ロドリゲス島

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ロドリゲス島 (ロドリゲスとう、Rodrigues Island) とはインド洋モーリシャス島から北東560kmに位置するモーリシャス領の孤島で、3つの島からなる。マスカリン諸島の一部。

ロドリゲス島
Rodrigues
Zil Rodrigues
Rodrigues Island Region
ロドリゲス島の旗
(旗)
ロドリゲス島の地図
公用語 英語フランス語ロドリグァン・クレオール語
中心地 ポート・マチュリン
政府
大統領
高等弁務官
行政長官
モーリシャスの属領
アヌルード・ジュグノート
ジョンソン・ルーセティ
ジャン=クロード・ピエール=ルイス
面積 109km2
人口(2015年) 41,942人
通貨 モーリシャス・ルピー

概要[編集]

ポート・マチュリン

火山島で最高峰はリモン山 (Mont Limon、396m) である。 島の周囲は広いラグーンに囲まれている。 2015年の人口は4万1942人、面積は104km2、人口密度は403.3人/km2。 ロドリゲス島の中心地かつ州都はポート・マチュリンで、人口は7990人。 経済は開発が遅れており、牧畜、漁業、農業が中心。 最近ではエコ・ツーリズム的な観光産業に力を入れている。

歴史[編集]

10世紀には、アラブ人航海士が島に訪れていたと言う。

1528年もしくは1597年ポルトガル人のディエゴ・ロドリゲス英語版が発見した。 ロドリゲスによる島の到着後、たびたびヨーロッパ人が島に訪れるが長期滞在者はいなかった。

1685年フランスルイ14世アンリ4世国王の出したナントの勅令(ユグノー等のプロテスタント信徒に対してカトリック信徒とほぼ同じ権利を与える勅令)を廃棄した。 同時に発されたフォンテーヌブロー勅令によって弾圧されたユグノーオランダに逃げた。 その頃、オランダのインド会社がインド洋に船団を送り込みロドリゲス島の植民地を狙っていた。

1691年、オランダに逃げていたフランスの新教徒フランソワ・ルガとその一団はオランダ政府の庇護の下で、プロテスタントの社会を築き上げようとロドリゲス島に住み着いた。 彼ら新教徒たちは2年間島に住み着くが、孤独とサイクロンなどに悩まされ、ついにはモーリシャスに逃げた。

1715年、フランスがレユニオン、モーリシャスそしてロドリゲス島に植民地化を狙って入植者を送り込み占領した。 特にロドリゲス島は航海船の食料補給基地としての役割が大きく、ロドリゲス島は発展していった。 食料とされたのは島に生息している鳥類のロドリゲスドードー、そしてゾウガメである。 両方とも人間に捕獲され絶滅してしまった。

1810年イギリスが占領した。

1968年、モーリシャスがイギリスから独立。 現在ロドリゲス島はモーリシャスの一州で独自の自治省を設置している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]