A-26 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ダグラス A-26 インベーダー

駐機中のA-26B

駐機中のA-26B

A-26(B-26 後述)は1942年に初飛行したダグラス社の双発攻撃機 / 軽爆撃機。愛称はインベーダーInvader、「侵略者」の意)。

設計[編集]

アメリカ陸軍航空機では伝統的に攻撃機は副操縦士操縦するが、本機A-26は操縦士が1人という伝統に反した設計であった。これはイギリス空軍において同種の中型爆撃機が単操縦者式であり、疲労が大きい長距離行や主操縦士が死傷するような事態に陥った場合にしか活躍しない副操縦士は不要という戦訓を容れたためとされる。ちなみにB-25爆撃機の後期型においても副操縦士は省略されている。その代わり、その位置には爆撃手を兼ねる航法士が座った。当初、2つの異なる型が製造され、C型はガラス張りの機首で中高度精密爆撃のためにノルデン爆撃照準器を積んでいたのに対し、B型は機首に12.7mm機関銃を6または8挺搭載した。また、いくつかの機は下にも武装を施し、14挺もの前方固定の12.7mm機関銃を装備した。

運用[編集]

第二次世界大戦中に初飛行したため、大戦後半の連合軍優勢の中、戦術爆撃に投入された。また、日本本土空襲にも投入され、沖縄から南九州の爆撃に出撃した[2]

1948年に、軍の機種区分の変更からB-26へ改名された[3]1967年にA-26へ復名した[4][5]アメリカ海軍でも標的曳航機など汎用目的に少数の飛行隊を運用した。1962年まで海軍はJD-1JD-1Dと呼称し、JD-1をUB-26J、JD-1DをDB-26Jに呼称を変えた。

第二次世界大戦だけでなく、第一次インドシナ戦争朝鮮戦争ベトナム戦争でも使用された。1960年代には、インターマウンテン・エアラインに所属するA-26がアメリカの後押しを受けてキューバ亡命者で編成された部隊にピッグス湾上陸で使用された。1964年にはコンゴ動乱の際に中華人民共和国ソビエトの支援を受けたシンバ(ルムンバ派)との戦闘CIA傭兵空輸にA-26を使用した。

少数の改良機は1969年まで戦闘任務で使用された。最後のA-26は州兵局1972年に退役し、国立航空宇宙博物館に贈与された。

仕様[編集]

A-26B-50

出典: 「アメリカ陸軍機の全貌」酣燈社刊1964年・125頁

諸元

性能

  • 最大速度: 575 km/h (308 kt) 355 mph
  • 巡航速度: 457 km/h
  • フェリー飛行時航続距離: km (海里)
  • 航続距離: 2,300 km (1,200 海里) 1,400 mi
  • 実用上昇限度: 6,700 m (22,000 ft
  • 上昇率: 6.4 m/s (1,250 ft/s)
  • 翼面荷重: 250 kg/m2 (51 lb/ft2
  • 馬力荷重(プロペラ): 108 kW/kg (0.145 hp/lb)
    アメリカ空軍所属のA-26

武装

  • * 機関銃
    • 機首固定 0.5in(12.7mm)M2機関銃 8挺
    • 翼内固定 0.5in M2機関銃 6挺
    • 背面銃座 0.5in M2機関銃 2挺(遠隔操作)
    • 下部銃座 0.5in M2機関銃 2挺(遠隔操作)
  • 爆弾:
    • 爆弾倉 1,800 kgから2,700 kg(4,000 lb ~ 6,000 lb)
    • 翼下 900 kg(2,000 lb)
お知らせ。 使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。

使用国[編集]

参考[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ Knaack, MS (1988). Post-World War II bombers, 1945-1973. Office of Air Force History. ISBN 0-16-002260-6. 
  2. ^ 「A26初登場 延岡攻撃に参加」 昭和20年7月21日付『朝日新聞
  3. ^ 空軍での「A」カテゴリの廃止による。別にB-26(マローダー)が存在したが、1948年時点では全て退役していた。
  4. ^ アメリカとタイとの軍事協定においてタイ国内に爆撃機を配備しないと取り決められたため。なお、1962年に陸海空三軍の航空機の制式名称統一にともない「A」カテゴリは復活していた。
  5. ^ 渡辺洋二『大空のエピソード』朝日ソノラマ、1990年、213-245頁。