松尾由美子

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まつお ゆみこ
松尾 由美子
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 宮崎県宮崎市
生年月日 1979年8月9日(32歳)
血液型 O型
最終学歴 慶應義塾大学総合政策学部
勤務局 テレビ朝日
部署 編成制作局アナウンス部
活動期間 2002年4月 -
ジャンル 報道情報ナレーション
家族 松尾恵子(姉、テレビ西日本キャスター
公式サイト テレビ朝日公式プロフィール
出演番組・活動
現在 やじうまテレビ!
過去 やじうまプラス前半
やじうまプラス土曜版
はい!テレビ朝日です
地球まるごとTV
スーパーJチャンネル
備考
ANNアナウンサー賞「原稿のないもの部門」優秀賞受賞

松尾 由美子(まつお ゆみこ、1979年8月9日 - )は、テレビ朝日アナウンサー。身長155.8cm。宮崎県宮崎市出身。宮崎県立宮崎西高等学校慶應義塾大学総合政策学部

目次

[編集] 人物・概要

テレビ朝日が創設したアナウンサー等養成機関テレビ朝日アスクの第2期卒業生であり、アナウンサー採用試験はキー局準キー局地方局を含めてテレビ朝日のみ受験し[1]、内定を得る。2002年4月入社。

[編集] アナウンサーとしての活動

2002年7月からの1年間、研修終了後の初レギュラー番組として、日曜早朝の自局広報・自己批評番組はい!テレビ朝日です』の進行役を担当する。その他入社1年目には『朝いち!!やじうま』のやじうま探検隊を経て、2003年1月から早朝のニュース情報ワイド番組(『やじうまプラス土曜版』)のメインキャスター、さらに2年目の2003年6月からは、前年度から特集コーナー「激戦区」のリポーターとして出演していた夕方のニュース情報ワイド番組(『スーパーJチャンネル』)のフィールド兼サブキャスターとしてレギュラーとなる。

2006年4月から2009年9月までは、『やじうまプラス前半』の金曜メインキャスターも担当。2009年10月からは、『やじうまプラス土曜版』の後継番組である『地球まるごとTV』のメインキャスターを引き続き担当。2010年3月末をもって、延べ7年3ヶ月担当してきた土曜朝、6年9カ月担当してきた夕方の両番組を卒業。2010年4月から半年間、『やじうまプラス前半』のメインキャスターを担当。2010年10月からはスーパーJチャンネルに出戻り、コーナーMCを担当。2011年4月より再び早朝に戻り、『やじうまテレビ!』1部2部を通してメインキャスターを担当している。また、入社以来一貫して報道情報局の製作番組のみをレギュラー担当をしている。

かつて担当した『スーパーJチャンネル』内では、ニュースリーダーという以外にも、フィールドキャスターとしてその時々の話題やニュースを取材するだけでなく、社会部や経済部、政治部の記者が担当するような事象を自ら取材する活動を行ってきた。

[編集] 災害報道への拘り

2004年10月23日に起きた新潟県中越地震では、在京キー局のアナウンサーでありながら直ちに特派員として震災直後の被災地へ現地取材に赴き、数日間に渡り被災状況を生リポートした。

2005年9月には台風14号が直撃した直後の地元宮崎県の広域を、自前のビデオカメラと実家の自家用車を使用し、とともに被災状況を自主的に単独取材、スーパーJチャンネル内の特集枠で採用され放送された結果、第4回ANNアナウンサー賞「原稿のないもの部門」で優秀賞を受賞した(後述)。

2006年9月には、前々年の続編として新潟県中越地震から復興した旧山古志村(現・新潟県長岡市)をテーマにした特集を企画・取材し、山古志村の復興状況と村名物であり国の重要無形民俗文化財に指定されている「牛の角突き」といわれる闘牛大会の2年ぶりの復活などをリポートし、特集枠で放送された。放送後、視聴者の反響を呼び同番組では度々山古志特集を組むようになり、2007年にもラッシャー板前が担当している特集コーナーで「牛の角突き」完全復活が放送された。

2008年6月14日に起きた岩手・宮城内陸地震では、発生当日の午後と翌日が定休でありながら、再び発生直後に現地に特派され、復旧作業に当たっていた陸上自衛隊の自衛隊機に乗るなど行動を共にしながら、5日間に渡って被災地で取材活動を行った。

2008年7月24日未明に発生した岩手県沿岸北部地震の際には、緊急報道特別番組のMCを担当し、地震関連のニュースを伝えた。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震では、日曜早朝に緊急報道番組のキャスターを務めた直後に被災地入りし、数日にわたり宮城県気仙沼市や同県の栗駒温泉周辺で、災害取材活動を行った。

[編集] 報道リポーターとして

2007年8月には、安倍改造内閣組閣人事報道に於いて、早朝から政治家らの動きを取材し、入閣が確実視されていた自民党参院国対委員長矢野哲朗には、マスコミ各社政治記者が集まる中代表でインタビューを行い、前祝いのような雰囲気で始まったインタビューから、入閣漏れ確実となった後の一連の矢野とのやり取りが各局のニュース番組やワイドショーなどで放送された。

2008年1月には、経済部記者と共に日本経済団体連合会経済同友会日本商工会議所合同の新年祝賀会にテレビ朝日の代表として参加し、アサヒビール代表取締役会長CEOの池田弘一、セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長兼CEOの鈴木敏文らにインタビューを行った。2009年1月にも同会に参加し、NEC代表取締役執行役員社長の矢野薫、ローソン代表取締役社長兼CEOの新浪剛史らにインタビューを行った。2010年にも同会にて、東芝取締役代表執行役社長の佐々木則夫、セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長兼CEOの鈴木敏文、ジャパネットたかた代表取締役社長の髙田明日産自動車代表取締役兼COO志賀俊之らに、景気動向に関するインタビューを行った。

[編集] 就職活動関連

学生時代に「ミスキャンパス」やタレント活動などをしておらず、一社専願での就職試験を経て内定を獲得した実績から、産経新聞社オリコン・エンタテインメント[2]をはじめとする各媒体や、NPO[3]からも正統派のアナウンサー試験合格者として数々のインタビューを受けている。

自社であるテレビ朝日ではホームページの2008年度採用情報のサイト[4]で、アナウンス部を代表しての社員インタビューが掲載された。2006年より朝日新聞社が主催する学生向けの就職セミナー[5]講師として招かれており、アナウンサー試験での体験談や就職試験へ向けてのアドバイスなどを披露している。

[編集] テレビ朝日アナウンス部員としての顔

テレビ朝日アナウンス部内での役割は、『テレビ朝日アナウンス部ホームページ「アナウンサーズ」』内の動画配信コンテンツ 『激撮!となりのアナウンサー』での製作担当(毎回動画に登場するわけではない)と、アナウンサーとしてプロの朗読術を有料コンテンツとして配信している。また、かつて自らも卒業したテレビ朝日アスクに、不定期ながらアナウンサー志望コースでの講師として出向している。

[編集] エピソード

[編集] 人物像

  • ドイツ哲学者であり宮崎大学で教鞭をとっていた父親の仕事の都合で、幼少時代に一年間ほど家族でニューヨークオックスフォードで暮らした経験を持つ。本人は「英語よりも中国語の方が好き」であると雑誌インタビューで述べている。
  • 3姉妹の末っ子で次姉は松尾恵子テレビ西日本キャスター)である。長姉は報道や芸能関係の仕事には就いていない。
  • 子どものころになりたかった職業はアナウンサーの他に「国際関係の仕事」、「ケーキ屋さん」。国際関係を知りたいとの志から、中学時代には宮崎県の中学生英語スピーチコンテストに挑戦し優勝。高校時代には自国の文化に親しもうと茶道部に入部した。
  • 高校時代に老人ホームボランティア活動をした事で、自分の知らなかった世界に踏み込んだという衝撃を受け、本格的にマスコミ人を目指す一つのきっかけとなった。また本格的にアナウンサーを目指すきっかけとなったのが、大学の政策過程論の授業(担当教員は草野厚)のディベートで立論を人前で読み上げたことだった。
  • 大学在学中にボランティアとして、高円宮杯全日本中学校英語弁論大会の運営に携わっていた。大学のバスケットボールサークルkagersに所属し、アナウンサー養成学校にも通っていた為に、これらの予定が重なった時には、大学の校舎がある神奈川県藤沢市都内とを何往復もするという生活を続けた。現在でも日本の英語教育について関心を持っており、上述の英語弁論大会の主催をしている日本学生協会基金の個人協賛者として名前を連ねている。
  • 学生時代からリュックを片手にふと外国へ無鉄砲な一人旅に出かけるという趣味を持っている。とりわけ中華人民共和国には関心があり、現在も1〜2年に1度のペースで訪れている。最近では、インド共和国タイ王国など、他のアジア諸国を一人旅、との二人旅で訪れたりしている。
  • 中国語については学生時代に興味を持ち始め、中国への単独渡航を始めるようになり、現地の中国人とも人脈を築いてきた。「アナウンサーとしてのモットー」として好きな言葉に常に挙げるのが『明鏡止水』という中国の故事成語である。

[編集] アナウンサー

  • 採用試験のエントリーシートで小論文として出題されたテーマ『私が目指すアナウンサー像』について「足を使って現場に行ってリポートできるアナウンサー」という理想像を記した。取材現場でのリポートでは、用意された原稿を読み上げるという本来の「アナウンサー」としての役割ではなく、自ら現場で見たものや聞いたものを原稿にまとめていくという「記者」としての役割をこなしている。
  • テレビ初登場は入社2日目の「スーパーモーニング」。この時、ゲストコメンテーターで元TBSアナウンサーの木元教子に「声と姿勢がいい」と賞賛された。また、憧れのアナウンサーは?と質問された時には、当時フジテレビアナウンサーだった小島奈津子を挙げ、その場に居た人たちを驚かせた。地元の宮崎県には地上波放送局TBS系列フジテレビ系列の2局しか無い為、あまりテレビ朝日の番組は馴染みが薄かったという。
  • やじうまプラス(土曜日)で、何かの長さを確認するために、154cmの彼女が横に立たされ、当時のコメンテータである、北野誠から「松尾はマッチ棒か」と冷やかされたことがある。
  • タレントの中山秀征や同僚アナからは、その風貌や仕草から「昭和の香りがするアナウンサー」といわれている。
  • 長らく154cmだった身長が、入社して以降155.8cmまで再び伸び始めた。
  • 入社1年目に、現在ではテレビ朝日の正月恒例特別番組となった『徳光&史朗の暴走おやじアナ』のツアー進行役を務めた。番組中、大御所アナを相手に「四の五のおっしゃらずに次に参りましょう」と、歯に衣着せぬ発言し、翌年以降、この番組の進行役を務める同局新人アナは『n代目・四の五の娘』と呼ばれるようになった。
  • 『日本語アクセント辞典』(NHK放送文化研究所)、『国語辞典』(三省堂)、『放送で気になる言葉』(日本新聞協会)の3点セットは、生放送中にまで傍に置いておく必需品となっている。特にアクセント辞典は、自身に染み込んだ宮崎弁のアクセントと標準語の違いに悩まされているため重視している。「スーパーJチャンネル」内では、CM入りの直前のカメラショットでこれらの本があるのが確認できる。
  • ブラッド・ピットブルース・ウィリスらと対談した時は、なるべく専門の通訳を介さないように、自ら英和和英辞典を持参して挑み、無事に対談を成功させている。
  • 「スーパーJチャンネル」を担当していた時には週の前半は、出社するとすぐに主要日刊紙に一通り目を通し、気になった記事をコピーしてノートにしたうえでその日取り上げるロケ内容を提案し、その取材先に取材交渉してアポイントメントを取り、主にカメラマンと音声担当の3人班で実際に取材に向かっていた。勤務時間に於ける業務内容ではアナウンサー業よりもディレクター・記者業をメインにこなしている。
  • 2005年9月の地元の台風災害取材では、9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙の直前だった事から局を挙げて準備に取り掛かっていたため、休暇を取って宮崎へ行く事は非常に困難な状況にあったが、宮崎県にテレビ朝日系列局が無い(宮崎県でのテレビ朝日系列局はテレビ宮崎があるが、テレビ朝日系列のニュース番組は昼の「ANNニュース」しか放送されていない)事を理由に自ら取材することを希望し、「やじうまプラス」土曜日スタッフも後押しした事で局から休暇の許可を得た。10日土曜日の「やじうまプラス」終了直後に宮崎に出発、翌日投票日の昼には東京にとんぼ返り、夜の「選挙ステーション」に政党本部での現場取材を担当した。
  • ANNアナウンサー賞の各部門の中で、秀逸な自主企画・取材を発表したアナウンサーに贈られる「原稿のないもの部門・優秀賞」は、専門職の記者を多数擁しているキー局ではアナウンサーが自ら取材する機会が極めて少ない事情に加え、概ね記者職を兼任している各地の地方局アナウンサーと競合したため、本来ならば厳しい条件下にもかかわらず、キー局テレビ朝日のアナウンサーとして初受賞した。
  • 自然災害取材のほかにも、小児患者への取材を、アナウンサーとしてのライフワークの一つとして継続して行っている。この取材を通して、プライベートでリボンキャンペーンの一つである『ゴールドリボンウォーキング』にも参加している。
  • 勤務時間外でも事件に遭遇した時にすぐ取材ができるように、専用の携帯デジタルカメラを常に持ち歩いている。
  • アナウンサーという立場については、「様々な人の思いを含んだその場の空気を、どんな言葉に変換して伝えよう」、「取材相手に共感したり反発したり、時には情に棹差して流されてしまったり、葛藤しながらも、ニュースを通して視聴者の方と今の時代を踏みしめていく」ということを日々考え自覚しながら活動していると述べている。
  • 2007年1月には、宮崎県知事選挙で当選した東国原英夫が初めて在京官庁を訪問した際、「スーパーJチャンネル」で単独取材した。宮崎弁でインタビューをした。
  • 非常に涙もろく、しばしば泣き出してしまうことがしばしばある。以下はその一部。
    • 大学3年生時のテレビ朝日の入社試験では最終試験のカメラテスト(三宅島災害のVTR)で、極度の緊張と映像に映された惨状にショックを受けてレポートできずに思わず泣き出してしまった。
    • 1年目の「はい!テレビ朝日です」進行役の担当時、ゲスト出演した黒柳徹子の話に感涙。
    • 3年目の「やじうまプラス」で中越地震を取り上げた際はかつて自身が取材したときの現地の悲惨な光景を思い出し、しばらくニュースを読み上げる事ができなくなってしまった。
    • 4年目のANNアナウンサー賞受賞時は、授賞式の最中に思わず泣き出した。
    • 5年目の「牛の角突き」の取材では、取材で世話になった村民の住居が土砂崩れで被災している光景、震災で死んだ牛などの家畜の墓、生き残った牛が闘牛大会で健闘する姿にそれぞれ泣き通しであった。
    • 6年目の「頑張る人応援バラエティ 体育の時間」女性アナ大会の、「30秒間VTRを見ながらレポートをする」という体内時計の正確さを競う種目にて、誤差が約1.2秒という好成績を残し勝利。その際、小宮悦子に日頃から言われていた「誤差は2秒以内、3秒はダメ」という言葉を実践できたことに思わず涙。
    • 7年目の岩手・宮城内陸地震の被災状況取材中に、立派に育ったいちご畑が、畑主の避難により出荷もできず実も苗も全て朽ち果てていく運命にあるという話を聞いて涙。
    • 9年目の「Qさま!!プレッシャーSTUDY特別編 みんなで漢字検定受けちゃうぞ〜奇跡が起きた合格者大連発SP〜」において、業務命令で2ヶ月間の勉強の末、準1級に初挑戦し合格し涙。放送中に同期で準1級保持者の清水俊輔から「負けず嫌い」な性格である事が語られていた。
  • 2007年7月16日に、自身が出演する地元宮崎県PR祝日特別番組が放送される予定であったが、放送開始17分前に新潟県中越地方で上述の地震以来の大地震(新潟県中越沖地震)が起こり、緊急特番編成になった為一週間後の平日まで延期された。
  • 自身のキャラクターグッズ完成に際してのインタビューで『ニュースを見てもらうにしても、まず同世代の人に多く見てもらえる時間帯の番組に出て知ってもらって裾野を広げたい。ニュース番組の担当だけでは駄目だと思うんです。』と、入社以来の報道アナウンサー一筋から、あらゆる分野の番組をこなすアナウンサーへの変身を宣言した。このとき、2008年開催の北京オリンピックにも、経験が極端に少ないスポーツ関連番組ながら何らかの形で関わりたいと強い意気込みを見せていた。
  • 2008年7月24日未明に発生した岩手県北部沿岸地震の際には、テレビ朝日の緊急報道特別番組の進行を勤めた。ちなみに、この時朝日放送では特番に切り替えるタイミングが早すぎたため、原稿のチェックや番組が終了したかスタッフに確認している様子などが数十秒間流れるというハプニングが起きた。
  • そして前述の「北京オリンピックに関わりたい」という願いは、スポーツ番組ではないものの「スーパーJチャンネル」で2008年8月4日から8月7日の4日にわたって放送された“松尾由美子看到的北京(中国語で『松尾由美子が見た北京』の意)”によって叶った。北京オリンピックに関して「五輪直前の北京を何でも見てやろう」精神で、様々なスポットなどを訪れ、リポートをするというもので、松尾自ら中国人へ中国語で対話をして取材した。なお、8月12日には10分程度の総集編(一部地域)、8月5日から8月8日には「やじうまプラス(5時台)」で、前日の放送分が多少のアレンジが加えられた上で放送された。さらに取材後記として公式ホームページに掲載されたコラムでは、中国国内の人権問題環境問題、毒餃子事件をはじめとする日中の外交諸問題が依然として改善が停滞しているとして「ちっとも解決していません」と指摘しており、しかしながら一般市民個々人のレベルでは、「中国語を駆使してコミュニケーションを取れれば互いの不信感は薄れていくというのを実感した。」と記している。
  • 2010年3月26日、入社2年目の2003年6月から担当していたスーパーJチャンネルを卒業。本来では担当となっていない金曜日の放送であったが出演し、同じく卒業となるメインキャスター小宮悦子坪井直樹アナとともに最後の挨拶をした。2010年10月に再びスーパーJチャンネルに復帰した。

[編集] その他

  • テレビ朝日ホームページ内の個人プロフィールのページに掲載されるコラムでは、紀行文類の文章を比較的多く寄稿している。コラムは、間近に感じた中国政府の一党独裁政治による市井市民への影響、中国の報道管制の実態、現代中国の環境汚染、インドやタイでの興味深い社会問題について素朴に感じた事知った事を、体験記の一部として付け加えて書き綴ったものもある。
  • 2006年11月、東京都地域教育力再生プラン運営協議会が都立高校生13万5千人に配布した、特定非営利活動法人KATARIBA発行の『ashita創刊号』という冊子にインタビューが掲載され、「毎日に意味がある。本気になった時間は絶対に自分を裏切らない」と語っている。

[編集] 現在の出演番組

[編集] 歴代レギュラー出演番組担当期間

はい!テレビ朝日です

  • 2002年7月〜2003年6月

朝いち!!やじうま

  • 2002年9月〜2003年1月

やじうまプラス

  • 2003年1月〜2006年3月(土曜:MC
  • 2006年4月〜2009年9月(金曜1部:MC、土曜:ニュースプレゼンター)
  • 2010年4月〜2010年9月(前半:MC)

スーパーJチャンネル

  • 2003年6月〜2004年3月(木・金曜:フィールド兼サブキャスター)
  • 2004年4月〜2005年3月(月〜水曜)
  • 2005年4月〜2006年3月(水〜金曜)
  • 2006年4月〜2008年3月(月〜水曜)
  • 2008年4月〜2010年3月(月〜水曜、金曜(不定期))
  • 2010年10月〜2011年3月(月〜金曜:「NEWSナマよみ」「現場直行」コーナーMC)

ANNニュース

  • 2006年4月〜2007年3月(金曜5:50〜5:59、テレビ朝日を含む一部地域は「やじうまプラス」に内包)

News AccessBS朝日

  • 2006年4月~2009年9月(金曜7:55~8:00)

地球まるごとTV

  • 2009年10月~2010年3月(土曜:MC)

[編集] 過去の出演番組

[編集] Voice(テレビ朝日アナウンサーによる舞台)

Voice3(2003年3月15、16日)

  • 集団朗読『光る道』 (作:檀一雄
  • トークコーナー『業務日誌』

Voice4(2004年6月19日、20日) ※6月20日公演のみ担当

Voice5 Returns(2006年9月23、24日)

  • 演劇『愛のテレ朝内閣』 介護士役

Voice6(2009年2月28日、3月1日)

  • 演劇『ヴィーナス・エスケープ』 妄想アナ役

[編集] イベント

局内

  • Japanese Beauty ホクリク in 『旅の香り時の遊び』」(JR・テレビ朝日連動企画、2004年5月8日、テレビ朝日イベントスペースUMU)

講師

  • アナウンサー養成講座(不定期、テレビ朝日アスク
  • 朝日就職セミナー2008 アナウンサー部門(朝日新聞社主催、2006年6月22日、浜離宮朝日ホール
  • 朝日就職セミナー2009 アナウンサー部門(朝日新聞社主催、2007年6月22日、浜離宮朝日ホール)
  • 朝日就職セミナー2009 女子大生のためのアナウンサー就活フェア(朝日新聞社主催、2007年10月14日、時事通信ホール)
  • 朝日就職セミナー2010 アナウンサー部門(朝日新聞社主催、2008年6月20日、浜離宮朝日ホール)

コーディネーター

  • 政策フォーラム2003(ISFJ日本政策学生会議主催、2003年12月13日・14日、慶大三田キャンパス
  • 2009日本コンクリート製品ジャンボリー(JPCF 日本コンクリート製品フォーラム実行委員会主催、2009年5月21日、東京會舘

パネラー

司会

ゲスト

スペシャルゲスト

[編集] 出版物

映画武士の一分DVD(配給・松竹、原作・藤沢周平、監督・山田洋次)

映画『母べえ』DVD(配給・松竹、原作・野上照代、監督・山田洋次)

  • 初回限定生産版特典『メイキングドキュメンタリー』(本編とは別) ナレーション

BOMB』 2003年11月号

  • AC/DC(ANNOUNCER&CASTER DREAMING CHANNEL)コーナーにカラーグラビア2Pとインタビュー記事掲載

BEAUTIFUL Lady & TELEVISION』(月刊ビー・エル・ティー)関東版 2008年7月号

  • 雑誌内の1コンテンツ[ana-logue]にインタビュー記事掲載

朝日新聞』 2010年4月3日付東京版夕刊3面

  • 受験・就活欄 「スタートライン」インタビュー 

[編集] 同期アナウンサー

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 2008年度社員採用情報サイトでのインタビューより
  2. ^ TVnaviDe-View、etc
  3. ^ フリーペーパー『ashita』
  4. ^ 現在は閉鎖
  5. ^ 朝日就職セミナー

[編集] 外部リンク

個人用ツール
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