アルバート・ベル
1997年 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ルイジアナ州シュリーヴポート |
生年月日 | 1966年8月25日(57歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 225 lb =約102.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト2巡目 |
初出場 | 1989年7月15日 |
最終出場 | 2000年10月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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アルバート・ジョジュアン・ベル(Albert Jojuan Belle, 1966年8月25日 - )は、アメリカ合衆国・ルイジアナ州シュリーヴポート出身の元プロ野球選手(外野手)。
メジャー昇格時の登録名はジョーイ・ベル(Joey Belle)。
経歴
クリーブランド・インディアンズ
1987年のMLBドラフトでクリーブランド・インディアンズから2巡目に指名を受け入団。1989年はAA級で20本塁打・69打点を記録して[1]メジャーに昇格し、7月15日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビュー[2]。7月19日のミネソタ・ツインズ戦でメジャー初本塁打[3]、7月24日のニューヨーク・ヤンキース戦では満塁本塁打を放った[3]。1991年はレギュラーに定着し、28本塁打・95打点を記録。1992年は9月6日のシアトル・マリナーズ戦でキャリア初の1試合3本塁打[3]を放つなど34本塁打・112打点の好成績。1993年は前半戦で打率.298・23本塁打・72打点を記録[4]し、オールスターゲームに初選出される。打率.290・38本塁打・129打点・23盗塁の成績で最多打点のタイトルを獲得し、シルバースラッガー賞を初受賞した。
新本拠地ジェイコブス・フィールドが開場した1994年は、5月に打率.416、6月に打率.364・10本塁打・29打点でプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど、前半戦で打率.357・25本塁打・76打点・32二塁打を記録。7月にも12本塁打・31打点と好調を維持した[5]。ストライキでシーズンが打ち切られたが、共にリーグ2位の打率.357・長打率.714、共にリーグ3位の36本塁打・101打点と三冠王が射程圏内に入る活躍で、ホームでは打率.413・21本塁打を記録した[5]。MVPの投票ではフランク・トーマス、ケン・グリフィー・ジュニアに次ぐ3位に入った[6]。
1995年は3年連続でオールスターゲームに選出され初の先発出場を果たしたが、野茂英雄に三振を喫するなど3打数無安打に終わった[7]。7月18日のカリフォルニア・エンゼルス戦でリー・スミスから逆転サヨナラ満塁本塁打、8月30日・8月31日のトロント・ブルージェイズ戦で2試合連続サヨナラ本塁打[3]、9月19日のシカゴ・ホワイトソックス戦で3打席連続本塁打[8]を放つなど後半戦で36本塁打・75打点を記録し[9]、シーズン通算で打率.317、いずれもリーグトップの50本塁打・126打点・52二塁打・長打率.690・121得点・377塁打の成績で最多本塁打・最多打点の二冠を獲得。本塁打はアル・ローゼンの球団記録43を更新[10]し、史上初の「50本塁打&50二塁打」を達成する大活躍で、100勝を挙げて独走で地区優勝を果たしたチームの原動力となった。ボストン・レッドソックスとのディヴィジョンシリーズでは第1戦で1点ビハインドの延長11回裏に同点本塁打を放ち、チームは延長13回にサヨナラ勝利[11]。シアトル・マリナーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦でボブ・ウォルコット(後近鉄)から本塁打を放つ[12]が、打率.222と振るわず。チームは4勝2敗で41年ぶりのリーグ優勝を果たした。アトランタ・ブレーヴスとのワールドシリーズでは、第5戦でグレッグ・マダックスから本塁打を放つ[13]など2本塁打を記録したが、両チーム最多の7四球と勝負を避けられるケースが多く、チームは2勝4敗で敗退した。MVPの最有力候補と目されていたが、投票ではモー・ヴォーンと8ポイント差の2位に終わった[14]。打点は同数だったが打率・本塁打・出塁率・長打率でヴォーンを上回る成績を残したにも関わらず受賞を逃したのは、周囲と度々衝突を起こすなど問題のある性格が原因だった。1996年は前半戦で27本塁打・74打点の成績[15]で、オールスターゲームに2年連続の先発出場を果たしたが3打席連続三振を喫した[16]。7月31日のブルージェイズ戦で逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ[3]。打率.311・48本塁打・148打点・124得点を記録して2年連続の最多打点を獲得し、チームは地区連覇。ボルティモア・オリオールズとのディヴィジョンシリーズでは第3戦でアーマンド・ベニテスから決勝の満塁本塁打を放つ[17]が、チームは1勝3敗で敗退した。MVPの投票では3位[18]。オフにフリーエージェントとなり、11月19日にホワイトソックスと契約。主砲トーマスとの最強の3・4番コンビが誕生した。
シカゴ・ホワイトソックス
移籍1年目の1997年は後半戦で打率.247[19]と不調に陥る。トーマスが首位打者を獲得する一方で打率.274・30本塁打・116打点とやや精彩を欠いたが、4本の満塁本塁打を放った[3]。1998年は開幕直後は不振もその後復調し、後半戦で打率.387・31本塁打・86打点[20]を記録。自身初の全試合出場を果たし、打率.328、いずれも球団記録となる49本塁打・152打点・48二塁打・399塁打・99長打[21]、自身初の200安打と好成績を挙げるが、今度はトーマスがキャリアワーストの打率.265に終わり、うまく噛み合わなかった。オフに再びフリーエージェントとなり、12月1日にオリオールズと5年契約を締結。トーマスとのコンビは僅か2年で解消された。
ボルチモア・オリオールズ
1999年は7月25日のエンゼルス戦で3度目の1試合3本塁打[3]。後半戦で打率.326・19本塁打・64打点[22]と調子を上げ、打率.297・37本塁打・117打点、キャリアハイの101四球を記録。2000年は6月に打率.364・12本塁打・37打点の成績でプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞するが、後半戦は欠場もあって5本塁打[23]と振るわず、レギュラー定着以降最低の23本塁打に終わった。2001年から2003年の3年間は毎年1,200万ドル以上の年俸を貰いながら、故障のため1試合も出場出来ず引退。試合出場は2000年が最後だった為、事実上2000年に引退したも同然だった。
1992年から1999年にかけて記録した8年連続30本塁打・100打点は、ベーブ・ルース、ジミー・フォックス、ルー・ゲーリッグに次ぐ史上4人目で、1950年以後の選手としては初めてであった。
1990年代屈指のトラブルメイカー
毎年のようにトラブルを起こし、引退後も続いた。
- 1990年
アルコール依存症を患って入院し、リハビリと精神のコントロールプログラムを受けた。また、参加していたウィンターリーグでは、態度の悪さから退団を言い渡される。 - 1991年
5月にファンにボールを投げて肋骨を折る重傷を負わせ、7日間の試合出場停止の処分を科せられている。6月には怠慢プレーが原因でマイナーリーグへ降格させられている。 - 1992年
頭に死球を受けたことに怒り、相手投手ニール・ヒートンに対してマウンドで暴力を振るい、ボコボコにした。その結果3試合の出場停止処分を科せられている。 - 1994年
7月15日のホワイトソックス戦でコルクバットの使用を疑われ、審判団にバットを没収されたが、当時チームメイトだったジェイソン・グリムズリーが審判団の部屋に忍び込み、コルクの入っていないバットとすり替えたという[24]。これにより7試合の出場停止を科せられた。 - 1995年
ワールドシリーズ第3戦の試合前、NBCのレポーター、ハンナ・ストームを汚い言葉で罵り、5万ドルの罰金を科せられた。また同年のハロウィン当日、自宅にお菓子をねだりに来た子ども達に怒り、ジープで追いかけ回している。 - 1996年
試合前のウォームアップ中の写真を撮影していたカメラマンに至近距離からボールをぶつけた。また、5月のミルウォーキー・ブルワーズ戦では死球を受けて激怒し、二塁へ進塁する際にフェルナンド・ヴィーニャを突き飛ばしている。 - 1997年
フットボールと大学バスケットの賭博に関与していたことが発覚。 - 1998年
ガールフレンド宅で暴れ2日連続(1日目が器物損壊容疑、2日目が婦女暴行容疑)で逮捕された。 - 1999年
いい人になると宣言したものの、ファンと衝突して汚い言葉で罵ってしまい挫折。シーズンが開始すると、やる気のなさから途中交代を命じた当時の監督レイ・ミラーと衝突。
獲得タイトル・表彰・記録
- 最多本塁打 1回:1995年
- 最多打点 3回:1993年, 1995年, 1996年
- シルバースラッガー賞 5回:1993年 - 1996年, 1998年
- MLBオールスターゲーム選出 5回:1993年 - 1997年
- プレイヤー・オブ・ザ・マンス 7回:1994年6月, 1995年8月・9月, 1998年7月・9月, 1999年9月, 2000年6月
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | CLE | 62 | 234 | 218 | 22 | 49 | 8 | 4 | 7 | 86 | 37 | 2 | 2 | 0 | 2 | 12 | 0 | 2 | 55 | 4 | .225 | .269 | .394 | .663 |
1990 | 9 | 25 | 23 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 7 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | .174 | .208 | .304 | .512 | |
1991 | 123 | 496 | 461 | 60 | 130 | 31 | 2 | 28 | 249 | 95 | 3 | 1 | 0 | 5 | 25 | 2 | 5 | 99 | 24 | .282 | .323 | .540 | .863 | |
1992 | 153 | 650 | 585 | 81 | 152 | 23 | 1 | 34 | 279 | 112 | 8 | 2 | 1 | 8 | 52 | 5 | 4 | 128 | 18 | .260 | .320 | .477 | .797 | |
1993 | 159 | 693 | 594 | 93 | 172 | 36 | 3 | 38 | 328 | 129 | 23 | 12 | 1 | 14 | 76 | 13 | 8 | 96 | 18 | .290 | .370 | .552 | .922 | |
1994 | 106 | 480 | 412 | 90 | 147 | 35 | 2 | 36 | 294 | 101 | 9 | 6 | 1 | 4 | 58 | 9 | 5 | 71 | 5 | .357 | .438 | .714 | 1.152 | |
1995 | 143 | 629 | 546 | 121 | 173 | 52 | 1 | 50 | 377 | 126 | 5 | 2 | 0 | 4 | 73 | 5 | 6 | 80 | 24 | .317 | .401 | .690 | 1.091 | |
1996 | 158 | 715 | 602 | 124 | 187 | 38 | 3 | 48 | 375 | 148 | 11 | 0 | 0 | 7 | 99 | 15 | 7 | 87 | 20 | .311 | .410 | .623 | 1.033 | |
1997 | CWS | 161 | 701 | 634 | 90 | 174 | 45 | 1 | 30 | 311 | 116 | 4 | 4 | 0 | 8 | 53 | 6 | 6 | 105 | 26 | .274 | .332 | .491 | .823 |
1998 | 163 | 706 | 609 | 113 | 200 | 48 | 2 | 49 | 399 | 152 | 6 | 4 | 0 | 15 | 81 | 10 | 1 | 84 | 17 | .328 | .399 | .655 | 1.054 | |
1999 | BAL | 161 | 722 | 610 | 108 | 181 | 36 | 1 | 37 | 330 | 117 | 17 | 3 | 0 | 4 | 101 | 15 | 7 | 82 | 19 | .297 | .400 | .541 | .941 |
2000 | 141 | 622 | 559 | 71 | 157 | 37 | 1 | 23 | 265 | 103 | 0 | 5 | 0 | 7 | 52 | 11 | 4 | 68 | 17 | .281 | .342 | .474 | .816 | |
通算:12年 | 1539 | 6673 | 5853 | 974 | 1726 | 389 | 21 | 381 | 3300 | 1239 | 88 | 41 | 4 | 78 | 683 | 91 | 55 | 961 | 193 | .295 | .369 | .564 | .933 |
- 各年度の太字はリーグ最高
脚注
- ^ “Albert Belle Minor League Statistics & History” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “1989 Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Career Home Runs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “1993 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ a b “1994 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “AL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “Jul 11, 1995, NL All-Stars at AL All-Stars Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “Sep 19, 1995, Indians at White Sox Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “1995 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “Cleveland Indians Top 10 Batting Leaders” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “Oct 3, 1995, Red Sox at Indians Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “Oct 10, 1995, Indians at Mariners Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “Oct 26, 1995, Braves at Indians Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “AL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “1996 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “Jul 9, 1996, AL All-Stars at NL All-Stars Box Score and Play by Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “Oct 4, 1996, Orioles at Indians Box Score and Play by Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “AL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “1997 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “1998 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “Chicago White Sox Top 10 Batting Leaders” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “1999 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ “2000 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月10日閲覧。
- ^ 同じくチームメイトだったオマー・ヴィスケルが出版した自伝でも「ベルが試合で折れたバットを新しいものと交換した時に、コルクが入っていたように見えた」と書き立てられている。
- ^ “ベル、ストーカーで逮捕 元米大リーガー”. 47news (2006年2月17日). 2013年3月10日閲覧。
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube