ポニアトフスキーのおうし座
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ポニアトフスキーのおうし座(ポニアトフスキーのおうしざ、ラテン語: Taurus Poniatovii)[1]は、ビリニュスの王立天文台台長であったポーランドの天文学者のマルチン・ポツォブト=オドラニツキー神父 (Marcin Poczobutt-Odlanicki) が1777年に設定した星座である[2]。現在この星座は使われておらず、へびつかい座、へび座、わし座の一部となっている。おうし座に対してうし座、またはこうし座と呼ばれたことがある。[要出典]
「ポニアトフスキー」とは、当時のポーランド(ポーランド・リトアニア共和国)国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(スタニスワフ2世アウグスト、在位:1764年 - 1795年)のことである。「おうし」はポニャトフスキ家の紋章であった。なお、スタニスワフ2世アウグストの治世に3度にわたるポーランド分割が行われ、ポーランド・リトアニア共和国最後の国王となった。
星座はおうし座(ヒアデス星団が「牛の顔」を形作る)に倣って設定されている。最も明るい星は、現在のへびつかい座72番星(3.7等級)で、「牛の角」に位置していた。「牛の顔」を形作るのは、へびつかい座67番星(4.0等級)、へびつかい座68番星(4.4等級)、へびつかい座70番星(4.0等級)で、これらを含む明るい5つの星は、散開星団Mel 186(あるいはCr 359)に属する。なお、星座の設定当時は知られていなかったが、バーナード星はこの星座のあった領域に属している。牛の臀部にあった5 - 6等級の星々は、わし座に属する。
周りには、へびつかい座・へび座・たて座・わし座・アンティノウス座があった。
関連項目
[編集]- たて座 - 17世紀後半にポーランドの天文学者ヘヴェリウスが設定した星座(現用)。当時のポーランド王を記念し、当初は「ソビエスキのたて座」と言った。
脚注
[編集]- ^ 原恵『星座の神話 - 星座史と星名の意味』(新装改訂)恒星社厚生閣、1996年6月30日、271-272頁。ISBN 4-7699-0825-3。
- ^ Ian Ridpath. “Star Tales - Taurus Poniatovii”. 2014年4月22日閲覧。