種間寺

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種間寺
種間寺本堂
本堂
所在地 高知県高知市春野町秋山72番地
位置 北緯33度29分30.2秒 東経133度29分15.3秒 / 北緯33.491722度 東経133.487583度 / 33.491722; 133.487583座標: 北緯33度29分30.2秒 東経133度29分15.3秒 / 北緯33.491722度 東経133.487583度 / 33.491722; 133.487583
山号 本尾山
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)弘仁年間(810年 - 824年
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 本尾山 朱雀院 種間寺
札所等 四国八十八箇所34番
文化財 木造薬師如来坐像(重要文化財)
法人番号 2490005001125 ウィキデータを編集
種間寺の位置(高知県内)
種間寺
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種間寺(たねまじ)は、高知県高知市にある寺院。山号は本尾山(もとおざん)。院号は朱雀院(すざくいん)と号する。宗旨は真言宗豊山派本尊薬師如来

四国八十八箇所霊場の第三十四番札所。安産祈願の寺である。

本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

ご詠歌:世の中にまける五穀(ごこく)のたねまでら 深き如来の大悲(たいひ)なりけり

納経印:当寺本尊、奥之院瑠璃光佛

歴史

寺伝によれば用明天皇在位(585年 - 587年)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間(810年 - 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい、その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。

天暦年間(947年 - 957年)には村上天皇藤原信家勅使にして「種間」の勅額を下賜。土佐藩主からの信仰も得ていた。神仏分離令で廃寺となるが、明治13年(1880年)に再興される。

境内

  • 本堂:本尊・薬師如来は毎年3月8日開帳される。脇侍の日光月光菩薩立像と不動明王立像はいつも見える。外陣前に大黒天(さわり大黒、ケヤキの寄木造、身丈100cm、全長150cmの大黒天像。2008年開眼)が鎮座。
  • 大師堂:拝顔できる。
  • 観音堂:子安観音
  • 地蔵堂
  • 水子地蔵
  • 石鎚神社(祠)
  • 種間寺ミニ八十八ヶ所:舟形石仏が軽打に並んでいる。
  • 光明殿
  • 鐘楼
  • 句碑:川田朴子「波音のどすんどっすん浜木綿」が鐘楼の前に、聖定「道はるかなれど歩まむ沙羅の花」が子安観音堂の右に、徳光和夫「達観を地で行く種間寺ご住職」がその右に、また、聖定「道はるかなれど歩まじ沙羅の花」「つゝじ燃ゆ浮世の嘆き知らぬ気に」が同じ碑に刻まれさらに右にある。

石柱門を入ると鐘楼があり光明殿前から右に入ると、左に水子地蔵尊、右に庫裏・納経所があり、その先に大師堂が並ぶ。左手に地蔵堂、底の抜けた柄杓が子安観音を取り巻く堂があり、最も奥にコンクリート作りの本堂が建つ。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:70台、大型5台。無料。

文化財

石造手水鉢
重要文化財
  • 木造薬師如来坐像:木造、漆箔、140.3cm、平安時代後期、大正2年8月20日指定
高知市指定有形文化財
  • 木造薬師如来立像:一木造り、像高32.3cm、平安時代後期、昭和54年5月26日指定
  • 石造手水鉢:高さ38cm直径55cm、延宝5年 (1677) 作、昭和56年12月4日指定

交通案内

鉄道
バス
道路

奥の院

本尾山奥の院
本尾山奥の院(番外霊場)

山の斜面に作られた簡素な堂に薬師如来(薬師瑠璃光如来)が祀られている。 以前は大師が一晩で刻んだとされる薬師瑠璃光如来像が安置されていたと伝わるが、戦後の混乱期に盗難に逢い、現在は薬師瑠璃光如来を模した石仏が安置されている。 納経は種間寺で行なっている。 尚、以前は御影の授与があったが現在は無い。

前後の札所

四国八十八箇所
33 雪蹊寺 -- (6.3km)-- 34 種間寺 -- (9.8km)-- 35 清瀧寺

参考文献

脚注

  1. ^ 平成19年3月樹齢40年を茨城県より移植。

外部リンク