かみのけ座
Coma Berenices | |
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属格形 | Comae Berenices |
略符 | Com |
発音 | [ˈkoʊmə bɛrəˈnaɪsiːz]、属格:/ˈkoʊmiː/ |
象徴 | Berenice's Hair |
概略位置:赤経 | 12.76 |
概略位置:赤緯 | +21.83 |
正中 | 5月15日21時 |
広さ | 386平方度[1] (42位) |
バイエル符号/ フラムスティード番号 を持つ恒星数 | 44 |
3.0等より明るい恒星数 | 0 |
最輝星 | β Com(4.25等) |
メシエ天体数 | 8 |
確定流星群 | Coma Berenicids |
隣接する星座 |
りょうけん座 おおぐま座 しし座 おとめ座 うしかい座 |
かみのけ座(かみのけざ、髪座、Coma Berenices)は星座の1つ。ラテン語の学名は「ベレニケの髪の毛」という意味で、プトレマイオス朝3代目の王プトレマイオス3世の妃で共同統治者であったベレニケ2世の名前を冠している[2]。
主な天体[編集]
恒星[編集]
以下の恒星には、国際天文学連合によって正式な固有名が定められている。
その他、以下の恒星が知られている。
- β星:かみのけ座で最も明るい恒星。絶対等級が太陽とほぼ同じ(太陽よりわずかに明るい)恒星である。この星は地球から約30光年の場所にある。よってこの場所から太陽を見ると、地球から見たβ星と同じくらいに輝いているはずである。
星団・星雲・銀河[編集]
かみのけ座には銀河北極(銀緯+90°の点)があり、星間物質の量が最も少ない方向なのでたくさんの銀河が見える。この領域にはかみのけ座銀河団と呼ばれる銀河団が存在する。反面銀河面から最も離れているため、大きな散開星団Mel 111を例外として散開星団や散光星雲、惑星状星雲はほとんど見られない。
その他[編集]
由来と歴史[編集]

ギリシャ時代から、しし座とうしかい座の間にぼんやりとした星の集まりがあることは知られていたが、トレミーの48星座には含まれなかったため、16世紀に入るまで1つの星座として認められていなかった[2]。
かみのけ座を1つの星座として独立させたのは、1536年にドイツの地図製作者カスパル・フォペルが Berenices Crinis として自作の天球儀に描いたのが最初である[2]。その後1551年にメルカトルがこれを採用し、1602年にティコ・ブラーエが星図で用いてから広く一般に認知されるようになった[2]。
神話[編集]
古代エジプト、プトレマイオス朝の王プトレマイオス3世と、その妻で王妃のベレニケ2世にまつわる話が知られている[2]。
プトレマイオス3世は自分の姉妹を殺したセレウコス朝シリアを紀元前243年ごろ攻めた。ベレニケは、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を女神アプロディーテーに捧げると誓った。夫が戻ると、王妃は髪を切り、女神の神殿に供えたところ、翌朝までに髪の毛は消えていた。王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。このとき、宮廷天文学者コノンは、神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした、と王と王妃に告げ、しし座の尾の部分を指し示した。コノンのこのとっさの知恵により、神官たちの命は救われた[2]。
この話は、プトレマイオス3世に仕えたヘレニズム期の宮廷詩人カリマコスの詩 Lock of Berenice で神話化され[2]、のちにガイウス・ウァレリウス・カトゥルスによってラテン語に翻訳紹介された[4]。
出典[編集]
- ^ “星座名・星座略符一覧(面積順)”. 国立天文台(NAOJ). 2023年1月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g Ian Ridpath. “Star Tales - Coma Berenices”. 2020年5月26日閲覧。
- ^ “IAU Catalog of Star Names (IAU-CSN)”. WGSN. IAU (2022年4月4日). 2022年6月26日閲覧。
- ^ 熊野鉄兵「クロード・シモン『ベレニスの髪』論」『仏語仏文学研究』第33巻、東京大学仏語仏文学研究会、185-197頁、doi:10.15083/00036153、ISSN 0919-0473。