国葬

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国葬こくそうとは、国家に功労のあった人(皇室王族元首政治家、軍人、学者、芸術家、宗教家、環境保護活動家など)の死去に際し、国家の儀式として、国費をもって行われる葬儀のことである。

アメリカ合衆国[編集]

国葬のために合衆国議会議事堂ロタンダに安置されたフォード元大統領の棺。(2006年)

アメリカ合衆国においては大統領経験者は国葬の対象となる。基本的に大統領在任中の政策等の評価とは関係なく国葬となるが、任期途中で不祥事のため辞任したリチャード・ニクソンは個人的に国葬を辞退したこともあって実行されなかった。また、軍人ではジョン・パーシングダグラス・マッカーサーも国葬の対象となった。また1921年には第一次世界大戦で戦死した無名戦士のための国葬が行われている。

またアメリカでは棺が議事堂などの公共建造物に一定期間安置され、一般市民と別れを告げる儀礼が行われることがあるが、これも国葬に次ぐ公的な葬礼と見られている(en:Lying in state)。ニクソンの葬儀の際もリチャード・ニクソン大統領図書館において棺が安置されている。

イギリス[編集]

イギリスでは国葬を賜る対象となる者は、基本的に国王と英国王室の構成員に限られるが、例外として、国家に特段の功労があった者が国葬とされる。王族以外では以下の者が国葬とされた。

ちなみに、首相経験者でグラッドストンのライバルとして有名だったベンジャミン・ディズレーリ看護教育学者となったフローレンス・ナイチンゲールも国葬を打診されたが、ディズレーリは本人の意志、ナイチンゲールは遺族の要望で辞退されている。

また、メアリー王妃やエリザベス王太后、ダイアナ皇太子妃など王室の配偶者は「国民葬」に、王位を退いたウィンザー公は「王室葬」に付された。

なお、国葬は通常事前に準備される。例えば2013年に死去したサッチャーは、まだ健康を維持していた2008年の時点で、すでに死去した場合に国葬を執り行うことが計画されていると報道された[1]

インド[編集]

インドでは宗教指導者のサティヤ・サイ・ババと修道女のマザー・テレサが国葬の対象となった。

カンボジア[編集]

カンボジア元国王のノロドム・シハヌークが国葬の対象となった。

ケニア[編集]

ケニアでは環境問題活動家のワンガリ・マータイが国葬の対象となった。

ジャマイカ[編集]

ジャマイカではレゲエ歌手のボブ・マーリーが国葬の対象となった。

シンガポール[編集]

シンガポールでは初代首相だったリー・クアンユーが国葬の対象となった。

ソビエト連邦[編集]

ソビエト連邦ではロケット研究者のコンスタンチン・ツィオルコフスキーが国葬の対象となった。

大韓民国[編集]

大韓民国では「国葬・国民葬法」の中で、国家が葬儀の費用を全額負担する国葬と一部を負担する国民葬が規定されている。

韓国でこれまで国葬となったのは朴正煕金大中金泳三(いずれも元大統領)がおり、国民葬となったのは崔圭夏盧武鉉の大統領経験者並びに陸英修朴正煕夫人)などがいる。

中華人民共和国[編集]

中華人民共和国では国葬に関する法令はない。国家に特段の功績にあったものが死亡したときには、「中華人民共和国国旗法」に従い、半旗を掲げて「国家による弔意」を表す(半旗#中華人民共和国を参照)。

国家主席国務院総理全国人民代表大会常務委員長、国家中央軍事委員会主席経験者が主な対象である。

中華民国[編集]

中華民国では1919年に「国葬法」が制定され、国家に特段の功績のあったものを対象に国葬を行う。これまでに蔣介石総統蔣経国総統歌手テレサ・テンの葬儀が国葬となった。

朝鮮民主主義人民共和国[編集]

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、国葬を賜る対象は朝鮮労働党政治局委員以上または内閣金日成存命時代は政務院)部長、朝鮮人民軍次帥以上の経験者が基本で、党中央委員、および委員候補クラスの実務者でも、最高指導者が必要と認めた場合は国葬で送られる[2]。必ずしも金日成、金正日ら白頭山血統の最高指導者だけが国葬を受けるわけではない。

国葬を行う場合は、被葬者の死去の発表と同時に、朝鮮労働党中央委員および最高人民会議代議員のうち、政府役職経験者による国家葬儀委員会が編成され、そのメンバーは朝鮮中央通信を通じ、朝鮮中央放送朝鮮中央テレビの「報道」、および国外向けの朝鮮の声放送で発表される。発表される葬儀委員会名簿は「最高指導者を委員長」とし[3]、その時の北朝鮮指導部の序列を如実に示すといわれ、クレムリノロジー同様、日本のラヂオプレスなど「北朝鮮ウォッチャー」にとっては、絶対に欠かすことのできない資料となる。

なお、資格を満たしていても、粛清により死刑とされた者については、当然のことながら国葬は行われず、過去には朝鮮労働党中央委員会や政務院、内閣による公式発表すらなされないまま「この世を去った」と、報道された幹部経験者もいる。

日本[編集]

太平洋戦争前[編集]

太平洋戦争前の日本では、明治以降、国葬をすべき必要が生じた場合に応じて「特ニ国葬ヲ行フ」とする勅令が個別に発せられていた。

国家に功績ある臣下が死去した場合にも天皇の特旨により国葬が行われるほか、皇族においても特に国家に功労があった者が薨去した場合には、通常の皇族の葬儀ではなく特別に臣下同様の国葬が行われた。また李太王熈(高宗)[4]李王坧(純宗)[5] といった大韓帝国皇帝経験者はいずれも特旨によって国葬となっている。

1926年大正15年)10月21日国葬令(大正15年勅令第324号)が公布され、国葬の規定は明文化された。これにより天皇太皇太后皇太后皇后の葬儀は、特に「大喪儀」といい、国葬とされた。また7歳以上で薨去した皇太子皇太孫皇太子妃皇太孫妃及び摂政たる皇族の葬儀は全て国葬とされたが、明治以降において該当者が薨去した例はなかった。また該当者以外の国葬については内閣総理大臣が天皇の裁可を経て定めるとされた。

皇族・王公族以外の被国葬者は、「旧藩主」「太政官制における大臣経験者」「首相経験者」「元帥」のいずれかに該当する。このうち首相経験者はいずれも元老であり、複数の組閣経験を持つほか、最高位の勲章である大勲位菊花章頸飾を没日以前に受章している。軍人のうち東郷平八郎山本五十六は皇族・王公族・首相経験のいずれも該当していない。

太平洋戦争後[編集]

太平洋戦争後、国葬令が失効したことにより、それによって規定された国葬はなくなった。また、新しい皇室典範の、葬儀に関する規定は第25条の「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」という記述のみであった。大喪の礼は国の儀式であるとして行われ、その費用が国庫から支出される国葬として扱われている。一方で伝統的な宗教儀礼を含む儀式は大喪儀として、皇室が主催する儀式として行われている。皇族についてもその葬儀の呼称にかかわらず、皇室が主宰する儀式となっており、いわゆる国葬としては扱われていない。これは太平洋戦争前ならば大喪が行われる皇太后の地位にあった香淳皇后の葬儀でも同様である。ただし1951年貞明皇后が逝去した際には、国葬と明確にしないまま「事実上の国葬」として一連の葬儀が行われた[6][7]

太平洋戦争後、天皇を除く国葬は1967年に死去した吉田茂の例が唯一である。これは、閣議によって国葬と決し、かつ政教分離に基づき宗教色を排して行われた。

現在、首相経験者をはじめとした有力政治家の葬儀は、内閣、所属政党、所属議院、遺族のいずれかの組み合わせによる合同葬として行うことが多い。1975年に死去した佐藤栄作は、存命中に大勲位を受勲した太平洋戦争後に三人(吉田・佐藤・中曽根康弘)のうちの一人で、その葬儀は「自民党、国民有志による国民葬」として行われ、経費の一部は国庫から支出する閣議決定が行われた。1980年に現職の首相のまま急死した大平正芳は「内閣・自由民主党合同葬」で行われた。また幣原喜重郎など現職の衆参議長・副議長が死亡した場合、議院の主宰による葬儀が行われる。また太平洋戦争前後を通じて63年の議員経験をもつ尾崎行雄は特に衆議院葬が行われている。

また勲一等文化勲章の受章者の葬儀に天皇から文化庁を通じて祭粢料が下賜されることがある(例・黒澤明森繁久彌)。

太平洋戦争前後を通じて、国葬は普通東京で行われる。例外的に島津久光鹿児島で、元大韓帝国皇帝で朝鮮王族であった高宗純宗京城府(現在のソウル特別市)で行われた。

一覧[編集]

国葬の一覧
年月日 被葬者 地位、備考
1883年明治16年)7月25日 岩倉具視 右大臣
1887年(明治20年)12月18日 島津久光 公爵 左大臣
1891年(明治24年)2月25日 三条実美 公爵 太政大臣
1895年(明治28年)1月29日 有栖川宮熾仁親王 陸軍大将 参謀総長
1895年(明治28年)12月18日 北白川宮能久親王 陸軍大将 近衛師団
1896年(明治29年)12月30日 毛利元徳 公爵 参議山口藩
1898年(明治31年)1月9日 島津忠義 公爵 参議 旧鹿児島藩
1903年(明治36年)2月26日 小松宮彰仁親王 元帥 陸軍大将
1909年(明治42年)11月4日 伊藤博文 公爵 内閣総理大臣 元老
1912年大正元年)9月13日 明治天皇 天皇 大喪
1913年(大正2年)7月17日 有栖川宮威仁親王 元帥 海軍大将
1914年(大正3年)5月24日 昭憲皇太后 皇太后 大喪
1916年(大正5年)12月17日 大山巌 公爵 元帥 陸軍大将 内大臣
1919年(大正8年)3月3日 李熈 李太王(元韓国皇帝 高宗
1922年(大正11年)2月9日 山縣有朋 公爵 元帥 陸軍大将 内閣総理大臣 元老
1923年(大正12年)2月14日 伏見宮貞愛親王 元帥 陸軍大将 内大臣
1924年(大正13年)7月12日 松方正義 公爵 内閣総理大臣 元老
1926年(大正15年)6月10日 李坧 李王(元韓国皇帝純宗
1927年昭和2年)2月7日 大正天皇 天皇 大喪
1934年(昭和9年)6月5日 東郷平八郎 侯爵 元帥 海軍大将
1940年(昭和15年)12月5日 西園寺公望 公爵 内閣総理大臣 元老
1943年(昭和18年)6月5日 山本五十六 元帥 海軍大将 連合艦隊司令長官
1945年(昭和20年)6月18日 閑院宮載仁親王 元帥 陸軍大将 参謀総長
1967年(昭和42年)10月31日 吉田茂 内閣総理大臣
1989年平成元年)2月24日 昭和天皇 天皇 大喪の礼
中曽根康弘の内閣・自由民主党合同葬
国家、もしくは国家機関が関与した葬儀
年月日 被葬者 葬儀の呼称 地位や役職
1897年(明治30年)2月7日 英照皇太后 大喪儀[8] 皇太后
1951年(昭和26年)3月16日 幣原喜重郎 衆議院 内閣総理大臣、衆議院議長
1951年(昭和26年)6月22日 貞明皇后 大喪儀[9] 皇太后
1954年(昭和29年)10月7日 尾崎行雄 衆議院 名誉議員
1954年(昭和29年)11月17日 松平恒雄 参議院 参議院議長
1975年(昭和50年)6月16日 佐藤栄作 自民党、国民有志による国民葬 内閣総理大臣
1980年(昭和55年)7月9日 大平正芳 内閣自由民主党合同葬 内閣総理大臣
1987年(昭和62年)9月17日 岸信介 内閣・自由民主党合同葬 内閣総理大臣
1988年(昭和63年)12月5日 三木武夫 内閣・衆議院合同葬 内閣総理大臣
1990年(平成2年)4月27日 小野明 参議院葬 参議院副議長
1995年(平成7年)9月6日 福田赳夫 内閣・自由民主党合同葬 内閣総理大臣
2000年(平成12年)6月8日 小渕恵三 内閣・自由民主党合同葬 内閣総理大臣
2004年(平成16年)8月26日 鈴木善幸 内閣・自由民主党合同葬 内閣総理大臣
2006年(平成18年)8月8日 橋本龍太郎 内閣・自由民主党合同葬 内閣総理大臣
2007年(平成19年)8月28日 宮澤喜一 内閣・自由民主党合同葬 内閣総理大臣
2011年(平成23年)11月25日 西岡武夫 参議院葬 参議院議長
2020年令和2年)10月17日[10] 中曽根康弘 内閣・自由民主党合同葬 内閣総理大臣

ブラジル[編集]

ブラジルではF1レーサーであったアイルトン・セナが国葬の対象となった。

フランス[編集]

フランスでは国葬を賜る対象は、第4共和制からは首相、第5共和制からは大統領。ならびにフランス国民教育省の「式典令」に従い、国家に特段の功労があったものを対象とする。パンテオン (パリ)も参照。

ベトナム[編集]

原則としてベトナム共産党中央委員会書記長、国家主席首相、国会議長の経験者が対象となる[11]。そのほか、特に国家への多大な貢献があった人物には特例として認められており、例としてヴォー・グエン・ザップ(2013年没)に対しておこなわれたものがある[11]

ベネズエラ[編集]

ベネズエラでは大統領のウゴ・チャベスが国葬の対象となった。

南アフリカ共和国[編集]

南アフリカ共和国では元大統領ネルソン・マンデラが国葬の対象となった。

ヨルダン国王[編集]

ヨルダン国王フセイン1世が国葬の対象となった。

脚注[編集]

  1. ^ 「『鉄の女』死去なら国葬」読売新聞朝刊,2008年7月15日。
  2. ^ 金正恩氏 民用航空総局長の死去に異例の哀悼 - 聯合ニュースHP 2017年1月23日掲載。
  3. ^ 被葬者が最高指導者の場合は最高人民会議常任委員長が葬儀委員長となる。
  4. ^ 御署名原本・大正八年・勅令第九号・故大勲位李太王国葬ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A03021174900 
  5. ^ 御署名原本・大正十五年・勅令第八七号・故大勲位李王国葬ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A03021600300 
  6. ^ 「葬儀の方法 宮内庁で協議」『朝日新聞』昭和26年5月18日1面
  7. ^ ご大喪・ご即位・ご結婚などの行事”. 宮内庁ホームページ. 2020年3月25日閲覧。
  8. ^ 国葬令制定以前のため。事実上の国葬
  9. ^ 事実上の国葬
  10. ^ 当初は2020年(令和2年)3月15日に行われる予定だったが新型コロナウイルス感染拡大の影響により延期となった。
  11. ^ a b “ベトナム、ザップ将軍の国葬開始/「救国の英雄」”. 四国新聞. (2013年10月12日). http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/20131012000414 2016年11月19日閲覧。 

参考文献[編集]

関連項目[編集]