日本青年会議所
| 種類 | 公益社団法人 |
|---|---|
| 略称 | 日本JC(JCI-Japan) |
| 本社所在地 | 〒102-0093 東京都千代田区平河町2-14-3 北緯35度40分48.5秒 東経139度44分29.5秒 / 北緯35.680139度 東経139.741528度 |
| 設立 | 1951年(昭和26年) |
| 業種 | 公益事業 |
| 外部リンク | www.jaycee.or.jp/ |
日本青年会議所(にっぽんせいねんかいぎしょ、略称日本JC、英語:Junior Chamber International Japan、英語略称JCI-Japan)は、青年経済人の社会活動を目的とする日本各地の青年会議所を会員として組織した公益社団法人である。国際青年会議所加盟。
目次 |
[編集] 概要
世界107カ国に活動拠点があり社会の若きリーダーを対象とするJunior Chamber International(JCI、国際青年会議所)に加盟している。JCI本部は米国ミズーリ州セントルイスにあり、日本JCはJCIのNOM(National Organization Member、ノム)と呼ばれる国家青年会議所である。東京都千代田区平河町2-14-3に本部を置く。
[編集] 各地青年会議所
加盟NOMの国内各地域には、LOM(Local Organization Member、ロム)と呼ばれる各地会員会議所が組織されている。
日本JCでは全国704の地域にLOMがあり、それらの連携・連絡調整機関として47都道府県ごとにブロック協議会が、ブロックの連携・連絡調整機関として地方ごとに10の地区協議会が組織されている。ブロック協議会、地区協議会、日本JCの構成メンバーは各LOMから出向する。
多くの各地青年会議所は公益社団法人格、あるいは社団法人格を有し(任意団体として法人格を持たないLOMも存在する)、都道府県庁の監督、指導のもと運営を行っている。
[編集] 会員会議所の新設
各市区町村に一会議所のみという規定は国際青年会議所にはないため、居住地域にある既存の各地青年会議所で希望する活動内容が行われていない場合は、規定の会員数を集め、全国704の青年会議所のうちの一会議所がスポンサーになり日本JCに申請して承認を受ければ、会員会議所として新設できる。
[編集] 会員
20歳から40歳までの社会的リーダーを志す「品格ある青年」であれば、人種、国籍、性別、職業、宗教を問わず、自由な個人の意思により入会することができる。
JC会員はJayCee(ジェイシー)と呼ばれ、日本全国の会員総数は約36,000名。年度単位(1月~12月)で組織役職を原則一新する単年度制を採用している。
満40歳になる年の年度末(12月31日)に満期扱いとなり卒業する。卒業後は出身LOMのシニアクラブに所属することができ、正会員から特別会員となる。卒業年度に日本JC会頭やLOM理事長を務めた者が卒業の翌年1年間、前任者として役職を担当する例外を除き、卒業生は組織に直接関与することはできない。全国のJC卒業生は約17万人。
[編集] 目的
「明るい豊かな社会」の実現を理想として公益事業を企画運営する。「個人の修練、社会への奉仕、世界との友情」を基本姿勢におき、事業を実施する過程でリーダーシップトレーニングを経験する。
[編集] 沿革
- 1949年(昭和24年)9月3日 - 「祖国日本の復興」を目指し、東京青年商工会議所(現、東京青年会議所)として創立。発会当時の会員数は48名で初代理事長はミツワ石鹸の三輪善雄(善兵衛)。9月3日は、日本におけるJC運動が公式に発足した日として記念されJCデーと呼ばれている。
- 1951年(昭和26年)2月9日 - 活動が各地に広まった2年後、東京、大阪、前橋、函館、西宮、名古屋、旭川の各地青年会議所が参加した総会で、日本青年会議所設立。初代会頭は虎屋16代目の黒川光朝(東京JC)。
- 1951年(昭和26年)5月 - カナダのモントリオールで開かれた第6回国際青年会議所世界会議で、JCI 加入を承認される。
- 2010年(平成22年)7月1日 - 公益社団法人として登記。
[編集] 日本のJC創立メンバー
三輪善雄(善兵衛)、岩波雄二郎、黒田光朝、近藤民三郎、鈴木康雄、八田恒平、堀越善雄、丸晋、森岡賢一郎、大木基彰、山田隆、朝倉孝吉、鮎川弥一、伊藤和夫、神谷克郎、亀井要、川崎七三郎、黒田彰一、小坂俊雄、小島健二、小西達司、小松彰久、阪部康正、杉山元太郎、鈴木重明、住友勝、外池寅松、堤平五、成毛収一、西浦文三、服部禮次郎、濱野一郎、守谷一郎、森美秀、森村衛、山本恵造、近藤利郎、井口俊次、中山進一、寺平好孝、長谷川一男、篠崎貞蔵、古林秀夫、喜頭時彦、近藤利夫、安西伯、森下泰、岡谷康治(チャーターメンバー48名、東京JC)
[編集] 日本JCチャーターLOM
(社)東京青年会議所(東京JC)、(社)大阪青年会議所(大阪JC)、(社)前橋青年会議所(前橋JC)、(社)函館青年会議所(函館JC)、(社)西宮青年会議所(西宮JC)、公益社団法人名古屋青年会議所(名古屋JC)、(社)旭川青年会議所(旭川JC)
[編集] 特記事項
[編集] 会員の減少
750余り存在した各地青年会議所は会員数の減少による統廃合で708会議所に縮小され、日本JCの全国会員総数は1988年の67,563名をピークに現在は36,000名程に半減した。また東京JCの会員数も1989年の1,422名をピークに、現在は500名程に激減した。日本JC歴代会頭の麻生太郎は、「東京JCがいま落ち目になってきているのは、よいリーダー(理事長)が出てこなかったからですよ。」とコメントした [1]。実際の活動は、外部に向けた公益性のある具体的な社会活動より、委員会、ミーティングや懇親会、その2次会やパーティーなど、内部の会員交流に活動時間の大半が使われ [16] [17]、参加する会員は全体の1/3程度である。役員等の幹部会員は30代後半が中心。
日本JCシニアクラブも1960年に初代日本JC会頭の黒川光朝らを中心に全国のOB同士が会員相互の親睦を図る目的で設立され、OB会員総数は2000年に27,000名いたが現在は2,000名となり、またその中の東京JCのOB会員も1,263名から160名余に激減するなど著しく衰退した。
[編集] 構成会員の変化
創立から1970年代までは入会基準が厳しく、学歴、職業が揃った会員を理想としていたが、バブル期以降、組織を維持するための拡充で積極的に会員拡大を行ってきた結果、入会審査が甘くなり本来の会員条件である「品格ある青年」の資質が低下し、庶民的な組織となり大衆化した。
1960年代、パチンコ「マルハン」創業者の韓昌祐は在日韓国人であったため、地元関西のJC入会を拒否された [18]。 現在は韓国系会員も日本JCのLOMに在籍し、また韓国大阪青年会議所 [19]、韓国京都青年会議所 [20]、韓国神奈川青年会議所 [21]、韓国福岡青年会議所 [22]、韓国東北青年会議所などの韓国JCのLOMも日本国内で活動している。
[編集] 麻生太郎と鴻池祥肇
日本JCの会頭になるには所属LOMの理事長を経験した後、日本JCに出向して常任理事などの役員から会頭候補者となるが、1978年度会頭の麻生太郎だけは所属する飯塚JC [23] の理事長を経験せずして日本JC会頭となった異例人事の会頭経験者である。麻生側近の数人の歴代会頭が「JCを有力な支持基盤」として位置付け、麻生を首相にするためJCを政治的に利用してきた。影響力を行使し、JC現役会員の人事や運営、あらゆる決め事に強烈に関与してきた経緯があり、長年、現役幹部に不満がくすぶっていた。2009年10月17日に開催された沖縄全国大会式典で2009年度会頭は「32年間のしがらみからの脱却」を宣言し、麻生関与の旧体制に終止符が打たれ、日本JCは麻生太郎と決別した [2]。麻生はJCについて「世の中の二代目のできそこないをたたき直している」組織であると発言している [3]。麻生と歴代会頭の鴻池祥肇は、JC卒業後も頻繁に1月京都会議、7月サマコン、10月全国大会などの日本JC公式事業に出席していた [24]。
[編集] 富士スピードウェイ廃止騒動
1979年7月、(社)御殿場青年会議所(静岡、御殿場JC)が周辺道路の渋滞、富士グランチャンピオンレース観戦の暴走族が周辺で集会や暴走行為を繰り返す環境の悪化による青少年への影響、省エネルギー時代にそぐわないことを理由に富士スピードウェイの廃止、転用を静岡県に陳情した。これにより、サーキットを廃止しゴルフ場などのレジャーランドへの転用が発表される事態となった。
モータースポーツ業界は「日本モータースポーツ振興会」を設置し、廃止に反対の立場を表明したが、1984年再び廃止転用の動きが表面化し、1985年スピードウェイの親会社である三菱地所がサーキットの廃止について言及する。
レース業界は更に「FISCO廃止問題連絡協議会」を設置し、大御神レース村ガレージや富士GC選手会も参加し、一般レースファンへのPR活動などを活発に行い、激しく反対運動を展開した。漫画家のしげの秀一も『バリバリ伝説』(『週刊少年マガジン』)のタイトル頁で、主人公巨摩郡が「FISCOなくなったら困るぜ!みんなで反対しよう!」と呼びかけるかたちで反対運動に賛同した。 1986年1月、地権者である富士スピードウェイ協力委員会が反対の意を示し、連絡協議会主催により東京でシンポジウムが開催され、神田から丸ノ内の三菱地所まで東京都内をデモ行進した。同年6月、小山町長に三菱地所から廃止問題についての地権者との調停依頼があり、同年7月30日、廃止問題は白紙とする旨の小山町長の裁定が下され、存続が決定し廃止騒動は収束した [4] [5]。
[編集] 東京JC日本振興銀行事件
2003年2月12日、(社)東京青年会議所(東京JC)が第一ホテル東京で開催した例会で、パネリスト木村剛が「20億円集めれば銀行をすぐに作れる」と発言したことをきっかけに、東京JC入会希望者として出席していた消費者金融の資金元である卸金融を手がけるノンバンク「オレガ」の落合伸治が20億円用意し、木村にアドバイスを受け「中小新興企業融資企画株式会社」を設立して銀行設立準備に入った [6]。
また、2003年度東京JC理事長であった平将明も銀行設立計画に賛同し、さらにJC会員約90人から1億円が集められた。同年8月20日に予備免許申請が金融庁に受理され、同日夕刻、落合、木村、平の3人が「日本振興銀行設立」記者会見を行った。以降、新聞や雑誌など多くのメディアで「東京JCが新銀行をつくる」と報道されることとなった。2日後の8月22日、平は「公益法人は営利企業の設立はできない。個人の立場で記者会見に臨んだ」と東京JCメルマガを通じて見解を明らかにし、一部の報道は事実に反するとした [7]。
その後、設立資金20億円出資者の設立発起人で社長に就任していた落合は、木村や平を含む役員らに銀行役員を解任され、木村を告発するに至った [8] [9] [10] [11]。
[編集] 同性愛カムアウト騒動
2005年2月、(社)士別青年会議所(北海道、士別JC)の新年会で、2005年度士別JC理事長が会員100人に向けてカムアウトした。新聞の見出しに大きく「私は同性愛者」と告白したことが報道されるなど波紋を呼んだ [12]。
[編集] 靖国神社アニメ制作問題
2007年5月17日の衆院教育再生特別委員会で、日本共産党議員石井郁子は当時の内閣総理大臣安倍晋三に、日本JCが制作した『誇り~伝えようこの日本のあゆみ~』 [13] と題されたDVDアニメをつかった新しい教育事業を文部科学省が採択したことに反発を示し、「靖国神社の戦争観を子どもに刷り込むための教育プログラム」と指摘し、波紋を呼んだ。日本共産党は「侵略戦争を正当化する」などと反発したが、日本JC側は「真意は共産党の言っていることと全く逆だ」と反論した。日本共産党機関紙『しんぶん赤旗』は連日、「日本の侵略戦争と植民地支配を正当化する」と報じた [14]。
[編集] 憲法タウンミーティング運営トラブル
2008年8月30日、日本JC近畿地区兵庫ブロック協議会会員大会内で開催した「憲法タウンミーティング」で運営上のトラブルがあり、パネルディスカッションの前の講演会が長引き、パネルディスカッションの時間が短くなったため、パネルディスカッションに招かれた世耕弘成参議院議員はブログ『世耕日記』に、「JCの仕切りはお粗末そのもの」、「社会人としての常識、ルールを謙虚に学ぶことから始めるべきだろう。」、「公党の国会議員を呼びつけて憲法タウンミーティングを主催する資格などない。」と意見した。日本JC側は後日謝罪した [15]。
[編集] 不祥事
[編集] 旭川女体盛り事件
1998年2月14日、1998年度日本JC「地球市民づくり情報循環会議」、日本青年会議所建設部会、(社)旭川青年会議所(北海道、旭川JC)の幹部ら33人が、北海道旭川市駅前のホテル地下の居酒屋でハレンチな猥褻行為を目的とした会合を行なった。旭川JCメンバーと日本JC会議スタッフが「今日はバレンタインデーなので、旭川では女体盛りを用意しました」と、コンパニオンとして呼んだ16歳の少女を全裸にし刺身を盛り付けたパーティーを企画。その場にいた日本JC議長と副議長4人を含むメンバーらは、「一瞬「おおっ!」と驚きの声を上げ、次いで蜜にたかる蟻のように女体盛りに群がった」。「初め女の子はサングラスをかけていたが、乗ってくるとそれをはずし、脚も開いた。なかには刺身を股や乳首にくっつけてから食べる」JCメンバーもいた。事件は6月になって少女が補導され、パーティーの顛末を話したことで発覚。10月に議長らは旭川中央警察署で事情聴取を受け、逮捕者を4人出した。少女を手配した1996年衆院選に北海道6区から出馬している不動産会社役員の東京JC会員(27)は売春防止法違反と北海道青少年保護育成条例違反で逮捕され、東京JCを除名処分となった。当時、松山建設代表取締役社長で(社)日本青年会議所副会頭だった松山政司参議院議員(当時39歳、翌1999年度日本JC会頭就任)もその場に参加していたとして問題になった。1998年11月3日と17日発売の写真週刊誌『FLASH』に「「女体盛り」逮捕犯」「あ!日本青年会議所(JC)議長のハシが乳首を!!刺身「女体盛り」ハレンチ写真」などの表紙見出しで、現場写真が2号連続で掲載された [16] [17]。日本JCは「懇親会としては不適切で、反省すべきもの」という内容の見解表明をした。
[編集] 横浜セクハラ問題
1998年7月25日午後4時頃、日本青年会議所ファッション部会が神奈川県横浜市で開催された「日本JCサマーコンファレンス1998」会場で、客席100人ほどのステージにビキニ姿のコンパニオン2人が水着ショーの後、体にバスタオルを巻きつけてビキニを脱ぎオークションにかけていたとして市民団体などに苦情があった。神奈川人権センターはセクハラ問題として日本JCに対し事実調査と公表を求める申し入れ書を提出し、抗議した。後援した横浜市も事実関係の調査に乗り出し、日本JC側は事実を確認し、謝罪した [18]。
[編集] 強盗殺人事件
2003年4月17日午後10時10分頃、(社)新城青年会議所(愛知、新城JC)会員(38)がJC仲間の建設会社役員で元理事長(39)を新城JCの会議後に駐車場で待ち伏せして連れ去り、首を絞めて殺害し、現金と携帯電話を強奪。「フィリピンパブで知り合ったホステスとの結婚資金などを得るため」、同18日、被害者の家族に身代金1億円を要求し、翌19日、遺体を愛知県額田町(現、岡崎市)の山中に遺棄した。強盗殺人や恐喝未遂などの罪に問われ逮捕される。2006年12月15日、名古屋高裁は無期懲役(求刑死刑)の1審名古屋地裁判決を支持、検察側、被告側双方の控訴を棄却した [19] [20]。戦後日本の身代金誘拐事件で社会人男性が殺害されたのは初めてであった。
詳細は「新城市会社役員誘拐殺人事件」を参照
[編集] 強制わいせつ事件
2003年10月17日午後10時頃、(社)釧路青年会議所(北海道、釧路JC)会員ら5人が、JCの月例会後に来店した釧路市末広町3のスナックで、共謀の上、女性従業員(26)に服を脱ぐよう強要したが拒否されたため、スーツと下着を強制的に脱がせ全裸の体を触ったほか、カメラ付き携帯電話で撮影するなどわいせつ行為をした。2004年5月12日までに、釧路署は強制猥褻の疑いで逮捕、翌13日、道東経済センタービルの記者会見で2004年度、2003年度、2002年度の釧路JC理事長3人が会員の不祥事を謝罪した [21]。
[編集] 業務上横領事件
2004年度(社)藤沢青年会議所(神奈川、藤沢JC)理事長(40)が「理事長としての体面もあり交際費に使ったり、印刷会社の経営も思わしくなくそちらにも流用」するため2004年春から1年間、36回にわたり同会議所名義の普通預金口座から現金520万円を引き出し着服したとして、2006年1月10日、神奈川県警藤沢署に業務上横領の疑いで逮捕された。金は藤沢JC会員が社会開発事業基金として積み立てていたが、2005年度理事長に交代後、会計帳簿に不明朗な点が見つかり、2005年8月、藤沢JCが藤沢署に告訴していた [22]。
[編集] 八尾JC傷害致死事件
2006年10月7日午後9時50分頃、(社)八尾青年会議所(大阪、八尾JC)会員20人が、日本JC全国会員大会で集まった郡山市熱海町・磐梯熱海温泉のホテルで宴会中、会員(35)が「盛り上げようと思って」寝ていた新入会員(38)の頭髪にアルコール度数96%で引火性の強いウォッカをかけ、ライターで火を付け顔や全身に重度のやけどを負わせ、死亡させた傷害致死容疑で逮捕された。また、現場にいた八尾JC監事が同専務理事に、ウォッカ瓶を近くの川に捨てるよう指示していたことも発覚し、証拠隠滅容疑で逮捕された [23]。大やけどを負った新入会員は、2006年10月27日に呼吸不全で死亡した。2007年5月31日、福島地裁郡山支部の判決公判で裁判長は「あまりに幼稚で不謹慎極まりなく、酌量の余地はない」として被告に懲役2年6月(求刑懲役6年)の実刑を言い渡した。弁護側は「ライターで体毛を焦がす行為は前から宴会の座興として行われており、やけどを負わせる意図はなく過失だった」と無罪を主張していた。2006年12月、八尾JCは、社団法人日本青年会議所(当時)から除名処分となり、社団法人八尾青年会議所は法人としても解散した。
[編集] 脚注
- ^ 麻生太郎発言「東京JCがいま落ち目になってきているのは、よいリーダーが出てこなかったからですよ。」『若い力』71号(2008年1月、神戸JC発刊)
- ^ 「旧体制から脱却を宣言 JC全国大会式典」『琉球新報』(2009年10月18日)[1]
- ^ 麻生太郎発言「世の中の二代目のできそこないをたたき直している。」『若い力』71号(2008年1月、神戸JC発刊)
- ^ 「富士スピードウェイの歴史-F1日本グランプリ開催と廃止騒動-」『静岡県立中央図書館だより』No.311(2007年11月・12月号)[2]
- ^ 「F1がやってくる-廃止の危機-」YOMIURI ONLINE 静岡『読売新聞』 (2007年12月13日)[3]
- ^ 『金融維新-日本振興銀行の挑戦』木村剛著(2003年9月1日、アスコム)[4]
- ^ 「日本振興銀行に関して(経緯及び東京JCとの関わり)」『東京JCメールマガジン』8月臨時号(2003年8月22日)[5]
- ^ 「専務も常務も「辞表」を出した「木村剛」日本振興銀行」『週刊新潮』(2004年11月11日号)[6]
- ^ 「「木村剛」を告発する日本振興銀行「創業者」」『週刊新潮』(2004年12月9日号)[7]
- ^ 「無担保で融資の日本振興銀行の木村剛」『週刊仕置人』草野洋(2004年)[8]
- ^ 「日本振興銀行“内紛”業績向上へ課題山積」『読売新聞』(2005年1月20日号) [9]
- ^ 「士別青年会議所理事長「私は同性愛者」と告白」『北海道新聞』(2005年2月5日号、夕刊)などに掲載された
- ^ 『誇り~伝えようこの日本のあゆみ~』(社)日本青年会議所制作(2007年) [10]
- ^ 「「靖国DVD」で授業 青年会議所作製 文科省が採用 石井議員追及」『しんぶん赤旗』(2007年5月18日号)[11]
- ^ 「JCの仕切りはお粗末そのもの」『 世耕日記』(2008年9月1日付)[12]
- ^ 「玉緒とアンナ女体盛り逮捕犯と接点が」『FLASH』566号(1998年11月10日・17日、光文社)
- ^ 「議長のハシが乳首を!日本青年会議所の刺身「女体盛り」ハレンチ写真」『FLASH』567号(1998年11月24日、光文社)
- ^ 「日本JCサマコン・セクハラ問題」は『日刊スポーツ』(1998年7月31日号)、『朝日新聞』HP社会面(1998年7月31日号)などに掲載された
- ^ 「「二人の御曹司」が情熱を傾けたそれぞれの未来―新城「資産家三代目」誘拐殺人事件」上條昌史著、『新潮45』(2004年1月号、新潮社)
- ^ 『殺戮者は二度わらう 放たれし業、跳梁跋扈の9事件』、『新潮45』編集部編、新潮文庫(2004年6月1日、新潮社)[13]
- ^ 「JC強制猥褻行為 釧路、逮捕」『釧路新聞』(2004年5月13日号)
- ^ 「前青年会議所理事長を逮捕」『ニュースフラッシュ』レディオ湘南(藤沢エフエム放送)(2006年1月11日号)[14]
- ^ 「宴会で仲間に火付けるJC全国大会出席者」『四国新聞社』(2006年10月9日号)[15]
[編集] 関連項目
- Junior Chamber International(JCI、国際青年会議所)
- 京都会議
- 非政府組織(NGO)
- 非営利団体
- 日本の社団法人一覧
- 社団法人
- 公益法人
- 公益法人制度改革
- 公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律(公益法人認定法)
- 公益認定等委員会