栃木シティフットボールクラブ
栃木シティフットボールクラブ | |||
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原語表記 | 栃木シティフットボールクラブ | ||
愛称 |
栃木シティ 栃木シティFC | ||
クラブカラー |
紺 白[1] | ||
創設年 | 1947年 | ||
所属リーグ | 関東サッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | 1部 | ||
クラブライセンス | (未申請) | ||
ホームタウン | 栃木県栃木市、下都賀郡壬生町[1] | ||
ホームスタジアム | CITY FOOTBALL STATION | ||
収容人数 | 5,129 | ||
運営法人 | 株式会社 THE TOCHIGI CITY UNITED[1] | ||
代表者 | 大栗崇司 | ||
監督 |
![]() | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
| |||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
![]() | |
![]() 本社外観 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
![]() 〒329-4307 栃木県栃木市岩舟町静1219-2 北緯36度19分10秒 東経139度39分54秒 / 北緯36.31944度 東経139.66500度座標: 北緯36度19分10秒 東経139度39分54秒 / 北緯36.31944度 東経139.66500度 |
設立 | 2014年2月3日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 6060001025687 |
事業内容 | スポーツクラブの運営 |
代表者 | 大栗崇司(代表取締役社長) |
主要株主 | 日本理化工業所 |
外部リンク | https://tochigi-city.com/club/ |
特記事項:2018年12月、株式会社栃木ウーヴァから名称変更。 |
栃木シティフットボールクラブ(とちぎシティフットボールクラブ、英: TOCHIGI CITY FOOTBALL CLUB)は、日本のサッカークラブ。本拠地は栃木県栃木市。Jリーグ加盟を目指すクラブの1つである。旧チーム名は栃木ウーヴァフットボールクラブ。
なお、栃木SCとの区別のために「栃木C」と表記されることがある。栃木ウーヴァFC時代は「栃木U」と表記されていた。
歴史[編集]
前史[編集]
1947年、日立製作所栃木事業所(現・日立アプライアンス栃木事業所)の実業団チーム「日立栃木サッカー部」として創部。2006年、ジュニアチームを運営していたウーヴァスポーツクラブと統合し、日立栃木ウーヴァスポーツクラブに名称変更した。ウーヴァ(UVA)とはポルトガル語でブドウの意味(ブドウは日立栃木事業所のある旧・大平町の特産品である)。2009年に第33回全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、2010年からの日本フットボールリーグ(JFL)への昇格が決定した。
栃木ウーヴァFC[編集]
2010年、NPO法人栃木アミスタスポーツクラブに運営を移管、栃木ウーヴァフットボールクラブに名称を変更[2]。
2012年はJFLで最下位に終わり、第36回全国地域サッカーリーグ決勝大会3位のクラブフィールズ・ノルブリッツ北海道との入替戦に回ったが、PK戦で勝利してJFL残留を決めた。
2013年6月、Jリーグ準加盟を申請したが、見送られた[3]。2014年、トップチームの運営を株式会社栃木ウーヴァに移管[4]。5月20日、Jリーグ百年構想クラブとして承認された[5]。
2015年は自動降格圏内の最下位に終わったが、レギュレーション変更によりJFLへの残留が決まった(詳細は第17回日本フットボールリーグ#地域リーグとの入れ替えを参照)。
2016年、サウルコス福井元ヘッドコーチの堺陽二が監督に就任。年間順位は自動降格圏内の15位に終わったが、レギュレーション変更によりJFLへの残留が決まった(詳細は第18回日本フットボールリーグ#地域リーグとの入れ替えを参照)。
2017年、リーグ戦で2年ぶりに自動降格圏内の最下位に終わり、2009年以来となる関東リーグ1部への降格が決まった(詳細は第19回日本フットボールリーグ#地域リーグとの入れ替えを参照)。
2018年、選手契約を原則プロ契約とすることを発表[6]。クラブ代表を務めていた岩原克彦が代表権のない取締役会長に退き、後任に日本理化工業所代表取締役社長・日本理化グループ代表の大栗崇司が就任。戦略統括責任者(CSO)に鳥栖や横浜FCなどで監督を務めた岸野靖之、ヘッドコーチに鳥取元監督の松田岳夫が就任した。GK安藤淳也が現役引退しGKコーチとなったほか大半の選手との契約を満了した一方で、引き続き在籍する8選手とはプロ契約を締結。さらに群馬からMF村田翔、水戸からFW山村佑樹、盛岡からDF守田創、甲府からDF津田琢磨とMF若杉好輝、徳島からMF井澤惇、栃木SCからFW竹中公基、金沢から7年ぶりの復帰となるGK原田欽庸、東京V(前シーズンは長野に期限付き移籍)からDF大木暁、横浜FCからMF野崎陽介と、Jリーグクラブから選手を補強。JFL・テゲバジャーロ宮崎から元JリーガーのMF髙地系治とFW森島康仁、JFL・FCマルヤス岡崎からFWレオジーニョが加入したほか、MF岩渕裕人(松本大学)、DF鯉沼晃(関西大学)、GK田中大貴(大阪学院大学)が新加入。ホームスタジアムの栃木市総合運動公園陸上競技場が芝の張り替えのため4月より使用できなくなり、足利や小山でホームゲームを行うこととなった[7]。2019年よりジュニアチーム(ウーヴァFC)との分離に伴ってチーム名称を変更すると発表した[8]。関東リーグ1部で初優勝した。しかし全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2018はグループリーグで2分1敗の3位でグループリーグ敗退となり、1年でのJFL復帰はならなかった[9]。なお運営分離後の栃木ウーヴァFCはトップチームを再結成し、2021年より栃木県社会人サッカーリーグに参入している[10]。
栃木シティフットボールクラブ[編集]
2018年12月14日、チーム代表の大栗崇司が記者会見を行い、2019年からチーム名称を「栃木シティフットボールクラブ」に変更[11] し、運営法人の商号も「株式会社THE TOCHIGI CITY UNITED」に変更することを明らかにした[12]。新監督に北九州でコーチを務めていた鄭容臺が就任[13]したが、シーズン途中の5月14日付で鄭との契約を解除し、戦略統括責任者 (CSO) の岸野靖之が兼任することになった[14]。最終的にVONDS市原FC・東京ユナイテッドFCに次ぐ3位でリーグ戦終了。
2020年シーズンは岸野が監督兼任を外れてCSO専任となり、後任の監督に奈良クラブなどで監督経験のある中村敦を招聘[15]。関東リーグ1部は2年ぶりに優勝し全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2020に出場、一次ラウンドでは3戦全勝でグループを首位通過したものの、決勝ラウンドでは1勝2分・勝点5で3チームが並び、得失点差で3位に終わったためJFL昇格を逃した。
2021年シーズンはクラブ所有のCITY FOOTBALL STATIONが落成し、開幕戦から使用することとなった。しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、リーグ指針に伴い、有観客試合は主催11試合中3試合しか開催出来なかった[16]。リーグでは、開幕戦で昇格組のエスペランサSCに1-2で敗戦を喫するものの、その後は9試合負けなしを記録、8勝1分2敗の首位で前半戦を折り返した。後半戦も5勝1敗と上々のスタートを切ったが、9月からのJFL昇格を争うライバルであるVONDS市原FC、ブリオベッカ浦安、東京ユナイテッドFC、Criacao Shinjukuとの4試合では、東京ユナイテッドFCとの引き分けによる勝ち点1しか積み上げることが出来ず急失速、延期されていた後期第6節(事実上の最終節)流経大ドラゴンズ龍ケ崎戦を前に中村を監督から解任した[17]。結局、総合で14勝2分6敗の4位に終わり、全社も中止となったため、またもJFL復帰にはならなかった。
2022年シーズンは関東リーグでは序盤TOKYO UNITEDの好調さでなかなか首位に立てなかったが、最終的に優勝を果たし全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2022への出場を決める。第58回全国社会人サッカー選手権では同じ関東リーグ勢でリーグ6位だったブリオベッカ浦安に3回戦で敗退、浦安はそのまま全社をベスト4で終え地域決勝の出場権を得た。地域決勝1次ラウンドではグループAでFC刈谷と勝ち点7で並び、得失点差で2位に終わるもワイルドカードで決勝ラウンド進出。決勝ラウンド初戦でFC刈谷と再戦すると2-0で勝利、第2戦は沖縄SVと0-0のスコアレスドローとなり、暫定首位で最終戦を迎えたが、ブリオベッカ浦安相手に1-3で敗戦。結果勝ち点4で3位に終わり、またしてもJFL昇格を逃した[18]。
チーム成績・歴代監督[編集]
日立栃木サッカー部[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 |
1967 | 栃木県1部 | 優勝 | |||||||||
1968 | 優勝 | ||||||||||
1969 | |||||||||||
1970 | |||||||||||
1971 | 優勝 | ||||||||||
1972 | 関東 | 8位 | 1 | 14 | 0 | 1 | 13 | 14 | 56 | -42 | |
1973 | 栃木県1部 | 優勝 | |||||||||
1974 | 優勝 | ||||||||||
1975 | |||||||||||
1976 | 優勝 | ||||||||||
1977 | |||||||||||
1978 | 2位 | 14 | 9 | 7 | 0 | 2 | 地区予選敗退 | ||||
1979 | 2位 | 9 | 6 | 4 | 1 | 1 | |||||
1980 | 優勝 | 17 | 9 | 8 | 1 | 0 | |||||
1981 | 関東 | 9位 | 12 | 18 | 4 | 4 | 10 | 11 | 28 | -17 | |
1982 | 10位 | 9 | 18 | 4 | 1 | 13 | 20 | 46 | -26 | ||
1983 | 栃木県1部 | 優勝 | 14 | 8 | 6 | 2 | 0 | ||||
1984 | 3位 | 12 | 9 | ||||||||
1985 | 7位 | 7 | 8 | 2 | 3 | 3 | |||||
1986 | 3位 | 10 | 8 | 4 | 2 | 2 | |||||
1987 | 4位 | 10 | 9 | 4 | 2 | 3 | |||||
1988 | 9位 | 6 | 9 | 3 | 0 | 6 | |||||
1989 | 栃木県2部A | 優勝 | 14 | 7 | 7 | 0 | 0 | ||||
1990 | 優勝 | 19 | 7 | 6 | 1 | 0 | |||||
1991 | 栃木県2部 | 優勝 | |||||||||
1992 | 栃木県1部 | 3位 | 19 | 12 | 6 | 1 | 5 | ||||
1993 | 7位 | 18 | 12 | 6 | 0 | 6 | |||||
1994 | 7位 | 11 | 11 | 4 | 3 | 4 | |||||
1995 | 9位 | 12 | 11 | 4 | 0 | 7 | |||||
1996 | 8位 | 16 | 11 | 5 | 1 | 5 | 県予選敗退 | ||||
1997 | 8位 | 13 | 11 | 4 | 1 | 6 | |||||
1998 | 6位 | 10 | 9 | 3 | 1 | 5 | |||||
1999 | 優勝 | 28 | 14 | 9 | 1 | 4 | |||||
2000 | 2位 | 30 | 14 | 10 | 0 | 4 | |||||
2001 | 2位 | 37 | 14 | 12 | 1 | 1 | |||||
2002 | 優勝 | 14 | |||||||||
2003 | 関東2部 | 6位 | 12 | 14 | 4 | 0 | 10 | 25 | 55 | -30 | |
2004 | 4位 | 21 | 14 | 6 | 3 | 5 | 24 | 19 | 5 | ||
2005 | 3位 | 25 | 14 | 7 | 4 | 3 | 28 | 18 | 10 | 1回戦敗退 |
日立栃木ウーヴァSC[編集]
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 |
2006 | 関東2部 | 2位 | 30 | 14 | 9 | 3 | 2 | 35 | 18 | 17 | 県予選敗退 | 三関隆 |
2007 | 関東1部 | 2位 | 27 | 14 | 9 | 0 | 5 | 33 | 17 | 16 | 横濱誠 | |
2008 | 2位 | 26 | 14 | 8 | 2 | 4 | 24 | 19 | 5 | 3回戦敗退 | ||
2009 | 2位 | 31 | 14 | 10 | 1 | 3 | 30 | 16 | 14 | 県予選敗退 |
栃木ウーヴァFC[編集]
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 |
2010 | JFL | 15位 | 31 | 34 | 7 | 10 | 17 | 41 | 75 | -34 | 1回戦敗退 | 横濱誠 |
2011 | 10位 | 45 | 33 | 12 | 9 | 12 | 40 | 43 | -3 | 2回戦敗退 | ||
2012 | 17位 | 22 | 32 | 4 | 10 | 18 | 36 | 70 | -34 | 県予選敗退 | 井出大介 | |
2013 | 17位 | 30 | 34 | 9 | 3 | 22 | 34 | 66 | -32 | 2回戦敗退 | 多田徹朗 | |
2014 | 13位 | 19 | 26 | 4 | 7 | 15 | 16 | 37 | -21 | 1回戦敗退 | ||
2015 | 16位 | 19 | 30 | 5 | 4 | 21 | 29 | 61 | -32 | 1回戦敗退 | 前田和也 | |
2016 | 15位 | 16 | 30 | 5 | 1 | 24 | 34 | 77 | -43 | 1回戦敗退 | 堺陽二 | |
2017 | 16位 | 24 | 30 | 5 | 9 | 16 | 22 | 56 | -34 | 2回戦敗退 | ||
2018 | 関東1部 | 優勝 | 52 | 18 | 17 | 1 | 0 | 55 | 14 | 41 | 県予選敗退 |
栃木シティフットボールクラブ[編集]
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 | 備考 |
2019 | 関東1部 | 3位 | 32 | 18 | 9 | 5 | 4 | 30 | 15 | 15 | 1回戦敗退 | 鄭容臺 岸野靖之 |
全社2回戦敗退 |
2020 | 優勝 | 23 | 9[※ 1] | 7 | 2 | 0 | 25 | 6 | 19 | 1回戦敗退 | 中村敦 | 地域CL3位 | |
2021 | 4位 | 44 | 22 | 14 | 2 | 6 | 45 | 26 | 19 | 2回戦敗退 | 中村敦 髙地系治 |
||
2022 | 優勝 | 37 | 18 | 11 | 4 | 3 | 33 | 14 | 19 | 県予選敗退 | 今矢直城 | 全社ベスト8 地域CL3位 |
- 注釈
- ^ 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、前期1節から前期9節までの全試合を中止し、後期日程のみでの開催となった。
タイトル[編集]
リーグ戦[編集]
- 関東サッカーリーグ1部:3回
- 2018,2020,2022
- 栃木県社会人サッカーリーグ1部:10回(日立栃木SC時代)
- 1967, 1968, 1971, 1973, 1974, 1976, 1980, 1983, 1999, 2002
カップ戦[編集]
- 栃木県サッカー選手権大会(兼天皇杯栃木県予選):11回
- 2005, 2008, 2010, 2011, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2019, 2021
下部組織[編集]
- CITY FOOTBALL ACADEMY
- 栃木シティフットボールクラブU-25
- アマチュア社会人チーム。2021年現在の所属リーグは栃木県社会人サッカーリーグ2部Aブロック[19]。旧称はLUXPERIOR FOOTBALL ACADEMY(2019年まで)、栃木シティLFAユナイテッド(2020年)。
- 栃木シティフットボールクラブU-18(ユース)
- 栃木シティフットボールクラブU-15(ジュニアユース)
- 栃木シティフットサルクラブ
- 2019シーズンより、「MORANGO栃木」のトップチーム事業を受託し、チーム名を改称。2019年現在の所属リーグは栃木県フットサルリーグ1部。
スタジアム[編集]
栃木市岩舟地区の岩舟総合運動公園を建設候補地として民設民営によるサッカー専用スタジアム建設を計画して[20][21]、2021年3月に新スタジアムCITY FOOTBALL STATIONが完成した[22]。
- 2020年以前のホームスタジアム
年度・競技場別の試合数[編集]
- ※2010年のJFLリーグ加盟以後[24]。
年度 | 栃木市陸 | 足利市陸 | その他 |
2010 | 14 | 3 | なし |
2011 | 12 | 4 | 小山1 |
2012 | 11 | 3 | 小山2 |
2013 | 8 | 7 | 栃木県陸1 小山1 |
2014 | 9 | 3 | 小山1 |
2015 | 10 | 3 | 小山2 |
2016 | 10 | 3 | 小山2 |
2017 | 10 | 3 | 小山2 |
足利市とのダブルホームタウン制[編集]
2013年1月22日、足利市との間で同市をセカンドホームタウンとし、足利市総合運動公園陸上競技場をセカンドホームスタジアムとして使用することで合意した[25]。合意の際に、足利市長(当時)の大豆生田実は「名称を『両毛ウーヴァ』にしてはどうか」との提案もあった。
2013年4月に大豆生田を破って足利市長選挙に当選した和泉聡は、「ダブル本拠地に関する合意書」について2014年2月の更新時に更新しないと発表した[26][27]。
足利市とのホームタウン契約は基本1年で、期間満了の3か月前までに特に返事がない場合は契約を1年ごとに更新するものと見なされることになっていたが、和泉が「練習会場の確保など、合意事項を実行できない」と判断し、10月24日までに契約更新をしない旨を伝えたといい、和泉はその中で「栃木市側と意志疎通を繰り返す中で、"ウーヴァに足利に浮気しないで、栃木市に戻ってきてほしい"というニュアンスを感じた」とし、足利市教育委員会も「ダブルホームタウンは甘い結び方だった」とコメントしている[26]。
また足利市側は週1回程度夜間練習ができる会場を確保するとしていたが「サッカーのスパイクによって芝生が荒れて、頻繁に修復工事をしなければいけない」と、確保ができなかった理由を説明しており、また足利事務所の設置や資金調達のための情報提供も「市が個別の団体に対して行うのは好ましくない」とし、名称変更を含めた栃木市との交渉も事実上決裂した状態にある[27]。
ユニフォーム[編集]
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ユニフォームスポンサー[編集]
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 日本理化工業所 | NIPPONRIKA | 2017年4月 - | 1stのみ表記 2017年は背中上部 (1stは「NIPPONRIKA」 2ndは「vincent」表記) |
---|---|---|---|---|
栃木製麺 | 栃木製麺 | 2022年 - | 2ndのみ表記 | |
鎖骨 | なし | - | - | |
背中上部 | なし | - | - | |
背中下部 | 深井製作所 | FUKAI | 2018年 - | 2017年4月 - 同年12月は胸 |
袖 | なし | - | - | |
パンツ | なし | - | - |
ユニフォームサプライヤーの遍歴[編集]
- - 2009年 : ペナルティ
- 2010年 - 2011年 : アシックス
- 2012年 - 2015年 : レサンクセンス
- 2016年 - 2017年 : マイター
- 2018年 - 現在 : ラクスペリア
歴代ユニフォームスポンサー表記[編集]
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||
胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | ||
2010 | 日立エアコン・冷蔵庫 | 解禁前 | - | 解禁前 | 日本旅行 | 大坂屋 | asics |
2011 | アスワン | ||||||
2012 | 和洋レストラン いらっしゃれ | les cinq sens | |||||
2013 | 丸和住宅 | ||||||
2014 | アスライブ | ||||||
2015 | エフアンドエフ | ||||||
2016 | - | mitre | |||||
2017 | - / FUKAI |
NIPPONRIKA (1st) vincent (2nd) |
栃木市医師会 | ニッコークリエート | |||
2018 | NIPPONRIKA | - | MICAMATION | FUKAI | - | - | LUXPERIOR |
2019 | |||||||
2020 | |||||||
2021 | - | ||||||
2022 | NIPPONRIKA (1st) 栃木製麺 (2nd) |
関連項目[編集]
- 栃木シティフットボールクラブの選手一覧
- Jリーグ加盟を目指すクラブ
- CITY FOOTBALL ACADEMY
- 日本理化工業所 - クラブ代表である大栗が社長を務める、クラブの事実上の親会社である。
- 木須デソウザフェリペ - 元プロ野球選手(オリックス・バファローズ所属)。2022年に同クラブ勤務[28]
脚注[編集]
- ^ a b c “クラブ概要”. 栃木シティ. 2022年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月25日閲覧。
- ^ 第12回日本フットボールリーグガイドブック2010
- ^ “Jリーグ準加盟に福島など7クラブ承認へ”. 日刊スポーツ (2013年9月12日). 2018年9月12日閲覧。
- ^ “クラブ概要”. 栃木ウーヴァFC. 2014年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月25日閲覧。
- ^ 『Jリーグ百年構想クラブ審査結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2014年5月20日 。2017年11月12日閲覧。
- ^ 「栃木ウーヴァ「プロ化」へ 1年でのJFL復帰掲げ」『下野新聞』、2017年12月13日。2017年1月6日閲覧。オリジナルの2017年12月16日時点におけるアーカイブ。
- ^ “栃木市陸上競技場を改修へ 来年4月から、天然芝全面張り替え|下野新聞「SOON」”. 下野新聞 (2018年1月14日). 2018年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ “チーム名変更及びチーム名公募について”. 栃木ウーヴァFC (2018年7月). 2018年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ “ウーヴァJFL復帰ならず 最終戦スコアレスドロー 全国地域CL1次R|スポーツ|下野新聞「SOON」ニュース|下野新聞 SOON(スーン)”. 下野新聞 (2018年11月11日). 2018年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ “第55回栃木県社会人サッカーリーグ3部決勝大会組合せ”. 栃木県サッカー協会. 2022年6月26日閲覧。
- ^ “ウーヴァFCから「栃木シティFC」に 新名称決まる|スポーツ|下野新聞「SOON」ニュース|下野新聞 SOON(スーン)”. 下野新聞 (2018年11月29日). 2018年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ 「ウーヴァ「栃木シティFC」に…社名も変更」『読売新聞』、2018年12月15日。2018年12月19日閲覧。オリジナルの2018年12月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ “鄭 容臺氏 監督就任のお知らせ”. 2023年2月27日閲覧。
- ^ “監督交代のお知らせ”. 栃木シティFC (2019年5月14日). 2019年5月14日閲覧。
- ^ 『【TOP】中村敦氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)栃木シティFC、2019年12月28日 。2020年10月10日閲覧。
- ^ “<緊急事態宣言中のリーグ開催について>”. 関東サッカーリーグ. 2021年4月25日閲覧。
- ^ 『【TOP】中村敦監督 解任のお知らせ』(プレスリリース)栃木シティFC、2021年10月6日 。2021年11月12日閲覧。
- ^ “ブリオベッカ浦安が栃木シティ破り優勝、来季JFL昇格 高原直泰監督率いる沖縄SVも”. 日刊スポーツ. (2022年11月27日) 2022年11月28日閲覧。
- ^ “【慶越雄二氏 LUXPERIOR FOOTBALL ACADEMY監督就任のお知らせ】 | 栃木シティフットボールクラブ” (2019年1月11日). 2019年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ “スタジアムの住民説明会を行いました。”. 栃木シティフットボールクラブ (2020年1月13日). 2020年1月15日閲覧。
- ^ “ピッチと観客 日本一近く 天然芝、5129人収容 栃木シティFCスタジアム計画”. 下野新聞 (2020年1月14日). 2020年1月15日閲覧。
- ^ “新スタジアム、3月14日こけら落とし 栃木シティ|下野新聞 SOON”. 下野新聞 SOON. 2023年2月27日閲覧。
- ^ “栃木シティ| 練習見学”. 2020年10月10日閲覧。
- ^ 日本フットボールリーグ公式サイト・フットボールガイスト
- ^ “東京新聞:熱闘 足利でも ウーヴァFCとセカンドホーム合意:栃木(TOKYO Web)”. 東京新聞 (2013年1月23日). 2013年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ a b “東京新聞:栃木ウーヴァ 足利市が白紙撤回 セカンドホームタウン合意:栃木(TOKYO Web)”. 東京新聞. 2013年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ a b “栃木ウーヴァの「W本拠地」白紙に 足利市|下野新聞「SOON」”. 下野新聞 (2013年11月21日). 2013年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ “ホームタウン推進課 木須フェリペ氏 福島レッドホープス(ルートインBCリーグ)へ入団・選手復帰のお知らせ”. 2023年2月27日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト
- 栃木シティ【公式】 (@tochigi_city_) - Twitter
- 栃木シティフットボールクラブ (TochigiCityFootballClub) - Facebook
- 栃木シティ【公式】 (@tochigi_city_official) - Instagram
- 【公式】栃木シティフットボールクラブ - YouTubeチャンネル