災害派遣
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災害派遣(さいがいはけん)とは、地震や水害等の大規模な天変地異や、大量の死傷者の発生が伴う大規模な事故などといった各種災害の発生に際して、救助活動や予防活動などの対応限界を超えた地域に陸海空の自衛隊部隊を派遣し、その組織を以て救援活動を行うことである。「災派」と略称されることもある。
概要
災害派遣は災害により当該地域や自治体の保有する防災・災害救助の能力では十分な対応が出来ない時に行なわれるもので、自衛隊法第83条に定められている自衛隊の行動である。自衛隊の主任務は同法第3条第1項に規定されている「外国の侵略からの国土防衛」であり、災害派遣は“従たる”任務にあたる。
任務の位置づけは治安出動や海上警備行動と同列の地位にある。災害救助という緊急を要する場面が想定される活動であるがゆえに、治安出動よりはるかに穏健で市民への影響は無視できる程度のものとはいえ、市町村長や警察官などの権限を準用する形で私有地への立ち入りや建築物・車両等の除去など私権を合理的な範囲で制限する活動が法的に認められている。
しかし、これらの制限は火器を使用してまで行うわけではなく、その活動内容が専ら人命・財産の保護であることから、実施の実績が1回もない治安出動や、3回しか実施されたことがない海上警備行動と異なり、すでに32,000回以上の出動実績がある。
活動内容
新潟県中越地震の際の災害派遣 |
災害派遣により出動した自衛隊の部隊等が行う活動は非常に幅広い。自衛隊が災害派遣において発揮する最大の特性かつ長所は、他組織の支援を得られなくとも自力で任務遂行を可能とする、軍隊同等の高度な自己完結性にある。
消防や警察などは初動準備にある程度の時間を要するため、被災から一定時間経過後の物資輸送や生活支援、応急復旧工事などでこそその真価を発揮すると考えられている。しかし、自衛隊に対する期待の主要なものはインフラの破壊された被災地に対する、ヘリコプター等による空輸能力を活用した早期展開による人命救助活動であり、基本的には遠隔地から派遣されるため困難が伴うが、いざ災害非常時の国民の期待に応えるべく、ヘリコプターや初動要員の24時間待機などの努力が行われている。
- 行方不明者の捜索
- 建物など構造物から自力で脱出できない被災者の救出(出動した時点で特別救助隊等だけでは到底手が足りない状況になっていることが明白な場合。災害現場での捜索救助は消防の専門であり自衛隊の専門ではないため)
- 負傷者の治療(診療所や病院、個々の医師達だけでは手に負えない状況)
- 死亡者の遺体の収容・搬送
- 堤防や道路の応急復旧
- 支障物の撤去
- 人員・物資の輸送
- 空中消火
災害発生時に現地で救助・支援活動を実施する自衛隊員たちという括りで、テレビ報道なども含めて一般大衆がその姿を目にする作業としては、主なものはこれらが挙げられる。
とはいえ、自衛隊の活動範囲は決してこれらに限定されるものではなく、むしろ非常に広範囲に及ぶものであり、さらには、
- 入浴用仮設施設の開設
- 火山観測
- 災害観測や二次災害防止に必要な各種施設の早期復旧の支援
- 原子力発電所などでの原子力事故の未然防止措置および化学防護・施設封鎖・除染等
- 化学・生物テロなどでの、救助・治療、化学防護、施設封鎖、除染等
- 被災者を対象とした音楽隊による慰問演奏
- 害獣、害虫の捕獲・殺処分またはその支援
- 家畜伝染病に感染した家畜(患畜)に対する必要な処置(殺処分など[注釈 1])の実施
このように、状況や緊急性に応じて必要とされるあらゆる活動を、可能な限り実施する。
- 原則として火器は使用しない。だが、ほかに手段がなくやむを得ない場合には火器の使用も選択肢として含まれる[注釈 2]。
- 1991年、雲仙普賢岳の噴火で大規模な火砕流災害が発生した際には、火砕流の夜間警戒に際して、搭載している(アクティブ)投光器の大出力・大光量の性能を買われて74式戦車の派遣が検討され、駐屯地で待機していたが実際に使われることはなかった[2]。また、戦車の高い放射線防護能力を買われ、2011年に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故では、放射線に汚染された瓦礫の撤去、通路啓開を目的に排土板(ストレートドーザ)を装備した74式戦車2両が派遣されJヴィレッジで待機していたが後に遠隔操作式の重機が投入されたため使われることはなかった[注釈 3]。
災害派遣の様態
災害派遣の種類
- 通常の災害派遣(自衛隊法第83条2項本文)
- 災害発生により発生した被害については、まず自治体(消防・警察などを含む)や海上保安庁が対応することとなるが、十分な対応が困難な場合、(市町村の要求をうけた)都道府県知事、海上保安庁長官や管区海上保安本部長、空港事務所長からの要請に基づいて自衛隊の部隊等が派遣される。災害派遣の場合の行動命令の略号は「行災命」。
- 特に大規模な震災で多人数の派遣が必要とみなされた(防衛大臣による大規模震災の指定)場合には、防衛大臣より「大規模震災災害派遣命令」が発される[3]。東日本大震災に際しては、3月11日18時に発令されている[4]。
- 自主派遣(自衛隊法第83条2項但し書き)
- 緊急に人命救助が必要な場合で都道府県知事等と連絡が取れない場合(通信の途絶や現地の混乱など)や災害発生時に関係機関への情報提供を行う場合など一定の要件を満たす場合は要請がなくても部隊が派遣されることがあり、このような場合は「自主派遣」と呼ばれる。自主派遣された場合でも、後日に都道府県知事等からの正式な要請文書を受け取る場合が多く、完全に「自主派遣」とされることはまれである。近年のテロ警戒活動において、警戒地域内または周辺で災害派遣の垂れ幕を付けた自衛隊車両が多数待機している場合がある。テロ攻撃という事態に対し迅速な政治判断ができない場合に備えて自主派遣でもって出動するためである。2010年横浜でのAPEC首脳会議でもこうした措置が取られた(但し要請があった事実は確認されていない)。
- 近傍派遣(自衛隊法第83条3項)
- 部隊や自衛隊の施設の近傍で災害が発生している場合に部隊等の長が部隊を派遣することがあり「近傍派遣」とよばれる。この活動は近所づきあいの範囲とされ都道府県知事等の要請は必要としない。
- 地震防災派遣(自衛隊法第83条の2)
- 地震災害に関する警戒宣言が出された際に地震災害警戒本部長の要請により部隊等が派遣されるもので、1978年(昭和53年)の大規模地震対策特別措置法の制定に関連して追加された。この条文での派遣実績はない。地震防災派遣の場合の行動命令の略号は「行震命」。
- 原子力災害派遣(自衛隊法第83条の3)
- 原子力緊急事態宣言が出された際、原子力災害対策本部長の要請により部隊等が派遣されるもので、東海村JCO臨界事故を受けて1999年(平成11年)に制定された原子力災害対策特別措置法に関連して追加された。2011年東北地方太平洋沖地震で発生した、福島第一原子力発電所事故対応のため、2011年3月11日、原子力災害対策特別措置法に基づく要請により派遣された。原子力災害派遣の場合の行動命令は「行原命」。2011年6月24日の閣議にて派遣手当が自衛隊イラク派遣手当を超える日額4万2千円と定められた[5]
なお、有事における災害派遣の扱いは不透明であったが、2004年(平成16年)国民保護法の成立に伴い国民保護等派遣(自衛隊法第77条の4)として分離された。また、冷戦終結後の1990年代以降は、国外へ医療・航空部隊等が派遣されているが、これは国際緊急援助隊の派遣に関する法律に規定されている「国際緊急援助隊」であり、別のものである。
通常の災害派遣を命ずることができる者
自衛隊法上その他の行動においては、内閣総理大臣や防衛大臣などの承認や命令が必要とされるなど非常に制限が多いが、災害派遣は、災害時の秩序維持において有用で、武器の使用については治安出動とは異なる[6]ことから、都道府県知事のほか、海上保安庁長官、管区海上保安本部長及び空港事務所長からの要請により、駐屯地司令など2佐程度の自衛官でも命ずることができる非常に緩やかなものである。また、市町村長、警察署長その他これに準ずる官公署の長から災害派遣に関する依頼を受け、直ちに救援の措置をとる必要があると認める場合にも、部隊等を派遣することができる。[7]
災害派遣を命ずることができる者は、防衛大臣のほか、政令の指定により、次の者がいる[3]。
- 方面総監[注釈 4]
- 師団長
- 旅団長
- 駐屯地司令の職にある部隊等の長[注釈 5]
- 自衛艦隊司令官
- 護衛艦隊司令官
- 航空集団司令官
- 護衛隊群司令
- 航空群司令
- 地方総監
- 基地隊司令
- 航空隊司令(航空群司令部、教育航空群司令部及び地方総監部の所在地に所在する航空隊の長を除く。)
- 教育航空集団司令官
- 教育航空群司令
- 練習艦隊司令官
- 掃海隊群司令
- 海上自衛隊補給本部長
- 航空総隊司令官
- 航空支援集団司令官
- 航空教育集団司令官
- 航空方面隊司令官
- 航空混成団司令
- 航空自衛隊補給本部長
- 基地司令の職にある部隊等の長(航空総隊司令部、航空教育集団司令部、航空方面隊司令部、航空混成団司令部又は航空自衛隊補給本部の所在する基地の基地司令の職にある部隊等の長を除く。)
近傍災害派遣を命ずることができる者
近傍災害派遣を命ずることができる部隊等の長は、指定部隊等の長のほか、団、連隊、群、大隊、独立中隊及びこれらに準ずる部隊の長並びに学校、分校、病院、補給処及び補給処支処(出張所を含む。)の長である。
ただし、部隊等が駐屯地の近傍において教育・訓練等に従事している場合又は演習場の廠舎若しくは野外に宿営している場合、その近傍に救援を要する火災、その他の災害が発生したときは、当該部隊等の指揮官(曹士でも可能とされている。)は、救援に当たることができる。
急患空輸
急患空輸は災害派遣の中でもっとも頻繁に実施される活動で、平成17年度は892件中609件と約2/3、例年総件数の2/3~3/4がこの種の活動に充てられている。件数の大半が五島列島、南西諸島から九州や沖縄本島、奄美大島など医療機関が整った地域への空輸である参考 西部方面隊。
災害派遣は自衛隊法上「天災地変その他の災害に際して」行なわれるものとされているが、厳密には災害にはあたらない通常の疾病での派遣も数多く行なわれている。特定個人への支援ととられかねないこの種の活動を自衛隊では、公の機関(地方自治体)が提供すべきサービス(医療機関または輸送手段)が整備されていないという社会的欠陥の是正を公の要請により行うという考え方で実施している。
災害派遣を命ぜられた自衛官の権限
災害派遣部隊の指揮官は警察官や消防吏員、海上保安官、自治体職員がその場にいない場合に限り、災害派遣活動を円滑に進めるため強制的に避難させたり、工作物を除去するなど警察官などの権限の一部を行使し、自治体職員が取るべき応急措置の一部を行うことが出来る。ただし、近傍派遣により派遣された場合は含まれない。
同一地域で救援活動に当たる各機関との関係は並列・対等であり、災害対策本部での調整を受けて役割を分担して行う。また、個々の現場では地域住民やボランティアと協同で活動を行うこともある。
災害派遣命令により自衛隊が行動できる地域
災害派遣に関する法令は「要請権者」および「災害派遣を命ずることができる者」に災害派遣に関する地域的な制限を加えていない。大規模な災害派遣のため全国各地より部隊が派遣される場合、命令が発せられた時点より部隊が「要請権者」の管轄地域外であっても災害派遣行動に移行するのはもちろんのこと、外国の領海内で災害派遣行動を行なった実例も存在する。(「えひめ丸事故」におけるハワイ諸島周辺の米国領海内での活動)。
災害派遣と文民統制の関係
阪神・淡路大震災までの一時期、文民統制の原則から、都道府県知事等の要請がなければ絶対に災害派遣行動はできないという考え方が主流となっており(幹部自衛官による独断専行を容認することはクーデターに繋がるとする意見がある)、緊急を要する場合は訓練名目での派遣や近傍派遣の名目で行なわれたこともあったが、阪神・淡路大震災での反省を踏まえ、現在では「自主派遣」に関する基準が明確化されており、法制定の趣旨に沿った活動が行われている。
そもそも、災害派遣は災害という非常事態下のやむを得ない場合に行なわれるもので、「緊急性」「公共性」「非代替性」を総合的に判断して派遣の可否が判断される。平成18年豪雪に伴う災害派遣のように関係者の間で自衛隊災害派遣の是非を巡る判断が分かれる場合、政府首脳による政治的判断により災害派遣の実施が決定されることもある[8]。
使用器材
- 基本的には防衛の目的で整備された器材を使用する。主要なものは、トラックなどの車両、航空機、土木機械、艦艇、つるはしやシャベル(円匙)であるが、火山近傍への進出のため、噴火など要員や要救助者の安全などを考慮する必要から装甲車や戦車を使用したこともある[注釈 6]。
- 2014年の御嶽山噴火に際しては噴石等からの安全を考慮し、戦闘用ヘルメットである88式鉄帽やゴーグル、防弾チョッキ2型(戦闘装着セット)などが用いられ、遭難者捜索のために降り注ぐ噴石にも耐えられるとして4輌の89式装甲戦闘車も投入された[9]。また、火山灰に埋もれた行方不明者捜索のため、地雷探知機画像型も投入される。
- 護衛艦は海難救助や部隊、要救助者等の輸送、負傷者を治療する病院船、大規模災害時の災害派遣部隊の基地代わりとして有効に活用される。
- 阪神・淡路大震災時にこれらの装備では十分な活動が行なえず、緊急調達や自衛隊員個人が保有する道具により対応せざるをえなかったことから、初めて災害派遣専用の「人命救助セット」が導入され、全国の駐屯地等に配備されている。
費用の負担
災害派遣は自衛隊が任務として行う公共の秩序の維持のための活動であるから、土木工事等の受託(自衛隊法第100条・隊員の給与を含めて請求)とは異なり基本的に要請者や過失または犯罪行為によって被害を発生させたものに対して費用を請求することはない。ただし、災害派遣を行うに当たって特別に要した費用(たとえば部隊が駐屯するために借り上げた施設の使用料、被災者に提供した食料など)は要請者が負担することとされ、細部は都道府県等と協議の上決定される。また、災害派遣のために使用される車両は高速道路を無料で通行することができる[注釈 7]。
なお、船舶油濁損害賠償保障法では「損害の原因となる事実が生じた後にその損害を防止し、又は軽減するために執られる相当の措置に要する費用」を船舶の所有者が賠償する義務を定めていることからこのような場合は災害派遣に要した経費を請求する。たとえばナホトカ号重油流出事故の場合、防衛庁は海上保安庁などと共同で船主や保険会社を相手に訴訟をおこない、防衛庁分として約6.6億円を請求している[注釈 8]。
さまざまな見解
災害派遣には次のような見解がある。自衛隊を肯定するから災害派遣も全肯定するといったような単純なものではない。なお、現状では国民から肯定的に評価されており、2006年2月の世論調査では自衛隊が存在する目的として災害派遣と回答した者は75.3%となっている[11]。
肯定的見解
- 世論調査の分析から災害派遣は国民の期待以上に成果を上げていると考えられる。その権限には国民生活に制約を与えるものが含まれているが限定されたものであり公益性は高い[12]。
- 平成7年の災害対策基本法改正(自衛隊の権限強化)について衆議院・参議院ともに全会一致により可決された。なお、自由民主党・自由連合、新進党、日本社会党、新党さきがけ及び民主の会(のち市民リーグ)は政府原案に対し市町村長が災害派遣の要求を行なえるよう法案を修正した[13]。
- 個々の災害派遣については自治体や関係者からの感謝状や記念品が多数寄せられている。(各駐屯地等で展示されている)
否定的見解
- 災害派遣は自衛隊の従たる任務に過ぎず深入りすべきでないという意見が旧軍出身者にはあった[14]。
- 災害派遣およびその訓練は最終的には治安出動や防衛出動にも活用されるであろうものであり、単なる災害救援のためのものではない[15][注釈 9]。
- 文民統制に反する行為だとする意見。“国民の為”と根拠命令抜きで動くのはクーデター(参加する兵士は国・国民のためになると思い込んで決起する)と同じだと主張される。
派遣された自衛官の被害
1966年に発生した全日空羽田沖墜落事故では、遺体捜索中の海上保安庁のヘリコプターが墜落し3人が死亡する二次災害が発生するなど、派遣された自衛官などが様々な被害を受けることも多い。2010年に宮崎県で発生した口蹄疫問題でも、災害派遣された隊員が消毒用の消石灰で目や腕の皮膚等に炎症を起こすケースも発生している[17]。
また、PTSDなどの症状を発症せずとも、軽い不眠や精神不安定といったものは多々ある。これに対して、自衛隊内でもカウンセリングなどの必要な対策がなされている[18][19]。
2011年の東日本大震災では、福島第1原子力発電所の事故で、上空からの観測や消火復旧に当たっていた隊員等が軽度の放射線被曝をしている他、2人が復旧・捜索活動のさなかに過労死した。
なお、上記以外にも過去災害派遣中の殉職事故も発生している。
- 1957年、諫早水害の際、植え替え用の苗輸送で、隊員が深夜に交通事故を起こして死亡した。
- 1962年9月3日、鹿児島県奄美大島への緊急血液空輸中の海上自衛隊のP2V対潜哨戒機が山に衝突して、乗員の海上自衛官12名と地上の一般市民1名合わせて13名が死亡した。2015年現在、災害派遣における最大の事故である。
- 1990年2月17日、沖縄県宮古島近海で急患輸送任務についていた第101飛行隊のLR-1連絡機が遭難し、添乗勤務の民間医師と乗員の陸上自衛官4名が行方不明となった。
- 1994年12月2日、北海道奥尻島に急患輸送任務で向かう途中の千歳救難隊のUH-60Jが山に墜落し、航空自衛官4名が死亡した。
- 2007年3月30日、徳之島山中に急患輸送任務についていた第101飛行隊のCH-47JAヘリが墜落し、陸上自衛官4名が死亡した。
災害派遣実績
初の災害派遣は警察予備隊当時の1951年(昭和26年)10月14日から15日にかけて九州地方に上陸した「ルース台風」後の救助活動である。普通科第11連隊(当時)の隊員延べ2700人が、時の内閣総理大臣吉田茂の命令により、同20日から26日にかけて山口県玖珂郡広瀬町(後の錦町→岩国市)に派遣され、救助活動を行なった。
しかし、警察予備隊初の災害派遣は当初スムーズには行われなかった。田中龍夫山口県知事の要請により情報収集を開始した第11連隊は第4管区総監部(現在の第4師団司令部)に指示を仰いだものの、前例がない事と許可権は内閣総理大臣にあるとの理由により「出行保留」(事実上の出動不許可)としたのである。
これに対し、副連隊長が現地の写真等を持参し第4管区総監部に赴き出動許可を求めたが、一度決まったことであり変更・撤回はないとしてやはり許可は下りなかった。そこで副連隊長は、管区総監(現在でいう師団長)筒井竹雄が仕事を終え帰ろうとしていたところを捕まえ直訴。筒井は直ちに東京の総隊総監部へ連絡を入れ、そこから吉田総理へ出行要請が届き派遣が決定したのである。「許可権は内閣総理大臣にある」と突っぱねた第4管区総監部も、総理自らの許可が下りたことで出行保留を撤回し、部隊派遣の正式命令を下す運びとなった[20]。
以降、以下のような派遣事例がある。
- 昭和28年西日本水害 1953年(保安隊時代)
- 伊勢湾台風 1959年
- 三八豪雪 1963年
- 新潟地震 1964年
- 全日空羽田沖墜落事故 1966年
- 飛騨川バス転落事故 1968年
- 第十雄洋丸事件 1974年(火災が発生したタンカーを護衛艦の砲雷撃により沈没処分)
- 宮城県沖地震 1978年
- 五六豪雪 1981年
- 長野県西部地震 1984年
- 日本航空123便墜落事故 1985年
- 三原山の噴火 1986年
- 雲仙普賢岳の噴火 1991年~1995年(最長期間 延べ1658日)
- 阪神・淡路大震災1995年(最大規模 延べ225万人・車両34万台・航空機1.3万機・艦艇679隻を派遣)
- 地下鉄サリン事件 1995年
- 福岡空港ガルーダ航空機離陸事故 1996年
- 豊浜トンネル崩落事故1996年
- 第2白糸トンネル崩落事故1997年
- ナホトカ号重油流出事故 1997年(延べ14.4万人派遣)
- 東海村JCO臨界事故 1999年
- 有珠山の噴火 2000年
- 三宅島の噴火 2000年
- 東海豪雨 2000年
- えひめ丸事故 2001年(ハワイ沖で捜索活動)
- 十勝沖地震 2003年(被害状況の偵察、行方不明者の捜索、出光興産北海道製油所火災における化学消火剤の緊急空輸)
- 鳥インフルエンザ 2004年(防疫事業)
- 新潟県中越地震 2004年
- 福岡県西方沖地震 2005年
- JR福知山線脱線事故 2005年
- 台風14号 2005年
- 鳥インフルエンザ 2005年(防疫事業)
- 平成18年豪雪 2006年
- 平成18年7月豪雨 2006年
- 能登半島地震 2007年
- 新潟県中越沖地震 2007年
- 岩手宮城内陸地震 2008年
- 八戸地域大規模断水事故 2009年
- 2010年日本における口蹄疫の流行 2010年
- 東北地方太平洋沖地震に伴う東日本大震災 2011年(現役の自衛官17万人は元より、予備自衛官まで動員する史上最大の救援・支援活動が行なわれた)
- 平成26年豪雪 2014年
- 平成26年8月豪雨 2014年
- 2014年の御嶽山噴火 2014年
- 平成27年台風第18号に伴う平成27年9月関東・東北豪雨災害 2015年
実績回数
年度 | 回数 | 人員 |
---|---|---|
平成16(2004) | 884 | 161,790 |
平成17(2005) | 892 | 34,026 |
平成18(2006) | 812 | 24,275 |
平成19(2007) | 679 | 105,380 |
平成20(2008) | 606 | 41,191 |
平成21(2009) | 559 | 33,700 |
平成22(2010) | 529 | 39,646 |
平成23(2011) | 586 | 43,494 |
脚注
注釈
- ^ 家畜伝染病予防法においては、狂犬病・口蹄疫・鳥インフルエンザ・馬伝染性貧血などの一部の疾病について、致死率・伝染性の高さ、人獣間感染のリスク、感染拡大時の経済的悪影響の甚大さへの考慮などの観点から、伝染拡大を阻止する事を目的に、感染が確定した患畜について、緊急の殺処分や死骸の焼却・埋設を行うことを定めている(第21条など)。
- ^ 実際のケースとしては1960年に発生した谷川岳宙吊り遺体収容事件が有名。遭難者はザイルで宙吊りになり死亡、遺体が収容困難な状況であることから自衛隊の出動が要請され、狙撃部隊が出動。ザイルを狙撃して切断し、遺体を落下させることで収容した。この際には小銃・カービン銃などの銃器と約1300発の銃弾が使用されている。また、1960年代には漁業被害に悩む漁民の要請から、トドを駆除するために航空自衛隊のF-86が出動し、災害派遣において実弾による機銃掃射が行われている。(ちなみに、あくまで想定ではあるが、もしもゴジラのような怪獣が日本に襲来した場合、怪獣を退治するには有害鳥獣駆除目的で自衛隊の災害派遣と火器使用が可能とする旧防衛庁の机上研究が存在する[1]。)
- ^ 但し実際には震災直後における原発周囲の地盤の関係上その重量から任務遂行は困難として待機のみである。
- ^ 休暇などで不在の間は留守の間職務代行を命ぜられた幕僚長や総監部当直幕僚等が事後承認で命令を出す場合もある。
- ^ 休暇や休日等で司令たる部隊長が不在する場合は、同一駐屯地に所在する部隊長のうち最先任者若しくは留守を預かる司令職担任部隊の副隊長・駐屯地業務隊長、若しくは駐屯地当直司令がその任を代行する場合もある。駐屯部隊長が不在で駐屯地当直司令が派遣命令を出した場合、速やかに駐屯地司令への報告と事後承認を必要とする。
- ^ 雲仙普賢岳の火砕流発生による警戒監視を目的とした74式戦車の派遣例や、有珠山噴火時住民救出の為に73式装甲車や96式自走120mm迫撃砲の砲身を外して内部を広くし人員輸送を可能にした状況下での派遣等の実績がある。
- ^ 但し、災害派遣である事を車両に提示しておかなければならず、そういった処置がされない場合は隊員による実費負担となる。日付・時間・区間と車種・料金がはっきりと分かる領収書を部隊に示さなければならず、提出が無ければ会計隊へ部隊長名での請求は出来ない。
- ^ 平成14年8月30日に和解により支払いが確定した[10]。
- ^ 2010年日本APECでは、対NBC兵器防衛を行う第1師団第1特殊武器防護隊が、起きていない“災害”に対応するため会場近くに派遣されたことが確認されている[16]。
出典
- ^ http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007122100970
- ^ 日本経済新聞:自衛隊、福島第1原発周辺に戦車2両 がれき撤去へ
- ^ a b 自衛隊の災害派遣に関する訓令(昭和55年防衛庁訓令第28号)第3条
- ^ 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する大規模震災災害派遣の実施に関する自衛隊行動命令(自行災命第3号)
- ^ 東日本大震災、原発派遣自衛官手当は4万2000円(毎日jp、2011年6月27日閲覧)
- ^ 参議院内閣委員会(昭和27年7月24日)大橋武夫国務大臣答弁。
- ^ 自衛隊の災害派遣に関する達(平成18年自衛隊統合達第20号)
- ^ 飯山市への自衛隊災害派遣について[リンク切れ]長野県
- ^ “装甲車も投入、550人体制で捜索…御嶽山噴火”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2014年9月28日) 2014年9月29日閲覧。
- ^ ナホトカ号油流出事故における油濁損害賠償等請求事件に係る訴訟の和解について 国土交通省
- ^ "「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」の概要" (Press release). 防衛省.[リンク切れ]
- ^ 丸尾雄一『公益的安全保障 国民と自衛隊』大学図書 2006年2月20日 p175-185
- ^ 参議院災害対策特別委員会、第134回国会会議録
- ^ 朝雲新聞社『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』p224 大森寛証言
- ^ 岡本篤尚「自衛隊の災害救援活動をどう考えるべきか」『法学セミナー』1996年4月
- ^ APEC開催中の自衛隊出動に対して神奈川県知事あてに抗議申し入れ(アジア連帯講座)
- ^ "【口蹄疫】知られざる自衛隊の苦闘 陸自第43普通科連隊長が語る" (Press release). 産経新聞. 30 July 2010. 2010年7月31日閲覧。
- ^ 隊員の処遇・人事施策>メンタルヘルス(防衛省)
- ^ 自衛隊員のメンタルヘルスに関する提言の要旨(防衛庁 平成12年10月6日)
- ^ 「エリートフォーセス 陸上自衛隊編[Part1]」ホビージャパン、pp.154-155
- ^ 防衛省・自衛隊:防衛白書
参考文献
- 白浜龍興『知らざれる「自衛隊災害医療」』悠飛社、2004年。
- 『MAMOR』2007年9月号、扶桑社、P17
関連項目
外部リンク
- 防災業務計画(防衛省)
- 学術の動向2005年6月号「大規模災害時の自衛隊の役割」 (PDF) (日本学術協力財団)