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{{画像提供依頼|うめだ本店の第2期棟と1期棟の外装及び内装の写真|date=2012年10月|依頼ページ=Portal:日本の都道府県/大阪府/画像提供依頼}} |
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'''阪急百貨店'''(はんきゅうひゃっかてん、en:''Hankyu Department Store'')は、[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]株式会社傘下の'''株式会社[[阪急阪神百貨店]]'''が運営する[[日本の百貨店]]。創業者は[[小林一三]]で大阪の[[梅田]]に本店を置く。かつての運営会社は'''株式会社阪急百貨店'''だったが、[[2008年]](平成20年)[[10月1日]]付で株式会社[[阪神百貨店]]と合併し、株式会社阪急阪神百貨店となった。 |
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[[ファイル:Mido-suji Osaka01s4s3200.jpg|thumb|220px|right|梅田阪急ビル・オフィスタワー<br />[[2009年]](平成21年)9月3日、同ビルの地上12階-地下2階に新店舗・第一期分が先行開業。]] |
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[[ファイル:Umeda Hankyu.JPG|thumb|250px|right|阪急うめだ本店]] |
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'''阪急百貨店'''(はんきゅうひゃっかてん、en:''Hankyu Department Store'')は、'''[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]株式会社'''傘下の'''株式会社阪急阪神百貨店'''が運営する[[日本の百貨店]]。 |
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創業者は[[小林一三]]で大阪の[[梅田]]に本店を置く。 |
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== 概要 == |
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=== 詳細 === |
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[[1920年]](大正9年)に[[東京都|東京]]・[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の老舗呉服店系百貨店・[[白木屋 (デパート)|白木屋]]を「出張売店」として売上歩合制の家賃で招致して売上のデータを得て梅田駅でのターミナルデパートの採算性を確認すると、梅田駅でのターミナルデパートの可能性を固く信じた小林一三<ref name="iwahori1978">「このデータが入手できれば耳々の大体の利益も把握できることになり、梅田におけるターミナルデパートの採算が立つか否かの検討資料が得られることになる」と小林一三が述べたとしている{{Cite book | 和書 | author =岩堀女三 | title = 偉才小林一三の商法-阪急を創始した経営哲学 (改定新版) | publisher = [[評言社]] | year = 1978}}</ref>は、契約期間が満了を理由に白木屋との契約を解除して自社直営の阪急マーケットを切り替え、梅田駅ビルを大幅に拡張して百貨店に相応しい規模の店舗を作って[[1929年]](昭和4年)に[[鉄道事業者|鉄道会社]]直営=電鉄系百貨店を開業した。 |
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[[1947年]](昭和22年)4月1日から[[2008年]](平成20年)9月30日までは運営会社も'''株式会社阪急百貨店'''だった。 |
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電鉄系百貨店としては日本初であり、白木屋の出張売店の出店から考えると世界初のターミナルデパートとする見方もある。(梅田駅の白木屋は1階のみの小規模な店舗だった為、売り場も広く品揃えも幅広かった(現)[[近畿日本鉄道|近鉄]][[大阪上本町駅]]に設けられた[[三笠屋百貨店]]を最初のターミナルデパートとする見方もある)<ref>大阪市史編纂所は「1926年8月31日上本町6丁目に大軌ビル竣工(ビル内に大阪最初の三笠屋百貨店開店) 」としており、三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとしている。 8月のできごと 大阪市史編纂所 大阪市([http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/nannohi/data/08.htm ウェブサイト])</ref><ref>「大正15年8月に完成した。ビルには本社事務所、直営食堂およびテナントの三笠屋百貨店、ストア、銀行等が入居、9月16日には大阪の東玄関にふさわしい一大ターミナルとしてお目見えした。 」近畿日本鉄道80年の歩み [[近畿日本鉄道]]</ref> |
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[[2008年]](平成20年)10月1日付で株式会社[[阪神百貨店]]と合併したため、現在は株式会社阪急阪神百貨店の運営となっている。 |
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また百貨店食堂の走り(百貨店初の食堂は[[1904年]](明治37年)の白木屋)として[[カレーライス|ライスカレー]]・[[ソーライス]]等を庶民に提供したり沿線の行楽に向かう人々への[[弁当]]販売を手がける等、今日のターミナルデパートの雛形となった存在としても知られる。 |
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== 歴史・概要 == |
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今日でも「阪急[[梅田|うめだ]]本店」([[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]])は沿線の豊かさを背景に関西一の売り上げを誇る。また、健康・スポーツ・アウトドアなどをテーマとする「[[イングス]]館」(本店の別館)や[[2008年]](平成20年)2月にオープンしたメンズ館([[HEP NAVIO]]の地下1階から5階)がある。ちなみにメンズ館の売場面積は、「[[伊勢丹]]新宿店メンズ館」を抜いて日本最大である。 |
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=== 創業から第2次世界大戦まで === |
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[[ファイル:Hankyu Advertisement in 1936.jpg|thumb|220px|right|[[1936年]](昭和11年)の雑誌広告]] |
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[[1920年]](大正9年)11月1日に5階建ての阪急梅田ビル1階に[[東京都|東京]]・[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の老舗呉服店系百貨店・'''[[白木屋 (デパート)|白木屋]]'''を招致して<ref name="hankyu-railways-75-1982">{{Cite book | 和書 | title = 75年の歩み | publisher = 阪急電鉄 | year = 1982}}</ref>'''白木屋梅田出張店'''として<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9">{{Cite book | 和書 | title = 株式会社阪急百貨店25年史 | publisher = 阪急百貨店 | date = 1976-9}}</ref>55坪の店舗で食料品や日用雑貨の販売を行わせ<ref name="taniuchi-baishin-2012-6">{{Cite journal | author =谷内正往 | title = 戦前京阪デパートの創立 | journal = 梅信 2012年6月号 | publisher = [[近畿大学]] 通信教育部 | date = 2012-6-1 }}</ref>、同月5日<ref name="keihanshin-express-railways-50-1959">{{Cite book | 和書 | title = 京阪神急行電鉄五十年史 | publisher = 京阪神急行電鉄 | year = 1959}}</ref>に2階に直営で大衆食堂の'''阪急食堂'''を開設したのが始まりである<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。 |
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[[2008年]](平成20年)[[11月26日]]には[[阪急西宮スタジアム]]跡地に建設されたショッピングセンター「[[阪急西宮ガーデンズ]]」の核テナントとして新店舗を開店した<ref>[http://www.hankyu-dept.co.jp/nishinomiya/index.html 西宮阪急]</ref>。 |
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この白木屋の店舗を売上歩合制の家賃として売上実績のデータを入手し<ref name="iwahori1978">「このデータが入手できれば耳々の大体の利益も把握できることになり、梅田におけるターミナルデパートの採算が立つか否かの検討資料が得られることになる」と小林一三が述べたとしている{{Cite book | 和書 | author =岩堀女三 | title = 偉才小林一三の商法-阪急を創始した経営哲学 (改定新版) | publisher = [[評言社]] | year = 1978}}</ref>、そのデータから梅田駅でのターミナルデパートの可能性を固く信じた小林一三は<ref name="iwahori1978" />、契約期間が満了を理由に白木屋との契約を解除して[[1925年]](大正14年)6月1日に阪急梅田ビル2・3階に<ref name="hankyu-railways-75-1982" />自社直営の食料品や生活雑貨中心のスーパーに近い形態<ref name="sankei-np-1999-10-10" />の'''阪急マーケット'''<ref name="hankyu-railways-75-1982" />、4・5階に直営の'''阪急食堂'''を移設して開業し<ref name="kurimoto-2002-3">{{Cite journal | author =栗本智代 | title = 大阪再発見VOL2 大阪ターミナルものがたり 梅田と駅のアイデンティティ | journal = 季刊誌CEL 60号 | publisher = [[大阪ガスエネルギー・文化研究所]] | issue = 2002-3}}</ref>、直営でのターミナルデパートの第一歩を踏み出した<ref name="sankei-np-1999-10-10" />。 |
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また[[2011年]](平成23年)3月3日には、[[福岡県]]の[[九州旅客鉄道]](JR九州)[[博多駅]]新駅ビル([[JR博多シティ]])の核テナントとして地上8階 - 地下1階部分に新店舗「[[博多阪急]]」を開店した<ref>[http://www.hankyu-dept.co.jp/kessan/gp10/hakata.html 2011年春、九州初上陸~博多出店~]</ref>。 |
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その後、梅田駅ビルを地上8階地下2階に全面改築して大幅に拡張し<ref name="sankei-np-1999-10-10" />、敷地面積328坪で延べ床面積3,280坪<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31">{{Cite journal | author =谷内正往 | title = 戦前のターミナル・デパート-大鉄百貨店の創立 | journal = 生駒経済論叢 第7巻第1号 | publisher = [[近畿大学]] 経済学会 | date = 2009-7-31 }}</ref>という百貨店に相応しい規模の店舗を作って[[1929年]](昭和4年)4月15日に[[鉄道事業者|鉄道会社]]直営=電鉄系百貨店として'''阪急百貨店'''を開業した<ref name="hankyu-railways-75-1982" /><ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4">{{Cite book | 和書 | author = 50年史編集委員会 | title = 株式会社阪急百貨店50年史 | publisher = 阪急百貨店 | date = 1998-4}}</ref>。 |
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=== 阪急うめだ本店の大規模な建て替えプロジェクト === |
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[[1929年]](昭和4年)に創業した地上9階 - 地下1階で第1期から第8期(第9期分は[[阪急グランドビル]]として開業)に分けて増築された阪急うめだ本店([[梅田阪急ビル]])は老朽化や[[大阪2011年問題]]をにらみ耐震性を高めた複合ビル(新・梅田阪急ビル)として全面的に建て替えることが決定され<ref>[http://www.h2o-retailing.co.jp/gp10/tatekae.html 阪急百貨店うめだ本店建て替えプロジェクト]</ref>、第1期工事として[[2006年]](平成18年)7月より、店舗の北側半分を残す形での営業と南側部分の取壊し・建替え工事が行なわれた。 |
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この開業を日本初のターミナルデパート<ref name="sankei-np-1999-10-10">{{Cite news | title = 【大阪の20世紀】(24)小林一三 宝塚歌劇、沿線開発型鉄道…“夢”咲かせ続けた経営者 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 1999-10-10 }}</ref><ref name="nakai-construction-2001-6">{{Cite journal | author =中井祐 | title = フォト・エッセイ 土木エンジニアたちの群像 小林一三の描いた模範的郊外生活 | journal = 建設業界 June 2001 通巻589号 | publisher = 社団法人[[日本土木工業協会]] | date = 2001-6}}</ref>(ターミナルデパートは欧米にはない日本独特のもの<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />のため同時に世界初となる)とする見方も多いが、(現)[[近畿日本鉄道|近鉄]][[大阪上本町駅]]に設けられた'''[[三笠屋百貨店]]'''を最初のターミナルデパートとする見方もある<ref>大阪市史編纂所は「1926年8月31日上本町6丁目に大軌ビル竣工(ビル内に大阪最初の三笠屋百貨店開店) 」としており、三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとしている。 8月のできごと 大阪市史編纂所 大阪市([http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/nannohi/data/08.htm ウェブサイト])</ref><ref>「大正15年8月に完成した。ビルには本社事務所、直営食堂およびテナントの三笠屋百貨店、ストア、銀行等が入居、9月16日には大阪の東玄関にふさわしい一大ターミナルとしてお目見えした。 」近畿日本鉄道80年の歩み [[近畿日本鉄道]]</ref>。 |
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なお、それに先立つ[[2005年]](平成17年)[[9月13日]]には、[[シャンデリア]]や[[伊東忠太]]による[[壁画]]など優美な装飾で約75年間にわたり親しまれた、1階旧[[阪急梅田駅]]地上駅[[コンコース]]の天井が、同日限りで歴史に幕を下ろした。[[シャンデリア]]と壁画は取り外した上で保管され新ビルに[[モニュメント]]として使われるほか、新ビル自体にかつてのコンコースを髣髴させる空間を設置するという情報もある<ref>[[朝日新聞]]大阪版2007年[[4月7日]]付「ぷらっと沿線紀行」など</ref>。ただしシャンデリアは、建設当時のものとは異なっている(当時の写真等より)。 |
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開業直前の[[1929年]](昭和4年)4月13日・14日掲載の開店新聞広告に「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」とのコピーを入れた<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />ように開業当初は大衆向けの路線を採り<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010">{{Cite journal | author =山本真紗子 | title = 阪急百貨店美術部と新たな美術愛好者層の開拓 | journal = コア・エシックス Vol.6 | publisher = [[立命館大学]]大学院先端総合学術研究科 | year = 2010}}</ref>、 |
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第1期工事が行なわれてから3年後の[[2009年]](平成21年)[[9月3日]]には、南側部分に当たる百貨店の新店舗・第1期分(地上12階 - 地下2階)が先行開業した。そして[[2010年]](平成22年)4月1日には、41階建てのオフィスタワーを含め、南側部分が竣工し、その後同年5月6日に全面開業した(個々のテナントは、順次オープンの予定)。 |
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沿線の行楽に向かう人々への[[弁当]]販売を手がける等、今日のターミナルデパートの雛形となった存在としても知られる。 |
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北側部分については、[[2009年]](平成21年)8月31日に百貨店の売場を閉鎖した後、百貨店の新店舗・第1期分(南側部分)が先行開業した[[2009年]](平成21年)9月より、取り壊し・建替えが行われている。そして北側部分の竣工を含めた、梅田阪急ビル全館の建替工事は、[[2012年]](平成24年)春に完成する予定であったが、地下の構造物の撤去に予想以上に期間を要し、地盤整備工事が構想通りに進捗していないとして、[[2012年]](平成24年)11月下旬の完成予定(開業日は未定)に延期することとなった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110422/biz11042210000017-n1.htm 阪急梅田本店の開業延期 12年春から1年遅れも] 産経新聞 2011年4月22日</ref><ref>[http://www.asahi.com/business/update/0422/OSK201104220063.html 阪急百貨店うめだ本店、12年春の全面開業また延期] 朝日新聞 2011年4月22日</ref><ref>[http://www.h2o-retailing.co.jp/news/pdf/2012/120417grandopen.pdf 「阪急梅田本店 2012年11月下旬グランドオープン」について・エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 ニュースリリース:2012年4月17日]</ref>。 |
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経営の中心であった<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />7・8階の大食堂は<ref name="sankei-np-1999-10-10" />、高層階からの眺望や食券方式などの目新しさに加えて看板メニューは当時は当時高級品だったライスカレーをコーヒー付き25銭で提供して人気を博すと共に<ref name="kyoto-np-2002-8-16">{{Cite news | title = 阪急大食堂73年の歴史に幕 面影残して全面改装へ | newspaper = [[京都新聞]] | publisher = 京都新聞社 | date = 2002-8-16 }}</ref>、ランチも名物として話題となった<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。 |
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建て替え後の梅田阪急ビルは地上41階 - 地下2階(高さ187メートル)、延べ床面積が25万2000平方メートルとなる予定であり、阪急うめだ本店が同ビルの低層階部分(地上13階~地下2階)に再入居することで営業面積を6万平方メートルから8万平方メートルへと拡大する予定である。これによって関西地区最大級<ref>完成時点での日本最大は[[松坂屋]]名古屋本店([[名古屋市]]・[[矢場町 (名古屋市)|矢場町]])の86,758m<sup>2</sup>である。ただし、メンズ館(16,000m<sup>2</sup>)を含めると松坂屋を上回る。また、{{subst:和暦|2014}}には[[近鉄百貨店]]阿倍野本店が本館100,000m<sup>2</sup>となる。</ref>の百貨店になる。また、地下1階部分の不自然な盛り上がりや、周辺地下街との段差(いずれも建設時期の関係によってできたもの)も解消することとなる。 |
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また、開業直後に襲った[[昭和恐慌]]の時代にはライスのみを注文してテーブルに備えられていた<ref name="nishinippon-np-2011-3-4">{{Cite news | title = <気流>ソーライス。文字通りソースをかけただけの白飯… | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>ウスターソースをかけただけで食べる'''[[ソーライス]]'''が流行した<ref name="sankei-np-2008-1-4">{{Cite news | title = 産経抄 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2008-1-4 }}</ref>際には、他の店舗<ref name="sankei-np-2008-1-4" />や当店の大食堂の店員が締め出しを図ろうとしたが<ref name="nishinippon-np-2011-3-4" />、創業者の'''小林一三'''は「今は貧しいが、やがて結婚し子供ができる。その時ここでの食事を思い出し、家族で来てくれるだろう」と考えて「ライスだけの客歓迎」と張り紙をさせ<ref name="nishinippon-np-2011-3-4" />、福神漬けまで付けて出して<ref name="sankei-np-2008-1-4" />話題となった。 |
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== 店舗 == |
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開業当初は雑貨の品揃えは悪くないが知識・経験の不足から呉服類が見劣りがして駅の賑やかさ故にやや落ち着かないとされ<ref name="chugai-comerce-np-1930-10-2">{{Cite news | title = 商戦も白熱化の大阪百貨店を見る(一) 覇を争う七大百貨店 | newspaper = [[中外商業新報]] | publisher = 中外商業新報社 | date = 1930-10-2 }}</ref>、売上高も1日平均約2万円だったが<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />、[[1931年]](昭和6年)11月に敷地面積628坪で延べ床面積6,191坪として1日平均3.1万円の売上を上げ<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />、[[1932年]](昭和7年)12月に延べ床面積12,000坪で1日平均5万円の売上<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />へと阪急梅田ビルの増築工事を完成させて増床を行って<ref name="hankyu-railways-75-1982" />大衆路線が受けたことと合せて売上を順調に伸ばし<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />、、[[1936年]](昭和11年)には阪急梅田ビルの第4期増築工事が完成して<ref name="kurimoto-2002-3">{{Cite journal | author =栗本智代 | title = 大阪再発見VOL2 大阪ターミナルものがたり 梅田と駅のアイデンティティ | journal = 季刊誌CEL 60号 | publisher = [[大阪ガスエネルギー・文化研究所]] | issue = 2002-3}}</ref>売り場面積53,435m²にまで拡大した<ref name="taniuchi-2012-1-1">{{Cite journal | author =谷内正往 | title = 戦前、 阪神の百貨店構想 ‐大阪駅前の土地争いを中心として | journal = 梅信 No.568 | publisher = [[近畿大学]] 通信教育部 | issue = 2012-1-1}}</ref>。 |
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| 1=Mido-suji Osaka01s4s3200.jpg |
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[[1932年]](昭和7年)12月の増床時には古美術品売場と'''茶室福寿荘'''開設が行われると共に大阪で指折りの古美術店10店を集めて組織した充美会を結成してノウハウの不足を補って美術品の取り扱いの第一歩を踏み出した<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />。 |
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| 2=梅田阪急ビル・オフィスタワー<br />2009年9月3日、同ビルの地上12階 - 地下2階に、阪急うめだ本店の新店舗・第一期分が先行開業した。 |
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| 3=HEP NAVIO.JPG |
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[[1934年]](昭和9年)9月には洋家具売場の一角に洋画陳列場を開設して春秋会洋画展を開設して洋画の取り扱いを始めるなど比較的早くから美術品の取り扱いを充実させていった<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />。 |
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| 4=阪急百貨店メンズ館 |
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| 5=Hankyu ings.JPG |
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[[1937年]](昭和12年)発行の機関誌'''阪急美術'''1号掲載の'''小林一三'''の文章「買つて置いて必ず損のないもの」に記述されているようにこれら美術品の販売の於いても百貨店全体の大衆路線が展開され、サラリーマンにも購入できる美術品が取り扱われた<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />。 |
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| 6=阪急百貨店イングス館 |
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| 7=HANKYU NISHINOMIYA GARDENS.JPG |
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[[1934年]](昭和9年)には直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />など開業が比較的早い時期から食品関連の自社生産を開始するなど食堂から発展した百貨店<ref name="kurimoto-2002-3" />らしい事業展開も行っていった。 |
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| 8=西宮阪急 |
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| 9=Hankyu Takarazuka Station.JPG |
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一般の小売店による百貨店規制運動に対応して[[1933年]](昭和8年)4月20日に創立総会を開催して設立の認可申請をした日本百貨店商業組合に当店も設立時から参画していて<ref name="chugai-comerce-np-1933-4-25">{{Cite news | title = 百貨店の…商業組合の正体(上) | newspaper = [[中外商業新報]] | publisher = 中外商業新報社 | date = 1933-4-25 }}</ref>、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定していた<ref name="chugai-comerce-np-1933-4-26">{{Cite news | title = 百貨店の…商業組合の正体(中) | newspaper = [[中外商業新報]] | publisher = 中外商業新報社 | date = 1933-4-26 }}</ref>。 |
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|10=宝塚阪急 |
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|11=Kawanishi hankyu.JPG |
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この日本百貨店組合の営業統制規程第三条を受けて[[そごう]]が阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断っていたにも関らず<ref name="osaka-asahi-np-1936-3-18">{{Cite news | title = 阪急三宮食堂が投げた渦紋の石 日本百貨店組合の裁定如何「そごう」折返し注進 | newspaper = [[大阪朝日新聞]] | publisher = 大阪朝日新聞社 | date = 1936-3-18 }}</ref>、阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスだと主張して神戸・[[三宮]]に建設していた駅ビルへの食堂設置<ref name="osaka-asahi-np-1936-3-18" />などを強行し、[[1936年]](昭和11年)4月11日には阪神急行電鉄神戸駅に完成した[[神戸阪急ビル]]内に神戸支店を開業して多店化に乗り出した<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。 |
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|12=川西阪急 |
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|13=Senri Hankyu2.JPG |
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[[1937年]](昭和12年)5月1日に豊中駅構内東改札口に配給所という小型店を開業して同所で受けた注文を直ちに梅田の百貨店に連絡して30分ごとに電車便を使って商品を配送して注文を受けてから1時間後には商品を届ける方式を導入して好評だったため、同年12月4日までに同様の店舗を住吉、芦屋、帝塚山など合計38ヶ所展開して沿線での需要に応えた<ref name="taniuchi-baishin-2012-6" />。 |
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|14=千里阪急 |
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|15=AEON MALL Sakai-Kitahanada.jpg |
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[[1938年]](昭和13年)1月1日に施行された百貨店法(第1次)により禁止されるまでは鉄道利用者の利便性を考慮して夜間営業をして来たが、同法により午後7時までに営業時間が規制されて夜間営業が出来なくなった<ref name="osaka-asahi-np-1937-12-24">{{Cite news | title = 春遠し"首の心配" 夜間営業の廃止が実現したら百貨店員は大整理 | newspaper = [[大阪朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 1937-12-24 }}</ref>。 |
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|16=堺 北花田阪急 |
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|17=OoimachiGarden.JPG |
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=== 第2次世界大戦後の独立と多店化 === |
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|18=阪急大井町ガーデン |
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|19=Yurakucho-hankyu sep2006.jpg |
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[[1945年]](昭和20年)8月28日に解散した'''京阪デパート'''<ref name="taniuchi-baishin-2012-6" />の建物を買収して[[1946年]](昭和21年)に同店跡に食堂付きの'''天満橋マーケット'''を開業して<ref name="keihan-railways-70-1980-4">{{Cite book | 和書 | title = 京阪70年のあゆみ | publisher = 京阪電気鉄道 | date = 1980-4}}</ref>大阪市内で2店目の店舗を開業し、[[1947年]](昭和22年)3月7日に'''株式会社阪急百貨店'''を設立して4月1日から新会社で営業を開始して阪急電鉄から独立し<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />。 |
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|20=阪急MEN'S TOKYO(写真は旧有楽町阪急のもの) |
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[[1953年]](昭和28年)11月23日に東京大井店を開業して東京へ進出し、[[1956年]](昭和31年)5月29日にマツダビルディングに数寄屋橋阪急を開業して銀座の一角へ進出して<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />など東京と関西の双方に店舗を構える百貨店チェーンに成長した。 |
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また、[[1957年]](昭和32年)6月12日と[[1961年]](昭和36年)4月25日と[[1969年]](昭和44年)11月23日に相次いで阪急梅田ビルの増築工事が相次いで竣工して梅田本店の増床を行い<ref name="hankyu-hanshin-100-2008-3">{{Cite book | 和書 | author = 阪急阪神ホールディングス株式会社グループ経営企画部(広報担当)編集 | title = 100年のあゆみ | publisher = 阪急阪神ホールディングス | date = 2008-3}}</ref>、本店の営業力の拡大・強化も図っていった。 |
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[[京阪電気鉄道]]の[[淀屋橋駅]]までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まったため[[1961年]](昭和36年)に天満橋支店を閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還した<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />が、[[1970年]](昭和45年)3月11日に大阪の[[千里ニュータウン]]に'''千里阪急'''、[[1976年]](昭和51年)10月15日に[[京都市]]の四条河原町交差点角に'''四条河原町阪急'''、[[1982年]](昭和57年)10月8日にうめだ本店の別館として'''阪急イングス'''を相次いで開業させて関西の店舗網の強化・拡大を進めた<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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その後も[[1984年]](昭和59年)10月6日に東京の[[有楽町センタービル|有楽町マリオン]]に'''有楽町阪急'''、[[1989年]]([[平成]]元年)[[4月4日]]に兵庫県[[川西市]]に'''川西阪急'''、[[1992年]](平成4年)10月1日に[[神戸ハーバーランド]]に'''神戸阪急'''、[[1993年]](平成5年)4月15日に'''宝塚阪急'''と相次いで出店して関西と東京の2地区で店舗網を拡充していった<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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=== バブル崩壊後の出店 === |
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[[2000年]](平成12年)3月17日に[[横浜市]]の[[港北ニュータウン]]に'''都筑阪急'''を核店舗とするショッピングセンター'''[[モザイクモール港北]]'''<ref name="taihan-news-2000-3-13">{{Cite news | title = 阪急百貨店の郊外S・Cモザイクモール港北 3月17日オープン 横浜市都筑区 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2000-3-13 }}</ref>を開業させて初日に約10万人の客を集め<ref name="taihan-news-2000-4-13">{{Cite news | title = モザイクモール港北初日10万人の顧客で上々のスタート 都筑阪急百貨店 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2000-4-13 }}</ref>、神奈川県への進出と郊外のショッピングセンターへの進出を図った。 |
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また、[[2004年]](平成16年)10月28日に[[堺市]]に開業したダイヤモンドシティ・プラウの核店舗として'''北花田阪急'''<ref name="weekly-diamond-2004-9-25">{{Cite journal | title = 企業レポート 阪急百貨店 本店一本足打法から脱却目指し猛スピードで進む増収大作戦 | journal = 週刊ダイヤモンド 2004.9.25号 | publisher = [[ダイヤモンド社]] | issue = 2004-9-25}}</ref>を正式に開業し<ref name="nissyoku-2004-11-5">{{Cite news | title = ダイヤモンドシティ北花田SCグランドオープン | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2004-11-5 }}</ref>、[[2005年]](平成17年)9月15日には兵庫県三田市のJR三田駅前に子会社の食品スーパー[[阪急オアシス]]と一体型の小型店の'''三田阪急'''を開業し<ref name="nikkei-2005-8-17">{{Cite news | title = 阪急百、ミニ百貨店+スーパー-JR三田駅前、来月初の一体型 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2005-8-17 }}</ref>、実現はしなかったものの[[2006年]](平成18年)には長谷工コーポレーションなどが進めていた<ref name="nikkei-2006-7-19">{{Cite news | title = 阪急百、三越跡出店へ交渉 大阪・北浜、09年にも | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-7-19 }}</ref>大阪市の京阪電気鉄道と大阪市営地下鉄北浜駅に直結する三越大阪店跡地の超高層マンションの低層部の商業施設部分に<ref name="nikkei-2006-7-20">{{Cite news | title = 阪急百、北浜・三越跡に出店検討 堺筋再生の起爆剤に | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-7-20 }}</ref>三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進める<ref name="nikkei-2006-7-19" />など売上高の本店依存率が50%を超える体質から脱して<ref name="weekly-diamond-2004-9-25" />主力地盤である関西での営業基盤の強化を図ろうとした<ref name="nikkei-2006-7-19" />。 |
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しかし、これらの郊外型店が期待したほど収益を上げなかったために集客力のある駅ビル進出を目指し<ref name="nikkei-2006-3-25">{{Cite news | title = 阪急百、博多進出へ本格交渉-郊外出店に壁、駅ビルに活路 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-3-25 }}</ref>、[[2006年]](平成18年)3月24日に博多駅ビルへの進出に向けて[[九州旅客鉄道]]と本格的な交渉に入ることを取締役会で決定して<ref name="nikkei-2006-3-25" />同年4月3日に正式に合意したことを発表し<ref name="nikkei-2006-4-4">{{Cite news | title = 阪急百の博多進出、JR九州と合意 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-4-4 }}</ref>、[[2011年]](平成23年)3月3日に入居する[[JR博多シティ]]と共に'''博多阪急'''を開業した<ref name="nishinippon-news-2011-3-3">{{Cite news | title = 福博 商都競争号砲 JR博多シティ オープン JR社長「愛される街に」 | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2011-3-3 }}</ref>。 |
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また、[[2008年]](平成20年)11月26日に開業した'''西宮阪急'''<ref name="asahi-np-2008-11-26">{{Cite news | title = 阪急西宮ガーデンズがオープン 開店前から列 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2008-11-26 }}</ref>は順調に売上を伸ばして[[2012年]](平成24年)3月期に前年比6.6%増の売上高約231.97億円を上げて<ref name="kobe-np-2012-5-11">{{Cite news | title = 新店効果で3年ぶり増収 阪急、阪神百貨店の親会社 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-5-11 }}</ref>順調に売上を伸ばしている。 |
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=== 食品スーパー事業の再編・強化 === |
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子会社の'''阪急共栄物産'''が[[2001年]](平成13年)2月期の連結決算で売上高約238億円で当期純損失が7.3億円の赤字に陥る<ref name="nissyoku-2001-3-30">{{Cite news | title = 阪急共栄物産、2001年2月期通期業績予想を修正 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2001-3-30 }}</ref>など業績が伸び悩んだため、[[2003年]](平成15年)1月1日付で阪急共栄物産を事業別に分社化して食品スーパー事業を行う資本金1億円の'''阪急ファミリーストア'''など5社を設立し<ref name="nissyoku-2003-2-7">{{Cite news | title = 阪急百貨店、阪急共栄物産を分社化、食品など5社を直接子会社に | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2003-2-7 }}</ref>、同年3月1日に阪急共栄物産を吸収合併して100%出資子会社化した<ref name="nissyoku-2003-2-7" />。 |
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[[2006年]](平成18年)3月27日には医療機器大手で食品スーパーも経営していた[[ニプロ]]から食品スーパー子会社のニッショーを約100億円で買収することを決定して<ref name="nikkei-2006-3-27">{{Cite news | title = 食品スーパー「ニッショー」、阪急百が買収 ニプロから100億円規模 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-3-27 }}</ref>同日発表し<ref name="nikkei-2006-3-28">{{Cite news | title = 関西のスーパー再編機運 阪急百貨店、「ニッショーストア」買収発表 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-3-28 }}</ref>、ニッショーストアを傘下に収めて経営規模をほぼ倍増させるなど規模拡大を図った<ref name="nikkei-2006-3-27" />。 |
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[[2006年]](平成18年)9月に傘下の食品スーパーや食品メーカーなどの食品事業を統括する'''阪食'''を設立して'''阪急オアシス'''など8社を同社の完全子会社とした<ref name="nikkei-2006-7-28">{{Cite news | title = 阪急百、食品事業で統括会社-9月設立 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-7-28 }}</ref>。 |
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=== 不振店舗の業態転換や閉鎖 === |
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[[2004年]](平成16年)8月31日に'''数寄屋橋阪急'''としての営業を終了して子会社の'''阪急ショッピングセンター開発'''に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビル'''モザイク銀座阪急'''として開業し<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11">{{Cite report |date=2004-11 |title=阪急百貨店 株主通信 平成16年11月 誕生! 堺 北花田阪急 |publisher=阪急百貨店 }}</ref>、[[2011年]](平成23年)7月18日に'''有楽町阪急'''としての営業を終了して同年10月15日に全面改装して'''阪急メンズ・トーキョー'''として開業して<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012">{{Cite report |date=2012-5-10 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 平成24年3月期 決算発表 補助資料 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>黒字転換を図った<ref name="nikkei-mj-2010-11-11">{{Cite news | title = H2O、神戸阪急の閉鎖検討、赤字店見直し急ぐ。 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-11-11 }}</ref>。 |
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また、[[2010年]](平成22年)8月22日に四条河原町阪急<ref name="mainichi-np-2010-8-23">{{Cite news | title = 四条河原町阪急:34年の歴史に幕 従業員ら涙ぐみ | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-8-23 }}</ref>、[[2012年]](平成24年)3月11日に神戸阪急<ref name="kobe-np-2012-3-12">{{Cite news | title = 神戸阪急 惜しまれ閉店 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-3-12 }}</ref>と相次いで閉店させるなど不採算店の閉鎖を進めて収益性の高いうめだ本店などへの経営資源の集約を図った<ref name="sankei-np-2011-5-13">{{Cite news | title = 選択と集中 大阪で勝負 H2O 神戸阪急撤退 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-5-13 }}</ref>。 |
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=== うめだ本店の建て替えと別館 === |
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[[ファイル:Hankyu Umeda Osaka Japan June 2005 B.jpg|thumb|220px|right|うめだ本店前「バロックドーム」([[2005年]](平成17年)6月18日撮影)※現存せず]] |
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[[ファイル:Hankyu Umeda Osaka Japan June 2005 A.jpg|thumb|220px|right|阪急梅田駅駅旧コンコース側入口([[2005年]](平成17年)6月18日撮影)※現存せず]] |
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[[ファイル:Hankyu Department Store is being constructed.JPG|thumb|220px|right|梅田阪急ビルの南半分が解体された直後の阪急百貨店うめだ本店([[2007年]](平成19年)11月21日撮影)]] |
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[[ファイル:Umeda Hankyu Building.JPG|thumb|220px|right|梅田阪急ビル([[2009年]](平成21年)6月26日撮影)<br/ >写真右側の第一期分が先行開業した際の模様]] |
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[[2005年]](平成17年)8月16日に解体工事を着工して初日から3日間休業して売り場を北側に移して19日から営業を再開し<ref name="nikkei-2005-8-16">{{Cite news | title = 阪急百梅田本店、建て替え16日着工-「売り尽くしセール」2ヵ月間で売上高1割増 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2005-8-16 }}</ref>、同年9月14日未明から本格的な解体工事に着手した<ref name="osaka-dayly-np-2005-9-13">{{Cite news | title = 優美なアーチ、76年の歴史に幕 阪急梅田本店 | newspaper = [[大阪日日新聞]] | publisher = 新日本海新聞社 | date = 2005-9-13 }}</ref>。 |
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この建て替えに伴い76年間親しまれた[[伊東忠太]]が設計したも[[鳳凰]]、[[竜]]、[[ペガサス]]、[[獅子]]などが描かれたモザイク画の壁画があって天井からシャンデリアがつるされている旧阪急梅田駅コンコース<ref name="osaka-daily-np-2005-9-13">{{Cite news | title = 優美なアーチ、76年の歴史に幕 阪急梅田本店 | newspaper = [[大阪日日新聞]] | publisher = 新日本海新聞社 | date = 2005-9-13 }}</ref>も解体されることになったため保存運動が起きたが<ref name="osaka-daily-np-2005-12-7">{{Cite news | title = 話題を追う「旧梅田駅コンコース 保存求め活動の輪」 | newspaper = [[大阪日日新聞]] | publisher = 新日本海新聞社 | date = 2005-12-7 }}</ref>、ビルの基礎部分から建て替えるため取り壊さざるを得ない<ref name="osaka-daily-np-2005-12-7"/>として解体された<ref name="asahi-np-2012-3-25"/>。 |
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しかし、解体の際には壁画やシャンデリアは保存され<ref name="osaka-daily-np-2005-9-13" />、第2期工事完成後の13階のレストランフロアに建て替え前の旧阪急梅田駅コンコースから撤去されたモザイク壁画が復元されることになった<ref name="asahi-np-2012-3-25">{{Cite news | title = 阪急梅田の壁画、復活 旧駅コンコースからレストランへ | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2012-3-25 }}</ref>。 |
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また、1階コンコースのエレベーター横など2カ所の大理石でできた壁のパネルに埋まっていた夏休みの宿題や自由研究の題材などとして子供たちの人気を集めてきた有名な直径3~5センチの巻き貝の化石も取り壊されることになった<ref name="sankei-np-2005-8-25">{{Cite news | title = 阪急百貨店「貝の化石」取り壊しへ | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2005-8-25 }}</ref>が、化石は壁そのものをくり抜き裏側を加工して建て替え工事に伴って不要となった備品類を入札形式で販売する「もったいないチャリティー入札大会」で[[2005年]](平成17年)9月12日と13日に売却された<ref name="sankei-np-2005-9-12">{{Cite news | title = 阪急百貨店で「もったいない チャリティー」 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2005-9-12 }}</ref>。 |
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入札で工事を請け負った[[大成建設]]が採算が合わないとして建設工事の正式な請負契約を結ばずに受注を辞退したため<ref name="yomiuri-np-2006-10-7">{{Cite news | title = 大阪・梅田阪急 ビル建て替え工事、大成が施工業者返上 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2006-10-7 }}</ref>、[[2006年]](平成18年)末までに<ref name="yomiuri-np-2006-10-7" />大成建設は旧建物の南側地上部分の解体を終えた段階で業務を終了し<ref name="nikkei-2007-1-16">{{Cite news | title = 阪急百本店建て替え工事、大林組に施工業者交代-大成建、受注額折り合わず | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2007-1-16 }}</ref>、[[2007年]](平成19年)1月15日から[[大林組]]が新たな施工業者となって地下部分の解体工事に入るという工事途中での施工業者交代という異例の事態が生じた<ref name="nikkei-2007-1-16" />。 |
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地下に過去の建造物が残っているにも関らず建設当時の図面が完全な形で保存されていないため正確な構造が把握出来ない<ref name="yomiuri-np-2011-4-22">{{Cite news | title = 阪急百貨店本店、全面開業先送り…1年遅れも | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2011-4-22 }}</ref>上、周辺のビル・地下鉄・地下街も考慮しつつ<ref name="supports-nippon-np-2011-4-22">{{Cite news | title = これで3度目 どうして?阪急梅田本店の開業延期 | newspaper = [[スポーツニッポン]] | publisher = スポーツニッポン新聞社 | date = 2011-4-22 }}</ref>百貨店の営業を継続しながら半分ずつ解体・建設するという難工事<ref name="nikkei-2007-1-16" />のため、工事の進捗は当初の予定よりも大幅に遅れている<ref name="kyoto-np-2011-4-22">{{Cite news | title = 阪急梅田本店の開業延期 3度目、1年遅れも | newspaper = [[京都新聞]] | publisher = 京都新聞社 | date = 2011-4-22 }}</ref>。 |
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南側部分の第1期棟は[[2009年]](平成21年)9月3日に売り場面積約27,000m²の百貨店部分が開業し<ref name="asahi-np-2009-9-3">{{Cite news | title = 阪急うめだ本店、建て替え棟開店 1階も食品売り場 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2009-9-3 }}</ref>、[[2010年]](平成22年)4月1日にオフィスタワーを含む第1期棟全体が竣工し<ref name="hankyu-railways-release-2010-3-10">{{Cite report |date=2010-3-10 |title= 梅田阪急ビル建て替えプロジェクト「梅田阪急ビル オフィスタワー」が竣工します |publisher= 阪急電鉄 }}</ref>、同年5月6日に中高層部のオフィスタワーが開業した<ref name="kyoto-np-2010-3-10">{{Cite news | title = 中高層部、5月6日開業 梅田阪急ビル「オフィスタワー」 | newspaper = [[京都新聞]] | publisher = 京都新聞社 | date = 2010-3-10 }}</ref>。 |
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建て替え後の梅田阪急ビルは地上41階-地下2階<ref name="hankyu-railways-release-2010-3-10" />(高さ187メートル<ref name="yomiuri-np-2006-10-7" />)となった。 |
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第1期棟百貨店部分の営業開始を受けて北側部分の第2期棟部分の解体工事に入ったが<ref name="asahi-np-2009-9-3" />、第2期の工事も難航したため<ref name="supports-nippon-np-2011-4-22" />[[2011年]](平成23年)4月22日に3度目の全面開業時期の延期が報道される状況になった<ref name="yomiuri-np-2011-4-22" /><ref name="supports-nippon-np-2011-4-22" /><ref name="kyoto-np-2011-4-22" />。 |
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[[2012年]](平成24年)4月17日に同年11月下旬に当初の予定から約1年半遅れて開業することを発表した<ref name="nikkei-2012-4-18">{{Cite news | title = 阪急本店、11月増床開業、大阪・梅田、年商2100億円めざす | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-4-18 }}</ref>。 |
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そして、2012年(平成24年)10月25日に開業済みの第1期分(南側部分)と合せて新店舗の8割に当たる第2期分(北側部分)を先行開業させた後<ref name="nikkei-2012-10-25">{{Cite news | title = 阪急うめだ本店が増床開業 開店前から長蛇の列 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-10-25 }}</ref>、スポーツ用品などの売場を本館8階の「スポーツファッション イングス」へ移設するため同年11月18日にイングス館を閉鎖し<ref name="sankei-np-2012-11-19">{{Cite news | title = 惜しまれつつ…阪急イングス館が閉館 本館に移転 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2012-11-19 }}</ref>、同年11月21日に新店舗を全館開業した<ref name="mainichi-np-2012-11-21">{{Cite news | author = 南敦子 | title = <阪急百貨店>梅田本店が全館オープン | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2012-11-21 }}</ref>。 |
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[[2008年]](平成20年)2月1日に同じ阪急グループの商業施設[[HEPナビオ]]内に伊勢丹新宿店メンズ館の約1.6倍の売り場面積約16,000m²に約300のブランドを集めた'''阪急メンズ館'''を開店して、開業初年度の目標だった250億円を上回る売上高約265億円を上げた<ref name="yomiuri-np-2009-2-17">{{Cite news | author =岸本英樹 | title = 阪急メンズ館、1年目順調 新鮮さ維持がカギ | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2009-2-17 }}</ref>。 |
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その一方で1990年代前半に売上高約120億円を上げていた子供服とスポーツ用品を扱う'''イングス館'''は[[2010年]](平成22年)3月期に売上高約80億円に落ち込み<ref name="asahi-np-2011-10-28">{{Cite news | title = H2O、来年イングス閉鎖へ 「本店への集約」検討 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2011-10-28 }}</ref>、面積的にも顧客が満足する品揃えが困難だとして、増築工事完成後の本館に集約するため2012年(平成24年)11月18日に閉鎖される<ref name="sankei-np-2012-11-19" />などうめだ本店周辺の別館で明暗が分かれている。 |
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=== 阪神百貨店との経営統合 === |
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[[2005年]](平成17年)10月1日に[[村上世彰]]が率いる[[村上ファンド|M&Aコンサルティング(村上ファンド)]]が阪神百貨店の株式18.19%を保有していることが判明し、他の株式と同様に阪神電気鉄道株式に交換されて村上ファンドがもつ阪神電気鉄道の持ち株比率が38.1%となった<ref name="yomiuri-np-2005-10-3">{{Cite news | title = 村上ファンド、阪神電鉄株の38%取得 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2005-10-3 }}</ref>ため、阪急ホールディングス(現・[[阪急阪神ホールディングス]])が[[ホワイトナイト]]として村上ファンドが所有していた阪神電気鉄道の全株を取得し、一般の株主から買収した分を合わせると、阪神電気鉄道の発行済株式の64.76%を保有することとなり、阪神電気鉄道は阪急ホールディングスの子会社となった。 |
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そのため、阪神電気鉄道の子会社で長年のライバルだった[[阪神百貨店]]と提携の検討が阪急阪神ホールディングスの統合後<ref name="nikkei-2006-7-21">{{Cite news | title = 阪神社長「百貨店再編、年度内に結論」 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-7-21 }}</ref>からされて、[[2007年]](平成19年)10月1日に株式会社阪神百貨店を'''株式会社阪急百貨店'''(初代)が経営統合して'''[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]'''となり<ref name="mainichi-np-2007-10-1">{{Cite news | title = 阪急・阪神百貨店が「H2O」に 1日発足 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2007-10-1 }}</ref>、新たに完全子会社としての'''株式会社阪急百貨店'''(2代目)が設立されて同社が運営する体制へ移行した<ref name="mainichi-np-2007-10-1" />。 |
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その後、百貨店の運営会社を1社に統合するため[[2008年]](平成20年)10月1日に'''株式会社阪急百貨店'''が株式会社阪神百貨店を吸収合併して商号を'''株式会社阪急阪神百貨店'''へ変更して株式会社阪急百貨店としての歴史に終止符を打ったため<ref name="yomiuri-np-2008-3-27">{{Cite news | title = 阪急と阪神が合併、10月1日「阪急阪神百貨店」に | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2008-3-27 }}</ref>、現在は同社の運営となっている<ref name="nikkei-mj-2012-1-18">{{Cite news | title = 2012トップに聞く(6)阪急阪神百貨店社長新田信昭氏 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-1-18 }}</ref>。 |
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=== 他社との提携 === |
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三越と伊勢丹が[[2008年]](平成20年)4月に経営統合することになったことに伴い、[[2007年]](平成19年)12月25日に伊勢丹との業務提携の解消が発表された<ref name="nikkei-2007-12-26">{{Cite news | title = 伊勢丹、統合へ事業整理 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2007-12-26 }}</ref>。 |
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[[2008年]](平成20年)10月に親会社'''エイチ・ツー・オーリテイリング'''は[[高島屋]]と3年以内の経営統合を前提に業務・資本提携して株式を10%ずつ保有しあい、[[2009年]](平成21年)からは一体感を高めて統合作業を円滑に進めるため相互に社外取締役を派遣しあった<ref name="yomiuri-np-2009-4-11">{{Cite news | title = 高島屋と阪急阪神百貨店、相互に社外取締役を選任 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2009-4-11 }}</ref>。 |
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その業務提携の第1弾として[[2009年]](平成21年)4月15日からインターネットでの通信販売における販売促進活動の共同化を行った<ref name="nikkei-2009-4-14">{{Cite news | title = 高島屋とH2O、ネット通販、共同販促、提携第1弾、特典を共通化 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-4-14 }}</ref>。 |
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しかし、経営戦略や統合比率やトップ人事などで協議を進めるほどに差異が露わになり、統合後の重点投資先などを巡る経営方針が折り合わないとして、[[2010年]](平成22年)3月25日に経営統合を断念したと発表すると共に同日付で互いに派遣していた非常勤取締役を引き揚げた<ref name="yomiuri-np-2010-3-26">{{Cite news | title = 高島屋とエイチ・ツー・オー、経営統合を断念 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2010-3-26 }}</ref>。 |
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経営統合の断念後も10%の株式を持ち合う資本提携や、備品・資材の共同購入や中元・歳暮商戦で商品の共通化などの業務提携は継続しており<ref name="yomiuri-np-2010-3-26" />、洋菓子の新ブランド'''PURE FOREST'''を共同開発して[[2011年]](平成23年)春から順次展開を始めている<ref name="nissyoku-2011-1-31">{{Cite news | title = 阪急阪神百貨店と高島屋、洋菓子の新ブランド「PURE FOREST」を共同開発 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2011-1-31}}</ref>。 |
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また、[[2011年]](平成23年)8月10日には親会社エイチ・ツー・オーリテイリングは[[近鉄百貨店]]と次世代情報システムの構築で提携することを発表した<ref name="sankei-np-2011-8-11">{{Cite news | title = H2Oと近鉄百 情報システムで提携 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-8-11 }}</ref>。 |
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=== 独自の食品販売 === |
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[[1934年]](昭和9年)には直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />など早くから独自の食品販売に取組んでいる。 |
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また、1989年(平成元年)には京都で「寺子屋料理塾」を運営していた料理研究家の故・首藤夏世の協力を得て京都の家庭料理'''京のおばんざい'''を立上げ、それを扱う阪急デリカが運営する和惣菜の'''六齋'''は食品関連の全テナントの売上で[[ロックフィールド]]の「RF1」に次ぐ第2位で、和惣菜部門ではトップの売上となる<ref name="nissyoku-2009-4-15">{{Cite news | title = 近畿中四国業務用流通特集:デパ地下惣菜最前線=阪急阪神百貨店 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2009-4-15}}</ref>など当店の強みとなっている。 |
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その他にも[[2003年]](平成15年)9月に[[農業生産法人]]'''有限会社阪急泉南グリーンファーム'''を設立して<ref name="taihan-news-2004-2-16">{{Cite news | title = 阪急百貨店が無農薬 ブランド野菜の生産に新法人を設立 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2004-2-16 }}</ref>大阪府南部を中心に農家の休耕地などを借り受けて<ref name="nikkei-2010-4-27">{{Cite news | title = 貸農園、野菜作りの拠点… 耕作放棄地、企業が活用 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-4-27 }}</ref>[[2004年]](平成16年)4月から<ref name="hankyu-department-store-annual-report-85-2004-6">{{Cite report |date=2004-6-28 |title=阪急百貨店 第85期報告書(平成15年4月1日から平成16年3月31日まで) |publisher=阪急百貨店 }}</ref>無農薬の[[有機野菜]]の栽培を行い<ref name="nikkei-2010-4-27" />、当店及びグループの各店舗で販売をしている<ref name="hankyu-department-store-annual-report-85-2004-6" />。 |
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== 阪急うめだ本店 == |
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=== 本館 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 阪急百貨店うめだ本店<ref name="nikkei-2012-4-18" /> |
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|画像 =Umeda Hankyu.JPG |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急阪神百貨店阪急百貨店うめだ本店 |
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|施設所有者 = 阪急電鉄<ref name="kyoto-np-2010-3-10" /> |
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|施設管理者 = 阪急阪神百貨店 |
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|前身 = |
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|後身 = |
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|敷地面積= 約17,465<ref name="hankyu-railways-release-2010-3-10" /> |
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|商業施設面積= 第1期棟:約27,000m²<ref name="asahi-np-2009-9-3" /><br />全館開業時:約80,000<ref name="nikkei-2012-4-18" /> |
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|延床面積= 約252,000<ref name="asahi-np-2009-9-3" /> |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1929年]](昭和4年)4月15日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
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|閉店日 = |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[阪急電鉄]]・[[阪神電気鉄道]]・[[大阪市営地下鉄]][[梅田駅]]<br />[[西日本旅客鉄道|JR]][[大阪駅]]<br />大阪市営地下鉄[[東梅田駅]]<ref name="hankyu-railways-release-2010-3-10" /> |
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|最寄IC = |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|42|8.2|N|135|29|55.7|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店阪急百貨店うめだ本店}} |
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|所在地郵便番号 = |
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|所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]角田町8番1号<ref name="hankyu-railways-release-2010-3-10" /> |
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|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/honten/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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[[ファイル:Umeda SOUQ.jpg|thumb|220px|right|雑貨エリア「Umeda SOUQ」]] |
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{{Vertical_images_list |
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[[ファイル:Umeda Hankyu festival square.jpg|thumb|220px|right|第2期分の祝祭広場]] |
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|幅=200px |
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[[ファイル:Hankyu_Department.JPG|thumb|220px|right|解体前の旧梅田阪急ビル(阪急百貨店うめだ本店)]] |
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| 1=モザイクモール港北.jpg |
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[[ファイル:Hankyu_Grand_Bld.JPG|thumb|220px|right|阪急うめだ本店サン広場館(手前)<br />([[2005年]](平成17年)8月19日-[[2009年]](平成21年)9月3日)]] |
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| 2=都筑阪急 |
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| 3=JR Hakata City 2011 Jan.jpg |
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[[1920年]](大正9年)11月1日に5階建ての阪急梅田ビル1階に東京日本橋の老舗呉服店系百貨店・白木屋を招致して<ref name="hankyu-railways-75-1982" />'''白木屋梅田出張店'''として営業させたのが始まりであった<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。 |
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| 4=博多阪急 |
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| 5=Taipei city hall bus station north side.jpg |
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梅田駅ビルを地上8階地下2階に全面改築して大幅に拡張し<ref name="sankei-np-1999-10-10" />、敷地面積328坪で延べ床面積3,280坪<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />[[1929年]](昭和4年)4月15日に鉄道会社直営=電鉄系百貨店として開業したターミナル百貨店である<ref name="hankyu-railways-75-1982" /><ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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| 6=統一阪急台北店 |
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| 7=Dream Mall in Kaohsiung.JPG |
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開業直前の[[1929年]](昭和4年)4月13日・14日掲載の開店新聞広告に「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」とのコピーを入れた<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />ように開業当初は大衆向けの路線を採り<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />、開業当初1日平均約2万円だった売上は<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />、[[1931年]](昭和6年)11月に敷地面積628坪で延べ床面積6,191坪として1日平均3.1万円の売上を上げ<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />、[[1932年]](昭和7年)12月に延べ床面積12,000坪で1日平均5万円の売上<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />へと阪急梅田ビルの増築工事を完成させて増床を行って<ref name="hankyu-railways-75-1982" />大衆路線が受けたことと合せて売上を順調に伸ばし<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />、、[[1936年]](昭和11年)には阪急梅田ビルの第4期増築工事が完成して<ref name="kurimoto-2002-3" />売り場面積53,435m²にまで拡大する<ref name="taniuchi-2012-1-1" />など急速に売上を伸ばした。 |
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| 8=統一阪急高雄店 |
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第2次世界大戦後も[[1957年]](昭和32年)6月12日と[[1961年]](昭和36年)4月25日と[[1969年]](昭和44年)11月23日に相次いで阪急梅田ビルの増築工事が相次いで竣工して梅田本店の増床を行い<ref name="hankyu-hanshin-100-2008-3" />、営業力の拡大・強化を図っていった。 |
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JR大阪駅ビルへのJR大阪三越伊勢丹と[[ルクア]]の開業や[[大丸]]大阪梅田店の大幅な増床の計画に触発された大阪市内の百貨店の売り場面積が約3年間で約1.5倍に増大する百貨店の増床競争<ref name="nikkei-2011-5-16">{{Cite news | title = JR、小売り再編走らす-独自性、生き残りの切符に | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-5-16 }}</ref>に対応して旧店舗を2期に分けて解体して全面的に建替えることになり、[[2005年]](平成17年)8月16日に解体工事を着工して初日から3日間休業して売り場を北側に移して19日から営業を再開した<ref name="nikkei-2005-8-16" />。 |
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改装工事に入って売場面積が43,000m²<ref name="nikkei-mj-2009-7-20">{{Cite news | title = 関西の百貨店、増床控えテコ入れ―阪急本店、JR西伊勢丹、京阪百。 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-7-20 }}</ref>に減少した後の[[2006年]](平成18年)3月期下期の減収幅が28%減よりも小さい12%減に留まり<ref name="nikkei-2006-5-13">{{Cite news | title = 阪急百梅田本店、減収幅 予想下回る | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-5-13 }}</ref>、[[2008年]](平成20年)度も売上高約1728.87億円を上げて日経MJの百貨店店舗別売上高ランキングで全国で第3位で大阪ではトップとなる<ref name="nikkei-mj-2009-8-13">{{Cite news | title = 2008年度百貨店店舗別売上ランキング | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-8-13 }}</ref>など強い競争力を保っている。 |
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地下に過去の建造物が残っているにも関らず建設当時の図面が完全な形で保存されていないため正確な構造が把握出来ない<ref name="yomiuri-np-2011-4-22" />上、周辺のビル・地下鉄・地下街も考慮しつつ<ref name="supports-nippon-np-2011-4-22" />百貨店の営業を継続しながら半分ずつ解体・建設するという難工事<ref name="nikkei-2007-1-16" />のため、工事の進捗は当初の予定よりも大幅に遅れ<ref name="kyoto-np-2011-4-22" />、[[2009年]](平成21年)9月3日に南側部分の第1期棟が売り場面積約27,000m²で開業した<ref name="asahi-np-2009-9-3" />。 |
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この新店舗第1期棟での営業開始に伴い売場面積が約27,000m²へと大幅に減少したことに伴って海外高級ブランド品の売場面積を20%以上減らしたにも拘らず前年比10%以上伸ばすなど高級路線を維持している<ref name="yomiuri-np-2010-1-14">{{Cite news | author = 船木七月、井戸田崇志 | title = 百貨店、着々と新戦略…大阪市内 増床ラッシュ | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2010-1-14 }}</ref>。 |
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第1期棟百貨店部分の営業開始を受けて北側部分の第2期棟部分の解体工事に入ったが<ref name="asahi-np-2009-9-3" />、第2期の建替え工事に伴う売場減少の影響は大きく[[2010年]](平成22年)3月期の売上高減少率9%は日本経済新聞社の2010年度百貨店調査の調査対象226店で最大の落ち込みとなって<ref name="nikkei-mj-2011-8-17-2">{{Cite news | title = 2010年度百貨店調査-売上高5年連続減、減収幅縮小、底入れも | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-8-17 }}</ref>同年3月期に売上高約1440.75億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010">{{Cite report |date=2010-6-25 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第91期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>、[[2011年]](平成23年)3月期に売上高約1310.87億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011">{{Cite report |date=2011-6-23 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第92期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>、[[2012年]](平成24年)3月期に前期比5.1%減の売上高約1244.58億円にまで落ち込んでいる<ref name="h2o-retailing-annual-short-report-2012">{{Cite report |date=2012-5-10 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 平成24年3月期 決算短信〔日本基準〕(連結) |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>。 |
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また、この第2期工事に伴うJR大阪駅と阪急梅田駅を結ぶ屋内通路が閉鎖された影響ですぐ北側にある飲食店街「新梅田食道街」の幅約3mの通路が迂回ルートになって閉鎖前の約10倍の1日約1万人超へ急増して朝夕のラッシュ時に信号待ちが重なると通路の中程まで動かなくなるほど混雑するようになって混み過ぎて入り難くなったため売上が減少する店が出た一方で、閉鎖された通路から東側に繋がっていた阪急東通商店街は通行量が平日1日約8000人から5000~6000人に減少して売り上げが2~30%落ちるなど周辺の店舗にも大きな影響を与えることになった<ref name="yomiuri-np-2009-11-2">{{Cite news | title = 迂回利用で通行量激増!でも客足は減少?…新梅田食道街ため息 梅田・阪急工事で道路閉鎖“とばっちり” | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2009-11-2 }}</ref>。 |
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第2期の工事も難航したため<ref name="supports-nippon-np-2011-4-22" />[[2011年]](平成23年)4月22日に3度目の全面開業時期の延期が報道される状況になり<ref name="yomiuri-np-2011-4-22" /><ref name="supports-nippon-np-2011-4-22" /><ref name="kyoto-np-2011-4-22" />、[[2012年]](平成24年)4月17日に同年11月下旬に当初の予定から約1年半遅れて開業することを発表した<ref name="nikkei-2012-4-18" />。 |
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そして、2012年(平成24年)10月25日に新店舗の第2期分(北側部分)を先行開業させた後<ref name="nikkei-2012-10-25" />、スポーツ用品などの売場を本館8階の「スポーツファッション イングス」へ移設するため2012年(平成24年)11月18日にイングス館を閉鎖した<ref name="sankei-np-2012-11-19" />。 |
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2012年(平成24年)11月21日の新店舗の全面開業<ref name="mainichi-np-2012-11-21" />後は「'''暮らしの劇場'''」をコンセプトに<ref name="nissyoku-2012-4-23">{{Cite news | title = 阪急うめだ本店、11月下旬オープン 初年度1900億円目標 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2012-4-23 }}</ref>エンターテインメントや期間限定のマーケットの場ととなる9階には12階まで4層吹き抜けで壁面に映像アートを発信する大型ビジョンを設置する高さ16メートルの情報発信空間'''祝祭広場'''や座席数408席の'''阪急うめだホール'''<ref name="osaka-daily-np-2012-4-18">{{Cite news | title = “劇場型”の百貨店 阪急うめだ本店11月全面開業 | newspaper = [[大阪日日新聞]] | publisher = 新日本海新聞社 | date = 2012-4-18 }}</ref>、600m²の'''阪急うめだギャラリー'''<ref name="osaka-daily-np-2012-4-18" />、関西発の新人アーティストを紹介する'''アートステージ'''<ref name="osaka-daily-np-2012-4-18" />、各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する'''コトコトステージ'''<ref name="nikkei-mj-2011-3-4">{{Cite news | title = 博多阪急、駅ビルに開業、絶好立地、奇策で挑む、高級婦人服・外商なし | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>を各フロアに設置する<ref name="h2o-retailing-shareholders-news-2012-6">{{Cite report |date=2012-6 |title= 株主通信 |publisher= エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>など売場面積80,000m²<ref name="nikkei-2012-4-18">{{Cite news | title = 阪急本店、11月増床開業、大阪・梅田、年商2100億円めざす | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-4-18 }}</ref>の20%に当たる16,000m²を情報発信・サービス空間とし<ref name="nissyoku-2012-4-23" />、「驚きや発見、学び、感動、憧れが詰まっていたかつての百貨店の楽しさを取り戻した」<ref name="osaka-daily-np-2012-4-18" />価格競争でなく文化価値を提供する劇場型百貨店<ref name="nissyoku-2012-4-23" />で「百貨店の原点である価値の提供」をする店舗にして国内最大級の初年度売上高2130億円を目指すとしている<ref name="nikkei-2012-4-18" />。 |
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また、13階のレストランフロアの「シャンデリアテーブル」に建て替え前の旧阪急梅田駅コンコースに飾られていた<ref name="sankei-np-2012-10-20">{{Cite news | author = 松村信仁 | title = ビジネスの裏側 百貨店業界に神風?それとも共倒れ?新生・阪急梅田本店のスゴさと懸念 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2012-10-20 }}</ref>[[伊東忠太]]がデザインした天馬、獅子と鳳凰(ほうおう)を描いたモザイク壁画<ref name="asahi-np-2012-3-25" />が復元された<ref name="sankei-np-2012-10-20" /><ref>シャンデリアテーブルのインテリア(公式サイト)http://www.chandeliertable.com/interior/</ref>。 |
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増床分の売場にはライバルの大丸の手法を参考に専門店の招致も進めた<ref name="nikkei-mj-2012-2-27">{{Cite news | title = Jフロント、パルコ買収、「奥田改革」最終章へ-弱さ知り「脱百貨店」加速 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-2-27 }}</ref>ほか、大丸のうふふガールズや三越伊勢丹のイセタンガール、高島屋大阪店のgokai(ゴカイ)など競合他店で導入された若い女性向けのカジュアルファッションの売場を参考にして20歳前後の学生向けの「うめはんシスターズ」と20代の社会人の女性を対象にした「うめはんジェンヌ」を導入し、従来の主要顧客のは50~60歳代に加えて百貨店離れが進んでいるといわれる若い世代の取り込みも狙うなど地上13階から地下2階のうち6階分を女性向けの売場とした<ref name="sankei-np-2012-10-25-m" >{{Cite news | title = 女性のための店作り極める 阪急梅田本店、25日先行開業 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2012-10-25 }}</ref>。 |
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また、服飾売場に隣接して同じ階に化粧品や靴などの関連する商品の売り場を設置するなど従来の様な品目別のフロア構成に拘らない売場構成も行われている<ref name="sankei-np-2012-10-25-m" />。 |
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更に、10階は仕入れ担当者(バイヤー)が世界から集めた1点ものも含む<ref name="mainichi-np-2012-10-6">{{Cite news | author = 南敦子 | title = 阪急百貨店梅田本店:改装大詰め 大阪・キタ、雑貨で勝負 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2012-10-6 }}</ref>雑貨や文具、手芸、服飾の4分野の商品を<ref name="sankei-np-2012-10-20" />、斜めになった通路や商品実演のコーナーを売場に<ref name="sankei-np-2012-10-20" />混在させて迷ってしまうような感覚を与えて<ref name="mainichi-np-2012-10-6" />街歩きのような楽しさを演出した<ref name="sankei-np-2012-10-20" />うめだスーク(SOUQ)<ref name="mainichi-np-2012-10-6" />とするなど百貨店の楽しさを追求した店舗として顧客の滞在時間を延ばすことで新たな顧客層の獲得と売上拡大を目指している<ref name="sankei-np-2012-10-20" />。 |
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1~6歳の子供を最大2時間まで有料で預けることができる保育施設キッズルームを設置して小さい子供がいる若い女性客がゆったり買い物できるようにしたり<ref name="sankei-np-2012-10-27">{{Cite news | title = ターゲットは「子供連れ?」激化する大阪・キタの百貨店戦争 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2012-10-27 }}</ref>、会員制の化粧室を設置して常連客にゆったりと着替えなどを出来る場所を提供する<ref name="sankei-np-2012-10-24">{{Cite news | title = 関西の雄「くつろぎ」で攻勢 阪急梅田本店あす先行開業 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2012-10-24 }}</ref>など従来百貨店に足を向けにくかった顧客層の取り込み<ref name="sankei-np-2012-10-27" />や上質な顧客へのサービスの充実も図っている<ref name="sankei-np-2012-10-25-m" />。 |
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その他、8階にはスポーツ用品売場のイングスが移転<ref name="asahi-np-2012-11-21">{{Cite news | title = 阪急うめだ、21日全面開業 日本最大級の売り場面積 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2012-11-21 }}</ref>したほか、紳士服・紳士用品が扱われるようになり、2008年に阪急百貨店・メンズ館(現:阪急メンズ大阪)が開店して以来、4年ぶりに本館にメンズファッションフロアが復活した。 |
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この増床により、営業面積を6万m²から8万m²へと拡大することになった<ref name="mainichi-np-2012-11-21" />。これにより2012年(平成24年)11月時点で、関西地区最大級<ref name="sankei-np-2012-10-20" />{{Refnest|group="注釈"|完成時点での日本最大は[[松坂屋]]名古屋本店([[名古屋市]]・[[矢場町 (名古屋市)|矢場町]])の86,758m²である。ただし、メンズ館(16,000m²)<ref name="yomiuri-np-2009-2-17" />を含めると松坂屋を上回る。また、2014年(平成26年)には[[近鉄百貨店]]阿倍野本店が本館100,000m²となる予定である<ref name="nikkei-2012-2-18">{{Cite news | author =早川麗 | title = 大阪「アベノ」、衣食住で吸引力 商業施設開発が刺激 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-2-18 }}</ref>。}}の百貨店になった。また、地下1階部分の不自然な盛り上がりや、周辺地下街との段差(いずれも建設時期の関係によってできたもの)も解消することになった。 |
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[[2011年]](平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11">{{Cite news | title = 阪急阪神百、店舗管理3分割、組織再編、郊外店テコ入れ急ぐ。 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-4-11 }}</ref>。 |
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*通称「'''うめだ阪急'''」。地元や雑誌等では、「うめだ阪急」を略して「うめ阪(はん)」とも呼ばれている。ファッションやコスメ・ビューティー関連の商品力においては関西随一と言われ、「東の新宿伊勢丹・西のうめだ阪急」と呼ばれるほど(一時期、伊勢丹と阪急百は業務提携をしていたが、現在は提携を解消した)、女性ファッションの流行発信基地として幅広い年齢層の女性に人気の高い店舗である。 |
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*[[2008年]](平成20年)9月30日までは(株式会社阪急百貨店の)「大阪・うめだ本店」と称していたが、会社合併の際の百貨店ブランド維持方針に基づき(すなわち「阪神百貨店梅田本店」との兼ね合いから)「阪急うめだ本店」に[[2008年]](平成20年)10月1日に改称された。 |
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==== 大食堂 ==== |
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旧本館7・8階の大食堂は<ref name="sankei-np-1999-10-10" />、高層階からの眺望や食券方式などの目新しさに加えて看板メニューは当時は当時高級品だった'''ライスカレー'''をコーヒー付き25銭で提供して人気を博し<ref name="kyoto-np-2002-8-16" />、第2次世界大戦前に1日1万3千食売れた記録も残っていた<ref name="sankei-np-2011-3-1">{{Cite news | title = 阪急百貨店「大食堂の名物カレー」復活 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-3-1 }}</ref>。 |
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開業直後に襲った昭和恐慌の時代にはライスのみを注文してテーブルに備えられていた<ref name="nishinippon-np-2011-3-4" />ウスターソースをかけただけで食べる'''ソーライス'''が流行した<ref name="sankei-np-2008-1-4" />際には、他の店舗<ref name="sankei-np-2008-1-4" />や当店の大食堂の店員が締め出しを図ろうとしたが<ref name="nishinippon-np-2011-3-4" />、創業者の'''小林一三'''は「今は貧しいが、やがて結婚し子供ができる。その時ここでの食事を思い出し、家族で来てくれるだろう」と考えて「ライスだけの客歓迎」と張り紙をさせ<ref name="nishinippon-np-2011-3-4" />、福神漬けまで付けて出して<ref name="sankei-np-2008-1-4" />話題となった。 |
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[[2002年]](平成14年)8月19日で阪急百貨店の開業時の面影を残すレトロな雰囲気の大食堂の営業を終了し<ref name="kyoto-np-2002-8-16" />、和食の名店や授乳室やベビーベッドを備えた子供連れ用レストラン<ref name="kyoto-np-2002-8-16" />、カフェなど11店の入るレストラン街'''阪急ダイニングステージ'''として同年10月26日に新装開業した<ref name="shikoku-np-2002-10-26">{{Cite news | title = 名物カレーは1200円/阪急大食堂改装オープン | newspaper = [[四国新聞]] | publisher = 四国新聞社 | date = 2002-2-28 }}</ref>。 |
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この改装後にも開業当時からあるステンドグラスや柱などは残され、大食堂の名物のライスカレーは'''ザ・グリル阪急'''に引き継がれたが価格は階層前の750円から1,200円に値上げされた<ref name="shikoku-np-2002-10-26" />。 |
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2011年(平成23年)3月1日には[[ハウス食品]]の協力を得て開店当時の味を再現したカレーをレトルトで復活させて当店や'''阪急オアシス'''などで発売している<ref name="sankei-np-2011-3-1" />。 |
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=== 阪急メンズ大阪 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 阪急メンズ大阪 |
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|画像 =HEP NAVIO.JPG |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急阪神百貨店阪急メンズ大阪 |
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|施設所有者 = |
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|施設管理者 = 阪急阪神百貨店 |
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|前身 = |
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|後身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 約16,000<ref name="yomiuri-np-2009-2-17" /> |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[2008年]](平成20年)2月1日<ref name="yomiuri-np-2009-2-17" /> |
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|閉店日 = |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[阪急電鉄]]・[[阪神電気鉄道]]・[[大阪市営地下鉄]][[梅田駅]]<br />[[西日本旅客鉄道|JR]][[大阪駅]]<br />大阪市営地下鉄[[東梅田駅]]<ref name="hankyu-railways-release-2010-3-10" /> |
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|最寄IC = |
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|位置={{ウィキ座標度分秒|34|42|12.3|N|135|30|0.6|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店・阪急メンズ大阪}} |
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|所在地郵便番号 = 530-0017 |
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|所在地 = 大阪府大阪市北区角田町7-10 |
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|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/honten/hankyu-mens/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
}} |
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=== 関西 === |
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* '''阪急うめだ本店'''([[梅田駅]]前) |
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** 通称「'''うめだ阪急'''」。地元や雑誌等では、「うめだ阪急」を略して「うめ阪(はん)」とも呼ばれている。ファッションやコスメ・ビューティー関連の商品力においては関西随一と言われ、「東の新宿伊勢丹・西のうめだ阪急」と呼ばれるほど(一時期、伊勢丹と阪急百は業務提携をしていたが、現在は提携を解消した)、女性ファッションの流行発信基地として幅広い年齢層の女性に人気の高い店舗である。 |
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** [[2008年]](平成20年)[[9月30日]]までは(株式会社阪急百貨店の)「大阪・うめだ本店」と称していたが、会社合併の際の百貨店ブランド維持方針に基づき(すなわち「阪神百貨店梅田本店」との兼ね合いから)「阪急うめだ本店」に[[2008年]](平成20年)[[10月1日]]に改称された。 |
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* メンズ館 |
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** [[HEP#HEP NAVIO|HEP NAVIO]]を改装して、[[2008年]](平成20年)[[2月1日]]にうめだ本店の別館としてオープン。[[紳士服]]の関連商品を約300ブランド集めており、売場面積約16,000m<sup>2</sup>は百貨店の男性専門館としては日本最大。なお[[2012年]](平成24年)11月下旬(予定)のうめだ本店・増床グランドオープン後も、メンズ館は継続して営業する方針としている。 |
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* イングス館 |
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** [[スポーツ]]用品を取り扱う別館。ingsという[[ネオンサイン]]が目印。[[1982年]](昭和57年)開業。かつての名称は「阪急イングス」であったが、現在は「阪急百貨店イングス館」である。 |
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** [[2009年]](平成21年)9月3日からは、地下1階 - 地下2階に子供服売場が本館より移設され、それに伴いスポーツ用品売場は地上1階 - 3階までとなった。 |
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** [[2012年]](平成24年)11月下旬(予定)の、うめだ本店の増床グランドオープンに合わせて、スポーツ用品・子供服売場が移設されることにより、イングス館を閉鎖する方針としている。 |
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** かつての[[阪急ドラマシリーズ]]では、「阪急イングス」単体で[[CM]]が放送されていた。[[キャッチコピー]]は「何か始めたい人、どこか物足りない人、イングスならもっと夢中になれること、ずっと夢中になれること、(阪急)イングス」であった。 |
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* 西宮阪急([[阪急神戸本線|阪急神戸線]]・[[阪急今津線|今津線]][[西宮北口駅]]前、[[阪急西宮ガーデンズ]]内) 売場面積 25,000m<sup>2</sup> |
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* 宝塚阪急([[阪急宝塚本線|阪急宝塚線]]・今津線[[宝塚駅]]前、ソリオ宝塚内)売場面積 7,191m<sup>2</sup> |
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* 川西阪急(阪急宝塚線[[川西能勢口駅]]前、アステ川西内)売場面積 15,528m<sup>2</sup> |
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* [[千里阪急]]([[北大阪急行電鉄]][[千里中央駅]]前、[[千里ニュータウン]]内) 売場面積 13,771m<sup>2</sup> |
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* [[堺 北花田阪急]]([[大阪市営地下鉄御堂筋線]][[北花田駅]]前、[[イオンモール堺北花田]]内) 売場面積 16,000m<sup>2</sup> |
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* 三田阪急([[福知山線|JR宝塚線]]・[[神戸電鉄]][[三田駅 (兵庫県)|三田駅]]前、キッピーモール内) |
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[[HEP#HEP NAVIO|HEP NAVIO]]を改装して、[[2008年]](平成20年)2月1日にうめだ本店の別館として開業した<ref name="yomiuri-np-2009-2-17" />。開業時の名称は「'''阪急百貨店メンズ館'''」であった<ref name="yomiuri-np-2009-2-17" />。 |
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=== 関東 === |
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* [[都筑阪急]] [[横浜市営地下鉄]][[センター北駅]]前、[[モザイクモール港北]] 売場面積 17,511m<sup>2</sup> |
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** [[2000年]](平成12年)3月17日に開業。関東地区の同社店舗では唯一、総合百貨店業態となっている。 |
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うめだ本店の紳士服売場時代の約5,300m²の約3倍の6フロアに広がる約16,000m²の売場<ref name="nikkei-2008-8-23">{{Cite news | title = 阪急メンズ館、客足好調 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2008-8-23 }}</ref>に約300ブランドの[[紳士服]]の関連商品を集めた伊勢丹新宿店メンズ館の約1.6倍の規模を誇る日本最大のメンズファッションの専門館で<ref name="yomiuri-np-2009-2-17" />、紳士物のスーパーブランドショップと呼ばれている<ref name="sankei-np-2011-4-30">{{Cite news | title = 【百貨繚乱 2011年問題の行方】(5)メンズ戦争 おしゃれ男子、囲い込み | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-4-30 }}</ref>。 |
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* 阪急[[大井町駅|大井]]食品館 |
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** [[2011年]](平成23年)3月16日 - 関東進出1号店舗の、大井阪急が「阪急大井町ガーデン」として2014年開業を目指して建て替えを行っているが、2期に分けて開発中の第一期開発部分(食品館)を同日開店。 |
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専属のスタイリストが顧客の好みや予算を考慮しながら買い物に付き添って帽子から靴までトータルコーディネートをする会員制の'''スタイルメイキングクラブ'''などサービスにも力を入れている<ref name="sankei-np-2011-4-30" />。 |
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* 阪急MEN'S TOKYO(旧:有楽町阪急)[[有楽町駅]]前、[[有楽町センタービル|有楽町マリオン]] 売場面積 11,206m<sup>2</sup> |
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** [[1984年]](昭和59年)10月の有楽町マリオン開業と同時に「'''有楽町阪急'''」として開店。主に20代、30代以上の女性をターゲットとし女性向けファッションを中心に扱っていた。また開店時には、「マリオン現象」とも呼ばれ話題となった。 |
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** かつては[[西武百貨店#過去の西武百貨店の店舗と現在|有楽町西武]]と通路を挟んで地下食料品売り場が存在した。 |
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** [[2011年]](平成23年)1月20日、同年秋に男性向け衣料品専門館「阪急MEN'S TOKYO」に全面改装されることが発表された。近年の銀座地区の商業競争激化に加え、2010年12月25日に隣接の[[西武百貨店#過去の西武百貨店の店舗と現在|西武有楽町店]]が閉店し、その跡地に[[JR東日本グループ]]の[[ファッションビル]]である[[ルミネ]]が、[[2011年]](平成23年)10月28日に開店することになり、競争激化が予想されたことで、同年7月中旬から一時休業の上、改装・業態転換が行われた<ref name="Yura">{{cite news |url=http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110121k0000e040044000c.html|title=阪急有楽町店:男性向け衣料品・雑貨専門店に全面改装へ|publisher=[[毎日新聞社]]|date=2011年1月21日}}</ref><ref name="Yura_Mens">[http://www.h2o-retailing.co.jp/news/pdf/2010/110121_renewal.pdf 有楽町阪急 全面リニューアル(「メンズ館」化)について]</ref>。 |
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** [[2011年]](平成23年)10月15日に改装・業態転換が完成し、「阪急MEN'S TOKYO」が開業した。キャッチフレーズは「'''世界が舞台の、男たちへ。'''」、またイメージキャラクターには、歌舞伎俳優の[[市川海老蔵 (11代目)|市川海老蔵]]が起用された。 |
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専門性の強さから中・四国や北陸を含む広大なエリアからポイントカード会員約18万人を集める広域の商圏を誇る店舗となっている<ref name="sankei-np-2011-4-30" />。 |
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=== 九州 === |
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* [[博多阪急]]([[博多駅]]前、[[JR博多シティ]])売場面積 42,000m<sup>2</sup> |
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** [[2011年]](平成23年)3月3日のJR博多シティ開業と同時に開店。九州初出店であり、核テナントである。 |
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開業から半年でうめだ本店にあった前年同期比で約70%増の売上高約135億円<ref name="nikkei-2008-8-23" />、開業初年度の年間では約870万人の来店客を集めて約265億円でうめだ本店にあった前年同期比で約60%増となるなど順調に売上を伸ばした<ref name="yomiuri-np-2009-2-17" />。 |
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=== 日本国外 === |
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* 統一阪急百貨高雄店([[台湾]]・[[高雄市]]、[[高雄捷運]][[高雄捷運紅線|紅線]][[凱旋駅 (高雄市)|凱旋駅]]前) |
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** 2010年10月開業。敷地面積16,800m<sup>2</sup>、商業施設面積26,000m<sup>2</sup>、延床面積144,000m<sup>2</sup>。 |
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* 統一阪急百貨台北店([[台湾]]・[[台北市]]、[[台北捷運]][[台北捷運南港線|南港線]][[市政府駅]]前) |
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2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。 |
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== 今後の予定 == |
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{{予定|section=1|date=2011年10月28日 (金) 04:41 (UTC)}} |
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2012年(平成24年)のうめだ本店の全館開業にあわせて、同店の名称も「'''阪急メンズ大阪'''」に改称された<ref name="asahi-np-2012-11-21" />。 |
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* [[2012年]](平成24年) - 11月下旬(開店日は未定)に、阪急うめだ本店が新ビル(新梅田阪急ビル)内で全面開店。同時にスポーツ用品・子供服売場を移設することにより、イングス館を閉鎖<ref>[http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819A96E0E5E2E1E38DE0E5E3E2E0E2E3E39E9693E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E5 阪急「イングス」閉鎖・集約 大阪の百貨店、効率化競う] 日経新聞 2011年10月28日</ref>。 |
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== その他各店舗 == |
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=== 千里阪急 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 千里阪急 |
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|画像 =Senri Hankyu2.JPG |
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|画像説明 = |
|||
|正式名称 = 阪急阪神百貨店千里阪急 |
|||
|施設所有者 = |
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|施設管理者 = 阪急阪神百貨店 |
|||
|前身 = |
|||
|後身 = |
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|敷地面積= 4,299 |
|||
|商業施設面積= 13,803<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
|||
|延床面積= 21,894 |
|||
|店舗数 = |
|||
|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
|||
|開業日 = [[1970年]](昭和45年)3月11日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
|||
|閉店日 = |
|||
|営業時間 = |
|||
|最寄駅 = [[北大阪急行電鉄]][[千里中央駅]] |
|||
|最寄IC = |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|48|35.2|N|135|29|45.4|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店千里阪急}} |
|||
|所在地郵便番号 = |
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|所在地 = |
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|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/senri/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1970年]](昭和45年)3月11日に[[千里ニュータウン]]の中心的な商業地区とされた北大阪急行電鉄千里中央駅に隣接する地区に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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阪急百貨店が関西で初めて郊外に出店した百貨店である。 |
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[[2005年]](平成17年)3月期で売上高約181.65億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005">{{Cite report |date=2005-6-29 |title=阪急百貨店 第86期営業報告書 |publisher=阪急百貨店 }}</ref>、[[2006年]](平成18年)3月期で売上高約189.34億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006">{{Cite report |date=2006-6-28 |title=阪急百貨店 第87期有価証券報告書 |publisher=阪急百貨店 }}</ref>、[[2007年]](平成19年)3月期で売上高約191.55億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007">{{Cite report |date=2007-6-29 |title=阪急百貨店 第88期営業報告書 |publisher=阪急百貨店 }}</ref>、[[2008年]](平成20年)3月期で売上高約193.56億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008">{{Cite report |date=2009-6-25 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第89期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>と順調に売上を伸ばした。 |
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リーマンショックが期中にあった[[2009年]](平成21年)3月期に前年比でマイナスになって売上高約187.01億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009">{{Cite report |date=2009-6-25 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第90期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>となり、翌年からも[[2010年]](平成22年)3月期に売上高約172.54億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010">{{Cite report |date=2010-6-25 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第91期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>、[[2011年]](平成23年)3月期で売上高約173.17億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011">{{Cite report |date=2011-6-23 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第92期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>、[[2012年]](平成24年)3月期で売上高約172.65億円<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />と売上の減少が続いているものの減少幅は徐々に縮小し始めている。 |
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2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は北摂地域の店舗や西宮と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。 |
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=== 堺北花田阪急 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 堺北花田阪急 |
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|画像 =AEON MALL Sakai-Kitahanada.jpg |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急阪神百貨店堺北花田阪急 |
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|施設所有者 = |
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|施設管理者 = イオンモール |
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|前身 = |
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|後身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 16,000<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
|||
|駐車場数 = |
|||
|商圏人口 = |
|||
|開業日 = [[2004年]](平成16年)10月28日<ref name="nissyoku-2004-11-5" /> |
|||
|閉店日 = |
|||
|営業時間 = |
|||
|最寄駅 = [[大阪市営地下鉄御堂筋線]][[北花田駅]]<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" /> |
|||
|最寄IC = |
|||
|位置={{ウィキ座標度分秒|34|35|4.9|N|135|30|54.1|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店堺北花田阪急}} |
|||
|所在地郵便番号 = 591-8008 |
|||
|所在地 = 大阪府堺市東浅香山町4丁目1番12号<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" /> |
|||
|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/kitahanada/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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大阪府堺市に開設されたダイヤモンドシティ・プラウ<ref name="weekly-diamond-2004-9-25" />(現在の[[イオンモール堺北花田]])の2核1モールの核店舗の一つとして[[2004年]](平成16年)10月28日に開業した<ref name="nissyoku-2004-11-5" />。 |
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売上高の本店依存率が50%を超える体質から脱却を目指して<ref name="weekly-diamond-2004-9-25" />車社会の進展に伴う郊外型ショッピングセンターへの進出を目指す<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />郊外型百貨店のプロトタイプとして出店した戦略店舗であった<ref name="weekly-diamond-2004-9-25" />。 |
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「地域に融合したコミュニティー百貨店」をコンセプトに生鮮食料品や百貨店ならではの総菜や菓子類などを取り揃えた食品売場に注力して売上の約50%を食料品売場で上げることを目指すと共に、2階の大型こども広場'''もくもく広場'''を開設したり、地元の幼稚園児から募集したタイルを飾ったり、地元の主婦から募集したレシピを元にした総菜を並べるなど地域に密着した日常性の高い売場となっている<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />。 |
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売上高100億円で営業利益3億円<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />を目標に営業を開始したが、[[2006年]](平成18年)3月期で売上高約87.64億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />と開業当初は低迷した。 |
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そのため、ポイントカード顧客を中心に来店促進施策を強化して顧客の固定化を進めると共に、[[2005年]](平成17年)秋に化粧品の品揃えを拡充、[[2007年]](平成19年)春には婦人ファッションを強化するなど見直しを進め、[[2007年]](平成19年)3月期で売上高約95.71億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />、[[2008年]](平成20年)3月期で売上高約104.3億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />にまで増加させて軌道に乗せた。 |
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=== 西宮阪急 === |
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{{商業施設 |
|||
|社色 = #7973c2 |
|||
|文字色 = #fff |
|||
|名称 = 西宮阪急 |
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|画像 =HANKYU NISHINOMIYA GARDENS.JPG |
|||
|画像説明 = |
|||
|正式名称 = 阪急阪神百貨店西宮阪急 |
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|施設所有者 = 阪急電鉄 |
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|施設管理者 = |
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|前身 = |
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|後身 = |
|||
|敷地面積= |
|||
|商業施設面積= 25,000<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
|||
|駐車場数 = 約3,000台<ref name="kobe-np-2008-12-3" /> |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[2008年]](平成20年)11月26日<ref name="asahi-np-2008-11-26" /> |
|||
|閉店日 = |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[阪急電鉄]][[阪急神戸本線|神戸線]]・[[阪急今津線|今津線]][[西宮北口駅]]<ref name="asahi-np-2008-11-25">{{Cite news | author =吉野太一郎、多賀谷克彦 | title = 阪急西宮ガーデンズ、開業へ 阪神間の高級志向を刺激 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2008-11-25 }}</ref> |
|||
|最寄IC = |
|||
|位置={{ウィキ座標度分秒|34|44|37.6|N|135|21|34.3|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店西宮阪急}} |
|||
|所在地郵便番号 = 663-8204 |
|||
|所在地 = [[兵庫県]][[西宮市]]高松町14番1-3号 |
|||
|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/nishinomiya/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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[[2008年]](平成20年)11月26日に兵庫県西宮市の阪急西宮スタジアム跡地に開業した[[阪急西宮ガーデンズ]]<ref name="asahi-np-2008-11-26" />の核店舗として268店舗と共に<ref name="asahi-np-2008-11-25" />開業した<ref name="asahi-np-2008-11-26" />。 |
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阪急電鉄西宮北口駅から動く歩道も設置された歩行者デッキで直結で直結している<ref name="kobe-np-2008-12-3">{{Cite news | title = 西宮ガーデンズ開業で乗降客が3倍!阪急西宮北口駅 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2008-12-3 }}</ref>。 |
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ブランド品を身につけた高級志向の人が多い西宮や芦屋を商圏とする特性を踏まえ、「西宮上質生活」をコンセプトとしているが、うめだ本店との差別化や都心ではない郊外型店としての日常性重視の観点から、メインエントランス周辺への海外高級ブランドではなくアクセサリーや化粧品など身近な雑貨を並べている<ref name="asahi-np-2008-11-25" />。 |
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子育て中の団塊ジュニア世代らの人口が増えている商圏の特性を踏まえ<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />、うめだ本店を大幅に上回る子供服や玩具の売場を設け<ref name="asahi-np-2008-11-25" />、教育熱心で富裕な家庭が多いため玩具売場の取扱商品もテレビアニメのキャラクター玩具は置かずに木製の知育玩具に注力し<ref name="asahi-np-2008-11-25" />、子供服売り場に無料で絵本を読めるスペースや育児教室を設置して百貨店から足が遠のいていた団塊ジュニア世代の集客に成功している<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />。 |
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また、当店で始めて設置された'''コトコトステージ'''という各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みは成功し<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />、博多阪急にも展開された<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />ほか、全館開業後のうめだ本店への展開も予定されている<ref name="h2o-retailing-shareholders-news-2012-6">{{Cite report |date=2012-6 |title= 株主通信 |publisher= エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>。 |
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当店の地方の物産展開催に合せて西宮ガーデンズ内のカフェでその物産を使ったメニューを出すなどショッピングセンター内の他店と連携したイベント展開を行い、開業初年度の売上高が最多というケースがほとんどの郊外型ショッピングセンターの常識を覆して阪急西宮ガーデンズの売上高が初年度の約659億円から開業2年目に約676億円へ伸びた<ref name="sankei-np-2011-2-21">{{Cite news | title = 西宮ガーデンズ、売上高676億円 「2年目減少」の常識覆す | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-2-21 }}</ref>。 |
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当店も[[2010年]](平成22年)3月期の売上高約191.9億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />から[[2011年]](平成23年)3月期は売上高約217.63億円、[[2012年]](平成24年)3月期で前期比6.6%増の売上高約231.97億円<ref name="kobe-np-2012-5-11" />とリーマンショック後の消費低迷の状況にもかかわらず[[2010年]](平成22年)1月以降27ヶ月連続で前年を上回って売上を伸ばしている<ref name="h2o-retailing-annual-short-report-2012">{{Cite report |date=2012-5-10 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 平成24年3月期 決算短信〔日本基準〕(連結) |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>。 |
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[[2011年]](平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は北摂地域の店舗と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。 |
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{{See also|阪急西宮ガーデンズ}} |
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=== 川西阪急 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 川西阪急 |
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|画像 =Kawanishi hankyu.JPG |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急阪神百貨店川西阪急 |
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|施設所有者 = |
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|施設管理者 = 川西都市開発<ref name="kobe-np-2012-3-6">{{Cite news | author =霍見真一郎 | title = 川西の中心施設 核テナントのスーパー撤退へ | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-3-6 }}</ref> |
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|前身 = |
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|後身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 15,528<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
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|延床面積= 約74,000<ref name="kobe-np-2012-3-6" /> |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1989年]]([[平成]]元年)[[4月4日]]<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
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|閉店日 = |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[阪急電鉄]][[川西能勢口駅]]<br />[[西日本旅客鉄道|JR]][[川西池田駅]]<ref name="kobe-np-2012-3-6" /> |
|||
|最寄IC = |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|49|35.4|N|135|24|45.8|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店川西阪急}} |
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|所在地郵便番号 = |
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|所在地 = |
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|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/kawanishi/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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阪急川西能勢口駅とJR川西池田駅の間にある約130店舗が入るショッピングセンター'''アステ川西'''の核テナントとして<ref name="kobe-np-2012-3-6" />[[1989年]]([[平成]]元年)[[4月4日]]に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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[[1995年]](平成7年)には開業当初の2倍に売上を伸ばし、紀伊國屋書店などと共に再開発ビル6棟が立ち並ぶ駅前の賑わいの中核の一つとなっている<ref name="kobe-np-2002-1-11">{{Cite news | title = にぎわい再生 街づくりへの挑戦 5.川西・駅周辺 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2002-1-11 }}</ref>。 |
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[[2005年]](平成17年)3月期で売上高約192.66億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]](平成18年)3月期で売上高約198.72億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />、[[2007年]](平成19年)3月期で売上高約206.69億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />、[[2008年]](平成20年)3月期で売上高約210.88億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった[[2009年]](平成21年)3月期には前年比でマイナスになったものの売上高約201.52億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009" />と年間売上高約200億円を数年間安定していた。 |
|||
[[2010年]](平成22年)3月期にはリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約186.36億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />、[[2011年]](平成23年)3月期で売上高約184.58億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011" />、[[2012年]](平成24年)3月期で売上高約181.05億円<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />と売上は落ち込んだものの、年間売上高約180億円以上を維持し続けている。 |
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[[2011年]](平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は北摂地域の店舗や西宮と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。 |
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当店の近隣には阪急阪神百貨店の子会社である阪急商業開発がショッピングセンター'''モザイクボックス川西'''を運営している<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />。 |
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=== 宝塚阪急 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 宝塚阪急 |
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|画像 =Hankyu Takarazuka Station.JPG |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急阪神百貨店宝塚阪急 |
|||
|施設所有者 = 阪急電鉄・阪急バス・ソリオ宝塚都市開発<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
|||
|施設管理者 = 阪急阪神百貨店 |
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|前身 = |
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|後身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 7,191<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1993年]](平成5年)4月15日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
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|閉店日 = |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[阪急電鉄]][[宝塚駅]] |
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|最寄IC = |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|48|34.3|N|135|20|31.2|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店宝塚阪急}} |
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|所在地郵便番号 = |
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|所在地 = |
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|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/takarazuka/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1993年]](平成5年)4月15日に阪急電鉄宝塚駅の新ターミナルビル内に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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当初は開業直前の[[1993年]](平成5年)1月に設立された子会社の株式会社宝塚阪急が経営していたが、[[2002年]](平成14年)4月に阪急百貨店が株式会社宝塚阪急を吸収合併している<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。 |
|||
売場面積は小さいものの、[[2005年]](平成17年)3月期で売上高約98.46億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]](平成18年)3月期で売上高約101.48億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />、[[2007年]](平成19年)3月期で売上高約105.12億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />、[[2008年]](平成20年)3月期で売上高約107.68億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった[[2009年]](平成21年)3月期には前年比でマイナスになったものの売上高約102.88億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009" />と年間売上高100億円を数年間安定して上回り続けた。 |
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[[2010年]](平成22年)3月期にはリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約93.02億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />、[[2011年]](平成23年)3月期で売上高約91.67億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011" />、[[2012年]](平成24年)3月期で売上高約89.06億円<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />と売上は落ち込み続けているものの、売場面積辺りの売上では他店と比べて比較的高い金額を維持し続けている。 |
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[[2011年]](平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は北摂地域の店舗や西宮と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。 |
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=== 三田阪急 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 三田阪急 |
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|画像 = |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急阪神百貨店三田阪急 |
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|施設所有者 = 三田地域振興株式会社ほか<ref name="kobe-np-2005-10-26">{{Cite news | author =斉藤絵美 | title = JR三田駅前の商業ビル オープンから1カ月 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2005-10-26 }}</ref> |
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|施設管理者 = 三田地域振興株式会社<ref name="kobe-np-2005-10-26" /> |
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|前身 = |
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|後身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 2,143<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
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|延床面積= 21,740<ref name="kobe-np-2005-10-26" /> |
|||
|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[2005年]](平成17年)9月15日<ref name="nikkei-2005-9-15">{{Cite news | title = JR三田駅前に、大型商業施設 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2005-9-15 }}</ref> |
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|閉店日 = |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[福知山線|JR宝塚線]]・[[神戸電鉄]][[三田駅 (兵庫県)|三田駅]] |
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|最寄IC = |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|53|16.8|N|135|13|44.1|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店三田阪急}} |
|||
|所在地郵便番号 = |
|||
|所在地 = |
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|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/sanda/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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日本一の人口増加を10年間続けた兵庫県三田市の旧市街地本町に近いJRと神戸電鉄の三田駅前<ref name="kobe-np-2002-1-12">{{Cite news | title = にぎわい再生 街づくりへの挑戦 6.三田・本町 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2002-1-12 }}</ref>で[[1982年]](昭和57年)に再開発ビル建設の計画が浮上して百貨店[[大丸]]の出店が決まっていたが[[1993年]](平成5年)に出店を断念したため、当社が出店することになったのが始まりである<ref name="kobe-np-2005-10-26">{{Cite news | author =斉藤絵美 | title = JR三田駅前の商業ビル オープンから1カ月 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2005-10-26 }}</ref>。 |
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しかし、商圏人口が予想より伸び悩んだことを理由に[[1994年]](平成6年)に全フロアでの出店を取り止めて2フロアのみへ縮小する方針を打ち出し、保留床も買取から賃貸へ変更となった<ref name="kobe-np-2005-10-26" />。 |
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また、2フロアの内1階の食品売場部分もグループの食品スーパー'''阪急オアシス'''が運営し、2階のファッション売場のみを直営としてうめだ本店の菓子の取り寄せサービスなどで規模の小ささを補う営業形態となっており、人口の少ない郊外立地の実験店としての性格を持たせている<ref name="nikkei-2005-8-17">{{Cite news | title = 阪急百、ミニ百貨店+スーパー-JR三田駅前、来月初の一体型 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2005-8-17 }}</ref>。 |
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[[2005年]](平成17年)9月13日のビルの竣工式<ref name="kobe-np-2005-10-26" />を受けて、その翌々日の15日に三田駅前一番館(キッピーモール)の核店舗として開業した<ref name="nikkei-2005-9-15" />。 |
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当店の入居するビルは3階と4階は専門店街で5階がレストラン街、6階に市が運営する「まちづくり協働センター」などが入居する複合施設となっている<ref name="nikkei-2005-9-15" />。 |
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[[2011年]](平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。 |
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=== 博多阪急 === |
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{{main|博多阪急}} |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
|||
|文字色 = #fff |
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|名称 = 博多阪急 |
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|画像 =JR Hakata City 2011 Jan.jpg |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急阪神百貨店博多阪急 |
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|施設所有者 = 九州旅客鉄道<ref name="nishinippon-news-2011-3-4" /> |
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|施設管理者 = 博多ターミナルビル |
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|前身 = 博多井筒屋<ref name="asahi-np-2007-4-1">{{Cite news | title = 九州の玄関口、41年の歴史に幕 博多の井筒屋閉店 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2007-4-1 }}</ref> |
|||
|後身 = |
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|敷地面積= |
|||
|商業施設面積= 41,835<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
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|延床面積= 約200,000<ref name="nishinippon-news-2011-3-4" /> |
|||
|店舗数 = |
|||
|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[2011年]](平成23年)3月3日<ref name="nishinippon-news-2011-3-3" /> |
|||
|閉店日 = |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[九州旅客鉄道|JR]]・[[福岡市営地下鉄空港線]][[博多駅]] |
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|最寄IC = |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|33|35|21.5|N|130|25|13.1|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店博多阪急}} |
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|所在地郵便番号 = 812-0012 |
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|所在地 = [[福岡県]][[福岡市]][[博多区]]博多駅中央街1番1号 |
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|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/hakata/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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JR博多駅ビルの再開発ビルへの出店について、当初は[[2004年]](平成16年)1月に九州旅客鉄道が[[高島屋]]を招致したい意向を表明して<ref name="nikkei-mj-2004-1-29">{{Cite news | title = 博多駅再開発、高島屋誘致を表明 JR九州社長、東急ハンズも候補 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2004-1-29 }}</ref>、高島屋も打診に対して出店に前向きだったため同社と交渉が進められていた<ref name="nikkei-2005-1-27">{{Cite news | title = JR博多新駅ビル百貨店、コンペで選定 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2005-1-27 }}</ref>が[[2005年]](平成17年)4月12日の決算発表の席で条件が合えば出店したいと地元最大の百貨店[[岩田屋]]を上回る規模での出店を目指して交渉していた<ref name="nishinippon-news-2005-4-13">{{Cite news | title = 博多駅新ビル 高島屋が出店方針 社長表明 面積、福岡市最大に | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2005-4-13 }}</ref>が、百貨店部分と専門店街部分の売り場面積の構成で折り合わず交渉が難航した<ref name="yomiuri-np-2006-2-28">{{Cite news | title = 新博多駅ビルの高島屋出店交渉が難航・JR九州計画と開き | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2006-2-28 }}</ref>ため、九州旅客鉄道が急遽当社との出店協議に切替えた<ref name="nishinippon-news-2011-3-4">{{Cite news | title = 博多シティ 初日22万人 行列1300人、徹夜組も 正式開業 九州の流通競争 新時代 | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>。 |
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建替え前の旧駅ビルで営業してきた井筒屋は[[2005年]](平成17年)1月26日に社長名の文書で「新駅ビルへの核百貨店としての出店について前向きに検討したい」などと営業継続を求めていた<ref name="nikkei-2005-1-27" />。 |
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他社に優先して交渉することを主張した井筒屋の訴えで福岡簡易裁判所で同年12月に第1回、[[2006年]](平成18年)1月31日に第2回の調停が行われたが、九州旅客鉄道も他社と同列に扱う方針を曲げず溝が埋まらなかったため、調停は決裂しかけた<ref name="nikkei-mj-2006-2-3">{{Cite news | title = 博多駅再開発 JR九州・井筒屋、決裂も | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-2-3 }}</ref>。 |
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しかし、最終的には補償金45億円を支払って退去してもらい<ref name="nishinippon-news-2011-3-4" />、[[2007年]](平成19年)3月31日に博多井筒屋は閉店した<ref name="asahi-np-2007-4-1" />。 |
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[[2006年]](平成18年)3月24日に博多駅ビルへの進出に向けて九州旅客鉄道と本格的な交渉に入ることを取締役会で決定して<ref name="nikkei-2006-3-25" />同年4月3日に正式に合意したことを発表し<ref name="nikkei-2006-4-4" />、その後駅ビルの建て替えが進められた。 |
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[[2011年]](平成23年)3月3日に入居する[[JR博多シティ]]と共に博多阪急を開業し<ref name="nishinippon-news-2011-3-3" />、九州へ初進出<ref name="nikkei-2006-4-29">{{Cite news | title = “関西の雄”阪急、博多へ 駅前立地、天神と2極狙う | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-4-29 }}</ref>した。 |
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1日35万人が乗降する九州最大のターミナルの駅ビルという利便性を背景に当店を含むJR博多シティ全体で開業初日に約22.2万人を集めた<ref name="nishinippon-news-2011-3-4" />。 |
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「暮らしの学校」をコンセプトとして<ref name="nikkei-mj-2010-11-12">{{Cite news | title = 博多阪急、来春に開業、「駅前」と「天神」激戦に、カードで顧客囲い込み | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-11-12 }}</ref>西宮阪急で成功した'''コトコトステージ'''という各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みを導入して2階を除く全フロアに大小20カ所設置してするなど物販以外のスペースが店舗面積の約15%を占めているほか、男性向けのコーディネート支援サービスも導入するなど提案型のサービス機能に注力している<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />。 |
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20代OLに低単価でも頻繁に買い物に来てもらうことを狙ってファッションビル並みの低単価のレディスファッションを扱う'''ハカタシスターズ'''を設けて高級婦人服を扱う特選売場を設置しないなど主力の婦人服売場の商品の多くを単価1万円未満に抑えるなど従来の百貨店の品揃えと大きく異なる商品展開を行っている<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />。 |
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また、大手百貨店が大都市の主要店舗で展開している富裕層や法人を対象とする外商を設置しないなど珍しい営業戦略を採っている<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />。 |
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こうした当店の若い女性等を対象にしたファッションビル並みの価格帯の商品を扱う戦略をとった影響もあり、当店を含むJR博多シティの開業半年後の[[2011年]](平成23年)7月に天神地区の3百貨店(岩田屋本店、博多大丸、福岡三越)が前年同月比で4.7%減だったのに対して、ファッションビルの福岡パルコが15%減、ソラリアプラザが10%減となるなど競合する大型店の中でも百貨店よりもファッションビルの方が大きな落ち込みを見せる結果となっている<ref name="mainichi-np-2011-9-2">{{Cite news | title = JR博多シティ開業半年 福岡市の客、食い合いに 商圏拡大進まず | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2011-9-2 }}</ref>。 |
|||
当店の開業半年間で来店客数が想定の1.5倍の約1820万人に達したが、売上は約200億円で計画を約8%上回っただけに留まり、客単価が想定以上に低かったためクレジットカード会員など固定客の増加による単価引上げを目指すことになった<ref name="nishinippon-news-2011-9-5">{{Cite news | title = JR博多シティ 開業半年で来館3080万人 博多阪急 売上高200億円 | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2011-9-5 }}</ref>。 |
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当店が始めて年間を通じて営業した[[2012年]](平成24年)3月期に当店が売上高約372.59億円と初年度目標の370億円を少し上回り<ref name="yomiuri-np-2012-5-11">{{Cite news | title = 博多阪急年商372億円、初年度目標を達成 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2012-5-11 }}</ref>、エイチ・ツー・オーリテイリングの連結決算も前期比8.7%増の売上高約5055.88億円で3年ぶりの増収となるなど順調な滑り出しを見せている<ref name="kobe-np-2012-5-11" />。 |
|||
[[2011年]](平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。 |
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{{See also|JR博多シティ}} |
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=== 阪急メンズ・トーキョー === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 阪急メンズ・トーキョー |
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|画像 =Yurakucho-hankyu sep2006.jpg |
|||
|画像説明 = 阪急メンズ・トーキョー(旧:有楽町阪急時代のもの) |
|||
|正式名称 = 阪急阪神百貨店阪急メンズ・トーキョー |
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|施設所有者 = 東宝<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
|||
|施設管理者 = 有楽町センタービル管理 |
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|前身 = 有楽町阪急 |
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|後身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 11,445<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
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|延床面積= 18,099<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[2011年]](平成23年)10月15日<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /><br />有楽町阪急:[[1984年]](昭和59年)10月6日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
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|閉店日 = 有楽町阪急:[[2011年]](平成23年)7月18日<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[東日本旅客鉄道|JR]]・[[東京メトロ有楽町線]][[有楽町駅]]<br />[[東京メトロ日比谷線]]・[[東京メトロ丸の内線|丸の内線]]・[[東京メトロ銀座線|銀座線]][[銀座駅]] |
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|最寄IC = |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|35|40|25|N|139|45|44.7|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店阪急メンズ・トーキョー}} |
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|所在地郵便番号 = 100-0006 |
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|所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[有楽町]]二丁目5番1号 |
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|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/mens-tokyo/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1984年]](昭和59年)10月6日にグループ企業の東宝が朝日新聞社などと共に建設した有楽町マリオン内に有楽町西武と共に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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同じ有楽町マリオン内の別棟に進出して情報発信型百貨店を標榜した有楽町西武と共に'''マリオン現象'''と呼ばれるほどのブームを巻き起こし<ref name="mainichi-np-2010-2-4">{{Cite news | author = 國枝すみれ、中山裕司 | title = 特集ワイド:うつろう有楽町 ヤミ市、劇場しのぎ削り、西武撤退… | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-2-4 }}</ref>、有楽町から銀座の人の流れを変えたといわれた<ref name="tokyo-news-2010-1-27-2">{{Cite news | title = マリオン惜別 銀座の入り口寂しい 華やかさなくなる | newspaper = [[東京新聞]] | publisher = 中日新聞社 | date = 2010-1-27 }}</ref>。 |
|||
当初は地下食料品売り場が存在したが[[2000年]](平成12年)7月月末で食料品売場を閉鎖して9月からファッション売場としてファッション専門百貨店となった<ref name="taihan-news-2000-8-28">{{Cite news | title = 有楽町阪急が食料品売場を七月末で閉鎖し九月にファッション売場で再開 東京都千代田区 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2000-8-28 }}</ref>。 |
|||
若い女性の根強い支持を集めて<ref name="mainichi-np-2010-1-27">{{Cite news | author = 大塚卓也 | title = <セブン&アイ>長引く冬の時代、出口なく 有楽町店閉鎖へ | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-1-27 }}</ref>[[2005年]](平成17年)3月期に売上高約140.99億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]](平成18年)3月期に売上高約145.76億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />、[[2007年]](平成19年)3月期に売上高約145.78億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />と比較的安定した売上を保っていた。 |
|||
しかし、同様に若い女性の根強い支持を集めている丸井<ref name="mainichi-np-2010-1-27" />が[[2007年]](平成19年)10月12日に有楽町マルイを直ぐ近くに開業させて<ref name="depart-news-2007-9-26">{{Cite news | title = 有楽町マルイ 10月12日開業 | newspaper = [[週刊デパートニューズ]] | publisher = [[ストアーズ社]] | date = 2007-9-26 }}</ref>競争が激化したことに対応して化粧品売場などの改装を行ったが<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />、主力の婦人服が低迷して[[2008年]](平成20年)3月期で前期比5.0%減の売上高約138.5億円と売上が減少に転じた<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />。 |
|||
さらに、リーマンショック後の消費低迷を受けて[[2009年]](平成21年)3月期に売上高約121.45億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009" />、[[2010年]](平成22年)3月期に売上高約98.85億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />、[[2011年]](平成23年)3月期で売上高約84.62億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011" />と急速に売上が落ち込み、売り場面積が小さいため増床した三越銀座店などと婦人衣料で競争し続けるのは困難だとして有楽町西武の跡にルミネが開業するのに合せて業態転換を図ることになった<ref name="nikkei-mj-2011-8-17">{{Cite news | title = 百貨店改装「定石」崩す、10年度、店舗別調査、テナント入れ替え、買い物しやすく。 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-8-17 }}</ref>。 |
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そして[[2011年]](平成23年)7月18日に有楽町阪急としての営業を終了し<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />、同年10月15日に全面改装のうえ、メンズファッション専門館である「阪急メンズ・トーキョー」として開業して<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />黒字転換を図り<ref name="nikkei-mj-2010-11-11" />、改装後の売上は前年同期比で61.0%の増加として売上を回復させた<ref name="h2o-retailing-annual-short-report-2012" />。 |
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なお、新装開店時のキャッチフレーズは「'''世界が舞台の、男たちへ。'''」、またイメージキャラクターには、歌舞伎俳優の[[市川海老蔵 (11代目)|市川海老蔵]]が起用された。 |
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複数のブランドの商品を一緒に並べた自主編集の売場が主体となっていて、顧客が自由に手に取って商品を見比べることが出来ると同時に複数ブランドを合せた提案を店員が出来る点で近隣の銀座地区に多い有名ブランドの路面店との差別化を図っている<ref name="nikkei-mj-2012-1-18" />。 |
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[[2011年]](平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。 |
|||
なお、同じ有楽町マリオン内にあった有楽町西武は[[2010年]](平成22年)12月25日に<ref name="nikkei-2010-1-27">{{Cite news | title = セブン&アイ、そごう・西武4店閉鎖へ | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-1-27 }}</ref>閉店し<ref name="kusama-2011">{{Cite journal | author =草間一郎 | title = 人口・交通環境と商業(その1)- ニュースから見る2010年の商業活動の動向- | journal = 土地総合研究 2011年冬号 | publisher = [[土地総合研究所]] | issue = 2011}}</ref>、その跡地に[[JR東日本グループ]]の[[ファッションビル]]である[[ルミネ]]が[[2011年]](平成23年)10月28日に開店している<ref name="pref-city-sc-list-2012-1">{{Cite report |date=2012-1 |title= 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC |publisher= [[日本ショッピングセンター協会]] }}</ref>。 |
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{{See also|有楽町センタービル}} |
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=== 都筑阪急 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
|||
|文字色 = #fff |
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|名称 = 都筑阪急 |
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|画像 =モザイクモール港北.jpg |
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|画像サイズ = 200px |
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|画像説明 = 都筑阪急を核店舗とするモザイクモール港北 |
|||
|正式名称 = 阪急阪神百貨店都筑阪急 |
|||
|施設所有者 = 第一共同開発<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
|||
|施設管理者 = 阪急商業開発([[エイチ・ツー・オーリテイリング]]グループ)<ref name="yomiuri-np-2011-3-4">{{Cite news | title = 「モザイク銀座阪急」来年の8月に閉鎖へ...50年を超える歴史に幕 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref> |
|||
|前身 = |
|||
|後身 = |
|||
|敷地面積= |
|||
|商業施設面積= 16,352<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
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|延床面積= 91,352<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
|||
|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[2000年]](平成12年)3月17日<ref name="taihan-news-2000-3-13" /> |
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|閉店日 = |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[横浜市営地下鉄]][[センター北駅]] |
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|最寄IC = |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|35|33|17.7|N|139|34|41.2|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店都筑阪急}} |
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|所在地郵便番号 = |
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|所在地 = [[神奈川県]][[横浜市]][[都筑区]]中川中央1-31-1 |
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|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/tsuzuki/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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[[2000年]](平成12年)3月17日に[[横浜市]]の[[港北ニュータウン]]に子会社が開業させたショッピングセンター'''[[モザイクモール港北]]'''の核店舗として<ref name="taihan-news-2000-3-13" />開業した<ref name="taihan-news-2000-4-13" />。 |
|||
開業初日に約10万人の客を集めて順調な滑り出しを見せた<ref name="taihan-news-2000-4-13" />が、[[2005年]](平成17年)3月期で売上高約81.32億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]](平成18年)3月期で売上高約86.21億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />と業績の低迷が続いた。 |
|||
そのため、周辺人口の増加や近隣商業施設の業態転換などの環境変化に対応して催事やポイントカード会員の拡大などを行って[[2007年]](平成19年)3月期に前期比8%増の売上高約93.25億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />に伸ばしたものの、翌年度の[[2008年]](平成20年)3月期で売上高約92.2億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />、[[2009年]](平成21年)3月期に売上高約91.71億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009" />とその後は伸び悩んだ。 |
|||
また、リーマンショック後の消費低迷を受けて[[2010年]](平成22年)3月期に売上高約83.39億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />、[[2011年]](平成23年)3月期で売上高約79.91億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011" />、[[2012年]](平成24年)3月期で売上高約78.27億円<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />と一段と売上が落ち込み、赤字と見られているが低コスト運営などで黒字転換を目指している<ref name="nikkei-mj-2010-11-11" />。 |
|||
[[2011年]](平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。 |
|||
他店の業態転換により現在は関東地区の店舗では唯一、総合百貨店業態となっている。 |
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=== 阪急大井食品館 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
|||
|文字色 = #fff |
|||
|名称 = 阪急大井食品館 |
|||
|画像 =OoimachiGarden.JPG |
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|画像サイズ = 200px |
|||
|画像説明 = 大井食品館の入る阪急大井町ガーデン |
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|正式名称 = 阪急阪神百貨店阪急大井食品館 |
|||
|施設所有者 = |
|||
|施設管理者 = 阪急阪神百貨店 |
|||
|前身 = 阪急百貨店東京大井店(大井阪急)<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
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|後身 = |
|||
|敷地面積= 9,856<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6">{{Cite report |date=2007-6 |title= 株主通信 |publisher= 阪急百貨店 }}</ref> |
|||
|商業施設面積= 2,121<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /> |
|||
|延床面積= 約55,000<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6" /> |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
|||
|開業日 = 新店舗:[[2011年]](平成23年)3月16日<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /><br />旧店舗:[[1953年]](昭和28年)11月23日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
|||
|閉店日 = 旧店舗:[[2008年]](平成20年)3月31日<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" /> |
|||
|営業時間 = |
|||
|最寄駅 = [[東日本旅客鉄道|JR]]・[[東京急行電鉄]][[大井町駅]]<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" /> |
|||
|最寄IC = |
|||
|位置 = {{ウィキ座標度分秒|35|36|20.6|N|139|44|2.3|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店阪急大井食品館}} |
|||
|所在地郵便番号 = |
|||
|所在地 = 東京都品川区大井1丁目50番4<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6" /> |
|||
|外部リンク = {{Official|http://www.hankyu-dept.co.jp/ooi/index.html}} |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1953年]](昭和28年)11月23日に東京大井店として開業した首都圏第1号店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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[[1971年]](昭和46年)には店舗に隣接して一体的に増築された建物内にビジネスホテル<ref name="h2o-retailing-shareholders-news-2010-11" />'''ホテル阪急'''(後にアワーズイン阪急に名称変更)を開業した。 |
|||
[[2000年]](平成12年)4月に'''大井阪急'''をショッピングセンターに業態変換して'''阪急大井町デイリーショッパーズ'''とし、その中で'''大井町食品館'''として営業していた<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。 |
|||
[[2005年]](平成17年)3月期で売上高約59.79億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]](平成18年)3月期で売上高約59.8億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />、[[2007年]](平成19年)3月期に売上高約60.48億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />、[[2008年]](平成20年)3月期で売上高約63.04億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />と安定して年間約60億円前後の売上を上げていた。 |
|||
周辺環境の変化や建物の老朽化に対応するために全面的に建替える当店を含む再開発が行われることになったため<ref name="taihan-news-2007-4-16">{{Cite news | title = 阪急大井ビル・大井開発ビル建て替え 新阪急大井ビル(仮称)へ JR大井町駅前 東京都品川区 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2007-4-16 }}</ref><ref name="h2o-retailing-shareholders-news-2010-11">{{Cite report |date=2010-11 |title= 株主通信 |publisher= エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>、[[2008年]](平成20年)3月31日に旧店舗を閉店した<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />。 |
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'''阪急大井町ガーデン'''の第1期分<ref name="h2o-retailing-shareholders-news-2010-11" />が完成したため[[2011年]](平成23年)3月16日に'''大井町食品館'''として新店舗を開業して[[2012年]](平成24年)3月期で売上高約47.45億円を上げて2倍以上の売場面積を持つ阪神・にしのみややあまがさき阪神を上回った<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />。 |
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当店と同様に建て替えに伴い閉鎖されていたビジネスホテルの'''アワーズイン阪急'''も第1期の完成に伴い、地上30階高さ約100mで約1,100室へ高層化して拡大し、再開業した<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6" />。 |
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このホテルは阪急阪神百貨店の100.0%出資子会社の大井開発が運営している<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />。 |
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第2期として地上29階地下1階の住宅を含む建物の建設が進められており、全館完成後は約18,000m²が商業施設として使用される予定になっている<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6" />。 |
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=== 統一阪急百貨 === |
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[[ファイル:Taipei city hall bus station north side.jpg|thumb|100px|right|統一阪急百貨台北店]] |
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[[ファイル:Dream Mall in Kaohsiung.JPG|thumb|100px|right|統一阪急百貨高雄店]] |
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[[2006年]](平成18年)(中華民国暦95年)3月に'''統一企業グループ'''と百貨店の運営に関して業務提携したのが始まりである<ref name="asahi-np-2010-7-21">{{Cite news | title = 阪急阪神百貨店「台北店」、10月オープン 台湾2店目 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2010-7-21 }}</ref>。 |
|||
[[2007年]](平成19年)(中華民国暦96年)5月12日に台湾第二の都市である高雄市に完成した当時台湾最大のショッピングセンターだった[[夢時代購物中心]]の核店舗として'''統一阪急百貨高雄店'''を開店して営業を開始した<ref name="depart-news-2007-6-20">{{Cite news | title = 統一阪急百貨 5月12日グランドオープン | newspaper = [[週刊デパートニューズ]] | publisher = [[ストアーズ社]] | date = 2007-6-20 }}</ref>。 |
|||
[[2010年]](平成22年)(中華民国暦99年)10月7日には台湾の首都で最大の都市である台北市に2号店の'''統一阪急百貨台北店'''を開店している<ref name="nishinippon-news-2010-10-8">{{Cite news | author =佐伯浩之 | title = 台北阪急オープン 台湾初のユニクロも | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2010-10-8 }}</ref>。 |
|||
なお、[[2006年]](平成18年)(中華民国暦95年)3月の提携開始当時から現在まで阪急阪神百貨店(当初は阪急百貨店)側は出資を全くしていない純粋な業務提携となっているため阪急阪神百貨店の出資比率は0%である<ref name="asahi-np-2010-7-21" /><ref name="nikkei-2012-6-22">{{Cite news | title = 百貨店などで海外進出を検討 H2Oリテイリング | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-6-22 }}</ref>。 |
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{{main|統一阪急百貨}} |
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== 過去に存在した店舗 == |
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=== イングス館 === |
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[[ファイル:Hankyu ings.JPG|thumb|200px|left|阪急百貨店イングス館]] |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
|||
|文字色 = #fff |
|||
|名称 = 阪急百貨店イングス館 |
|||
|画像 = |
|||
|画像説明 = |
|||
|正式名称 = 阪急阪神百貨店阪急百貨店イングス館 |
|||
|施設所有者 = エイアイジー・グローバル・リアルエステイト・インベストメント・ジャパン・コーポレーション<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
|||
|施設管理者 = 阪急阪神百貨店 |
|||
|前身 = |
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|後身 = |
|||
|敷地面積= |
|||
|商業施設面積= 5,780<ref name="asahi-np-2011-10-28" /> |
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|延床面積= 9,280<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
|||
|店舗数 = |
|||
|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
|||
|開業日 = [[1982年]](昭和57年)10月8日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
|||
|閉店日 = 2012年(平成24年)11月18日<ref name="sankei-np-2012-11-19" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[阪急電鉄]]・[[阪神電気鉄道]]・[[大阪市営地下鉄]][[梅田駅]]<br />[[西日本旅客鉄道|JR]][[大阪駅]]<br />大阪市営地下鉄[[東梅田駅]]<ref name="hankyu-railways-release-2010-3-10" /> |
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|最寄IC = |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|42|17.2|N|135|29|58.5|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店阪急百貨店イングス館}} |
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|所在地郵便番号 = |
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|所在地 = |
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|外部リンク = |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1982年]](昭和57年)10月8日にうめだ本店の別館の'''阪急イングス'''として開業し<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />、開業当初はスポーツ用品や音楽・映像関連の商品を扱って1990年代前半に売上高約120億円を上げていた<ref name="asahi-np-2011-10-28" />。 |
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[[2004年]](平成16年)4月19日に阪急イングスから'''阪急イングス館'''としてリニューアルされて子供服やスポーツ用品を扱うようになっていたが、[[2010年]](平成22年)3月期に売上高約80億円に落ち込んでいるため、うめだ本店が全館開業する際に本店へ売場を集約して廃止することになった<ref name="asahi-np-2011-10-28" />。 |
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そして2012年(平成24年)10月25日付けで子供服・玩具売場を新・本館11階に移転させた後、同年11月18日にイングス館を閉鎖し<ref name="sankei-np-2012-11-19" />、新本館の8階に「'''スポーツファッション・イングス'''」として移転し<ref name="sankei-np-2012-11-19" />、同年11月21日にうめだ本店新店舗を全館開業した<ref name="mainichi-np-2012-11-21" />のに合せて新たな売場での営業を開始することになった<ref name="asahi-np-2012-11-21" />。 |
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ingsという[[ネオンサイン]]が目印だった。 |
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かつての[[阪急ドラマシリーズ]]では、「阪急イングス」単体で[[CM]]が放送されていた。[[キャッチコピー]]は「何か始めたい人、どこか物足りない人、イングスならもっと夢中になれること、ずっと夢中になれること、(阪急)イングス」であった。 |
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=== 天満橋阪急 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 天満橋阪急 |
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|画像 = |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急百貨店阪急天満橋阪急 |
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|施設所有者 = [[京阪電気鉄道]] |
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|施設管理者 = 阪急百貨店 |
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|前身 = 京阪デパート<ref name="taniuchi-baishin-2012-6" /><br />阪急天満橋マーケット<ref name="keihan-railways-70-1980-4" /> |
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|後身 = [[松坂屋]]大阪店 |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1946年]](昭和21年)<ref name="keihan-railways-70-1980-4" /> |
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|閉店日 = [[1961年]](昭和36年)<ref name="keihan-railways-70-1980-4" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[京阪電気鉄道]][[天満橋駅]] |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号 = 大阪府大阪市中央区天満橋 |
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|所在地 = |
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|外部リンク = |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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第二次世界大戦中の戦時企業統合政策([[陸上交通事業調整法]])下で[[阪神急行電鉄]]と[[京阪電気鉄道]]が合併し京阪神急行電鉄が発足したため([[1943年]](昭和18年))旧・[[天満橋駅]]ビルの建物自体が旧・京阪電気鉄道から京阪神急行電鉄へと所有権が移り、[[1945年]](昭和20年)8月28日に解散した京阪デパート<ref name="taniuchi-baishin-2012-6" />の建物を買収して[[1946年]](昭和21年)に同店跡に食堂付きの天満橋マーケットとして開業した<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />大阪市内で2店目の店舗であった。 |
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[[1947年]](昭和22年)に株式会社阪急百貨店を設立して阪急電鉄から独立した<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />ことに伴い、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />。 |
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[[京阪電気鉄道]]の[[淀屋橋駅]]までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まったため[[1961年]](昭和36年)に閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還してその歴史に終止符を打った<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />。 |
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{{See also|京阪デパート}} |
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=== 三宮阪急 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 三宮阪急 |
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|画像 = |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急百貨店三宮阪急<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
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|施設所有者 = 阪急電鉄 |
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|施設管理者 = 阪急百貨店 |
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|前身 = 神戸阪急 |
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|後身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1936年]](昭和11年)4月11日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
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|閉店日 = [[1995年]](平成7年)1月<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[阪急電鉄]][[三宮駅]] |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号 = 兵庫県神戸市中央区加納町四丁目2番1号[[神戸阪急ビル]]東館 |
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|所在地 = |
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|外部リンク = |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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一般の小売店による百貨店規制運動に対応して[[1933年]](昭和8年)4月20日に創立総会を開催して設立の認可申請をした日本百貨店商業組合に当店も設立時から参画していて<ref name="chugai-comerce-np-1933-4-25">{{Cite news | title = 百貨店の…商業組合の正体(上) | newspaper = [[中外商業新報]] | publisher = 中外商業新報社 | date = 1933-4-25 }}</ref>、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定していて<ref name="chugai-comerce-np-1933-4-26">{{Cite news | title = 百貨店の…商業組合の正体(中) | newspaper = [[中外商業新報]] | publisher = 中外商業新報社 | date = 1933-4-26 }}</ref>、この営業統制規程第三条を受けて[[そごう]]が阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断っていた<ref name="osaka-asahi-np-1936-3-18" />。 |
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しかし、京阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスだと主張して神戸・[[三宮]]に建設していた駅ビルへの食堂設置<ref name="osaka-asahi-np-1936-3-18" />などを強行し、[[1936年]](昭和11年)4月11日には阪神急行電鉄神戸駅に完成した[[神戸阪急ビル]]内に神戸支店を開業した最初の支店だった<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。 |
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地階で食料品を、1階で服飾品を取り扱う小型店舗であった。 |
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神戸ハーバーランドに新店舗を開設した際に、新店舗を神戸阪急とすることになったため、以降は三宮阪急として営業を続けていたが、[[1995年]](平成7年)1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]により神戸阪急ビル東館被災(建物の大部分は解体されたが三宮阪急の部分はほぼ無傷で震災後も数日間は営業していた)修復工事のため退去してそのまま閉店となった<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。 |
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ビル解体後跡地には[[1999年]](平成11年)に地上22階地下1階の三宮阪急ビルを[[2004年]](平成16年)完成で建設する計画が発表されたが景気の低迷から断念し、暫定的なビルを建設して使用している<ref name="kobe-np-2003-8-6">{{Cite news | author = 佐伯竜一 | title = 三宮駅ビル再建延期 阪急電鉄 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2003-8-6 }}</ref>。地階は現在、[[いかりスーパーマーケット|いかりスーパー]]阪急三宮店が営業している。 |
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{{See also|神戸阪急ビル}} |
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=== 神戸阪急(2代目) === |
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{{商業施設 |
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|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 神戸阪急 |
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|画像 =Kobe Hankyu3.JPG |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急百貨店阪急神戸阪急 |
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|施設所有者 = 三菱倉庫 |
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|施設管理者 = 阪急阪神百貨店 |
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|前身 = |
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|後身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 約33,000<ref name="nikkei-mj-2010-11-11" /> |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1992年]](平成4年)10月1日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
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|閉店日 = [[2012年]](平成24年)3月11日<ref name="kobe-np-2012-3-12" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[JR神戸線]][[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]] |
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|最寄IC = 650-0044 |
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|所在地郵便番号 = 兵庫県神戸市中央区東川崎町1丁目7番2号 |
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|所在地 = |
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|外部リンク = |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1982年]](昭和57年)11月に貨物駅としての営業を終了した[[日本国有鉄道]][[湊川貨物駅]]跡地とその周辺約23haを再開発して[[1992年]](平成4年)9月に街開きした[[神戸ハーバーランド]]に<ref name="kobe-np-2002-11-1">{{Cite news | title = News ANGLE2002 神戸ハーバーランド開業10年 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2002-11-1 }}</ref>[[1992年]](平成4年)10月1日に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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開業当初は開店半年前の[[1992年]](平成4年)4月に設立された子会社の株式会社神戸阪急だったが、[[2001年]](平成13年)12月に営業の全てを阪急百貨店が引継いで株式会社神戸阪急は解散している<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。 |
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当店に隣接してビルが繋がっている[[ダイエー]]や当社が三菱倉庫などと共に出資して設立したタクトが運営している'''[[神戸モザイク]]'''<ref name="kobe-np-2012-2-11">{{Cite news | title = モザイク経営権三菱倉庫に譲渡 神戸ハーバーランド | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-2-11 }}</ref>も同時に開業した<ref name="kobe-np-2002-11-1" />。 |
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[[1995年]](平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災の被害が神戸最大の商業中心地である三宮よりも少なかったため<ref name="kobe-np-2012-3-8">{{Cite news | author =末永陽子 | title = 11日閉店、神戸阪急の後継店舗 子育て世代に照準 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-3-8 }}</ref>震災の約2カ月後に営業再開し<ref name="sankei-np-2012-3-12">{{Cite news | title = 神戸阪急、惜しまれ閉店 19年半の歴史終える | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2012-3-12 }}</ref>、その直後は集客力がアップして売上が伸び、[[1995年]](平成7年)3月期と[[1996年]](平成8年)3月期の2年間だけは黒字となり<ref name="kobe-np-2012-3-12">{{Cite news | title = 神戸阪急 惜しまれ閉店 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-3-12 }}</ref>、[[1996年]](平成8年)3月期には売上高約259億円を上げた<ref name="nikkei-mj-2010-11-11">{{Cite news | title = H2O、神戸阪急の閉鎖検討、赤字店見直し急ぐ。 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-11-11 }}</ref>。 |
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[[1994年]](平成6年)12月に神戸西武が業績不振を理由に早くも撤退し<ref name="kobe-np-2002-11-1" />、[[1996年]](平成8年)4月に神戸出身の南部靖幸が率いる[[パソナ]]が神戸ハーバー・サーカスを開業したが業績が低迷して[[2002年]](平成14年)6月にオメガ・プロジェクトの経営参画を仰いで<ref name="kobe-np-2002-11-1" />後にファミリオとなった<ref name="kobe-np-2012-3-8" />ほか、[[2000年]](平成12年)7月に星電社が撤退して跡地に12月にコムサストアが開業し<ref name="kobe-np-2002-11-1" />、オーガスタプラザも業績の低迷が続いていた<ref name="kobe-np-2002-11-1" />ため、ビルを保有していた[[大阪ガス]]が[[モルガン・スタンレー]]グループに売却して[[2002年]](平成14年)6月7日に所有権が移転し、同時にその運営権も高島屋と大阪ガスの合弁会社からモルガン・スタンレー側に移行したため、同年9月末の賃貸契約期間満了と共に高島屋が出店していたテナントも閉店して運営会社オーガスタも解散した<ref name="kobe-np-2002-6-14">{{Cite news | title = オーガスタ 9月解散を正式発表 高島屋 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2002-6-14 }}</ref>。 |
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そして[[2005年]](平成17年)にダイエーが撤退した<ref name="asahi-np-2011-5-12">{{Cite news | title = 神戸阪急、来年閉店 後継テナント、イオンなど交渉 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2011-5-12 }}</ref>ため、開業当初から当地区で営業し続けている大型商業施設は当店と当店のグループ企業が運営するモザイクのみになるなど周辺店舗が入れ替わって店舗周辺の大きく客層が変化していった<ref name="kobe-np-2012-3-8" />。 |
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こうした客層の変化などに対応するため[[2004年]](平成16年)にベビー用品の[[アカチャンホンポ]]を誘致したり<ref name="kobe-np-2012-3-8" />、ダイエーの撤退を受けて[[2006年]](平成18年)2月1日にグループのスーパーマーケットの'''阪急オアシス'''を導入したり<ref name="taihan-news-2006-2-9">{{Cite news | title = 阪急オアシス神戸阪急店 二月一日(水)オープン 兵庫県神戸市 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2006-2-9 }}</ref>、[[2006年]](平成18年)3月期に子供関連売場のエンターテインメント性強化<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />などてこ入れを行ったが<ref name="kobe-np-2012-3-8" />、[[2011年]](平成23年)3月期の売上高が約89億円と落ち込んだことから<ref name="asahi-np-2011-5-12" />、[[2012年]](平成24年)9月末の賃借契約が切れる前の同年3月11日に閉店した<ref name="kobe-np-2012-3-12" />。 |
|||
当店の閉店に伴い、隣接して営業しているモザイクの運営会社タクトの株式40%全てを大家である三菱倉庫に譲渡して経営権も移行し、当地区から完全に撤退した<ref name="kobe-np-2012-2-11">{{Cite news | title = モザイク経営権三菱倉庫に譲渡 神戸ハーバーランド | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-2-11 }}</ref>。 |
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店舗跡は隣接する[[Ha・Re]](ハレ)やモザイクと共に施設を所有する三菱倉庫などから[[イオンモール]]が受託して大型のショッピングセンターとして一体的に再開発し<ref name="kobe-np-2011-10-28">{{Cite news | author =末永陽子 | title = 神戸ハーバーランド、イオン主導で再開発 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2011-10-28 }}</ref>、集客の見込めるゴールデンウィーク前の[[2013年]](平成25年)4月の開業を目指している<ref name="kobe-np-2012-3-7">{{Cite news | author =井垣和子、末永陽子 | title = ハーバーランドの神戸阪急 後継店は13年4月開業 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-3-7 }}</ref>。 |
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{{See also|神戸阪急}} |
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=== 四条河原町阪急 === |
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{{商業施設 |
|||
|社色 = #7973c2 |
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|文字色 = #fff |
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|名称 = 四条河原町阪急 |
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|画像 =Shijo Kawaramachi Hankyu.JPG |
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|画像説明 = |
|||
|正式名称 = 阪急百貨店阪急四条河原町阪急 |
|||
|施設所有者 = [[住友不動産]]<ref name="yomiuri-np-2010-5-12">{{Cite news | title = 四条河原町阪急、閉店日を前倒し | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2010-5-12 }}</ref> |
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|施設管理者 = 阪急阪神百貨店 |
|||
|前身 = |
|||
|後身 = |
|||
|敷地面積= |
|||
|商業施設面積= 約8,909<ref name="shopping-building-np-2010-4-13">{{Cite news | title = 百貨店業界、景気後退に拍車で閉店増 | newspaper = [[商業施設新聞]] | publisher = 産業タイムズ社 | date = 2010-4-13 }}</ref> |
|||
|延床面積= 12,625<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" /> |
|||
|店舗数 = |
|||
|駐車場数 = |
|||
|商圏人口 = |
|||
|開業日 = [[1976年]](昭和51年)10月15日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
|||
|閉店日 = [[2010年]](平成22年)8月22日<ref name="mainichi-np-2010-8-23" /> |
|||
|営業時間 = |
|||
|最寄駅 = [[阪急京都本線]][[河原町駅 (京都府)|河原町駅]] |
|||
|最寄IC = |
|||
|所在地郵便番号 = 600-8510 |
|||
|所在地 = [[京都府]][[京都市]][[下京区]]四条通河原町東入真町68番地 |
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|外部リンク = |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1976年]](昭和51年)10月15日に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />阪急電鉄京都線河原町駅に直結するターミナル百貨店<ref name="yomiuri-np-2010-1-29">{{Cite news | author =井岡秀行 | title = 河原町阪急 好立地でも撤退…不況で客離れ深刻 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2010-1-29 }}</ref>。 |
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駅に直結した京都市最大の繁華街・四条河原町<ref name="sankei-np-2010-8-11">{{Cite news | title = 丸井 来春の京都出店 正式発表 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2010-8-11 }}</ref>の交差点角の好立地のため、待ち合わせ場所としても親しまれていた<ref name="mainichi-np-2010-1-28">{{Cite news | author =植田憲尚 | title = 四条河原町阪急:今秋に閉店…京都 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-1-28 }}</ref>。 |
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売場面積が広くないため若者向けのファッションに特化した店舗展開を行い<ref name="yomiuri-np-2010-1-29" />、1980年代にデザイナーズブランドを中心とした先端的な若者向けファッションを取り扱って若者の支持を集め<ref name="mainichi-np-2010-1-28" />、東京と並ぶ若者のファッション発信地として[[1991年]](平成3年)に売上高約171億円を上げていた<ref name="sankei-np-2010-8-21">{{Cite news | title = 終わらぬ既存店改革 阪急阪神百貨店「四条河原町阪急」あす閉店 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2010-8-21 }}</ref>。 |
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しかし、デザイナーズブランドブームが去ると競合店に客足を奪われ<ref name="kobe-np-2010-3-3">{{Cite news | author = 西井由比子 | title = 瀬戸際の百貨店(1)相次ぐ閉店「選択と集中」都市部に | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2010-3-3 }}</ref>、若者向けのファッションに特化する戦略は4~5年で顧客が入れ替わるため長期的な信頼関係を構築して売上を確保する百貨店の一般的な戦略が通用しなかった<ref name="yomiuri-np-2010-1-29" />。 |
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阪急電鉄河原町駅の1日当たりの乗降客数が[[1997年]](平成9年)に約8.8万人から[[2010年]](平成22年)に約6.49万人に減少するなど店舗のある四条河原町の集客力が低下した一方で京都駅周辺の集客力が高まったこと<ref name="sankei-np-2011-4-27">{{Cite news | title = 「京都マルイ」オープン 四条河原町 再生担う | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-4-27 }}</ref>や、低価格の衣料専門店の台頭による「百貨店離れ」<ref name="yomiuri-np-2010-5-12" />などにより京都地区の百貨店売上高の合計が[[2009年]](平成21年)は約2597億円と[[2001年]](平成13年)から約20%減少した影響を受けていた<ref name="yomiuri-np-2010-1-29" />。 |
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業績の改善を目指して[[2000年]](平成12年)以降に2度の大規模な改装を行ったり<ref name="yomiuri-np-2010-1-29" />、[[2007年]](平成19年)10月にグループの阪急電鉄が当店の向かい側の四条河原町北東角に商業施設「コトクロス阪急河原町」を開業した際には共同でスタンプラリーを行って四条河原町地区への集客力向上を図った<ref name="kyoto-np-2007-12-26">{{Cite news | title = 京滋経済この1年 緩やかな景気拡大の中で(4)出店 | newspaper = [[京都新聞]] | publisher = 京都新聞社 | date = 2007-12-26 }}</ref>。 |
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しかし、[[2005年]](平成17年)3月期で売上高約71.49億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]](平成18年)3月期で前年比7.3%減の売上高約66.25億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />、[[2007年]](平成19年)3月期で売上高約66.75億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />、[[2008年]](平成20年)3月期で売上高約66.31億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />と低迷していたところに、リーマンショック後の消費低迷が加わり、[[2009年]](平成21年)3月期に売上高約56.14億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009" />、[[2010年]](平成22年)3月期に売上高約45.74億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />と更に大きく落ち込み、赤字が続いていた<ref name="sankei-np-2010-8-21" />。 |
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また、グループの鉄道部門の乗降客数に大きく影響するほどの規模の店舗でないことから赤字でも戦略的に営業を続ける対象でなかったこともあり<ref name="yomiuri-np-2010-1-29" />、[[2010年]](平成22年)11月末のビルを所有する住友不動産との賃貸契約が切れる前<ref name="yomiuri-np-2010-5-12" />の同年8月22日に閉店した<ref name="mainichi-np-2010-8-23" />。 |
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当店閉店後の跡地には京阪電気鉄道や家電量販店<ref name="shikoku-np-2010-6-24">{{Cite news | title = 丸井、京阪電鉄が名乗り 河原町阪急の後継テナント | newspaper = [[四国新聞]] | publisher = 四国新聞社 | date = 2010-6-24 }}</ref>、丸井など20社以上が出店を希望した<ref name="nikkei-2010-8-21">{{Cite news | title = 京都・四条「再び主役に」丸井など進出、活性化へ商店街結束 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-8-21 }}</ref>が、[[2010年]](平成22年)8月10日に[[丸井]]が出店することが正式に発表され<ref name="sankei-np-2010-8-11" />、[[2011年]](平成23年)4月27日に開業した<ref name="asahi-np-2011-4-28">{{Cite news | author = 遠藤和希、松川希実、堀田浩一 | title = 京都マルイ開業、新たな「顔」期待 四条河原町 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2011-4-28 }}</ref>。 |
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== かつて存在した店舗 == |
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* [[神戸阪急]]([[JR神戸線]][[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]]前、[[神戸ハーバーランド]][[キャナルガーデン]]内) 売場面積 33,278m<sup>2</sup> |
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** 同じ神戸ハーバーランドに同じ[[阪急阪神東宝グループ]]である阪急商業開発が運営する[[神戸モザイク]]がある。 |
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** [[赤字]]が続いているため、賃貸契約が切れるのを機に、[[2012年]](平成24年)[[3月11日]]に閉店。後継店舗として、2013年度に[[イオンモール]]がメインテナントとして出店する予定である。{{main|神戸阪急}} |
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* [[四条河原町阪急]]([[阪急京都本線|阪急京都線]][[河原町駅 (京都府)|河原町駅]]前)売場面積 8,909m<sup>2</sup> |
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** [[1976年]](昭和51年)10月15日開店。[[2010年]](平成22年)8月22日午後7時50分をもって閉店した(但し食堂街の7・8階部分は除く)<ref>[http://mainichi.jp/select/biz/news/20100823k0000m040088000c.html 四条河原町阪急:34年の歴史に幕 従業員ら涙ぐみ-毎日jp](毎日新聞 2010年8月22日)</ref>。河原町の中心部に位置し河原町のランドマーク的な百貨店であったが、近年は周辺の競合店との競争が激化し売り上げが低迷していた。売り場面積が狭く、大胆なリフォームが出来なかったことや、自社ビルではなかったことなども撤退の一因である。なお後継店舗として、関西で3店舗目となる[[丸井]]([[京都マルイ]])が、[[2011年]](平成23年)4月27日に開店した。 |
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{{main|四条河原町阪急}} |
{{main|四条河原町阪急}} |
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* 大井阪急食品館(元:大井阪急)([[大井町駅]]前) |
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=== 数寄屋橋阪急 === |
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** [[2008年]](平成20年)[[3月31日]]をもって一旦閉店した。そして、2014年開業を目指して開発されている阪急大井町ガーデン内に、[[2011年]](平成23年)3月16日、食品館を再出店した。 |
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* 数寄屋橋阪急([[銀座駅]]前) |
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{{商業施設 |
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** [[1956年]](昭和31年)開店。 [[2004年]](平成16年)、業態変更により現在は[http://www.mosaic-ginza-hankyu.jp/index.html モザイク銀座阪急]と称する専門店ビル。建替えを計画していた所有者の[[東急不動産]]から立ち退きをめぐって提訴されていたが、和解が成立した事により[[2012年]](平成24年)8月を持って閉店する事となった<ref>[http://www.asahi.com/business/update/0304/OSK201103040201.html モザイク銀座阪急、12年8月で閉店 ビル建て替えで-asahi.com] (朝日新聞 2011年3月4日) </ref>。[[1963年]](昭和38年)封切の東宝映画『社長外遊記』『続社長外遊記』において「丸急デパート」として登場した。現在の形態へと変貌を遂げる1980年代以前の姿が映し出されている。 |
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|社色 = #7973c2 |
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* 三宮阪急([[三宮駅]]、[[神戸阪急ビル]]東館) |
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|文字色 = #fff |
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** [[1992年]](平成4年)までは「神戸阪急」と称していたが、ハーバーランドに神戸阪急を新規出店する際に三宮阪急に改称。地階で食料品を、1階で服飾品を取り扱う小型店舗であった。阪神・淡路大震災で神戸阪急ビル東館被災(建物の大部分は解体されたが三宮阪急の部分はほぼ無傷で震災後も数日間は営業していた)修復工事のため退去、そのまま閉店となった。地階の店舗跡は現在、[[いかりスーパーマーケット|いかりスーパー]]阪急三宮店が営業している。 |
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|名称 = 数寄屋橋阪急 |
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* 天満橋阪急(元:[[京阪デパート]]跡) |
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|画像 = |
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** 天満橋支店は第二次世界大戦中の戦時企業統合政策([[陸上交通事業調整法]])下で[[阪神急行電鉄]]と[[京阪電気鉄道]]が合併し京阪神急行電鉄が発足したため([[1943年]](昭和18年))旧・[[天満橋駅]]ビルの建物自体が旧・京阪電気鉄道から京阪神急行電鉄へと所有権が移り、[[1946年]](昭和21年)に「天満橋マーケット」として営業を開始。阪急百貨店が京阪神急行電鉄から分離独立した[[1947年]](昭和22年)には「阪急百貨店天満橋支店」として開業。[[1949年]](昭和24年)に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離独立した後もそのまま営業していた。その後[[1961年]](昭和36年)に京阪電気鉄道が天満橋から[[淀屋橋駅|淀屋橋]]への地下新設路線を延伸する際に旧・天満橋駅ビルの下を通ることとなり建物自体を取り壊すために営業を終了、店舗を閉鎖した。 |
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|画像説明 = |
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|正式名称 = 阪急百貨店阪急数寄屋橋阪急 |
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|施設所有者 = [[東急不動産]] |
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|施設管理者 = 阪急百貨店 |
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|前身 = |
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|後身 = モザイク銀座阪急<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" /> |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1956年]](昭和31年)5月29日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /> |
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|閉店日 = [[2004年]](平成16年)8月31日<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[東日本旅客鉄道|JR]]・[[東京メトロ有楽町線]][[有楽町駅]]<br />[[東京メトロ日比谷線]]・[[東京メトロ丸の内線|丸の内線]]・[[東京メトロ銀座線|銀座線]][[銀座駅]] |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号 = 東京都中央区銀座5丁目2-1<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" /> |
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|所在地 = |
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|外部リンク = |
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|グループ社色 = |
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|グループ文字色 = |
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|グループ文字フォント = |
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|グループ = |
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}} |
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東京都心初の店舗として、[[1956年]](昭和31年)5月29日にマツダビルディングに'''数寄屋橋阪急'''を開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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(マツダビルディングはその後銀座東芝ビルへ名称変更し、東急不動産が買収したことに伴い銀座TSビルに名称変更している<ref name="yomiuri-np-2011-3-4" />。) |
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[[2004年]](平成16年)8月31日に'''数寄屋橋阪急'''としての営業を終了して子会社の'''阪急ショッピングセンター開発'''に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビル'''モザイク銀座阪急'''として開業し<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />、服飾店や雑貨店などのテナント<ref name="fukui-np-2011-3-4">{{Cite news | title = モザイク銀座阪急、閉鎖へ 東急不動産がビル建て替え | newspaper = [[福井新聞]] | publisher = 福井新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>48店が入居して[[2010年]](平成22年)3月期に売上高約50億円を上げている<ref name="sankei-np-2011-3-4">{{Cite news | title = 数寄屋橋の「モザイク銀座阪急」閉店 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>。 |
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[[2007年]](平成19年)にビルを取得した東急不動産が老朽化に伴う建て替えを理由に立ち退きを提案し<ref name="sankei-np-2011-3-4" />、「建て替えが必要なほど老朽化はしておらず、正当な立ち退き理由にはならない」と主張して反論していたところ<ref name="sankei-np-2011-3-4" />、[[2009年]](平成21年)4月に東芝不動産が東京地方裁判所に立ち退きを求める訴訟を起こした<ref name="yomiuri-np-2011-3-4" />。 |
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[[2011年]](平成23年)3月4日に東急不動産が立退補償金として60億円を支払って[[2012年]](平成24年)8月末で賃貸借契約を解除することなどで和解が成立した<ref name="sankei-np-2011-3-4" />ため、[[2012年]](平成24年)8月31日までに営業を終了することを発表した<ref name="fukui-np-2011-3-4" />。 |
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[[1963年]](昭和38年)封切の東宝映画『社長外遊記』『続社長外遊記』において「丸急デパート」として登場した。現在の形態へと変貌を遂げる1980年代以前の姿が映し出されている。 |
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== 実現しなかった店舗 == |
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=== 北浜阪急 === |
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開発業者からの招致を受けて<ref name="asahi-np-2007-6-15">{{Cite news | title = 阪急百貨店 三越大阪店跡地の再開発ビルに出店断念 大阪 集客・採算面で判断 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2007-6-15 }}</ref>[[2006年]](平成18年)から長谷工コーポレーションなどが進めていた<ref name="nikkei-2006-7-19" />大阪市の京阪電気鉄道と大阪市営地下鉄北浜駅に直結する三越大阪店跡地の超高層マンションの低層部の商業施設部分に<ref name="nikkei-2006-7-20" />三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進め<ref name="nikkei-2006-7-19" />、ライバルの百貨店が撤退した跡地への進出として注目を集めたが<ref name="asahi-np-2007-6-15" />、オフィスビルが多い立地で日常の買い物を行う住民が少ない立地のため出店効果が薄い上<ref name="asahi-np-2007-6-15" />、条件面でも開発業者側と折り合わないとして[[2007年]](平成19年)6月14日に出店を断念したこと明らかにした<ref name="asahi-np-2007-6-15" />。 |
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当店が出店断念したため、関西資本のスーパーマーケット[[フレスコ (スーパー)|フレスコ]]北浜プラザ店を中核店舗とする「The Kitahama(ザ・キタハマ)」はこの再開発ビル下層の商業施設として開業した<ref name="taihan-news-2009-6-29">{{Cite news | title = フレスコ北浜プラザ店 三越大阪店跡地「The Kitahama(ザ・キタハマ)」内 大阪市中央区 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2009-6-29 }}</ref>。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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=== 阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄直営時代 === |
=== 阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄直営時代 === |
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*[[1925年]](大正14年 |
*[[1925年]](大正14年)6月1日 - 阪神急行電鉄[[梅田駅]](現・阪急電鉄梅田駅)に隣接した阪急ビル(梅田阪急ビル)に'''阪急直営マーケット'''を開業<ref name="hankyu-railways-75-1982" />。 |
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*[[1929年]](昭和4年 |
*[[1929年]](昭和4年)4月15日 - 鉄道会社直営のターミナルデパートとしては世界初の'''阪急百貨店'''(現・うめだ本店)を創業した<ref name="hankyu-railways-75-1982" />。 |
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*[[1936年]](昭和11年 |
*[[1936年]](昭和11年)4月11日 - 阪神急行電鉄神戸駅(現・阪急電鉄[[三宮駅]])[[神戸阪急ビル|ターミナルビル]]に'''神戸阪急'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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=== (初代)株式会社阪急百貨店 === |
=== (初代)株式会社阪急百貨店 === |
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*[[1947年]](昭和22年 |
*[[1947年]](昭和22年) |
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**3月 - 京阪神急行電鉄より分離独立し、'''株式会社阪急百貨店'''設立(初代社長に京阪神急行電鉄の[[清水雅]]が就任)<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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**[[4月1日]]に株式会社阪急百貨店として開業<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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*[[1953年]](昭和28年 |
*[[1953年]](昭和28年)11月23日 - 国鉄大井町駅(現・JR[[大井町駅]])前に'''大井阪急'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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*[[1956年]](昭和31年 |
*[[1956年]](昭和31年)5月29日 - '''数寄屋橋阪急'''(マツダビルディング内)が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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*[[1970年]](昭和45年 |
*[[1970年]](昭和45年)3月11日 - [[北大阪急行電鉄]][[千里中央駅]]隣接地に'''[[千里阪急]]'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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*[[1976年]](昭和51年 |
*[[1976年]](昭和51年)10月15日 - 阪急電鉄[[河原町駅 (京都府)|河原町駅]]隣接地に'''[[四条河原町阪急]]'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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*[[1982年]](昭和57年 |
*[[1982年]](昭和57年)10月8日 - 阪急電鉄梅田駅東側に'''阪急イングス'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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*[[1984年]](昭和59年 |
*[[1984年]](昭和59年)10月6日 - 国鉄有楽町駅(現・JR[[有楽町駅]])前に[[有楽町センタービル|'''有楽町阪急''']]が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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*1989年[[4月4日]] - 阪急電鉄[[川西能勢口駅]]前に'''川西阪急'''が開店。 |
*[[1989年]]([[平成]]元年)[[4月4日]] - 阪急電鉄[[川西能勢口駅]]前に'''川西阪急'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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*[[1992年]](平成4年 |
*[[1992年]](平成4年)10月1日 - [[神戸ハーバーランド]]に'''[[神戸阪急]]'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。これを機に、三宮駅にあった神戸阪急は'''三宮阪急'''となる。 |
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*[[1993年]](平成5年)4月15日 - 阪急電鉄[[宝塚駅]]新ターミナルビル内に'''宝塚阪急'''が開店。 |
*[[1993年]](平成5年)4月15日 - 阪急電鉄[[宝塚駅]]新ターミナルビル内に'''宝塚阪急'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。 |
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*[[1995年]](平成7年 |
*[[1995年]](平成7年)1月17日 - [[阪神・淡路大震災]]により三宮阪急が被災(そのまま閉店)<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。 |
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*[[2000年]](平成12年) |
*[[2000年]](平成12年) |
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**3月17日 - 横浜市営地下鉄[[センター北駅]]前に'''[[都筑阪急]]'''が開店([[モザイクモール港北]]同時開業)<ref name="taihan-news-2000-3-13" />。 |
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** |
**4月25日 - '''阪急大井町デイリーショッパーズ'''開店(大井阪急閉店後、跡地の[[ショッピングセンター]]に大井阪急食品館として再入居)<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。 |
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*[[2003年]](平成15年 |
*[[2003年]](平成15年)3月1日 - 阪急共栄物産株式会社を合併<ref name="nissyoku-2003-2-7" />。 |
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*[[2004年]](平成16年) |
*[[2004年]](平成16年) |
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**4月19日 - 阪急イングスがうめだ'''阪急イングス館'''としてリニューアルされる。 |
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**8月31日 - 数寄屋橋阪急が閉店<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" /> |
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**10月8日 - 数寄屋橋阪急が'''モザイク銀座阪急'''となり阪急ショッピングセンター開発に運営移行)<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />。 |
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**[[10月28日]] - [[北花田駅]]前のダイヤモンドシティ・プラウ(現・[[イオンモール堺北花田プラウ]])に'''堺 北花田阪急'''が開店。 |
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**10月28日 - [[北花田駅]]前のダイヤモンドシティ・プラウ(現・[[イオンモール堺北花田プラウ]])に'''堺 北花田阪急'''が開店<ref name="nissyoku-2004-11-5" />。 |
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*[[2005年]](平成17年) |
*[[2005年]](平成17年) |
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**8月16日 - うめだ本店南側半分の解体・新築工事に着手<ref name="nikkei-2005-8-16" />。 |
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**[[8月19日]] - うめだ本店に、仮設売場として「サン広場館」が開設([[阪急グランドビル]]に隣接)。 |
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**8月19日 - うめだ本店は北側半分が開業<ref name="nikkei-2005-8-16" />。仮設売場として「サン広場館」が開設([[阪急グランドビル]]に隣接)。 |
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**[[9月13日]] - 旧阪急梅田駅地上駅コンコース(うめだ本店前、梅田阪急ビル1階)の天井装飾の公開を終了。翌日より覆いがなされる。 |
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**9月13日 - 旧阪急梅田駅地上駅コンコース(うめだ本店前、梅田阪急ビル1階)の天井装飾の公開を終了。翌日より覆いがなされる<ref name="osaka-daily-np-2005-9-13" />。 |
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**[[9月14日]] - うめだ本店南側半分の解体・新築工事に着手。うめだ本店は、北側半分のみでの営業を行うことになった。 |
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**9月15日 - [[福知山線|JR宝塚線]]・[[神戸電鉄]][[三田駅 (兵庫県)|三田駅]]前の三田駅前一番館に'''三田阪急'''が開店<ref name="nikkei-2005-9-15" />。 |
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*[[2006年]](平成18年) |
*[[2006年]](平成18年) |
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**7月11日 - うめだ本店南側部分の取り壊し開始。 |
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**9月1日 - [[阪急オアシス]]、[[阪急ファミリーストア]]、[[阪急ニッショーストア]]など計8社を完全子会社とする中間持株会社「[[阪食]]」を設立し阪急食品工業と分担して[[阪食]]の株主となる<ref name="nikkei-2006-7-28" />。 |
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=== (2代目)株式会社阪急百貨店 === |
=== (2代目)株式会社阪急百貨店 === |
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*[[2007年]](平成19年)10月1日 - (初代)株式会社阪急百貨店が純粋持株会社「[[エイチ・ツー・オー リテイリング|エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社]]」へ移行するのに伴い[[会社分割]](新設分割)により'''(2代目)株式会社阪急百貨店'''が設立され、阪急百貨店の事業を承継。 |
*[[2007年]](平成19年)10月1日 - (初代)株式会社阪急百貨店が純粋持株会社「[[エイチ・ツー・オー リテイリング|エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社]]」へ移行するのに伴い[[会社分割]](新設分割)により'''(2代目)株式会社阪急百貨店'''が設立され、阪急百貨店の事業を承継<ref name="mainichi-np-2007-10-1" />。 |
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*[[2008年]](平成20年 |
*[[2008年]](平成20年)3月31日 - 大井阪急食品館が再開発のため閉店<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />。 |
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=== 株式会社阪急阪神百貨店 === |
=== 株式会社阪急阪神百貨店 === |
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*[[2008年]](平成20年) |
*[[2008年]](平成20年) |
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**10月1日 - 株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を合併し「株式会社阪急阪神百貨店」に商号変更。またこの会社合併に伴い、本店の名称を「大阪・うめだ本店」から「'''阪急うめだ本店'''」に改称。 |
**10月1日 - 株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を合併し「株式会社阪急阪神百貨店」に商号変更<ref name="yomiuri-np-2008-3-27" />。またこの会社合併に伴い、本店の名称を「大阪・うめだ本店」から「'''阪急うめだ本店'''」に改称。 |
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**11月26日 - [[阪急西宮スタジアム]]跡地「[[阪急西宮ガーデンズ]]」に'''西宮阪急'''が開店<ref name="asahi-np-2008-11-26" />。 |
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*[[2009年]](平成21年) |
*[[2009年]](平成21年) |
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**8月31日 - うめだ本店の北側部分を閉鎖。新店舗の開店準備が行われる。 |
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**9月3日 - うめだ本店の新店舗・南側部分(第1期分)が先行開業<ref name="asahi-np-2009-9-3" />。同日、仮設売場として設置された「サン広場館」が閉鎖。引き続き、残る北側部分の解体・建替工事が行われた。 |
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**:引き続き、残る北側部分の解体・建替工事が行われている。 |
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*[[2010年]](平成22年) |
*[[2010年]](平成22年) |
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**8月22日 - 四条河原町阪急が閉店<ref name="mainichi-np-2010-8-23" />。 |
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*[[2011年]](平成23年) |
*[[2011年]](平成23年) |
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** |
**3月3日 - JR[[博多駅]]新駅ビル([[JR博多シティ]])内に'''[[博多阪急]]'''が開店<ref name="nishinippon-news-2011-3-3" />。 |
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** |
**10月15日 - 有楽町阪急をリニューアルした「阪急MEN'S TOKYO」が開店<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />。 |
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*[[2012年]](平成24年) |
*[[2012年]](平成24年) |
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** |
**3月11日 - 神戸阪急が閉店<ref name="kobe-np-2012-3-12" />。 |
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**10月25日 - うめだ本店の新店舗・第2期分(北側部分)が先行開業(この時点で、新本館全体の8割分が開業)。「阪急百貨店メンズ館」を「阪急メンズ大阪」に改称。 |
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**11月下旬(開業日は未定) - うめだ本店がリニューアルしてグランドオープン。 |
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**11月18日 - イングス館を閉鎖<ref name="sankei-np-2012-11-19" />。 |
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**11月21日 - うめだ本店が全面的な建て替えが完了して全館開業<ref name="mainichi-np-2012-11-21" />。イングス館を8階に移設して「スポーツファッション・イングス」フロアを開設<ref name="sankei-np-2012-11-19" />して営業開始<ref name="asahi-np-2012-11-21" />。 |
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== 阪急阪神百貨店吹奏楽団 == |
== 阪急阪神百貨店吹奏楽団 == |
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186行目: | 1,155行目: | ||
== プロ野球の優勝・応援セールの扱い == |
== プロ野球の優勝・応援セールの扱い == |
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*[[1967年]](昭和42年)の初優勝以来、[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス(後オリックスブレーブス→オリックスブルーウェーブ→オリックスバファローズ)]]が優勝した年([[1968年]](昭和43年)・[[1969年]](昭和44年)・[[1971年]](昭和46年)・[[1972年]](昭和47年)・[[1975年]](昭和50年)-[[1978年]](昭和53年)・[[1984年]](昭和59年))には、[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]や[[日本選手権シリーズ]]で優勝した直後から、梅田店店頭に吊るされた[[くす玉]]を割り、盛大な優勝記念セールを開催した。 |
*[[1967年]](昭和42年)の初優勝以来、[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス(後オリックスブレーブス→オリックスブルーウェーブ→オリックスバファローズ)]]が優勝した年([[1968年]](昭和43年)・[[1969年]](昭和44年)・[[1971年]](昭和46年)・[[1972年]](昭和47年)・[[1975年]](昭和50年)-[[1978年]](昭和53年)・[[1984年]](昭和59年))には、[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]や[[日本選手権シリーズ]]で優勝した直後から、梅田店店頭に吊るされた[[くす玉]]を割り、盛大な優勝記念セールを開催した。 |
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*しかし[[1988年]](昭和63年)を最後に、[[オリックス (企業)|オリエントリース(現オリックス)]]に譲渡されて以後は、オリックスの優勝セールは神戸店のみの実施となった反面、百貨店と球団が同一グループでなくなったため、[[そごう]]・[[大丸]]等神戸市内に店舗を構える同業者も参入していた。[[2003年]](平成15年)と[[2005年]](平成17年)に[[阪神タイガース]]が[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝を決めた際に「大阪バンザイセール」を開催したことがある。これは阪神と阪急が当時競合関係にあったため |
*しかし[[1988年]](昭和63年)を最後に、[[オリックス (企業)|オリエントリース(現オリックス)]]に譲渡されて以後は、オリックスの優勝セールは神戸店のみの実施となった反面、百貨店と球団が同一グループでなくなったため、[[そごう]]・[[大丸]]等神戸市内に店舗を構える同業者も参入していた。[[2003年]](平成15年)と[[2005年]](平成17年)に[[阪神タイガース]]が[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝を決めた際に「大阪バンザイセール」を開催したことがある。これは阪神と阪急が当時競合関係にあったため{{Refnest|group="注釈"|1985年(昭和60年)の阪神優勝時は球団も競合していたので、タイガース優勝セールはできなかった。}}、阪神球団から「タイガース優勝セール」の使用許諾が得られず、直接的に「タイガース」と表現できなかったからである。 |
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*その後[[2008年]](平成20年)10月には、前年[[2007年]](平成19年)10月に経営統合した持株会社・エイチ・ツー・オーリテイリング傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールの一環として、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・[[クライマックスシリーズ]]進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で開催された。 |
*その後[[2008年]](平成20年)10月には、前年[[2007年]](平成19年)10月に経営統合した持株会社・エイチ・ツー・オーリテイリング傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールの一環として、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・[[クライマックスシリーズ]]進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で開催された。 |
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*また[[2010年]](平成22年)にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「'''めざせ日本一!阪神タイガース応援セール'''」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。 |
*また[[2010年]](平成22年)にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「'''めざせ日本一!阪神タイガース応援セール'''」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。 |
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*博多阪急では、[[2011年]](平成23年)10月2日~8日に「祝・リーグ優勝 目指せ日本一応援SALE」と題して[[福岡ソフトバンクホークス]]の優勝セールを開催した。阪神タイガースとはリーグが違う事や、地域性を考慮しての実施と思われる<ref>[[阪急交通社]]でも、一応グループ企業の阪神タイガースと直接競合する[[広島東洋カープ]]を、広島支店が独自に応援している旨が、過去にメールマガジン(HTML形式)に掲載された事がある。</ref>。 |
*博多阪急では、[[2011年]](平成23年)10月2日~8日に「祝・リーグ優勝 目指せ日本一応援SALE」と題して[[福岡ソフトバンクホークス]]の優勝セールを開催した。阪神タイガースとはリーグが違う事や、地域性を考慮しての実施と思われる<ref>[[阪急交通社]]でも、一応グループ企業の阪神タイガースと直接競合する[[広島東洋カープ]]を、広島支店が独自に応援している旨が、過去にメールマガジン(HTML形式)に掲載された事がある。</ref>。 |
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== ギャラリー == |
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ファイル:Hankyu_Department.JPG|解体前の旧梅田阪急ビル(阪急百貨店うめだ本店) |
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ファイル:Hankyu Department Store is being constructed.JPG|梅田阪急ビルの南半分が解体された直後の阪急百貨店うめだ本店(2007年11月21日撮影) |
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ファイル:Umeda Hankyu Building.JPG|梅田阪急ビル(2009年6月26日撮影)<br/ >写真右側の第一期分が先行開業した際の模様。 |
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ファイル:Hankyu Umeda Osaka Japan June 2005 B.jpg|うめだ本店前「バロックドーム」(2005年6月18日撮影)※現存せず |
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ファイル:Hankyu Umeda Osaka Japan June 2005 A.jpg|阪急梅田駅駅旧コンコース側入口(2005年6月18日撮影)※現存せず |
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ファイル:Hankyu_Grand_Bld.JPG|阪急うめだ本店サン広場館(手前)<br />(2005年8月19日 - 2009年9月3日) |
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ファイル:Shijo Kawaramachi Hankyu.JPG|四条河原町阪急(2010年8月22日閉店) |
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ファイル:Kobe Hankyu3.JPG|神戸阪急(2012年3月11日閉店) |
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ファイル:Hankyu Advertisement in 1936.jpg|1936年の雑誌広告 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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== 関連会社 == |
== 関連会社 == |
2012年12月25日 (火) 22:18時点における版
阪急百貨店(はんきゅうひゃっかてん、en:Hankyu Department Store)は、エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社傘下の株式会社阪急阪神百貨店が運営する日本の百貨店。
1947年(昭和22年)4月1日から2008年(平成20年)9月30日までは運営会社も株式会社阪急百貨店だった。
2008年(平成20年)10月1日付で株式会社阪神百貨店と合併したため、現在は株式会社阪急阪神百貨店の運営となっている。
歴史・概要
創業から第2次世界大戦まで
1920年(大正9年)11月1日に5階建ての阪急梅田ビル1階に東京・日本橋の老舗呉服店系百貨店・白木屋を招致して[1]白木屋梅田出張店として[2]55坪の店舗で食料品や日用雑貨の販売を行わせ[3]、同月5日[4]に2階に直営で大衆食堂の阪急食堂を開設したのが始まりである[2]。
この白木屋の店舗を売上歩合制の家賃として売上実績のデータを入手し[5]、そのデータから梅田駅でのターミナルデパートの可能性を固く信じた小林一三は[5]、契約期間が満了を理由に白木屋との契約を解除して1925年(大正14年)6月1日に阪急梅田ビル2・3階に[1]自社直営の食料品や生活雑貨中心のスーパーに近い形態[6]の阪急マーケット[1]、4・5階に直営の阪急食堂を移設して開業し[7]、直営でのターミナルデパートの第一歩を踏み出した[6]。
その後、梅田駅ビルを地上8階地下2階に全面改築して大幅に拡張し[6]、敷地面積328坪で延べ床面積3,280坪[8]という百貨店に相応しい規模の店舗を作って1929年(昭和4年)4月15日に鉄道会社直営=電鉄系百貨店として阪急百貨店を開業した[1][9]。
この開業を日本初のターミナルデパート[6][10](ターミナルデパートは欧米にはない日本独特のもの[8]のため同時に世界初となる)とする見方も多いが、(現)近鉄大阪上本町駅に設けられた三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとする見方もある[11][12]。
開業直前の1929年(昭和4年)4月13日・14日掲載の開店新聞広告に「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」とのコピーを入れた[2]ように開業当初は大衆向けの路線を採り[13]、
沿線の行楽に向かう人々への弁当販売を手がける等、今日のターミナルデパートの雛形となった存在としても知られる。
経営の中心であった[2]7・8階の大食堂は[6]、高層階からの眺望や食券方式などの目新しさに加えて看板メニューは当時は当時高級品だったライスカレーをコーヒー付き25銭で提供して人気を博すと共に[14]、ランチも名物として話題となった[2]。
また、開業直後に襲った昭和恐慌の時代にはライスのみを注文してテーブルに備えられていた[15]ウスターソースをかけただけで食べるソーライスが流行した[16]際には、他の店舗[16]や当店の大食堂の店員が締め出しを図ろうとしたが[15]、創業者の小林一三は「今は貧しいが、やがて結婚し子供ができる。その時ここでの食事を思い出し、家族で来てくれるだろう」と考えて「ライスだけの客歓迎」と張り紙をさせ[15]、福神漬けまで付けて出して[16]話題となった。
開業当初は雑貨の品揃えは悪くないが知識・経験の不足から呉服類が見劣りがして駅の賑やかさ故にやや落ち着かないとされ[17]、売上高も1日平均約2万円だったが[8]、1931年(昭和6年)11月に敷地面積628坪で延べ床面積6,191坪として1日平均3.1万円の売上を上げ[8]、1932年(昭和7年)12月に延べ床面積12,000坪で1日平均5万円の売上[8]へと阪急梅田ビルの増築工事を完成させて増床を行って[1]大衆路線が受けたことと合せて売上を順調に伸ばし[13]、、1936年(昭和11年)には阪急梅田ビルの第4期増築工事が完成して[7]売り場面積53,435m²にまで拡大した[18]。
1932年(昭和7年)12月の増床時には古美術品売場と茶室福寿荘開設が行われると共に大阪で指折りの古美術店10店を集めて組織した充美会を結成してノウハウの不足を補って美術品の取り扱いの第一歩を踏み出した[13]。
1934年(昭和9年)9月には洋家具売場の一角に洋画陳列場を開設して春秋会洋画展を開設して洋画の取り扱いを始めるなど比較的早くから美術品の取り扱いを充実させていった[13]。
1937年(昭和12年)発行の機関誌阪急美術1号掲載の小林一三の文章「買つて置いて必ず損のないもの」に記述されているようにこれら美術品の販売の於いても百貨店全体の大衆路線が展開され、サラリーマンにも購入できる美術品が取り扱われた[13]。
1934年(昭和9年)には直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す[2]など開業が比較的早い時期から食品関連の自社生産を開始するなど食堂から発展した百貨店[7]らしい事業展開も行っていった。
一般の小売店による百貨店規制運動に対応して1933年(昭和8年)4月20日に創立総会を開催して設立の認可申請をした日本百貨店商業組合に当店も設立時から参画していて[19]、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定していた[20]。
この日本百貨店組合の営業統制規程第三条を受けてそごうが阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断っていたにも関らず[21]、阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスだと主張して神戸・三宮に建設していた駅ビルへの食堂設置[21]などを強行し、1936年(昭和11年)4月11日には阪神急行電鉄神戸駅に完成した神戸阪急ビル内に神戸支店を開業して多店化に乗り出した[2]。
1937年(昭和12年)5月1日に豊中駅構内東改札口に配給所という小型店を開業して同所で受けた注文を直ちに梅田の百貨店に連絡して30分ごとに電車便を使って商品を配送して注文を受けてから1時間後には商品を届ける方式を導入して好評だったため、同年12月4日までに同様の店舗を住吉、芦屋、帝塚山など合計38ヶ所展開して沿線での需要に応えた[3]。
1938年(昭和13年)1月1日に施行された百貨店法(第1次)により禁止されるまでは鉄道利用者の利便性を考慮して夜間営業をして来たが、同法により午後7時までに営業時間が規制されて夜間営業が出来なくなった[22]。
第2次世界大戦後の独立と多店化
1945年(昭和20年)8月28日に解散した京阪デパート[3]の建物を買収して1946年(昭和21年)に同店跡に食堂付きの天満橋マーケットを開業して[23]大阪市内で2店目の店舗を開業し、1947年(昭和22年)3月7日に株式会社阪急百貨店を設立して4月1日から新会社で営業を開始して阪急電鉄から独立し[2]、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した[23]。
1953年(昭和28年)11月23日に東京大井店を開業して東京へ進出し、1956年(昭和31年)5月29日にマツダビルディングに数寄屋橋阪急を開業して銀座の一角へ進出して[9]など東京と関西の双方に店舗を構える百貨店チェーンに成長した。
また、1957年(昭和32年)6月12日と1961年(昭和36年)4月25日と1969年(昭和44年)11月23日に相次いで阪急梅田ビルの増築工事が相次いで竣工して梅田本店の増床を行い[24]、本店の営業力の拡大・強化も図っていった。
京阪電気鉄道の淀屋橋駅までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まったため1961年(昭和36年)に天満橋支店を閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還した[23]が、1970年(昭和45年)3月11日に大阪の千里ニュータウンに千里阪急、1976年(昭和51年)10月15日に京都市の四条河原町交差点角に四条河原町阪急、1982年(昭和57年)10月8日にうめだ本店の別館として阪急イングスを相次いで開業させて関西の店舗網の強化・拡大を進めた[9]。
その後も1984年(昭和59年)10月6日に東京の有楽町マリオンに有楽町阪急、1989年(平成元年)4月4日に兵庫県川西市に川西阪急、1992年(平成4年)10月1日に神戸ハーバーランドに神戸阪急、1993年(平成5年)4月15日に宝塚阪急と相次いで出店して関西と東京の2地区で店舗網を拡充していった[9]。
バブル崩壊後の出店
2000年(平成12年)3月17日に横浜市の港北ニュータウンに都筑阪急を核店舗とするショッピングセンターモザイクモール港北[25]を開業させて初日に約10万人の客を集め[26]、神奈川県への進出と郊外のショッピングセンターへの進出を図った。
また、2004年(平成16年)10月28日に堺市に開業したダイヤモンドシティ・プラウの核店舗として北花田阪急[27]を正式に開業し[28]、2005年(平成17年)9月15日には兵庫県三田市のJR三田駅前に子会社の食品スーパー阪急オアシスと一体型の小型店の三田阪急を開業し[29]、実現はしなかったものの2006年(平成18年)には長谷工コーポレーションなどが進めていた[30]大阪市の京阪電気鉄道と大阪市営地下鉄北浜駅に直結する三越大阪店跡地の超高層マンションの低層部の商業施設部分に[31]三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進める[30]など売上高の本店依存率が50%を超える体質から脱して[27]主力地盤である関西での営業基盤の強化を図ろうとした[30]。
しかし、これらの郊外型店が期待したほど収益を上げなかったために集客力のある駅ビル進出を目指し[32]、2006年(平成18年)3月24日に博多駅ビルへの進出に向けて九州旅客鉄道と本格的な交渉に入ることを取締役会で決定して[32]同年4月3日に正式に合意したことを発表し[33]、2011年(平成23年)3月3日に入居するJR博多シティと共に博多阪急を開業した[34]。
また、2008年(平成20年)11月26日に開業した西宮阪急[35]は順調に売上を伸ばして2012年(平成24年)3月期に前年比6.6%増の売上高約231.97億円を上げて[36]順調に売上を伸ばしている。
食品スーパー事業の再編・強化
子会社の阪急共栄物産が2001年(平成13年)2月期の連結決算で売上高約238億円で当期純損失が7.3億円の赤字に陥る[37]など業績が伸び悩んだため、2003年(平成15年)1月1日付で阪急共栄物産を事業別に分社化して食品スーパー事業を行う資本金1億円の阪急ファミリーストアなど5社を設立し[38]、同年3月1日に阪急共栄物産を吸収合併して100%出資子会社化した[38]。
2006年(平成18年)3月27日には医療機器大手で食品スーパーも経営していたニプロから食品スーパー子会社のニッショーを約100億円で買収することを決定して[39]同日発表し[40]、ニッショーストアを傘下に収めて経営規模をほぼ倍増させるなど規模拡大を図った[39]。
2006年(平成18年)9月に傘下の食品スーパーや食品メーカーなどの食品事業を統括する阪食を設立して阪急オアシスなど8社を同社の完全子会社とした[41]。
不振店舗の業態転換や閉鎖
2004年(平成16年)8月31日に数寄屋橋阪急としての営業を終了して子会社の阪急ショッピングセンター開発に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビルモザイク銀座阪急として開業し[42]、2011年(平成23年)7月18日に有楽町阪急としての営業を終了して同年10月15日に全面改装して阪急メンズ・トーキョーとして開業して[43]黒字転換を図った[44]。
また、2010年(平成22年)8月22日に四条河原町阪急[45]、2012年(平成24年)3月11日に神戸阪急[46]と相次いで閉店させるなど不採算店の閉鎖を進めて収益性の高いうめだ本店などへの経営資源の集約を図った[47]。
うめだ本店の建て替えと別館
2005年(平成17年)8月16日に解体工事を着工して初日から3日間休業して売り場を北側に移して19日から営業を再開し[48]、同年9月14日未明から本格的な解体工事に着手した[49]。
この建て替えに伴い76年間親しまれた伊東忠太が設計したも鳳凰、竜、ペガサス、獅子などが描かれたモザイク画の壁画があって天井からシャンデリアがつるされている旧阪急梅田駅コンコース[50]も解体されることになったため保存運動が起きたが[51]、ビルの基礎部分から建て替えるため取り壊さざるを得ない[51]として解体された[52]。
しかし、解体の際には壁画やシャンデリアは保存され[50]、第2期工事完成後の13階のレストランフロアに建て替え前の旧阪急梅田駅コンコースから撤去されたモザイク壁画が復元されることになった[52]。
また、1階コンコースのエレベーター横など2カ所の大理石でできた壁のパネルに埋まっていた夏休みの宿題や自由研究の題材などとして子供たちの人気を集めてきた有名な直径3~5センチの巻き貝の化石も取り壊されることになった[53]が、化石は壁そのものをくり抜き裏側を加工して建て替え工事に伴って不要となった備品類を入札形式で販売する「もったいないチャリティー入札大会」で2005年(平成17年)9月12日と13日に売却された[54]。
入札で工事を請け負った大成建設が採算が合わないとして建設工事の正式な請負契約を結ばずに受注を辞退したため[55]、2006年(平成18年)末までに[55]大成建設は旧建物の南側地上部分の解体を終えた段階で業務を終了し[56]、2007年(平成19年)1月15日から大林組が新たな施工業者となって地下部分の解体工事に入るという工事途中での施工業者交代という異例の事態が生じた[56]。
地下に過去の建造物が残っているにも関らず建設当時の図面が完全な形で保存されていないため正確な構造が把握出来ない[57]上、周辺のビル・地下鉄・地下街も考慮しつつ[58]百貨店の営業を継続しながら半分ずつ解体・建設するという難工事[56]のため、工事の進捗は当初の予定よりも大幅に遅れている[59]。
南側部分の第1期棟は2009年(平成21年)9月3日に売り場面積約27,000m²の百貨店部分が開業し[60]、2010年(平成22年)4月1日にオフィスタワーを含む第1期棟全体が竣工し[61]、同年5月6日に中高層部のオフィスタワーが開業した[62]。
建て替え後の梅田阪急ビルは地上41階-地下2階[61](高さ187メートル[55])となった。
第1期棟百貨店部分の営業開始を受けて北側部分の第2期棟部分の解体工事に入ったが[60]、第2期の工事も難航したため[58]2011年(平成23年)4月22日に3度目の全面開業時期の延期が報道される状況になった[57][58][59]。
2012年(平成24年)4月17日に同年11月下旬に当初の予定から約1年半遅れて開業することを発表した[63]。
そして、2012年(平成24年)10月25日に開業済みの第1期分(南側部分)と合せて新店舗の8割に当たる第2期分(北側部分)を先行開業させた後[64]、スポーツ用品などの売場を本館8階の「スポーツファッション イングス」へ移設するため同年11月18日にイングス館を閉鎖し[65]、同年11月21日に新店舗を全館開業した[66]。
2008年(平成20年)2月1日に同じ阪急グループの商業施設HEPナビオ内に伊勢丹新宿店メンズ館の約1.6倍の売り場面積約16,000m²に約300のブランドを集めた阪急メンズ館を開店して、開業初年度の目標だった250億円を上回る売上高約265億円を上げた[67]。
その一方で1990年代前半に売上高約120億円を上げていた子供服とスポーツ用品を扱うイングス館は2010年(平成22年)3月期に売上高約80億円に落ち込み[68]、面積的にも顧客が満足する品揃えが困難だとして、増築工事完成後の本館に集約するため2012年(平成24年)11月18日に閉鎖される[65]などうめだ本店周辺の別館で明暗が分かれている。
阪神百貨店との経営統合
2005年(平成17年)10月1日に村上世彰が率いるM&Aコンサルティング(村上ファンド)が阪神百貨店の株式18.19%を保有していることが判明し、他の株式と同様に阪神電気鉄道株式に交換されて村上ファンドがもつ阪神電気鉄道の持ち株比率が38.1%となった[69]ため、阪急ホールディングス(現・阪急阪神ホールディングス)がホワイトナイトとして村上ファンドが所有していた阪神電気鉄道の全株を取得し、一般の株主から買収した分を合わせると、阪神電気鉄道の発行済株式の64.76%を保有することとなり、阪神電気鉄道は阪急ホールディングスの子会社となった。
そのため、阪神電気鉄道の子会社で長年のライバルだった阪神百貨店と提携の検討が阪急阪神ホールディングスの統合後[70]からされて、2007年(平成19年)10月1日に株式会社阪神百貨店を株式会社阪急百貨店(初代)が経営統合してエイチ・ツー・オー リテイリングとなり[71]、新たに完全子会社としての株式会社阪急百貨店(2代目)が設立されて同社が運営する体制へ移行した[71]。
その後、百貨店の運営会社を1社に統合するため2008年(平成20年)10月1日に株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を吸収合併して商号を株式会社阪急阪神百貨店へ変更して株式会社阪急百貨店としての歴史に終止符を打ったため[72]、現在は同社の運営となっている[73]。
他社との提携
三越と伊勢丹が2008年(平成20年)4月に経営統合することになったことに伴い、2007年(平成19年)12月25日に伊勢丹との業務提携の解消が発表された[74]。
2008年(平成20年)10月に親会社エイチ・ツー・オーリテイリングは高島屋と3年以内の経営統合を前提に業務・資本提携して株式を10%ずつ保有しあい、2009年(平成21年)からは一体感を高めて統合作業を円滑に進めるため相互に社外取締役を派遣しあった[75]。
その業務提携の第1弾として2009年(平成21年)4月15日からインターネットでの通信販売における販売促進活動の共同化を行った[76]。
しかし、経営戦略や統合比率やトップ人事などで協議を進めるほどに差異が露わになり、統合後の重点投資先などを巡る経営方針が折り合わないとして、2010年(平成22年)3月25日に経営統合を断念したと発表すると共に同日付で互いに派遣していた非常勤取締役を引き揚げた[77]。
経営統合の断念後も10%の株式を持ち合う資本提携や、備品・資材の共同購入や中元・歳暮商戦で商品の共通化などの業務提携は継続しており[77]、洋菓子の新ブランドPURE FORESTを共同開発して2011年(平成23年)春から順次展開を始めている[78]。
また、2011年(平成23年)8月10日には親会社エイチ・ツー・オーリテイリングは近鉄百貨店と次世代情報システムの構築で提携することを発表した[79]。
独自の食品販売
1934年(昭和9年)には直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す[2]など早くから独自の食品販売に取組んでいる。
また、1989年(平成元年)には京都で「寺子屋料理塾」を運営していた料理研究家の故・首藤夏世の協力を得て京都の家庭料理京のおばんざいを立上げ、それを扱う阪急デリカが運営する和惣菜の六齋は食品関連の全テナントの売上でロックフィールドの「RF1」に次ぐ第2位で、和惣菜部門ではトップの売上となる[80]など当店の強みとなっている。
その他にも2003年(平成15年)9月に農業生産法人有限会社阪急泉南グリーンファームを設立して[81]大阪府南部を中心に農家の休耕地などを借り受けて[82]2004年(平成16年)4月から[83]無農薬の有機野菜の栽培を行い[82]、当店及びグループの各店舗で販売をしている[83]。
阪急うめだ本店
本館
阪急百貨店うめだ本店[63] | |
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店舗概要 | |
所在地 | 大阪府大阪市北区角田町8番1号[61] |
座標 | 北緯34度42分8.2秒 東経135度29分55.7秒 / 北緯34.702278度 東経135.498806度 |
開業日 | 1929年(昭和4年)4月15日[9] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店阪急百貨店うめだ本店 |
施設所有者 | 阪急電鉄[62] |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
敷地面積 | 約17,465[61] m² |
延床面積 | 約252,000[60] m² |
商業施設面積 |
第1期棟:約27,000m²[60] 全館開業時:約80,000[63] m² |
最寄駅 |
阪急電鉄・阪神電気鉄道・大阪市営地下鉄梅田駅 JR大阪駅 大阪市営地下鉄東梅田駅[61] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
1920年(大正9年)11月1日に5階建ての阪急梅田ビル1階に東京日本橋の老舗呉服店系百貨店・白木屋を招致して[1]白木屋梅田出張店として営業させたのが始まりであった[2]。
梅田駅ビルを地上8階地下2階に全面改築して大幅に拡張し[6]、敷地面積328坪で延べ床面積3,280坪[8]1929年(昭和4年)4月15日に鉄道会社直営=電鉄系百貨店として開業したターミナル百貨店である[1][9]。
開業直前の1929年(昭和4年)4月13日・14日掲載の開店新聞広告に「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」とのコピーを入れた[2]ように開業当初は大衆向けの路線を採り[13]、開業当初1日平均約2万円だった売上は[8]、1931年(昭和6年)11月に敷地面積628坪で延べ床面積6,191坪として1日平均3.1万円の売上を上げ[8]、1932年(昭和7年)12月に延べ床面積12,000坪で1日平均5万円の売上[8]へと阪急梅田ビルの増築工事を完成させて増床を行って[1]大衆路線が受けたことと合せて売上を順調に伸ばし[13]、、1936年(昭和11年)には阪急梅田ビルの第4期増築工事が完成して[7]売り場面積53,435m²にまで拡大する[18]など急速に売上を伸ばした。
第2次世界大戦後も1957年(昭和32年)6月12日と1961年(昭和36年)4月25日と1969年(昭和44年)11月23日に相次いで阪急梅田ビルの増築工事が相次いで竣工して梅田本店の増床を行い[24]、営業力の拡大・強化を図っていった。
JR大阪駅ビルへのJR大阪三越伊勢丹とルクアの開業や大丸大阪梅田店の大幅な増床の計画に触発された大阪市内の百貨店の売り場面積が約3年間で約1.5倍に増大する百貨店の増床競争[84]に対応して旧店舗を2期に分けて解体して全面的に建替えることになり、2005年(平成17年)8月16日に解体工事を着工して初日から3日間休業して売り場を北側に移して19日から営業を再開した[48]。
改装工事に入って売場面積が43,000m²[85]に減少した後の2006年(平成18年)3月期下期の減収幅が28%減よりも小さい12%減に留まり[86]、2008年(平成20年)度も売上高約1728.87億円を上げて日経MJの百貨店店舗別売上高ランキングで全国で第3位で大阪ではトップとなる[87]など強い競争力を保っている。
地下に過去の建造物が残っているにも関らず建設当時の図面が完全な形で保存されていないため正確な構造が把握出来ない[57]上、周辺のビル・地下鉄・地下街も考慮しつつ[58]百貨店の営業を継続しながら半分ずつ解体・建設するという難工事[56]のため、工事の進捗は当初の予定よりも大幅に遅れ[59]、2009年(平成21年)9月3日に南側部分の第1期棟が売り場面積約27,000m²で開業した[60]。
この新店舗第1期棟での営業開始に伴い売場面積が約27,000m²へと大幅に減少したことに伴って海外高級ブランド品の売場面積を20%以上減らしたにも拘らず前年比10%以上伸ばすなど高級路線を維持している[88]。
第1期棟百貨店部分の営業開始を受けて北側部分の第2期棟部分の解体工事に入ったが[60]、第2期の建替え工事に伴う売場減少の影響は大きく2010年(平成22年)3月期の売上高減少率9%は日本経済新聞社の2010年度百貨店調査の調査対象226店で最大の落ち込みとなって[89]同年3月期に売上高約1440.75億円[90]、2011年(平成23年)3月期に売上高約1310.87億円[91]、2012年(平成24年)3月期に前期比5.1%減の売上高約1244.58億円にまで落ち込んでいる[92]。
また、この第2期工事に伴うJR大阪駅と阪急梅田駅を結ぶ屋内通路が閉鎖された影響ですぐ北側にある飲食店街「新梅田食道街」の幅約3mの通路が迂回ルートになって閉鎖前の約10倍の1日約1万人超へ急増して朝夕のラッシュ時に信号待ちが重なると通路の中程まで動かなくなるほど混雑するようになって混み過ぎて入り難くなったため売上が減少する店が出た一方で、閉鎖された通路から東側に繋がっていた阪急東通商店街は通行量が平日1日約8000人から5000~6000人に減少して売り上げが2~30%落ちるなど周辺の店舗にも大きな影響を与えることになった[93]。
第2期の工事も難航したため[58]2011年(平成23年)4月22日に3度目の全面開業時期の延期が報道される状況になり[57][58][59]、2012年(平成24年)4月17日に同年11月下旬に当初の予定から約1年半遅れて開業することを発表した[63]。
そして、2012年(平成24年)10月25日に新店舗の第2期分(北側部分)を先行開業させた後[64]、スポーツ用品などの売場を本館8階の「スポーツファッション イングス」へ移設するため2012年(平成24年)11月18日にイングス館を閉鎖した[65]。
2012年(平成24年)11月21日の新店舗の全面開業[66]後は「暮らしの劇場」をコンセプトに[94]エンターテインメントや期間限定のマーケットの場ととなる9階には12階まで4層吹き抜けで壁面に映像アートを発信する大型ビジョンを設置する高さ16メートルの情報発信空間祝祭広場や座席数408席の阪急うめだホール[95]、600m²の阪急うめだギャラリー[95]、関西発の新人アーティストを紹介するアートステージ[95]、各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案するコトコトステージ[96]を各フロアに設置する[97]など売場面積80,000m²[63]の20%に当たる16,000m²を情報発信・サービス空間とし[94]、「驚きや発見、学び、感動、憧れが詰まっていたかつての百貨店の楽しさを取り戻した」[95]価格競争でなく文化価値を提供する劇場型百貨店[94]で「百貨店の原点である価値の提供」をする店舗にして国内最大級の初年度売上高2130億円を目指すとしている[63]。
また、13階のレストランフロアの「シャンデリアテーブル」に建て替え前の旧阪急梅田駅コンコースに飾られていた[98]伊東忠太がデザインした天馬、獅子と鳳凰(ほうおう)を描いたモザイク壁画[52]が復元された[98][99]。
増床分の売場にはライバルの大丸の手法を参考に専門店の招致も進めた[100]ほか、大丸のうふふガールズや三越伊勢丹のイセタンガール、高島屋大阪店のgokai(ゴカイ)など競合他店で導入された若い女性向けのカジュアルファッションの売場を参考にして20歳前後の学生向けの「うめはんシスターズ」と20代の社会人の女性を対象にした「うめはんジェンヌ」を導入し、従来の主要顧客のは50~60歳代に加えて百貨店離れが進んでいるといわれる若い世代の取り込みも狙うなど地上13階から地下2階のうち6階分を女性向けの売場とした[101]。
また、服飾売場に隣接して同じ階に化粧品や靴などの関連する商品の売り場を設置するなど従来の様な品目別のフロア構成に拘らない売場構成も行われている[101]。
更に、10階は仕入れ担当者(バイヤー)が世界から集めた1点ものも含む[102]雑貨や文具、手芸、服飾の4分野の商品を[98]、斜めになった通路や商品実演のコーナーを売場に[98]混在させて迷ってしまうような感覚を与えて[102]街歩きのような楽しさを演出した[98]うめだスーク(SOUQ)[102]とするなど百貨店の楽しさを追求した店舗として顧客の滞在時間を延ばすことで新たな顧客層の獲得と売上拡大を目指している[98]。
1~6歳の子供を最大2時間まで有料で預けることができる保育施設キッズルームを設置して小さい子供がいる若い女性客がゆったり買い物できるようにしたり[103]、会員制の化粧室を設置して常連客にゆったりと着替えなどを出来る場所を提供する[104]など従来百貨店に足を向けにくかった顧客層の取り込み[103]や上質な顧客へのサービスの充実も図っている[101]。
その他、8階にはスポーツ用品売場のイングスが移転[105]したほか、紳士服・紳士用品が扱われるようになり、2008年に阪急百貨店・メンズ館(現:阪急メンズ大阪)が開店して以来、4年ぶりに本館にメンズファッションフロアが復活した。
この増床により、営業面積を6万m²から8万m²へと拡大することになった[66]。これにより2012年(平成24年)11月時点で、関西地区最大級[98][注釈 1]の百貨店になった。また、地下1階部分の不自然な盛り上がりや、周辺地下街との段差(いずれも建設時期の関係によってできたもの)も解消することになった。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[107]。
- 通称「うめだ阪急」。地元や雑誌等では、「うめだ阪急」を略して「うめ阪(はん)」とも呼ばれている。ファッションやコスメ・ビューティー関連の商品力においては関西随一と言われ、「東の新宿伊勢丹・西のうめだ阪急」と呼ばれるほど(一時期、伊勢丹と阪急百は業務提携をしていたが、現在は提携を解消した)、女性ファッションの流行発信基地として幅広い年齢層の女性に人気の高い店舗である。
- 2008年(平成20年)9月30日までは(株式会社阪急百貨店の)「大阪・うめだ本店」と称していたが、会社合併の際の百貨店ブランド維持方針に基づき(すなわち「阪神百貨店梅田本店」との兼ね合いから)「阪急うめだ本店」に2008年(平成20年)10月1日に改称された。
大食堂
旧本館7・8階の大食堂は[6]、高層階からの眺望や食券方式などの目新しさに加えて看板メニューは当時は当時高級品だったライスカレーをコーヒー付き25銭で提供して人気を博し[14]、第2次世界大戦前に1日1万3千食売れた記録も残っていた[108]。
開業直後に襲った昭和恐慌の時代にはライスのみを注文してテーブルに備えられていた[15]ウスターソースをかけただけで食べるソーライスが流行した[16]際には、他の店舗[16]や当店の大食堂の店員が締め出しを図ろうとしたが[15]、創業者の小林一三は「今は貧しいが、やがて結婚し子供ができる。その時ここでの食事を思い出し、家族で来てくれるだろう」と考えて「ライスだけの客歓迎」と張り紙をさせ[15]、福神漬けまで付けて出して[16]話題となった。
2002年(平成14年)8月19日で阪急百貨店の開業時の面影を残すレトロな雰囲気の大食堂の営業を終了し[14]、和食の名店や授乳室やベビーベッドを備えた子供連れ用レストラン[14]、カフェなど11店の入るレストラン街阪急ダイニングステージとして同年10月26日に新装開業した[109]。
この改装後にも開業当時からあるステンドグラスや柱などは残され、大食堂の名物のライスカレーはザ・グリル阪急に引き継がれたが価格は階層前の750円から1,200円に値上げされた[109]。
2011年(平成23年)3月1日にはハウス食品の協力を得て開店当時の味を再現したカレーをレトルトで復活させて当店や阪急オアシスなどで発売している[108]。
阪急メンズ大阪
阪急メンズ大阪 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒530-0017 大阪府大阪市北区角田町7-10 |
座標 | 北緯34度42分12.3秒 東経135度30分0.6秒 / 北緯34.703417度 東経135.500167度 |
開業日 | 2008年(平成20年)2月1日[67] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店阪急メンズ大阪 |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
商業施設面積 | 約16,000[67] m² |
最寄駅 |
阪急電鉄・阪神電気鉄道・大阪市営地下鉄梅田駅 JR大阪駅 大阪市営地下鉄東梅田駅[61] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
HEP NAVIOを改装して、2008年(平成20年)2月1日にうめだ本店の別館として開業した[67]。開業時の名称は「阪急百貨店メンズ館」であった[67]。
うめだ本店の紳士服売場時代の約5,300m²の約3倍の6フロアに広がる約16,000m²の売場[110]に約300ブランドの紳士服の関連商品を集めた伊勢丹新宿店メンズ館の約1.6倍の規模を誇る日本最大のメンズファッションの専門館で[67]、紳士物のスーパーブランドショップと呼ばれている[111]。
専属のスタイリストが顧客の好みや予算を考慮しながら買い物に付き添って帽子から靴までトータルコーディネートをする会員制のスタイルメイキングクラブなどサービスにも力を入れている[111]。
専門性の強さから中・四国や北陸を含む広大なエリアからポイントカード会員約18万人を集める広域の商圏を誇る店舗となっている[111]。
開業から半年でうめだ本店にあった前年同期比で約70%増の売上高約135億円[110]、開業初年度の年間では約870万人の来店客を集めて約265億円でうめだ本店にあった前年同期比で約60%増となるなど順調に売上を伸ばした[67]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[107]。
2012年(平成24年)のうめだ本店の全館開業にあわせて、同店の名称も「阪急メンズ大阪」に改称された[105]。
その他各店舗
千里阪急
千里阪急 | |
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店舗概要 | |
座標 | 北緯34度48分35.2秒 東経135度29分45.4秒 / 北緯34.809778度 東経135.495944度 |
開業日 | 1970年(昭和45年)3月11日[9] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店千里阪急 |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
敷地面積 | 4,299 m² |
延床面積 | 21,894 m² |
商業施設面積 | 13,803[43] m² |
最寄駅 | 北大阪急行電鉄千里中央駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
1970年(昭和45年)3月11日に千里ニュータウンの中心的な商業地区とされた北大阪急行電鉄千里中央駅に隣接する地区に開業した[9]。
阪急百貨店が関西で初めて郊外に出店した百貨店である。
2005年(平成17年)3月期で売上高約181.65億円[112]、2006年(平成18年)3月期で売上高約189.34億円[113]、2007年(平成19年)3月期で売上高約191.55億円[114]、2008年(平成20年)3月期で売上高約193.56億円[115]と順調に売上を伸ばした。
リーマンショックが期中にあった2009年(平成21年)3月期に前年比でマイナスになって売上高約187.01億円[116]となり、翌年からも2010年(平成22年)3月期に売上高約172.54億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約173.17億円[91]、2012年(平成24年)3月期で売上高約172.65億円[43]と売上の減少が続いているものの減少幅は徐々に縮小し始めている。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は北摂地域の店舗や西宮と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[107]。
堺北花田阪急
堺北花田阪急 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒591-8008 大阪府堺市東浅香山町4丁目1番12号[42] |
座標 | 北緯34度35分4.9秒 東経135度30分54.1秒 / 北緯34.584694度 東経135.515028度 |
開業日 | 2004年(平成16年)10月28日[28] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店堺北花田阪急 |
施設管理者 | イオンモール |
商業施設面積 | 16,000[43] m² |
最寄駅 | 大阪市営地下鉄御堂筋線北花田駅[42] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
大阪府堺市に開設されたダイヤモンドシティ・プラウ[27](現在のイオンモール堺北花田)の2核1モールの核店舗の一つとして2004年(平成16年)10月28日に開業した[28]。
売上高の本店依存率が50%を超える体質から脱却を目指して[27]車社会の進展に伴う郊外型ショッピングセンターへの進出を目指す[42]郊外型百貨店のプロトタイプとして出店した戦略店舗であった[27]。
「地域に融合したコミュニティー百貨店」をコンセプトに生鮮食料品や百貨店ならではの総菜や菓子類などを取り揃えた食品売場に注力して売上の約50%を食料品売場で上げることを目指すと共に、2階の大型こども広場もくもく広場を開設したり、地元の幼稚園児から募集したタイルを飾ったり、地元の主婦から募集したレシピを元にした総菜を並べるなど地域に密着した日常性の高い売場となっている[42]。
売上高100億円で営業利益3億円[42]を目標に営業を開始したが、2006年(平成18年)3月期で売上高約87.64億円[113]と開業当初は低迷した。
そのため、ポイントカード顧客を中心に来店促進施策を強化して顧客の固定化を進めると共に、2005年(平成17年)秋に化粧品の品揃えを拡充、2007年(平成19年)春には婦人ファッションを強化するなど見直しを進め、2007年(平成19年)3月期で売上高約95.71億円[114]、2008年(平成20年)3月期で売上高約104.3億円[115]にまで増加させて軌道に乗せた。
西宮阪急
西宮阪急 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒663-8204 兵庫県西宮市高松町14番1-3号 |
座標 | 北緯34度44分37.6秒 東経135度21分34.3秒 / 北緯34.743778度 東経135.359528度 |
開業日 | 2008年(平成20年)11月26日[35] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店西宮阪急 |
施設所有者 | 阪急電鉄 |
商業施設面積 | 25,000[43] m² |
最寄駅 | 阪急電鉄神戸線・今津線西宮北口駅[117] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
2008年(平成20年)11月26日に兵庫県西宮市の阪急西宮スタジアム跡地に開業した阪急西宮ガーデンズ[35]の核店舗として268店舗と共に[117]開業した[35]。
阪急電鉄西宮北口駅から動く歩道も設置された歩行者デッキで直結で直結している[118]。
ブランド品を身につけた高級志向の人が多い西宮や芦屋を商圏とする特性を踏まえ、「西宮上質生活」をコンセプトとしているが、うめだ本店との差別化や都心ではない郊外型店としての日常性重視の観点から、メインエントランス周辺への海外高級ブランドではなくアクセサリーや化粧品など身近な雑貨を並べている[117]。
子育て中の団塊ジュニア世代らの人口が増えている商圏の特性を踏まえ[96]、うめだ本店を大幅に上回る子供服や玩具の売場を設け[117]、教育熱心で富裕な家庭が多いため玩具売場の取扱商品もテレビアニメのキャラクター玩具は置かずに木製の知育玩具に注力し[117]、子供服売り場に無料で絵本を読めるスペースや育児教室を設置して百貨店から足が遠のいていた団塊ジュニア世代の集客に成功している[96]。
また、当店で始めて設置されたコトコトステージという各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みは成功し[96]、博多阪急にも展開された[96]ほか、全館開業後のうめだ本店への展開も予定されている[97]。
当店の地方の物産展開催に合せて西宮ガーデンズ内のカフェでその物産を使ったメニューを出すなどショッピングセンター内の他店と連携したイベント展開を行い、開業初年度の売上高が最多というケースがほとんどの郊外型ショッピングセンターの常識を覆して阪急西宮ガーデンズの売上高が初年度の約659億円から開業2年目に約676億円へ伸びた[119]。
当店も2010年(平成22年)3月期の売上高約191.9億円[90]から2011年(平成23年)3月期は売上高約217.63億円、2012年(平成24年)3月期で前期比6.6%増の売上高約231.97億円[36]とリーマンショック後の消費低迷の状況にもかかわらず2010年(平成22年)1月以降27ヶ月連続で前年を上回って売上を伸ばしている[92]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は北摂地域の店舗と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[107]。
川西阪急
川西阪急 | |
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店舗概要 | |
座標 | 北緯34度49分35.4秒 東経135度24分45.8秒 / 北緯34.826500度 東経135.412722度 |
開業日 | 1989年(平成元年)4月4日[9] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店川西阪急 |
施設管理者 | 川西都市開発[120] |
延床面積 | 約74,000[120] m² |
商業施設面積 | 15,528[43] m² |
最寄駅 |
阪急電鉄川西能勢口駅 JR川西池田駅[120] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
阪急川西能勢口駅とJR川西池田駅の間にある約130店舗が入るショッピングセンターアステ川西の核テナントとして[120]1989年(平成元年)4月4日に開業した[9]。
1995年(平成7年)には開業当初の2倍に売上を伸ばし、紀伊國屋書店などと共に再開発ビル6棟が立ち並ぶ駅前の賑わいの中核の一つとなっている[121]。
2005年(平成17年)3月期で売上高約192.66億円[112]、2006年(平成18年)3月期で売上高約198.72億円[113]、2007年(平成19年)3月期で売上高約206.69億円[114]、2008年(平成20年)3月期で売上高約210.88億円[115]と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった2009年(平成21年)3月期には前年比でマイナスになったものの売上高約201.52億円[116]と年間売上高約200億円を数年間安定していた。
2010年(平成22年)3月期にはリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約186.36億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約184.58億円[91]、2012年(平成24年)3月期で売上高約181.05億円[43]と売上は落ち込んだものの、年間売上高約180億円以上を維持し続けている。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は北摂地域の店舗や西宮と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[107]。
当店の近隣には阪急阪神百貨店の子会社である阪急商業開発がショッピングセンターモザイクボックス川西を運営している[42]。
宝塚阪急
宝塚阪急 | |
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店舗概要 | |
座標 | 北緯34度48分34.3秒 東経135度20分31.2秒 / 北緯34.809528度 東経135.342000度 |
開業日 | 1993年(平成5年)4月15日[9] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店宝塚阪急 |
施設所有者 | 阪急電鉄・阪急バス・ソリオ宝塚都市開発[113] |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
商業施設面積 | 7,191[43] m² |
最寄駅 | 阪急電鉄宝塚駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
1993年(平成5年)4月15日に阪急電鉄宝塚駅の新ターミナルビル内に開業した[9]。
当初は開業直前の1993年(平成5年)1月に設立された子会社の株式会社宝塚阪急が経営していたが、2002年(平成14年)4月に阪急百貨店が株式会社宝塚阪急を吸収合併している[113]。
売場面積は小さいものの、2005年(平成17年)3月期で売上高約98.46億円[112]、2006年(平成18年)3月期で売上高約101.48億円[113]、2007年(平成19年)3月期で売上高約105.12億円[114]、2008年(平成20年)3月期で売上高約107.68億円[115]と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった2009年(平成21年)3月期には前年比でマイナスになったものの売上高約102.88億円[116]と年間売上高100億円を数年間安定して上回り続けた。
2010年(平成22年)3月期にはリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約93.02億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約91.67億円[91]、2012年(平成24年)3月期で売上高約89.06億円[43]と売上は落ち込み続けているものの、売場面積辺りの売上では他店と比べて比較的高い金額を維持し続けている。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は北摂地域の店舗や西宮と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[107]。
三田阪急
三田阪急 | |
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店舗概要 | |
座標 | 北緯34度53分16.8秒 東経135度13分44.1秒 / 北緯34.888000度 東経135.228917度 |
開業日 | 2005年(平成17年)9月15日[122] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店三田阪急 |
施設所有者 | 三田地域振興株式会社ほか[123] |
施設管理者 | 三田地域振興株式会社[123] |
延床面積 | 21,740[123] m² |
商業施設面積 | 2,143[43] m² |
最寄駅 | JR宝塚線・神戸電鉄三田駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
日本一の人口増加を10年間続けた兵庫県三田市の旧市街地本町に近いJRと神戸電鉄の三田駅前[124]で1982年(昭和57年)に再開発ビル建設の計画が浮上して百貨店大丸の出店が決まっていたが1993年(平成5年)に出店を断念したため、当社が出店することになったのが始まりである[123]。
しかし、商圏人口が予想より伸び悩んだことを理由に1994年(平成6年)に全フロアでの出店を取り止めて2フロアのみへ縮小する方針を打ち出し、保留床も買取から賃貸へ変更となった[123]。
また、2フロアの内1階の食品売場部分もグループの食品スーパー阪急オアシスが運営し、2階のファッション売場のみを直営としてうめだ本店の菓子の取り寄せサービスなどで規模の小ささを補う営業形態となっており、人口の少ない郊外立地の実験店としての性格を持たせている[29]。
2005年(平成17年)9月13日のビルの竣工式[123]を受けて、その翌々日の15日に三田駅前一番館(キッピーモール)の核店舗として開業した[122]。
当店の入居するビルは3階と4階は専門店街で5階がレストラン街、6階に市が運営する「まちづくり協働センター」などが入居する複合施設となっている[122]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した[107]。
博多阪急
博多阪急 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒812-0012 福岡県福岡市博多区博多駅中央街1番1号 |
座標 | 北緯33度35分21.5秒 東経130度25分13.1秒 / 北緯33.589306度 東経130.420306度 |
開業日 | 2011年(平成23年)3月3日[34] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店博多阪急 |
施設所有者 | 九州旅客鉄道[126] |
施設管理者 | 博多ターミナルビル |
延床面積 | 約200,000[126] m² |
商業施設面積 | 41,835[43] m² |
前身 | 博多井筒屋[125] |
最寄駅 | JR・福岡市営地下鉄空港線博多駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
JR博多駅ビルの再開発ビルへの出店について、当初は2004年(平成16年)1月に九州旅客鉄道が高島屋を招致したい意向を表明して[127]、高島屋も打診に対して出店に前向きだったため同社と交渉が進められていた[128]が2005年(平成17年)4月12日の決算発表の席で条件が合えば出店したいと地元最大の百貨店岩田屋を上回る規模での出店を目指して交渉していた[129]が、百貨店部分と専門店街部分の売り場面積の構成で折り合わず交渉が難航した[130]ため、九州旅客鉄道が急遽当社との出店協議に切替えた[126]。
建替え前の旧駅ビルで営業してきた井筒屋は2005年(平成17年)1月26日に社長名の文書で「新駅ビルへの核百貨店としての出店について前向きに検討したい」などと営業継続を求めていた[128]。
他社に優先して交渉することを主張した井筒屋の訴えで福岡簡易裁判所で同年12月に第1回、2006年(平成18年)1月31日に第2回の調停が行われたが、九州旅客鉄道も他社と同列に扱う方針を曲げず溝が埋まらなかったため、調停は決裂しかけた[131]。
しかし、最終的には補償金45億円を支払って退去してもらい[126]、2007年(平成19年)3月31日に博多井筒屋は閉店した[125]。
2006年(平成18年)3月24日に博多駅ビルへの進出に向けて九州旅客鉄道と本格的な交渉に入ることを取締役会で決定して[32]同年4月3日に正式に合意したことを発表し[33]、その後駅ビルの建て替えが進められた。
2011年(平成23年)3月3日に入居するJR博多シティと共に博多阪急を開業し[34]、九州へ初進出[132]した。
1日35万人が乗降する九州最大のターミナルの駅ビルという利便性を背景に当店を含むJR博多シティ全体で開業初日に約22.2万人を集めた[126]。
「暮らしの学校」をコンセプトとして[133]西宮阪急で成功したコトコトステージという各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みを導入して2階を除く全フロアに大小20カ所設置してするなど物販以外のスペースが店舗面積の約15%を占めているほか、男性向けのコーディネート支援サービスも導入するなど提案型のサービス機能に注力している[96]。
20代OLに低単価でも頻繁に買い物に来てもらうことを狙ってファッションビル並みの低単価のレディスファッションを扱うハカタシスターズを設けて高級婦人服を扱う特選売場を設置しないなど主力の婦人服売場の商品の多くを単価1万円未満に抑えるなど従来の百貨店の品揃えと大きく異なる商品展開を行っている[96]。
また、大手百貨店が大都市の主要店舗で展開している富裕層や法人を対象とする外商を設置しないなど珍しい営業戦略を採っている[96]。
こうした当店の若い女性等を対象にしたファッションビル並みの価格帯の商品を扱う戦略をとった影響もあり、当店を含むJR博多シティの開業半年後の2011年(平成23年)7月に天神地区の3百貨店(岩田屋本店、博多大丸、福岡三越)が前年同月比で4.7%減だったのに対して、ファッションビルの福岡パルコが15%減、ソラリアプラザが10%減となるなど競合する大型店の中でも百貨店よりもファッションビルの方が大きな落ち込みを見せる結果となっている[134]。
当店の開業半年間で来店客数が想定の1.5倍の約1820万人に達したが、売上は約200億円で計画を約8%上回っただけに留まり、客単価が想定以上に低かったためクレジットカード会員など固定客の増加による単価引上げを目指すことになった[135]。
当店が始めて年間を通じて営業した2012年(平成24年)3月期に当店が売上高約372.59億円と初年度目標の370億円を少し上回り[136]、エイチ・ツー・オーリテイリングの連結決算も前期比8.7%増の売上高約5055.88億円で3年ぶりの増収となるなど順調な滑り出しを見せている[36]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[107]。
阪急メンズ・トーキョー
阪急メンズ・トーキョー | |
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阪急メンズ・トーキョー(旧:有楽町阪急時代のもの) | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒100-0006 東京都千代田区有楽町二丁目5番1号 |
座標 | 北緯35度40分25秒 東経139度45分44.7秒 / 北緯35.67361度 東経139.762417度 |
開業日 |
2011年(平成23年)10月15日[43] 有楽町阪急:1984年(昭和59年)10月6日[9] |
閉業日 | 有楽町阪急:2011年(平成23年)7月18日[43] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店阪急メンズ・トーキョー |
施設所有者 | 東宝[113] |
施設管理者 | 有楽町センタービル管理 |
延床面積 | 18,099[113] m² |
商業施設面積 | 11,445[43] m² |
前身 | 有楽町阪急 |
最寄駅 |
JR・東京メトロ有楽町線有楽町駅 東京メトロ日比谷線・丸の内線・銀座線銀座駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
1984年(昭和59年)10月6日にグループ企業の東宝が朝日新聞社などと共に建設した有楽町マリオン内に有楽町西武と共に開業した[9]。
同じ有楽町マリオン内の別棟に進出して情報発信型百貨店を標榜した有楽町西武と共にマリオン現象と呼ばれるほどのブームを巻き起こし[137]、有楽町から銀座の人の流れを変えたといわれた[138]。
当初は地下食料品売り場が存在したが2000年(平成12年)7月月末で食料品売場を閉鎖して9月からファッション売場としてファッション専門百貨店となった[139]。
若い女性の根強い支持を集めて[140]2005年(平成17年)3月期に売上高約140.99億円[112]、2006年(平成18年)3月期に売上高約145.76億円[113]、2007年(平成19年)3月期に売上高約145.78億円[114]と比較的安定した売上を保っていた。
しかし、同様に若い女性の根強い支持を集めている丸井[140]が2007年(平成19年)10月12日に有楽町マルイを直ぐ近くに開業させて[141]競争が激化したことに対応して化粧品売場などの改装を行ったが[115]、主力の婦人服が低迷して2008年(平成20年)3月期で前期比5.0%減の売上高約138.5億円と売上が減少に転じた[115]。
さらに、リーマンショック後の消費低迷を受けて2009年(平成21年)3月期に売上高約121.45億円[116]、2010年(平成22年)3月期に売上高約98.85億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約84.62億円[91]と急速に売上が落ち込み、売り場面積が小さいため増床した三越銀座店などと婦人衣料で競争し続けるのは困難だとして有楽町西武の跡にルミネが開業するのに合せて業態転換を図ることになった[142]。
そして2011年(平成23年)7月18日に有楽町阪急としての営業を終了し[43]、同年10月15日に全面改装のうえ、メンズファッション専門館である「阪急メンズ・トーキョー」として開業して[43]黒字転換を図り[44]、改装後の売上は前年同期比で61.0%の増加として売上を回復させた[92]。
なお、新装開店時のキャッチフレーズは「世界が舞台の、男たちへ。」、またイメージキャラクターには、歌舞伎俳優の市川海老蔵が起用された。
複数のブランドの商品を一緒に並べた自主編集の売場が主体となっていて、顧客が自由に手に取って商品を見比べることが出来ると同時に複数ブランドを合せた提案を店員が出来る点で近隣の銀座地区に多い有名ブランドの路面店との差別化を図っている[73]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[107]。
なお、同じ有楽町マリオン内にあった有楽町西武は2010年(平成22年)12月25日に[143]閉店し[144]、その跡地にJR東日本グループのファッションビルであるルミネが2011年(平成23年)10月28日に開店している[145]。
都筑阪急
都筑阪急 | |
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都筑阪急を核店舗とするモザイクモール港北 | |
店舗概要 | |
所在地 | 神奈川県横浜市都筑区中川中央1-31-1 |
座標 | 北緯35度33分17.7秒 東経139度34分41.2秒 / 北緯35.554917度 東経139.578111度 |
開業日 | 2000年(平成12年)3月17日[25] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店都筑阪急 |
施設所有者 | 第一共同開発[113] |
施設管理者 | 阪急商業開発(エイチ・ツー・オーリテイリンググループ)[146] |
延床面積 | 91,352[113] m² |
商業施設面積 | 16,352[43] m² |
最寄駅 | 横浜市営地下鉄センター北駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
2000年(平成12年)3月17日に横浜市の港北ニュータウンに子会社が開業させたショッピングセンターモザイクモール港北の核店舗として[25]開業した[26]。
開業初日に約10万人の客を集めて順調な滑り出しを見せた[26]が、2005年(平成17年)3月期で売上高約81.32億円[112]、2006年(平成18年)3月期で売上高約86.21億円[113]と業績の低迷が続いた。
そのため、周辺人口の増加や近隣商業施設の業態転換などの環境変化に対応して催事やポイントカード会員の拡大などを行って2007年(平成19年)3月期に前期比8%増の売上高約93.25億円[114]に伸ばしたものの、翌年度の2008年(平成20年)3月期で売上高約92.2億円[115]、2009年(平成21年)3月期に売上高約91.71億円[116]とその後は伸び悩んだ。
また、リーマンショック後の消費低迷を受けて2010年(平成22年)3月期に売上高約83.39億円[90]、2011年(平成23年)3月期で売上高約79.91億円[91]、2012年(平成24年)3月期で売上高約78.27億円[43]と一段と売上が落ち込み、赤字と見られているが低コスト運営などで黒字転換を目指している[44]。
2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した[107]。
他店の業態転換により現在は関東地区の店舗では唯一、総合百貨店業態となっている。
阪急大井食品館
阪急大井食品館 | |
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大井食品館の入る阪急大井町ガーデン | |
店舗概要 | |
所在地 | 東京都品川区大井1丁目50番4[147] |
座標 | 北緯35度36分20.6秒 東経139度44分2.3秒 / 北緯35.605722度 東経139.733972度 |
開業日 |
新店舗:2011年(平成23年)3月16日[43] 旧店舗:1953年(昭和28年)11月23日[9] |
閉業日 | 旧店舗:2008年(平成20年)3月31日[115] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店阪急大井食品館 |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
敷地面積 | 9,856[147] m² |
延床面積 | 約55,000[147] m² |
商業施設面積 | 2,121[43] m² |
前身 | 阪急百貨店東京大井店(大井阪急)[113] |
最寄駅 | JR・東京急行電鉄大井町駅[115] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
1953年(昭和28年)11月23日に東京大井店として開業した首都圏第1号店[9]。
1971年(昭和46年)には店舗に隣接して一体的に増築された建物内にビジネスホテル[148]ホテル阪急(後にアワーズイン阪急に名称変更)を開業した。
2000年(平成12年)4月に大井阪急をショッピングセンターに業態変換して阪急大井町デイリーショッパーズとし、その中で大井町食品館として営業していた[113]。
2005年(平成17年)3月期で売上高約59.79億円[112]、2006年(平成18年)3月期で売上高約59.8億円[113]、2007年(平成19年)3月期に売上高約60.48億円[114]、2008年(平成20年)3月期で売上高約63.04億円[115]と安定して年間約60億円前後の売上を上げていた。
周辺環境の変化や建物の老朽化に対応するために全面的に建替える当店を含む再開発が行われることになったため[149][148]、2008年(平成20年)3月31日に旧店舗を閉店した[115]。
阪急大井町ガーデンの第1期分[148]が完成したため2011年(平成23年)3月16日に大井町食品館として新店舗を開業して2012年(平成24年)3月期で売上高約47.45億円を上げて2倍以上の売場面積を持つ阪神・にしのみややあまがさき阪神を上回った[43]。
当店と同様に建て替えに伴い閉鎖されていたビジネスホテルのアワーズイン阪急も第1期の完成に伴い、地上30階高さ約100mで約1,100室へ高層化して拡大し、再開業した[147]。
このホテルは阪急阪神百貨店の100.0%出資子会社の大井開発が運営している[43]。
第2期として地上29階地下1階の住宅を含む建物の建設が進められており、全館完成後は約18,000m²が商業施設として使用される予定になっている[147]。
統一阪急百貨
2006年(平成18年)(中華民国暦95年)3月に統一企業グループと百貨店の運営に関して業務提携したのが始まりである[150]。
2007年(平成19年)(中華民国暦96年)5月12日に台湾第二の都市である高雄市に完成した当時台湾最大のショッピングセンターだった夢時代購物中心の核店舗として統一阪急百貨高雄店を開店して営業を開始した[151]。
2010年(平成22年)(中華民国暦99年)10月7日には台湾の首都で最大の都市である台北市に2号店の統一阪急百貨台北店を開店している[152]。
なお、2006年(平成18年)(中華民国暦95年)3月の提携開始当時から現在まで阪急阪神百貨店(当初は阪急百貨店)側は出資を全くしていない純粋な業務提携となっているため阪急阪神百貨店の出資比率は0%である[150][153]。
過去に存在した店舗
イングス館
阪急百貨店イングス館 | |
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店舗概要 | |
座標 | 北緯34度42分17.2秒 東経135度29分58.5秒 / 北緯34.704778度 東経135.499583度 |
開業日 | 1982年(昭和57年)10月8日[9] |
閉業日 | 2012年(平成24年)11月18日[65] |
正式名称 | 阪急阪神百貨店阪急百貨店イングス館 |
施設所有者 | エイアイジー・グローバル・リアルエステイト・インベストメント・ジャパン・コーポレーション[113] |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
延床面積 | 9,280[113] m² |
商業施設面積 | 5,780[68] m² |
最寄駅 |
阪急電鉄・阪神電気鉄道・大阪市営地下鉄梅田駅 JR大阪駅 大阪市営地下鉄東梅田駅[61] |
1982年(昭和57年)10月8日にうめだ本店の別館の阪急イングスとして開業し[9]、開業当初はスポーツ用品や音楽・映像関連の商品を扱って1990年代前半に売上高約120億円を上げていた[68]。
2004年(平成16年)4月19日に阪急イングスから阪急イングス館としてリニューアルされて子供服やスポーツ用品を扱うようになっていたが、2010年(平成22年)3月期に売上高約80億円に落ち込んでいるため、うめだ本店が全館開業する際に本店へ売場を集約して廃止することになった[68]。 そして2012年(平成24年)10月25日付けで子供服・玩具売場を新・本館11階に移転させた後、同年11月18日にイングス館を閉鎖し[65]、新本館の8階に「スポーツファッション・イングス」として移転し[65]、同年11月21日にうめだ本店新店舗を全館開業した[66]のに合せて新たな売場での営業を開始することになった[105]。
ingsというネオンサインが目印だった。
かつての阪急ドラマシリーズでは、「阪急イングス」単体でCMが放送されていた。キャッチコピーは「何か始めたい人、どこか物足りない人、イングスならもっと夢中になれること、ずっと夢中になれること、(阪急)イングス」であった。
天満橋阪急
天満橋阪急 | |
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店舗概要 | |
開業日 | 1946年(昭和21年)[23] |
閉業日 | 1961年(昭和36年)[23] |
正式名称 | 阪急百貨店阪急天満橋阪急 |
施設所有者 | 京阪電気鉄道 |
施設管理者 | 阪急百貨店 |
前身 |
京阪デパート[3] 阪急天満橋マーケット[23] |
後身 | 松坂屋大阪店 |
最寄駅 | 京阪電気鉄道天満橋駅 |
第二次世界大戦中の戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)下で阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併し京阪神急行電鉄が発足したため(1943年(昭和18年))旧・天満橋駅ビルの建物自体が旧・京阪電気鉄道から京阪神急行電鉄へと所有権が移り、1945年(昭和20年)8月28日に解散した京阪デパート[3]の建物を買収して1946年(昭和21年)に同店跡に食堂付きの天満橋マーケットとして開業した[23]大阪市内で2店目の店舗であった。
1947年(昭和22年)に株式会社阪急百貨店を設立して阪急電鉄から独立した[2]ことに伴い、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した[23]。
京阪電気鉄道の淀屋橋駅までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まったため1961年(昭和36年)に閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還してその歴史に終止符を打った[23]。
三宮阪急
三宮阪急 | |
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店舗概要 | |
開業日 | 1936年(昭和11年)4月11日[9] |
閉業日 | 1995年(平成7年)1月[113] |
正式名称 | 阪急百貨店三宮阪急[113] |
施設所有者 | 阪急電鉄 |
施設管理者 | 阪急百貨店 |
前身 | 神戸阪急 |
最寄駅 | 阪急電鉄三宮駅 |
一般の小売店による百貨店規制運動に対応して1933年(昭和8年)4月20日に創立総会を開催して設立の認可申請をした日本百貨店商業組合に当店も設立時から参画していて[19]、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定していて[20]、この営業統制規程第三条を受けてそごうが阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断っていた[21]。
しかし、京阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスだと主張して神戸・三宮に建設していた駅ビルへの食堂設置[21]などを強行し、1936年(昭和11年)4月11日には阪神急行電鉄神戸駅に完成した神戸阪急ビル内に神戸支店を開業した最初の支店だった[2]。
地階で食料品を、1階で服飾品を取り扱う小型店舗であった。
神戸ハーバーランドに新店舗を開設した際に、新店舗を神戸阪急とすることになったため、以降は三宮阪急として営業を続けていたが、1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災により神戸阪急ビル東館被災(建物の大部分は解体されたが三宮阪急の部分はほぼ無傷で震災後も数日間は営業していた)修復工事のため退去してそのまま閉店となった[113]。
ビル解体後跡地には1999年(平成11年)に地上22階地下1階の三宮阪急ビルを2004年(平成16年)完成で建設する計画が発表されたが景気の低迷から断念し、暫定的なビルを建設して使用している[154]。地階は現在、いかりスーパー阪急三宮店が営業している。
神戸阪急(2代目)
神戸阪急 | |
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店舗概要 | |
開業日 | 1992年(平成4年)10月1日[9] |
閉業日 | 2012年(平成24年)3月11日[46] |
正式名称 | 阪急百貨店阪急神戸阪急 |
施設所有者 | 三菱倉庫 |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
商業施設面積 | 約33,000[44] m² |
最寄駅 | JR神戸線神戸駅 |
最寄IC | 650-0044 |
1982年(昭和57年)11月に貨物駅としての営業を終了した日本国有鉄道湊川貨物駅跡地とその周辺約23haを再開発して1992年(平成4年)9月に街開きした神戸ハーバーランドに[155]1992年(平成4年)10月1日に開業した[9]。
開業当初は開店半年前の1992年(平成4年)4月に設立された子会社の株式会社神戸阪急だったが、2001年(平成13年)12月に営業の全てを阪急百貨店が引継いで株式会社神戸阪急は解散している[113]。
当店に隣接してビルが繋がっているダイエーや当社が三菱倉庫などと共に出資して設立したタクトが運営している神戸モザイク[156]も同時に開業した[155]。
1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災の被害が神戸最大の商業中心地である三宮よりも少なかったため[157]震災の約2カ月後に営業再開し[158]、その直後は集客力がアップして売上が伸び、1995年(平成7年)3月期と1996年(平成8年)3月期の2年間だけは黒字となり[46]、1996年(平成8年)3月期には売上高約259億円を上げた[44]。
1994年(平成6年)12月に神戸西武が業績不振を理由に早くも撤退し[155]、1996年(平成8年)4月に神戸出身の南部靖幸が率いるパソナが神戸ハーバー・サーカスを開業したが業績が低迷して2002年(平成14年)6月にオメガ・プロジェクトの経営参画を仰いで[155]後にファミリオとなった[157]ほか、2000年(平成12年)7月に星電社が撤退して跡地に12月にコムサストアが開業し[155]、オーガスタプラザも業績の低迷が続いていた[155]ため、ビルを保有していた大阪ガスがモルガン・スタンレーグループに売却して2002年(平成14年)6月7日に所有権が移転し、同時にその運営権も高島屋と大阪ガスの合弁会社からモルガン・スタンレー側に移行したため、同年9月末の賃貸契約期間満了と共に高島屋が出店していたテナントも閉店して運営会社オーガスタも解散した[159]。
そして2005年(平成17年)にダイエーが撤退した[160]ため、開業当初から当地区で営業し続けている大型商業施設は当店と当店のグループ企業が運営するモザイクのみになるなど周辺店舗が入れ替わって店舗周辺の大きく客層が変化していった[157]。
こうした客層の変化などに対応するため2004年(平成16年)にベビー用品のアカチャンホンポを誘致したり[157]、ダイエーの撤退を受けて2006年(平成18年)2月1日にグループのスーパーマーケットの阪急オアシスを導入したり[161]、2006年(平成18年)3月期に子供関連売場のエンターテインメント性強化[113]などてこ入れを行ったが[157]、2011年(平成23年)3月期の売上高が約89億円と落ち込んだことから[160]、2012年(平成24年)9月末の賃借契約が切れる前の同年3月11日に閉店した[46]。
当店の閉店に伴い、隣接して営業しているモザイクの運営会社タクトの株式40%全てを大家である三菱倉庫に譲渡して経営権も移行し、当地区から完全に撤退した[156]。
店舗跡は隣接するHa・Re(ハレ)やモザイクと共に施設を所有する三菱倉庫などからイオンモールが受託して大型のショッピングセンターとして一体的に再開発し[162]、集客の見込めるゴールデンウィーク前の2013年(平成25年)4月の開業を目指している[163]。
四条河原町阪急
四条河原町阪急 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒600-8510 京都府京都市下京区四条通河原町東入真町68番地 |
開業日 | 1976年(昭和51年)10月15日[9] |
閉業日 | 2010年(平成22年)8月22日[45] |
正式名称 | 阪急百貨店阪急四条河原町阪急 |
施設所有者 | 住友不動産[164] |
施設管理者 | 阪急阪神百貨店 |
延床面積 | 12,625[113] m² |
商業施設面積 | 約8,909[165] m² |
最寄駅 | 阪急京都本線河原町駅 |
1976年(昭和51年)10月15日に開業した[9]阪急電鉄京都線河原町駅に直結するターミナル百貨店[166]。
駅に直結した京都市最大の繁華街・四条河原町[167]の交差点角の好立地のため、待ち合わせ場所としても親しまれていた[168]。
売場面積が広くないため若者向けのファッションに特化した店舗展開を行い[166]、1980年代にデザイナーズブランドを中心とした先端的な若者向けファッションを取り扱って若者の支持を集め[168]、東京と並ぶ若者のファッション発信地として1991年(平成3年)に売上高約171億円を上げていた[169]。
しかし、デザイナーズブランドブームが去ると競合店に客足を奪われ[170]、若者向けのファッションに特化する戦略は4~5年で顧客が入れ替わるため長期的な信頼関係を構築して売上を確保する百貨店の一般的な戦略が通用しなかった[166]。
阪急電鉄河原町駅の1日当たりの乗降客数が1997年(平成9年)に約8.8万人から2010年(平成22年)に約6.49万人に減少するなど店舗のある四条河原町の集客力が低下した一方で京都駅周辺の集客力が高まったこと[171]や、低価格の衣料専門店の台頭による「百貨店離れ」[164]などにより京都地区の百貨店売上高の合計が2009年(平成21年)は約2597億円と2001年(平成13年)から約20%減少した影響を受けていた[166]。
業績の改善を目指して2000年(平成12年)以降に2度の大規模な改装を行ったり[166]、2007年(平成19年)10月にグループの阪急電鉄が当店の向かい側の四条河原町北東角に商業施設「コトクロス阪急河原町」を開業した際には共同でスタンプラリーを行って四条河原町地区への集客力向上を図った[172]。
しかし、2005年(平成17年)3月期で売上高約71.49億円[112]、2006年(平成18年)3月期で前年比7.3%減の売上高約66.25億円[113]、2007年(平成19年)3月期で売上高約66.75億円[114]、2008年(平成20年)3月期で売上高約66.31億円[115]と低迷していたところに、リーマンショック後の消費低迷が加わり、2009年(平成21年)3月期に売上高約56.14億円[116]、2010年(平成22年)3月期に売上高約45.74億円[90]と更に大きく落ち込み、赤字が続いていた[169]。
また、グループの鉄道部門の乗降客数に大きく影響するほどの規模の店舗でないことから赤字でも戦略的に営業を続ける対象でなかったこともあり[166]、2010年(平成22年)11月末のビルを所有する住友不動産との賃貸契約が切れる前[164]の同年8月22日に閉店した[45]。
当店閉店後の跡地には京阪電気鉄道や家電量販店[173]、丸井など20社以上が出店を希望した[174]が、2010年(平成22年)8月10日に丸井が出店することが正式に発表され[167]、2011年(平成23年)4月27日に開業した[175]。
数寄屋橋阪急
数寄屋橋阪急 | |
---|---|
店舗概要 | |
開業日 | 1956年(昭和31年)5月29日[9] |
閉業日 | 2004年(平成16年)8月31日[42] |
正式名称 | 阪急百貨店阪急数寄屋橋阪急 |
施設所有者 | 東急不動産 |
施設管理者 | 阪急百貨店 |
後身 | モザイク銀座阪急[42] |
最寄駅 |
JR・東京メトロ有楽町線有楽町駅 東京メトロ日比谷線・丸の内線・銀座線銀座駅 |
東京都心初の店舗として、1956年(昭和31年)5月29日にマツダビルディングに数寄屋橋阪急を開業した[9]。 (マツダビルディングはその後銀座東芝ビルへ名称変更し、東急不動産が買収したことに伴い銀座TSビルに名称変更している[146]。)
2004年(平成16年)8月31日に数寄屋橋阪急としての営業を終了して子会社の阪急ショッピングセンター開発に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビルモザイク銀座阪急として開業し[42]、服飾店や雑貨店などのテナント[176]48店が入居して2010年(平成22年)3月期に売上高約50億円を上げている[177]。
2007年(平成19年)にビルを取得した東急不動産が老朽化に伴う建て替えを理由に立ち退きを提案し[177]、「建て替えが必要なほど老朽化はしておらず、正当な立ち退き理由にはならない」と主張して反論していたところ[177]、2009年(平成21年)4月に東芝不動産が東京地方裁判所に立ち退きを求める訴訟を起こした[146]。
2011年(平成23年)3月4日に東急不動産が立退補償金として60億円を支払って2012年(平成24年)8月末で賃貸借契約を解除することなどで和解が成立した[177]ため、2012年(平成24年)8月31日までに営業を終了することを発表した[176]。
1963年(昭和38年)封切の東宝映画『社長外遊記』『続社長外遊記』において「丸急デパート」として登場した。現在の形態へと変貌を遂げる1980年代以前の姿が映し出されている。
実現しなかった店舗
北浜阪急
開発業者からの招致を受けて[178]2006年(平成18年)から長谷工コーポレーションなどが進めていた[30]大阪市の京阪電気鉄道と大阪市営地下鉄北浜駅に直結する三越大阪店跡地の超高層マンションの低層部の商業施設部分に[31]三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進め[30]、ライバルの百貨店が撤退した跡地への進出として注目を集めたが[178]、オフィスビルが多い立地で日常の買い物を行う住民が少ない立地のため出店効果が薄い上[178]、条件面でも開発業者側と折り合わないとして2007年(平成19年)6月14日に出店を断念したこと明らかにした[178]。
当店が出店断念したため、関西資本のスーパーマーケットフレスコ北浜プラザ店を中核店舗とする「The Kitahama(ザ・キタハマ)」はこの再開発ビル下層の商業施設として開業した[179]。
沿革
阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄直営時代
- 1925年(大正14年)6月1日 - 阪神急行電鉄梅田駅(現・阪急電鉄梅田駅)に隣接した阪急ビル(梅田阪急ビル)に阪急直営マーケットを開業[1]。
- 1929年(昭和4年)4月15日 - 鉄道会社直営のターミナルデパートとしては世界初の阪急百貨店(現・うめだ本店)を創業した[1]。
- 1936年(昭和11年)4月11日 - 阪神急行電鉄神戸駅(現・阪急電鉄三宮駅)ターミナルビルに神戸阪急が開店[9]。
(初代)株式会社阪急百貨店
- 1947年(昭和22年)
- 1953年(昭和28年)11月23日 - 国鉄大井町駅(現・JR大井町駅)前に大井阪急が開店[9]。
- 1956年(昭和31年)5月29日 - 数寄屋橋阪急(マツダビルディング内)が開店[9]。
- 1970年(昭和45年)3月11日 - 北大阪急行電鉄千里中央駅隣接地に千里阪急が開店[9]。
- 1976年(昭和51年)10月15日 - 阪急電鉄河原町駅隣接地に四条河原町阪急が開店[9]。
- 1982年(昭和57年)10月8日 - 阪急電鉄梅田駅東側に阪急イングスが開店[9]。
- 1984年(昭和59年)10月6日 - 国鉄有楽町駅(現・JR有楽町駅)前に有楽町阪急が開店[9]。
- 1989年(平成元年)4月4日 - 阪急電鉄川西能勢口駅前に川西阪急が開店[9]。
- 1992年(平成4年)10月1日 - 神戸ハーバーランドに神戸阪急が開店[9]。これを機に、三宮駅にあった神戸阪急は三宮阪急となる。
- 1993年(平成5年)4月15日 - 阪急電鉄宝塚駅新ターミナルビル内に宝塚阪急が開店[9]。
- 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災により三宮阪急が被災(そのまま閉店)[113]。
- 2000年(平成12年)
- 2003年(平成15年)3月1日 - 阪急共栄物産株式会社を合併[38]。
- 2004年(平成16年)
- 4月19日 - 阪急イングスがうめだ阪急イングス館としてリニューアルされる。
- 8月31日 - 数寄屋橋阪急が閉店[42]
- 10月8日 - 数寄屋橋阪急がモザイク銀座阪急となり阪急ショッピングセンター開発に運営移行)[42]。
- 10月28日 - 北花田駅前のダイヤモンドシティ・プラウ(現・イオンモール堺北花田プラウ)に堺 北花田阪急が開店[28]。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 7月11日 - うめだ本店南側部分の取り壊し開始。
- 9月1日 - 阪急オアシス、阪急ファミリーストア、阪急ニッショーストアなど計8社を完全子会社とする中間持株会社「阪食」を設立し阪急食品工業と分担して阪食の株主となる[41]。
(2代目)株式会社阪急百貨店
- 2007年(平成19年)10月1日 - (初代)株式会社阪急百貨店が純粋持株会社「エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社」へ移行するのに伴い会社分割(新設分割)により(2代目)株式会社阪急百貨店が設立され、阪急百貨店の事業を承継[71]。
- 2008年(平成20年)3月31日 - 大井阪急食品館が再開発のため閉店[115]。
株式会社阪急阪神百貨店
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 8月31日 - うめだ本店の北側部分を閉鎖。新店舗の開店準備が行われる。
- 9月3日 - うめだ本店の新店舗・南側部分(第1期分)が先行開業[60]。同日、仮設売場として設置された「サン広場館」が閉鎖。引き続き、残る北側部分の解体・建替工事が行われた。
- 2010年(平成22年)
- 8月22日 - 四条河原町阪急が閉店[45]。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
阪急阪神百貨店吹奏楽団
1960年(昭和35年)に創設された阪急百貨店吹奏楽団が前身。阪急阪神百貨店グループに勤務する従業員のみで構成される職場バンドである。2008年(平成20年)10月1日、阪神百貨店との合併により現在の名称に変更された。
全日本吹奏楽コンクールの常連で、アマチュア吹奏楽団としては名実共に日本一の実力と伝統を誇る。かつては団員の育成機関として阪急商業学園を擁し、阪急少年音楽隊(現早稲田摂陵高等学校吹奏楽コース)としてのセミプロ的活動も活発に行われていた。 また阪急ブレーブスの存続時には西宮球場での応援歌演奏も担当していた。
プロ野球の優勝・応援セールの扱い
- 1967年(昭和42年)の初優勝以来、阪急ブレーブス(後オリックスブレーブス→オリックスブルーウェーブ→オリックスバファローズ)が優勝した年(1968年(昭和43年)・1969年(昭和44年)・1971年(昭和46年)・1972年(昭和47年)・1975年(昭和50年)-1978年(昭和53年)・1984年(昭和59年))には、パ・リーグや日本選手権シリーズで優勝した直後から、梅田店店頭に吊るされたくす玉を割り、盛大な優勝記念セールを開催した。
- しかし1988年(昭和63年)を最後に、オリエントリース(現オリックス)に譲渡されて以後は、オリックスの優勝セールは神戸店のみの実施となった反面、百貨店と球団が同一グループでなくなったため、そごう・大丸等神戸市内に店舗を構える同業者も参入していた。2003年(平成15年)と2005年(平成17年)に阪神タイガースがセ・リーグ優勝を決めた際に「大阪バンザイセール」を開催したことがある。これは阪神と阪急が当時競合関係にあったため[注釈 2]、阪神球団から「タイガース優勝セール」の使用許諾が得られず、直接的に「タイガース」と表現できなかったからである。
- その後2008年(平成20年)10月には、前年2007年(平成19年)10月に経営統合した持株会社・エイチ・ツー・オーリテイリング傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールの一環として、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で開催された。
- また2010年(平成22年)にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。
- 博多阪急では、2011年(平成23年)10月2日~8日に「祝・リーグ優勝 目指せ日本一応援SALE」と題して福岡ソフトバンクホークスの優勝セールを開催した。阪神タイガースとはリーグが違う事や、地域性を考慮しての実施と思われる[180]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j 『75年の歩み』阪急電鉄、1982年。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『株式会社阪急百貨店25年史』阪急百貨店、1976年9月。
- ^ a b c d e 谷内正往 (2012-6-1). “戦前京阪デパートの創立”. 梅信 2012年6月号 (近畿大学 通信教育部).
- ^ 『京阪神急行電鉄五十年史』京阪神急行電鉄、1959年。
- ^ a b 「このデータが入手できれば耳々の大体の利益も把握できることになり、梅田におけるターミナルデパートの採算が立つか否かの検討資料が得られることになる」と小林一三が述べたとしている岩堀女三『偉才小林一三の商法-阪急を創始した経営哲学 (改定新版)』評言社、1978年。
- ^ a b c d e f g “【大阪の20世紀】(24)小林一三 宝塚歌劇、沿線開発型鉄道…“夢”咲かせ続けた経営者”. 産経新聞 (産経新聞社). (1999年10月10日)
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- ^ a b c d e f g h i 谷内正往 (2009-7-31). “戦前のターミナル・デパート-大鉄百貨店の創立”. 生駒経済論叢 第7巻第1号 (近畿大学 経済学会).
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak 50年史編集委員会『株式会社阪急百貨店50年史』阪急百貨店、1998年4月。
- ^ 中井祐 (2001-6). “フォト・エッセイ 土木エンジニアたちの群像 小林一三の描いた模範的郊外生活”. 建設業界 June 2001 通巻589号 (社団法人日本土木工業協会).
- ^ 大阪市史編纂所は「1926年8月31日上本町6丁目に大軌ビル竣工(ビル内に大阪最初の三笠屋百貨店開店) 」としており、三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとしている。 8月のできごと 大阪市史編纂所 大阪市(ウェブサイト)
- ^ 「大正15年8月に完成した。ビルには本社事務所、直営食堂およびテナントの三笠屋百貨店、ストア、銀行等が入居、9月16日には大阪の東玄関にふさわしい一大ターミナルとしてお目見えした。 」近畿日本鉄道80年の歩み 近畿日本鉄道
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- ^ a b c d “阪急大食堂73年の歴史に幕 面影残して全面改装へ”. 京都新聞 (京都新聞社). (2002年8月16日)
- ^ a b c d e f “<気流>ソーライス。文字通りソースをかけただけの白飯…”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2011年3月4日)
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- ^ a b 谷内正往. “戦前、 阪神の百貨店構想 ‐大阪駅前の土地争いを中心として”. 梅信 No.568 (近畿大学 通信教育部) (2012-1-1).
- ^ a b “百貨店の…商業組合の正体(上)”. 中外商業新報 (中外商業新報社). (1933年4月25日)
- ^ a b “百貨店の…商業組合の正体(中)”. 中外商業新報 (中外商業新報社). (1933年4月26日)
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- ^ “春遠し"首の心配" 夜間営業の廃止が実現したら百貨店員は大整理”. 大阪朝日新聞 (朝日新聞社). (1937年12月24日)
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注釈
関連会社
関連項目
- ソーライス - 昭和初期の逸話。
- 大阪2011年問題
- 名鉄百貨店 - 名古屋鉄道が阪急百貨店との提携によりオープンした。
- グランデュオ - JR立川駅南口・蒲田駅にある駅ビル。運営会社のジェイアール東日本商業開発株式会社は阪急百貨店・東日本旅客鉄道(JR東日本)とルミネの合弁会社。
- 毎日放送 - 前身の新日本放送は開局時、阪急百貨店屋上のスタジオより放送を行った。その後、阪急グランドビル内に、ラジオのサテライトスタジオが設置されたこともあった。現行の局舎は茶屋町の阪急百貨店流通センター跡地に建てられている。