エドワード・ピゴット

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エドワード・ピゴット[1]
生誕 1753年
死没 (1825-06-27) 1825年6月27日(72歳没)[2]
国籍 イギリスの旗 イギリス
活動期間 1767年~1807年[3]
著名な実績 変光星の発見、
ピゴット彗星の発見
宗教 カソリック[4]
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エドワード・ピゴット(Edward Pigott, 1753年 - 1825年6月27日[2])は、イギリスアマチュア天文家食変光星アルゴルの変光メカニズムを解明したジョン・グッドリックの協力者として、また3つの恒星の変光を発見したことや、メシエ天体彗星の発見者として知られている[1]

生涯[編集]

1753年にアマチュア天文家のナサニエル・ピゴット英語版の息子として生まれた[4]。1769年には、フランスノルマンディー地方のカーンの駅近くで金星の太陽面通過を目撃している[3]。彼はベルギールーヴェン生まれの母からフランス語で教育を受けた[5]。1781年に一家でイギリスヨークへと移り住むと、自宅から400mほどの近所に住む11歳年下の遠い親戚ジョン・グッドリックと歳の差を超えた友情を結び、また共同して天体観測を行った[4][6]。彼らの友誼は、1786年に21歳の若さでグッドリックが早逝するまで続いた[4][6]

1779年3月23日にかみのけ座に、後に黒眼銀河 (M64) と呼ばれる星雲を発見した[2]。この発見はヨハン・ボーデの発見よりもわずか12日ながら早く、シャルル・メシエの発見よりも約1年早いものであった[2]。彼はこの発見をすぐにネヴィル・マスケリンに報告したが、公表されるのが1781年まで遅れたことから長く歴史から埋もれてしまい、2002年にブリン・ジョーンズによってようやく日の目を見るまでは忘れられていた[2][3]

1783年11月19日に発見した周期彗星は彼の名前を取って「ピゴット彗星」と呼ばれたが、長く回帰が確認されていなかった[2]。この彗星は、2003年2月にLINEAR、2009年5月にリチャード・コワルスキーによって回帰が検出され、現在はピゴット-LINEAR-コワルスキ彗星と呼ばれる。

1784年に、ピゴットは王立協会に新たな変光星の発見を報告した[7]。これは彼が発見したわし座η星についてであった[3]。当時、新星超新星を除くと変光星は6個しか知られておらず、また初めて発見されたケフェイド変光星であった[2]。彼はウィリアム・ハーシェルネヴィル・マスケリンといった当代きっての天文学者と手紙を交わしている[8][9]

1786年に親友のグッドリックが亡くなったことで彼が受けた衝撃は大きく、グッドリックの死後天体観測への情熱が衰えたことを書き綴っている[1]。それでも、1795年にはかんむり座R星たて座R星の2つの変光星の発見を報告している[1][2]

ピゴットは1796年にヨークを離れ、バースへと移った。1807年の大彗星 (C/1807 R1) の観測記録を最後に、彼の天文関連の業績は遺されていない[2]。1825年6月27日にバースで他界。ピゴットの観測記録ノートはヨーク市に保存されている[5]

栄誉[編集]

1996年10月26日にアリゾナ州ツーソンに開設されたグッドリック・ピゴット天文台は、ピゴットとグッドリックの友情と天文への情熱を記念して名付けられた[10]

小惑星番号10220の小惑星ピゴット英語版 は、彼を記念して名付けられた[11]。この小惑星は、1997年10月20日にグッドリック・ピゴット天文台のロイ・A・タッカーによって発見されたものである[11]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 岡崎彰『奇妙な42の星たち』誠文堂新光社、1994年4月1日、67-70頁。ISBN 978-4416294208 
  2. ^ a b c d e f g h i Hartmut Frommert, Christine Kronberg (2007年8月30日). “Edward Pigott (1753 - June 27, 1825)”. SEDS. 2017年3月8日閲覧。
  3. ^ a b c d Jones, Bryn. “Nathaniel Pigott and Edward Pigott”. A History of Astronomy in Wales. 2017年3月8日閲覧。
  4. ^ a b c d McConnell, A.; Brech, A. (1999). “Nathaniel and Edward Pigott, itinerant astronomers”. Notes and Records of the Royal Society 53 (3): 305–318. doi:10.1098/rsnr.1999.0084. ISSN 0035-9149. 
  5. ^ a b L. M. French (2012). "John Goodricke, Edward Pigott, and Their Study of Variable Stars". arXiv:1204.6241v1 [physics.hist-ph]。
  6. ^ a b Hoskin, Michael (1979). “Goodricke, Pigott and the Quest for Variable Stars”. Journal for the History of Astronomy 10 (1): 23–41. Bibcode1979JHA....10...23H. http://articles.adsabs.harvard.edu/full/1979JHA....10...23H 2017年3月8日閲覧。. 
  7. ^ Pigott, Edward. “Observations of a New Variable Star”. Philosophical Transactions of the Royal Society. pp. 127-136. 2017年3月8日閲覧。
  8. ^ William Herschel writes to fellow astronomer Edward Pigott”. Huntington Digital Library. 2017年3月8日閲覧。
  9. ^ Observations of the Comet of 1783”. Archive.org. 2017年3月8日閲覧。
  10. ^ Goodricke-Pigott Observatory”. Goodricke-Pigott Observatory (2009年1月29日). 2017年3月8日閲覧。
  11. ^ a b (10220) Pigott = 1997 UG7”. 小惑星センター. 2017年3月8日閲覧。