この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)

三島女子短大生焼殺事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
三島女子短大生焼殺事件
場所 日本の旗 日本静岡県三島市川原ケ谷字山田
日付 2002年平成14年)
1月22日午後11時頃 – 1月23日午前2時頃[新聞 1]
概要 男が通りすがりの女子短大生を拉致強姦し、山中で灯油をかけて焼き殺した。
攻撃側人数 1人
死亡者 当時19歳女性(三島市内在住の短期大学1年生)[新聞 2]
犯人 男H(犯行当時29歳、三島市内在住の建築作業員)
1972年昭和47年)2月生まれ[判決文 1]2012年平成24年)8月3日、40歳没[新聞 3][新聞 4][その他 1]
対処 逮捕起訴
刑事訴訟 死刑執行済み
管轄 静岡県警察沼津警察署静岡地方検察庁沼津支部
テンプレートを表示
最高裁判所判例
事件名 三島女子短大生焼殺事件
事件番号 平成17年(あ)第959号
2008年(平成20年)2月29日
判例集 最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁
裁判要旨
第二小法廷
裁判長 古田佑紀
陪席裁判官 津野修今井功中川了滋
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
参照法条
逮捕・監禁強姦殺人
テンプレートを表示

三島女子短大生焼殺事件(みしま じょしたんだいせい しょうさつじけん)とは、2002年平成14年)1月22日静岡県三島市で発生した殺人事件[新聞 1]

殺害された被害者数が1人で、経済的利欲目的でない殺人事件において、殺人で服役した前科のなかった被告人死刑判決が言い渡され[新聞 5]最高裁判所確定したことで注目された[新聞 6]

事件の概要

死刑囚H

1972年昭和47年)2月、4人兄弟の第三子(次男)として誕生し[判決文 1]死刑囚として2012年(平成24年)8月3日、収監先の東京拘置所で死刑が執行された(40歳没)[新聞 3][新聞 4][その他 1]

静岡県三島市内の小中学校で学んだが、中学3年生の時に窃盗非行で初等少年院に送致された[判決文 1]。仮退院後、鉄筋工などとして働いたが、17歳の時に再び窃盗などの非行で中等少年院に送致された[判決文 1]。中等少年院を仮退院後、姉が居住する沖縄県内に移り住み、工員として約1年間働いた後、三島市に戻り、スナックバー従業員や土木作業員として働いたが、窃盗の非行で保護観察処分を受けた[判決文 1]。当時20歳だった1992年(平成4年)12月、覚せい剤取締法違反、道路交通法違反の罪で懲役1年6月、執行猶予4年(保護観察付)の有罪判決を受けた[判決文 1]。その執行猶予期間中で[判決文 1]、当時23歳だった1995年(平成7年)4月8日、当時21歳の男(田方郡函南町生まれ、住所不定無職)と共謀し、午後10時半過ぎに駿東郡長泉町下土狩の路上で、自転車に乗っていた同町在住の地方公務員男性(当時22歳)を脅し、共犯の男が木刀で、男性の頭を殴って全治2週間の怪我を負わせ、現金約5000円入りの財布などを奪う強盗致傷事件を起こした[新聞 7]。この事件により、同年5月22日までに静岡県警察沼津警察署に強盗致傷容疑で逮捕され[新聞 7]、同年10月には強盗致傷、恐喝、窃盗の罪で懲役4年6月の実刑判決を受け、執行猶予も取り消されて併せて刑の執行を受け2001年(平成13年)4月に仮釈放された後、配送会社で働くなどしたが、同年10月頃からは以前働いたことのある三島市内の建設会社で土木作業員として働いていた[判決文 1]。この間、1992年8月に中学時代の同級生と結婚して2児を儲けたが、1999年(平成11年)1月に離婚し、2001年7月頃から離婚した元妻との関係を修復し、沼津市内の元妻宅で同居していた[判決文 1]

事件発生

Hは2002年1月22日、仕事を終えた後、会社の同僚らと三島市内の居酒屋で飲食し、乗用車を運転して帰る途中で、弁当箱を従業員の集合場所に忘れてきたことに気付き、取りに戻ろうと同市内の国道136号を南に向かって走行していた[判決文 1]。その途中の午後11時頃、同じ方向を自転車に乗って走行していた女性を見つけ、女性に近づいて車の中から声を掛けた[判決文 1]。この女性が、本事件の被害者であり、当時神奈川県秦野市上智短期大学1年生で[新聞 8]東海道新幹線通学していた、同市内在住の短大1年生の19歳女性だった[新聞 2][新聞 8]。女性は午後10時50分頃、アルバイト先のJR三島駅前の居酒屋を出て[新聞 2]、自転車で帰宅する途中だった[新聞 2][判決文 1]。Hは女子短大生から全く相手にされなかったが、この女性を「若くてかわいい」と思ったことから、何とか関係を持ちたいと考え、先回りして車を降り、女子短大生の前に立ち塞がって自転車を止めさせ、その前輪を跨ぎ、前籠に両肘をつくなどして、年齢・氏名・学校などを尋ねた[判決文 1]。そして、Hは女子短大生の方に腕を回し、背中を押して自転車ごと近くに止めてあった自車のそばまで連れて行き、再び自転車の前輪をまたぎ、執拗に誘ったが、女子短大生が自転車共々倒れ込み、その後大声を上げて起き上がり逃げ出そうとした[判決文 1]。Hは女性を引き倒したが、女性は手を振り回すなどして抵抗し、悲鳴を上げたので、Hは女性を強姦することを決意し、女性の頭部を右脇に抱え込みながら、口を手で塞いで「静かにしろ」と脅し、チャイルドロックが設定された自車後部座席に女性を素早く押し込み、そのまま自車を発進させ、同県田方郡函南町軽井沢字立洞地内まで車を走らせて女性を拉致した[判決文 1]。その間、恐怖する女性に対し、Hは「俺の顔見ただろう。警察にチクるなよ。ぶっ殺すぞ」などと脅迫し、午後11時40分頃、車内で女性を強姦した[判決文 1]

Hはその後、強姦され服を着るのが精一杯で、声を出す気力もないほど憔悴していた女子短大生を車内に監禁したまま、再び三島市内まで戻った[判決文 1]。当初Hは街中の人気のない場所で被害者を解放しようと、適当な場所を探して走り回っていたが、覚醒剤仲間から「注射器を持って来てほしい」との電話が入ったことから、自分も覚醒剤を打ちたくなり、被害者の解放場所を早く見つけなければならないと考え、焦る一方で、被害者を解放すれば警察に通報され、刑務所に戻ることになると不安を募らせ、被害者を殺害することを考えついた[判決文 1]。Hは殺害方法として、犯行が発覚しないように、被害者を山に埋めるか、海や川に沈めるなどして殺害・遺棄することを考えたが、適当な場所が思い浮かばないまま被害者を閉じ込めた車を走らせ、覚醒剤仲間から依頼された注射器を取りに、三島市若松町内の実家に立ち寄った[判決文 1]。その際、Hは玄関先に置かれていた灯油入りのポリタンクを目にし、被害者に灯油をかけて焼き殺すことを思いついた[判決文 1]。Hはすぐにそのポリタンクを持ち出して車に積み込み、人気のない場所を求めて走り回り、翌23日午前2時頃、三島市川原ケ谷字山田山地内の[判決文 1]、三島市道山田31号道路拡幅工事現場に到着した[判決文 1][新聞 9]。Hはそこに車を停め、被害者が逃げ出したり、声を上げたりしないように、被害者の両手首付近を着衣の上からガムテープを巻き付けて後ろ手に縛り、口にガムテープを張り付けて塞ぎ、殺害の準備を整えた[判決文 1]。そして、被害者の腕を引っ張って降ろし、その背中を押して歩かせ、未舗装の道路に座らせた上、ポリタンクの灯油を頭から全身に浴びせかけ「火、点けちゃうぞ」などと脅したが、被害者が身動きせず、声も上げなかったことから、警察に通報しようと考えているのではないかと一層不安に駆られた[判決文 1]。Hは早く被害者を始末して覚醒剤仲間のところに向かい、自分も覚醒剤を打ちたいと思う一方、これだけ脅せば被害者は警察に通報しないのではないかとも考え迷ったが、結局、刑務所に逆戻りすることを恐れて被害者を殺害することを決断した[判決文 1]。そしてHは、灯油のかかった被害者の後頭部の髪の毛にライターで点火し、炎が燃え広がっていく様子を確認した上、車に乗ってその場から逃走した[判決文 1]。火を点けられた被害者は火だるまとなり、数m離れたコンクリートブロックの間に倒れ込んで息絶えた[判決文 1]

捜査

Hが被害者を殺害してから約30分後の[判決文 1]、午前2時30分頃[新聞 1]、現場付近を自動車で通りかかった通行人が[判決文 1]、黒い塊から炎が上がり[新聞 1][判決文 1]、衣類などが地面に残されているのを発見した[新聞 1][新聞 10]。通行人は炎に近づくと、強い異臭がし、炎の中に足が見え、それが人であることを悟って静岡県警三島警察署110番通報し[新聞 1][新聞 10][判決文 1]、駆け付けた三島署員が、運動靴をはいた、身長155cm - 160cmの若い女性とみられる焼死体を発見した[新聞 1][新聞 10]。三島署員が駆け付けた際、近くには被害者が着ていたとみられる茶色のフード付きジャンパーがあり[新聞 1]、被害者の遺体は髪が焼け焦げ、体の表面全体が着衣とともに炭化し、身を屈めるようにして横たわっていた[判決文 1]。静岡県警は自殺・事件の両面で調べ[新聞 1]浜松医科大学司法解剖した結果[新聞 10]、遺体は中肉体形の、髪を茶色に染めた10代から20代の女性で[新聞 9]血液型はA型と判明した[新聞 9][新聞 10]。翌24日、遺体の歯の治療痕や[新聞 10]、女子短大生の両親が23日午後に「子供が前夜から帰宅せず、連絡が取れない」と捜査本部に連絡したこと[新聞 8]、遺体の指紋が女子短大生の学用品に残されたものと一致したことから[新聞 8]、遺体の身元は女子短大生と判明した[新聞 11][新聞 2][新聞 8]。女性の口元に粘着テープが残っており[新聞 11]、また女性が着ていたとみられる茶色のフード付きジャンパーの袖にも[新聞 9][新聞 10][新聞 11]、粘着テープが巻かれ、灯油の容器や着火装置も見つからなかったことや[新聞 9]、焼け残った皮膚に生活反応があることなどから[新聞 9]、静岡県警捜査一課・三島署の捜査本部は[新聞 2]、女性が生きたまま全身に灯油のようなものをかけられ、火を点けられて殺害されたものと断定し、殺人事件として捜査を開始するとともに[新聞 9]、女性がアルバイト先の居酒屋から自転車で帰宅する途中に何者かに襲われ、粘着テープで縛られて現場まで拉致されたとみて、遺体で発見されるまでの約3時間半の足取りを追った[新聞 2]。遺体発見現場の市道は[新聞 9]、JR三島駅から北東約4km離れた、箱根の山林内を抜ける道路で[新聞 10]、夜間はほとんど一通りがなく、事件の2年前(1999年及び2000年)にも現場周辺で女性の死体遺棄事件があったため、現場周辺の住民の間には衝撃が走った[新聞 9]

Hは事件2日後の1月25日夜、函南町内の国道136号で、犯行に使ったステーションワゴンを運転中にUターンする際、前から来た乗用車に接触し、運転していた男性と同乗の女性の首にそれぞれ全治2週間の怪我を負わせ、そのまま逃走する当て逃げ事故を起こした[新聞 12]。Hは目撃されたナンバープレートから三島署に身元を特定され、2月28日に同署に出頭し[新聞 12]道路交通法違反(ひき逃げ)[新聞 12]業務上過失傷害などの容疑で三島署に逮捕された[新聞 13][新聞 12]。その後、Hは静岡地方裁判所沼津支部で受けた懲役1年6月の有罪判決が確定し[新聞 13]、本事件で逮捕される直前まで刑務所に服役していた[新聞 13][新聞 12]

女子短大生が乗っていた婦人用の自転車が現場から見つからず[新聞 2][新聞 14]、また携帯電話、財布、バッグなどの所持品もすべて無くなり[新聞 15][新聞 16]、携帯電話はかけても通話できない状態だったことから[新聞 14]、捜査本部は犯人が持ち去った可能性もあるとみて[新聞 15]、現場周辺[新聞 14]・JR三島駅前のアルバイト先と女子短大生宅を結ぶ約4kmのルートなどを捜索するなど[新聞 16]、捜査を続けるとともに、携帯電話の通話記録を調べた[新聞 15]。その後の捜査で、女子短大生の携帯電話は、23日午前零時半頃に帰宅が遅いことを心配した両親が電話してもつながらず、この頃には既に通話不能になっていたことが、26日に判明した[新聞 16]。女子短大生は、アルバイトが終わると、普段は携帯電話で自宅に「これから帰る」と、帰宅予定を告げる電話連絡をしていたが、失踪した日の夜はその連絡がなかったことが27日に判明した[新聞 17]。このことから捜査本部は、女子短大生がアルバイト先を出た直後に事件に巻き込まれたとみて調べるとともに、自転車・携帯電話などの遺留品の発見に全力を挙げた[新聞 17]。捜査本部は28日、所在不明となった自転車の特徴として、ブリヂストンサイクル製の女性向け車種「スリースター」で、フレームは黒、泥除けがシルバーで、女子短大生が昨春に卒業した静岡県立三島南高等学校のステッカーが貼られていることなどを発表した[新聞 18]。また、捜査本部は犯行に使われた灯油と、市内のガソリンスタンドなどで売られている灯油を分析し、購入先の特定を進めた[新聞 19]

事件発生から1か月になる2月23日までに、捜査本部の調べで、被害者がアルバイト先から帰宅した直後の午後11時過ぎ、国道136号沿いの三島市青木の住民が、女性の悲鳴を聞いていたことが判明した[新聞 20]。それまでの調べでも、被害者宅から約1km離れた国道136号沿いのガソリンスタンドの防犯カメラに22日夕方、アルバイト先に通勤中の被害者の姿が映っていたため、捜査本部は、被害者は帰り道も同じ道を通った可能性が高いとみて、136号沿いを中心に目撃情報がないか聞き込み捜査を続けた[新聞 20]。事件現場から検出された灯油を分析した結果、三島市内のガソリンスタンド2軒で販売されていた灯油と成分が似ていることが判明したが、販売元は特定できなかった[新聞 20]。被害者の携帯電話には、友人・家族以外の不審な通話記録は残っておらず、被害者と事件の接点は全く見えなかった[新聞 20]

事件現場は、粗大ごみ不法投棄が問題となっていた箱根山系西麓にあるため、三島市が6月1日に実施したごみの一斉回収に伴い、三島署は事件の遺留品の捜索協力を三島市に要請した[新聞 21]。地元住民や市職員ら計約1000人が参加し、市内8か所で午前9時から約2時間行われた作業では、テレビジョン6台、冷蔵庫4台、洗濯機1台など計7t余りの粗大ごみが回収されたが、遺留品は発見されなかった[新聞 21]

6月23日に事件発生から半年を迎えたが、それまでの調べでは被害者周辺に目立ったトラブルは見当たらず、携帯電話にも不審な通話記録はなかったため、捜査本部は通り魔的犯行の可能性を視野に捜査を進めていたが、同日付『読売新聞』朝刊では捜査が難航していたかのように報道されていた[新聞 22]。しかしこの日までに、捜査本部が不審者の割り出しを進めたところ[新聞 13][新聞 23]、夜間に市内を車で走り回ることが多く[新聞 23]、事件2日後に当て逃げ事故を起こして有罪判決が確定し、刑務所に服役していた男H(当時30歳、三島市内の建設作業員)が浮上していた[新聞 13]。HのDNA型が現場の遺留物と一致したことから[新聞 13][新聞 12]、捜査本部は23日午前、Hを重要参考人として任意の事情聴取を開始した[新聞 13][新聞 12]。Hは容疑を否認したが、その一方で「事件の夜、被害者とコンビニエンスストアで会った」などと供述したことから、捜査本部は同日、Hを逮捕・監禁(1月22日午後11時頃、三島市青木の国道136号沿いの路上で、自転車で帰宅途中の被害者を自車に押し込めて監禁し、翌23日午前2時半頃まで同市内周辺を車で連れ回した容疑)、強盗(現金約1万円入りの財布・携帯電話を奪うなどした容疑)などの容疑で逮捕し、同時に殺人容疑での追及を開始した[新聞 23]

翌24日、捜査本部の取り調べで、Hは被害者を拉致するのに使った車(スバル製・1990年式の黒いステーションワゴン車検切れ)を、証拠隠滅のため処分した疑いが判明した[新聞 24]。H宅の大家の男性は『読売新聞』の取材に対し「1月にHが『車を買い替える』と言って、車庫証明を求めて訪れた。今思えば、これは事件に関係していたかもしれない」と語っており[新聞 23]、またHは当て逃げ事故の公判でも、車の所在については「処分した」としか話していなかった[新聞 24]。捜査本部は、この車に証拠が残っている可能性が高いとみて発見を急いだ[新聞 24]

7月25日、捜査本部はHを逮捕・監禁容疑などで静岡地方検察庁沼津支部に送検した[新聞 25]。Hは逮捕直後、逮捕・監禁や強盗などの容疑をすべて否認していたが、24日になって逮捕・監禁容疑を認める供述を始めた[新聞 25]。しかし供述の内容にはあいまいな点が多く、強盗などの容疑は依然として否認した[新聞 25]。また、所在不明になっていたHの黒いステーションワゴンは事件直後、函南町内の自動車解体工場で処分されていたことも判明した[新聞 25]

Hは逮捕当初から、事件当夜に被害者にあったことは認めたが、殺害については「一緒にいた外国人がやった」などと供述して否認していた[新聞 26]。しかし、7月30日までに一転して「被害者に灯油をかけて焼いた」[新聞 26]、「灯油は家にあったものを使った」などと[新聞 27]、殺害を認める供述を始めた[新聞 26]。同日、Hの「被害者の自転車は狩野川に捨てた」という供述を受け、捜査本部が機動隊のダイバー15人を投入し、沼津市の狩野川河口付近の港大橋付近を捜索したところ、午後2時50分になって、水深約1.6mの川底で、婦人用の自転車が泥に埋まっているのが発見された[新聞 26]。車体番号などから、捜査本部は自転車を所在不明だった被害者のものと断定した[新聞 26]。また、捜査本部は同日までに、関係先から粘着テープを押収しており、Hが被害者を拘束するのに使ったとみて分析を進めた[新聞 26]。翌31日までに、捜査本部はH宅から、犯行に使われたとみられるプラスチック製の灯油タンクを押収した[新聞 27]。捜査本部は、事件に関わる重要な物証とみて、タンクに残った灯油と、事件現場から採取した灯油の成分の比較を進めた[新聞 27]。Hは捜査本部の取り調べに対し、被害者にまだ息があったことを知りながら焼き殺したことを認めたが、犯行の動機や状況についてはなお不自然な供述も多く追及を進めた[新聞 27]。8月2日までの取り調べに対し、Hは「顔を見られたので、灯油をかけライターで火をつけて殺した」と、殺害について動機を含めて具体的な供述をした[新聞 28]。静岡地検沼津支部は同日、Hの10日間の拘置延長を静岡地方裁判所沼津支部に請求し、許可された[新聞 29]

捜査本部は、Hが「顔を見られたので殺した。犯行に使った灯油は、被害者を車に乗せたまま、いったん家に取りに帰った」など具体的な供述をし、殺人についても容疑を認めたことから[新聞 30]、8月13日にHを殺人容疑で再逮捕した[新聞 31]。狩野川で発見された被害者の自転車、その他失われた被害者の携帯電話などの所持品についてHは「犯行後、拉致現場に取りに戻り、1月23日の夜に橋の上から投げ捨てた」「携帯電話などは犯行後に焼いて処分した」など、証拠隠滅の手段を具体的に供述した[新聞 31]。捜査本部は15日、Hを殺人容疑で静岡地検沼津支部に追送検した[新聞 32]

刑事裁判

静岡地方検察庁沼津支部は9月3日、Hを殺人、逮捕・監禁などの罪状で、静岡地方裁判所沼津支部に起訴した[新聞 33]。それまでの調べでHは、たまたま出会った被害者をわいせつ目的で呼び止めて、無理矢理車の後部座席に押し込み「俺の顔を見ただろう。警察に言うと殺すぞ」などと脅迫し、そして被害者を『身元を隠すため』焼き殺したことなどを供述しており、また、殺害直前に手や口を粘着テープで縛ったとされた[新聞 33]。また、Hは狩野川に自転車を捨てた他、携帯電話・財布などの被害者の所持品は、沼津市内のコンビニエンスストアのごみ箱に捨てたり、友人宅で燃やすなどして証拠隠滅を図っていた[新聞 33]。一方で、Hは事件があった時期に覚醒剤を使用していたことを認めたが、物証が得られなかったため、覚せい剤取締法違反での立件は見送られた[新聞 34]

第一審(静岡地裁沼津支部)

2002年11月12日、静岡地方裁判所沼津支部(高橋祥子裁判長)でHの初公判が開かれた[新聞 35]検察側は冒頭陳述で「Hは職場に忘れ物を取りに戻る途中、アルバイト先から自転車で帰宅途中の被害者を路上でたまたま見かけた。被害者が通り過ぎると、Hは車で先回りして、三島市青木の国道沿い駐車場で待ち伏せ、再度声を掛けたが断られたため、被害者を無理矢理車の後部座席に押し入れ、チャイルドロックをかけて監禁し、自転車を人目に付かない駐車場に投げ込んだ。監禁後、一時は被害者を解放することも考えたが、覚醒剤を所持している知人からの電話で心情が変化し、覚醒剤を早く注射したいという焦りと、『帰したら警察に通報される』という不安から、短絡的な凶行に及んだ」と断じた[新聞 35]。Hは起訴事実を大筋で認めた[新聞 35]

第2回公判は事件から1年となる2003年(平成15年)1月24日に開かれ、検察側が被害者遺族(被害者の両親)らの調書を朗読した[新聞 36]。父親の調書はあの日、あの子に一体何が起きたのか。なんであんなむごい殺され方をしなければならなかったのか。犯人の口から聞きたい。明るくて優しい自慢の娘でした」などの内容で、母親の調書も、変わり果てた娘の遺体に対面した悲しみなどを訴えるものだった[新聞 36]

第3回公判は2月20日に開かれ、この日は弁護側の陳述が行われた[新聞 37]。弁護側は「被害者を車の助手席に乗せ、ひと気が無い解放場所を探していたところ、被害者が車から飛び降りた。そのため、Hは車を停めてまた被害者を乗せ、場所を探した。灯油をかけたときは、(検察側主張と異なり)気を失った状態で、正座をさせていたわけではない」などと主張した[新聞 37]

3月20日に開かれた第4回公判では被告人質問が行われ、Hは犯行後に覚醒剤を使用していたことを認めた[新聞 38]。また、Hは「被害者が三島市内で、一度車から飛び降りて逃げようとしたが、再び車に連れ戻した」と述べ、この事実を隠していた点については「罪が重くなると思って言わなかった」と話した[新聞 38]

10月9日に論告求刑公判が開かれ、検察側はHに死刑求刑した[新聞 39]。検察側は論告で「人間性のかけらも認められない非道、残虐な犯行で、到底許すことなどできず、無惨な死を遂げた被害者の無念は言い尽くせない」「通り魔的な事件の中でも最も悪質な犯行で、極刑で臨むほかない」と犯行を非難した[新聞 39]

10月30日の公判で弁護側の最終弁論が行われ、弁護側は「計画的犯行ではなく、Hは反省しており、矯正の可能性はある」として死刑回避を求め、無期懲役か有期懲役が相当と主張し、結審した[新聞 40]。最後に発言を求められたHは「自分のしたことでこれだけの人に迷惑をかけて、本当にすみませんでした」と述べた[新聞 40]。当初判決期日は12月18日を予定していたが[新聞 40]、翌2004年(平成16年)1月15日に延期された[新聞 41]

2004年1月15日に判決公判が開かれ、静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)は、Hに無期懲役判決を言い渡した[新聞 34]。静岡地裁沼津支部は判決理由で「火を点けた時、被害者は既に死亡しているかもしれないと思った」とするHの主張を退け、「犯行の発覚を恐れ、身元がわからないように焼殺した」との検察側主張を認定した上で、「人間的な思考に欠けた冷酷な性格、残虐極まりない犯行で社会的影響は大きい。矯正教育をしても犯罪性向を改めるのは困難である」と犯行を非難しながらも、Hが反省の態度を示していること、犯行に計画性がうかがえないこと、劣悪な環境で育ったことなどを挙げ、「規範的な人間性がわずかながら残されており、死刑とするにはなお躊躇いがある。終生、贖罪の日々を送らせるのが相当である」と結論付けた[新聞 34]。被害者の姉は判決後、報道陣の取材に対し「犯人を殺せる方法は死刑しかないのに…悔しい。Hは反省しているようには思えなかった」と語った[新聞 34]。冒頭の主文に続いて約40分間の判決理由が読み上げられ、閉廷後、Hは傍聴席を振り返って友人に軽く手を上げ、「おう」と小さな声を掛けて退廷した[新聞 34]。裁判官3人は、後半の途中から死刑求刑を予想し、死刑か無期懲役かの判断になるという前提で議論を重ねた結果「従来の量刑の傾向から見ると、ボーダーラインというよりは無期懲役に近いケースだと思った」として死刑を回避したが、一方で「被害者感情を重視する世論が高まっている時期だった」(裁判官の1人)ことから、判決後、裁判所には非難の電話が相次いだ[新聞 42]

静岡地検沼津支部は量刑不当を理由に判決を不服として、1月28日付で東京高等裁判所控訴した[新聞 43]。Hも量刑不当を理由に、2月12日までに東京高裁に控訴した[新聞 44]

控訴審(東京高裁)

東京高等裁判所での控訴審初公判は2004年10月14日に開かれ、検察側は「冷酷、残虐な犯行で反省も見られない。殺人などの前科がなく、殺害された被害者が1人であっても、極刑を回避しては司法に対する信頼が揺らぐ」と控訴理由を述べ、死刑適用を求めた[新聞 45]。弁護側は「途中で殺害を迷うなど計画性はなく、無期懲役は重過ぎる」と主張し、有期懲役刑を求めた[新聞 45]。12月の公判で行われた被告人質問でHは、控訴理由について「少しでも刑を軽くしたかった」と述べた[新聞 5]。裁判長を務めた田尾健二郎は、この時点で裁判官になってから36年の豊富なキャリアを持ち、数多くの刑事裁判を手掛け、東京地方裁判所に所属していた際には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件宮崎勤に死刑判決を言い渡したこともあった[新聞 42]。田尾は本事件を担当することになったのを受け、同年初夏に第一審の判決文を読んだが、その際に「『親に経済的な負担をかけまいと地元の居酒屋でアルバイトをしていた、真面目な学生だった被害者が、アルバイトの帰り道で見ず知らずの男に車で拉致され、乱暴された挙句、山中の路上で体を縛られた状態で灯油をかけられ、火を付けられて殺される』という不条理でやりきれない事件であることを知り、『あまりにひどい』と思った」「(死刑を回避して無期懲役を選択したのは)これでいいのだろうか、という違和感に近い疑問」を感じたといい、その上で「死刑か無期懲役か、すべての情状を判断しなければ結論が出ない、難しい事件だ」と気を引き締めた[新聞 42]。被告人の責任能力が争点になった宮崎の事件と違い、本事件では事実関係に争いはなく、争点は殺害された被害者数が1人の事件において、死刑を適用することの妥当性だった[新聞 42]。その上で、検察側・弁護側それぞれの立場から事件記録を見る作業を、陪席裁判官2人とともに何度も繰り返し、それぞれの考えを慎重に突き詰めてから合議に入った[新聞 42]

控訴審は翌2005年(平成17年)1月18日の公判で結審し、この日は被害者の父親が検察側証人として出廷し「娘のところに行って土下座して謝ってもらいたい」と涙ながらに語り、死刑を求めた[新聞 46]。被害者の父親の供述調書には「同じように火をつけてHを殺してやりたい。どれだけ熱いか、どれだけ怖いか、どれだけ苦しかったか思い知らせてやりたい」とあり、捜査に関わった検察官は『読売新聞』の取材に対し「被害者遺族は涙も出ないほど憔悴し、抜け殻のようになっていた」と振り返った[新聞 42]。田尾は第一審が指摘した「周到な計画に基づく犯行ではない」「Hの前科に殺人などの犯罪は見当たらない」など、死刑回避の理由を1つずつ検討し、その上で「計画性はないが、Hは犯行直後に灯油のポリタンクを自宅に戻すなど、証拠隠滅を図っていた」「これまでに少年院・刑務所に入り、仮釈放から1年も経たないうちに犯行に及んだ」ことなどから、「第一審がどこで悩んだかはよく分かったが、生きたまま焼殺するという犯行態様の残虐さに比べれば、どれも被告人に有利な事情とは認められない」という心証を固めていき、合議の末に「極刑しかない」という結論に至った[新聞 42]

3月29日に控訴審判決公判が開かれ、東京高裁(田尾健二郎裁判長)は「被害者には何ら落ち度はなく、犯行の動機は誠に身勝手で、殺害方法も残虐極まりなく、冷酷、非情だ」と述べ、第一審の無期懲役判決を破棄し、検察側の求刑通り、Hに死刑判決を言い渡した[判決文 1][新聞 5]。東京高裁は判決理由で「監禁後、Hが殺害を躊躇したのは、殺害が発覚すれば重い罪で処罰されることを恐れたためで、専ら自己保身に基づく。周到に殺害を計画していないことを強調するのは相当ではない」と断じ、生活環境については「Hと同じ環境で育った兄弟に犯罪歴はない」と指摘した上で、「体を縛られた状態で焼き殺された被害者の無念はいかばかりか」と述べた[新聞 5]。そして、犯行後の冷静な証拠隠滅活動などを指摘した上で、「覚醒剤を打ちたいと考えて被害者を生きたまま焼き殺すという人間性を欠いた被告人の行為には、慄然とせざるを得ない」と断罪した[新聞 5]。公判で意見陳述に立ち「人間のすることじゃない。同じようにしてやりたい気分だ」と語っていた被害者の父親は「思っていることが通じた。当たり前の判決です。帰ってすぐに報告したい。ただ、報告しても娘が帰って来るわけではない」とコメントし、被害者の高校時代の恩師は「亡くなった人は帰ってこないけど、裁判長がいい判断をしてくれたのはありがたい」と語った[新聞 5]。死刑選択基準の判例として、1983年に最高裁判所から「永山基準」が示されて以降、殺害被害者数が1人の事件では、身代金誘拐保険金殺人など計画性が高い利欲目的の場合や、過去に無期懲役刑で服役し、仮釈放中に再犯した場合を除き、死刑を回避する傾向が強かったため[注釈 1]、利欲目的でなく、殺人の前科もないHに死刑判決が言い渡されたのは極めて異例だが、土本武司(当時・帝京大学教授)は「注目すべき判決。複数の命でないと犯人1人の命に匹敵しないというのは不自然。この判決は重要な先例となるだろう」と評価した[新聞 5]。裁判長として死刑判決を言い渡した田尾は後に『読売新聞』の取材に対し「(死刑判決を言い渡したとはいえ)被害者遺族の処罰感情はそれほど重視しなかった」と言い、被害者の人物像を判決理由の中で述べた際も、感情的な言い回しを極力避けたが、「苦悶のうちに命を失うこととなった被害者の短い一生を思う時、深い哀れみを覚えざるを得ない」という一言だけは、自身の心情を判決文に入れたという[新聞 42]。静岡地裁沼津支部で第一審を担当した裁判官の1人は、自分たちが言い渡した無期懲役判決が破棄され、死刑が言い渡されたことをニュースで知ったが「それもまた1つの判断。第一審は審理を尽くしたが、高裁は別の見方をした」と受け止めたという[新聞 42]

Hの弁護人は「被害者の数について言及されなかった点は疑問」と判例違反を主張し[新聞 5]、翌30日付で最高裁に上告した[新聞 47]

上告審(最高裁)

最高裁判所第二小法廷(古田佑紀裁判長)は2007年(平成19年)10月22日までに、上告審口頭弁論公判の開廷期日を12月17日に指定した[新聞 48]

12月17日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれた[新聞 49][新聞 50]。弁護側は、殺害された被害者が1人だったことなどを挙げ「死刑適用基準を示した最高裁判例『永山基準』を明らかに逸脱しており、判例違反である。本件以上に残虐で悪質な犯行があることも否定できず、死刑が誠にやむを得ないとまでは言えない」などと主張し[新聞 49][新聞 50]、Hが被害者遺族に謝罪の手紙を書いていることなどから「更生の可能性がある」と述べ[新聞 49]、死刑回避を求めた[新聞 49][新聞 50]。一方、検察側は「『永山基準』は殺害された被害者が複数でなければ死刑を選択できない、と判断したものではない」と反論し、「犯行は極めて冷酷、残虐で、通り魔的なものであり、地域社会に与えた衝撃も大きく、Hの犯罪性向に改善の余地はない」として上告棄却を求めた[新聞 49][新聞 50]

最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は2008年(平成20年)2月12日までに、判決公判期日を同月29日に指定した[新聞 51]

2008年2月29日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で判決公判が開かれ、最高裁は「意識のある人間に火をつけて殺すという残虐な殺害方法などからすれば、死刑はやむを得ない」などと述べ、控訴審の死刑判決を支持し、Hの上告を棄却する判決を言い渡した[新聞 6][新聞 52]。これにより、Hの死刑判決が確定することとなった[新聞 6][新聞 52]。「永山基準」が示されて以降、殺害された被害者数が1人で、強盗や身代金誘拐・保険金殺人などの「利欲的目的」がなく、殺人前科もない被告人に対し、最高裁で死刑判決が支持されて確定に至るのは極めて異例なケースだった[新聞 6]。静岡地裁管内で第一審が行われた刑事裁判で死刑判決が確定するのは、1971年7月に静岡地裁沼津支部にて、強盗殺人罪などで死刑判決を受け、後に確定した死刑囚以来だった[新聞 6]。この判決について、渥美東洋(当時・京都産業大学教授)は「拷問に等しいような犯行で、死刑は当然だ。犯罪が多様化し、被害者の数だけで量刑を決められるような時代ではない。判決は死刑適用の具体的事例として、新たな1つの基準が加わったとみることができる」と、石塚伸一(当時・龍谷大学教授)は「被告人の更生の可能性に触れているのに、死刑を選択したことは従来より厳しいと言わざるを得ない。判決文では、死刑選択の理由に後向きな表現が目立つが、高裁の死刑判決を覆すには至らなかった」と、それぞれ『読売新聞』2008年3月1日東京朝刊静岡県面の記事上でコメントした[新聞 6]

Hの弁護人は死刑判決の破棄を求め、最高裁第二小法廷に判決の訂正を申し入れた[新聞 53][新聞 54]。しかし申し立ては3月17日付の決定で棄却され、Hの死刑判決が確定した[新聞 53][新聞 54]

死刑執行

2012年(平成24年)8月3日法務省滝実法務大臣)の死刑執行命令により、東京拘置所死刑囚として収監されていたHの死刑が執行された[新聞 3][新聞 4][その他 1]。同日には京都・神奈川親族連続殺人事件の死刑囚の死刑も執行された[新聞 3][新聞 4][その他 1]

参考文献

刑事裁判の判決文

  • 東京高等裁判所刑事第6部判決 2005年(平成17年)3月29日 『判例時報』第1891号166頁、『高等裁判所刑事裁判速報集(平17)号』71頁、D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28105234、平成16年(う)第605号、『逮捕・監禁強姦殺人被告事件』、”1.被害者を力ずくで自車に引き込み、逮捕・監禁して、山間の畑地に連れて行って強姦し、更に、被害者に灯油をかけて焼き殺した事案につき、被告人に無期懲役を言い渡した一審判決を破棄し、死刑を言い渡した事例。2.被害女性を自己の車内に押し込み逮捕・監禁したうえ強姦し、さらに犯行の発覚を恐れるなどして同女を殺害した事例につき、無期懲役を言い渡した原判決を破棄して死刑を言い渡した事例。”。
    • 判決内容:原審破棄・死刑(被告人側上告)
    • 裁判官:田尾健二郎(裁判長)・鈴木秀行・山内昭善
  • 最高裁判所第二小法廷判決 2008年(平成20年)2月29日 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁、D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28145284、裁判所ウェブサイト掲載判例、平成17年(あ)第959号、『逮捕・監禁、強姦、殺人被告事件』「被害者1名の殺人等の事案につき死刑の量刑が維持された事例(三島女子短大生焼殺事件)」。

脚注

注釈

  1. ^ 同じく「永山基準」が示された1983年以降に発生した、身代金誘拐・保険金殺人を除く、無期懲役刑の前科がない、殺害被害者数1人の殺人事件で、最高裁で死刑が確定したケースとしては、横浜中華街料理店主射殺事件名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件JT女性社員逆恨み殺人事件の3例が挙げられるが、1件目・2件目は強盗殺人事件で、2件目・3件目の死刑囚は殺人の前科(有期懲役刑が確定し服役、満期出所後の犯行)がある。また、殺人の前科がない1件目の死刑囚も、銃を使用した犯行であり、これとは別に強盗殺人未遂事件・放火事件を起こしていた。

出典

判決文

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 東京高裁、2005年3月29日判決 事件番号:平成16年(う)第605号

新聞報道

  1. ^ a b c d e f g h i 読売新聞』2002年1月23日東京夕刊第二社会面14面「道路工事現場で若い女性が焼死/静岡・三島」
  2. ^ a b c d e f g h 読売新聞』2002年1月25日東京朝刊社会面35面「静岡・三島の焼殺女性は短大生、アルバイトの帰り」
    『読売新聞』2002年1月25日東京朝刊静岡県面28面「三島の短大生焼殺 バイト帰り、襲われる? 粘着テープで縛られ…静岡」
  3. ^ a b c d 『読売新聞』2012年8月3日東京夕刊1面「2人の死刑執行 三島短大生焼殺事件など」
    『読売新聞』2012年8月3日東京夕刊第二社会面18面「2人死刑 法相 執行に強い姿勢(解説)」
    『読売新聞』2012年8月4日東京朝刊静岡県面33面「『悲しく悔しい気持ちは今も』死刑執行で被害者の父=静岡」
  4. ^ a b c d “2人の死刑執行 静岡の短大生殺害など 野田政権で2回目”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2012年8月3日). オリジナル2017年8月7日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170807112435/http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0301K_T00C12A8CC0000/ 2017年8月7日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』2005年3月29日東京夕刊社会面27面「三島の短大生焼殺 東京高裁が無期破棄、死刑判決 『極めて残虐、非情』」
    『読売新聞』2005年3月30日東京朝刊静岡県面32面「遺族ら『思い通じた』 三島の女子短大生殺人、被告に死刑判決=静岡」
  6. ^ a b c d e f 『読売新聞』2008年3月1日東京朝刊社会面39面「静岡・三島の短大生焼殺 元建設作業員の死刑確定へ」
    『読売新聞』2008年3月1日東京朝刊静岡県面33面「短大生殺害上告審 残虐性重視の判決 死刑でも『娘は帰らぬ』=静岡」
  7. ^ a b 『朝日新聞』1995年5月23日朝刊静岡県面「強盗致傷容疑で2人逮捕 沼津署 /静岡」
  8. ^ a b c d e 『東京新聞』2002年1月25日朝刊社会面27面「三島の殺人 被害者は上智短大生」
  9. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2002年1月24日東京朝刊社会面35面「静岡・三島の工事現場に女性遺体、全身に灯油? 生きたまま焼かれる」
    『読売新聞』2002年1月24日東京朝刊静岡県面30面「三島の工事現場に女性焼死体 生きたまま焼く 住民、残忍犯行に驚き=静岡」
  10. ^ a b c d e f g h 中日新聞』2002年1月24日朝刊社会面31面「若い女性焼殺される 生きたまま灯油まかれ? 静岡・三島」
    『中日新聞』2002年1月24日夕刊社会面11面「三島の焼殺体は 市内の19歳女性」
    東京新聞』2002年1月24日朝刊社会面27面「若い女性焼殺される 三島の工事現場 そで口に粘着テープ」
    『東京新聞』2002年1月24日夕刊社会面11面「焼殺被害者が判明 三島の19歳」
  11. ^ a b c 『読売新聞』2002年1月24日東京夕刊社会面19面「焼殺女性の身元、三島市内の19歳と判明」
  12. ^ a b c d e f g 『中日新聞』2002年7月23日夕刊社会面13面「三島女子短大生焼殺 重要参考人 男性を聴取 作業員 遺留品のDNA一致」
    『東京新聞』2002年7月23日夕刊社会面13面「三島の学生焼殺 重要参考人を聴取」
  13. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2002年7月23日東京夕刊社会面19面「静岡・三島の短大生焼殺 別件で服役中の男聴取 現場遺留物とDNA一致」
  14. ^ a b c 『読売新聞』2002年1月26日東京朝刊静岡県面30面「三島の女子短大生焼殺 自転車は婦人用=静岡」
  15. ^ a b c 『読売新聞』2002年1月25日東京夕刊社会面19面「静岡・三島の女性焼殺 所持品なくなる」
  16. ^ a b c 『読売新聞』2002年1月27日東京朝刊静岡県面36面「三島の短大生焼殺 発見2時間前に通話不能 携帯電話依然見つからず=静岡」
  17. ^ a b 『読売新聞』2002年1月28日東京朝刊静岡県面32面「三島の短大生焼殺事件 帰宅の電話連絡なし バイト先出た直後襲われる?=静岡」
  18. ^ 『読売新聞』2002年1月29日東京朝刊静岡県面32面「三島の短大生焼殺 不明の自転車、特徴公開 三島南高のステッカー=静岡」
  19. ^ 『読売新聞』2002年1月31日東京朝刊静岡県面28面「三島の短大生焼殺 灯油の購入先特定へ分析急ぐ=静岡」
  20. ^ a b c d 『読売新聞』2002年2月23日東京朝刊静岡県面32面「三島の女子短大生焼殺 11時過ぎ、女性の悲鳴=静岡」
  21. ^ a b 『読売新聞』2002年6月2日東京朝刊静岡県面34面「三島のごみ一斉回収に1000人 短大生焼殺の遺留品捜索も=静岡」
  22. ^ 『読売新聞』2002年7月23日東京朝刊静岡県面30面「三島の短大生焼殺事件きょう半年 通り魔可能性も 不審者洗い出しに全力=静岡」
  23. ^ a b c d 『読売新聞』2002年7月24日東京朝刊社会面35面「三島の短大生焼殺 30歳を監禁容疑で逮捕/静岡県警」
    『読売新聞』2002年7月24日東京朝刊静岡県面30面「三島の短大生焼殺 悲鳴、○○さんだった? 服役中の男を逮捕=静岡」
  24. ^ a b c 『読売新聞』2002年7月25日東京朝刊静岡県面32面「三島の短大生焼殺 逮捕監禁容疑などで逮捕の男、連れ去った車処分か=静岡」
  25. ^ a b c d 『読売新聞』2002年7月26日東京朝刊静岡県面30面「三島の短大生焼殺逮捕監禁 H容疑者、供述始める=静岡」
  26. ^ a b c d e f 『読売新聞』2002年7月31日東京朝刊社会面35面「静岡・三島の女子短大生焼殺 『灯油かけ焼いた』 H容疑者が供述」
    『読売新聞』2002年7月31日東京朝刊静岡県面30面「三島の短大生焼殺 狩野川から自転車 拘束用?粘着テープも押収=静岡」
  27. ^ a b c d 『読売新聞』2002年8月1日東京朝刊静岡県面30面「三島の短大生焼殺 供述通り、容疑者宅から灯油タンク 捜査本部が押収=静岡」
  28. ^ 『読売新聞』2002年8月3日東京朝刊社会面35面「静岡・三島の短大生焼殺 『顔見られ殺した』 容疑者供述」
  29. ^ 『読売新聞』2002年8月4日東京朝刊静岡県面28面「三島の短大生焼殺 H容疑者の拘置を延長=静岡」
  30. ^ 『読売新聞』2002年8月13日東京朝刊静岡県面32面「三島の焼殺 殺人容疑できょう再逮捕=静岡」
  31. ^ a b 『読売新聞』2002年8月14日東京朝刊静岡県面24面「三島の短大生焼殺 殺人容疑で建設作業員再逮捕 携帯電話焼いて処分?=静岡」
  32. ^ 『読売新聞』2002年8月16日東京朝刊静岡県面24面「三島の短大生焼殺 容疑者を送検=静岡」
  33. ^ a b c 『読売新聞』2002年9月4日東京朝刊静岡県面30面「三島の短大生焼殺 『身元隠し』目的と供述 H容疑者を起訴=静岡」
  34. ^ a b c d e 『読売新聞』2004年1月15日東京夕刊第二社会面18面「女子短大生焼殺に無期判決 反省考慮…遺族『悔しい』/静岡地裁」
    『読売新聞』2004年1月16日東京朝刊静岡県面26面「三島の短大生焼殺に無期 天仰ぎ、遺族ため息 判決、反省など考慮=静岡」
  35. ^ a b c 『読売新聞』2002年11月12日東京夕刊第二社会面18面「女子短大生焼殺、起訴事実認める/静岡地裁沼津支部」
    『読売新聞』2002年11月13日東京朝刊静岡県面32面「女子短大生焼殺初公判 偶然見かけ犯行、警察通報恐れ殺害=静岡」
  36. ^ a b 『読売新聞』2003年1月24日東京朝刊静岡県面30面「三島の短大生焼殺公判 両親らの調書朗読=静岡」
  37. ^ a b 『読売新聞』2003年2月21日東京朝刊静岡県面32面「三島の短大生焼殺公判 弁護側が陳述=静岡」
  38. ^ a b 『読売新聞』2003年3月21日東京朝刊静岡県面32面「三島の短大生焼殺公判 犯行後に覚せい剤使用認める=静岡」
  39. ^ a b 『読売新聞』2003年10月10日東京朝刊社会面39面「静岡・三島の女子短大生焼殺 H被告に死刑求刑」
    『読売新聞』2003年10月10日東京朝刊静岡県面32面「女子短大生焼殺に死刑求刑 『非道、残虐』厳しく指弾 論告公判=静岡」
  40. ^ a b c 『読売新聞』2003年10月31日東京朝刊静岡県面32面「短大生焼殺事件結審 『矯正可能性ある』 弁護側『懲役刑が相当』と主張=静岡」
  41. ^ 『読売新聞』2004年1月15日東京朝刊静岡県面32面「三島の短大生焼殺きょう判決 残虐さ、社会に衝撃 犠牲1人、求刑は死刑=静岡」
  42. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2009年2月26日東京朝刊1面「[死刑]選択の重さ(1)女性焼殺「無期でいいのか」(連載)」
  43. ^ 『読売新聞』2004年1月29日東京朝刊静岡県面32面「三島の短大生焼殺に無期刑 検察が控訴=静岡」
  44. ^ 『読売新聞』2004年2月13日東京朝刊静岡県面32面「三島の女子短大生焼殺で被告側も控訴=静岡」
  45. ^ a b 『読売新聞』2004年10月15日東京朝刊静岡県面32面「三島短大生殺人控訴審 検察側『極刑回避しては司法への信頼揺らぐ』=静岡」
  46. ^ 『読売新聞』2005年1月19日東京朝刊静岡県面30面「三島の女子短大生焼殺 判決は3月29日=静岡」
  47. ^ 『読売新聞』2005年3月31日大阪夕刊第二社会面14面「静岡・三島の短大生焼殺 死刑判決のH被告が上告」
  48. ^ 産経新聞』2007年10月23日東京朝刊社会面「短大生焼殺被告の弁論は12月17日」
  49. ^ a b c d e 『読売新聞』2007年12月18日東京朝刊静岡県面35面「三島の短大生殺害 『2審死刑は判例違反』 弁護側、上告審弁論で主張=静岡」
    『読売新聞』2008年2月29日東京朝刊静岡県面33面「三島の短大生死亡 『殺害1人で死刑』どう判断 きょう最高裁判決=静岡」
  50. ^ a b c d 『産経新聞』2007年12月17日大阪夕刊社会面「女性焼殺被告側 死刑回避求める 最高裁弁論」
    『産経新聞』2007年12月18日東京朝刊首都面「短大生焼殺で上告審弁論 最高裁」
  51. ^ 『産経新聞』2008年2月13日東京朝刊社会面「女子短大生焼殺、29日に判決」
  52. ^ a b 『産経新聞』2008年3月1日東京朝刊社会面「短大生焼殺 死刑確定へ」
  53. ^ a b 『読売新聞』2008年3月20日東京朝刊静岡県面35面「三島の女子短大生焼殺 被告の死刑確定=静岡」
  54. ^ a b 『産経新聞』2008年3月19日東京朝刊社会面「H被告の死刑確定」

その他

  1. ^ a b c d 法務大臣臨時記者会見の概要”. 法務省法務大臣滝実) (2012年8月3日). 2017年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月10日閲覧。

関連項目

「永山基準」以降、最高裁で死刑判決が確定した、殺害された被害者数が1人の事件

※無期懲役刑に処された前科があるもの、身代金誘拐保険金殺人は含まない。