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* 2016年(平成28年)3月31日 - 東京航空局中標津空港出張所閉所。 |
* 2016年(平成28年)3月31日 - 東京航空局中標津空港出張所閉所。 |
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* 2017年(平成29年)9月23日 - [[北方四島交流事業]]の出発地となり、[[ロシア]]の[[オーロラ_(航空会社)|オーロラ]]の[[DHC-8#Q シリーズへの改良|DHC-8-Q400]]によるチャーター便が運航された。{{要出典範囲|date=2017年11月|当初、日本政府は1泊2日での日程を主張したがロシア政府側の同意が得られず、}}日程は日帰りで計画され、中標津空港から出発した一行は、[[メンデレーエフ空港|国後島]]で墓参団は入域手続きをし、国後島の墓参者を降ろし<ref>[http://web.archive.org/web/20170923193924/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/134088 初の空路墓参 国後、択捉両島に到着 4カ所で慰霊式]</ref>、[[イトゥルップ空港|択捉島]]で択捉島の墓参者を輸送し折返し、択捉島から国後島へ向かったが、国後島は霧により着陸できず、帰国時の手続きも国後島で行う予定だったため、[[ユジノサハリンスク空港|ユジノサハリンスク]]へ向かい択捉島墓参者はユジノサハリンスク、国後島墓参者は国後島の[[日本人とロシア人の友好の家|友好の家]]でそれぞれ宿泊し、翌日ユジノサハリンスクから国後島経由で帰国(国後島からは北海道本島へ移動)となった<ref>[http://web.archive.org/web/20170924045012/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/134137?rct=n_northernterritories 初の空路墓参、霧で戻れず ユジノに着陸、現地に宿泊]</ref>。 |
* 2017年(平成29年)9月23日 - [[北方四島交流事業]]の出発地となり、[[ロシア]]の[[オーロラ_(航空会社)|オーロラ]]の[[DHC-8#Q シリーズへの改良|DHC-8-Q400]]によるチャーター便が運航された。{{要出典範囲|date=2017年11月|当初、日本政府は1泊2日での日程を主張したがロシア政府側の同意が得られず、}}日程は日帰りで計画され、中標津空港から出発した一行は、[[メンデレーエフ空港|国後島]]で墓参団は入域手続きをし、国後島の墓参者を降ろし<ref>[http://web.archive.org/web/20170923193924/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/134088 初の空路墓参 国後、択捉両島に到着 4カ所で慰霊式]</ref>、[[イトゥルップ空港|択捉島]]で択捉島の墓参者を輸送し折返し、択捉島から国後島へ向かったが、国後島は霧により着陸できず、帰国時の手続きも国後島で行う予定だったため、[[ユジノサハリンスク空港|ユジノサハリンスク]]へ向かい択捉島墓参者はユジノサハリンスク、国後島墓参者は国後島の[[日本人とロシア人の友好の家|友好の家]]でそれぞれ宿泊し、翌日ユジノサハリンスクから国後島経由で帰国(国後島からは北海道本島へ移動)となった<ref>[http://web.archive.org/web/20170924045012/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/134137?rct=n_northernterritories 初の空路墓参、霧で戻れず ユジノに着陸、現地に宿泊]</ref>。 |
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*2021年(令和3年)10月 有人による飛行場対空通信業務再開。中標津リモートからレディオへ昇格。 |
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== 施設 == |
== 施設 == |
2021年10月9日 (土) 04:50時点における版
中標津空港 Nakashibetsu Airport | |||||||||
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IATA: SHB - ICAO: RJCN | |||||||||
概要 | |||||||||
国・地域 | 日本 | ||||||||
所在地 | 北海道標津郡中標津町 | ||||||||
母都市 | 根室市 | ||||||||
種類 | 商業 | ||||||||
運営者 | 北海道 | ||||||||
運用時間 | 8:30 - 18:30 | ||||||||
標高 | 65.2 m (213.9 ft) | ||||||||
座標 | 北緯43度34分39秒 東経144度57分36秒 / 北緯43.57750度 東経144.96000度座標: 北緯43度34分39秒 東経144度57分36秒 / 北緯43.57750度 東経144.96000度 | ||||||||
公式サイト | 根室中標津空港 | ||||||||
地図 | |||||||||
中標津空港の位置 | |||||||||
滑走路 | |||||||||
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リスト | |||||||||
空港の一覧 |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒086-1145 北海道標津郡中標津町北中16番地9 |
代表者 | 代表取締役社長 西村 穣 |
資本金 | 4億9800万円 |
純利益 |
▲3396万7000円 (2021年03月31日時点)[1] |
総資産 |
10億0648万1000円 (2021年03月31日時点)[1] |
決算期 | 3月末日 |
中標津空港(なかしべつくうこう、英: Nakashibetsu Airport)は、北海道標津郡中標津町にある地方管理空港である。設置管理者は北海道が担当している。
定期路線を就航している全日空グループでは根室中標津空港(ねむろなかしべつくうこう、英: Nemuro-Nakashibetsu Airport)の名称を使用し、空港ビル運営会社名も根室中標津空港ビル株式会社である。
概要
中標津空港は北海道かつ日本最東端の民間機が離発着する飛行場[2][3]で、中標津町市街から北西約4 km(バスで約10分)の平坦な牧草地に位置する。JR北海道標津線廃止後の交通空白を埋める空港として、根室管内の玄関口としての役割を担ってきた。
ただし空港建設の経緯が他の道内空港と異なり、周辺は酪農地帯に立地する。根室振興局が置かれる根室市中心部へは80 km以上離れている。当空港から100 km圏内で摩周湖や、世界自然遺産の知床など自然景観に恵まれた観光地が多数在ることから、観光需要の利用が根強い。札幌市や東京への時間距離が長いこの地域において、高速交通手段として航空の果たす役割は非常に大きい。
年間乗降客数は、2007年頃までは20万人台前半で推移していたが[4][出典無効]、新型インフルエンザや世界金融危機などによる旅行客の減少により、2008年以降は18万人前後となっている。2013年度は、国内192,852人[5]。
日本テレビ製作のテレビドラマ『星の金貨』や、映画『釣りバカ日誌20 ファイナル[6]』など、実写作品のロケ地にも使われた。
沿革
- 1944年(昭和19年) - 旧日本海軍の標津第一航空基地(中標津飛行場)として開港。同基地建設のための軍用引込線が国鉄標津線東標津信号場から延伸。
- 1945年(昭和20年) - 米軍の空襲を受ける。戦後、閉港となり、農地として払い下げられ、放置される。軍用引込線廃止。
- 1957年(昭和32年) - 北日本航空(後の日本国内航空→日本航空)が、放置された飛行場跡を利用して、根室一円の遊覧飛行を行う。
- 1959年(昭和34年) - 北日本航空が、遊覧飛行事業を開始。中標津 - 札幌線開設、ダグラス DC-3型機が1962年(昭和37年)まで運航する。
- 1962年(昭和37年) - 飛行場跡が滑走路長1,200 m×30 m(方向:05/23)の第3種空港に指定され、再開港となる。
- 1965年(昭和40年) - 西春別空港から丘珠便の定期航空路線が移り、供用開始(西春別よりも中標津のほうが、当時存在した国鉄標津線を利用した根室市方面への移動が便利だったため)。
- 1965年(昭和40年) - 日本国内航空が丘珠便を撤退。横浜航空が丘珠便を就航[7]。
- 1973年(昭和48年) - 8月1日、設置管理者の指定変更。中標津町から北海道に移管される。
- 1974年(昭和49年) - 日本近距離航空(NKA 後のエアーニッポン→全日本空輸)により丘珠便運航開始(DHC-6)。
- 1980年(昭和55年) - NKA 千歳便運航開始(YS-11)。
- 1983年(昭和58年)3月11日 - NKA497便(札幌丘珠発中標津行)YS-11型が着陸に失敗、中標津空港付近の林に墜落する事故が発生。幸い機体が炎上しなかったため、乗客53人に死者は出なかった。
- 1989年(平成元年)7月28日 - 新滑走路供用開始(1,200 m)。ターミナル施設も西に新たに移転し、新築された現空港ビルが「国内初の木造建築空港ビル(鉄筋一部混合、一部3階建て)」としてオープン。
- 1990年(平成2年)7月28日 - 1,800 m×45 mとして滑走路延長(旧滑走路跡を横断利用)供用開始と共にジェット化。エアーニッポンによる東京便の就航開始[8]。初のソウルへの国際チャーター便が運航される。
- 1993年(平成5年) - 中型機対応ターニングパッド供用開始。この年以降、夏季期間限定で東京便にボーイング767が就航し現在に至る。
- 1997年(平成9年)3月2日 - 2,000 mの滑走路を供用開始[9]。
- 2003年(平成15年) - 丘珠・千歳線の運航がエアーニッポンネットワークに移管され、YS-11・B737に代わりDHC-8-Q300が就航する。
- 2008年(平成20年)4月4日 - 空港ビルが増築・リニューアル(床面積が約1.6倍になる)。
- 2010年(平成22年)
- 3月14日 - 利用者400万人達成(1989年の新ターミナル利用開始後より数えた利用者数)。
- 6月30日 - 丘珠便が廃止され、札幌方面は7月1日より新千歳空港線へ一本化された。使用機材もDHC-8-Q300からDHC-8-Q400へと大型化された。
- 2013年(平成25年)3月31日 - 現地の有人による飛行場対空通信業務終了。新千歳インフォメーションによるリモート監視に変更(レディオからリモートへ格下げ)。
- 2016年(平成28年)3月31日 - 東京航空局中標津空港出張所閉所。
- 2017年(平成29年)9月23日 - 北方四島交流事業の出発地となり、ロシアのオーロラのDHC-8-Q400によるチャーター便が運航された。当初、日本政府は1泊2日での日程を主張したがロシア政府側の同意が得られず、[要出典]日程は日帰りで計画され、中標津空港から出発した一行は、国後島で墓参団は入域手続きをし、国後島の墓参者を降ろし[10]、択捉島で択捉島の墓参者を輸送し折返し、択捉島から国後島へ向かったが、国後島は霧により着陸できず、帰国時の手続きも国後島で行う予定だったため、ユジノサハリンスクへ向かい択捉島墓参者はユジノサハリンスク、国後島墓参者は国後島の友好の家でそれぞれ宿泊し、翌日ユジノサハリンスクから国後島経由で帰国(国後島からは北海道本島へ移動)となった[11]。
- 2021年(令和3年)10月 有人による飛行場対空通信業務再開。中標津リモートからレディオへ昇格。
施設
空港ターミナルは根室中標津空港ビル株式会社が運営している。地上3階建て。日本の空港ビル唯一の集成材を利用した木造建築(一部鉄筋コンクリート造を併用)である。
- 1階 - ANAカウンター、到着ロビー、レンタカー受付カウンター
- 2階 - 出発ロビー、搭乗待合室、レストラン・売店
- 3階 - 送迎デッキ
- 駐車場 - 383台
-
航空会社カウンター
-
搭乗待合室入口
-
出発するボーイング767
関連機関
廃止された関連機関
路線
かつての定期就航路線
空港への交通手段
- 根室交通:根室有磯営業所 - 根室駅 - 厚床駅 - 別海 - 中標津ターミナル - 中標津空港
- 阿寒バスの釧路駅・市立病院方面、標茶駅方面、標津・羅臼(知床)方面の便は、中標津ターミナルで乗り換えとなる。
レンタカー
到着ロビーに営業所までの送迎受付カウンターが設置されている。店舗名は「中標津空港」または「中標津」。なお、トヨタレンタリースを除き根室振興局管内に他の営業所がない。
その他
中標津VORDME/ILSは、整備されているものの、2016年3月31日までは中標津空港航空管制技術官、4月1日以降の保守官所は新千歳空港システム運用管理センターへ変更。
脚注
- ^ a b 根室中標津空港ビル株式会社 第33期決算公告
- ^ 北方領土を含むと、択捉島のヤースヌイ空港が東にある。
- ^ 日本最東端の飛行場は南鳥島航空基地であり、航空自衛隊の管理であるため、軍用機のみが利用する。
- ^ "管内空港の利用状況概況集計表(平成25年度速報値)" (PDF) (Press release). 国土交通省東京航空局.
- ^ "管内空港の利用状況概況集計表(平成25年度速報値)" (PDF) (Press release). 国土交通省東京航空局.
- ^ 釣りバカ日誌20ファイナル
- ^ 「規制甘い不定期航空 監督強化を検討」『朝日新聞』昭和47年(1972年)5月31日朝刊、13版、22面
- ^ 喜び一色中標津空港 ジェット東京直行便が就航 根室管内の開発に弾み - 釧路新聞1990年7月29日
- ^ “中標津空港の延伸完成 冬の大型機発着が可能に”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1997年2月28日)
- ^ 初の空路墓参 国後、択捉両島に到着 4カ所で慰霊式
- ^ 初の空路墓参、霧で戻れず ユジノに着陸、現地に宿泊
- ^ ANAウイングスの機材・乗務員による運航便含む
関連項目
- 北海道の関与団体の一覧 - 根室中標津空港ビル株式会社は北海道の「関与団体」として指定されている。