YB-35 (航空機)

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YB-35 フライング・ウィング

試験飛行中のYB-35

試験飛行中のYB-35

YB-35(Northrop YB-35) は、アメリカ航空機メーカーであるノースロップ社が、第二次世界大戦の最中にアメリカ陸軍航空隊のために開発した無尾翼レシプロエンジン重爆撃機の試作機である。

概要[編集]

この(試作)爆撃機は尾翼がなく胴体そのものが主翼という全翼機であり、実際に飛行出来る大型の航空機に全翼機の設計が採用された世界最初の機体であった。愛称はフライング・ウィング(FLYING WING)。同様な形状で推進機関をジェット化したYB-49という発展型も製作された。

いずれの機体も次期戦略爆撃機として、より一般的な形態のコンベア B-36が採用・実戦配備されたため量産されることはなかった。そのため、B-35開発計画を含む全翼機が実用化することはなかった。ただし、レーダーに捕捉されにくいという機体設計概念自体は後にステルス機として知られるB-2 スピリット開発の際に活用された。

開発の推移[編集]

全翼機の発想はノースロップ社の創業者であるジャック・ノースロップがしたものであり、彼は1930年代を通して全翼機の製作に力を注いだ。ドイツでもホルテン兄弟が同様な構想を練っており、同じ第二次世界大戦時にホルテン Ho229が開発されていた。

10×10ボマー構想[編集]

アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦する直前の1941年4月11日に、アメリカ陸軍航空隊(現在のアメリカ空軍)は欧州戦線用に企画された10×10ボマー(10,000 lbの爆弾搭載量があり10,000マイルの航続距離を持つ爆撃機)の構想をメーカーに提示した。候補のひとつとして、大きな翼だけの構造を持つ長距離爆撃機B-35を彼の会社に開発する契約を1941年11月22日に与えた。B-35は理論上では通常形式の爆撃機よりも、速度が速く搭載量も多く、そして使用する金属が少なく安く製作できるとされていた。このような長距離爆撃機を陸軍航空隊が必要としたのは、仮に欧州戦線でイギリスが敗北した場合、アメリカ本土から枢軸国側を爆撃するために、大西洋を往復飛行できる爆撃機を手に入れるためであった。また当時の迎撃戦闘機が上昇できない高高度である45,000フィート(約13,700 m)という最大上昇限界高度も設計要求に含まれていた。軍は2機目の試作機を製作するオプションを1942年1月2日に行使し、1機目は1943年11月に引き渡されることになった。

N-9M(復元機)

しかしながら全翼爆撃機の製作は史上初めてのため、契約は実際にはB-35を設計するためにデータを蒐集するXB-35(試作機)の3分の1スケールのN-9Mを製作するものであった。ノースロップの設計者は1942年前半にB-35の設計を始めた。操縦席は翼に埋め込まれ、機体構造はアルコア社が開発した新型のアルミニウム合金で製作されることになった。通常の飛行機がもつ方向舵(ラダー)をもたないため、左右の翼端に、上下に割れるように開くフラップ(スプリット・フラップ)を備えていた。片方のみを作動させると左右の抗力差でヨーイング・モーメントを発生し、左右への首振り運動を制御できる。

XB-35は様々な技術的な困難にぶつかり、開発が予定よりも遅れてしまった。軍との間で量産型を200機生産する契約がなされ、ノースロップに生産設備がないため実際にはマーチン社で生産することまで決まっていたが、実用化に時間が掛かること、そして当初の予想よりも速度が出ず航続距離も短いなど性能の低さが予想されたため、1944年5月にキャンセルされた。しかし全翼機という概念自体には注目されていたため、研究目的のみのため計画は継続された。なお10×10ボマー構想には他にコンベア社とボーイング社も参加していたが、コンベアのB-36が採用された。なお、ボーイング案は双胴機であったが不採用となり設計すら行われなかった。

試作機[編集]

XB-35の機首部
単輪式の前脚のほかに、ピトー管空気取り入れ口、ブレードアンテナなどが見える
左下方から見たXB-35
翼端のスプリット・フラップがわかる

戦後の1946年6月、1号機であるXB-35が45分間の初飛行を行ったが、その際様々な問題点が明らかになった。結局、1号機は19回、2号機はわずかに8回飛行した後、いずれも地上にとどめおかれることとなった。この間にギアボックスの不具合への対応としてプロペラが2重反転プロペラから通常のものへと換装されていたが、これによって振動が発生するとともに性能が大きく低下してしまった。また、複雑に入り組んだ排気系統の整備には困難が伴った。わずか2年間使用しただけであったエンジンには、既に金属疲労の兆候が見られた。

計画の中止とYB-49[編集]

こうした技術上の困難に加え、ジェットエンジンの台頭に伴うレシプロエンジンの旧式化と、飛行の不安定性といった要因から、1949年に計画は中止された。

XB-35は2機、YB-35は13機生産された。XB-35はいずれも1949年8月にスクラップされた。一方、YB-35の最初の8機はXB-35と同じ仕様で生産され、このうち2機が後にYB-49へと改造された。後半の5機は改良された仕様で生産され、YB-35Aと呼ばれた。このうち1機は後にYRB-49Aへと改造された。また別の1機はターボプロップエンジンの試験機(テストベッド)に使われ、1950年3月に解体処分された。YB-35のうちで飛行したのは、最初の1機のみで、改造されなかったものはいずれも部品取りに使用されるなどした。

YB-35のエンジンをジェットエンジンに換えたYB-49は1947年に初飛行し、良好な性能など全翼機の有望性を垣間見ることができたが、飛行が不安定になる欠陥があった。そのうえYB-49の1機が墜落して搭乗者全員が殉職する事故まで発生した。これはプロペラの設計のままで翼を再設計することなくジェット化したため、弊害が生じたといわれている。

なお、B-35・B-49の両計画に関して、空軍長官スチュアート・シミントンが政府の影響下にあるコンベアとの合併を強要しようとして、拒否したため中止になったとする陰謀論が長年に渡って唱えられている。これはジャック・ノースロップ自身が事実であったと証言したため陰謀が現実にあったとされたが、実際には当時の技術では全翼機を使いこなすことが出来ない(現在のB-2は、フライ・バイ・ワイヤを利用してコンピュータによる操縦補助を受けている)ことや、当時の核戦略の要求に適合しなかったなどの理由で中止になったといわれている。

機体性能(YB-35)[編集]

  • 乗員:9名(機長、副操縦士、爆撃手、航法士、航空機関士、通信士各1名と機銃兵3名)
  • 全長:16.2 m
  • 全幅:52.2 m
  • 高さ:6.2 m
  • 翼面積:370 m²
  • 胴体厚:2.9 m
  • 機体重量:54,432 kg
  • 最大離陸重量:95,000 kg
  • エンジン:プラット&ホイットニー R-4360-17R-4360-21 の各レシプロ2発ずつ合計4発
  • 出力 3,000 hp (2,200 kW) × 4
  • 最大速度:629 km/h
  • 航続距離:13,100 km
  • 最大上昇高度:12,100 m(39,700フィート)
  • 上昇率:625 ft/min(3.2 m/s)

YB-35の登場するフィクション[編集]

第13話「飛行少女」で主人公、北条國子が超高層都市アトラスに行くために「コードネームKG」にYB-35のような航空機に搭乗し、軍の擬態戦闘機に撃墜された。
敵機として多数登場。続編の『ストライカーズ1945II』ではF-5Uフライングパンケーキのサポートアタック(ボム)「B-35援護編隊」として登場。2機のYB-35が画面下部から出現し、援護攻撃を行うとともに防弾壁の役割を果たす。自機としては選択できない。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

  • YB-49 (YB-35をジェットエンジンに換装)