観自在寺
観自在寺 | |
---|---|
境内 | |
所在地 | 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1 |
位置 | 北緯32度57分52.8秒 東経132度33分50.6秒 / 北緯32.964667度 東経132.564056度座標: 北緯32度57分52.8秒 東経132度33分50.6秒 / 北緯32.964667度 東経132.564056度 |
山号 | 平城山 |
宗派 | 真言宗大覚寺派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | (伝)大同2年(807年) |
開基 | (伝)空海(弘法大師) |
正式名 | 平城山 薬師院 観自在寺 |
札所等 |
四国八十八箇所40番 南予七福神霊場 第1番(弁財天) |
文化財 | 仁王門(町重要文化財) |
公式サイト | 平城山観自在寺 |
法人番号 | 9500005006611 |
観自在寺(かんじざいじ)は、愛媛県南宇和郡愛南町にある真言宗大覚寺派の寺院。平城山(へいじょうざん)、薬師院(やくしいん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場第四十番札所である。第一番札所より最も離れていることから「四国霊場の裏関所」と呼ばれている。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:心願や 自在の春に 花咲きて 浮世のがれて 住むやけだもの
沿革
寺伝によれば平安時代初期の大同2年(807年)平城天皇の勅願により、空海(弘法大師)によって開かれたといい、本尊の薬師如来、脇持の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩はく一本の霊木から空海が刻んだと伝えられている。
江戸時代初期の寛永15年(1638年)に京都の空性法親王が巡拝、薬師院の号を受けた。その後、宇和島藩主伊達宗利の勅願所になったという歴史をもつ。一時は七堂伽藍を持ち四十の末寺を有したが、火災で消失。延宝6年(1678年)に再建されたが、昭和34年(1959年)に失火で本堂を焼失、現在の本堂はその後に建立された。
境内
- 山門(仁王門) - 総欅造
- 本堂 - 堂内で参拝できる。
- 大師堂 - 毎年6月15日に大師像が開帳される。
- 心経宝塔
- 寶聚殿八角堂 宝物展示室:本尊文殊菩薩
- 鐘楼
- 十二支守本尊
- 平城天皇遺髪塔 - 五輪塔
山門を入ると右手に手水場、鐘楼、八角堂が、左に信徒会館が建つ。左に十二支守本尊、右に平城天皇遺髪塔、心経宝塔がある参道の正面奥に本堂が建ち、右手に大師堂がある。納経所は本堂の中にある。
- 宿坊(信徒会館):定員40名。要予約
- 駐車場:20台、大型3台。無料。
文化財
- 愛南町指定有形文化財
- 山門(三門) - 仁王門とも称す。総ケヤキ造り、高さ7m、幅6m、屋根は入母屋造、昭和63年に大修理が行われた。昭和51年10月1日指定
- 愛南町指定史跡
- 芭蕉句碑 - 昭和58.12.9指定
- 岡村松軒翁之墓所 - 昭和58.12.9
交通案内
- 鉄道
- バス
- 宇和島バス 宇和島・城辺・宿毛線 「平城札所前」下車 (0.2km)
- 道路
- 国道56号 御荘栄町 (0.7km)
奥の院
- 篠山神社(観世音寺の奥の院跡)
観世音寺は伝、用明天皇勅願所。神仏分離により廃寺となる。本尊の十一面観音像、脇持不動明王像は正木の歓喜光寺に安置されている。往時、観世音寺は篠山の中腹にあり月山と並ぶ遍路が参詣すべき番外札所であったが今は石垣しか残っていない、山頂にある神社はその奥の院であった。観自在寺にはその遥拝所としての祠がある。
- 龍光院
- 所在地:愛媛県宇和島市天神町1-1
龍光院を参照
前後の札所
参考文献
- 四国八十八箇所霊場会編 『先達教典』 2006年
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 解説編 2007年(第7版)
関連項目
外部リンク
- 第40番札所 平城山 薬師院 観自在寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)
- 平城山観自在寺