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JT女性社員逆恨み殺人事件

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JT女性社員逆恨み殺人事件
場所

日本の旗 日本東京都江東区大島六丁目[新聞 1][判決文 1]

都市再生機構(UR)大島六丁目団地[新聞 1][判決文 1]
座標
標的 7年前の強姦致傷事件被害者
日付 1997年平成9年)4月18日[新聞 1][判決文 1]
21時過ぎ[判決文 1] (UTC+9)
概要 別の殺人で服役した前科を持つ加害者の男は本事件の7年前(1989年)に被害者女性を強姦・負傷させて恐喝した強姦致傷事件を起こし、被害者女性から被害届を出されたために逮捕・起訴され札幌刑務所に服役した[判決文 1]
男は服役中に一貫して被害者を逆恨みして「お礼参り」を企てており、出所直後に事件後も引っ越していなかった被害者女性の居所を見つけて女性を刺殺した[判決文 1]
攻撃側人数 1人
武器 包丁(平成9年押収第1579号の1)[判決文 1]
死亡者 日本たばこ産業(JT)女性社員(本事件当時44歳、7年前の強姦致傷事件被害者)[新聞 1][判決文 1]
犯人 男M(犯行当時54歳、殺人前科あり)[新聞 2][新聞 3][新聞 4][判決文 1]
動機 逆恨みによるお礼参り[判決文 1]
対処 逮捕[新聞 2]起訴[新聞 5]
刑事訴訟 死刑執行済み[判決文 2][判決文 3][その他 1][新聞 6]
影響 刑事裁判の最終弁論で被告人Mおよび弁護人がそれぞれ「被害者にも落ち度がある」旨の主張を行い[判決文 1][雑誌 1][新聞 7]、弁護人に対しては傍聴席から「ふざけるな」と罵声が飛んだ[雑誌 1][新聞 7]
本事件をきっかけに警察庁法務省は「犯罪加害者による被害者へのお礼参りを防ぐ」ため「事件の被害者・目撃者に対し加害者の出所事実・出所予定時期・出所後の居住地を通知する制度」を制定した[新聞 8][新聞 9]
管轄 警視庁本部捜査一課城東警察署[新聞 2]
東京地方検察庁[新聞 5]東京高等検察庁
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最高裁判所判例
事件名 前刑事件の被害女性に対する逆恨み殺人事件
事件番号 平成12年(あ)第425号
2004年(平成16年)10月13日
判例集 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第286号357頁
裁判要旨
  • 本件上告を棄却する。
  • 本件殺人は、特異な動機に基づく誠に理不尽かつ身勝手な犯行であり、犯行に至る経緯に酌量の余地はない。
  • その犯行は、計画性が高く、強固な殺意に基づくものであって、殺傷能力の高い刃物を用いた犯行の態様も冷酷かつ残虐である。被害者の生命を奪った結果は重大であって、被害者遺族の被害感情は極めて厳しく、社会に与えた影響も大きい。
  • これに加え、被告人に殺人で服役した前科があったなどの諸事情に照らすと、被告人が反省の態度を示していることなど、被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても、被告人の罪責は、誠に重大であり、無期懲役の第1審判決を破棄して被告人を死刑に処した原判断は、やむを得ないものとして当裁判所もこれを是認せざるを得ない。
第二小法廷
裁判長 滝井繁男
陪席裁判官 福田博北川弘治津野修
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
参照法条
殺人窃盗
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JT女性社員逆恨み殺人事件(ジェイティーじょせいしゃいん さかうらみ さつじんじけん)は1997年平成9年)4月18日夜に東京都江東区大島六丁目の団地で発生した殺人事件である[新聞 1][新聞 3][新聞 10]

加害者の男M(本事件当時54歳、1976年に殺人前科あり)は[新聞 2]、本事件の7年前となる1989年(平成元年)12月、当時日本たばこ産業(JT)の社員だった被害者女性会社員(本事件当時44歳)に対する強姦致傷事件を起こし同事件をネタに被害者女性を恐喝したが、被害者女性から警察に通報されたことで逮捕起訴され懲役刑を受けて刑務所に服役した[判決文 1][書籍 1]。被害者の通報を逆恨みし続けていたMは刑務所を出所後に「お礼参り」をする形で被害者を刺殺した[判決文 1][書籍 1]

マスメディアにより「逆恨み殺人事件」として大きく取り上げられた本事件は近隣住民に恐怖感を与えるとともに一般社会にも大きな不安感・衝撃を与えた[判決文 1]

また作家・丸山佑介は本事件を著書『判決から見る猟奇殺人ファイル』(彩図社、2010年)にて「刑事司法制度の根幹を揺るがしかねない殺人事件」「『刑事事件の被害者が犯人を告発したために殺される』というあまりにも不条理な筋書きに世間が震撼した。また『刑事事件の被害者保護・再犯の防止』という点でも非常に大きな意味を持つ事件だった」と評した[書籍 1]

元死刑囚M[編集]

本事件の元死刑囚Mは、1942年昭和17年)5月15日、日本統治時代の朝鮮京城府(当時)にて5人兄弟姉妹の次男として生まれた[判決文 1][雑誌 1]2008年平成20年)2月1日、死刑囚Mは法務大臣鳩山邦夫の死刑執行命令により収監先・東京拘置所にて死刑を執行された(65歳没)[その他 1][新聞 6]

生い立ち[編集]

Mは終戦後、家族とともに朝鮮半島から日本に引き揚げ[判決文 1][雑誌 1]1947年(昭和22年)頃から福岡県戸畑市(現・福岡県北九州市戸畑区)に居住し、1958年(昭和33年)3月に同市内の中学校を卒業後、九州などで映写技師見習いとして働くようになった[判決文 1][雑誌 1]

Mが就職した当時は、ニュータイプのスターとして石原裕次郎が人気を博するなど映画が娯楽の王座にあったが[雑誌 1]、その後は映画産業の斜陽化により[雑誌 1]、塗装店・映画館従業員などの職を転々とするようになった[判決文 1][雑誌 1]。Mは1976年、後述のように広島市内で最初の殺人事件を起こした時点で、在住地の山口県下関市内において窃盗2回の前歴があった[新聞 11]

殺人前科[編集]

Mは1976年(昭和51年)に広島県広島市内で別れ話の諍いから交際相手の少女(当時16歳・高校2年生の女子高生)を殺害して懲役10年の刑に処された前科があった[判決文 1]

M(当時34歳)は同事件当時、下関市豊前田二丁目に在住しており、1976年5月6日から同年8月10日ごろまでの間は[新聞 11]同市内のストリップ劇場で照明係として働いていた[判決文 1][雑誌 1]。その際、当時家出中で親族から大分県警察別府警察署に捜索願が出されていた大分県別府市在住の16歳少女と[新聞 11]、偶然知り合い[新聞 12][判決文 1]、肉体関係を持った[判決文 1][雑誌 1]

1976年8月6日[新聞 11]、Mはこの少女を「ストリッパーとして雇ってくれ」と劇場で働かせようとしたが[新聞 11]、劇場からは「少女が20歳未満であること」を理由に就職を断られたため[新聞 11][新聞 12]、1976年8月10日夜には少女とともに2人で職を探しに広島市へ向かった[新聞 11][新聞 12]

1976年8月11日22時20分頃、Mは少女とともに広島市田中町(現・広島市中区田中町)のホテルに投宿したが[新聞 13]、当時は金に困っていたためか、同日夜にはホテル付近にあった食料品店でパン・牛乳を購入した際、店員に「(商品の)値段が高い」と文句をつけていた[新聞 11]

職探しに出向いた広島市内でも、少女が未成年であるために職が決まらなかったことから[新聞 12]、Mは「ホテルで生活を続けると金銭がかさむ」として少女を足手まといに感じるようになった[新聞 12]。これに加え、少女は既に「両親の下に帰る」という意思を固めていたため[判決文 2]、Mに別れ話を持ち出すなど[雑誌 1]、冷淡な態度を取るようになった[判決文 1][雑誌 1]。Mはその態度に憤激し[判決文 1][雑誌 1]、それまで少女に抱いていた恋慕の情は憎悪に転じた[判決文 2]

1976年8月12日午前6時頃[新聞 14][新聞 12]、Mは宿泊先のホテルの一室で[新聞 14]、確定的な殺意の下に浴衣の紐で少女の首を絞め[判決文 2]、少女を殺害した[判決文 1][雑誌 1]。Mは少女を殺害後、翌8月12日朝にフロントに1人で現れ、「11時頃には帰って来る」と従業員に告げてホテルを出た[新聞 13]

作家・朝倉喬司は『週刊実話』1999年8月19日号(日本ジャーナル出版)の本事件特集記事において「この1回目の殺人の動機は、まだ精神的に幼かった少女がMをなじった言葉の綾に対し過剰反応したものだった。被害妄想に駆られて我を忘れてしまうパターンは後の本事件と共通している」と指摘した[雑誌 1]

同事件の捜査

翌1976年8月12日昼ごろ、Mとともに宿泊していた少女が一向に起きてこないことを不審に思ったホテルの従業員が、ホテル和室で少女の遺体を発見して広島県警察広島東警察署に110番通報した[新聞 13]。広島県警捜査一課は本事件を殺人事件と断定して捜査を開始し、[新聞 13]、遺体の指輪に刻んであったローマ字のイニシャルを手掛かりに、全国の警察に対し家出人照会を行った[新聞 11]

その結果、翌8月13日には遺体の身元が福岡県中間市出身、大分県別府市内の私立高校に在学していた16歳少女と断定された[新聞 11]。これに加え、現場から採取された指紋が前歴者カードに記録されていたMの指紋と一致することが判明したため、同日朝になって広島県警捜査一課・広島東署は被疑者Mを殺人容疑で全国に指名手配した[新聞 11][新聞 12]

一方でMは事件後、広島駅から新神戸駅まで山陽新幹線に乗車し、電車を乗り継いで大阪府大阪市まで逃亡、同市港区内の簡易宿泊所に潜伏していた[新聞 15]。同日頃からMは、付近に住んでいた大工の下で雑役夫として働いていたが、逮捕当時は前述の現場ホテルのマッチ1個、事件を報道した新聞の切り抜き3枚、所持金300円しか持っていなかった[新聞 15]

1976年8月24日夜、Mは大阪府警察港警察署へ匿名で寄せられた110番通報により、大阪府警機動捜査員・港署員に殺人容疑で逮捕され[新聞 15]。同日昼に身柄を広島東署へ護送された[新聞 15][新聞 16]。Mは取り調べに対し容疑を認めた上で、動機などについて以下のように供述した[新聞 16]

  • 「8月6日頃、下関市内の喫茶店でコーヒーを飲んでいた少女と知り合った。少女が『仕事を探している』と言ったので、『世話をしてやろう』と言い交際を始めた」[新聞 16]
  • 「まず勤め先の劇場に少女を連れて行き、『ストリッパーとして雇ってくれ』と言ったが未成年だったので断られたため、8月10日夜、広島に職探しに向かい現場ホテルに宿泊した」[新聞 16]
  • 「8月11日朝、広島市内の劇場に就職の話に行ったが、社長が不在で話がまとまらなかったためホテルに帰った。その後、少女に『下関に帰ろう』と言ったが、少女は『帰らない』というので、『自分の知っている大阪に行こう』と持ち掛けた。しかし、少女が同意しなかったため口論になり、翌12日未明も『大阪に行く』『行かない』で口論になったため、午前6時から6時30分頃の間にベッドに横になっていた少女に馬乗りになり、浴衣の腰紐で首を絞めて殺した」[新聞 16]

広島地方裁判所起訴され刑事訴訟にかけられた被告人Mは1977年(昭和52年)1月14日、広島地裁(雑賀飛龍裁判長)から懲役10年(求刑・懲役12年)の有罪判決を言い渡され[新聞 17][判決文 1]、後述の仮出所まで約8年間にわたり岡山刑務所に服役した[判決文 1][雑誌 1]1984年(昭和59年)12月20日、受刑者Mは岡山刑務所を仮出所し[判決文 1][雑誌 1]1986年(昭和61年)10月に刑期を満了した[判決文 2]

Mは仮出所後、千葉県船橋市内に転居していた両親の下に身を寄せ[判決文 1][雑誌 1]、地元の映画館で映写技師として働いた後、東京都内で住み込みの建設作業員などとして働くようになったが[判決文 1][雑誌 1]1987年(昭和62年)末から翌1988年(昭和63年)初めにかけて東京都内で自動車を盗んだ上にその盗難車を無免許で運転したとして、窃盗道路交通法違反容疑で検挙された[判決文 1][雑誌 1]。1988年3月10日、被告人Mは東京地方裁判所で懲役1年2月の実刑判決を受け、府中刑務所に服役した[判決文 1][雑誌 1]。本事件7年前の1989年(平成元年)2月15日、当時46歳のMは府中刑務所を仮出所した後[判決文 1]、後述の事件で逮捕されるまで東京都江東区内の建設会社に勤務していた[判決文 1]

本事件に至る経緯[編集]

1989年12月19日深夜、Mは江東区大島六丁目のバス停付近で[判決文 1]、当時日本たばこ産業(JT)社員で帰宅途中だった被害者女性(当時37歳)を見かけ、「一緒に酒を飲まないか」と声を掛けた[雑誌 1]。Mは女性と2人で深夜の居酒屋で飲酒した後、女性をホテルに誘い[判決文 1]、女性から拒絶されると店外まで付きまとった[雑誌 1]

しかしなおも拒絶されたことに逆上したMは、近くの団地脇の暗がりに差し掛かったところで女性にいきなり抱き着いてキスを迫った[判決文 1][雑誌 1]。女性が抵抗すると、Mは手で首を絞めて女性を失神させ、首に全治2週間の怪我を負わせた[判決文 1][雑誌 1]

Mはそのまま失神した女性を近くのごみ集積所の横へ引きずり込み[雑誌 1]、「性感を高めるために」ゴミの中にあった電気コードで女性の首を絞めつつ女性を強姦した[判決文 1][雑誌 1]。その後、Mは女性の所持品から財布などの入ったショルダーバッグ1個を奪って現場から逃走した[判決文 1][雑誌 1]。冬季の深夜に半裸の状態で屋外に放置されて生命の危険に晒された女性は[判決文 2]、失神して現場で倒れているところを通行人に発見されたが[雑誌 1]、意識を回復してからも後述のMからの電話までの間、自分が強姦されたかどうかも判然としていなかった[判決文 2]

Mは事件後、女性のバッグ内にあった手帳などから女性の電話番号を知り[雑誌 1]、事件から1週間後には「この強姦致傷事件をネタに女性から金品を恐喝しよう」と考えた[判決文 1][雑誌 1]。女性の電話番号に電話したMの口ぶりは当初、「女性が警察に通報したかどうかを探るような」口ぶりだったが、女性の対応がおとなしかったことから「まだ警察には通報されていない」と考え[雑誌 1]、女性に対し電話で「強姦されたことをばらされたくなかったら10万円払え。出方次第では会社に強姦されたことをばらすし、警察に言うとどんな目に遭うかもしれないぞ」などと脅迫したが[判決文 2]、身の危険を感じた女性が警視庁に通報したため[判決文 1]、Mは同年12月29日[判決文 1]、金の受け渡し場所に指定された都営地下鉄新宿線大島駅改札口付近に現れたところを[雑誌 1][書籍 2]、待ち構えていた警察官に逮捕された[判決文 1][雑誌 1]

朝倉喬司はこの強姦致傷事件について、『週刊実話』1999年8月19日号特集記事にて「以前(1976年)の殺人でMの内面が決定的に壊れたのだろう。女性の『首を絞める』のが快感につながるという歪んだ欲望も、その時の『自己崩壊』とともにMの内面に染み付いたのかもしれない」と指摘した[雑誌 1]

被疑者・被告人Mは強姦致傷・窃盗・恐喝未遂の各罪状で東京地方裁判所に起訴され、1990年(平成2年)3月13日に懲役7年の有罪判決を受け[判決文 1][雑誌 1]札幌刑務所収監された[判決文 1][書籍 3][雑誌 1]

丸山佑介は著書『判決から見る猟奇殺人ファイル』にて、「被告人Mはこの事件の公判中こそ裁判官の心証を良くしようと反省の態度を装っていた」と記したが[書籍 1]、Mは当時から「被害者に『警察に届け出るな』と約束したのに破られた」として、犯罪被害を警察に届け出た女性の「当然の行為」を「自分に対する裏切り行為」と決めつけており、筋違いな激しい憤りを覚えていた[判決文 1]

これに加え、冬の寒さが厳しい札幌刑務所に収監されたことや[判決文 1]、同房の未決囚から「この強姦致傷事件の刑は普通より1年か2年重い」と言われたことから[判決文 1]、Mは服役中、「この札幌刑務所で辛い思いをしなければならなくなったのはあの女が俺を裏切って警察に届け出たからだ」などと、逆恨みの感情を増幅させていった[判決文 1]

そのためMは、この時点では具体的な手段・目的などの内容こそ決めていたわけではなかったものの、服役中も一貫して「出所後に女性をお礼参りで殺害しよう」と決意しており、「自分の言った『警察に言うとどんな目に遭うかもしれないぞ』という言葉が単なる脅しではないことを思い知らせてやろう」などと考え続けていた[判決文 1]

事件発生[編集]

受刑者Mは1997年2月20日付で懲役7年の刑期を満了して翌2月21日に札幌刑務所を満期出所し[判決文 1]、同日深夜に札幌駅から上野駅行きの夜行特急列車北斗星」に乗車して上京した[判決文 1][雑誌 1]。翌2月22日、上野駅に到着したMは船橋市内の実家に身を寄せ[判決文 1]、1997年2月24日からはかつて勤務していた東京都墨田区錦糸にあった設備会社で作業員として働くようになった[判決文 1]

その後設備会社を退職したMは1997年3月14日から東京都江戸川区内の会社に就職し、社員寮に住み込みの建設作業員として働き始めたが、その一方で服役中と同様に被害者を殺害する決意を持ち続けていた[判決文 1]

Mは7年前、被害者に出会った際に女性の口から聞いていた「現場の団地で1人暮らししている」という言葉を手掛かりに[判決文 1]お礼参りをすべく上京翌日の1997年2月23日から被害者女性(事件当時44歳)を探し始めた[判決文 1]。現場の団地は2000戸以上からなる巨大な団地だったが[判決文 2]、Mは「住人でもない自分が調べ回っていると動機を怪しまれる」として「調べるのは1日に1棟だけ」と限定した上で、仕事の休日を使い、各棟1階の集合郵便受けをくまなく調べ続け[判決文 2]、執念深く被害者女性の名前を探した[判決文 1][判決文 2]

結果、1997年2月23日・3月16日頃に団地を訪れた際にはいずれも女性の部屋を発見できずに終わったものの[判決文 1]、出所から約2か月後の1997年4月7日に女性の居室を突き止めた[判決文 1]

Mは女性の住居探しをするだけでなく、以下のように犯行への準備も進めつつ[判決文 1][雑誌 1]、「ゴールデンウィークに入ると女性が帰省して不在になる恐れがあるからその前に犯行を決行しよう」と考え、実行日・方法を「1997年4月18日、出勤途中または帰宅途中を襲撃して包丁で刺殺する」と決めた[判決文 1]

  • 1997年3月1日、凶器として使用した刃渡り約20.9センチメートルの柳刃包丁1本(平成9年押収第1579号の1)・絞殺用の凶器としてペット用のロープ2本を購入した[判決文 1]
  • 犯行5日前の1997年4月13日頃、包丁の柄の部分に滑り止めの黒いビニールテープを巻き付けた[判決文 1]
  • 事件前日の1997年4月17日、包丁を目立たせずに持ち運ぶために生活情報誌を使って包丁の鞘を作った[判決文 1]
  • 犯行後に社員寮を引き払おうと考えたため、その準備として衣類の一部を手提げ袋の中に入れ、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京都交通局本八幡駅(千葉県市川市)のコインロッカーに預けた[判決文 1]

女性の居室を突き止めてから11日後となる事件当日の1997年4月18日午前6時45分頃、Mは鞘に収めた包丁を構え、社員寮を出て現場団地に向かった[判決文 1]。7時30分頃、Mは女性の居室の前に着き、玄関の表札を見て女性宅であることを確認したが、室内に照明がついていたことから「女性がまだ在室している」と考え、人目につかないように部屋から十数メートル離れた非常階段踊り場に移動した[判決文 1]。その上でMは「ここ(非常階段踊り場)で女性を待ち伏せ、部屋から出てきた女性がエレベーターに乗る前に『7年前に約束を破って警察に届け出た恨みを晴らしに来た』ことを伝えた上で殺害する」ことを決めた[判決文 1]

Mは8時ごろ、女性が部屋を出てきたところを見かけるとすぐに後を追いかけ、背後数メートルまで近づいたが、エレベーターホール横の中央階段付近から聞こえてきた階段を降りてくる人の足音にひるみ、犯行を目撃されることを恐れて立ち止まった[判決文 1]。その間、女性はエレベーターで1階まで下りてそのままタクシーに乗車し団地を発ったため、午前中は殺害できずに終わった[判決文 1]。そこでMは女性の帰りを狙って殺害する計画に変更した上で、包丁を着ていたセーターに包み女性の部屋の玄関脇にあるメータ―ボックスの中に隠した[判決文 1]。Mはその後、付近にある酒屋でを買って飲んだり、社員寮に帰って昼寝をしたりして時間を潰した[判決文 1]

Mは19時過ぎに再び現場団地に戻ったが、当時は室内がまだ暗かったことから「女性はまだ帰宅していない」と考え、メーターボックスの中から包丁を取り出した[判決文 1]。Mはそのまま包丁をベルトに挟み、非常階段踊り場付近などで女性の帰宅を見張っていたところ、21時過ぎになって女性が団地内の広場付近を住棟に向かって歩いてくる姿を見つけたため、エレベーターに乗って下に降り、1階で乗り込んでくる女性を待ち伏せようと考えた[判決文 1]。そのことを全く知らない女性は18時過ぎ、渋谷区南平台町にあるJT東京支社を退社した後、友人5人とともに女性問題に関するサークル活動に参加しており[新聞 18]、友人らとともに行きつけだった港区内の飲食店で飲食した後[書籍 3]、港区青山付近でおにぎり・パンを購入、20時50分頃には帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京メトロ永田町駅で友人と別れて家路に向かっていた[新聞 18]

21時過ぎ、女性がエントランスホールに着いたところでMが乗ったエレベーターが降りてきた[書籍 1][雑誌 1]。エレベーターの扉が開くと中に大柄の初老の男(M)が乗っていたため、女性は出口を暫く開けて男が降りるのを待ったが、男は1階に着いたにも拘らずエレベーターから降りなかった[書籍 1]。Mはこの時までに「7年前の強姦致傷事件の被害者本人であることを確認した上で『約束』を破って警察に届け出た恨みを晴らしに来た旨を伝え、女性を殺害する」という犯行の手順を決めており、そのタイミングを待っていた[判決文 1]

標的として待ち伏せていた被害者女性本人とちょうどエレベーター内に乗り合わせたことから、Mは「殺害するには絶好の機会だ」と考え、エレベーターに乗り込んだまま女性が乗り込むのを待った[判決文 1]。この時点で女性は、乗り合わせた男が7年前に自分を強姦し、被害届を出されたことを一方的に逆恨みして自分を殺しに来たMであることに気付かず、「何階ですか」と声を掛けられると「4階をお願いします」と返答して4階のボタンを押させた[判決文 1]。エレベーターが上昇しだした直後、Mは女性に対し、7年前の強姦致傷事件の被害者本人であることを確かめようと[判決文 1]、女性の実名を言葉に出して尋ねたが[判決文 1][雑誌 1]、女性は思い出しかねる様子で首を傾げながらMの顔を見た[判決文 1]

続いてMはセーター内に隠し持っていた包丁の柄を右手で持ち、鞘から少しずつ引き抜きつつ「7年前の事件のことは覚えているか」と脅した[判決文 1]。この問いかけで7年前の忌まわしい出来事を思い出したためか[判決文 1]、女性は恐怖して悲鳴を上げながら突然Mに飛び掛かり、Mが右手に持っていた包丁を奪い取った[判決文 1]。不意を突かれたMはその隙に女性に包丁を奪われ[判決文 1]、逆に刃先を突き付けられた[雑誌 1]。ちょうどその時、エレベーターが4階に到着して扉が開いたため、女性はMから奪い取った包丁を左手に持ち、包丁を小刻みに突き出したり、横に振ったりしつつ「助けて、殺される」などと大声で悲鳴を上げ、エレベーターホール北側の壁際まで後ずさりした[判決文 1]

いったんは女性の思わぬ抵抗に動揺して凶器の包丁を奪われたMだったが、「殺害の機会は今しかない。少しくらい自分が怪我をしてでも殺害しよう」と考え、女性の隙を見て飛び掛かりエレベーターホール北側の壁に押さえつけた上で包丁を奪い返した[判決文 1]。そして、左下腹部・腹部中央部・右胸・左胸と[雑誌 1]、女性を滅多刺しにして心損傷などの致命傷を負わせた[判決文 1]

凶行の直後、Mは女性に致命傷を負わせたことを確認した上で[判決文 1]、被害者が文字通り血の海の中で横たわっているのも意に介さず[判決文 2]、女性の手から床に落ちていた所持品のハンドバッグ(現金約11,773円、クレジットカードなど計76点在中。時価約16,410円相当)を奪い、凶器の包丁を持ち去って現場から逃走した[判決文 1]

現場を立ち去ったMは、現場最寄り駅である都営地下鉄新宿線大島駅付近の路上まで約800メートル徒歩で移動し[新聞 19]、駅前で待機していたタクシーに乗車し[判決文 2]、同線船堀駅まで逃走したが[新聞 20]、そのタクシー料金は女性から奪ったハンドバッグに入っていた財布の現金で支払った上[判決文 2]、凶器の包丁・奪ったハンドバッグなどは[判決文 2]、Mの自宅付近にあった駅[注釈 1][新聞 20]のコインロッカーに隠匿した[判決文 1]

捜査[編集]

男女の言い争う声に続き、女性の「助けて、殺される」という悲鳴を聞きつけた4階の男性住民が廊下に出たところ、被害者女性がエレベーターホールで血を流して倒れていた[新聞 19]。この男性住民から119番通報を受けた東京消防庁救急車が現場に駆け付け、首などから血を流している女性を病院に搬送したが、女性は出血多量により同日22時39分頃、搬送先の東京都立墨東病院墨田区江東橋)で死亡した[判決文 1][新聞 19][新聞 21][新聞 22][新聞 1][新聞 23][新聞 24][新聞 25][新聞 26][新聞 27]

このことから警視庁捜査一課・城東警察署は本事件を殺人事件と断定[新聞 19][新聞 22][新聞 25]、城東署に特別捜査本部を設置した上で殺人事件として捜査を開始した[新聞 19][新聞 26]。その上で以下の事実に着目し、目撃証言探し・駅構内に設置された防犯カメラの映像解析を進めた[新聞 26]

  • 現場のエレベーターホールにある内階段から1階部分を経由し、約400メートル離れた現場最寄り駅・都営新宿線大島駅の男性トイレまで血痕が連続して続いていた[新聞 26]
  • 現場から被害者の自宅の鍵・財布などの所持品がなくなっていたことから[新聞 26][新聞 1]、「女性のバッグ・財布などは犯人が奪って逃走した可能性がある」と推測した[新聞 1]。なお現場には雑誌・同日付の新聞朝刊が入ったビニール袋が落ちていた[新聞 19]
  • 胸・腹を複数個所刺されていた遺体の状況から「被害者の帰宅を待ち伏せした顔見知りが、エレベーターから降りた直後の被害者を正面から刺した可能性が高い」と推測し、交友関係の洗い出しを進めた[新聞 26][新聞 20]

1997年4月19日、以下の新事実が判明した。

  • 被害者の遺体を司法解剖した結果、死因は「刃物(刃幅約3.5センチメートル)で心臓を刺されたことによる失血死」であることが判明した[新聞 18]
  • 被害者宅の玄関は施錠されてあった一方[新聞 28]、被害者の鍵・財布に加え、茶色の革製ハンドバッグがなくなっていたことも新たに判明したため[新聞 18]、特捜本部は「被害者が帰宅途中で襲われ、鍵・財布がバッグごと犯人に盗まれた」と推測した[新聞 28]
  • 現場に残された血痕の血液型は被害者とは異なったことが判明したため、「血痕は被害者と揉みあった際に負傷した犯人のものである可能性が高い」と推測された[新聞 18][新聞 29]。また血痕の様子から「犯人は事件後、地下鉄大島駅まで徒歩で移動し、地下鉄で逃亡した可能性が高い」と推測された[新聞 19][新聞 1][新聞 29]

1997年4月22日までの捜査の結果、「犯人は都営地下鉄新宿線大島駅まで徒歩で逃走していったん同駅構内に入ったが、そこからすぐ地下鉄で逃走することは断念してタクシーを利用し、同駅から約3キロメートル離れた同線船堀駅付近までタクシーに乗車した」ことが判明した[新聞 30][新聞 31]。その証拠として、犯人を乗車させたタクシー後部座席には現場団地・大島駅構内に残された血痕と同一人物の血痕が付着しており[新聞 30][新聞 20][新聞 31]、そのタクシーの運転手も警視庁の事情聴取に対し「Mに似た男だった」と証言した[新聞 20]。また事件現場の団地やその周辺では事件前後、Mに似た男が目撃されていた[新聞 32]

そして(事件当時)「千葉県船橋市咲が丘四丁目在住の土木作業員」だったMが「7年前の1989年12月、被害者女性に対する強姦致傷・恐喝事件を起こして女性から告訴されたために警視庁に逮捕され、懲役7年の実刑判決を受けて同年2月末に出所するまで札幌刑務所に服役していた」という事実が判明した[新聞 20]。捜査本部が「Mが事件に関与した疑いが強い」とみて行方を追うとともに[新聞 20]、現場に残された掌紋など物的証拠を鑑定して裏付け捜査を進めた結果、Mの犯行が裏付けられた[新聞 33]

事件発生から1週間後の1997年4月26日午後、M宅前で張り込んでいた警視庁城東署特捜本部の捜査員がMを発見した[新聞 20]。同日夜、警視庁捜査一課・城東署特捜本部は、殺人容疑で被疑者Mを逮捕した[新聞 2][新聞 34][新聞 20][新聞 32][新聞 33]

被疑者Mは逮捕された当初、犯行動機について特捜本部の取り調べに対し「7年前の事件のことを謝ろうと思って待ち伏せしたが、騒がれたので殺した」と供述した[新聞 20][新聞 32]。しかし特捜本部は、「以前の強姦致傷事件などで被害者女性から告訴されたことを逆恨みし、女性を殺害した疑いが強い」とみて、さらに詳しい動機を追及した[新聞 20][新聞 33]。なお被疑者Mの右手の人差し指には[判決文 1]、女性と争った際にできたとみられる切り傷があった[新聞 20]

また、凶器の包丁・奪われた女性のバッグがMの自宅付近にある駅[注釈 1]のコインロッカーから発見されたことから[新聞 20][新聞 32][新聞 33]、特捜本部はこの点について「Mが事件後、証拠隠滅のためにバッグを持ち去り隠した」とみて取り調べた[新聞 20][新聞 32]。女性の所持品を殺害後に奪ったとはいえ、強盗が動機ではなかったことから、本件は強盗殺人罪ではなく殺人罪・窃盗罪で立件されることとなった[書籍 1]

1997年4月28日までの取り調べで、被疑者Mは「事件の1週間前(4月11日7時頃)に現場の団地に下見に行き、郵便受けの名前から女性の部屋番号を確認していた」という事実が判明した[新聞 35][新聞 36][新聞 37]。これに加えてMは「凶器の包丁は3月下旬、勤務先の作業現場にあった炊事場から盗み出した。犯行当日の朝にも団地を訪れ、出勤する女性の服装を確認していた」など、周到な準備をしていたことを明らかにする供述をした[新聞 35][新聞 37]。しかしこの包丁は、前述のようにMが事前に凶器として購入したものであり「ビルの一部解体作業の際、偶然発見した包丁を凶器に用いた」という供述は虚偽だった[判決文 1][判決文 2]。捜査段階におけるMのこの供述について東京地裁・東京高裁はそれぞれ、「客観的事実に反する虚偽の供述であり、捜査官の出方を窺うような態度」[判決文 1][判決文 2]、「自分が隠したいことは隠す」と事実認定した[判決文 1]

また被疑者Mは東京地検検察官の取り調べに対し、一貫して「強姦致傷などで逮捕された時点から、被害者を必ず殺そうとする決意が既にあった」などと供述した[判決文 1]。Mはこの時、前件で逮捕されてから出所するまでの状況・出所後の状況・犯行時の状況などについて、いずれも自己の心情を交えつつ、迫真性・臨場性が認められる具体的・詳細な供述をした[判決文 1]。またMは逮捕直後、接見した当番弁護士から「本件は死刑もあり得る」と指摘されており、そのような事情を理解した上で以上のような供述をしていたが、Mの心情・被害者のやり取りについては「捜査官の誘導尋問によって導き出すことが困難な点」が少なからず含まれていた[判決文 2]。その一方で被疑者Mは検察官に対し、「服役中は『自分を裏切ったあの女を殺す』という気持ちで頭がいっぱいだったわけではない。むしろ刑務所での日々を過ごすことに気持ちを使っていたことが多かった」などと「一方的に不利益にならないような供述」をした[判決文 1]

東京地方検察庁は1997年5月16日、殺人・窃盗の各罪状で被疑者Mを東京地方裁判所起訴した[新聞 5][新聞 38][新聞 39]

刑事裁判[編集]

第一審・東京地裁[編集]

1997年7月3日、第1回公判(冒頭陳述、罪状認否)
1997年7月3日、東京地方裁判所三上英昭裁判長)で被告人Mの初公判が開かれた[新聞 40][新聞 41]
同日、検察側の冒頭陳述が行われた[新聞 40][新聞 41]。その後、弁護人は冒頭陳述で「Mは『被害者に報復しよう』という強度の視野狭窄に陥っており、犯行当時は心神耗弱状態だった」と述べ、完全な責任能力を否定した[新聞 40][新聞 41]
罪状認否で被告人Mは起訴事実を認める証言をした[新聞 40][新聞 41]
被告人質問にて、確定的殺意をほのめかす発言
なおこの初公判以降、被告人Mは一連の公判にて行われた被告人質問にて「犯行の直前までは不確定的な殺意しかなかった」という旨の供述をする一方で、動機などについて以下のように「前件で逮捕された時点から被害者の殺害を決意していた」ことをほのめかすような発言をしていた[判決文 1]
  • 「捜査段階の時は自分の本音を吐いたと思う」[判決文 1]
  • 「7年前のことを通報され、『甘くみられた』『馬鹿にされた』と思った」[書籍 2]
  • 「年を取ったせいか、不満・怒りを抱いたまま我慢して過ごすことができない。いまさら量刑を軽くしてもらおうと謝罪の言葉を述べようとは思わない」[判決文 1]
  • 前件の強姦致傷事件で逮捕された際、「(被害者女性に)まんまと裏切られたので、『必ずぶっ殺してやるぞ』と考えた」[判決文 1]
  • 札幌刑務所で服役中、「出所したら必ず復讐してやるぞと考えた」[判決文 1]
  • 出所後、被害者を殺してやろうという気持ちが「根強く残っていた」、「彼女の居場所がはっきり分かった時点で、また煮えくり返るものがあった」[判決文 1]
そのため判決における事実認定では、「これらの発言と被告人Mの犯行前後の行動を照らせば、「『前件で逮捕された時点から被害者の殺害を決意していた』とする検察官の取り調べに対する供述は信用性が高い」と認定された[判決文 1]
また弁護人側は「被告人Mは被害者に包丁を奪われるなど、予想外の展開に気が動転するとともに、『自分の方が殺されてしまう』という恐怖心から極度のパニック状態に陥った。さらに、包丁による被害者の反撃に対して本能的に反撃行動に出たが、この時に右手人差し指に切り傷を負ったことで一層逆上・激昂し、善悪の弁別能力・およびそれに従った自己制御能力が著しく減退し、いわゆる『不可逆的衝動』に支配された状況下で殺害行為に及んだ」と訴えた上で、以下の旨を主張した[判決文 1]
  1. 本件殺人は、正当防衛誤想防衛過剰防衛のいずれかに該当する[判決文 1]
  2. 被告人Mは本件殺人の犯行当時、心神喪失・心神耗弱どちらかの状態にあり、完全責任能力は問えない[判決文 1]
しかし東京地裁は、これらの主張に対して以下のような事実認定を行った。
  1. 1.の主張について
    • 被害者は殺害される直前、被告人Mから包丁を奪い取り、助けを求めながら後ずさりし、Mを近づけまいと包丁を小刻みに突き出したり、横に振ったりしていた事実が認められるが、これらの行動は被告人Mに対する「急迫不正の侵害」には該当しないことは明らかである[判決文 1]。その上でMも、被害者のこれらの行動をその通り認識していたため、「急迫不正の侵害」があると誤認していたわけでもない。
    • 逃げようとする被害者を追いかけ、被害者から包丁を奪い返した後、強烈な刺突行為に及ぶなど、Mの行動を考えれば、Mが防衛の意思を有していたとは認められないため、正当防衛などが成立する余地はなく、主張は採用しない[判決文 1]
  2. 2.の主張について
    • 被害者に包丁を奪われるという予想外の展開に、Mが多少動揺したことは否定できないが、Mはその後、被害者の動きに的確・機敏に対応して包丁を奪い返し、当初の計画通り被害者の殺害を遂行した[判決文 1]
    • そればかりか殺害行為の終了後も、被害者に致命傷を負わせたことを確認し、被害者の手から落ちたハンドバッグを盗み、凶器の包丁を携えて現場から逃走するなど、冷静・合理的な行動をとっており、それらの行動からは何ら異常さは窺われない[判決文 1]
    • Mは捜査段階・公判段階のいずれにおいても、本件各犯行・その戦後の状況について詳細に供述していたが、そこには意識障害・記憶障害なども認められない[判決文 1]
    • 以上の点に照らすと、殺人の犯行に及んだ当時、好意の是非善悪を弁識し、これに従って行動する能力が、欠如・著しく減退していたかったことは明らかであり、この主張も採用しない[判決文 1]
1997年12月4日、被告人質問
1997年12月4日、東京地裁(山室惠裁判長)にて開かれた公判で被告人質問が行われた[新聞 42][書籍 2]
被告人Mによるセカンドレイプ(被害者への責任転嫁)
同日の被告人質問で被告人Mは、事件の動機について質問されると以下のように、被害者に落ち度があったことを主張[書籍 2]、反省の態度を見せなかった[判決文 1][書籍 1]
  • 「被害者女性が(『強姦されたことを警察に通報しない』という)約束を破ったから謝ってもらいたかったし、『悪かった』という言葉を相手から聞きたかった」[新聞 42]
  • 「被害者にも落ち度があったんじゃないかと思っている。『見知らぬ男から声を掛けられれば注意するのが普通』だと思うが、被害者はある程度歳もいっていたのに判断力にも欠けていたのではないかと思う」[書籍 2][書籍 1]
「私の心は歪んでいる」発言
被告人質問で被告人Mは、検察官から「『被害者が自分を裏切ったから殺した』と言ったが、被害者が警察に被害を届けるのは当然ではないか。『裏切った』とはどういうことなのか」と質問されると、被告人Mは「何度も言うようだが私の心は歪んでいる」と述べた[書籍 2]
また被告人Mは、弁護人から犯行動機を聞かれると「7年前の事件のことをしゃべって『(警察に通報して)悪かった』という言葉を女性から聞きたかったが、相手が大声を出して『殺される!』と言ったため逆上して殺した」と述べた[新聞 42][書籍 2]
加えて弁護人から、「服役中の7年間、ずっと殺意を抱いていたのか」と質問されると、Mは「直前まで殺そうという気持ちは五分五分で、被害者の態度次第だった」として、確定的な殺意を否定する供述をした[新聞 42][書籍 2]
その上で弁護人から、死刑・無期懲役の量刑が適用される可能性を指摘されると、Mは「被害者には何もできないが、この命でよかったら捧げてもいいと思う。すべては身から出た錆だからもう仕方がない。(命日の)18日には冥福を祈っている」と発言した[書籍 2]
この発言に対し弁護人から「あなたの中には破壊的なものがある」と指摘されると、Mは「私の生まれ持った宿命だから仕方がない」と述べた[書籍 2]
この公判を傍聴していた宇野津光緒は著書 『法廷ドキュメント 23の事件と被告たち』(恒友出版)にて、「この時のMの態度は、まるで自分自身を突き放しているようだった」と記した[書籍 2]
山室惠裁判長の叱責
被告人Mは続いて、陪席裁判官の補充質問で[新聞 42][書籍 2]、被害者への気持ちについて「今でも被害者が警察に届け出たことを許せない、と思っているのか」と問われると[書籍 2]、「後悔しているし、ああいう行為はしなくてもよかった」と話した[新聞 42][雑誌 1][書籍 2]。この時のMの表情について、『朝日新聞』1997年12月5日朝刊記事は「憮然とした表情」と表現した[新聞 42]<。
しかし山室惠裁判長はその口調を投げやりだと感じたのか[新聞 42][雑誌 1][書籍 2]、「反省しているならそういう口の利き方をするのか」と問い詰めた[新聞 42][雑誌 1][書籍 2]
これに対し、Mは山室に反発したかのように「(彼女は警察に言わないと)約束した」と発言した[書籍 2]。すると山室は、以下のように声を荒げてMを問い詰めた[新聞 42][雑誌 1]
  • 君は今でも『警察に届けない』というのが約束になると思っているのか?相手が君に『申し訳ない」と言うと思ったのか[新聞 42][雑誌 1][書籍 2]
  • 包丁を持ち出せば、相手が恐怖して『助けて』と叫ぶのは当然じゃないのか[新聞 42][雑誌 1][書籍 2]
  • 強姦された女性が警察に被害届を出したのは当たり前じゃないか[新聞 42][雑誌 1]
その上で山室が「相手の女性が君に会って『申し訳ないことをした』と言うと思ったのか」と問うと、Mは「相手の気持ちまで分かりません」と答えた[新聞 42][書籍 2]
続いて山室が「警察に届け出た被害者が間違っていると思うのか」と問うと、Mは答えられなかった[新聞 42][書籍 2]。ここで山室は「結局、『今でも相手の方が間違っていた』と思っているんだな」と念を押し[書籍 2]、裁判長としての質問を打ち切った[新聞 42]
弁護人からの精神鑑定申請
弁護人側はその後、「Mは7年間服役した札幌刑務所で計13回懲罰を受けている。服役中の大半は独居房におり、前科・前歴が多い危険人物である」などとして、被告人Mの精神鑑定を申請した[書籍 2]
東京地裁がこれを認めたために審理は一時中断し、精神鑑定が行われた[書籍 2]
藤田宗和・大越誠一が実施した情状鑑定の結果、「被告人Mの犯行前・犯行当時の心理状態は、前件で逮捕された際、被害者に対して恨みとともに恋慕の情を抱き、その後もこれらの思いを錯綜させつつも増幅させていた。犯行当時、『被害者に対する恨みを晴らす』という心理とともに、『もしかしたら自分を受け入れてくれるのではないか』という幻想的な心理も持ったまま被害者に再会したが、被害者に包丁を奪われてパニック状態に陥り、殺害に及んだ」とする結果が示された[判決文 1]
しかしこの情状鑑定結果は、「鑑定人の面接時における被告人の供述は、信用性のないものがある上、鑑定の前提となる事実評価に誤りがあることから、その結論には疑問を抱かざるを得ない。そのためこの鑑定の結論は、『被告人Mが当初から確定的殺意を有していた』ことを覆すに足りるものではない」と事実認定された[判決文 1]
1999年2月12日、検察側が論告で死刑求刑
公判再開後の1999年平成11年)2月12日、論告求刑公判が開かれた[新聞 43][新聞 44][新聞 45][新聞 46]
本事件では殺害された被害者数は1人だが[書籍 1]、検察側は被告人Mに死刑求刑した[新聞 43][新聞 44][新聞 45]<[新聞 46][新聞 47]
東京地検は犯行の動機を「身勝手な動機」と主張し、殺人前科があることに加え、公判でMが見せた前述の態度の数々を「反省のない態度」と受け取ったことや、被害者遺族も極刑を望んでいることを指摘した[新聞 43]。その上で「人命を軽視する被告人Mの自己中心的・冷酷・非情な反社会的性格は顕著で、(当時)56歳という高年齢を考慮すれば被告人Mの矯正を期待することは不可能だ」と主張した[新聞 44][新聞 46]
この論告求刑までに、公判に証人として出廷した被害者の弟は「被告人に死刑を求める」旨の意見陳述をした上、被害者の母・姉も同様に峻烈な被害感情を示した[判決文 1]
その上で検察側は以下のように主張した。
  • 強姦致傷事件の被害者の心情を思いやることなく、実に身勝手な動機による犯行であり矯正はもはや不可能だ[新聞 45]。被害者遺族の峻烈な処罰感情などを考慮すると、極刑をもって臨むほかない[新聞 45]
  • 犯罪被害者が被害を届け出るのは当然の権利で、それを逆恨みして報復するとは言語道断で、我が国の刑事司法に真っ向から挑戦する反社会性の強い犯行だ[新聞 43][新聞 46]。同種のお礼参り犯罪を恐れた被害者が被害届け出・法廷での証言を躊躇することになれば、法治主義の根幹が揺るぎ、社会正義の実現すらおぼつかなくなる[新聞 47]。そのような事態を避けるべく、本件に関しては毅然たる態度で臨むべきだ[新聞 47]
1999年3月16日、弁護人最終弁論
1999年3月16日、最終弁論公判が開かれ結審した[新聞 7][新聞 48][新聞 49][新聞 50]
弁護人側は、犯行の動機・殺害方法の残虐性とともに、「殺害された被害者数」を考慮し、「やむを得ない場合に死刑が適用できる」とする、死刑適用基準を示した最高裁判所判例永山基準」を引用し、検察側の死刑求刑に反論した[新聞 7]。その上で以下のように述べ、死刑回避を訴えた上で「無期懲役か長期の有期懲役刑が相当だ」と主張した[新聞 48][新聞 50]
  • 本事件において殺害された被害者数は1人であり強盗殺人のような利欲犯ではない[新聞 7]。同種事件の判例における量刑から見て死刑は重すぎて量刑不当である[新聞 49]
  • 本事件はストーカー的な行為の過程で偶発的に引き起こされたもので、いわゆる「お礼参り殺人」とは異なり、強い計画性はない[新聞 7][新聞 50]
弁護人・石川弘の「被害者側にも落ち度があった」とする旨の最終弁論に対する罵声
この最終弁論の際、被告人Mの弁護人・石川弘弁護士は「Mは恨みの気持ちと同時に、一方的ではあるが女性に対し『恋慕に似た感情』も抱いていて、それがかえって『裏切られた』と思い込むことになった」とも主張した[雑誌 1]
その上で石川は、Mが恨みを抱くきっかけとなった強姦致傷事件について、「故人の名誉を傷つけるようだが、事実は事実として述べたい。深夜、偶然出会ったMと2人で飲食し、店を出て深夜の夜道を歩いたのは被害者も軽率で、重大な落ち度だった」と主張した[新聞 7][雑誌 1]。その上で、「その軽率な行為が強姦致傷事件に結びつき、その後、ストーカー的に付きまとったMが10万円を要求、警察に逮捕されたことを恨んだMから7年半後に殺される結果になった」と、被害者側に非があったとする主張をした[新聞 7][雑誌 1]
しかし、その言葉が終わらないうちに傍聴席から、「ふざけるな!」と罵声が飛び[新聞 7][雑誌 1]、廷内は騒然となった[雑誌 1]
最終意見陳述にて被告人Mに対する抗議
最終弁論後、被告人Mは最終意見陳述の場で「被害者はもちろん、遺族の方々にも申し訳ないことをいたしました」と頭を下げた[新聞 7][雑誌 1]
しかし、Mの言葉に納得できなかった傍聴席の女性が「本当にそう思っているんですか」と声を荒らげた[新聞 7][雑誌 1]
これに対し、山室裁判長は一瞬困惑しつつも[雑誌 1]、「たとえ遺族の方でももう一度、許可なく発言したら退廷させます」と強い口調で注意を促した[新聞 7][雑誌 1]
1999年5月27日、無期懲役判決
1999年5月27日、判決公判が開かれ、東京地裁(山室惠裁判長)は被告人Mに無期懲役判決を言い渡した[判決文 1][新聞 51][新聞 52][新聞 53][新聞 54][新聞 55][雑誌 1]
東京地裁は、情状面などの争点についてほぼ全面的に検察側の主張通りの事実認定をした上で[判決文 1][雑誌 1]、公判中の被告人M・弁護人側による「被害者にも落ち度があった」とする旨の主張に対しては、「被害者に対する被告人の恨みは一方的な決めつけによる逆恨みであり、被害者には何の落ち度もない」と退け、「被害者遺族の気持ちを逆撫でする言語道断ともいうべき責任転嫁の供述」と強く非難した[判決文 1]
その上で、判決理由において殺意について「被告人Mは『被害者が包丁を見て、警察に届け出たことを謝れば殺す気はなかった』と主張しているが、各種証拠・捜査段階における供述に照らせばその主張は到底信用できず、確定的な殺意の下に犯行を準備して実行に至ったことが認められる」と認定した[判決文 1][新聞 52][新聞 53]。一方で、殺害の計画性については「計画性自体は認められるが、検察側が主張したような『緻密で周到な計画に基づく犯行』とは言い難い」と指摘した[判決文 1]
また、検察側が「今回のようなお礼参り的事件が続発すると、犯罪被害者が報復を恐れて届け出なくなる恐れがある」として死刑を求刑したことについて、東京地裁は「犯罪被害者保護の問題は、立法や行政上措置に委ねるのが適切で、今回の量刑で考慮するには限界がある」と指摘した[新聞 52][判決文 1]
そして量刑理由については、「永山基準」を引用した上で以下のように結論付けた。
  • 被害を警察に届け出た当然の行動を裏切りと決めつけて筋違いの恨みを抱き、女性を殺害した犯行は身勝手・理不尽だ。刑事責任は重大で社会に与えた影響も大きいが、動機は個人的な恨みに基づくもので利欲的なものではない[新聞 52][判決文 1]
  • 被害者数は1名であり、Mは公判が進むにつれて反省の態度を示し始めており、法廷での謝罪の言葉も口先だけとは断定できず、死刑を適用するには躊躇せざるを得ない[判決文 1]
  • 被告人Mの殺人前科については「20年以上前に起こした衝動的な単純殺人の事案であり、過度に重視すべきではない」[判決文 1]
この判決に対し、諸沢英道常磐大学学長は「欧米では加害者の出所状況を被害者・証人に通知することが常識になっており、日本も本来はそのようにあるべきだが、日本において犯罪被害者の『知る権利』は警察・検察レベルでこそ前進してはいるが、裁判所・刑務所などの取り組みが遅れている」と指摘した上で、「1985年に国際連合(国連)で被害者人権宣言が採択されたのに、日本はこのような『お礼参り』対策を何ら取ってこなかった。今回の事件の被害者は欧米の感覚なら『国家の犠牲者』だ」と批判した[新聞 51]
齊田國太郎・東京地検次席検事は「死刑求刑が認められなかったことは極めて遺憾で承服しがたい。判決理由を詳細に検討し、東京高等検察庁と協議した上で控訴などの対応を決めたい」とコメントした[新聞 51][新聞 55]
1999年6月4日、東京地検が東京高裁に控訴
東京地検はこの判決に対し量刑不当として不服を訴え、1999年6月4日付で東京高等裁判所控訴した[新聞 56][新聞 57][新聞 58]。控訴趣意書の内容は以下の通り。
  • 「極めて悪質・理不尽な動機」「執拗・残忍な犯行態様」「無惨な結果」「被害者遺族の峻烈な被害感情」など、本来重視されて然るべき情状を不当に軽く評価した[判決文 2]
  • 「殺害された被害者数が1人であること」「殺害動機が利欲的でないこと」「緻密・周到な計画的犯行とは言い難いこと」など、承服し難い情状を不当に重視して死刑選択を回避した上、死刑が適用された同種事案と比較しても量刑の均衡を著しく欠いたものである[判決文 2]
検察側が死刑適用を強く求めた背景には、「この判決を看過すれば勇気をもって犯罪被害を訴え出た被害者が最終的に不利益を被るのを容認することになり、刑事司法全体の信頼を損なう。第一審判決は『被害者保護は立法・行政に委ねるべきだ』としたが、司法としてやれることはやるべきだ」という危機感があった[新聞 59]

控訴審・東京高裁[編集]

被告人Mは東京高等裁判所にて開かれた控訴審公判にて被害者・遺族への謝罪の意思を表明したことに加え、「命ある限りは被害者の冥福を祈っていきたい」などと反省の言葉を口にした一方[判決文 2]、第一審のみならず[判決文 1]、控訴審判決までに被害者遺族に対する謝罪の手紙を書いたり、慰藉の措置を講じるなどの行動を取ることはなかった[判決文 2]

また被告人Mは第一審同様、控訴審でも確定的殺意に基づく高度な計画性を否定し「殺害は被害者の出方次第で、警察に届け出たことを謝罪すれば殺害するつもりはなかった」とする主張を行った[判決文 2]

2000年2月28日、控訴審判決公判。第一審破棄・死刑判決
2000年(平成12年)2月28日、東京高裁(仁田陸郎裁判長)は控訴審判決公判で第一審の無期懲役判決を破棄し、検察側の求刑通り被告人Mに死刑判決を言い渡した[判決文 2][新聞 3][新聞 60][新聞 61][新聞 62][新聞 63][新聞 64][新聞 65][新聞 66][新聞 59]
東京高裁は犯行の背景について、「被告人Mは出所直後から被害者宅を探し始めた上で、あらかじめ包丁を購入し、包丁の柄に滑り止めのテープを巻き付けたりしていた」と事実認定し[判決文 2]、第一審同様、「確定的な殺意が認められる」と認定した[判決文 2]。その上で、第一審判決が「検察側が主張するような『緻密で周到な計画に基づく犯行』とは言い難い」と指摘した点を[判決文 1]、「一連の事件の経緯・被告人Mの供述などから判断すれば、執念深く強固な殺害意志とともに、周到で高度な計画性が認められる」として否定した検察側控訴趣意書主張を採用した[判決文 2]
そして犯行の動機について、「なんら落ち度のない被害者に極めて理不尽・身勝手な逆恨みの感情を抱き、高度な計画性の下に殺害した本件の動機は、殺害そのものを自己目的としたものである。その動機の悪質さは、保険金殺人身代金目的の誘拐殺人と何ら変わらない」と断じた[判決文 2]
また被告人Mの反省の情についても、「第一審から控訴審に至るまで、取り調べで捜査官の出方を窺うような態度を取ったり、確定的殺意を否定するなど、客観的事実に反する供述を繰り返している。また、第一審の最終陳述・控訴審公判において、被害者やその遺族に対する謝罪・反省の言葉を述べてはいるが、現時点で実際に被害者の冥福を祈っているとしても、第一審公判で『被害者にも落ち度があった』とする『言語道断というべき責任転嫁の供述』をしている上、殺意を抱いた過程について事実に即した反省をしていないまま述べた謝罪の言葉である。Mが被害者遺族に対し、現時点までにまったく慰謝の措置を取っていないことなども併せて考慮すると、心底からの真摯な反省の情とは認められない」と非難した[判決文 2]
その上で「被害者に対して『7年前のことを覚えているか』と脅し、恐怖心を煽ってから殺害したこと」「1976年に殺人事件を起こし服役した前科があること」など、様々な情状を考慮した上で[判決文 2]、「利欲目的ではないとはいえ、本件の動機は理不尽・身勝手の極みであり、被害者の申告にも悪影響を与えかねない。被害者が1人でも死刑がやむを得ない場合はあり、極刑をもって臨むのはやむを得ない」と結論付けた[判決文 2]
被告人Mには殺人前科があったが、身代金誘拐保険金殺人・無期懲役囚の仮釈放中再犯事例を除くと、最高裁から1983年に死刑適用基準として「永山基準」が示されて以降では、殺害被害者数1人の事件に対する死刑判決は極めて稀なケースだった[書籍 3]菊田幸一明治大学教授刑法)は『読売新聞』の取材に対し、この判決を「1995年の地下鉄サリン事件以降、犯罪被害者の権利保護を求める声が市民から上がり、社会でもそのような考えが急速に広まっている。それ自体は大事なことだが、このようなケースにおける死刑判決は極めて異例で、社会的な風潮・背景に同調して流された短絡的なものとしか言いようがない」と批判した[新聞 61]
その一方でマスメディアはこの判決を、「被害者保護」を重視した判決として評価した[書籍 3][新聞 61]。「全国犯罪被害者の会」(あすの会)代表幹事・岡村勲山一証券代理人弁護士夫人殺人事件の被害者遺族、元日本弁護士連合会副会長)は『読売新聞』の取材に対し、この判決を「今回のようなケースが死刑にならなければ、被害者は被害を警察に届け出ることを躊躇することになり、法秩序が脅威にさらされる以上、死刑判決は当然だ」と評価した[新聞 61]土本武司帝京大学教授(刑法)も「殺害された被害者数が1人の場合は死刑判決がほとんど出にくい風潮がある中、自白・反省を過大評価せず、強盗殺人のような利欲的動機でなくても死刑を適用できることを示したことは注目に値し、この判決は高く評価できる」とコメントした[新聞 61]
2000年3月8日、弁護人が最高裁に上告
被告人Mの弁護人は控訴審・死刑判決を不服として2000年3月8日付で最高裁判所上告した[新聞 67][新聞 68][新聞 69]

上告審・最高裁第二小法廷[編集]

2004年6月14日まで、上告審口頭弁論公判期日指定
最高裁判所第二小法廷滝井繁男裁判長)は2004年(平成16年)6月14日までに上告審口頭弁論公判の開廷期日を「2004年7月16日」に指定して関係者に通知した[新聞 70][新聞 71]
2004年7月16日、上告審口頭弁論公判開廷
2004年7月16日、最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ結審した[新聞 72][新聞 73][新聞 74]
弁護人側は「場当たり的で計画性がなく、強固な殺意もなかった。動機は単なる恨みであり、利欲的な動機はない」と主張し、控訴審の死刑判決を破棄するよう訴えた[新聞 72][新聞 73]
一方で検察側は「強固な殺意は明らかで、殺害された被害者数が1人で死刑が確定した他の事案と比べても勝るとも劣らない非道な犯行だ。報復殺人は犯罪を助長させ、治安の根幹を揺るがせかねない」として、控訴審の死刑判決を支持した上で被告人M・弁護人側の上告を棄却するよう求めた[新聞 72][新聞 73]
2004年9月22日まで、上告審判決公判期日指定
2004年9月22日までに最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)は上告審判決公判開廷期日を「2004年10月13日」に指定して関係者に通知した[新聞 75][新聞 76][新聞 77]
裁判長を務めた滝井は「犯行の身勝手な動機は許せないが、被告人Mを目の前でよく見ている一審の判断は重い。死刑以外の選択肢はないのだろうか?仮にこの判決で上告を棄却し、死刑判決を確定させれば被告人はこれ以上上訴できない。最終審として責任は重大だ」と悩み抜いた末、「もう後戻りできない」との思いを抱えつつ、上告棄却の結論を出した上で裁判長として判決文に署名した[新聞 78][書籍 4]
2004年10月13日、上告審判決公判・上告棄却判決により死刑判決が事実上確定
2004年10月13日に上告審判決公判が開かれた[新聞 10][新聞 79][新聞 4][新聞 80][判決文 3]
最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)は控訴審の死刑判決を支持し、被告人M・弁護人側の上告を棄却する判決を言い渡した[判決文 3][新聞 10][新聞 79][新聞 4][新聞 80]
これにより、被告人Mの死刑判決が確定することとなった[判決文 3][新聞 4][新聞 80][新聞 79][新聞 81][新聞 82][新聞 10]
同小法廷は、「特異な動機に基づく、誠に理不尽かつ身勝手な犯行であり、犯行に至る経緯に酌量の余地はない」、「犯行は計画性が高く、強固な殺意に基づくものであって、殺傷能力の高い刃物を用いた犯行の態様も冷酷かつ残虐である。被害者の生命を奪った結果は重大で、被害者遺族の被害感情は極めて厳しく、社会に与えた影響も大きい。殺人前科の存在も考慮すれば、死刑の判断は是認せざるを得ない」と事実認定した[判決文 3]
2004年11月10日付、死刑判決確定
被告人Mは上告審判決を不服として最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)に判決の訂正を申し立てたが、同小法廷から2004年11月10日付で申し立てを棄却する決定がなされたため死刑判決が正式に確定した[新聞 83][新聞 84]

死刑執行[編集]

2008年(平成20年)2月1日、法務省法務大臣鳩山邦夫)の死刑執行命令により収監先・東京拘置所死刑囚Mの死刑が執行された(65歳没)[その他 1][新聞 6][新聞 85][新聞 86][新聞 87][新聞 88]

同日にはM以外にも大阪拘置所福岡拘置所で死刑囚各1人ずつ死刑が執行されたため計3人の死刑執行となった[新聞 6]

事件の影響[編集]

東京ウィメンズプラザ集会[編集]

事件から1年となる1998年4月中旬、「東京ウィメンズプラザ」(東京都渋谷区)にて被害者女性の友人ら約100人が被害者女性を偲んで「わたしたちは忘れない わたしたちは許さない 女性への暴力」と題した集会を行った[新聞 89][新聞 90]

集会では評論家・ヤンソン柳沢由実子が、「この事件は女性に対する暴力の普遍的な問題だ」と指摘し、「性暴力は性という手段を使った一方的な襲撃だ。身近な人に相談された時は訴えた人の話を信じ、終始一貫して支持することが大切だ」「泣き寝入りしたくない女性は裁判などの知識を得たり、住所・職場を変えたりなどの対策も必要だ」と訴えた[新聞 89][新聞 90]

続いて、弁護士・中島通子が被害者の人権を保護する方法について、「日本には『犯罪被害給付制度以外に犯罪被害者を守る法的措置がない』という現状がある」と指摘した[新聞 89][新聞 90]。また、落ち度を責められるなどの「セカンドレイプ」から被害者を守るための方策として、「犯罪被害者救済法[注釈 2]・性暴力禁止法などを制定し、人権侵害を禁止する項目を作る」「サポートセンターを設立する」などを提言した[新聞 89][新聞 90]

出所情報通知制度[編集]

警察庁の発表[編集]

この事件を契機として「過去の犯罪被害者に対し、加害者の出所などに関する情報を連絡する制度を充実させるべきだ」という声が上がり始めた[新聞 91]。この事件を重視した警察庁は1997年9月29日午後に開かれた「全国捜査鑑識関係課長会議」で全国の都道府県警察本部に対し「再被害を視野に入れた凶悪事件の捜査」を指示した[新聞 92]。その上で「再被害の恐れが強いと判断された場合には、加害者の出所時期を事前に被害者に通知する場合もある」などの方針を発表した[新聞 92]

この方針は「所轄警察署が殺人・性犯罪などを摘発した際、報復犯罪が発生する可能性がある事件を各警察本部に登録し、被害者への警戒活動を行うとともに必要な場合は加害者の出所情報を連絡する」というものだった[新聞 92]。ただし「刑期を満了した者のプライバシー侵害」「被害者による加害者への復讐の助長」につながることを懸念した警察庁は「出所後の居住地が被害者と近接しているなどの特別な場合を除き、出所者の居住地・勤務先は教えない」とした[新聞 92]

検察庁は1999年4月以降に事件の処分結果を被害者に連絡する「被害者通知制度」を開始したが、この時点ではまだ出所情報の提供はされなかった[新聞 93]

法務省による実施発表[編集]

この制度はその後、2000年3月19日までに法務省内で検討が開始された[新聞 93]

この制度は2000年9月28日までに[新聞 94]「各地方検察庁で翌2001年3月から実施する」ことが決定した[新聞 94][新聞 8][新聞 95]。この制度は「出所情報の通知を希望する被害者からの申請」を前提に「検察庁が法務省の通達に従い刑務所・保護観察所の情報を得て被害者に通知する」ものであり[新聞 94]、情報提供の対象は「事件の被害者のみならず目撃者も対象に加える」上で[新聞 8]被害者らの「再被害防止・加害者のその後を知りたい」という要望に応えて「加害者の実刑判決確定後に希望する被害者らに対し懲役刑などの終了予定時期(年月)などを通知する。出所時の連絡を申し出た場合はその年月日を伝える」こととした[新聞 8]

その一方で提供する内容は原則として「出所事実」に限定し「加害者の更生を不当に妨げたり『被害者による報復・暴力団抗争など新たな紛争』が予想される場合は情報を提供しない」「再被害の可能性が高い場合を除き『出所時期の事前通知』はせず加害者の出所後の住所も教えない」ことが決められた[新聞 8]。また受刑者ではない少年院収容者の退院も制度の対象外とされた[新聞 8]

制度拡充[編集]

法務省は2001年7月31日にこの被害者通知制度を拡充し「必要に応じて出所予定時期・加害者の居住地も事前に通知する」制度に改め、同年10月1日から新制度に切り替えることを決めた[新聞 9][新聞 96]。この際、通知対象は被害者本人のほか親族や弁護士・事件の目撃者も加えた[新聞 9]。また出所時期の通達は「刑期満了前の仮釈放も含めて出所予定時期(月の上旬・中旬・下旬まで)を1,2か月前に関係者に通知するが、接触回避のために必要と判断した場合は釈放期日まで通知する」こととした[新聞 9]

その上で法務省は「加害者の更生を妨げたり被害者の報復などがないように、犯罪の形態・受刑中の加害者の言動などを検討して『妥当と認められる場合』に限り情報を提供するが、原則として通知しない出所後の居住地も『被害者の自宅と近接している場合』などは例外的に町名・字名までを限度に伝える場合もある」とした[新聞 9]

その後同制度は2002年(平成14年)時点での利用件数が125件だったのに対し2003年(平成15年)時点では250件と利用が倍増した[新聞 97]

朝倉喬司の評価[編集]

朝倉喬司は本事件について扱った『週刊実話』(日本ジャーナル出版)1999年8月19日号記事中にて被告人Mの犯行動機・公判中の態度、弁護人・石川による最終弁論を非難した上で「同種のお礼参り事件を阻止するための提言」を含め以下のように述べた[雑誌 1]

  • 「(最終弁論の際の罵声について)傍聴席の誰の発言だったにせよ、怒りたくなるのも無理はない。Mのしでかしたことはそれくらい理不尽で手前勝手な犯罪だった。たとえMが被害者に対して『恋慕に似た感情』を持っていたとしても『身勝手な思い込み』であり到底情状に加味されるような事柄ではない」[雑誌 1]
「『被害を通報した人間を、加害者が逆恨みして殺す』ということがまかり通れば届け出を躊躇う風潮につながり、検察側の主張した通り『法秩序が脅威にさらされる』ことになりかねない」
  • 「『警察は被害者の保護についてちゃんと考えていたのか?』が問われる場面だが、今回の事件の場合はせめて被害者に対し『事前に引っ越すことなど』をアドバイスできなかったかと思う。仮に被害者が『都内でも近県でも(事件現場とは)どこか全く方向の違う場所』へ引っ越していたら、おそらくMの『調査能力』程度では突き止められなかっただろう。警察としては『被害者をつきっきりで四六時中守る』という訳にもいかないだろうが『非業のうちに亡くなった被害者へのせめてもの供養』としてできることから直ちに実施に移してもらいたい」[雑誌 1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 逮捕当時のMの住所(船橋市咲が丘四丁目)の最寄り駅は二和向台駅新京成電鉄新京成線)。
  2. ^ 犯罪被害者救済を想定した法令については2004年に犯罪被害者等基本法が制定されたほか、一部地方自治体は犯罪被害者等支援条例を制定している。

出典[編集]

刑事裁判の判決文

新聞記事出典(※以下の出典で記事名に死刑囚の実名が使われている場合、その箇所を本項目で用いているイニシャル「M」に置き換えている)

  1. ^ a b c d e f g h i 『東京新聞』1997年4月19日朝刊第一社会面27面「女性刺殺される 江東 自宅団地エレベーター前」
  2. ^ a b c d e 『東京新聞』1997年4月27日朝刊第一社会面27面「土木作業員逮捕 江東の女性刺殺」
  3. ^ a b c 『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊1面「被害者の女性を逆恨み殺人 無期破棄し死刑判決 被害者1人でも極刑/東京高裁」
  4. ^ a b c d 読売新聞』2004年10月14日東京朝刊第一社会面39面「被害届女性逆恨み殺人 最高裁も死刑 上告を棄却 被害者1人でも」
  5. ^ a b c 『東京新聞』1997年5月17日朝刊第二社会面26面「逆恨み殺人容疑者起訴」
  6. ^ a b c d 『読売新聞』2008年2月1日夕刊1面「死刑3人執行 12月以来、今回も氏名公表/法務省」
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 『朝日新聞』1999年3月17日朝刊第一社会面39面「逆恨み殺人、怒声の結審 弁護側『被害者にも落ち度』 傍聴席からは『ふざけるな』 5月27日、東京地裁判決」
  8. ^ a b c d e f 『中日新聞』2000年12月2日朝刊第二社会面34面「被害者に出所情報 来年3月から」
  9. ^ a b c d e 『中日新聞』2001年7月31日夕刊3面「『被害者通知制度』10月改正 出所後の居住地も通知 法務省 『逆恨み』防止で警察と連携拡充」
  10. ^ a b c d 『中日新聞』2004年10月14日朝刊第一社会面31面「逆恨み殺人 死刑確定へ 暴行被害通報 女性を刺殺 最高裁『理不尽な犯行』」
  11. ^ a b c d e f g h i j k 『中国新聞』1976年8月13日夕刊第一社会面3面「広島のホテル殺人被害者 九州の家出女子高生 指紋一致指名手配 男は劇場照明係 下関から職探しに同伴」
  12. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』1976年8月13日西部夕刊第一社会面7面「女高生殺される 広島のホテル」
  13. ^ a b c d 中国新聞』1976年8月13日朝刊第一社会面15面「ホテルで女性殺される 広島 首を絞められた跡 同居の男、姿を消す」
  14. ^ a b 朝日新聞』1976年8月13日東京夕刊第一社会面7面「ホテルで女高生殺し 広島 連れの男、指名手配」
  15. ^ a b c d 『中国新聞』1976年8月25日夕刊第一社会面3面「広島のホテル女高生殺し 手配のM、大阪で逮捕 簡易宿所に潜伏中 雑役夫に身をやつし」
  16. ^ a b c d e 『中国新聞』1976年8月26日朝刊第一社会面15面「『口論の果て絞めた』 女高生殺しMが自供 大阪での就職断られ」
  17. ^ 『中国新聞』1977年1月14日夕刊第一社会面3面「広島のホテル女高生殺し Mに懲役10年 広島地裁『身勝手、悪質な犯行』」
  18. ^ a b c d e 『産経新聞』1997年4月20日東京朝刊社会面「ハンドバッグを犯人持ち去る? 江東の女性刺殺」
  19. ^ a b c d e f g 『読売新聞』1997年4月19日東京朝刊第一社会面35面「大島団地で女性刺され死ぬ/東京・江東」
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m n 読売新聞』1997年4月27日東京朝刊第一社会面35面「東京・江東のJT女性社員刺殺 逆恨みか、容疑者逮捕 告訴され、実刑判決」
  21. ^ 『読売新聞』1997年4月19日東京夕刊第一社会面11面「東京・江東の団地女性刺殺 顔見知りの犯行か 直前、男女口論の声」
  22. ^ a b 『朝日新聞』1997年4月19日朝刊第一社会面31面「JT女性社員が公団住宅で殺される 東京・江東区」
  23. ^ 『東京新聞』1997年4月19日夕刊第一社会面11面「多量血痕点々 犯人もけが? 江東の女性会社員刺殺」
  24. ^ 『中日新聞』1997年4月19日夕刊第一社会面11面「東京でJT女性社員刺殺 顔見知りの犯行か」
  25. ^ a b 『産経新聞』1997年4月19日東京朝刊社会面「女性刺殺される 東京・江東の公団住宅」
  26. ^ a b c d e f 『産経新聞』1997年4月19日東京夕刊社会面「江東区の女性刺殺 待ち伏せして襲う 顔見知り犯行の可能性」
  27. ^ 『日本経済新聞』1997年4月19日朝刊第一社会面39面「団地で女性刺され死亡 江東区」
  28. ^ a b 『日本経済新聞』1997年4月19日夕刊第一社会面11面「盗難か カギ・財布見つからず 東京・江東の団地で殺害の女性」
  29. ^ a b 『日本経済新聞』1997年4月20日朝刊第一社会面35面「血痕の血液型被害者とは別 江東の団地殺人」
  30. ^ a b 『産経新聞』1997年4月23日東京朝刊社会面「タクシーで逃走 車内の血痕一致 江東の女性殺人」
  31. ^ a b 『日本経済新聞』1997年4月22日夕刊第一社会面17面「タクシーに不審な男 江東区の団地殺人」
  32. ^ a b c d e 『朝日新聞』1997年4月27日朝刊第一社会面31面「8年前の加害者逮捕 現場の血液型一致 日本たばこ女性社員刺殺事件」
  33. ^ a b c d 『産経新聞』1997年4月27日東京朝刊社会面「JT女性社員殺し 知人の土木作業員逮捕 以前にも恐喝未遂」
  34. ^ 『中日新聞』1997年4月27日朝刊第一社会面31面「顔見知りの男逮捕 JT女性社員刺殺」
  35. ^ a b 『読売新聞』1997年4月28日東京夕刊第一社会面15面「東京・江東の団地女性刺殺容疑者 1週間前に現場下見」
  36. ^ 『東京新聞』1997年4月28日夕刊第一社会面9面「1週間前に自宅を下見 江東の女性刺殺容疑者」
  37. ^ a b 『産経新聞』1997年4月28日東京夕刊社会面「JT社員刺殺事件 事前に下見していた 警視庁城東署」
  38. ^ 『朝日新聞』1997年5月17日朝刊第一社会面31面「容疑者を起訴 JT女性社員殺害事件で 東京地検」
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  40. ^ a b c d 『朝日新聞』1997年7月3日夕刊第一社会面19面「被告、起訴事実認める 東京・江東区のJT社員刺殺事件初公判」
  41. ^ a b c d 『毎日新聞』1997年7月3日夕刊第一社会面11面「JT社員刺殺 起訴事実認める M被告初公判」
  42. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『朝日新聞』1997年12月5日朝刊第二社会面38面「被告の態度に裁判長怒った 逆恨み殺人公判 東京地裁」
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  44. ^ a b c 『朝日新聞』1999年2月12日夕刊第一社会面15面「逆恨み殺人犯に死刑を求刑 東京地裁」
  45. ^ a b c d 『東京新聞』1999年2月12日夕刊第二社会面8面「逆恨み殺人に死刑求刑 東京地裁 『矯正不可能』と検察側」
  46. ^ a b c d 『産経新聞』1999年2月12日東京夕刊社会面「JT社員刺殺 M被告に死刑求刑 『反社会性強い犯行』 東京地裁」
  47. ^ a b c 『日本経済新聞』1999年2月12日夕刊第一社会面17面「逆恨み女性殺人 M被告に死刑求刑 検察『法治主義揺らぐ』」
  48. ^ a b 『東京新聞』1999年3月17日朝刊第一社会面27面「逆恨み殺人 有期刑求める 最終弁論で弁護側」
  49. ^ a b 『産経新聞』1999年3月17日東京朝刊社会面「婦女暴行 『逆恨み』殺人 5月27日判決」
  50. ^ a b c 『日本経済新聞』1999年3月17日朝刊第一社会面39面「逆恨み殺人結審 弁護側『偶発』主張 東京地裁」
  51. ^ a b c 『読売新聞』1999年5月27日東京夕刊第一社会面19面「JT女性社員の被害届で逮捕… 出所後襲撃 逆恨み殺人に無期判決 /東京地裁」
  52. ^ a b c d 『朝日新聞』1999年5月27日夕刊第一社会面15面「逆恨み殺人で無期懲役 『身勝手だが人間性も』 東京地裁判決」
  53. ^ a b 『中日新聞』1999年5月27日夕刊第二社会面10面「JT女性社員刺殺 M被告に無期 東京地裁判決 『通報恨み身勝手』」
  54. ^ 『東京新聞』1999年5月27日夕刊第二社会面11面「M被告に無期懲役 JT女性社員、逆恨み刺殺 『理不尽な動機』 東京地裁判決」
  55. ^ a b 『日本経済新聞』1999年5月27日夕刊第一社会面19面「逆恨み殺人M被告に無期懲役 東京地裁判決 『身勝手で残忍な犯行』」
  56. ^ 『読売新聞』1999年6月4日東京夕刊第二社会面18面「暴行被害女性逆恨み殺人に無期懲役判決 検察側が東京高裁に控訴」
  57. ^ 『中日新聞』1999年6月4日夕刊第二社会面12面「警察通報を恨み殺人 『無期懲役軽すぎる』 検察側控訴」
  58. ^ 『東京新聞』1999年6月5日朝刊第二社会面26面「逆恨み殺人で検察控訴」
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  60. ^ 『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊2面「『逆恨み殺人』判決の要旨」
  61. ^ a b c d e 『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊第一社会面15面「婦女暴行逆恨み殺人判決 『勇気ある告発』保護 死刑やむをえない/東京高裁」
  62. ^ 『朝日新聞』2000年2月28日夕刊第一社会面23面「M被告に死刑判決 警察に届け出女性を逆恨み殺害事件 東京高裁」
  63. ^ 『毎日新聞』2000年2月28日夕刊第一社会面9面「JT女性社員逆恨み殺人 1審を破棄、死刑判決 東京高裁『被害申し立てに悪影響』」
  64. ^ 『中日新聞』2000年2月28日夕刊第一社会面11面「JT女性社員刺殺 逆恨み殺害に死刑 東京高裁控訴審判決 『被害申告に悪影響』」
  65. ^ 『東京新聞』2000年2月28日夕刊1面「JT・OL殺害 逆恨み殺人に『死刑』 東京高裁 控訴審判決 『身勝手』と無期破棄」
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  69. ^ 『日本経済新聞』2000年3月9日大阪朝刊第二社会面16面「逆恨み殺人、死刑判決で被告上告」
  70. ^ 産経新聞』2004年6月14日大阪夕刊社会面「逆恨み殺人で最高裁が弁論」
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  72. ^ a b c 毎日新聞』2004年7月16日夕刊第二社会面12面「JT女性社員刺殺 双方が弁論し結審 最高裁」(記者:小林直)
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  77. ^ 『日本経済新聞』2004年9月23日朝刊第一社会面35面「来月13日に最高裁判決 逆恨み殺人事件」
  78. ^ 『読売新聞』2009年3月7日東京朝刊第二社会面38面「[死刑]選択の重さ(7) 3審、それぞれの苦悩(連載)」
  79. ^ a b c 『朝日新聞』2004年10月14日朝刊第一社会面39面「逆恨み殺人のM被告、死刑確定へ 最高裁が上告棄却」
  80. ^ a b c 『日本経済新聞』2004年10月14日朝刊第一社会面43面「逆恨み殺人 被告の死刑確定へ 最高裁が上告棄却」
  81. ^ 『毎日新聞』2004年10月14日東京朝刊第一社会面31面「JT女性社員逆恨み殺人:最高裁も『死刑』 被害者1人でも厳罰」「解説:『悪質さ』量刑を左右」(記者:小林直)
  82. ^ 『日本経済新聞』2004年10月14日西部朝刊第一社会面17面「暴行届け出逆恨み、女性刺殺 被告の死刑確定 最高裁、上告を棄却」
  83. ^ 『読売新聞』2004年11月12日東京朝刊第二社会面34面「婦女暴行逆恨み殺人 M被告の死刑確定/最高裁」
  84. ^ 『毎日新聞』2004年11月12日朝刊第二社会面28面「JT女性社員逆恨み殺人:被告の死刑判決確定 最高裁」(記者:小林直)
  85. ^ 『朝日新聞』2008年2月1日夕刊1面「3人の死刑執行 前回から2カ月弱」
  86. ^ 『日本経済新聞』2008年2月1日夕刊第一社会面17面「3人の死刑執行 逆恨み殺人のM死刑囚ら」
  87. ^ 中日新聞』2008年2月1日夕刊1面「3人の死刑執行 刈谷の主婦強殺犯ら」
  88. ^ 東京新聞』2008年2月1日夕刊1面「3人の死刑執行 逆恨み殺人 M確定囚ら」
  89. ^ a b c d 『朝日新聞』1998年4月30日朝刊第一家庭面29面「犯罪被害者どう守る 『法的措置が必要』 女性たちが東京で集会」
  90. ^ a b c d 『朝日新聞』1998年5月1日朝刊第一家庭面17面「救済法や支援ほしい 東京で報復殺人『許さぬ』集会 【大阪】」
  91. ^ 『日本経済新聞』1997年5月17日西部夕刊第一社会面11面「『加害者の情報、被害者に知らせて』 JT社員殺害機に論議(取材メモから)」
  92. ^ a b c d 『東京新聞』1997年9月29日夕刊1面「犯罪者の『お礼参り』防止へ出所時期通知 居住地や勤務先は原則非公開 警察庁が初対策」
  93. ^ a b 『読売新聞』2000年3月20日東京朝刊2面「犯罪被害者に『出所情報』 法務省が提供検討 逆恨み被害を防止」
  94. ^ a b c 『読売新聞』2000年9月29日東京朝刊1面「『出所情報』被害者に通知 逆恨み被害防止で法務省、年内実施へ」
  95. ^ 『東京新聞』2000年12月2日朝刊第二社会面28面「被害者に出所情報 来年3月から」
  96. ^ 『東京新聞』2001年7月31日夕刊1面「出所情報を事前通知 法務省 10月1日から 被害者保護へ制度拡充」
  97. ^ 『読売新聞』2004年2月15日東京朝刊2面「出所情報通知制度、利用倍増 延べ250件/2003年」

雑誌記事出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl 週刊実話』(日本ジャーナル出版)1999年8月19日号(同年8月5日発売)p.200-203「昭和・平成『女の事件史』 最終弁論も罵声で消えた『レイプお礼参り』殺人裁判」(記者:朝倉喬司

書籍出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 丸山 2010, pp. 77-85
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 宇野津 1998, pp. 28-41
  3. ^ a b c d 福田洋 『20世紀にっぽん殺人事典』 社会思想社2001年8月15日、747-749頁。ISBN 978-4390502122「逆恨み男、JT女性社員殺し」
  4. ^ 読売新聞社会部 『死刑』 浅海保中央公論新社2009年10月10日、184-185頁。ISBN 978-4120040634

その他出典

  1. ^ a b c 法務大臣閣議後記者会見の概要(平成20年2月1日(金))”. 法務省法務大臣鳩山邦夫) (2008年2月1日). 2018年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月23日閲覧。

参考文献[編集]

刑事裁判の判決文[編集]

  • 東京地方裁判所刑事第5部判決 1999年(平成11年)5月27日 、平成9年(合わ)第133号、『殺人、窃盗被告事件』。
判例時報』第1686号156頁
強姦致傷罪等で懲役7年の刑に処された被告人が、同罪等の事件で逮捕されたのは被害者であるA子が警察に届け出ないという約束を破ったからであり、A子のしたことは自分に対する裏切り行為であると決めつけ、A子に激しい憤りを覚えるとともに、自分の言った言葉が脅しではないことを思い知らせなければならないなどと考え、出所後に、被害者を探し出し殺害し、直後に所持品を奪ったとして、殺人罪、窃盗罪に問われた事案において、弁護人は殺意の発生時点を争うが、被告人の殺意は前件で逮捕された時点から認められ、強固な意志に基づく殺害であるとして、無期懲役に処した事例。
『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28045243
  1. かつて強姦致傷などの事件を起こした被告人が、被害者が警察に届け出たために逮捕されたとして逆恨みし、刑期を終えて出所後、被害者を探し出した上、包丁で刺殺し、その直後に所持品を盗んだという殺人、窃盗の事案において、無期懲役が言い渡された事例。
TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28045243
強姦致傷等の罪を犯した被告人が、右犯罪について有罪判決を受けたのは被害者の裏切り行為のためであると逆恨みし、刑期を終えて出所後、被害者を探し出して殺害し、直後に所持品を窃取したという事案において、検察官の死刑求刑に対し、死刑選択の基準は犯行の罪質、動機、様態ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合に初めてその選択が許されると判示し、右基準に照らした場合、本件に死刑は妥当ではなく、無期懲役が相当であるとした。
  • 東京高等裁判所第3刑事部判決 2000年(平成12年)2月28日 、平成11年(う)第1202号、『殺人、窃盗被告事件』。
高等裁判所刑事裁判速報集』(平12)号73頁
判示事項
7年前の強姦致傷等の被害者が警察に通報したことを逆恨みして報復殺人を行った被告人に対し、原審での無期懲役(求刑・死刑)の判決を破棄し、死刑を言い渡した事例
裁判要旨
被告人が平成元年12月に犯した強姦致傷等事件の被害者である女性が警察に被害申告したことを逆恨みして、同事件から約7年後の刑務所出所直後に同被害者を殺害して報復したという凶悪重大事犯につき、原判決が無期懲役(求刑・死刑)に処したところ、検察官は、このような報復殺人は刑事司法に対する重大な挑戦というべきものであって、極刑をもって臨むほかないのに、原判決は、犯行の罪質、理不尽な動機、執拗で残忍な犯行様態、無惨な結果、遺族の峻烈な被害感情等について不当に軽く評価し、その一方で、殺人の被害者が1名であること、殺害動機が利欲的でないこと、緻密、周到な計画的犯行とは言い難いことなど承服しがたい理由を挙げて死刑選択を回避した者であり、また死刑が適用された同種事案と比較しても量刑の均衡を著しく欠いたものであるから、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は、軽きに失して不当であり破棄を免れないとして控訴したところ、控訴審は、検察官の主張を是認して、原判決を破棄し被告人に死刑を言い渡した。
判例タイムズ』第1705号173頁
判示事項
強姦致傷等の被害者が警察に申告したため逮捕されたことを恨んで、その出所後同女を殺害するなどした事案につき、無期懲役に処した1審判決を破棄して、死刑を言い渡した事例
『判例時報』第1705号173頁
『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28055166
  1. かつて起こした強姦致傷、窃盗事件の被害者が警察に被害を届け出たことを逆恨みして、服役後に被害者を捜し出したうえ、包丁で刺殺したという殺人及び窃盗の事案において、無期懲役とした第一審判決を破棄して死刑を言い渡した事例。
  2. 強姦致傷等の被害の届出を逆恨みし、服役後に被害者を捜し出し殺害した事案につき、無期懲役刑とした第一審判決を破棄し死刑を言い渡した事例。
『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28055166
  • 最高裁判所第二小法廷判決 2004年(平成16年)10月13日 、平成12年(あ)第425号、『殺人、窃盗被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(前刑事件の被害女性に対する逆恨み殺人事件)」。
『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28105157
  1. 死刑が憲法13条31条36条に違反しないところは、判例とするところである。
  2. かつて被害者に対する強姦致傷等の事件で、被害者が警察に届け出て逮捕され懲役7年に処せられたが、服役を終えた後、被害者方を探し当て、出所の2か月後に被害者を団地内で待ち伏せし、被害者の胸腹部を柳刃包丁で数回突き刺して殺害した事案につき、一審判決が無期懲役、二審判決が破棄自判・死刑としたところ、二審判決を是認し、死刑が維持された事例。
『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105157
強姦致死傷で懲役刑を受けていた被告人が、上記強姦致死傷の被害者に恨みを抱いて刑期終了後に同人を殺害したため殺人罪で起訴されたところ、原審において死刑判決を言い渡されたためこれに対して上告した事案において、本件殺人は、得意な動機に基づく誠に理不尽かつ身勝手な犯行であり、犯行にいたる経緯に酌量の余地はないこと、その犯行は計画性が高く、強固な殺意に基づくものであって、犯行の様態も冷酷かつ残虐であること、遺族の被害感情は極めて厳しく、社会に与えた影響も大きいこと、被告人は殺人の前科を有していることに照らすと、被告人の罪責は誠に重大であるとして、無期懲役の第1審判決を破棄し被告人を死刑に処した原判断を是認して上告を棄却した事例。
最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第286号357頁
『判例時報』第1889号146頁
『判例タイムズ』第1174号258頁
死刑の量刑が維持された事例(前刑事件の被害女性に対する逆恨み殺人事件)
裁判所ウェブサイト掲載判例
死刑の量刑が維持された事例

関連書籍・雑誌記事[編集]

  • 週刊実話』(日本ジャーナル出版)1999年8月19日号(同年8月5日発売)p.200-203「昭和・平成『女の事件史』 最終弁論も罵声で消えた『レイプお礼参り』殺人裁判」(記者:朝倉喬司
  • 新潮45』(新潮社)2006年10月号(第25巻第10号・通巻第294号。2006年10月1日発行)p.65-67「総力特集 昭和&平成 世にも恐ろしい13の『死刑囚』事件簿 - M(死刑囚の実名)『江東区・JT女性社員逆恨み殺人事件』出所後すぐにお礼参りの恐怖」
  • 丸山佑介 『判決から見る猟奇殺人ファイル』 彩図社2010年1月20日、77-85頁。ISBN 978-4883927180「8【強盗殺人】逆恨み殺人事件」
  • 宇野津光緒 『法廷ドキュメント 23の事件と被告たち』 恒友出版1998年5月15日、28-41頁。ISBN 978-4765281256

関連項目[編集]

「永山基準」以降において「殺害された被害者数が1人」で最高裁で死刑判決が確定した殺人事件
※無期懲役刑に処された前科があるもの、身代金誘拐保険金殺人は含まない。
  1. ^ 丸山 2010.
  2. ^ 宇野津 1998.