「川勝氏が出馬表明 自民・民主対決の構図」を参照(2009年6月12日閲覧)。
- ^ 「お知らせ」 http://www.suac.ac.jp/news/topics/459.html
- ^ 「『全身全霊尽くす』――川勝新知事に当選証書」『関連記事:「全身全霊尽くす」 川勝新知事に当選証書』静岡新聞社、2009年7月7日。
- ^ a b 「川勝氏が知事就任――県庁で当選証書受け取る」『中日新聞:川勝氏が知事就任 県庁で当選証書受け取る:静岡県知事選:静岡(CHUNICHI Web)』中日新聞社、2009年7月7日。
- ^ 川勝平太「歴史の交差点 「英国議会資料」を退けた早大を辞す」(週刊ダイヤモンド1997年7月19日号)
- ^ 質疑応答
- ^ 「小渕“先生”への質問」『小渕総理、学校へ行く』内閣官房内閣広報室。
- ^ 「第百四十七回国会における小渕内閣総理大臣施政方針演説」『第百四十七回国会における小渕内閣総理大臣施政方針演説』内閣官房内閣広報室、2000年1月28日。
- ^ 「小渕総理から君たちへ(第147回国会・施政方針演説から)」『小渕総理からのメッセージ』内閣官房内閣広報室。
- ^ 『日本のフロンティアは日本の中にある――自立と協治で築く新世紀』「21世紀日本の構想」懇談会、2000年1月、95頁。
- ^ 理想の学校教育具現化委員会編集『理想の学校教育の実現を目指して(提言)』静岡県教育委員会生涯学習企画課、2008年10月、資料2頁。
- ^ 「平太Q&A」『川勝平太と、静岡に日本の理想を創ろう』夢あるしずおか創造会議。
- ^ a b 石川嘉延・川勝平太「新しい地球モデルを目指す――自然の恵みと美意識を生かして」『Myしずおか』24巻、静岡県広報局、2005年3月、5頁。
- ^ 「知事選立候補者のマニフェスト(要旨)」『川勝平太氏:知事選立候補者のマニフェスト(要旨)』静岡新聞社、2009年6月30日。
- ^ a b 堺屋太一・御厨貴・後藤謙次「識者33名&政治記者84名アンケート――これが日本最強内閣だ――奥田碩 、橋下徹から小泉純一郎、長妻昭まで、未曾有の危機に総力を結集せよ」『文藝春秋』87巻4号、文藝春秋、2009年4月1日、103頁。
- ^ 堺屋太一・御厨貴・後藤謙次「識者33名&政治記者84名アンケート――これが日本最強内閣だ――奥田碩 、橋下徹から小泉純一郎、長妻昭まで、未曾有の危機に総力を結集せよ」『文藝春秋』87巻4号、文藝春秋、2009年4月1日、104頁。
- ^ 『中日新聞』静岡版2009年6月6日「県知事選 川勝氏が無所属で出馬表明 『地域の自立を実現』」
- ^ 『毎日新聞』静岡版2009年6月9日「転機:’09知事選 公開討論会に川勝氏、海野氏 行革で持論展開 /静岡」
- ^ NHKアーカイブス保存番組検索
- ^ いま、ふるさとの君たちへ
関連人物
関連項目
外部リンク
- 川勝平太と、静岡に日本の理想を創ろう…川勝平太 ホームページ・公式サイト
- 川勝 平太
- 川勝プレゼン
- 川勝平太『日本文明と近代西洋』(松岡正剛の千夜千冊、2001年2月7日)この記事には廃止されたテンプレートTemplate:Lifetimeが含まれています。Template:Lifetimeの説明を参考にして、このテンプレートを使わずに記事を作成してください。
|
|
|
6代 石川嘉延 |
![]() 7代:2009 - |
8代 - |