金星の日面通過

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金星の太陽面通過から転送)
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2004年6月8日の金星の日面通過。ドイツイェーナにて。

地球における金星の日面通過(きんせいのにちめんつうか)とは、金星太陽面を黒い円形のシルエットとして通過していくように見える天文現象である。金星が地球と太陽のちょうど間に入ることで起こる。日面経過太陽面通過とも呼ばれる[1]。記録に残る初の観測は、1639年エレミア・ホロックスによってなされた。

金星の日面通過は非常に稀な現象で、近年では、105.5年、8年、121.5年、8年の間隔で発生する。直近では協定世界時2012年6月5日から6日にかけて起こった。次回は2117年12月10日から11日に起こる[1]

金星の日面通過を観察することで、地球と太陽の間の距離が算出可能となる。1761年1769年の日面通過では、この距離を得ることを目標して欧州を中心として国を超えた国際的な観測事業が行われ、世界各地に天文学者が派遣された。この観測プロジェクトは科学における初の国際共同プロジェクトとも評される[2]

日面通過の経過[編集]

日面通過の間、金星は太陽の表面を東から西へ動いていく小さな黒い円盤のように見える。天体が太陽の手前を通過し、それによって太陽の一部が隠されるという点で日食と似ている。しかし、日食において太陽を隠す視直径(地球から見た見かけの直径)が約30とほぼ太陽と等しいのに対し日面通過時の金星の視直径は約1分と太陽のおよそ30分の1しかない[3]。金星は直径がの約4倍もあるにもかかわらず、視直径がこのように小さいのは、日面通過時の金星は地球からの距離が約4,100万キロメートルであり、月(地球から約38万キロメートル)の100倍以上も遠くにあるためである[4]

金星の日面通過の概略図(2012年の通過をモデルにしたもの)

日面通過の開始前、金星は太陽の東側から太陽に徐々に接近してくる。しかしこの時には金星は夜側の面を地球に向けているため、見ることはできない。続いて金星が太陽面に接触する。この瞬間を第1接触という[5]。さらに金星が太陽面の内側に入り込み、金星が完全に太陽面上にのった瞬間を第2接触という[5]。第1接触から第2接触までは約20分かかる。その後金星は太陽面上を西へ移動していく。金星が太陽面の中心に最も近づいたときを食の最大という[6]。さらに金星は太陽面上を西に進み、太陽の反対側の縁に到達する。この瞬間を第3接触という[5]。第2接触から第3接触までにかかる時間は、金星が太陽面の中心にどれだけ近い部分を通過するかで大きく変わるが、2004年2012年の金星の日面通過では約6時間である[7][8]。さらに金星が西へ進み、完全に太陽面から離れた瞬間を第4接触という[5]。第3接触から第4接触までは約20分である。このように長い時間がかかる現象であるため日の出前にすでに日面通過が始まっていたり、日没時にまだ日面通過の途中である場合があり、全過程を観測できる観測地は限られる。2004年の日面通過においては中央アジアからヨーロッパで全過程の観測が可能であった[9]。2012年の日面通過ではハワイから東アジアで全過程の観測が可能であった[10]

第2接触の直後と第3接触の直前に金星の形が円形からずれて太陽の縁から滴り落ちる水滴のような形となり、しばらく太陽の縁にくっついた状態が数十秒間続く現象が知られている。これはブラック・ドロップ効果と呼ばれる。この現象のため、第2接触と第3接触の正確な時刻を測定するのは困難であると考えられていた。しかし、近年の観測ではブラック・ドロップ効果は観測されず、これは望遠鏡のピントが合ってないなどの理由による見かけの現象だとされている[3]

観測方法[編集]

フィルターを通して金星の日面通過を観察する人々。東ティモールでの観察イベント。

日面通過中の金星の影は、肉眼でも確認可能な角度を持っており、金属を蒸着させた太陽観測用フィルター(観察用グラス)を使用して減光することで、肉眼でも安全に観測可能となる[11][12][13]。ただし、フィルターを使用しても有害な光を完全に防ぐことはできないので、長時間観察を続けずに、こまめに目を休憩させることが推奨されている[11][14]

太陽の観測に望遠鏡や双眼鏡を用いる場合は、失明を含む視覚傷害のリスクを避けるために十分に減光するか、投影法を用いるように勧告されている[11]

発生の仕組み[編集]

金星の内合[編集]

金星の日面通過と、地球と金星の軌道平面の傾きの説明図

金星が内合になっても、通常は地球-金星-太陽は一直線上に並ばない。金星の軌道は地球の軌道に対して3.4°傾いており、天球上では金星は内合時に太陽の北か南を通過していくように見える[15]。日面通過が起こるのは、2つの惑星の軌道平面が交わるところで(または極めて近くで)偶然金星が内合になる場合である。地球がこの軌道平面の交線を通過するのは6月7日頃と12月9日頃であるため、日面通過が起こるのはこの前後数日に限られる[16]

3.4°というとそう大きい角度ではないように思うかもしれないが、地球から見ると内合時に金星が9.6°も太陽から離れて見えることもある[17]。これに対して太陽の視直径は約0.5°であるから、金星は日面を通過しない内合の際に太陽の北または南を太陽の直径の18倍以上離れて通過することもある[15]

起こる間隔[編集]

金星の日面通過は非常に稀な現象である。近年では、日面通過が起きる間隔には243年の周期がある。8年をおいて2回対になって起きた後、121.5年と105.5年の長い空白期間がある。2016年現在以前に最後に起きた金星の日面通過の対は、2004年6月と2012年6月のものである。21世紀初頭に起きる金星の日面通過では対の1回目は2004年6月8日に起き、2回目は2012年6月6日に起こる。2012年以降は、金星の日面通過の対は2117年12月と2125年12月のものまで無い[18][19]

243年の周期性があるのは、地球の243恒星年(1恒星年は365.25636日で、太陽年とは僅かに違う)が88757.3日、金星の395恒星年(224.701日)が88756.9日でほとんど同じだからである。このため、この時間の後には金星と地球がともにそれぞれの軌道上のほとんど同じ点に戻ってくる。この期間は金星と地球の会合周期(583.92日)の152倍ともほとんど一致する[20]

金星の日面通過は243年周期の中で必ず105.5年、8年、121.5年、8年という間隔をおいて起こるわけではない。546年から1518年までは日面通過は8年、113.5年、121.5年という間隔をおいて起こっており、紀元前425年から546年までは日面通過は常に121.5年おきに起きていた[21]。243年という周期は比較的安定しているが、その周期の中で起きる日面通過の回数と時期は年代によって様々である。現在の「105.5年、8年、121.5年、8年」間隔が続くのは3089年12月までで、次の日面通過は129.5年後の3219年6月となる[21]

一方、もう一つの内惑星である水星は金星よりも太陽に近いところをより速く公転している。そのため水星の日面通過はあまり珍しい現象ではなく、20世紀21世紀にはそれぞれ14回ずつ起こる[22]

観測の歴史[編集]

太陽との視差を決定するために、金星の日面通過の継続時間が測定された。

金星の日面通過の観測に対して(非常に珍しい現象であることとは別に)科学的な興味が持たれていた元々の理由は、太陽系の大きさを測定することができる可能性があるからであった[23]17世紀までには天文学者はそれぞれの惑星間の距離の関係を地球と太陽の間の距離を単位(1天文単位)として計算できていたが、1天文単位の絶対的な距離(マイルキロメートル単位)はあまり正確に分かっていなかった[24]

日面通過の精密な観測は、この1天文単位、すなわち太陽と地球の間の絶対的な距離を測定する方法となる。その方法は、地球の広範囲に離れた観測点で日面通過が始まる時間か終わる時間の僅かな違いを厳密に測定するというものである。すると地球のある2点間の距離が、三角測量の原理で金星と太陽の間の距離を測る物差しのように使える(「視差」も参照)[25]。現在の1天文単位の距離は 149 597 870.700 km で定義されており[26]、太陽視差は 8.794 143である[27]

17世紀[編集]

1631年[編集]

ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは金星の日面通過の詳細に予測した最初の人物と考えられている[28]。1629年、ケプラーは、彼のルドルフ表をもとにして、金星の日面通過が1631年12月6日に起こると予測した[28]。ケプラーは1930年に死去し、自身の予測を確かめることはなかった[29]。ケプラーの予測にもとづいて、フランスのピエール・ガッサンディパリから観測を行おうとした[30]。しかしケプラーの予測は十分に正確ではなく、ガッサンディは結局観測することはできなかった[29]。現在の計算によれば、パリでは1631年12月7日の日の出の約50分前、太陽が観測できる前に日面通過は終了していた[28]

1639年[編集]

エレミア・ホロックス。観測の様子を描いた想像図。
ウィリアム・クラブトリー。同じく観測の様子を描いたもの

金星の日面通過の最初の観測は、イギリスのエレミア・ホロックスによって1639年12月4日(当時イギリスで使われていたユリウス暦では11月24日)に行われた[31][32]。ホロックスは、当時のフィリッペ・ファン・ランスベルゲの金星の軌道表に誤りがあることを発見し、1639年に金星の日面通過が起こることを独自に見出した[33]。ケプラーも次の日面通過は1761年に起こると考えており、1639年の日面通過は予測できていなかった[28]

ホロックスの観測は、彼の居住地であったマッチフール (Much Hoole) というイングランドプレストンの近くにある村で行われた[32]。彼の友人であったウィリアム・クラブトリーも、マンチェスターの近くのサルフォードから観測を行った[31]。15時までは日面通過は起きないとホロックスは予測していたが、万全を期すためにその日は夜明けから一日中、断続的に観測を続けた[34]。13時から15時までのどうしても外せない用事を済ませて観測に戻ると、日面通過が始まっていた[34]。日の入り前、ホロックスは15時15分、15時35分、15時45分の金星の日面上の位置を記録することに成功した[35]。クラブトリーも同じく日の入りの直前に観測に成功する[28]。観測記録をもとにしてホロックスは、地球・太陽間距離を地球の半径の約15,000倍、太陽視差で14と算出した[36]。この距離は現在受け入れられている値のおよそ2/3倍程度だったが、それまで考えられていた値よりも現在の値に近いものであった[37][38]

ホロックスは1641年に、クラブトリーは1644年に死去する[28]。ホロックスは自身とクラブトリーの観測記録を論文にまとめたが存命中に出版されることはなかった[39]。この原稿は1662年ヨハネス・ヘヴェリウスによって出版され、彼の業績が日の目を見ることになる[40]

18世紀[編集]

1761年[編集]

エドモンド・ハレーが1678年に発表した論文。図は金星の日面通過を利用して太陽と地球の間の距離を計算する方法を示している。

1716年、イギリスの天文学者エドモンド・ハレーが1761年に起こる金星の日面通過を世界各地から観測して1天文単位の正確な値を得るための、国際的な共同研究プロジェクトを提案した[41]。この提言を受けて、1761年と続いて日面通過が起きる1769年に、各国の科学アカデミーや学会から多数の探検隊が世界の様々な場所へ日面通過を観測するため派遣された[42]。国を超えて行われたこれらの観測を、アンドレア・ウルフ英語版は「史上初の世界的な科学プロジェクト」と評している[2]。ハレーは1742年に死去し、自身がこの研究プロジェクトを直接指揮することはできなかった。ハレー自身も自分の高齢のために1761年の日面通過に間に合わないことを理解していたため、どこでどんな観測をすべきかという詳しい説明を残し、好機を逃さないことを多くの天文学者たちに伝えた[43]

1761年の日面通過は、フランスのジョゼフ=ニコラ・ドリルが中心となって、ヨーロッパ各地の天文学者に観測を呼びかけられた[44]。ハレーの方法は日面通過の始まりから終わりまでの経過時間の記録を必要とするものだったが、ドリルはこれを改良して、2つの観測地点から通過開始(第2接触)、または通過終了(第3接触)の時刻を記録するだけで事足りる方法を提案した[45]。日面通過の全過程を観測できる地域は限られているため、ドリルの方法であれば、さらに多くの地点を観測地にすることができる[46]。一方で、ドリルの方法は観測地点の正確な経度を把握する必要がある[47]。しかし、経度の情報は当時はまだ不十分だった[48]

フランス、イギリス、ロシア、スウェーデン、建国前のアメリカの天文学者たちが1761年6月6日の日面通過観測に乗り出した[49]。特にフランスとイギリスは、最も理想的な観測地点となるインド東インド諸島、その対となるシベリアまで観測隊を派遣し[50]、最も多くの派遣を行った[51]。当時の航海の手段は木製の帆船であり、難破や病気などの危険と隣り合わせの長く険しい旅が余儀なくされた[52]。天文学者たちの冒険の様子を「望遠鏡付きの象牙の塔の住人というより、聖杯を探し求める冒険家インディー・ジョーンズ」とキティ・ファーガソン英語版は記している[53]。基本的には、植民地などで自国の支配地としていた地域をそれぞれの観測地とした[54]。フランスはギヨーム・ル・ジャンティをインドのポンディシェリへ、アレクサンドル・パングレをインド洋のロドリゲス島へ派遣し、イギリスはネヴィル・マスケリンを南大西洋のセントヘレナへ、ジェレマイア・ディクソンチャールズ・メイソン英語版スマトラ島ベンクーレンへ派遣した[51]

当時は七年戦争の最中でもあり、政治情勢としても航海には危険な状態であった[48]。ベンクーレンを目指していたイギリスのディクソンとメイソンは、出帆から2日後にフランス軍艦に遭遇し、死者も出た激しい戦闘に巻き込まれた[55]。南アフリカの喜望峰までディクソンとメイソンは辿りついたものの、日面通過までの時間が残っておらず、なおかつベンクーレンがフランスに奪われた報せを聞いたディクソンとメイソンは、ベンクーレンでの観測を諦めて喜望峰で観測を行った[56]。ポンディシェリを目指したフランスのル・ジャンティも、航海中に敵艦に遭遇することがあったが、霧に助けられるなどして上手く逃走することができた[57]。しかし、目的地のポンディシェリは航海途中でイギリス軍によって包囲され、上陸できなかったル・ジャンティは、インド洋上に浮かぶ不安定で地理的位置も不明瞭な船上から観測を行うこととなった[58]

ロシアのアカデミーは、天文学の素養を持つ人材の不足から、当初は自国から派遣は出さずにフランスに派遣を打診した[59]。フランスはこの打診を受けてジャン・シャップ・ドートロシュをシベリアのトボリスクに派遣することを決めたが、この連絡はロシアに届いておらず、ロシアは自国の観測者を訓練してイルクーツクネルチンスクへ派遣を行った[60]。行き違いがあったが、シャップはトボリスクでの観測をロシアに認めてもらい、旅を継続した[61]。結氷したヴォルガ川を超え、日面通過の6日前にシャップはなんとかトボリスクに到着し、良好な観測を成し遂げている[51]。シャップは、この旅の記録を後に『シベリア旅行記』として出版した[62]

建国前のアメリカでは、北アメリカ大陸で数少ない観測可能な地域であるニューファンドランド島セントジョンズにてジョン・ウィンスロップが観測を行った[63]。スウェーデンではペール・ヴィルヘレム・ワルゲンティン英語版を中心に観測計画が進められ、当時はスウェーデンの支配下にあったフィンランド東部のカヤーニへアンダーシュ・プランマンを派遣した[64]。本国でも多くの天文学者が観測を行い、ドリルはパリで、ワルゲンティンはストックホルムで観測を行った[65]。ロシア首都サンクトペテルブルクで観測を行ったミハイル・ロモノーソフは、金星が太陽面から出ていくときの様子から金星に大気があることを予測した[66]

スウェーデンのトルビョルン・ベリマンにより描かれた1761年のブラック・ドロップ効果の様子[67]

1761年の日面通過では、最終的には、60以上の場所で120以上の観測が行われた[48]。しかし、後にブラック・ドロップ効果と呼ばれる太陽面の縁に金星がくっついた状態が続く現象が観測時に起こり、接触の正確な時間を特定できなかった[68]。さらには観測地点の経度が正確に把握できていなかったことなども悪影響した[48]。観測結果にもとづき各国の天文学者たちは太陽視差の計算を行ったが、報告された値は8.28秒から10.6秒まで様々で、当初に期待していたほどの正確な測定はできなかった[69]。しかし、前の日面通過からホロックスによって測定された値よりも、現在の値である8.79秒に大きく近づいた[70]

1769年[編集]

次の日面通過は1769年6月3日に発生した。それまでの間に七年戦争は終結して、航海時の安全は向上した[71]。また、啓蒙思想がヨーロッパ各国の権力層にも広がったおかげで科学事業への協力を得やすくなり、各国の国王も観測事業の全面的な支援を行う者が増え、観測に向けた状況は改善していた[72]。これを逃すと次の日面通過は1874年まで起こらないため、今回の観測成功は必須となっていた[48]。ブラック・ドロップ現象克服のために、より性能の高いアクロマート望遠鏡英語版も普及した[73]

デイビット・リッテンハウスによる日面通過の記録

1769年の観測には、前回の国々にデンマークも新たに加わり、マキシミリアン・ヘル英語版とその助手のヤーノシュ・シャイノヴィチ英語版を当時デンマークの支配下にあったノルウェーのバルデに派遣した[74]。アメリカでは、前回に観測を行った天文学者はウィンスロップだけだったが、1769年にはフィラデルフィアアメリカ哲学協会英語版もアメリカの地位向上を目指して観測に参加した[75]デイビット・リッテンハウス英語版が計算を行い、それをもとに3箇所でアメリカ哲学協会の会員たちが観測を行った[76]。ロシアも、エカチェリーナ2世がロシアの地位・名声の向上にために、前回よりも大がかりな観測隊を準備させた[77]。エカチェリーナは、東の最果てのヤクーツクまでも含めて、8つの遠征隊を広い帝国の各地域へ派遣した[78]

ギヨーム・ル・ジャンティが観測基地としたポンディシェリの廃墟。旗の右側にある中央の建物。

フランスでは、ドリルに代わりジェローム・ラランドが計画の指揮を執っていた[79]。1761年に遠征したパングレとシャップとル・ジャンティは、1769年の日面通過でも再び遠征地にて観測を行った。パングレは中央アメリカのハイチへ派遣され、観測を行った[80]。シャップはメキシコのバハ・カリフォルニアへ遠征し、良好な観測を達成した[79]。しかし、当時のメキシコではチフスが流行しており、観測隊も次々に感染して亡くなり、観測後に看病しながら仕事を続けていたシャップも感染し、観測地にて亡くなった[81]。シャップの観測記録は、1年後に観測隊の生存者によってパリへ届けられた[71]。1761年にはインド洋上で観測を強いられたル・ジャンティは、観測後はフランス本国には戻らずにインド洋周辺に滞在し、次の日面通過に向けて準備を行った[82]。ル・ジャンティはフィリピンのマニラで観測を行うことにしたが、フランス本国からはインドのポンディシェリで観測がより良いと連絡が届けられた[83]。1769年、ル・ジャンティは予定を変更してポンディシェリで観測を行ったが、当日の天候は曇りで、日面通過を観測することはできなかった[79]。さらには、観測の帰途で船が難破し、11年を経てパリへ帰還した際にはル・ジャンティは死んだことになっており、財産とアカデミーでの地位を失っていた[71]

イギリスでは、マスケリンが1765年にグリニッジ天文台の天文台長となり、1769年の観測を統率した[84]。前回遠征したディクソンとメイソンは再度観測のために遠征し、ディクソンはノルウェーへ、メイソンはアイルランドへ派遣された[55]。さらに、ウィリアム・ウェールズ英語版を北アメリカのハドソン湾へ、ジェームズ・クックを南太平洋のタヒチ島へ派遣した[71]。ハドソン湾への航路は初夏まで凍り付くため、ウェールズは1768年の春の暮れに出航し、観測地で冬を越し、日面通過が起こる1769年6月まで待つ必要があった[85]ジェームズ・クックは、天文学者のチャールズ・グリーン英語版と共にエンデバー号で出航し、未開だったタヒチへの航海を成し遂げ、観測に成功した[79]。この航海は、後にキャプテン・クックと呼ばれるクックの第1回航海に当たる[86]。天候に恵まれて日面通過の様子を十分観測することはできたが、ブラック・ドロップ現象が現れ、接触の時刻を精密に記録することはできなかった[87]

最終的には、1769年の日面通過では、77つの場所で150以上の観測が行われた[79]。観測結果にもとづく太陽視差の計算結果は、8.43秒から8.80秒までの値が報告された[88]。1716年に観測を呼びかけたハレーの見込みでは日面通過の観測から1/500の精度で測定可能とされており、今回もブラック・ドロップ効果の邪魔が入る結果となった[68]。しかし、もっと良い精度の結果が期待されてはいたものの、1761年に得られた値からさらに現代の値に近いより正確な値を得ることができた[89]。後の1824年にヨハン・フランツ・エンケが経度の最新値と最小二乗法を使い、1761年と1769年の観測記録から太陽視差8.5776秒という値を算出した[79][90]。この値は、その後四半世紀ほど太陽視差の代表的値として扱われた[91]

19世紀[編集]

1874年[編集]

イギリスからの観測隊長タップマンと設置された望遠鏡、ホノルルでの様子

次の金星の日面通過は105年後の1874年12月9日に発生した。このときも欧米各国が世界中に観測隊を派遣した。アメリカ、イギリス、イタリア、オランダ、ドイツ、フランス、メキシコ、ロシアが派遣隊を出している[92][93]。観測地は

の地域に及んだ[94]

1862年にアサフ・ホールが火星を利用して太陽視差を測定したものの、結果は8.841秒とエンケの値とも離れた値が得られたことから、1874年の金星の日面通過は以前として天文単位を決定する貴重な機会だった[79]ジョージ・ビドル・エアリーは、1857年に天文単位の決定を "the noblest problem in astronomy"(天文学上の最も崇高な問題)と述べている[95]。前の観測以降に写真機が発明され、この新たな技術が観測に使われた[91]。フランスでは、日面通過観測のためにピエール・ジャンサンが連続撮影可能な回転式の写真機 "revolver photographique"(写真のリボルバー)を発明した[96][97]シャルル・ウォルフフランス語版と協力者のシャルル・アンドレは日面通過を再現する機械を製作し、ブラック・ドロップ現象の解明を行った[98]

金星太陽面経過観測地点記念碑。メキシコが観測を行った横浜市中区山手町にて観測から100年を記念して建てられた[99]

1874年の日面通過では、日本も日面通過の全過程が観測可能な地域だったためフランスアメリカメキシコがそれぞれ観測隊を派遣した[100][101]。フランス隊には "revolver photographique" を発明したジャンサンも参加していた[102]。フランス隊は長崎と神戸に隊を分け、それぞれで観測を行った[103]。フランスへ留学していた清水誠も神戸のフランス隊に同行し、金星の日面通過の写真を15枚撮影することに成功した[104]。アメリカ隊は長崎で[94]、メキシコ隊は横浜で観測を行った[93]。長崎では上野彦馬がアメリカ隊に協力している[104]

また、アメリカ隊のジョージ・ダビットソンは金星観測後に日本側からの要望を受け、長崎・東京間の経度差を測量した[105]。東京には隊員のチットマンとエドワーズを派遣し、現在では「チットマン点」と呼ばれる日本最初の経度原点が決定された[105]。諸外国の観測隊の受け入れによって、日本は観測点の経度決定法などの近代天文学上の重要な基礎技術を学んだ[102]。このような諸外国による金星日面通過の観測によってもたらされた日本への影響を、斉藤国治は「科学における黒船」と評している[100]

今回の日面通過では写真などによって接触の観測の精度が向上することが期待されたが、結果は18世紀の観測よりも少し向上した程度に留まった[106]。イギリスは写真による方法が上手く行かなかったことを認めた[107]。アメリカは太陽面上を金星が通過している様子については多くの良い写真が撮れたが、肝心の第1接触・第2接触間と第3接触・第4接触間についての写真はブラック・ドロップ効果によって無価値だったことを報告した[108]。このときの日面通過から、アメリカでの観測結果から8.883±0.034秒、フランスでの観測結果から8.81±0.06秒という太陽視差の値が報告された[109]

1882年[編集]

アメリカ海軍天文台による1882年の金星日面通過の記録写真

次の金星の日面通過は1882年12月6日に発生した。1874年の日面通過で期待の結果を得ることができなかったことは、次の日面通過の観測への意気を下げることとなった[110]。1875年にはヨハン・ゴットフリート・ガレが小惑星フローラを利用して、太陽視差8.873秒という値を高い精度で得ていた[79]アメリカ海軍天文台では、1874年の観測を率いたサイモン・ニューカムは金星日面通過の観測を天文単位を決める最適な方法と考えることを止め、ウィリアム・ハークネスが1882年の観測を率いることとなった[111]

このような観測の科学的価値への疑義は生じたが、結果的には欧米各国はニュージランドから南アフリカに至る世界各地に観測隊を派遣した[79]。各国の観測計画を調整するための国際会議が1881年10月にパリで開かれ、14の国が参加した[110]。アメリカもパリの会議には出席しなかったが、観測隊の派遣は継続して行うこととした[110]。ニューカムも観測隊の1つを率いて南アフリカのウェリントンで観測を行っている[112]

スモークガラスの破片で金星日面通過を見ようとするニューヨークの子供たち(ジョン・ジョージ・ブラウンの絵画)

1874年と異なり、この年の日面通過はヨーロッパとアメリカでも観察可能で、町の広場に望遠鏡が置かれ、多くの人たちが観察する盛り上がりを見せた[97]ニューヨークタイムズは、1881年から83年にかけて継続的に金星日面通過の記事を出し続けた[113]。ニューヨークタイムズでは日面通過の観測の歴史や観測方法の解説、1882年の各国の観測計画や結果が伝えられ、当時の日面通過への興味の高まりを示している[113]。アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザは、このときの日面通過に触発されて Transit of Venus March を作曲した[114]

アメリカ海軍天文台による1882年の観測結果は、1874年と比較すると良い観測結果であった[115]。集められた観測写真の数も1380枚に上った[115]。アメリカでの観測結果から、ハークネスが1889年に8.842±0.0118秒という太陽視差の値を報告した[109]。また、1895年にはニューカムが、18世紀と19世紀の4回の日面通過の記録から8.794±0.0018秒という値を報告した[109]。ただし、金星日面通過以外の方法も含めた様々な太陽視差決定結果の中では、プルコヴォ天文台による光行差を利用して得られた値を最も重要性が高いとし、金星日面通過によって得られた値の重要性は低いとニューカムはまとめている[116]

21世紀[編集]

2004年[編集]

NASAの太陽観測衛星TRACEが記録した2004年の日面通過の様子

次の金星の日面通過は、前回から1世紀を間を空け、2004年6月8日に発生した。前回から科学技術が発展し、金星・地球間の距離がレーダーによって直接測定可能となり、日面通過によって天文単位を求める必要は無くなった[68]。1961年と62年の金星に対するレーダー観測から、天文単位の値が 149 596 000 km から 149 601 000 kmの範囲と求められた[117]。2016年現在では、天文単位の値は実測値ではなく一定に固定された定義値となっており、その値は前述のとおり 149 597 870.700 km となっている。

日面通過の科学的重要性は小さくなったが、非常に稀な天文イベントは世界中の多くの人の興味を引き付けた[118]ヨーロッパ南天天文台European Association for Astronomy Educationが中心となって、金星の日面通過を題材として "VT-2004" というインターネットを通じた国際的な教育プログラムが行われた。日面通過観測に関連する企画を通じて科学への興味や知識の向上に役立てることを目的としたもので[119]、 参加者から日面通過における4つの接触の観測結果を集め、天文単位を古典的な方法で再計算することを1つの目標とした[118]。1,510人の登録参加者から4,550個の接触時刻の記録が送られ、149 608 708±11 835 km という値が計算された[118]

ほぼ同一時刻に接触の様子を記録した2つの連続写真。左の"質の悪い"写真ではブラックドロップ現象がよく見て取れる。

ブラック・ドロップ効果が見られるかどうかも関心の的となった。18世紀・19世紀に報告されたブラック・ドロップ効果の主原因は、望遠鏡の性能によるものという見方が主流となっている[120]。VT-2004 へ参加した多くの観察者たちは接触の時刻を特定するのに支障は無かったと報告しており、提出された多くの写真でもブラック・ドロップ効果のような現象は起きていなかった[121]。学術的な研究も行われ、ジェイ・パサチョフ英語版らは、NASAの太陽観測衛星「TRACE」による2004年の金星日面通過の観測結果を、1999年の水星の日面通過の観測結果と合わせて分析し、望遠鏡の性能だけでなく太陽の周辺減光もブラック・ドロップ効果の原因の一つと結論付けた[122]

また、2004年の日面通過の際には、金星が太陽の光の一部を遮る時の光のパターンを測定することで太陽系外惑星の捜索に使う技術を洗練させようという試みに多くの科学者たちが挑戦した[97][123]。他の恒星の周囲を廻っている惑星を探すための現在の方法は、我々が固有運動の変化や視線速度の変化によるドップラー効果を発見できるほどその重力が十分に恒星を揺さぶるほどの非常に大きな惑星(木星サイズであり、地球サイズではない)にのみ有効である。惑星が一部の光を遮ることから、日面通過の進行中に光の強度を測定することで潜在的には遥かに高感度に小さな惑星を探索できる。しかし、極端に厳密な測定が必要である。例えば、金星の日面通過によって太陽の光度は0.001等級だけ暗くなる。小さな太陽系外惑星による減光の度合いは同じぐらい小さなものと考えられている[124]

2012年[編集]

次の金星の日面通過は2012年6月5日から6月6日にかけて発生した。前回に引き続いて世界中の人たちが、この天文イベントを観察した[125]

JAXAらの太陽観測衛星「ひので」は日面通過の様子を超高解像度で撮影を行った[126]。得られた画像は、オレオール現象と呼ばれる黒い金星を包む細い光の環を捉えている[126]。この現象は、金星が太陽面上を通過するときに太陽光が金星の大気中で屈折することで発生する[127]。1761年に日面通過を観測して金星の大気を予測したミハイル・ロモノーソフは、この現象を観測して大気の存在を予測したと考えられている[127]

また、フランスの天文学者が中心となって "Venus Twilight Experiment" と呼ばれる研究プロジェクトが立ち上げられ、オレオール現象を利用して金星の大気への理解を深めることなどを目標とした観測・研究が行われた[128]。オレオール現象は2004年にも現れたが、現象を捉えて分析するための観測の最適化が整っていなかった[129]。世界の観測可能地域へメンバーが「現代的な」遠征をして観測を行った。成果としては、金星を周回する探査機ビーナス・エクスプレスによる大気の鉛直温度分布の観測を補完するなどの結果が得られている[130]

次の金星の日面通過は2125年12月8日に発生する。

過去と未来の日面通過[編集]

日面通過は現在6月か12月にだけ起こる(表を参照)。この日付は年代と共にゆっくりと遅い時期になっていく。1631年以前は、この日付は5月か11月であった[20]。日面通過は普通対で、8年離れたほぼ同じ日に起きる。これは地球の8年の長さが金星の13年の長さとほとんど同じためであり、そのため8年ごとに金星と地球はおおよそ同じ位置関係になる。この近さは普通対で日面通過を起こすには十分であるが、3つ組みの日面通過を起こすには十分でない[20]。例えば、2004年6月8日と2012年6月6日には金星の日面通過が起きた。しかし、そのほぼ8年後の2020年6月3日には18時50分頃(UTC)に金星が太陽の中心まで約0.5度(太陽の視直径とほぼ同じ)まで近づくだけに終わり、日面通過は起こらない。対で起こらなかった直近の日面通過は1153年に起きた。かろうじて2846年と2854年は対で起こるが、3089年は対で起こらない。2854年には金星は地球の中心から見ると僅かに太陽を外れるが、一部だけの日面通過が南半球の一部から見られる[131]

金星の日面通過
日面通過の
日付
時間(UTC 備考 日面通過の進路
(HM航海暦局)
開始 中央 終了
1631年12月7日 03:51 05:19 06:47 ヨハネス・ケプラーが予測。 [132]
1639年12月4日 14:57 18:25 21:54 エレミア・ホロックスウィリアム・クラブトリーが観測した最初の日面通過。 [133]
1761年6月6日 02:02 05:19 08:37 ミハイル・ロモノーソフが金星の大気を観測。 [134]
1769年6月3日
- 6月4日
19:15 22:25 01:35 ジェームズ・クックがタヒチへ航海。 [135]
1874年12月9日 01:49 04:07 06:26 欧米観測隊が来日。 [136]
1882年12月6日 13:57 17:06 20:15 ジョン・フィリップ・スーザが、行進曲 Transit of Venus March を作曲。 [137]
2004年6月8日 05:13 08:20 11:26 世界中の様々なメディアが全世界に金星の日面通過のライブ映像を放送。 [138]
2012年6月5日
- 6月6日
22:09 01:29 04:49 ハワイ、オーストラリア、太平洋、東アジアで全過程が、北アメリカで始まりが見られた。 [139]
2117年12月10日
- 12月11日
23:58 02:48 05:38 中国東部、日本、インドネシア、オーストラリアで全過程が、米国西海岸西端、インド、アフリカの大部分、中東で一部が見られる。 [140]
2125年12月8日 13:15 16:01 18:48 南アメリカ、米国東部で全過程が、米国西部、ヨーロッパ、アフリカで一部が見られる。 [141]
2247年6月11日 08:42 11:33 14:25 アフリカ、ヨーロッパ、中東で全過程が、東アジア、インドネシア、南北アメリカで一部が見られる。 [142]
2255年6月9日 01:08 04:38 08:08 ロシア、インド、中国、オーストラリア西部で全過程が、アフリカ、ヨーロッパ、米国西部で一部が見られる。 [143]
2360年12月13日 22:32 01:44 04:56 オーストラリア、インドネシアの大部分で全過程が、アジア、アフリカ、南北アメリカ西半分で一部が見られる。 [144]
2368年12月10日 12:29 14:45 17:01 南アメリカ、アフリカ西部、米国東海岸で全過程が、ヨーロッパ、米国西海岸、中東で一部が見られる。 [145]
2490年6月12日 11:39 14:17 16:55 南北アメリカの大部分、アフリカ西部、ヨーロッパで全過程が、アフリカ東部、中東、アジアで一部が見られる。 [146]
2498年6月10日 03:48 07:25 11:02 ヨーロッパの大部分、アジア、中東、アフリカ東部で全過程が、南北アメリカ東部、インドネシア、オーストラリアで一部が見られる。 [147]

特殊な日面通過[編集]

太陽をかすめる場合[編集]

時々、金星が日面通過で太陽をかすめていくだけの場合がある。この場合、地球上のある地域では完全な日面通過を見ることができる一方、他の地域では部分的な日面通過で終わる(第2接触や第3接触が無い)ことが有り得る。また別の場合、ある地域では部分的な日面通過を見ることができるものの他の地域では日面通過が起こらないことも有り得る。

金星が地球上の一部の地域でだけ部分的に太陽の前を横切るのが観測できた最後の日面通過は1631年12月6日に起こった。世界の一部の地域で部分的な日面通過が見られるだけの日面通過が次に見られるのは2611年12月13日である[20]

同時日面通過[編集]

水星の日面通過と金星の日面通過が同時に起こることも有り得るが、遠い未来のことである。そのような現象が次に起こるのは69163年7月26日と224508年3月27日である[148][149]。21世紀現在は金星の日面通過が起こる時期が6月上旬と12月上旬、水星の日面通過が起こる時期が5月上旬と11月中旬にそれぞれ限られているため、それらが同時に起こることは無い。

日食と金星の日面通過が同時に起こることも一般に有り得るが、非常に稀である。次に日食と金星の日面通過が同時に起こるのは15232年4月5日である[148]

1769年6月4日の日面通過の僅か5時間後に、皆既日食が起きていた[150]。これは北アメリカ、ヨーロッパ、アジア北部の大部分で部分日食として見られた。この金星の日面通過と日食の間隔は有史以来最も短いものであった。

その他[編集]

紀元前90353年2月7日4時34分から始まる金星の日面通過は、前後1週間の間に8回も天体の日面通過がある特殊な1週間である。1日に月と地球で水星の日面通過[151][152]、3日に土星水星の日面通過[153]、7日に地球と月と土星で金星の日面通過[154][155][156]、8日に土星月と地球の同時日面通過が発生している[157][158]

題材とする文化芸術[編集]

ジョン・フィリップ・スーザの行進曲 Transit of Venus March
『塔上の二人』(原題:Two on a Tower
1882年のトーマス・ハーディによる小説。金星の日面通過観測に関わるアマチュアの天文学者を主役の一人とした恋愛小説で、当時の金星日面通過への関心の高まりの例として挙げられる[159]
Transit of Venus March
1882年から1883年に発表されたジョン・フィリップ・スーザの行進曲。スーザが1882年の日面通過に興味を持ったことから作曲されたものだが、日面通過自体を祝うものではなく、スーザは1878年に死去した物理学者のジョセフ・ヘンリーを称えるために作曲した[114]
Transit of Venus
1992年のモーリン・ハンター (Maureen Hunter) による演劇。1761年と1769年の日面通過観測に派遣されたギヨーム・ル・ジャンティの地球上の様々な場所での努力を脚色したものである。2007年には同名でオペラ化された[160]
The Transit of Venus
2009年に発売されたイギリスのTVドラマ『ドクター・フー』のオーディオブック。日面通過観測のためにジェームズ・クックが航海していた1770年を舞台にする[161]
Transit of Venus
2012年に発売されたカナダのロックバンドスリー・デイズ・グレイスの音楽アルバム。日面通過が起きた当日の2012年6月5日にタイトルと発売日が発表された[162]。2014年のジュノー賞で Rock Album of the Year にノミネートされた[163]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

※文献内の複数個所に亘って参照したものを示す。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]