JT女性社員逆恨み殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
JT女性社員逆恨み殺人事件
場所 日本の旗 日本
東京都江東区大島6丁目
都市再生機構(UR)大島六丁目団地1号棟4階[新聞 1]
日付 1997年平成9年)4月18日[新聞 1]
午後9時過ぎ
概要 別の殺人で服役した前科を持つ加害者の男は、本事件の7年前、被害者女性を強姦し、恐喝した。
女性から被害届を出されたことで、男は逮捕・起訴され、刑務所に服役した。
男は出所直後、被害者女性の居所を見つけ、女性を刺殺した。
攻撃側人数 1人
死亡者 日本たばこ産業(JT)女性社員(本事件当時44歳)[新聞 1]
犯人 男M(犯行当時54歳、殺人前科あり)[新聞 2][新聞 3][新聞 4]
動機 逆恨みによるお礼参り
対処 逮捕・起訴
謝罪 あり
刑事訴訟 死刑執行済み
管轄 警視庁城東警察署東京地方検察庁
テンプレートを表示
最高裁判所判例
事件名 前刑事件の被害女性に対する逆恨み殺人事件
事件番号 平成12年(あ)第425号
2004年(平成16年)10月13日
判例集 最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第286号357頁
裁判要旨
  • 本件上告を棄却する。
  • 本件殺人は、特異な動機に基づく誠に理不尽かつ身勝手な犯行であり、犯行に至る経緯に酌量の余地はない。
  • その犯行は、計画性が高く、強固な殺意に基づくものであって、殺傷能力の高い刃物を用いた犯行の態様も冷酷かつ残虐である。被害者の生命を奪った結果は重大であって、被害者遺族の被害感情は極めて厳しく、社会に与えた影響も大きい。
  • これに加え、被告人に殺人で服役した前科があったなどの諸事情に照らすと、被告人が反省の態度を示していることなど、被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても、被告人の罪責は、誠に重大であり、無期懲役の第1審判決を破棄して被告人を死刑に処した原判断は、やむを得ないものとして当裁判所もこれを是認せざるを得ない。
第二小法廷
裁判長 滝井繁男
陪席裁判官 福田博北川弘治津野修
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
参照法条
殺人窃盗
テンプレートを表示

JT女性社員逆恨み殺人事件(ジェイティーじょせいしゃいん さかうらみ さつじんじけん)は、1997年平成9年)4月18日東京都江東区大島6丁目の団地[新聞 1]、以前強姦事件を起こして逮捕された男M(犯行当時54歳、殺人前科あり)が[新聞 2]、その強姦事件の被害者である日本たばこ産業(JT)女性社員(本事件当時44歳)を刺殺した殺人事件である[新聞 3][新聞 4][書籍 1]

過去に起こした強姦事件をネタに、被害者女性を恐喝したことで逮捕され、有罪判決が確定した犯人が、被害者の通報を逆恨みし、出所後に被害者をお礼参りで殺害したこの事件を、丸山佑介は、「刑事司法制度の根幹を揺るがしかねない殺人事件」、「刑事事件の被害者が、犯人を告発したために殺されるという、あまりにも不条理な筋書きに世間が震撼した。また、刑事事件の被害者保護、また再犯の防止という点でも、非常に大きな意味を持つ事件」と評した[書籍 1]

死刑囚M[編集]

1942年昭和17年)5月15日、日本統治時代の朝鮮京城府(当時)で5人兄弟姉妹の次男として生まれ[判決文 1][雑誌 1]東京拘置所死刑囚として、2008年平成20年)2月1日、死刑が執行された(65歳没)[新聞 5]

終戦後、朝鮮半島から、家族とともに日本に引き上げた[判決文 1][雑誌 1]1947年(昭和22年)頃から、福岡県戸畑市(現・北九州市)に居住し、1958年(昭和33年)3月に同市内の中学校を卒業した後、九州などで映写技師見習いとして働くようになった[判決文 1][雑誌 1]

就職した当時は、石原裕次郎が、ニュータイプのスターとして人気を博するなど、映画が娯楽の王座にあったが[雑誌 1]、その後、映画産業の斜陽化により[雑誌 1]、塗装店・映画館従業員などの職を転々とするようになった[判決文 1][雑誌 1]

後述の最初の殺人事件を起こすまでに、盗みの前歴が2回あった[新聞 6]

殺人前科[編集]

1976年(昭和51年)8月、当時34歳だったMは山口県下関市内のストリップ劇場で照明係として働いていた[判決文 1][雑誌 1]

Mは、家出中の高校2年生の少女(当時16歳、福岡県中間市在住)と偶然知り合い[新聞 6][判決文 1]、肉体関係を持った[判決文 1][雑誌 1]

Mは、この少女を、ストリッパーとして、ストリップ劇場で働かせようとしたが、20歳未満であることを理由に、劇場から断られた[新聞 6]。そのため、8月10日夜、2人で広島県広島市へ向かい、職を探しに向かった[新聞 6]

しかし、広島市内でも、少女が未成年であるため、職が決まらなかった[新聞 6]。Mは、ホテルで生活を続けると、金銭がかさむことから、少女を足手まといと感じるようになった[新聞 6]。これに加え、別れ話を持ち出されるなど[雑誌 1]、少女から冷淡な態度を取られた[判決文 1][雑誌 1]

Mは、少女の態度に憤激し[判決文 1][雑誌 1]、広島市田中町(現・広島市中区田中町)の、宿泊先のホテルの一室で[新聞 6]、同月12日午前6時頃[新聞 6]、浴衣のひもで首を絞め、少女を殺害した[判決文 1][雑誌 1]

朝倉喬司は、「この1回目の殺人の動機は、まだ精神的に幼かった少女がMをなじった言葉の綾に対し、Mが過剰反応したものだった。被害感情に駆られて我を忘れてしまうパターンは、後の本事件と共通している」と指摘した[雑誌 1]

翌8月13日、Mは殺人容疑で、広島県警察広島東警察署から指名手配され[新聞 6]、その後逮捕起訴された[書籍 1]

この事件の刑事裁判で、Mは広島地方裁判所にて、1977年(昭和52年)1月14日付で、懲役10年の有罪判決を受けた[判決文 1][雑誌 1]

そして、その判決が確定[判決文 1][判決文 2][判決文 3]岡山刑務所に服役した前科があった[判決文 1][書籍 1][雑誌 1]

本事件の経緯[編集]

岡山刑務所出所後[編集]

Mは、1984年(昭和59年)12月20日、岡山刑務所を仮出所した[判決文 1][雑誌 1]

Mはその後、千葉県船橋市内に転居していた両親の下に身を寄せた[判決文 1][雑誌 1]

Mは、地元の映画館で、映写技師として働いた後、東京都内で、住み込みの建設作業員などとして働くようになった[判決文 1][雑誌 1]

しかし、1987年(昭和62年)末から、翌1988年(昭和63年)初めにかけ、東京都内で自動車を盗んだ上、無免許で盗難車を運転したとして、窃盗道路交通法違反容疑で検挙された[判決文 1][雑誌 1]

1988年3月10日、Mは東京地方裁判所で懲役1年2月の実刑判決を受け、府中刑務所に服役した[判決文 1][雑誌 1]

事件の7年前の1989年(平成元年)2月15日、当時46歳のMは、府中刑務所を仮出所した[判決文 1]。Mはその後、後述の事件で逮捕されるまで、江東区内の建設会社に勤務していた[判決文 1]

本事件のきっかけとなった強姦致傷・恐喝事件[編集]

Mは、1989年12月19日深夜、江東区大島6丁目のバス停付近で[判決文 1]、当時日本たばこ産業(JT)社員で、帰宅途中だった被害者女性(当時37歳)を見かけ、一緒に酒を飲まないかと声を掛けた[書籍 1][雑誌 1]

Mは、女性と2人で、深夜の居酒屋で飲酒した後、女性をホテルに誘い[判決文 1]、女性から拒絶されると、店外まで付きまとった[雑誌 1]

しかし、なおも拒絶されたため、逆上したMは、近くの団地脇の暗がりに差し掛かったところで、女性にいきなり抱き着いてキスを迫った[判決文 1][雑誌 1]

女性が抵抗すると、Mは手で首を絞め、女性を失神させ、首に全治2週間の怪我を負わせた[判決文 1][雑誌 1]

Mはそのまま、失神した女性を、近くのごみ集積所の横へ引きずり込み[雑誌 1]、ゴミの中にあった電気コードで、「性感を高めるために」女性の首を絞めつつ、女性を強姦した[判決文 1][雑誌 1]

Mはその後、女性の所持品から、財布などの入ったショルダーバッグ1個を奪い、現場から逃走した[判決文 1][雑誌 1]。その後、女性は失神し、現場で倒れているところを発見された[雑誌 1]

朝倉喬司は、「以前の殺人で、Mの内面が決定的に壊れたのだろう。女性の『首を絞める』のが快感につながるという歪んだ欲望も、この時の『自己崩壊』とともに、Mの体の底に染み付いたのかもしれない」と指摘している[雑誌 1]

Mは、女性のバッグの中にあった手帳などから、女性の電話番号を知り[雑誌 1]、事件から1週間後、この強姦事件をネタに、女性から金品を恐喝しようと考えた[判決文 1][雑誌 1]

当初、Mの口ぶりは、「女性が警察に通報したかどうかを探るような」口ぶりだったが、女性の対応がおとなしかったことから、Mはまだ警察には通報されていないと考えた[雑誌 1]

このことから、Mは、女性に対し、電話口で「強姦されたことをばらされたくなかったら、10万円払え。警察に言うとどんな目に遭うかもしれないぞ」などと脅迫した[書籍 1][判決文 1][雑誌 1]

しかし、身の危険を感じた女性が、警察に通報したため[判決文 1]、Mは同月29日[判決文 1]、金の受け渡し場所に指定された、都営地下鉄新宿線大島駅改札口付近に現れたところを[雑誌 1][書籍 2]、待ち構えていた警察官に逮捕された[判決文 1][雑誌 1]。Mはその後、強姦致傷窃盗恐喝未遂の罪で、東京地方裁判所に起訴された[書籍 1]

Mは、1990年(平成2年)3月13日、東京地裁で懲役7年の有罪判決を受け[判決文 1][判決文 2][判決文 3][雑誌 1]札幌刑務所収監された[判決文 1][書籍 3][雑誌 1]

Mは、この事件の公判中は、裁判官の心証を良くしようと、反省の態度を装っていたが[書籍 1]、内心は「警察に言うなと言ったのに裏切られた」「自分があれほど声をすごませて脅したのに、どうせ仕返しなどできないと馬鹿にされたに違いない」と、被害妄想的な逆恨みの感情を抱いていた[書籍 1][書籍 3][雑誌 1]

これに加え、冬の寒さが厳しい札幌刑務所に収監されたことや[書籍 1][判決文 1]、同房の未決囚から、「この強姦事件の刑は、普通より1年か2年重い」と言われたことから[判決文 1]、Mは服役中、「この札幌刑務所で辛い思いをしなければならなくなったのは、あの女が俺を裏切って警察に届け出たからだ」などと、逆恨みの感情を増幅させていき[判決文 1][書籍 1]、服役中も一貫して、出所後に女性をお礼参りで殺害しようと決意していた[判決文 1]

札幌刑務所出所[編集]

1997年2月21日、Mは札幌刑務所を満期出所した[判決文 1]。その後、Mは札幌駅から、上野駅行きの夜行特急列車北斗星」に乗って上京し[判決文 1][雑誌 1]、翌22日は船橋市内の実家に身を寄せた[判決文 1]

Mは、2月24日以降、かつて勤務していた、墨田区錦糸にある設備会社で、作業員として働くようになった[判決文 1]。その後、設備会社を退職し、3月14日からは、江戸川区内の会社で、社員寮に住み込みながら、建設作業員として働き始めた[判決文 1]

しかしその一方で、Mは「シャバに出ても前科があるし、いいことはない」と[書籍 1]、鬱屈して過ごすうちに、「こうなったのは全てあの女のせいだ」と、逆恨みの気持ちを募らせていった[書籍 3]

Mは、7年前に被害者に出会った際、その口から聞いていた、「現場の団地で1人暮らししている」という言葉を手掛かりに[判決文 1]お礼参りをすべく、2月23日から、被害女性(事件当時44歳)を探し始めた[判決文 1][書籍 1]

現場の団地は、11階建てから14階建ての、集合住宅7棟で構成された巨大な団地だった[書籍 1]。「常人離れした執念で」、被害者女性の名前を探したMは[書籍 1]、2月23日・3月16日頃、団地に訪れた際には、いずれも発見できずに終わったものの、片っ端から集合郵便受けをチェックし続け[判決文 1][書籍 1][雑誌 1]、出所から約2か月後の4月7日、団地1号棟の4階に、女性が住んでいることを突き止めた[書籍 1]

その一方で、3月1日には、凶器に使われた刃渡り約20.9cmの柳刃包丁・2本のペットロープを購入するなど[判決文 1]、犯行の準備も進めていた[判決文 3][雑誌 1]

Mはゴールデンウィークに入ると、女性が帰省して不在になる恐れがあると考えたため、その前に女性を殺害しようと考えた[判決文 1]。Mは、実行日を4月18日に定め、出勤途中または帰宅途中を襲撃して、包丁で殺害しようと決めた[判決文 1]

Mは、4月13日頃、滑り止め目的で、包丁の柄の部分に、黒いビニールテープを巻き付けた[判決文 1]。これに加え7、同月17日には、包丁を目立たずに持ち運べるようにと、生活情報誌を使って包丁の鞘を作り、犯行の準備を整えた[判決文 1]

その一方、犯行後に社員寮を引き払おうと考えたMは、衣類の一部を、手提げ袋の中に入れ、千葉県市川市内にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京都交通局本八幡駅コインロッカーに預けた[判決文 1]

事件発生[編集]

Mは、女性の居場所を突き止めてから11日後、事件当日の4月18日午前6時45分頃、鞘に収めた包丁を構え、社員寮を出て現場団地に向かった[判決文 1]

Mは午前7時30分頃、1号棟の女性の部屋の前に着き、玄関の表札を見て、女性宅と確認した[判決文 1]。室内に明かりがついていたことから、女性がまだ在室していると考えたMは、人目につかないように、部屋から十数m離れた、1号棟4階北側の、非常階段踊り場に移動した[判決文 1]。その上で、そこで女性を待ち伏せ、部屋から出てきたところを狙って、女性がエレベーターに乗る前に、「7年前に約束を破って警察に届け出た恨みを晴らしに来た」ことを伝えた上で、女性を殺害することを決めた[判決文 1]

午前8時ごろ、女性が部屋を出てきたところを見かけたMは、すぐにあとを追いかけ、背後数mのところまで近づいた[判決文 1]。しかし、エレベーターホール横の中央階段付近から、階段を降りてくる人の足音が聞こえた[判決文 1]。Mは犯行を目撃されることを恐れ、一瞬ひるんで立ち止まった[判決文 1]。その間、女性はエレベーターで1階まで下り、そのままタクシーに乗り、団地を発った[判決文 1]。そのため、午前中は殺害できずに終わった[判決文 1]

そこでMは、女性の帰りを狙って殺害する計画に変更した[判決文 1]。Mは、着ていたセーターに包丁を包み、女性の部屋の玄関脇にあるメータ―ボックスの中に、包丁を隠した[判決文 1]。Mはその後、付近にある酒屋で、を買って飲んだり、社員寮に帰って昼寝をしたりして、時間を潰した[判決文 1]

午後7時過ぎ、Mは再び現場団地に戻ってきた[判決文 1]。室内はまだ暗かったことから、女性がまだ帰宅していないと考えたMは、メーターボックスの中から、包丁を取り出した[判決文 1]。そのまま、包丁をベルトに挟み、1号棟4階南側の非常階段踊り場付近などで、女性の帰宅を見張っていたところ、午後9時過ぎに、女性が団地内の広場付近を1号棟に向かって歩いてくる姿を見つけた[判決文 1]。そのため、エレベーターに乗って下に降り、1階で乗り込んでくる女性を待ち伏せようと考えた[判決文 1]

そのことを全く知らない女性は、午後6時過ぎ、渋谷区にあるJT東京支社を退出した後、友人5人とともに、女性問題に関するサークル活動に参加した[書籍 4]。女性は、友人らとともに行きつけだった、港区内の飲食店で、午後8時50分頃まで飲食し[書籍 3]営団地下鉄(現・東京メトロ永田町駅で友人と別れ、家路に向かっていた[書籍 4]

午後9時過ぎ、女性がエントランスホールに着いたところで、タイミングよくエレベーターが降りてきた[書籍 1][雑誌 1]。エレベーターの扉が開くと、中に大柄の初老の男(M)が乗っていた[書籍 1]。女性は、出口を暫く開け、男が降りるのを待ったが、1階に着いたにもかかわらず、男はエレベーターから降りなかった[書籍 1]

女性は不思議に思いつつも、エレベーターに乗り込み、操作盤の前に立った[書籍 1]。その上で、目の前の男が、7年前に自分を強姦したMとは知らず、「(目的は)何階ですか」と声を掛けた[書籍 1][雑誌 1]。これに対し、男は「(女性の部屋と同じ階の)4階です」と返した[書籍 1][雑誌 1]。女性は、男の顔に見覚えはなく、「大きな団地なので住民の入れ替わりは少なくない。新たに引っ越してきた人かもしれない」と思いつつ、4階のボタンを押した[書籍 1]

エレベーターが上昇しだした直後、男はそれを待っていたかのように、女性に対し、「○○(女性の実名)さんですね?」と問いかけた[書籍 1][雑誌 1]。「なぜ自分の名前を知っているのか」と、不審に思った女性に対し、男は続けて「7年前の事件を覚えているか」と言った[書籍 1][雑誌 1]。男の獰猛な目、低い声、そして自分に起きた、7年前の忌まわしい出来事を思い出したことで、女性が恐怖したところ、Mは懐から包丁を抜き出し、刃先を女性に突き付けた[書籍 1][雑誌 1]

悲鳴を上げた女性に飛び掛かられ、不意を突かれたMは硬直し、その隙に女性に包丁を奪われ、逆に刃先を突き付けられた[書籍 1][雑誌 1]。しかし、ちょうどその時にエレベーターが4階に到着し、女性が転がるように前に出た[書籍 1][雑誌 1]

Mは、女性の思わぬ抵抗に動揺したが、「殺害の機会は今しかない」、「少しくらい自分が怪我をしてでも殺害しよう」と考え[判決文 1]、女性が見せた一瞬の隙を見逃さず、一気に間を詰めて包丁を奪い返した[書籍 1][雑誌 1]。その後、女性の左下腹部、腹部中央部、右胸、左胸と次々に滅多刺しにし、失血死させた[書籍 1][雑誌 1]

凶行の直後、Mは女性の傷を、冷静に確認してから[書籍 1]、所持品のハンドバッグを奪い[判決文 3]、その場から立ち去った[書籍 1]

捜査[編集]

男女の言い争う声に続き、女性の「助けて、殺される」という悲鳴を聞きつけていた、4階の男性住民が[新聞 1][新聞 7][書籍 4]、廊下に出たところ、エレベーターホールで、女性が血を流して倒れていた[新聞 7]

男性住民が、消防に119番通報したことで、救急車が駆け付け[書籍 1]、首などから血を流している女性を病院に搬送したが、女性は間もなく出血多量により、搬送先の病院で死亡した[新聞 7][新聞 1][雑誌 1]

現場の1号棟1階の廊下から、現場最寄り駅である都営地下鉄新宿線大島駅付近の路上まで、約300mの間に、点々と血痕が連続して残されていたが、血痕の量が多く継続的だった[新聞 7][新聞 1]。このことから、警視庁城東警察署に設置された特別捜査本部は[新聞 7][新聞 1]、犯人も揉み合って刃物で負傷し、そのまま地下鉄で逃走した可能性が高く[新聞 7][新聞 1][書籍 4]、顔見知りの犯行の線もあるとみて捜査した[新聞 7][新聞 1]

また、事件現場には女性のバッグや、財布などの所持品が見当たらなかった一方[新聞 1]、現場付近には、雑誌・18日付の新聞朝刊が入った、ビニール袋が落ちていた[新聞 7]。そのため特捜本部は、女性のバッグや財布などは、犯人が奪って逃走したとみて捜査した[新聞 1]

その後、特捜本部は、女性がエレベーターから降りた直後に襲われたことや、遺体の傷が心臓にまで達していることなどから、女性に恨みを持っていた者が、待ち伏せして殺害した疑いが強いとみて、捜査を進めていた[新聞 8]。その結果、(当時)千葉県船橋市咲が丘4丁目在住の、土木作業員だったMが、7年前に女性に対し、強姦・恐喝事件を起こし、女性から告訴された結果、警察庁に逮捕され、懲役7年の実刑判決を受けて服役し、同年2月27日に出所していたことが判明した[新聞 8]

これに加え、殺害現場から都営新宿線大島駅までの路上などに落ちていた血痕と、同駅近くから同線船堀駅まで、不審な男を載せたタクシーの座席カバーに付着していた血痕が、それぞれ一致し、その血液型は、Mと同一であることも判明した[新聞 8]。そのタクシーの運転手も、警視庁の事情聴取に対し、「Mに似た男だった」と証言したことから、特捜本部は、Mが事件に関与した疑いが強いとみて、Mの行方を追った[新聞 8]

事件発生から1週間後の4月26日午後、警視庁城東署特捜本部の捜査員は、M宅前で張り込みしていたところ、Mを発見した[新聞 8]。同日夜、警視庁捜査一課・城東署特捜本部は、殺人容疑でMを逮捕した[新聞 2][新聞 8][書籍 1]

特捜本部の取り調べに対し、Mは動機について、逮捕された当初は、「7年前の事件のことを謝ろうと思って待ち伏せしたが、騒がれたので殺した」と供述した[新聞 8]。しかし、特捜本部は、以前の強姦事件などで、被害者女性から告訴されたことを逆恨みし、女性を殺害した疑いが強いとみて、さらに詳しい動機を追及した[新聞 8]。Mの右手の指には、女性と争った際にできたとみられる切り傷があり、また凶器の包丁に加え、奪われた女性のバッグも、Mの自宅付近にある駅のコインロッカーから発見された[新聞 8]。このことから、特捜本部は、Mが事件後にバッグを持ち去り、証拠隠滅のために隠したとみて捜査した[新聞 8]

同月28日までの取り調べで、Mは事件の1週間前(4月11日午前7時頃)、現場の団地に下見に行き、郵便受けの名前から、女性の部屋番号を確認していたことが判明した[新聞 9][新聞 10]

また、これに加え、Mは「凶器の包丁を3月下旬、勤務先の作業現場にあった炊事場から盗み出した。犯行当日の朝にも団地を訪れ、出勤する女性の服装を確認していた」など、周到な準備をしていたことを明らかにする供述をした[新聞 9]。ただし、判決文では「包丁はMが事前に購入したもの」と認定されている[判決文 1]

刑事裁判[編集]

Mは女性を殺害後に所持品を奪っていたが、強盗が動機ではなかったため、強盗殺人罪ではなく、殺人罪・窃盗罪で立件され[書籍 1]、5月16日に東京地方検察庁から東京地方裁判所起訴された[新聞 11]

第一審・東京地裁[編集]

第1回公判(1997年7月3日)[編集]

1997年7月3日、東京地方裁判所三上英昭裁判長)で、初公判が開かれた[新聞 12]

同日、検察側の冒頭陳述が行われた[新聞 12][新聞 13]

その後、弁護人は、「Mは、報復しようという強度の視野狭窄に陥っており、犯行当時は心神耗弱状態だった」と述べ、完全な責任能力を否定した[新聞 13][新聞 12]

同日の被告人質問で、被告人として出廷したMは、起訴事実を認めたが[新聞 13][新聞 12]、事件の動機について質問されると、「(女性が)約束を破ったから」、「服役中から、警察に訴えられたことを悔しく思っており、出所したら恨みを晴らそうと思っていた」、「彼女にも落ち度があったんじゃないかと思っています。見知らぬ男から声を掛けられれば注意するのが普通だと思います。ある程度歳もいってたし、そういう判断力にも欠けていたんじゃないかと思います」と、被害者に落ち度があったことを主張し、反省の態度を見せなかった[書籍 1]。Mは動機について、と主張した[書籍 1][書籍 1]

被告人質問(1997年12月4日)[編集]

同年12月4日の公判(山室恵裁判長)で、被告人質問が行われた[新聞 14][書籍 2]

検察側が、Mに対し、「『被害者が自分を裏切ったから殺した』と言ったが、被害者が警察に被害を届けるのは当然ではないか。裏切ったとは、どういうことなのか」と質問した[書籍 2][書籍 1]。これに対し、Mは「何度も言うようだけど、私の心は歪んでいるんです」と述べた[書籍 2][書籍 1]

また、Mは、弁護人から、「あなたの中には破壊的なものがある」と指摘されたのに対し、自分を突き放すかのように、「私の生まれ持った宿命だから、仕方がない」と述べた[書籍 2]

弁護人から、犯行動機を聞かれたMは、「7年前の事件のことをしゃべって『(警察に通報して)悪かった』という言葉を、女性から聞きたかったが、相手が大声を出して『殺される!』と言ったため、逆上して殺した」と述べ[新聞 14][書籍 2]、その上で「直前まで、殺そうという気持ちは五分五分で、被害者の態度次第だった」として、確定的な殺意を否定する供述をした[新聞 14][書籍 2]

Mは続いて、陪席裁判官の補充質問で[新聞 14][書籍 2]、被害者への気持ちについて、「今でも被害者が警察に届け出たことを許せない、と思っているのか」と問われると[書籍 2]、「後悔しているし、ああいう行為はしなくてもよかった」と、憮然とした表情で話した[新聞 14][雑誌 1][書籍 2]。しかし、山室恵裁判長は、Mの口調を投げやりだと感じたのか[新聞 14][雑誌 1][書籍 2]、「反省しているなら、そういう口の利き方をするのか」と問い詰めた[新聞 14][雑誌 1][書籍 2]

そして、Mが「警察に届けないという約束を破ったので、彼女に会って謝ってもらいたかった」と供述すると、山室は「『警察に届けない』というのが約束になると君は今でも思っているのか?相手が、君に申し訳ないと言うと思ったのか」、「包丁を持ち出せば、相手が恐怖して『助けて』と叫ぶのは当然じゃないのか」と問い詰め[新聞 14][雑誌 1][書籍 2]、そして「強姦された女性が警察に被害届を出したのは当たり前じゃないか」と、声を荒らげた[新聞 14][雑誌 1]

山室が、「相手の女性が君に会って『申し訳ないことをした』と言うと思ったのか」と問うと、Mは「相手の気持ちまで分かりません」と答えたが、続いて「警察に届け出た被害者が間違っていると思うのか」と問うと、Mは答えられなかった[新聞 14][書籍 2]。ここで山室は「結局、今でも相手の方が間違っていた、と思っているんだな」と念を押し[書籍 2]、裁判長としての質問を終えた[新聞 14]

その後、弁護側は、「Mは7年間服役した札幌刑務所で、合計13回懲罰を受けている。服役中の大半は独居房におり、前科・前歴が多い危険人物である」などと挙げ、Mの精神鑑定を申請し、東京地裁はこれを認めた[書籍 2]

検察側論告求刑(1999年2月12日)[編集]

本事件での殺害された被害者の人数は1人だが[書籍 1]1999年平成11年)2月12日の論告求刑公判で[新聞 15][新聞 16]、検察側はMに対し、死刑求刑した[新聞 15][新聞 16][雑誌 1]

東京地検は、Mに殺人の前科があること、身勝手な動機[書籍 1]、また公判でMが見せた前述の態度を「反省のない態度」と受け取ったことや、被害者遺族も極刑を望んでいることを指摘し、「Mの改善を期待することは不可能だ」と断じた[新聞 15]

その上で、「強姦事件の被害者の心情を思いやることなく、実に身勝手な動機による犯行であり、殺人前科があるなど、矯正はもはや不可能で、被害者遺族の峻烈な処罰感情などを考慮すると、極刑をもって臨むほかない」[新聞 16]、「犯罪被害者が被害を届け出るのは、当然の権利で、それを逆恨みして報復するとは言語道断である。我が国の刑事司法に真っ向から挑戦する、反社会性の強い犯行で[新聞 15]、法秩序が脅威にさらされる」などと主張した[雑誌 1]

弁護人最終弁論(1999年3月16日)[編集]

1999年3月16日、最終弁論公判が開かれ、結審した[新聞 17][新聞 18]

弁護側は、犯行の動機や殺害方法の残虐性とともに、「殺害された被害者数」を考慮し、「やむを得ない場合に死刑が適用できる」とする、死刑適用基準を示した最高裁判所判例永山基準」を引用し、検察側の死刑求刑に反論した[新聞 17]

弁護側は、「この事件の被害者数は1人であり、強盗殺人のような利欲犯ではない」、「ストーカー的な行為の過程で偶発的に引き起こされたもので、いわゆる『お礼参り殺人』とは違う」と述べ、死刑回避を訴えた上で、無期懲役か長期の有期懲役刑が相当だと主張した[書籍 3]

この際、弁護人・石川弘弁護士は、「Mは恨みの気持ちと同時に、一方的ではあるが、女性に対し『恋慕に似た感情』も抱いていて、それがかえって『裏切られた』と思い込むことになった」とも主張した[雑誌 1]。その上で、Mが恨みを抱くきっかけとなった、前述の強姦事件について、「故人の名誉を傷つけるようだが、事実は事実として述べたい。深夜、偶然出会ったMと2人で飲食し、店を出て深夜の夜道を歩いたのは被害者も軽率で、重大な落ち度だった。その軽率な行為が強姦事件に結びつき、その後、ストーカー的に付きまとったMが10万円を要求、警察に逮捕されたことを恨んだMから7年半後に殺される結果になった」と、被害者側に非があったとする主張をしたが[新聞 17][雑誌 1]、その言葉が終わらないうちに、傍聴席から、「ふざけるな!」と罵声が飛び[新聞 17][書籍 3][雑誌 1]、廷内は騒然となった[雑誌 1]

最後に、Mは意見陳述の場で、「被害者はもちろん、遺族の方々にも申し訳ないことをいたしました」と頭を下げた[新聞 17][書籍 3][雑誌 1]。しかし、Mの反省の弁に納得できなかった傍聴席の女性が「本当にそう思っているんですか」と声を荒らげた[新聞 17][書籍 3][雑誌 1]。これに対し、山室裁判長は「たとえ遺族の方でももう一度、許可なく発言したら退廷させます」と強い口調で注意を促した[新聞 17][書籍 3][雑誌 1]

無期懲役判決(1999年5月27日)[編集]

同年5月27日、東京地裁(山室恵裁判長)は、Mに対し、無期懲役判決を言い渡した[新聞 19][新聞 20][新聞 21][判決文 1][書籍 1][雑誌 1]

東京地裁は、情状面などの争点について、ほぼ全面的に、検察側の主張通りの事実認定をした[雑誌 1]

判決理由で、殺意については、「Mは、包丁を見て被害者が謝れば、殺す気はなかったと言うが、とてもそうとは信じられず、最初から確定的な殺意があったと認められる」と認定した[新聞 19][新聞 20]

一方で、検察側が「今回のようなお礼参り的事件が続発すると、犯罪被害者が報復を恐れて届け出なくなる恐れがある」として、死刑を求刑したことに対しては、「犯罪被害者保護の問題は、立法や行政上措置に委ねるのが適切で、今回の量刑で考慮するには限界がある」と指摘し[新聞 19][判決文 1][書籍 3]、「永山基準」を引用した上で「被害を警察に届け出た当然の行動を、裏切りと決めつけて筋違いの恨みを抱き、女性を殺害した犯行は、身勝手・理不尽で、刑事責任は重く、社会に与えた影響も大きいが、動機は個人的な恨みに基づくもので、利欲的なものではない[新聞 19]。被害者数は1名であり、Mは公判が進むにつれて、反省の態度を示し始めており、法廷での謝罪の言葉も、口先だけとは断定できず、死刑を適用するには躊躇せざるを得ない」と結論付けた[雑誌 1]

また、Mの殺人前科については「20年以上前のもの」と、この判決では特に重視しなかった[新聞 22]

検察側控訴(1999年6月4日)[編集]

東京地検は、この判決に対し、「被害者が1人であることを重視しすぎている」、「犯行時に被害者の所持品を盗んでおり、利欲的な動機がなかったとは言えない」、「殺人前科があることなどからも量刑判断が間違っている」と、量刑不当・事実誤認を主張して[書籍 1]、1999年6月4日付で、東京高等裁判所控訴した[新聞 23][新聞 24][雑誌 1]

控訴審・東京高裁[編集]

第一審破棄・死刑判決(2000年2月28日)[編集]

東京高等裁判所仁田陸郎裁判長)は、2000年(平成12年)2月28日の判決公判で、第一審の無期懲役判決を破棄し、検察側の求刑通り、Mに死刑判決を言い渡した[新聞 3][新聞 25][新聞 22][新聞 26][書籍 1][判決文 2]

東京高裁は、Mが出所直後から、被害者宅を探し始めた上で、あらかじめ包丁を購入し、包丁の柄に滑り止めのテープを巻き付けたりしていたことから、第一審同様、「確定的な殺意と高度の計画性が認められる」と認定した[書籍 1]

その上で、被害者に対して「7年前のことを覚えているか」と脅し、恐怖心を煽ってから殺害していること、1976年に殺人事件を起こし服役した前科があることなど、様々な情状を考慮した上で[書籍 3]、「利欲目的ではないとはいえ、本件の動機は理不尽・身勝手の極みであり、被害者の申告にも悪影響を与えかねない[書籍 4][新聞 22]。筋違いの逆恨みで殺人を犯したMに同情の余地はなく、被害者が1人でも死刑がやむを得ない場合はある[書籍 1]。被害者には一点の落ち度もなく、極刑をもって臨むのはやむを得ない」と結論付けた[書籍 1]

Mには殺人前科があるとはいえ、身代金誘拐保険金殺人や無期懲役囚の仮釈放中の再犯事例を除くと、最高裁から1983年に死刑適用基準として「永山基準」が示されて以降では、殺害被害者人数1人での死刑判決は極めて稀なケースだったが、マスメディアは「被害者保護」を重視した判決として、この判決を評価した[書籍 3]

弁護人上告(2000年3月8日)[編集]

Mの弁護人は、判決を不服として、2000年3月8日付で、最高裁判所上告した[新聞 27][新聞 28][書籍 1]

上告審・最高裁第二小法廷[編集]

上告審口頭弁論公判期日指定(2004年6月14日まで)[編集]

2004年(平成16年)6月14日までに、最高裁判所第二小法廷滝井繁男裁判長)は、上告審口頭弁論公判の開廷期日を、2004年7月16日に指定し、関係者に通知した[新聞 29][新聞 30]

上告審口頭弁論公判開廷(2004年7月16日)[編集]

2004年7月16日、最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)で、上告審口頭弁論公判が開かれた[新聞 31][新聞 32]

弁護側は、「場当たり的で計画性がなく、強固な殺意もなかった。動機は単なる恨みであり、利欲的な動機はない」と主張し、死刑判決の破棄を訴えた[新聞 31][新聞 32]

一方で、検察側は、「強固な殺意は明らかで、殺害された被害者数が1人で死刑が確定した他の事案と比べても、勝るとも劣らない非道な犯行だ。報復殺人は、犯罪を助長させ、治安の根幹を揺るがせかねない」として、被告人M・弁護側の上告を棄却するよう求め、結審した[新聞 31][新聞 32]

上告審判決公判期日指定(2004年9月22日まで)[編集]

最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)は、2004年9月22日までに、上告審判決公判開廷期日を、2004年10月13日に指定し、関係者に通知した[新聞 33][新聞 34]

裁判長を務めた滝井は、「身勝手な動機は許せないが、Mを目の前でよく見ている一審の判断は重い。死刑以外の選択肢はないのか」、「被告人はこれ以上上訴できない。最終審として、責任は重大だ」と悩み抜いた末、「もう後戻りできない。これで本当に死刑が確定する」との思いを抱えつつ、上告棄却の結論を出し、判決文に裁判長として署名したという[新聞 35][書籍 5]

上告審判決公判期日指定(2004年10月13日)[編集]

2004年10月13日、上告審判決公判が開かれた。最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)は「特異な動機に基づく誠に理不尽かつ身勝手な犯行であり、犯行に至る経緯に酌量の余地はない」「その犯行は、計画性が高く、強固な殺意に基づくものであって、殺傷能力の高い刃物を用いた犯行の態様も冷酷かつ残虐である。被害者の生命を奪った結果は重大で、被害者遺族の被害感情は極めて厳しく、社会に与えた影響も大きい。殺人前科の存在も考慮すれば、死刑の判断は是認せざるを得ない」として、控訴審の死刑判決を支持し、Mの上告を棄却する判決を言い渡した[新聞 4][新聞 36][新聞 37][新聞 38][書籍 1][判決文 3]。これにより、Mの死刑判決が確定することとなった[新聞 4][新聞 36][新聞 37][新聞 38][書籍 1][判決文 3]

死刑判決確定(2004年11月10日)[編集]

Mは判決を不服として最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)に判決の訂正を申し立てたが、2004年11月10日付で棄却決定がなされたことにより、死刑判決が確定した[新聞 39][新聞 40]

死刑執行(2008年2月1日)[編集]

2008年(平成20年)2月1日、法務省法務大臣鳩山邦夫)の死刑執行命令により、東京拘置所で、Mの死刑が執行された[書籍 1][新聞 5]

同日にはMを含め、計3人の死刑囚の刑が執行された[新聞 5]

事件の影響[編集]

出所情報通知制度[編集]

警察庁は、この事件を重く見て、1997年9月29日午後に開かれた「全国捜査鑑識関係課長会議」で、再被害を視野に入れた、凶悪事件の捜査を、全国の警察に指示した[新聞 41]。その上で、「再被害の恐れが強いと判断された場合には、加害者の出所時期を、事前に被害者に通知する場合もある」などの方針を発表した[新聞 41][書籍 4]。この方針によれば、「所轄警察署が、殺人・性犯罪などを摘発した際、報復犯罪が発生する可能性がある事件を、各警察本部に登録し、被害者への警戒活動を行うとともに、必要な場合は加害者の出所情報を連絡する」というものである[新聞 41]。ただし、刑期を満了した者のプライバシー侵害や、被害者による加害者への復讐の助長につながるため、警察庁は「出所後の居住地が被害者と近接しているなどの特別な場合を除き、出所者の居住地・勤務先は教えない」とした[新聞 41]

この制度はその後、法務省内で検討がなされ、2000年12月1日に、各地方検察庁で、翌2001年3月から実施することが決定した[新聞 42]。情報提供の対象は、事件の被害者のみならず、目撃者も対象に加えた[新聞 42]。その上で、再被害防止・加害者のその後を知りたいという、被害者らの要望に応え、加害者の実刑判決確定後、希望する被害者らに対し、懲役刑などの終了予定時期(年月)などを通知し、出所時の連絡を申し出た場合は、その年月日を伝えることとした[新聞 42]。その一方で、提供する内容は、原則として出所事実に限定し、「加害者の更生を不当に妨げたり、被害者による報復や、暴力団抗争など、新たな紛争が予想される場合は、情報を提供しない」こと、「再被害の可能性が高い場合を除き、出所時期の事前通知はせず、加害者の出所後の住所も教えない」ことが決められた[新聞 42]。また、受刑者ではない少年院収容者の退院も、制度の対象外とされた[新聞 42]

法務省はその後、2001年7月31日、この被害者通知制度を拡充し、必要に応じて出所予定時期・加害者の居住地も、事前に通知する制度に改め、同年10月1日から、新制度に切り替えることを決めた[新聞 43]。通知対象は、被害者本人のほか、親族や弁護士、事件の目撃者も加えた[新聞 43]。また、出所時期の通達は、刑期満了前の仮釈放も含め、出所予定時期(月の上旬・中旬・下旬まで)を、1,2か月前に関係者に通知するが、接触回避のために必要と判断した場合は、釈放期日まで通知することとした[新聞 43]。「加害者の更生を妨げたり、被害者の報復などがないように、犯罪の形態や、受刑中の加害者の言動などを検討し、妥当と認められる場合に限り、情報提供するが、原則通知しない出所後の居住地も、被害者の自宅と近接している場合などは、町名・字名までを限度に、伝える場合もある」とした[新聞 43]

朝倉喬司の評価[編集]

朝倉喬司は、本事件について扱った『週刊実話』(日本ジャーナル出版)1999年8月19日号記事中にて、Mの犯行動機・公判中の態度、弁護人を非難した[雑誌 1]

朝倉は、記事中で、「(最終弁論の際の罵声について)傍聴席の誰の発言だったにせよ、怒りたくなるのも無理はない。Mのしでかしたことは、それくらい理不尽で手前勝手な犯罪だった」、「たとえMが、被害者に対して『恋慕に似た感情』を持っていたとしても、身勝手な思い込みであり、到底情状に加味されるような事柄ではない」と述べた[雑誌 1]

その上で、「被害を通報した人間を、当の加害者が、そのことを理由に殺す―こんなことがまかり通れば、届け出をためらう風潮につながり、検察側の主張した通り『法秩序が脅威にさらされる』ことになりかねない」、「警察は、被害者の保護についてちゃんと考えていたのかが問われる場面だが、今回の事件の場合、せめて被害者に対し、事前に引っ越すことなどをアドバイスできなかったかと思う。仮に彼女(被害者)が、都内でも近県でも、どこか全く方向の違う場所へ引っ越していたら、Mの『調査能力』からすれば、おそらく突き止められなかっただろう。警察としては、被害者をつきっきりで四六時中守るという訳にもいかないだろうが、できることから直ちに実施に移してもらいたい。それが、非業のうちに亡くなった被害者への、せめてもの供養というものだ」と述べた[雑誌 1]

刑事裁判の判決文[編集]

  • 東京地方裁判所刑事第5部判決 1999年(平成11年)5月27日 『判例時報』第1686号156頁、平成9年(合わ)第133号、『殺人、窃盗被告事件』、”かつて強姦致傷などの事件を起こした被告人が、被害者が警察に届け出たために逮捕されたとして逆恨みし、刑期を終えて出所後、被害者を探し出した上、包丁で刺殺し、その直後に所持品を盗んだという殺人、窃盗の事案において、無期懲役が言い渡された事例。”。
    • D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28045243
    • 判決内容:無期懲役判決(求刑死刑、検察側控訴)
    • 裁判官:山室恵(裁判長)・伊藤寿矢野直邦
  • 東京高等裁判所第3刑事部判決 2000年(平成12年)2月28日 『判例時報』第1705号173頁・『判例タイムズ』第1705号173頁・『高等裁判所刑事裁判速報集』(平12)号73頁、平成11年(う)第1202号、『殺人、窃盗被告事件』、”1.かつて起こした強姦致傷、窃盗事件の被害者が警察に被害を届け出たことを逆恨みして、服役後に被害者を捜し出したうえ、包丁で刺殺したという殺人及び窃盗の事案において、無期懲役とした第一審判決を破棄して死刑を言い渡した事例。2.強姦致傷等の被害の届出を逆恨みし、服役後に被害者を捜し出し殺害した事案につき、無期懲役刑とした第一審判決を破棄し死刑を言い渡した事例。”。
    • D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28055166
    • 判決内容:破棄自判・死刑判決(求刑同、被告人側上告)
    • 裁判官:仁田陸郎(裁判長)・下山保男角田正紀
  • 最高裁判所第二小法廷判決 2004年(平成16年)10月13日 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第286号357頁・『判例時報』第1889号146頁・『判例タイムズ』第1174号258頁・裁判所ウェブサイト掲載判例、平成12年(あ)第425号、『殺人、窃盗被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(前刑事件の被害女性に対する逆恨み殺人事件)」、”1.死刑が憲法13条・31条・36条に違反しないところは、判例とするところである。2.かつて被害者に対する強姦致傷等の事件で、被害者が警察に届け出て逮捕され懲役7年に処せられたが、服役を終えた後、被害者方を探し当て、出所の2か月後に被害者を団地内で待ち伏せし、被害者の胸腹部を柳刃包丁で数回突き刺して殺害した事案につき、一審判決が無期懲役、二審判決が破棄自判・死刑としたところ、二審判決を是認し、死刑が維持された事例。”。
    • D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28105157
    • 判決内容:被告人側上告棄却(死刑判決確定)
    • 裁判官:滝井繁男(裁判長)・福田博北川弘治津野修

参考文献[編集]

  • 週刊実話』(日本ジャーナル出版)1999年8月19日号(同年8月5日発売)p.200-203「昭和・平成『女の事件史』 最終弁論も罵声で消えた『レイプお礼参り』殺人裁判」(記者:朝倉喬司
  • 新潮45』(新潮社)2006年10月号(第25巻第10号・通巻第294号。2006年10月1日発行)p.65-67「総力特集 昭和&平成 世にも恐ろしい13の『死刑囚』事件簿 - M(死刑囚の実名)『江東区・JT女性社員逆恨み殺人事件』出所後すぐにお礼参りの恐怖」
  • 丸山佑介 『判決から見る猟奇殺人ファイル』 彩図社2010年1月20日、77-85頁。ISBN 978-4883927180「8【強盗殺人】逆恨み殺人事件」
  • 宇野津光緒 『法廷ドキュメント 23の事件と被告たち』 恒友出版1998年5月15日、28-41頁。ISBN 978-4765281256

脚注[編集]

刑事裁判の判決文[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs 東京地裁刑事第5部、1999年(平成11年)5月27日判決、事件番号:平成9年(合わ)第133号
  2. ^ a b c 東京高裁第3刑事部、2000年(平成12年)2月28日判決、事件番号:平成11年(う)第1202号
  3. ^ a b c d e f 最高裁第二小法廷、2004年(平成16年)10月13日判決、事件番号:平成12年(あ)第425号

新聞記事出典[編集]

以下の出典において、記事名に死刑囚の実名が使われている場合、その箇所を本項目で用いているイニシャル「M」に置き換えている。
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『東京新聞』1997年4月19日朝刊社会面27面「女性刺殺される 江東 自宅団地エレベーター前」
    『東京新聞』1997年4月19日夕刊社会面11面「多量血痕点々 犯人もけが? 江東の女性会社員刺殺」
    『中日新聞』1997年4月19日夕刊社会面11面「東京でJT女性社員刺殺 顔見知りの犯行か」
  2. ^ a b c 『東京新聞』1997年4月27日朝刊社会面27面「土木作業員逮捕 江東の女性刺殺」
    『中日新聞』1997年4月27日朝刊社会面31面「顔見知りの男逮捕 JT女性社員刺殺」
  3. ^ a b c 『中日新聞』2000年2月28日夕刊社会面11面「JT女性社員刺殺 逆恨み殺害に死刑 東京高裁控訴審判決 『被害申告に悪影響』」
    『東京新聞』2000年2月28日夕刊1面「JT・OL殺害 逆恨み殺人に『死刑』 東京高裁 控訴審判決 『身勝手』と無期破棄」
    『東京新聞』2000年2月28日夕刊第二社会面8面「逆恨み殺人判決 迫られる再被害防止対策 出所後の情報提供なども」
  4. ^ a b c d 『中日新聞』2004年10月14日朝刊社会面31面「逆恨み殺人 死刑確定へ 暴行被害通報 女性を刺殺 最高裁『理不尽な犯行』」
  5. ^ a b c 中日新聞』2008年2月1日夕刊1面「3人の死刑執行 刈谷の主婦強殺犯ら」
    東京新聞』2008年2月1日夕刊1面「3人の死刑執行 逆恨み殺人 M確定囚ら」
  6. ^ a b c d e f g h i 朝日新聞』1976年8月13日東京夕刊社会面7面「ホテルで女高生殺し 広島 連れの男、指名手配」
    『朝日新聞』1976年8月13日西部夕刊社会面7面「女高生殺される 広島のホテル」
  7. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』1997年4月19日東京朝刊第一社会面35面「大島団地で女性刺され死ぬ/東京・江東」
    『読売新聞』1997年4月19日東京夕刊第一社会面11面「東京・江東の団地女性刺殺 顔見知りの犯行か 直前、男女口論の声」
  8. ^ a b c d e f g h i j 読売新聞』1997年4月27日東京朝刊第一社会面35面「東京・江東のJT女性社員刺殺 逆恨みか、容疑者逮捕 告訴され、実刑判決」
  9. ^ a b 『読売新聞』1997年4月28日東京夕刊第一社会面15面「東京・江東の団地女性刺殺容疑者 1週間前に現場下見」
  10. ^ 『東京新聞』1997年4月28日夕刊社会面9面「1週間前に自宅を下見 江東の女性刺殺容疑者」
  11. ^ 『東京新聞』1997年5月17日朝刊第二社会面26面「逆恨み殺人容疑者起訴」
  12. ^ a b c d 『毎日新聞』1997年7月3日夕刊第一社会面11面「JT社員刺殺 起訴事実認める M被告初公判」
  13. ^ a b c 『朝日新聞』1997年7月3日夕刊第一社会面19面「被告、起訴事実認める 東京・江東区のJT社員刺殺事件初公判」
  14. ^ a b c d e f g h i j k 『朝日新聞』1997年12月5日朝刊第二社会面38面「被告の態度に裁判長怒った 逆恨み殺人公判 東京地裁」
  15. ^ a b c d 『読売新聞』1999年2月12日東京夕刊社会面19面「暴行被害女性への逆恨み殺人 死刑を求刑/東京地裁」
  16. ^ a b c 『東京新聞』1999年2月12日夕刊第二社会面8面「逆恨み殺人に死刑求刑 東京地裁 『矯正不可能』と検察側」
  17. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』1999年3月17日朝刊第一社会面39面「逆恨み殺人、怒声の結審 弁護側『被害者にも落ち度』 傍聴席からは『ふざけるな』 5月27日、東京地裁判決」
  18. ^ 『東京新聞』1999年3月17日朝刊社会面27面「逆恨み殺人 有期刑求める 最終弁論で弁護側」
  19. ^ a b c d 『朝日新聞』1999年5月27日夕刊第一社会面15面「逆恨み殺人で無期懲役 『身勝手だが人間性も』 東京地裁判決」
  20. ^ a b 『中日新聞』1999年5月27日夕刊第二社会面10面「JT女性社員刺殺 M被告に無期 東京地裁判決 『通報恨み身勝手』」
    『東京新聞』1999年5月27日夕刊第二社会面11面「M被告に無期懲役 JT女性社員、逆恨み刺殺 『理不尽な動機』 東京地裁判決」
  21. ^ 『読売新聞』1999年5月27日東京夕刊社会面19面「JT女性社員の被害届で逮捕… 出所後襲撃 逆恨み殺人に無期判決 /東京地裁」
  22. ^ a b c 『毎日新聞』2000年2月28日夕刊社会面9面「JT女性社員逆恨み殺人 1審を破棄、死刑判決 東京高裁『被害申し立てに悪影響』」
  23. ^ 『中日新聞』1999年6月4日夕刊第二社会面12面「警察通報を恨み殺人 『無期懲役軽すぎる』 検察側控訴」
    『東京新聞』1999年6月5日朝刊第二社会面26面「逆恨み殺人で検察控訴」
  24. ^ 『読売新聞』1999年6月4日東京夕刊第二社会面18面「暴行被害女性逆恨み殺人に無期懲役判決 検察側が東京高裁に控訴」
  25. ^ 『朝日新聞』2000年2月28日夕刊第一社会面23面「M被告に死刑判決 警察に届け出女性を逆恨み殺害事件 東京高裁」
  26. ^ 『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊1面「被害者の女性を逆恨み殺人 無期破棄し死刑判決 被害者1人でも極刑/東京高裁」
    『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊2面「『逆恨み殺人』判決の要旨」
    『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊社会面15面「婦女暴行逆恨み殺人判決 『勇気ある告発』保護 死刑やむをえない/東京高裁」
  27. ^ 『東京新聞』2000年3月9日朝刊第二社会面26面「逆恨み殺人の被告側上告」
  28. ^ 『朝日新聞』2000年3月9日朝刊第三社会面37面「東京・江東区『逆恨み殺人』の被告が上告」
  29. ^ 産経新聞』2004年6月14日大阪夕刊社会面「逆恨み殺人で最高裁が弁論」
  30. ^ 『産経新聞』2004年6月15日東京朝刊社会面「逆恨み殺人で最高裁、7月に弁論」
  31. ^ a b c 毎日新聞』2004年7月16日夕刊社会面12面「JT女性社員刺殺 双方が弁論し結審 最高裁」
  32. ^ a b c 日本経済新聞』2004年7月16日夕刊社会面15面「逆恨み殺人上告審で弁論 最高裁」
    『日本経済新聞』2004年7月16日西部夕刊社会面20面「弁護側、死刑回避求める 逆恨み殺人上告審」
  33. ^ 『産経新聞』2004年9月23日東京朝刊社会面「“お礼参り”殺人、来月13日に判決 最高裁が通知」
  34. ^ 『日本経済新聞』2004年9月23日朝刊社会面35面「来月13日に最高裁判決 逆恨み殺人事件」
  35. ^ 『読売新聞』2009年3月7日東京朝刊第二社会面38面「[死刑]選択の重さ(7) 3審、それぞれの苦悩(連載)」
  36. ^ a b 『朝日新聞』2004年10月14日朝刊第一社会面39面「逆恨み殺人のM被告、死刑確定へ 最高裁が上告棄却」
  37. ^ a b 読売新聞』2004年10月14日東京朝刊社会面39面「被害届女性逆恨み殺人 最高裁も死刑 上告を棄却 被害者1人でも」
  38. ^ a b 『日本経済新聞』2004年10月14日朝刊社会面43面「逆恨み殺人 被告の死刑確定へ 最高裁が上告棄却」
    『日本経済新聞』2004年10月14日西部朝刊社会面17面「暴行届け出逆恨み、女性刺殺 被告の死刑確定 最高裁、上告を棄却」
  39. ^ 『読売新聞』2004年11月12日東京朝刊第二社会面34面「婦女暴行逆恨み殺人 M被告の死刑確定/最高裁」
  40. ^ 『毎日新聞』2004年11月12日朝刊社会面28面「JT女性社員逆恨み殺人 被告の死刑判決確定 最高裁」
  41. ^ a b c d 『東京新聞』1997年9月29日夕刊1面「犯罪者の『お礼参り』防止へ出所時期通知 居住地や勤務先は原則非公開 警察庁が初対策」
  42. ^ a b c d e 『中日新聞』2000年12月2日朝刊第二社会面34面「被害者に出所情報 来年3月から」
    『東京新聞』2000年12月2日朝刊第二社会面28面「被害者に出所情報 来年3月から」
  43. ^ a b c d 『中日新聞』2001年7月31日夕刊3面「『被害者通知制度』10月改正 出所後の居住地も通知 法務省 『逆恨み』防止で警察と連携拡充」
    『東京新聞』2001年7月31日夕刊1面「出所情報を事前通知 法務省 10月1日から 被害者保護へ制度拡充」

雑誌記事出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu 週刊実話』(日本ジャーナル出版)1999年8月19日号(同年8月5日発売)p.200-203「昭和・平成『女の事件史』 最終弁論も罵声で消えた『レイプお礼参り』殺人裁判」(記者:朝倉喬司

書籍出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba 丸山 2010, pp. 77-85
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 宇野津 1998, pp. 28-41
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 福田洋 『20世紀にっぽん殺人事典』 社会思想社2001年8月15日、747-749頁。ISBN 978-4390502122「逆恨み男、JT女性社員殺し」
  4. ^ a b c d e f 村野薫(編集)、事件・犯罪研究会 (編集) 『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』 東京法経学院2002年7月5日、306頁。ISBN 978-4808940034「JT女子社員〝逆恨み〟殺人事件」(袴田京二
  5. ^ 読売新聞社会部 『死刑』 浅海保中央公論新社2009年10月10日、184-185頁。ISBN 978-4120040634

関連項目[編集]

「永山基準」以降、最高裁で死刑判決が確定した、殺害された被害者数が1人の事件[編集]

※無期懲役刑に処された前科があるもの、身代金誘拐保険金殺人は含まない。