レーニン廟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レーニン廟
Мавзолей Ленина
Lenin Mausoleum.jpg
概要
用途 ウラジーミル・レーニン霊廟(1924年 - )
ヨシフ・スターリン霊廟(1953年 - 1961年)
所在地 ロシア連邦モスクワクレムリン
座標 北緯55度27分05秒 東経37度22分16秒 / 北緯55.4513度 東経37.3711度 / 55.4513; 37.3711座標: 北緯55度27分05秒 東経37度22分16秒 / 北緯55.4513度 東経37.3711度 / 55.4513; 37.3711
着工 1924年
完成 1924年
落成 1924年
設計・建設
建築家 アレクセイ・シューセフ
テンプレートを表示
この項目に含まれる文字は、オペレーティングシステムブラウザなどの環境により表示が異なります。

レーニン廟(レーニンびょう、ロシア語: Мавзолей Ленина, ラテン文字転写: Mavzoley Lenina)は、ロシア連邦モスクワ市中心部の赤の広場にあるウラジーミル・レーニン霊廟である。

沿革[編集]

1924年1月21日にレーニンが死去すると、1月27日の葬儀までに、赤の広場のクレムリンの壁の前にアレクセイ・シューセフの設計によるが急造された[1]。葬儀当日、レーニンの棺はこの廟の内部に安置され、葬儀の終了後もその場で展示された[1]。その後の6週間で10万人以上の人々が棺を見るために廟を訪れた[2]。当初、レーニンの遺体は最終的に埋葬される予定であったが、共産党上層部は方針を転換し、遺体に保存処理(エンバーミング)を施した上で、恒久的に展示することを決定した。1924年5月までに、赤の広場には以前のものよりも大規模かつ精巧な、シューセフの設計による木造の霊廟が建設された[1]。エンバーミングを経た遺体は新しい霊廟に展示され、1924年8月から一般公開された[1]1930年にはより恒常的な施設として、現在の花崗岩造の霊廟が建設された。

1953年ヨシフ・スターリン死去するとその遺体も保存処理が施されレーニンと並んで安置され、廟の名称も「レーニン・スターリン廟(Мавзолей Ленина-Сталина)」に改められていたが、1961年の「第二次スターリン批判」に伴ってスターリンの遺体は撤去されて廟の名称も再びレーニン廟に戻され、クレムリンの壁とレーニン廟の間にある英雄墓域に埋葬された。スターリン以後のソ連最高指導者のうち、在職のまま死去したレオニード・ブレジネフユーリ・アンドロポフコンスタンティン・チェルネンコの3名もこの墓域に埋葬されている。

赤の広場で行われる国家的行事に際しては、ソビエト連邦共産党・政府の首脳はレーニン廟のひな壇から観閲し、演説を行うのが慣例となっていた。レーニン廟に並ぶ指導者の顔ぶれや序列は、西側諸国のジャーナリスト・研究者にとって、ソ連指導部の動向を知る手がかりの一つであった(クレムリノロジー)。

ソビエト連邦解体後、何度も廟の撤去案が持ち上がっているが、その都度多くの反対に合い、撤去されないまま現在にいたっている。撤去案を支持する主張は政府がレーニン廟への財政的支援を打ち切り、個人の寄付でレーニンの遺体の保存を担当するスタッフを支えるというものである[3]

2011年1月にロシアの政権与党である統一ロシアがレーニン廟撤去の賛否投票を行えるサイト(外部リンク参照)を立ち上げた。2012年12月に大統領のウラジミール・プーチンは撤去反対派のロシア連邦共産党と軌を一にしてレーニンを聖遺物に準えて保存を主張して東方正教会の一部から批判を受けた[4]

2016年、ロシア政府は遺体の保存を継続する事を決定し、遺体の保存のために1300万ルーブルを費やす事を計画した[5]。2018年RIAノーボスチはウラジーミル・ペトロフがレーニンの遺体をレーニン廟から撤去する事についての問題を調査するための特別委員会の設置を提案したと報じた。ウラジーミル・ペトロフはレニングラード州議会議員である。ペトロフはレーニンの遺体を人工の樹脂でできたコピーに取り替える事に賛成している。共産党員であるドミトリー・ノヴィコブはペトロフの提案に強く反対している[6]

改修[編集]

2012年12月末には、著しく老朽化が進んだレーニン廟の本格的改修を行うことが決定した。2013年4月まで改修工事が行われた[7]

また、1993年秋まではレーニン廟の入口にも衛兵が立っており、クレムリンの鐘の音に合わせて1時間毎に交代をしていたが、現在ではそういった光景は無くなっており見ることが出来ない。

構造[編集]

構造は、ジェセル王の階段ピラミッド大キュロスの墓のような古代の霊廟からのいくつかの要素を参考にしている。

内部では、「エンバーミング」という技術でレーニンの遺体が保存されている。この保存技術は旧ソ連で開発されたもので、レーニン廟付属研究所によるものである。

影響[編集]

レーニン廟の影響をうけ、いくつかの共産主義国家などで指導者の遺体が永久保存処理され、これを安置する廟がつくられている。エンバーミング#エンバーミングされた著名人も参照。

現在も設置されているもの
現在は撤去されたもの

なお、キューバチェ・ゲバラ霊廟は、チェ・ゲバラが1967年にボリビアで戦死したため、例外的に遺体そのものを欠いた形で出発した。他の施設が首都の中心部に建てられたのに対し、ゲバラゆかりの地サンタ・クララに建てられた点も独特である。その後1997年にゲバラの遺骨がボリビアから返還され、これが納められた。

今日、観光客が廟内を訪れる際、敬意を示さなければならない他、写真撮影、会話、喫煙、手をポケットに入れる事、帽子を被る事は禁じられている[8]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e Tumarkin, Nina (1997). Lenin Lives! The Lenin Cult in Soviet Russia (enlarged ed.). Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press. pp. 191–194. ISBN 978-0-674-52431-6 
  2. ^ Gwendolyn Leick (15 November 2013). Tombs of the Great Leaders: A Contemporary Guide. Reaktion Books. p. 39. ISBN 978-1-78023-226-3. https://books.google.com/books?id=v5SMAwAAQBAJ&pg=PA39 
  3. ^ Mark McDonald (2004年3月1日). “Lenin Undergoes Extreme Makeover”. Associated Press. http://news.com.au/common/story_page/0,4057,8833438%255E13780,00.html 2010年4月19日閲覧。 [リンク切れ] (alternative url Archived 2010-07-04 at the Wayback Machine.)
  4. ^ “レーニンは赤の広場にとどまるべき”. ロシアNOW. (2012年12月17日). http://jp.rbth.com/articles/2012/12/17/40459 2015年11月20日閲覧。 
  5. ^ "На сохранение тела Ленина в 2016 году истратят более 13 млн рублей". 2016-04-12.
  6. ^ Депутат предложил заменить тело Ленина в Мавзолее копией” (2018年11月14日). 2020年1月8日閲覧。
  7. ^ “レーニン廟、初の本格改修 埋葬議論再燃も”. 産経新聞. (2012年12月26日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/121226/erp12122615140003-n1.htm 2012年12月26日閲覧。 [リンク切れ]
  8. ^ See, e.g., a statement by President Putin in Sankt-Peterburgsky Vedomosty, July 19, 2001.

参考文献[編集]

  • 『レーニンをミイラにした男』(イリヤ・ズバルスキー/サミュエル・ハッチンソン、赤根洋子訳、文春文庫、2000年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]