宮崎勤
| 本来の表記は「宮﨑勤」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
| 宮﨑 勤 | |
|---|---|
| 個人情報 | |
| 別名 | 今田 勇子 |
| 生誕 |
1962年8月21日 |
| 死没 |
2008年6月17日(45歳没) |
| 死因 | 絞首刑 |
| 有罪判決 | 殺人罪・死体遺棄罪・誘拐罪・強制性交等罪など |
| 判決 | 死刑 (東京地方裁判所) |
| 殺人詳細 | |
| 犠牲者数 | 4人 |
| 犯行期間 | 1988年8月22日–1989年7月23日 |
| 国 |
|
| 逮捕日 | 1989年8月11日 |
宮﨑 勤(みやざき つとむ、1962年8月21日 - 2008年6月17日)は日本の元死刑囚。連続殺人犯。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の容疑者として逮捕・起訴され、死刑判決が確定し、刑死した人物である。
目次
生い立ち[編集]
- 幼少期
- 東京都西多摩郡五日市町小和田で、地域新聞会社「秋川新聞」を経営する、裕福な一家の長男として出生する[1]。両親は共働きで多忙なため、産まれてまもなく30歳ぐらいの知的障害を持つ子守りの男性を住み込みで雇い入れている[2]。幼少期の勤を、ほとんどこの男性と祖父が面倒をみていた[3]。宮崎家は、曽祖父が村会議員、祖父が町会議員を務めるなど地元の名士であった[4]。家族は祖父、祖母、両親、妹二人の7人である[4]。祖父は引っ込み思案な勤を連れて歩き、可愛がっていた[5]。
- 幼い頃から手首を回せず手のひらを上に向けられない「両側先天性橈尺骨癒合症」(りょうそく せんてんせい とうしゃくこつ ゆごうしょう)[6]に罹患し、当時は日本で症例が150程度の珍しい身体障害があったが、医者から「手術しても100人に1人くらいしか成功しない。日常生活に支障がないなら、手術するにしても、もっと大きくなってからの方がいいだろう」と言われ、両親は「勤は幼い時から掌が不自由なのを気にしており、うまくいかないことを、掌のせいと考えてきたとされる。4歳の時に手術も考えたが、もし、手術して身障者のレッテルを張られたら、勤の将来に悪い結果となると判断し、そのままにした」と、積極的な治療を受けさせなかった[7]。そのため、幼稚園ではお遊戯や頂戴のポーズもできず、周囲からからかわれても幼稚園の先生は何も対応しなかったため「非常に辛かった」と供述している[8]。
- 小学校時代
- 小学生時代は「怪獣博士」と呼ばれるほど怪獣に夢中になったが、クラスの人気者というわけではなかった[9]。成績は上位で、自身は小学校の頃から算数が得意と語り、宮崎の母は「うちの子は英語が得意なの」と自慢するなど、英数の成績は良かった[10]が、国語と社会科を苦手としていた[10]。
- 中学校時代
- 中学生時代は1、2年生の時は陸上部、3年生の時は将棋部に所属し、負けると異常に悔しがり、さまざまな攻略本を読んで負けた相手には必ず勝つまで勝利に執着した[11]。通信教育で空手を習い、空手の型を同級生に見せることがあった[11]。
- 高校時代
- 手の障害を気にして、自宅からの通学に片道2時間を要する男子校であった明治大学付属中野高等学校へ1978年に進学するが、両親は「英語教師になるためにわざわざ遠い高校へ進学した」と勘違いしていた。同級生は「暗く目立たない少年だった」と証言している。高校に入ってからの成績は下降の一途で、本人は明治大学への推薦入学を希望していたが、クラスでも下から数えたほうが早い成績にまで低下して希望を果たす以前の状態であった。
- 短期大学時代
- 高校卒業後の1981年4月、東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学[12]する。この頃はパズルに夢中になり、自作のパズルを専門誌に投稿したり、雑誌のパズル回答者として雑誌に名前が掲載されることもあった[13]。1982年の短期大学在学中にNHKのトーク番組『YOU』のスタジオ収録に友人とともに出かけているが、アナウンサーが近づきインタビューをしようとすると、すぐさま他の出演者の後ろに隠れてインタビューを受けることはなかった[14]。
- 俳優の川崎麻世は短大の同級生であるが、宮﨑の逮捕時のインタビューでは「僕は記憶力が良い方だし、クラスは全部で80人ほどだったから、忘れるはずはないんだが、そんな奴いたかって感じなんだ。同級生にも聞いてみたけど、誰も覚えていなかった」というほど影が薄い存在であった[15]。
- 印刷会社に就職
- 1983年4月の短大卒業後は叔父の紹介で、小平市の印刷会社に就職し、印刷機オペレーターとして勤務[16]。勤務態度は極めて悪く、評判も非常に悪かった[17]。1986年3月に勤めていた印刷会社の上司から神奈川県への転勤を勧められたが本人が拒否した為自己都合退職[18]する[19]。家業を手伝うよう両親が何度か声をかけたが、自室にこもる生活が数ヶ月続いた[20]。9月ごろから家業を手伝い始めるが、広告原稿を受け取りに行く程度の簡単な手伝いであった[21]。
- この頃アニメの同人誌を発行するが、態度や言動から仲間に嫌われ、1回だけの発行で終わっている。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したテレビアニメや特撮番組のビデオを複製し交換・収集するようになるが、持つだけで満足してしまい、テープのほとんどは自ら鑑賞することはなかった[22]。ビデオサークルでは、他の会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていた[23]。逮捕後の家宅捜索では6000本近くのビデオテープを所有していたことが判明する[24]。
- 1988年5月16日、祖父が死去[25]。8月22日に第一の犯行を起こす[26]。1989年3月には晴海のコミックマーケットに漫画作品を出品している[27]。
連続幼女誘拐殺人事件[編集]
逮捕[編集]
1989年7月23日、わいせつ事件を起こそうとしていたところを被害者の父親により取り押さえられ、宮﨑は強制猥褻容疑で現行犯逮捕された[28]。
8月9日から連続幼女誘拐殺人事件への関与を認め、8月10日にその供述どおりに遺体が発見されたことから、同日の夕刊とニュースで宮崎の実名報道が始まる[29]。翌8月11日に連続幼女誘拐殺人事件の容疑で再逮捕された[30]。以後、次々と事件が明るみに出た後、後藤正夫法務大臣は、「死刑くらいでは収まらない残酷な出来事だ」と発言した[31]。
精神鑑定[編集]
1989年8月24日、東京地方検察庁の総務部診断室で簡易精神鑑定を受ける。精神分裂病の可能性は否定できないが、現時点では人格障害の範囲に留まるとされ、これを受けて検察は起訴に踏み切った。初公判では「全体的に、醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか……」と罪状認否で訴えた。
公判開始後の1990年12月より、5人の精神科医と1人の臨床心理学者による精神鑑定が実施される[32]。この鑑定では動物虐待などの異常行動に目が向けられ、祖父の遺骨を食べたことなどは供述が曖昧なため事実ではないとみなされた[33]。1992年3月31日精神鑑定書が提出され、人格障害とされた[32]。祖父の骨を食べた件については弁護側は墓石などが動かされたことを証拠としたが、検察側はそれだけでは確証ではないと反論した[34]。
1992年12月18日より、弁護側の依頼により3人の鑑定医により再鑑定が始まる[33]。1994年12月に鑑定書が提出される[33]。第2回鑑定では1人は統合失調症、2人が解離性同一性障害の鑑定を出した[35]。
裁判[編集]
- 第一審
- 1997年4月14日、東京地方裁判所で死刑判決。判決時の被告は時折周囲をしらけた表情で眺めるくらいで、いつものように机上に広げたノートに何かを書き続けていた。法廷を出る際は、薄笑いを浮かべていた。責任能力に関しては、逮捕時の彼にそのような多重人格や統合失調症を疑わせるような異常な反応は見受けられず、逮捕による拘禁反応とみなした場合に最もうまく説明できることを理由に第2回鑑定は採用されず、責任能力は完全に保たれていたとされた。即日控訴。
- 控訴審
- 2001年6月28日、東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却の判決。同年7月10日、上告。
- 2004年に奈良小1女児殺害事件で被疑者が「第二の宮﨑勤」の発言を行ったことに対し、「精神鑑定も受けずに、『第二の宮崎勤』は名乗らせません」と宮﨑の名を用いたことを雑誌『創』2006年1月号で痛烈に批判した。
- 上告審
- 2006年1月17日、最高裁判所が弁護側の上告を棄却する。弁護側は判決訂正を求めたが、2006年2月1日に棄却される[36]。
死刑執行[編集]
法務大臣鳩山邦夫が執行命令書に署名し、2008年6月17日に東京拘置所で死刑が執行された[37]。
宮﨑は冷静に執行を受け入れ、また宮﨑の母親は遺体との対面後、拘置所に処置を任せたという[38]。
宮﨑の手紙[編集]
雑誌『創』の篠田博之編集長に宛てた手紙には日本の現行の死刑方法における批判がしばしば書かれており、2006年には「踏み板がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどんぞこにおとしいれられるのである」と絞首刑を批判、薬物注射による死刑導入を訴えていた。2007年の書簡には「この国の現行の死刑執行方法だと、死刑確定囚の人は、『私は刑執行時は死の恐怖とたたかわねばならなくなるから、反省や謝罪のことなど全く考えられなくなる』」とも記していた[39]。編集部に宛てた手紙はおよそ300通、内容は拘置所内で読んだ漫画本のタイトルを並べただけの物がほとんどであった。知人にも合計で2000通近くの手紙を拘置所内から送っていた。また、死刑判決が決定してからは独房でアニメビデオを鑑賞することが許可されていた[40]。
動機[編集]
事件の奇異さから憶測が飛び交い、宮崎自身が要領を得ない供述を繰り返していることから、裁判でも動機の完全な特定には到っていない。
鑑定に当たった医師たちによると、彼は本来的な小児性愛者ではなくあくまで代替的に幼女を狙ったと証言されている。第1次精神鑑定鑑定医の保崎秀夫は法廷で「成人をあきらめて幼女を代替物としたようで、小児性愛や死体性愛などの傾向は見られません」と証言し、簡易精神鑑定書は「幼児を対象としているが、本質的な性倒錯は認められず……幼児を対象としたことは代替である」としている。
一方で彼の性愛の対象は、成人の女性より幼女とする幼女性愛、幼女よりその死体とする死体愛、死体よりそれを解体したものとする死体加虐愛、さらにそれをビデオに撮ったものとする拝物愛、へ移っていった、とする意見もある[41]。
アニメ・漫画の影響[編集]
宮﨑が暴力的、性的、猟奇的な内容の漫画やビデオを多数所持していた事から、一部マスコミではそれらの悪影響を主張する意見も見られた。実際はそれら内容の漫画やビデオは、宮崎の膨大なコレクションのごく一部であった。宮崎の趣味の特異性は、むしろジャンルに関係なく無作為に多数の漫画やビデオを収集していた事とされる。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件#影響を参照。
この事件により「有害コミック騒動」が活発化してアニメ・漫画・ゲームなどが青少年に悪影響を及ぼすとする風潮が高まり、マスコミやPTAなどでの議論となった。後の「有害コミック騒動」で、事件の代表格である「幼女連続誘拐事件」が取り上げられている。
家族[編集]
稀に見る凶行であったため、家族へ及んだ影響も大きかった。人々の宮﨑への憎悪はそのまま彼の家族・親族へと波及した。
- 家族・親戚らの境遇
- 宮﨑は両親の他に姉妹二人がいたが、彼らに対して「お前達も死ね」「殺してやる」という旨の嫌がらせの手紙が殺到した[42]。長女は勤めていた会社を辞め、すでに結婚間近だったが自ら婚約を破棄した。次女は在学していた看護学校にいられなくなり、自主退学に追い込まれた。二人の兄弟もいずれも辞職した。父親の弟は、5つの会社の役員を全て辞職した。
- 父親の弟2人も退職した上、次男は持っていた会社を妻の名義に変更。三男には娘が2人おり、宮﨑姓を名乗ることの影響を考え、苦渋の決断の末に「巻き込むわけにいかないから」と妻を説得して離婚、娘達は妻に引き取らせた[43]。母親の兄の2人の息子は警察官、高校教師であったが辞職した[44]。背景には週刊誌で暴露された影響があったと言われる[45]。
- 父親の自殺
- 家族は宮﨑の逮捕から1年後に引越をした。宮﨑は父親に対して私選弁護人をつけてくれるよう要請したが父親はこれを拒絶。4年後の1994年に父親は自宅を売って、その代金を被害者の遺族に支払う段取りを付けると、東京都青梅市の多摩川にかかる神代橋(水面までの高さ30m)から飛び降り自殺を遂げた。
- 作家の佐木隆三は父親の自殺を「現実逃避であり被害者家族を顧みない行為である」と非難した。佐木は他に、私選弁護士をつけるよう要請して来た宮崎を拒絶したことについても批判している[46]。私選弁護人を選定しなかったことで国選弁護人が選ばれ結果国費が使われるからというのがその論旨であった。宮崎の父親には私選弁護人をつけるだけの経済力が十分あり、佐木は父親への批判として「家庭における父親の不在」というキーワードを挙げている。
- 父親とかねてから交流があり、事件後も父親とのコンタクトを定期的に続けた新聞記者は、「この事件を通して、加害者の家族は罪を犯した加害者以上の苦痛にさいなまれることを知った」「加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした」と語っている[47]。
- 宮崎の父親は、自分が糾弾されるのは、息子が犯した罪を思えば当然だが、全く関係のない自分の親族らにまで非難の矛先が向けられ、辞職したり、逼塞することを余儀なくされていることに苦悩していると、インタビューで言及していた[48]。
- 自宅跡地
- 現在、宮﨑の生家は取り壊されて空き地になっているが、事件が大きく影響して土地の買い手が現れず、完全に荒れ地となっている。
死刑執行の背景および波紋[編集]
鳩山邦夫法務大臣が死刑執行命令書に署名して2008年6月17日午前に東京拘置所で宮﨑の死刑は執行された[49]。犯行動機は未解明のまま、精神鑑定も継続中であった。過去10年間における死刑確定から死刑執行までの平均は約8年であり、死刑確定から2年4ヶ月というスピード執行となる[50][51]。
鳩山は法務大臣退任後の2010年末、民放テレビのインタビューで「(宮﨑勤の事件は)最も凶悪な事犯の一つだと思うから、死刑執行すべきと思うが検討しろ」と、自身が執行手続きを指示したと述べた[52]。
2008年6月8日の秋葉原無差別殺傷事件が影響を及ぼした可能性も指摘されていたが[53]、ジャーナリストの上杉隆は宮崎勤死刑執行は秋葉原事件とは関係ないとしている。鳩山は同年3月に執行命令を既に出しており、秋葉原事件と関連があるとするには矛盾がある。アムネスティ・インターナショナル日本や、「死刑廃止を推進する議員連盟」など人権団体が同日、相次いで抗議を表明した[54][55]。
日本弁護士連合会は宮崎誠会長名で「半年余りで13人の大量の死刑執行が行なわれた。政府に対し、死刑制度の存廃を含む抜本的な検討と見直しを行なうまでの一定期間、執行を停止するよう重ねて強く要請する」との声明を出した[56]。宮﨑の国選弁護人を務めた田鎖麻衣子弁護士は同日、「数ヶ月前から再審請求の準備を進めていた。こうした事情を知りながら、死刑を執行したことに強く抗議する」との声明を発表した[57]。5月末には鳩山邦夫法相に死刑を執行しないよう文書にて要請していたという[57]。
著書[編集]
雑誌『創』編集部との往復書簡を掲載したものが出版されている。
- 『夢のなか - 連続幼女殺害事件被告の告白』 創出版、1998年12月。ISBN 9784924718302
- 『夢のなか、いまも - 連続幼女殺害事件元被告の告白』 創出版、2006年2月。ISBN 9784924718722
学歴[編集]
- 1975年3月 五日市町立五日市小学校卒業
- 1978年3月 五日市町立五日市中学校卒業
- 1981年3月 明治大学付属中野高等学校卒業
- 1983年3月 東京工芸大学短期大学部画像技術科卒業
演じた俳優[編集]
- 曇天三男坊 - 報道スクープSP 激動!世紀の大事件Ⅱ(フジテレビ)- 2014年12月13日放送
- 坂本真 - 土曜プレミアム「衝撃スクープSP 30年目の真実〜東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯・宮崎勤の肉声〜」(フジテレビ、2017年10月7日放送)
- 長坂一哲(劇団ペリカン) - 平成ニッポンの瞬間映像30(日本テレビ) - 2018年12月28日放送
脚注・出典[編集]
- ^ 一橋(2003)、pp.61-62
- ^ 一橋(2003)、p.164
- ^ 一橋(2003)、p.166
- ^ a b 一橋(2003)、p.62
- ^ 一橋(2003)、pp.130-131
- ^ 肩・肘の外傷と疾患 先天性橈尺骨癒合症
- ^ 一橋(2003)、pp.64, 87-88
- ^ 一橋(2003)、pp.66-68
- ^ 一橋(2003)、p.70
- ^ a b 一橋(2003)、p.76
- ^ a b 一橋(2003)、p.75
- ^ 一橋(2003)、p.100
- ^ 一橋(2003)、p.101
- ^ 一橋(2003)、p.102
- ^ 一橋(2003)、pp.100-101
- ^ 一橋(2003)、pp.109-110
- ^ 一橋(2003)、p.110
- ^ 実質的には解雇される。
- ^ 一橋(2003)、p.112
- ^ 一橋(2003)、pp.112-113
- ^ 一橋(2003)、p.113
- ^ 一橋(2003)、pp.119,340
- ^ 一橋(2003)、pp.345-346
- ^ 一橋(2003)、p.331
- ^ 一橋(2003)、p.175
- ^ 一橋(2003)、p.9
- ^ 一橋(2003)、p.348
- ^ 一橋(2003)、p.12
- ^ 『中日新聞』1989年8月10日付夕刊
- ^ 『中日新聞』1989年8月11日付夕刊
- ^ 一橋(2003)、p.34
- ^ a b 一橋(2003)、p.41
- ^ a b c 一橋(2003)、p.42
- ^ 一橋(2003)、pp.54-55
- ^ 一橋(2003)、pp.43-44
- ^ 共同通信 2008年2月2日
- ^ “幼女連続誘拐殺害の宮崎勤死刑囚に死刑執行”. 産経新聞 (2008年6月17日). 2008年6月23日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年8月13日閲覧。
- ^ 読売新聞 2008年10月3日
- ^ “連続幼女誘拐殺人:宮崎死刑囚・刑執行(その1)最後まで謝罪なく◇絞首刑を再三批判「薬物注射」導入を主張”. 毎日新聞. (2008年6月17日). オリジナルの2008年6月17日時点によるアーカイブ。
- ^ “宮崎勤「死刑回避」意思に感じた…月刊誌「創」編集長”. ZAKZAK (2008年6月18日). 2008年6月28日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年8月13日閲覧。
- ^ 『SEXUAL HOMICIDE Patterns and Motives(邦題:快楽殺人の心理)』277-278頁
- ^ 鈴木(2010)、p.62
- ^ テレビ東京「解禁!暴露ナイト(かいきんばくろないと)」より
- ^ 『解禁!暴露ナイト』
- ^ 鈴木(2010)、pp.63,64
- ^ 鈴木(2010)、pp.66-67
- ^ 鈴木(2010)、pp64-67
- ^ 鈴木(2010)、pp63-64
- ^ “法相が適切判断 官房長官”. 産経新聞 (2008年6月17日). 2008年6月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年8月13日閲覧。
- ^ “たけし激白! 日中関係は矛盾だらけ”. オリコン. 2013年8月13日閲覧。 『ビートたけしのガチバトル』で、鳩山邦夫元法相の積極的な指示だったことを証言している。
- ^ 附属池田小事件の犯人である宅間守は、死刑確定から1年で執行されている。宮崎と同様、遺族への謝罪は一切ないまま執行された。
- ^ “元法相、執行する死刑囚選んだ経緯語る”. MBSニュース (毎日放送). (2010年12月13日) 2018年11月29日閲覧。
- ^ “宮崎死刑囚に「スピード」死刑執行 囁かれる「秋葉原事件」の影響?”. J-CASTニュース (2008年6月17日). 2013年8月13日閲覧。
- ^ “死刑:3人執行、廃止議連や人権団体の抗議表明相次ぐ”. 毎日新聞. (2008年6月17日). オリジナルの2008年6月18日時点によるアーカイブ。
- ^ “日本支部声明 : 死刑の執行に抗議する”. 社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 (2008年6月17日). 2008年12月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年8月13日閲覧。
- ^ “死刑執行に関する会長声明”. 日本弁護士連合会 (2008年6月17日). 2008年12月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年8月13日閲覧。
- ^ a b “連続幼女誘拐殺人:「再審準備中」の執行に抗議 弁護士”. 毎日新聞. (2008年6月17日). オリジナルの2008年6月17日時点によるアーカイブ。
参考文献[編集]
- 鈴木伸元 『加害者家族』 幻冬舎新書、2010年11月27日。ISBN 978-4-344-98194-2。
- 一橋文哉 『宮﨑勤事件—塗り潰されたシナリオ—』 新潮文庫、2003年9月1日。ISBN 978-4-10-142624-2。
関連項目[編集]
- サイコパス
- 障害者差別
- 北関東連続幼女誘拐殺人事件 - 新聞社などに送った告白文で、当事件についても触れている。
- 宮崎吐夢 - 彼の芸名は、元々この宮﨑の名をもじってつけられたものである。