拷問

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拷問(ごうもん、英語: Torture)とは、被害者の自由を奪った上で肉体的・精神的に痛めつけることにより、加害者の要求に従うように強要する事。特に被害者の持つ情報を自白させる目的で行われることが多い。文脈によっては苦痛を与えることそれ自体を目的とする行為も拷問と呼ばれることがある。

概要[編集]

拷問によって得られた情報は重要であると考えられ、洋の東西を問わず古来から広く行われた。拷問は尋問と組み合わせて用いられることが多く、対象者から情報を引き出すために肉体的・精神的な苦痛によって追いつめていき、自白させる。多くはいくつかの原則に則って行われるものであり、自白と引き替えにすぐに苦痛を和らげることで対象者に機会を与え、自白への誘惑をより一層強める。現在の日本においては、日本国憲法上「公務員による拷問は絶対にこれを禁じ、かつ、拷問によって得られた自白は証拠として使えない」と定められている。日本国憲法が唯一「絶対に」と明文で禁じている行為である(日本国憲法第36条第38条第2項、刑事訴訟法第319条第1項)。

混同しないように注意しなければならないのは、法律用語としての拷問はあくまでも刑事訴訟法に基づく取調べであって、刑法に基づく刑事罰ではないことである。そのため、ギロチンなどの処刑や刑事罰としての鞭打ちなどは拷問ではない。現代でも法定刑罰として鞭打ちなどを行っている国はあるが、これは刑罰であって拷問ではない点に注意が必要である。

ただし罰そのものであったり長期間の大きい苦痛の末の殺人であったりしても、国家ではなく犯罪者によるなど文脈によっては拷問と呼ばれることもある。文化人類学の文脈における儀式性の高い殺害も拷問と呼ばれる。

また、拷問は相手に何らかの要求を聞くよう強要するためにも行われてきた。代表的なものとしては相手の信仰を改宗させるために行う場合がある。日本でもキリシタン弾圧に際して行われてきた歴史がある。共産主義国では反革命思想を矯正するために拷問が用いられた事も多い。戦争においては相手が持つ情報を聞き出すために行われてきた。

現代の先進国では、容疑者・拷問者双方の精神を変容させて妄想を増幅する傾向があり、また実際に無実であっても拷問者に迎合する自白が得られてしまうため、拷問による自白は信頼がおけないとされる。

歴史[編集]

ニュルンベルクで使われたさらし台となどの拷問道具

現在では国際的に絶対の禁忌として厳しく禁止されているが、完全禁止が法制度化されたのは19世紀になってからであり、古代ギリシャ・ローマ時代においては主人が奴隷に対し拷問を行う事が許可されていたなど、合法的に行われていた。 法制度が整っていなかった古代には取り調べを行う役人の気分しだいで行われていたが、中世になって法制度が整い始めると、現代で言うところの刑事訴訟法の一部として拷問に関する法律が出来た。ヨーロッパで法定拷問が制定されたのはザクセンシュピーゲル・ラント法が最初だとする説がある。この時の法定拷問は「長さ2ダウメネスの1本の生の樫の枝をもって32回打つ」と規定されていた。

魔女狩りでは魔女に対して悪魔との契約について自白を迫るための拷問が行われた(後世の創作もある)。なお「針を刺して痛みを感じなかったら魔女」とか「水に沈めて浮かんできたら魔女」等の神明裁判が拷問と混同されるが、自白を強要しない点で異なる。

1532年にドイツ初の統一的な刑事法であるカロリナ法が制定されると、法定拷問として「さらし台」が規定された。法定拷問を行うことが出来る容疑者とは「謀殺、故殺、嬰児殺し、毒殺横領放火反逆窃盗魔術」の九罪と規定され、しかも、どのような場合に拷問が行える九罪の容疑に該当するのか条文に細かく定められて、違反した裁判官と役人には拷問を受けた人が蒙った恥辱、苦痛、経費および損害に対する補償をする責任があることを明記するなど容疑者への配慮や公務員の責任など近代法としての体裁が表面的には規定されていた。しかし、実際の現場においては3回の拷問に耐えられた場合には釈放されるルールのところ、被告ギリーのように実際は12回の拷問が行われていたケースや、バンベルクの裁判調書に被告アンゲリカ・デュースラインに対し午前11時から午後3時までボック(木馬)に4時間乗せられていた記録があるなど、規定が反故にされるケースも多々見受けられた。 こうした規定を逸脱した拷問が執り行われた理由として賄賂の横行が挙げられる。当時容疑者による賄賂を受け減刑を図るなどの問題があったため、容疑者の自白が引き出せない場合に拷問官の収賄が疑わる場合があった。こうした被害を避けるための防衛策として、自白を引き出すための規定以上の過酷な拷問や、禁止されている拷問を行いながらの調書の作成などが行われるようになっていった。あるいは、拷問官のストレスを和らげる目的で拷問の際に飲むことが許されていたワインが冷静な判断を欠かせる要因になったことも否定できない。

当時の皇帝カール五世は拷問について以下のように語ったと伝えられており、当時は刑事事件の解決手段として拷問を行うことは正当であるとの認識が有ったと考えられる。「拷問、および、真実の確定に役立つすべての調査あるによりて、原告人によりて収牢せらるる者どもに関し明瞭にのちに記述せられ規定せられいるごとくに、行為者の自白に基づく有責判決もまた許されるべし」

ヨーロッパの拷問台

そもそも、刑事訴訟法において拷問が必要とされた背景には古代の裁判は証拠や自白に拠らない、「神明裁判」という不合理な物によって判決を下していた。 そのため、容疑者の自白を得る必要そのものが無かったため、自白を強要する拷問という制度も必要とされなかった。しかし、中世になって理論的な法体系に基づく自白と証拠による判決という近代的な法が制度化されると、自白を得ることが重要になり、自白を得るための取調べの手段として拷問が使われるようになった。 拷問が司法手続きの一部として法整備が行われると、拷問官と呼ばれる拷問を専門に行う公務員も誕生した。拷問官はその職業上人体生理・心理学の知識を持つため、医学的な相談を非公式に受けることもあった。 処刑人拷問官はまったく別の職業であり、処刑人が拷問を行うことはなかった。

近代になると拷問によって得られた自白の証拠能力が疑問視されるようになってきた。 1757年にルイ15世暗殺未遂の罪によってロベール=フランソワ・ダミアンが死刑執行前に拷問にかけられて共犯者の名前を自白させられたが、実際には単独犯であり、共犯者など存在しなかったにもかかわらず、拷問にかけられたダミアンは苦し紛れに適当な名前を自白した。 この、虚偽の自白に対してフランスの高等法院は逮捕状を発給して自白した名前の人物を逮捕して、国王暗殺未遂の重罪人として厳しく取調べをした。ダミアンは拷問が終わった後に処刑されているため、再度問い直すことも出来ず、無実の人間が拷問にかけられることになった。 この事件が問題視されフランスでは1788年に拷問が全面禁止となった。

これは拷問を行う人間が望むことを自白するように強要する結果になってしまい、真実が明らかにならず、かえって裁判の証拠を阻害するようになって本当の犯人を逃がしてしまい、無実の人間が拷問にかけられるようになったためである。この点に関しては現代の取調べにおいても根本的に解決はしていない。

また、兵站や給与がない近代以前の戦争では略奪・強姦・奴隷獲得は各兵の重要な目的であり、敵性地域の人々が隠した食料・宝物・家畜・女子などのありかを拷問で聞き出すことは、現代の紛争に至るまで普遍的に行われている。三十年戦争を題材とした絵などが多く見られる。

日本における歴史[編集]

罪人に苦痛を与えて強制的に白状させる拷問は、日本でも古代から存在していたと推測されるが、公式に制度化されたのは奈良時代大宝律令が制定されてからである。

古代・中世[編集]

律令で定められた拷問は、罪の容疑が濃厚で自白しない罪人を、刑部省の役人の立ち会いのもと、(拷問に用いる場合は訊杖(じんじょう)といった。長さは35=約1mで、先端が4=約1.2cm、末端が3分=約0.9mmと定められていた)で背中15回・尻部15回を打つもので、自白できない場合は次の拷問まで20日以上の間隔をおき、合計200回以下とする条件で行っていた。皇族や役人などの特権者、16歳未満70歳以上の人、出産間近の女性に対しては原則的には拷問は行われなかった。ただし、謀反などの国事に関する犯罪に加担していた場合は地位などに関係なく行われ、そのうえ合計回数の制限もなかったと考えられる。このため拷問中に絶命する罪人も少なくなかった。奈良時代の著名な政変の一つである橘奈良麻呂の乱で、謀反を企てた道祖王黄文王大伴古麻呂、小野東人らが杖で長時間打たれた末、絶命したのは有名だが、他にも承和の変応天門の変伊予親王の変などでも容疑者を杖で打ち続ける拷問が行われたとされている。やがて遣唐使中止や延喜の治の頃になると、杖で打つ拷問は廃れていったと考えられる。

鎌倉幕府法では杖で打つ拷問が定められている[1]

近世[編集]

戦国時代から江戸時代後期までは駿河問い水責め木馬責め塩責めなどの様々な拷問が行われたが、1742年公事方御定書により拷問の制度化が行われ、笞打(むちうち)・石抱き海老責(えびぜめ)・釣責の4つが拷問として定められた[2][1]

その中でも笞打・石抱・海老責は「牢問」、釣責は「(狭義の)拷問」というように区別して呼ばれ、釣責は重い罪状に限って適用された[2]。「牢問」は牢屋敷内の穿鑿所において痛めつける拷問で、まず後ろ手に縛って肩を打つ笞打が行われ、これで自白しない場合には裸で正座させて重い石を置いていく石抱きが行われる。これでも自白しない場合には縄で首と両足首を絞め寄せて体を海老のように曲げる海老責めが行われる。これら「牢問」3つを経ても自白しない場合は狭義の拷問たる釣責が行われる。これは牢屋敷内の拷問蔵において行われ、両手を後ろに縛り、体を宙に釣り上げる物である[1]

笞打と石抱はかなり頻繁に行われていたが、海老責や釣責まで行くのは稀だったという[1]。釣責めまで行って自白を引き出すことはできなかった場合には幕府の威光に関わるためだったといわれ、その前の笞打と石抱の段階までで自白を引き出すことができるかが役人の手腕とされていたという[1][2]

キリシタン弾圧の拷問[編集]

同じく江戸時代島原の乱の原因となった松倉勝家が領する島原藩におけるキリシタンに対して行われたとされる拷問は、蓑で巻いた信者に火を付けもがき苦しませた蓑踊りをはじめ、硫黄を混ぜた熱湯を信者に少量注ぐ、信者を水牢に入れて数日間放置、干満のある干潟の中に立てた十字架に被害者を逆磔(さかさはりつけ)にするなどさまざまだった。これはキリスト教の棄教を迫るもので、キリシタンが拷問中に転向する旨を表明した場合、そこで拷問から解放された。拷問の結果棄教したキリシタンが数多く存在しているが、逆に棄教しない場合は死ぬまで拷問が続けられた。

近代[編集]

江戸時代が終わっても明治初期には拷問制度が残置され、1870年(明治3年)の新律綱領に杖による拷問が規定され、1873年(明治6年)の改定律例は断罪には自白が必要と定められた[2]

しかし1876年(明治9年)の太政官布告ではそれが修正されて断罪は証拠によることと定められた[2][1]。そして1879年(明治12年)の太政官布告によって日本史上初めて拷問制度は公式に廃止された[2][1]。さらに刑法によって警察官による拷問は職権乱用罪の一類型として処罰対象になった(刑法195条)[2]

しかし警察署内の現場では取り調べ警官による拷問事件が断続的に発生した[2]。有名な拷問被害者として作家の小林多喜二がいる。大戦中の1942年の横浜事件では雑誌編集者らに対し拷問を与え3名が獄死した。ちなみにこちらの事件で拷問を行った警察官は有罪となった。[3]また、1944年に発生した首なし事件では、警察官が拷問で採炭業者の男性を死亡させたが、正木ひろしが告発を行い、戦後になって拷問を行った巡査部長に有罪判決が下っている。

現代[編集]

日本敗戦後のGHQ統治下でも、警察が拷問による自白を多数強要していたが、サンフランシスコ講和条約後の1952年(昭和27年)に、それまで行われた逮捕者をもう一度調べ、拷問による自白の者については再審判が行われた。

現在の日本においては、逮捕後の拷問による自白は、証拠採用されず、日本国憲法第36条第38条第2項においても、拷問の絶対禁止が明文化されており、拷問を行った公務員逮捕される。警察官・検察官・刑務官などには(特別公務員暴行陵虐罪)制度も存在する。

しかし、それにも関わらず日本の警察は、現在もなお非公式の場で拷問を行っている疑いがあると、アムネスティ・インターナショナルなど「人権擁護団体」から指摘され、島田事件など冤罪事件の背景にも、静岡県警察による拷問同然の過酷な取り調べがあると指摘される(代用監獄も参照のこと)。

21世紀の日本においても、志布志事件では、踏み絵ならぬ踏み字などの事実上の「拷問」による事件そのものの捏造が表面化し、事件の捜査に従事した鹿児島県警察の警察官が、特別公務員暴行陵虐罪に問われ、有罪が確定している。

その他にも、足利事件においては、被疑者を突き飛ばす、身体を蹴る、頭髪を引っぱる、体をつかみ揺さぶるなどの暴行行為を、一日あたり十数時間、数日間にかけて密室で行なった。

リクルート事件障害者団体向け割引郵便制度悪用事件を始め、検察庁特別捜査部の事件では、被疑者を壁の前に長時間立たせて自白を迫ったり、「○○はもう自供した」などと言って、被疑者を精神的に追い込むなど、事実上の「拷問」が、現在も代用監獄を用いた長期間拘留という、取締室の密室において、日常的になされていることが表面化している。

国際法での拷問[編集]

国際法上は、拷問等禁止条約(拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約)により次のように定義される。

この条約の適用上、「拷問」とは、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い苦痛を故意に与える行為であって、本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ること、本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰すること、本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要することその他これらに類することを目的として又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものをいう。「拷問」には、合法的な制裁の限りで苦痛が生ずること又は合法的な制裁に固有の若しくは付随する苦痛を与えることを含まない。

拷問等禁止条約 第1条

拷問の状況[編集]

現代でも拷問の実行が噂される事例もある、例えばアメリカ軍ベトナム戦争時に行ったベトナム人への拷問や虐待が暴露され、国内外から批判が起こり、アメリカ軍がベトナムから撤退する要因のひとつともなった。また、2008年にアメリカで「ウォーターボーディング」が拷問に当たるかどうか議論となり、水責め尋問禁止法案が出されるなど議論を呼んでいる。現代においても、尋問で簡単に自白が得られる保証は無く、法律違反ぎりぎりの尋問(睡眠の妨害など)が行われることがある。

またアフガニスタン侵攻イラク戦争における中東系の人々への拷問も暴露され内外から批判され、イラク国内ではテロリストを増やす要因ともなった。キューバにある米軍のグァンタナモ米軍基地ではアメリカの法律もキューバの法律も適用されず、テロリストと見なされた人が人権無視で拷問を受けているとされ、濡れ衣を着せられて収監されたパキスタン系イギリス人の青年3人の体験をもとに、映画『グアンタナモ、僕達が見た真実』が制作された。また先進国においても数こそ少ないながら報告されている。

また、米テレビドラマ24 -TWENTY FOUR-ジャック・バウアーに影響された米軍兵士が、駐留するイラクで実際にイラク人に拷問を行っていたことがCNNなどの報道で明らかになった。このため米軍は、24 -TWENTY FOUR-のジョン・カサー監督に作中の拷問シーンの自粛及び啓蒙活動を要請している。要請を受けたジョン・カサー監督は啓蒙ビデオを作製し米軍に提供したと雑誌のインタビューで答えている。ドラマ7作目では、拷問を行った主人公が社会的制裁を受ける場面から始まる。

拷問方法の例[編集]

拷問は身体に後遺症や傷跡の残るのも辞さないものと、それらを残さないように行うものに分かれる。時代ごとに最高水準の科学技術生理学および心理学の知識を悪用し、また儀式や性的な側面も多分にある。

  • 暴行 - 鞭打ち水責め、指締め、火責め、焼きゴテ、など肉体の一部・全体・内外を破壊損傷させる。
  • 拘束 - 手枷、足枷、首枷、拘束ベルト、拘束衣、などで肉体の一部または全体の自由を奪うことで苦痛を与える。
  • 特に痛覚に重きを置いた暴行 - 電気ショックなど
  • 虫責め-裸にして 拘束し、身体に蜜などを塗り野外に放置し、虫などに襲わせる
  • くすぐり-抵抗できない様に手足を縛り、笑いすぎて窒息するまでくすぐる
  • 百刻み-酒で酔わせ痛覚を鈍らせた上で、身体のあちこちの肉を削いで行く
  • 生理現象の制限 - 睡眠、食事、排せつなどを制限する
  • 脅迫 - 脅迫によって不安を与える。拷問場を見せることも拷問であり、家族などを拷問することもある。
  • 侮辱行為 - 公衆の面前で曝しものにする、穢れや宗教的な冒涜を強いるなど
  • 性的虐待 - 強姦など
  • 精神的な苦痛。
  • 拷問具 - 処刑具をかねるものもある。また複合的な効果をもたらすものもあった。
    • 打つ - 皮鞭(しもと)、猫鞭、イバラ鞭、鎖鞭、クヌート
    • 裂く - 猫の爪(スペイン式くすぐり器)、 乳房裂き器、拷問の車輪、スパイダー
    • 刺す - 鉄の処女、魔女の針、祈りの椅子、看守の槍、野ウサギ(揺り籠)、異端者のフォーク
    • 掴む - スペインの蜘蛛、ワニのペンチ、鉄鋏
    • 塞ぐ - 猿轡(ギャグ)、苦悩の梨、鉄仮面
    • 圧す - 拷問の車輪、リッサの鉄棺、プレスヤード石抱き
    • 伸ばす - オーストリア式梯子、エクセター公の娘(ラック、拷問台)
    • 固める - 海老責,ハゲタカの娘(枷)、スケフィントンの娘(箱)
    • 締める(砕く) - 親指締め器、鉄帽子・金輪(頭蓋骨粉砕器)、スパニッシュ・ブーツ、ダイス(踵砕き)、膝砕き器、トルコ式拷問具(乳房挟み)、ゴーントレット(手枷)、貞操帯
    • 絞める - ガロット、絞柱
    • 火責め - 焼き鏝、火頂(冠)、スコットランドのブーツ、ファラリスの雄牛、クエマドロ(窯)、火責め椅子
    • 水責め - 漏斗水責め椅子、水責め檻、舟形木馬、運命の輪(拷問水車)
    • 股割き - ロバ(三角木馬)、ユダのゆりかご、魔女の楔

拷問の方法や道具には鉄の処女など実在に疑問の余地がある拷問方法も数多い。 後世の作家などがノンフィクションであるかのように架空の拷問を著作物に登場させ、 さらに、架空の拷問道具を実際に作成して販売する業者まで現れた。 また、拷問が全面禁止された後でも貴族など裕福層で使いもしない拷問道具をコレクションすることが流行した。 これに業者が便乗して独創的で見た目に面白い拷問道具を独自に作成して、中世時代にまるで実際に使われていたかのようなふれこみで販売したため、 鉄の処女などに代表されるような実用不明な拷問道具が現代に大量に残ることになった。 このため、拷問として伝承されている物の中には実在しなかった空想上の拷問も数多い。

テレジア法における拷問のマニュアル[編集]

ヨーロッパ諸国の刑法の中では、カロリナ法は文言の恣意的解釈による拷問官の独自の拷問が行われる余地があった。それを受けバイエルン法では規定を具体化し、恣意性を排除し、一定の拷問が行われるよう対策が講じられた。1768年マリア・テレジアによって公布されたテレジア法では、さらにそれを推し進めイラストによる図解が付記され、拷問官や裁判官によって恣意的な解釈がなされないよう拷問をマニュアル化したことに特徴がある。その中での代表的拷問手法を以下に記述する。

  • 親指詰め
二枚の鉄製の板に対称に突起が与えられ、間に親指を差し込み圧迫することによって使用する。突起は上下15個ずつ計30個、サイコロの5の目に並んだ突起が3つ横に並ぶように配置されている。鉄製のネジを専用のハンドルで絞めていくため、場合によっては指先が潰れてしまう事もありえた。
  • 紐絞め
6メートルから10メートルほどの麻縄の一端に輪を作り、もう一方の先端をその輪に通しながら被告の水平に伸ばした両腕を手首から肘まで等間隔に食い込むよう合計14回縛り上げる。
なお、オーストリア地方では椅子に座らせた被告の両手首を後ろ手に3回縛るという簡易的手法がとられたが、それだけでも血行が阻害され長時間耐えることは困難であった。
  • 梯子吊るしと蝋燭責め
まず後ろ手に縛った両手首を梯子の上方に固定する。次いで仰向けに梯子に寝かされた被告の足首を紐で縛り、これを梯子の下部に固定されたハンドルに結びつけ、ハンドルを廻し下に引っ張る。通常3時間半は引っ張られた状態のまま放置された。すると人間の体は30センチほど伸びるという。さらにはこれに40グラムの蝋燭8本を束ねたものを2つ用意し、それを両脇腹にあてることによって苦痛を与える。
スペインやドイツの場合では被告が水平に寝かされているが、テレジア法の場合では梯子が45度に傾けられている点に特徴があり、引っ張る力に体重が加わるため苦痛が増した。
  • スペインのブーツ責め
スペインの異端審問の際に用いられたことからこのような名前が与えられた。親指責めの要領で2本の下肢を、それぞれ30個の突起がついた鉄製の金属板で締め上げる。15分も行えば苦痛のあまり気絶することが多く、60歳過ぎの老婆が12時間にわたるこの拷問の結果、死に至った例も存在する。
  • 天井吊るし
被告は後ろ手に縛られ、大掛かりな車輪に結び繋がれたロープでもって天井の定滑車を通し、縛り上げられた両手首から吊り上げることによって苦痛を与える。さらに過酷な場合には10キロから20キロの重りを脚に付けることによって荷重を増す手法もとられた。
また、特に残酷な方法として吊り上げた状態から急激に床へ叩きつけるなどの行為が行われることあったが、テレジア法では禁止されていた。これの拷問では腕を脱臼し、釈放されても職人は仕事に就けないことが多かった。

主要な拷問事件[編集]

参考文献[編集]

  • アリス・モース・アール、エドワード・ペーソン・エヴァンズ『拷問と刑罰の中世史』 神鳥奈穂子、佐伯雄一訳、青弓社 1995年、ISBN 4787220098
  • 秋山裕美『図説 拷問全書』 原書房、1997年、ISBN 4562029218
(文庫版:筑摩書房ちくま文庫)、2003年、ISBN 4480037993

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • ^ a b c d e f g 日本大百科全書』(小学館)「拷問」の項目
  • ^ a b c d e f g h 世界大百科事典』(平凡社)「拷問」の項目
  • ^ なお横浜事件については被告が全員死亡した2005年に横浜事件に対する雑誌編集者らについての再審裁判が行われた。しかし2008年3月、最高裁判所免訴が確定し、元被告の遺族らが望んだ無罪判決は下されなかった