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ストリップ (性風俗)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伝統的なストリップを演じるアメリカン・バーレスクのダンサー

ストリップとは、主に女性ダンサーが、音楽に合わせて服を脱いでいく過程を見せる舞台ショーである。ストリップティーズとも呼ばれる。古くから大衆の娯楽の一つである。

ストリップの歴史的起源と原型の諸説

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ストリップの始祖のひとりとされるテオドラ皇后のモザイク画

神話・歴史的起源と語源の初期記録

パフォーマンスアートとしてのストリップ(脱衣舞踊)の確実な誕生時期には諸説存在し、明確な一説には定まっていない。しかし、「衣装を順に脱ぎ捨てていく行為によって観客(男性客)を惹きつける見世物」自体は、少なくとも数百年以上の歴史を遡ることができる。

語源の古例(17世紀文学):「ストリップ(Strip / Striptease)」という語が現代の用法として定着したのは1938年前後とされています。しかし、17世紀イギリスの劇作家トマス・オトウェイによる戯曲『The Soldier's Fortune』(1680年)のセリフ内には、すでに脱衣行為を指す表現として「stripping」の語が登場している [1]

古代神話(イナンナの冥界下り):最古の文学・神話表現として、シュメール神話における「女神イナンナの冥界下り」が挙げられます。冥界の7つの門を通過するたびに衣類や装身具を1つずつ脱ぎ去っていく描写が存在し、これが象徴的な脱衣演出の原型のひとつとして言及されることがあります。

聖書・近代劇から生まれた「サロメと7つのヴェールの踊り」

新約聖書の『マタイによる福音書』および『マルコによる福音書』には、サロメがヘロデ・アンティパス王の前で踊りを披露する記述が存在する。

劇作・オペラによる演出の定着:聖書内の記述が現代ストリップの重要な源流とされる「7つのヴェールの踊り」として再解釈・定着したのは、1893年に出版されたオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』以降のことである[2]

さらに1905年のリヒャルト・シュトラウスによるオペラ化を経て、ヴェールを順に脱ぎ捨てる演出は舞台・オペラ・映画の定番演目となった。 彼女は1907年にエドワード7世の前でこの出し物を行った。

初期の著名な演者:

1907年にイギリス国王エドワード7世の前でこの演目を披露したダンサー、モード・アレン(Maud Allan)らが象徴的な存在として知られている。

東ローマ帝国と北アフリカの系譜

古代の女優・娼婦(テオドラ皇后の逸話):6世紀の東ローマ帝国において、ユスティニアヌス1世の妃となったテオドラ皇后は、もともと女優兼娼婦としてキャリアを重ねていた。当時の文献や解釈によれば、彼女の舞台演目には神話モチーフに基づいて衣装を脱ぎ捨てていく、ストリップの初期形態が含まれていたとされている。

北アフリカのガワジーダンス(「みつばちのダンス」):近代におけるもう一つの源流として、エジプトや北アフリカのダンサー(ガワジー)によるエロティックな「みつばちのダンス」が挙げられる。衣装の中に紛れ込んだ蜂を探すという名目で着衣を脱いでいくこのパフォーマンスは、フランス人作家ギュスターヴ・フローベールによってダンサーのクチュック・ハネム(Kuchuk Hanem)とともに見出され、ヨーロッパへ報告された(※商業的な要請や演出として成立した可能性も指摘されている)。

フランスにおけるストリップの歴史

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誕生と近代ストリップの源流(19世紀末)

1880年代から1890年代のパリでは、「ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge)」や「フォリー・ベルジェール(Folies Bergère)」などの有名キャバレー・劇場において、露出度の高い衣装を纏った女性ダンサーによるダンスや「活人画(静止演劇)」[3]が人気を集めていた。

そうした中、1890年代に演じられた「体表を這い回るノミ(蚤)を探すという名目で、徐々に衣装を脱ぎ捨てていく演出」の演目が評判を呼んだ。アメリカの民俗史書『The People's Almanac』では、この演出手法こそが「近代ストリップ(脱衣パフォーマンス)の直接的な源流である」と位置付けられている。

伝説的スターの台頭(マタ・ハリと表現革新)

1905年、後に第一次世界大戦時のスパイ容疑で処刑され悲劇のヒロインとして知られるマレー系オランダ人ダンサー、マタ・ハリ(Mata Hari)がギメ東洋美術館のステージでデビューし、大成功を収めた。彼女のパフォーマンスでは、宝石をあしらったブラジャーや煌びやかな宝飾品を魅せながら露出していくオリエンタルな演出が話題を呼び、全欧州で絶大な人気を確立した。

演出のエスカレートと洗練(1900〜1930年代)

貝殻衣装のインパクト(1907年):1907年にムーラン・ルージュで公演を行った女優ジェルメーヌ・アイモス(Germaine Aymos)は、わずか3個の小さな貝殻のみを身に着けた極小露出の演出で業界に衝撃を与えた。

ジョセフィン・ベーカーと「野生のダンス」(1930年代):歌手としても世界的な知名度を誇るジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker)は、フォリー劇場やタバリン通りの劇場で演じられた「danse sauvage(野生のダンス)」において、セミヌードで情熱的なダンスを披露した。これらのキャバレー・レヴュー作品は、高度に洗練された振り付けと絢爛豪華な美術・衣装演出を大きな特徴としていた。

クレイジー・ホースとフルヌードショーの完成(1960年代)

パリの著名キャバレー「クレイジー・ホース(Crazy Horse)」などにおいて、照明美や洗練されたアート性を融合させた全裸(フルヌード)のステージ演出が確立され、フランスにおける大人のエンターテインメント・文化の一大ジャンルとして定着した[4]

アメリカ合衆国におけるストリップの歴史

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アメリカにおけるストリップは、19世紀後半に盛んとなったミュージックホールの「バーレスク(Burlesque)」[5]や、全米を巡回する移動式カーニバル(興行)をルーツとして発展した。

初期の代表的ダンサー:

ジプシー・ローズ・リー(Gypsy Rose Lee)や、扇や風船を用いたダンスで知られるサリー・ランド(Sally Rand)らが初期のスターとして活躍した。

トマス・エジソンによる最古の映像記録:

空中ブランコ芸人のシャーミオン(Charmion)は、1896年という極めて早い時期に「空中ブランコ上で衣装を順に脱いでいく」というパフォーマンスを披露した。この演技は1901年に発明家トマス・エジソンによって撮影され、『Trapeze Disrobing Act』という題名で記録映像[6]』として作品に残されている。

ミンスキーのバーレスクと劇場規制

現代的なストリップ表現の重要な過渡期として、ミンスキー兄弟(ミンスキーブラザーズ)がニューヨーク・42番街の劇場で1925年4月より上演を開始した「ミンスキーのバーレスク」が挙げられる [7]。 大衆的な人気を博したものの、警察による摘発や取り締まりが相次ぎ、最終的に「劇場の品格を損なう」との理由から1937年に上演が禁止・廃止された。

トップレス・ゴーゴーダンスと全裸化

1960年代に入ると、ストリップは「トップレス・ゴーゴーダンス」として発展した。

キャロル・ドーダとトップレスの誕生:

サンフランシスコ・ノースビーチの「コンドル・ナイトクラブ(Condor Nightclub)」において[8]、ダンサーのキャロル・ドーダ(Carol Doda)が1964年6月19日よりトップレス・ダンスを開始。「公の舞台で最初にブラジャーを脱ぎ捨てたダンサー」として歴史に記憶されている。[9]

全裸(フルヌード)スタイルの主流化:

同クラブのショーは1969年9月3日にランジェリーも完全に脱ぎ捨てる演出へと移行した。この全裸スタイル(フルヌード)は瞬く間に全米のストリップ・クラブにおける標準・主流となっていった[10]

ラップダンスの誕生と世界的な拡大:サンフランシスコの著名劇場「ミッチェル・ブラザーズ・オーファレル・シアター(Mitchell Brothers O'Farrell Theatre)」は、ダンサーが客の膝上や至近距離でパフォーマンスを行う「ラップダンス(Lap Dance)」をストリップ業界に初めて導入した先駆者として知られている。この近接型のダンススタイルは全米の紳士向けクラブ(ジェントルメンズ・クラブ)へ爆発的に普及し、やがて世界各国のストリップ・ナイトライフ文化へと拡大していった。

イギリスにおけるストリップの歴史、(規制回避の工夫とパブ・ストリップ文化)

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ウィンドミル劇場

動きの規制と「活人画(静止姿態)」による回避

イギリスでは、ローラ・ヘンダースン(Laura Henderson 1864 - 1944/11/29)がロンドンのウィンドミル劇場でヌードショーをはじめたが、英国の法律は1930年代に裸の女性が動くことを禁じるに至った。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように静止することになった[11]

ウィンドミル劇場の出演者たちは、ロンドンや周辺の劇場にも遠征した。彼女たちは、時としてロープを使って回転し体中をぐるっと見せることもあった。これにより「自らの意思で動作していない(物理的に動かされているだけである)」という形式上の建前を整え、検閲や法的摘発を回避し続けた。

扇ダンスと風刺劇の台頭

静止規制に対するもう一つの回答・表現技法として「扇ダンス(Fan Dance)」が生み出された。1942年、フィリス・ディキシー(Phyllis Dixey)は自身のプロダクションを立ち上げ、ロンドンのホワイトホール劇場にて「ホワイトホール・フォリーズ」と呼ばれるセクシーな時事風刺劇(レヴュー)を開始し、人気を博した。

会員制クラブの誕生と法改訂によるブーム

1950年代まで、ヌードショーやストリップの巡回公演は経営難に直面した地方のミュージックホール(演芸場)における重要な集客コンテンツとして機能していた。

レイモンド・レヴューバーの開校:彼の巡回鉱業を1951年にはじめているが、その後ソーホーでドーリア式ダンスを学び、1958年にはプライベートな会員制倶楽部「レイモンド・レヴューバー」を開いた。これは、イギリス初のストリップクラブであった。

1960年代の解禁と全裸ダンスの一般化:1960年代の法改正に伴って表現規制が大幅に緩和されると、ソーホーを中心にストリップクラブのブームが巻き起こり、ステージ上での全裸ダンスが一般的となった[12]

パブ・ストリップの発展と独自のチップ習慣

ストリップの主舞台はクラブにとどまらず、一般のパブ(特にロンドン東部・ショラディッチ地区等のイーストエンド)へと広がった。これはトップレス・ゴーゴーダンスのスタイルから発展したものと考えられている[13]

警察との対立と存続:地域警察による取り締まりや介入を受けながらも、一部のパブは現在まで営業を継続している。

独自のチップ収集慣行:パブ・ストリップ特有の習慣として、パフォーマンス開始前にストリッパー自身がビールジョッキを携えて客席を回査し、観客からチップを集める形式が確立された。これは1970年代にダンサーたちが「全裸を見たいのであれば対価を支払うべきだ」という主旨で開始したシステムとされている。

プライベート・ダンスへの深化:さらに演出が多様化し、パブ内の個室やバックヤードにおいて、より近接した状態でダンスや露出を提示する「プライベート・ダンス」を提供する店舗も一般化した[14]

日本におけるストリップの歴史と大衆文化・法規制の変遷

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起源と前史(アメノウズメと浅草レビュー)

神話世界でのアメノウズメ天岩戸の前での踊りが、日本のストリップの元祖という話が決まって出るほど馴染みが深いものであり、日本人は元来そのようなものに伝統的な寛容さや理解が存在していた。前史として、浅草のレビュー「カジノ・フォーリー」で「金曜日に踊り子がズロースを落とす」(つまり中身が見えてしまう)という噂が広まり、大入り満員が続いたエピソードなどが知られている[15][16][17]

戦後日本のヌードショー誕生と「額縁ショー」

一般的な形でのストリップは1947年1月15日、東京都新宿角筈(現新宿三丁目)の帝都座5階演芸場で、本邦初のヌードショー「ヴィーナスの誕生」という催物として始まった。歌や踊り、コントなどが演じられる全27景のバラエティショーの一景として演じられ、ヌードを見せるのは長くて30秒程度だった[18]。乳房は露出していたが、陰部は扇で隠されていた[19]

(モデルは甲斐美晴、企画演出は秦豊吉、スタッフには東郷青児もいた[18]。)

額縁ショーの命名と反響:

モデルが動けば風俗擾乱として摘発する旨がGHQから寄せられていたため、実際の女性が西欧の裸体画に扮し、踊りはなくじっとしているものであったので「額縁ショー」と呼ばれていた。それでも大変なショックで、大きな反響を呼び、殺到した客が5階の階段を埋め尽くして、地上に長い列を為したという[20]

本格的ストリップへの発展と最高裁判決:

1948年3月には台東区浅草常盤座にて初めて踊りを取り入れた本格的なストリップショーが開催された[21]その後、全国的な広がりを見せ、大衆娯楽へとなった。特に松竹東劇バーレスク・ルームや浅草公園劇場「パークバーレスク」。ジプシー・ローズ)、東宝日劇ミュージックホール)といった日本の大手興行主や東京吉本も参入して全国的な大衆娯楽へ成長しました。

1948年広島市内のストリップ劇場が摘発を受けた。劇場側が猥褻ではなく芸術であると主張して法廷で争われたが、1950年、最高裁は女性が下半身を露出した状態で約1分半ポーズをとった行為などについて公然わいせつ罪にあたるとの判断を示した。

演芸・お笑い文化との融合(喜劇人の登竜門)

1950年代以降、浅草フランス座ロック座などストリップ劇場は、幕間にコントを演じる佐山俊二長門勇谷幹一関敬六戸塚睦夫海野かつを渥美清東八郎由利徹八波むと志財津一郎三波伸介伊東四朗石井均萩本欽一坂上二郎

1970年代のビートたけしや、1980年代のコント赤信号渋谷道頓堀劇場)から浅草キッド[22](フランス座)に至るまで、数多くのトップコメディアンを輩出しました。

テレビ・大衆文化への波及:

1970年代には、人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』においてドリフターズの加藤茶がストリップをモチーフにしたギャグ「チョットだけよ」(タブー _(ラテン音楽)も参照のこと)を披露して一世を風靡したことなど、ストリップの要素は大衆文化やテレビ・ラジオのお茶の間にも深く浸透した。

表現の過激化(TS系からOS系への転換)と衰退

TS系からOS系(全スト・特出し)への変化

ストリップダンサーはバタフライといわれる一種の前張りを股間に着用していた(TS系(タッチ・ショー)と呼ばれる)。

しかし、1970年代頃から、関西を中心に全裸になって(全スト)女性器を見せる「OS系(オープン・ショー/全スト)」や特出し[23]を行う一条さゆりらが人気を博した。

取締強化と風営法改正(1985年):

1965年8月、警察庁は全国のストリップ劇場の一斉取り締まりを実施。全国313軒の劇場のうち90軒が何らかの理由で摘発された[24]。1985年の改正風俗営業適正化法(新風営法)の施行によって警察の取り締まりが決定的に強化された結果、全国のストリップ劇場が劇的に減少した。

過激な演出の氾濫:

舞台で女性出演者同士の絡む様を見せる「レスビアンショー」(レズではない)、

出演者のカップルが本番行為を行う「白黒ショー」、

出演者のカップルがSMプレイを行う「残酷ショー」、

お客が踊り子と舞台上で性交をする「マナ板ショー」 

動物を用いたショー「獣姦ショー

まで多角化・過激化した。

アイドルの台頭とAV女優の参入:

1980年代には美加マドカや清水ひとみ、影山莉菜といったルックスに恵まれたアイドルダンサーが人気を博し、1990年代以降はアダルトビデオ(AV)女優の舞台出演による集客(AV連動)が試みられた。しかし長期的・構造的な集客低下に歯止めはかからず、2000年代以降はかつての全盛期と比較して市場規模・劇場数ともに著しく縮小・衰退した。

現代におけるストリップ劇場の経営実態・社会的変化と再評価

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劇場経営の窮状と生存戦略

​インターネットやAVなどの代替コンテンツの増加に伴い入場者数は著しく減少し、経営難から閉鎖を余儀なくされるストリップ劇場が相次いでいる。また、改正風俗営業適正化法(風営法)の規制強化により、一度閉鎖・廃業した店舗の跡地に新規の営業許可が下りない仕組みとなったことも劇場の減少に拍車をかけている。

ポラロイドショー(写真撮影)による経営補填

​都市部を中心に一定の客数を維持する劇場も存在するが、入場料収入のみならず、ステージ終了後に出演者と観客がツーショット等を撮影する「ポラロイドショー」の売上が劇場経営を実質的に支える重要な収益源となっている。

女性・カップル優先席の設置

​新規顧客層の開拓やイメージ刷新を目的に、客席内に「女性・カップル優先席」を設けるなどの配慮・試みを行う劇場が増加している[25]

演出スタイルの揺り戻しと2000年代の活躍者

1970年代以降に拡大した過激な露呈中心のスタイル(OS系)に対する批判的視点や揺り戻しとして、ダンス性や舞台演出を重視するスタイル(TS系)の価値が相対的に見直される動きが生じた。ただし、業界全体の衰退傾向を劇的に翻転させるまでには至っていない。なお、2000年代には若林美保や牧瀬茜といった個性的かつ独自性の高いパフォーマンスを行うダンサーが活躍し、市場を支えた。

女性ファンの拡大とメディア・漫画による再評価

従来「男性中心の性風俗」と見なされがちだったストリップだが、出演者と同性である女性客からの関心や支持が高まるという構造的変化が起きている。

メディア露出と女性ファンの定着

2018年(平成30年)10月2日にNHK総合テレビにてストリップがテーマの「ノーナレ」(裸に泣く)にてストリップの現場と踊り子の日常・葛藤が特集・放送されるなど[26]、社会的ドキュメンタリーとしての注目を集めた[27]。全国の劇場を巡回する推しダンサーを追う「女性追っかけファン」も登場している[28]

啓蒙漫画のヒット

2020年には、初心者女性向けの観賞ガイド漫画『女の子のためのストリップ劇場入門』(菜央こりん著)が刊行されてヒットを記録し、女性層が劇場へ足を運ぶ心理的ハードルを大きく下げた。

警察の摘発事例と演出規制の限界

警察の摘発事例と演出規制の限界 2021年(令和3年)4月14日午後0時半頃、シアター上野が警視庁の摘発を受け、経営者の55歳の男やダンサーの女ら6人が公然わいせつの現行犯で逮捕された。客は15人だった。客の至近距離で脚を開いたり、一定期間、下半身に照明を当てて見せたりするなど下半身を強調する演出が公然わいせつに当たると判断された模様。

批評家・文化論における評価

性風俗としての側面だけでなく、身体表現・ダンスアートとしての価値を再定義する議論もなされている。ダンス批評家の武藤大祐は2022年の著作において、従来の訓練された正統派モダンダンスやコンテンポラリーダンスとは異なる独自の発達を遂げた身体表現として、「ストリップこそがダンスのハードコア(核・極限形態)である」と論じ、その身体性と舞台表現の文化的位置付けを再評価している[29]

男性ストリップの概要・日本における法的背景・関連映像作品

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対象顧客と日本における興行上の課題

男性ストリッパーによるパフォーマンス(男性ストリップ)は、主に女性やゲイ(男性同性愛者)の観客をターゲットとして実施される。かつて日本においても、外国人男性ダンサーを起用した専門劇場「J-men's Tokyo」などが話題を集めた。

​しかし、日本の法制度(刑法第175条「わいせつ物頒布等」や刑法第174条「公然わいせつ罪」など)においては性器の露出や直接的な露呈行為が違法と規定されているため、大規模な劇場やエンターテインメント施設での本格的な男性ストリップ興行を持続的に実施することは極めて難度が高いとされている。

男性ストリップを題材とした代表的映像作品

ストリッパーの情熱、リアルな葛藤、生き様を描いたフィクション映画やドキュメンタリー作品は、世界的な大ヒットを記録し文化的な話題を呼んだ。

フル・モンティ』(The Full Monty / 1997年)

イギリス産コメディドラマの金字塔。

マジック・マイク』(Magic Mike / 2012年〜)

世界的な大ヒットシリーズ(続編・ライブショー化)へと発展。(主演:チャニング・テイタム)

ドキュメンタリー『ラ・ベア マッチョに恋して』(La Bare / 2014年)

実在する伝説的な男性ストリップクラブ「La Bare」に密着したドキュメンタリー映画(監督:ジョー・マンガニエロ)

ストリップを題材とした作品

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ストリップを題材にした作品、またはストリッパー、ヌード・ダンサーらが出演した作品。

邦画

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テレビ

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テレビドラマ
バラエティ番組
  • 独占! 男の時間 - 厳密に言うとストリッパーではないが、浅茅けいこ、あき竹城ら日劇ミュージック・ホールのヌード・ダンサーが出演した。
  • 8時だョ!全員集合(TBS) - 1970年代に加藤茶がストリップのギャグを行い人気を博す。
  • ビートたけしの絶対見ちゃいけないTV(TBS) - 2009年8月および12月、2010年9月および12月の回で、小向美奈子がストリップショーを行った(小向は2009年6月に浅草ロック座でストリップショーを行っていた)。また2012年12月の回では、壇蜜がストリップショーを行った。
アニメーション
  • 新・キューティーハニー(1995年) - 8話にて主人公がストリップ劇場で踊り子になる。ただし、このストリップのシーンよりアクションシーンの方が露出度が高い。
  • パーフェクトブルー(1997年) - 「脱げる女優」に転向した元アイドルが、劇中劇での「ストリッパーが観客に襲われる」シーンを演じる。

漫画

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演劇

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関連人物

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  • マギー司郎 - 下積み時代に、当時営業していた全国すべてのストリップ劇場を渡り歩いた[30]
  • 原芳市 -ストリップを長く撮影していた写真家。
  • 谷口雅彦 -1990年代初頭からストリップを長く撮影している写真家。現在進行形。最後のストリップを追う写真家と言われている。著書『裸女の絢爛絵巻 ‐ストリップはいま‐』(河出文庫刊)。かつてあったストリップファン誌『SDJ』の専属写真家としても活躍。

脚注

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  1. Robert Hendrickson (1997) QPB Encyclopedia of Word and Phrase Origins.New York, Facts on File, Inc: 227
  2. Toni Bentley (2002) Sisters of Salome: 31
  3. 背景の前で生身の人間が静止し画中の人物のように見せる見世物
  4. Richard Wortley (1976) A Pictorial History of Striptease: 29-53
  5. 塩澤辛登『昭和芸能界史』p.55 河出書房新社 2020年 ISBN 978-4-309-92189-1
  6. JTithonus (2007-06-25), Trapeze Disrobing Act 2026年8月8日閲覧。
  7. これを題材として、1968年に『The Night They Raided Minsky's』(『警察がミンスキー劇場をガサ入れした夜』)というミュージカルコメディ映画が作られている。
  8. Nudity, Noise Pay Off in Bay Area Night Clubs, Los Angeles Times, February 14, 1965, Page G5.
  9. California Solons May Bring End To Go-Go-Girl Shows In State, Panama City News, September 15, 1969, Page 12A.
  10. 1964”. 2007年7月30日閲覧。
  11. Vivien Goldsmith, "Windmill: always nude but never rude", Daily Telegraph, 24 November 2005
  12. Murray Goldstein (2005) Naked Jungle - Soho Stripped Bare. Silverback Press
  13. Martland, Bill (2006-03) (英語). In the Begining There was Theresa. Lulu Enterprises Incorporated. ISBN 978-1-4116-5178-4
  14. Baby Oil and Ice: Striptease in East LondonLara Clifton (2002).
  15. 小林信彦『定本 日本の喜劇人』p.24
  16. 他に、お座敷ストリップが旅館等で特定の客相手に行われたという話もある。一例として、浮世亭信楽がお座敷で九州の一流芸者のストリップを見で仰天した話。出典:桂文楽『あばらかべっそん』 ISBN 9784480026125
  17. 浅草オペラ盛んなりし頃、パンタライ社という怪しげな団体が、観音裏の馬道でヌードショーを兼ねたお座敷ダンスの元祖という記述。菊池清麿『昭和演歌の歴史』p.56
  18. 1 2 『行動する異端: 秦豊吉と丸木砂土』森彰英、ティビーエスブリタニカ, 1998、p8-15
  19. 広岡敬一 『戦後性風俗大系 わが女神たち』(文庫版) 新潮社 2007年 p.36
  20. 世相風俗観察会『現代風俗史年表 昭和20年(1945)~平成9年(1997)』河出書房新社、1999年1月増補
  21. 世相風俗観察会『現代風俗史年表 昭和20年(1945)~平成9年(1997)』
  22. 他にもモロ諸岡など
  23. 阿波(徳島県)で始まったと言われたようである
  24. 「営業取り消しを 警察庁要請 すれすれストリップ」『日本経済新聞』昭和40年9月15日.15面
  25. ミリオン出版『俺の旅』2010年7/5増刊号 p148
  26. ノーナレ 「裸に泣く」 | 番組表検索結果詳細 | NHKクロニクル https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201810022245001302100
  27. “【聞き逃した方へ】松之丞、浅草ロック座で観たストリップショーに衝撃を受ける!講談師・神田松之丞(かんだまつのじょう)のラジオ『神田松之丞問わず語りの松之丞』(2018年6月3日放送分)”. TBSラジオ FM90.5 + AM954~聞けば、見えてくる~. 2018年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年8月8日閲覧.
  28. Inc, Natasha (2020年7月20日). ストリップとの出会いから観劇マナーまで「女の子のためのストリップ劇場入門」(試し読みあり)”. コミックナタリー. 2023年9月13日閲覧。
  29. ストリップの現在進行形:ダンスのハードコアここにあり。女性客も惹きつける現代ストリップの新たな表現とは”. Tokyo Art Beat. 2023年9月13日閲覧。
  30. ストリップ劇場回りは日給千円。芸能プロに3割取られ…”. 日刊ゲンダイ (2020年8月28日). 2020年9月6日閲覧。

参考文献

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  • 矢野誠一『昭和の演藝二〇講』
  • 市川市文学プラザ『昭和の市川に暮らした作家』
  • 『昭和の大衆娯楽 : 性の文化史と戦後日本人』イースト・プレス 2014年
  • ストリップ史研究会/石橋ワタル監修『ストリップ芸大全』
  • 松竹株式会社『松竹70年史』

関連項目

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外部リンク

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