ノルデン爆撃照準器

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ノルデン爆撃照準器。上部サイトヘッド(照準器)

ノルデン爆撃照準器(ノルデンばくげきしょうじゅんき、英:Norden bombsight)とは、第二次世界大戦中、アメリカ陸軍航空軍(USAAF)にて採用されていた、爆撃機の搭乗員が正確に爆弾を投下できる様に援助するための照準器である。またこの照準器は当時最高機密として取り扱われた。

日本本土を空襲したB-29広島長崎原子爆弾を投下した「エノラ・ゲイ」「ボックスカー」にも取り付けられていた。またノルデン照準器を搭載したB29爆撃機などは朝鮮戦争にも参加している。

開発経緯[編集]

ノルデン爆撃照準器はカール・ルーカス・ノルデン[1][2]によって当初アメリカ海軍航空向けに研究開発が始まるが、後にアメリカ陸軍に採用される。1920年(大正9年)からノルデン爆撃照準器の研究を始め1927年(昭和2年)には生産を開始した。

生産当初、陸軍は機密上海軍を通して調達する事しかできず、ノルデン爆撃照準器の需要が高まるにつれ、需要に対し調達数が下回る事が多くなる。そこで陸軍はノルデン社との直接取引や陸軍管理下での生産など試みるが海軍との確執により頓挫。しかし、その後海軍承認のもと設計製作など全ての工程を一社に纏めたヴィクター社が設立され、1943年(昭和18年)には本格的に生産が開始される事となる。

装置構成[編集]

ノルデン照準器構成図。左側がスタビライザー(安定装置)右側がサイトヘッド(照準器)

ノルデン爆撃照準器は「安定装置」と爆撃照準を行う「照準器」の2つの部分から構成されている。安定装置は照準器の状態を水平に保つ(レベリング)為のジャイロセンサーが内蔵されており、その上部には飛行コースを保つための指示クラッチや爆弾投下連動レバーが装備されている。

照準器には投下目標を目視する為の望遠鏡(アイピース)が備え付けられ、それを作動させるための電気モーターなどが組み込まれている。アイピースを使用して機体直下から目標点まで動かしたその鉛直スライド量から「対地速度」「距離」「高度」などの計測を行い、風の影響による機体の向き「偏流角」(ドリフトアングル)や「機位」情報を入力し、水準器を使用した機体の水平度など、それらの爆撃機飛行状態を照準器に付属しているノブを調整し、機体情報を入力する事によって照準器自体が自動的に計算した投下目標点での自動投下が行えるようになる。

またこの装置は爆撃機の自動操縦と連動しており、自動操縦装置を作動させ照準機を「オン」にさせ爆撃行程に入ると機体操縦は操縦士から爆撃手に移管される。この間は照準器の入力情報で飛行する。またその間、操縦士によって機体の水平を保つ程度の操作が行われた。

機密保持[編集]

爆撃要員は装置を使用した訓練に入る前に機密保持の宣誓を求められる。機体外への脱出など緊急時には自らの命を代償にしてまでも処分を優先させる事や、専用のテルミット銃が支給された。機体が地上にある場合などは取り外して専用の金庫にて管理保管し、修理などもスプーリーデポットサービスと呼ばれる専属の下士官が行った。爆撃要員が持ち出し移動中には銃の携帯も許されていた。

1942年(昭和17年)4月に東京を空襲したB-25ドーリットル隊)にもノルデン爆撃照準器が搭載されていたが、出撃前に取り外され、代わりに簡易爆撃照準器が使用された。これは低空からの投弾に適さない事と、低空飛行による撃墜から最高機密が漏れる事を憂慮した結果とも言われている。 従軍カメラマンだったロバート・キャパはヨーロッパ戦線でB-17爆撃機の取材中に、ノルデン照準器が写真に写っていたために検閲の対象になりかけた(著書の「ちょっとピンボケ」の記述による)エピソードがある。

1944年(昭和19年)までノルデン爆撃照準器の機密レベルが下がる事はなかった。

その他[編集]

最高機密扱いではあったが日本軍でもB-25からの現物回収がなされていた。これを元に1944年(昭和19年)2月に光学爆撃照準器(模倣)を製作したが量産できず、その他試作品はいずれも戦局に間に合わなかった。

登場作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Carl Lucas Norden 1880年4月23日オランダ領(現:インドネシアスマラン島)生まれ。1904年アメリカへ移住。1965年スイスにて死去。85歳。
  2. ^ ノルデンはスイスのETHチューリッヒで技術者として教育を受けた。1913年にニューヨークに自身の会社を設立、独立した。起業する以前にはスペリー社(現在のユニシス社。2008年現在も光学機器の生産を行っている)に在籍していた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]