特別救助隊

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特別救助隊(とくべつきゅうじょたい、通称レスキュー隊)とは、人命救助活動を主要な任務とする消防の専門部隊のこと。「消防特別救助隊」とも呼ばれる。

出初式から帰隊する東京消防庁江戸川特別救助隊(車両は2008年当時)

全国の消防本部消防署等に配置されており、主に火災交通事故労災事故(機械に挟まれた等)など日常生活の中で起こる災害から自然災害、河川や山間部で起こる水難救助山岳救助、そして震災など大規模災害まであらゆる人命救助事案に対応している。さらにNBC災害核兵器生物兵器化学兵器テロなどの特殊災害の際も救助活動を行う。

消防吏員の中でも優れた気力や体力、判断力を持ち、高度で専門的な知識と救助技術を備えたエリート達により構成されている。活動服はオレンジ色の“救助服”であり、救助資機材を積んだ救助工作車に乗車するのが特徴である。

概要[編集]

救助工作車(東京消防庁永田町救助の救助車)

従来の火災による死者はその殆どが焼死者だったが、1932年に発生した白木屋火災では焼死者が0窒息死が1人に対して、墜落死が13人、負傷者が67人という大惨事となった。警視庁消防部神田消防署(現在の東京消防庁神田消防署。分離改称されたのは戦後である)は、この火災を契機として1933年、救助車とドレーガー式呼吸器や防煙マスクなどの救助資機材の寄贈を受け専任救助隊を新設し、本格的な人命救助活動(当時は主に火災現場での救助)を開始した。芝・麹町・本郷・下谷(現上野)・深川消防署にも試験的に配置された。しかし、太平洋戦争の影響で防空消防に全力をいれることになり廃止された。

その後、横浜市消防局は戦後の開発で都市環境が急速に変化したことから、様々な事故で人命救助活動の必要性が増すと想定し、一部の消防隊員を陸上自衛隊富士学校に派遣し、レンジャー技術を習得させ始めた。

1948年に警視庁消防部から分離設置された東京消防庁は聖母の園養老院火災を契機として1955年に専任救助隊制度を再度運用を開始した。聖母の園養老院火災や金井ビル火災などの多数の死者がでた火災事故が相次いで発生したために1955年から1965年代にかけて火災現場での人命救助に重点を置いた救助隊が全国の消防本部にも創設され始めた。

1963年には横浜市で発生した鶴見事故において、横浜市消防局の陸上自衛隊で訓練を終えた第一期生の隊員達が出動し、人命救助に活躍した。これを受けて横浜市消防局は1964年に、人命救助の専門部隊として「消防特別救助隊」(通称横浜レンジャー)を創設した。

東京消防庁も、予想を超える重大事故が多発し救助要請が増えたため、火災ではなく災害現場で人命救助に特化した部隊が必要と考え、習志野駐屯地空挺部隊から技術を学び独自にレスキュー技術を完成させ1969年麹町消防署永田町出張所に特別救助隊(通称レスキュー隊)を設置し、運用を開始した[1]

1986年になると消防法の改正により全国の消防に人命救助を専門とした救助隊と人口10万人以上の地域には救助隊よりもさらに高度な特別救助隊を設置する事を法制化し全国の消防本部は、東京消防庁と横浜消防を参考に通称レスキュー隊とよばれ火災現場だけではなくあらゆる災害の人命救助にあたる救助隊・特別救助隊が創設された。なお各自治体の消防により部隊の呼び方や表記の仕方に違いがある。消防関係者の間では特救(トッキュー)と呼称されることが多い。横浜市消防局では、日本で最初に消防救助隊を創設した際に陸上自衛隊レンジャーが手本とされ、また創設にも携わっているという経緯から横浜レンジャー(YR)と呼称している。

ポンプ隊や救急隊と異なり、摩擦などに強い素材を使用し刺し子が取り入れられた、暗い中でも目立つ橙色(オレンジ色)の活動服を着用している[2](ただし最近は感染防止のために現場では感染防止衣を着て活動する事が多い)。「オレンジ服」や「救助服」とも呼ばれ消防官の憧れでもある。東京消防庁の特別救助隊の制服の左肩にはスイスで救助犬とし活躍したセントバーナード犬がホースと筒先で囲まれた青色の紋章が刺しゅうされている(部隊により紋章がかわり、これがハイパーレスキューになるとセントバーナードがフック付きワイヤーに囲まれたゴールドの紋章となる)[3]。火災現場で着用する防火服は、本部によって仕様が分かれており、オレンジ色の防火服(東京消防庁など)の本部もあるが、一般の消防隊員と同じ防火服の本部もある。また、最近では救助隊用のオレンジ色の感染防止衣を取り入れる本部もある。 出動の際は、救助資機材を積んだ救助工作車(東京消防庁での正しい呼称は「救助車」)を使用する。

管轄地域の特性や消防本部により特別救助隊の隊員が水難救助隊山岳救助隊などを兼任している場合が多い。通常のレスキュー業務を行う傍ら、潜水に関する講習などに参加し潜水士免許を取得したり、山岳会の講習などに自費で参加する隊員も多い。

また毎年、全国各地域で選抜された救助隊員よって「全国消防救助技術大会」が開催されている。この大会は、日頃の訓練の成果を披露するとともに、救助技術を競い合い、また消防救助技術を学び、国民へ救助活動をアピールすることを目的としている。当初は救助隊の全国普及・技術の均一化を目指して開催が始まった。

なお特別救助隊の選抜については東京消防庁のように厳しい「選抜基準」や「入隊試験」がある自治体もあれば、「本人の希望」や「所属長の推薦」など辞令等で選抜され、消防学校の救助課程で研修を受け、救助隊員に就く自治体も少なくない。選抜されると消防学校の救助課程で厳しい訓練を受ける。

特に力を入れている東京消防庁では特別救助隊になるためには“最難関”と呼ばれる厳しい「入隊試験」や、“地獄”と評される「特別救助技術研修」[4]を修了する必要がある(40日間かけて徹底的に叩き込まれるが、体力の問題や負傷等によりドクターストップがかかる落伍者も僅かにいる)が、修了したからといって直ちに隊配属となれる訳でもなく、特別救助隊に欠員が出るか、増員に伴ってやっと配属となる(まず、はしご隊等に配属されることも多い)。 特別救助隊の活動は、高い身体能力を必要とするため、東京消防庁の場合、隊員で35歳位、隊長で45歳位までが在隊可能な年齢とされている。体力的に限界となった場合は昇進し他部署へ異動する形で“引退”する[5]

また、東京消防庁は阪神・淡路大震災を教訓に大規模災害等に対応するため、特別救助隊等から選抜された特別な技術・能力を有する隊員や装備で編成される消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)を創設した。

総務省消防庁も、新潟県中越沖地震JR福知山線脱線事故などの経験、さらに新潟県中越地震での東京消防庁の消防救助機動部隊(通称ハイパーレスキュー)の活躍から、全国的に高度な技術を持った救助隊の必要性を認識し、『救助隊の編成、装備及び配置の基準を定める省令』の一部を改正し、省令第5条、第6条で規定する「全国の中核市消防本部等に高度救助隊を、東京都及び政令指定都市消防本部等に特別高度救助隊を設置した。これらの部隊は特別救助隊からさらに選抜編成されている。

現在日本の消防救助隊は次の四段階構成になっている。

区分 救助資機材の基準 車両の基準 配置の基準 隊員の構成
救助隊 救助活動に必要最低限の資機材 救助工作車又は他の消防車1台 人口が10万人未満の地域 人命救助の専門教育を受けた隊員5名以上で編成するように努める。いわゆる兼任救助隊。
特別救助隊 救助隊よりプラスアルファの資機材 救助工作車1台 人口が10万人以上の地域 人命救助の専門教育を受けた隊員5名以上
高度救助隊 高度救助資機材電磁波人命探査装置、二酸化炭素探査装置、水中探査装置など一部の高度救助資機材は、地域の実情に応じて備える) 救助工作車1台 中核市もしくは消防庁長官が指定するそれと同等規模もしくは中核市を有しない県の代表都市を管轄する消防本部 人命救助の専門教育を受けかつ高度な教育を受けた隊員5名以上
特別高度救助隊 高度救助資機材と地域の実情に応じてウォーターカッターと大型ブロアー 救助工作車1台と特殊災害対応車1台 政令指定都市および東京都 人命救助の専門教育を受けかつ高度な教育を受けた隊員5名以上

関連記事[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ホテルニュージャパン火災にも出動した精鋭として知られる
  2. ^ ポンプ隊の執務服は橙と紺の、救急隊は灰色と白のツートーン
  3. ^ 災害防除
  4. ^ 東京消防庁特別救助技術研修に密着
  5. ^ AKB48ネ申テレビにゲスト出演、のちに福島第一原子力発電所事故対応に当たった東京消防庁第八消防方面本部・機動救助部隊統括隊長の高山幸夫消防司令は、消防司令長に昇進、2012年12月現在は立川消防署で警防課長。

外部リンク[編集]